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偽造したというよりも、博物館の展示に耐える精巧なレプリカだろ!? 本物を出しても売り払ったり私物化せず、ちゃんと保管してくれる保障もないからね。
交易が多く、古代史に造形のある人間が偽物を作るなら他の古代金印を作り替える方が佐渡金を手に入れるより簡単でリアリティのあるものが作れます。専門家が作る贋作はゼロからではなく作り替えがメジャーですし、つまみを作り替えたのも元の金印の痕跡を残して元の金印のスケッチなどから看破されたくかったからでは
贋作支持派です。動画には扱われてませんが、金印発見後に亀井南冥が3年後に失脚したのは「黒田家が贋作と知り、金印を門外不出にして幕府からの懲罰を恐れ公的には真贋不明にした。」という説があります。当時、新井白石の起こした邪馬台国論争など亀井は注目を集め名声を集めたかった模様です。現代でも少し前に考古学発掘のねつ造で大騒ぎになった事件ありましたよね。また、江戸時代は技術レベルが高くて費用的にもそれ程は高価ではなく、金印モドキの制作も実際されており贋作制作が容易。ラクダを間違えて途中で作り替えたとか倭と委を間違えたりは普通に考えてこじ付け感があります。現代はどこの鉱山かの成分測定ができるようになってきてるそうですから科学的な調査を期待します。日本の金山だと贋作確定ですね。
志賀島で発見された金印は印面が平らじゃなくて中央が窪んでいる。これは朱肉等をつかって紙に押す印ではなくて、泥をつかった封泥印の特徴。紙の印影しかみていない江戸人にこの特徴を贋作するのは不可能と考える。
一応、あの時代の中国で使われていた装飾品や他の金印と金属の割合が同じというかなり強い根拠があるんだよな
本物派と贋作派、両方の視点から解説しているこの動画はすごく良いですね。コメントにも色々な情報や意見があり勉強になります。
出土場所が違うだけで本物。
贋作説について、いろいろ調べてみたけど、やはり金の含有量が95%という点で無理があるような気がしていました。とても勉強になりました。で、気になるのは甚兵衛の存在かな。
広陵王璽のオチが秀逸すぎる
金印は一辺2.3cm程。後漢代の1寸に相当。高さ2.2cm程。蛍光X線分析で金95.1%と測定された。これらは近年になって類似の金印が中国で発見されているが、江戸時代には知る由もない。金印の制作には金の精錬やデザインの作成、型の作成、文字の刻印など多くの技に優れた技能者を必要とするが、多くの人間が関わったにしては秘密の漏洩が皆無。それから、多額の資金や時間、労力をかけて制作するメリットがあるだろうか?これらから、「漢委奴国王」印は本物と考える。中国の学者も本物と断定している。偽物呼ばわりをする者は日本人の一部であり、多くが自分の説と相違するので無理くりに偽物説を述べていると考える。
このスタイルめちゃくちゃいいなそもそもこの人の動画は全てクオリティの高さは言うまでもないが、飽きさせない工夫がマジで天才のそれ
今夏、東北仙台から博物館を訪れる。他に「土塁」「吉野ヶ里」・・も。
土塁とは水城のことですかね、あれは太宰府の周辺をグルっと山ごと囲っていた羅城の一部とも言われているからなかなか面白いですよ。
@@okotarou1464 いえ、対元寇です。
@@長谷川平蔵-z3v 元寇防塁ですね!当時の海岸線に沿ってあったものなので広範囲に点在していて保存状態もまちまちですが、西南大学構内にあるものと今津などの福岡市の西側地域にあるものはしっかり原型を留めているものが多いのでぜひ楽しまれてください。
魏志に出てくる奴国は、言語学的に福岡市と言われている。志賀島は博多湾に浮ぶ島だから整合性がある。それと、1956年に中国で発見された漢の時代の金印と形式が同じ。これは、絶対的証拠と言っていい。江戸時代に本物の金印のサイズ、型式は知られていない。それと、金の含有率も後漢時代の物と同じ。こんなニセモノを造るのは不可能。
最近、NHKで長篠の合戦で使われた火縄銃の弾丸の鉛が、東南アジア産で鉱山まで突き止められた話があります。この金印も今の分析技術なら、どこで生産された金かわかるかも知れませんよね。個人的には、この話で出てきている金銀銅の比率が同年代の中国の金製品と一致しているという時点で、贋作説はほぼないと思っています。
@@御垣守衛士 贋作でないと困る人が沢山いるんだよ(邪馬台国近畿説とか大和王権邪馬台国継承国説とかの支持者にとってはね)
@@御垣守衛士同時代(後漢)の金製品を加工して作った可能性はないでしょうかね。材料は昔のものを使って加工すればできますよね?
@@okotarou1464 当時、金製品の詳細な成分分析なんて技術が無いわけだから、偽物を作るなら普通の金で作るのが自然だと思う。それと、後漢の金製品自体が、あったとしても、当時でも貴重なものだと思うから、それを潰して作り変えるのは不自然だと思う。
偽物―ピカピカすぎる。
ディベート形式で話が進んでいくのが面白い実際の現場でもこんな感じで侃々諤々なんだろうな
金印は本物で出土地が糸島半島というのが今は有力らしいですね。以下、うろ覚えで間違ってるかもしれないので、詳しく知りたい方はググってください。金印は糸島半島の古墳を何かの工事で壊した際、出土したもらしいです。長らく黒田家が保管していたのですが、亀井南冥がその重要性にきずき、幕府に報告することになったのですが、由来等が詳しくわからなくなっていたため、報告書の体裁のため志賀島で発見した話を創作したのではないかとのこと。記載されている百姓等は実在していないのだそうです。亀井南冥の手記等から明らかになったそうです。「委奴国」はイトコクとも読めるので説得力ある説だと思います。
糸島二見ヶ浦の桜井神社の由縁は当地の古墳の崩落に伴う石室開封が元ですが、まさかその時に出土していたのかもしれませんね。
たぶん本物だろうね。金印の成分が純度の高い金で、当時の中国の金製品とほぼ同じだという点でだいたい決まったと思います。あと一つ、卑弥呼が受けた親魏倭王の金印が見つかれば完璧なのだが、江戸時代の人が「何か大切なものだろう」と大事に保管してくれた事に感謝です。それとこのテの金印は中国でもほとんど出土例がなく、中国においても「超」国宝級なんだそうです。
こんな動画じゃなくて講演会の動画とか見た方が良い。当時贋作が作れなかったことがほぼ証明されてる。
禁足地の宗像神社の奥津宮に納めて有った物をくすねてきたとか。想像だけど。
いや、江戸時代に贋作作ろうにもそもそも金印の本物見た事ある人いないし、他国に送られた類似品も知る事できないからね?大体の形状が似る事の方があり得ないよ
江戸時代に偽物作るなら小判溶かして作らせるわな。令和の科学者までだますレベルの贋作は必要ない(笑)
中国から輸入した金で作れば済む話なんです。 しかも騙しているのは科学者ではなく私大文系の怠け者教授です。
発見の経緯は、もしかしたら真実では無かったかもしれない。何らかの事情で、こういう事にしておこうとなった気もする
金印自体は本物っぽいですね。でも金印しか埋めないっていうのも考えづらいので発見場所はうそなのかな。
滇王之印の形を知っているのは滇王朝の人達だけだよ。
そもそも江戸時代に純度の高い精密な金印を偽造する意味がないでしょう?
震えるほど凄い内容です。私のような素人でも十分楽しめました。金を溶かして作ったのだから溶かした年代がわかれば良いのですが現在の技術では無理なのですね。
発見時の状況が怪しいから偽造説が出てきているだけで、出てきた状況がおかしい以外はほぼ後漢時代のものであろうという状態だからなあ…(むしろ伝わっている発見時の場所とか状況とかが実は違ってるとかじゃないの?)
本当はどこからか盗掘して来た物だけど、そうは言えないから農民が見つけた事にしたとか、かな?
@@サンダル旅行 自分としては宗像神社の沖津島からの盗品だと思ってる。前科あるし。
まあ本物でしょうからね…
今の金価格だとあれは130万円くらいだが、江戸時代亀井南冥は40両200万円言ってる、誰かふざけて200万円贋作して藩に献上したと思うか まずあり得ないな
中国の金製品で作れば純度は同じだろ。
そこですよね、金細工の技術はあるわけだからむりではないはず。
@@yasutakakishida9628 後漢時代の金印と同じ物じゃなければ無理ですよ。
金銀銅の含有率が後漢のものと一致しているならかなり決定的。後漢の本物の含有率の数値の例が見たい。
ズバリ魏時代の金印が20世紀に複数発掘されていて、印影の文字はよく似てる。江戸時代にそんな知識はないはずだから、「漢委奴国王印」は本物か本物を見て作ったレプリカという認識です。ネットで探すと魏時代に関する論文のPDFが出てきますよ。
偽物を作る過程が、相当に難しいので。本物説。金の含有量が大きいかも。
ずんだもんさん、凄く参考になります。
金印は、金属の含有比率、大きさが、後漢時代の他の出土品と矛盾しないから、本物だと思う。発見の経緯は、都合の悪い事があれば、都合の良いように変えられている可能性はあると思う。
とりあえず、原素の組成比が漢の出土品と一致しているなら物質的には漢の時代と同じ金山の金を使っているのだろう。コメントで職人は目で目利きをしていたからと言うのがあるが、勘で組成比を一致させられるなら、それなら江戸時代に黄銅やステンレスが普及しててもおかしくない。そもそも単離出来る原素は限られていたはずなので組成に気付いても合成はできないだろうし、そんな超絶研究が出来る資金力や人材は幕府でもきついと思う。
未来人が過去の時代に時間旅行して、うっかり金印をパクっちゃって、急いで帰ろうとしたら時代を間違えて江戸時代にワープして、落としたところにちょうど甚平さんきちゃった説で。
うーん!!不思議です。昭和64年の再調査では金印発見地からは、弥生、古墳時代の遺物は何一つ発見されず14世紀以前は海中であつたらしく、水中考古学で海底を探したけど全く何も発見されなかった!!せめて支石墓の遺物でも発見されていたら!!
うわ海の中ってのは決定的ですねw
多数決取ったら面白いよ。偽物に一票。
江戸時代に現代でも通用する贋作が作れるんか?
金細工職人の腕は確かでしたね
@@okotarou1464 いや、知識の面で。当時の文化にサイズとか材質とか1000年以上前の彫り方とかね。
@@Beijaflor89 モデルになるものが他にもあったのかも。亀井南明は極めて優秀な学者だったから知識はあったはず。ないものはある知識を総動員して推測すればいいし。
記録に厳しい祖先日本人が出土場所を曖昧にするのは不思議ですね。貴重なものがあればすぐ神社なり寺なり建ててご神体にしそうですが
もしかしたら本物だけど他の所から盗み出されて価値の分からない泥棒が捨てたor隠した説とか?
任那を認めない学者(あっち系)は、金印偽物っていうしかない罠。
贋作説は宮崎市定の謎の七支刀で知った
少なくとも印台は後漢時代の本物しかしながら出土状況は限りなく怪しいてことは本物だとすれば、盗掘盗品など後ろめたい手段で入手したのでそこだけ嘘をついた贋作だとすれば、元々は別の文字が彫られていた後漢時代の金印を入手してそれを彫り直したうーん、僕的には8-2で本物説かなぁ
中国語版のWikiを見る限り中国の見解では本物の可能性のほうが高いと判断しているようですね
中国人が本物と言ってるってことは・・・
クレタ島の住民は皆嘘つきだとクレタ人が言ってた…
というか、他の金印を見ると判るが、外見が綺麗過ぎない?純金に近いものが屋外に放置されていたら、こんな状態ありえるの?
ずんだもん何も知らない状態からよくここまで調べたな
化けキツネ。ズンダモンはすごい友達を持ってるな。飽きずに最後まで見ちゃったよ。化けキツネ、またリピート出演してちょ!!
遺跡は、、田んぼになって壊れちゃったんでしょうか?
偽物説、本物説を調べていて凝ってるね
贋作にしてはオーバースペックですよね。蛍光X線分析もない江戸時代に小判よりも純度を上げる必要はない。どうせ未来にならないと組成なんてわからないんですからもっと適当に作っていいはずです
ですね。そもそも贋作を世に出したいんなら「畑で農民が発掘した」なんてどう考えてもアリエナイ発見状況にはしないでしょう。それこそ由緒あるどこぞの神社仏閣の隠された秘宝なり古墳からの発掘品なり、それらしいストーリーを作ってもいいはずかと。
けど出来すぎた話だし嘘くさいと思ってましたけど。学校で習った時から。古文書に書かれていた通りのものがたまたま見つかったとか、マンガに出てきそうなストーリーだなあ、と授業中に思った記憶が。教科書的には、関連する実物が多く残っている聖徳太子の実在すら疑うのにこれは疑わないというのはバランスを欠いてると思う。スペックが高いのは、作った人にとってそれだけ価値のある捏造だったんでしょう。
贋作だと思いますけれど。。あれって話が出来すぎてると思う。
当時日本は平戸で清と交易していたので、100g程度なら高純度の金を輸入することは容易でした。
農作業中に大昔の古文書に書かれた伝説に出てくる金印が偶然有った、というのは漫画のストーリーのように出来過ぎだと思った記憶が有ります。授業中に。教科書的には、多くの関連の実物が現存する聖徳太子の実在すら疑うのにこれは疑わないのはバランスを欠いた態度だと思う。
純度の話しですが、そもそも本物の金印もってないと純度が高いなんてわからないですよね?贋作だとしたら製作者はどうやって金印の純度を知ったのでしょうか?他から借りるってのは無理ありますよね?また、後漢代の金制品の含有率を知っていたとしても金印がその含有率とは限りませんつまり贋作だったら製作者は含有率が分からないまま作った可能性が高い、なのに含有率はあってただから本物だと思いますよ
製作当時の含有量と合致すれば本物かどうか解るかもと最初の段階で思ったがまさかいろんな説があったとは思わなかった
出土した場所が不自然だと言われるが奴国自体がその後どうなったかわからないし没落した奴国王族が逃げた先で隠したのかもしれない特に確証もないのに実は〇〇は〇〇だった!(ではなかった!)的な胡散臭い説が多すぎてうんざり。
気になって調べてみたけど亀井南冥って人面白いな学者兼医者兼教育者で著書を渋沢栄一がリスペクトするほどの超優秀な天才で、金印見て後漢書の記述とのつながりを即答できても違和感ない
そんな大人物だが失脚して親子共々亡くなって主宰していた学問所は閉鎖、残った片方の学問所は福岡の名門修猷館になった。
農民が玉璽見つけた話も本家にあるわな、やれやれだわ
金印が本物か否かは、邪馬台国論争にも大きく関わるからポジションで否定的な人もいると思う
そもそも、江戸時代に何で偽造しなければいけないのか?お金が欲しいのならば手間暇かけて偽造しなくても金の地金の方が換金しやすいのでは?江戸時代にそんなのを欲しがるマニアがいたかと言えば、江戸にはいたかもしれないけれど福岡では無理があるのでは?福岡藩として保管はしたみたいだけれども幕府には提出していないし、「歴史的遺物」と言う感覚は無かったのでは?
普通に箔がつくんじゃないですかね、そんな昔のものが出てきたとなれば。学問やってる人間ならなおさら。平和な時代こそ学問の比重は重いし。
@@okotarou1464 へ。記録によると発見したのは「呑百姓(自分の田を持たない小作人)」で学問やってる人間ではありませんよ。
前に別の動画で見たときの専門家は、文字の彫り方や字体などが江戸時代のものなので、即座に偽物と断定していた。しかし金の含有量や寸法からは、本物の可能性が高い。江戸時代に掘り出したときには印面が不鮮明だったので、彫り直したとは考えられないだろうか。
岐阜にあるパレオ・ラボの出番だ!🔬😉
神奈川の県立の社会教師でしたが、かって同僚に先祖が黒田家の末裔と言う青年がいたのでふと、もしかして家に金印無かった?と聞いたら、ア、有りましたがどっか博物館に譲っちゃいましたと!国宝のあったお家。
どっちかが嘘ついてる
私、安曇族ゆかりの土地出身ですが、口伝で元々は中国の南部に居住していた海洋民族で、朝鮮半島→九州→北陸に移動してきたと聞いています。あくまで伝承ですので確実性はありませんが、安曇族自体が渡来人という可能性もあるのかなと思っています。
安曇一族は志賀島が発祥であると聞きました、だから安曇一族は発祥地を巡礼するとも聞きましたが本当ですかね??
日本の河川で、砂金の採れる所もあるから、マテリアルとしては存在するが、量を確保するのは手間だなぁ。そこから金印を作るのは大変だよね。
金印ドックが出来ただけでも偽物でもオッケー
で、でも玉璽だって井戸から見つかってるしい〜?
こういう複数の説をディベートみたいな形で紹介していく形式おもしろいですね!ちなみに自分は昔からずっと思ってるんですけど、金印は本物で見付かった経緯が嘘だと思っています。そんな1000年以上も埋まってたはずのものが百姓が掘ったぐらいででるわけないじゃないですか。だったらその前の年にでててもおかしくないはず。おそらく真相はこうです。金印は本物で門外不出のものとしてどこかで秘匿されていたものを、何らかの目的のために利用したのかと。もしくは見付かっちゃいけない場所からみつかった本物の金印を、偶然畑からでてきましたーってことにしたのか。考えはじめると謎が謎を呼んで夜しか寝られなくなりそう……
なるほどです。その発想は無かった😮ありえますね。
自分もそう考えています。だからこそ、発掘場所や発見者があいまいだったりしたのでは。そうなると、邪馬台国と10年来争っていた奴国が全然違うところ(少なくとも博多周辺じゃない可能性が高くなる)で、今まで続いていた邪馬台国論争に終止符が打たれる可能性も出てくるかもしれないと思っています。真実が分かる日が来ることを祈っています。
そもそも水銀って個人で得られる物なのか?。
おしろいがほぼ水銀じゃなかったけ。水銀が多ければ多いほど白く粧めるんだときいたような
細石神社と八雲神社の金印「漢委奴國王」の保存説こういうお話があるのはご存知でしょうか?詳細はお調べ頂ければとおもいますが、これも一つの説で福岡市民で歴史好きなら聞いたことあるお話ですそれでも今現在福岡市博物館に常設展示されてるものが、中国からきたのかはわかりません福岡市や福岡市博物館は本物だと言っていますが‥市民の私はどちらとも言えませんしかしながら歴史好きのわたしとしては古代の港町の遺跡が複数ある事、それも大規模な ただ、日本の歴史の始まりの地の一部の福岡県や福岡市は今の時代を生きる私達のイメージするよりももっと巨大で先進的だったようです菅原道真の時代にはチャイナタウンも博多にあったようなので、金印がどうとかはまあどうでも良くてもっと街並みや歴史感を掘り下げるのが、歳とっての趣味になりつつあります長文失礼します😅
チャイナタウン、唐人町ですね。今も地名に名残があります。
かんのわのなのこくおう。かんのいどこくおう。読み方も異説あり。
金印を偽物だと言っているのは三浦しをんの父親だけだろ。それも根拠は皆無で珍説でしかない。
「委」の文字の解釈ですが、漢が委任する奴国の王、という意味なのではないですか?
気楽にきき流せるちゃん寝るおやすみ
未来日本人の置き土産
「物」は本物だけど発見の経緯がウソだと思う、何かやましい方法で手に入れたのか?
10円玉と同等の大きさなのか。意外に小さかった。
比較対象の金印が贋作説は実に隣国らしいですね……。
魏志倭人伝も贋作です。
面白い!色々と研究してるずんだもんだからこそ語れる内容!
本物だといいな!ずんちゃん、かわいい💞
金印や銀印は下賜された王が死ぬと、下賜した皇帝に返す必要があるという話もありますよね。なので、もし、親魏倭王印が見つかっても、そこが邪馬台国とは限らないという話をきいたことがあります。金印や銀印は、周辺国にも下賜されているので、その辺りの研究をしている人に詳しい話を聞いて見たいものです。
一つ、説が表れたらとりあえず反対意見を提示したくなる、とまあありそうな話。
本物だと思うただ発見場所がなんでー?って思う。あと墓とか、他の出土品が無いのが不可解
確か、移動させて隠した説がある。その説だと宗像大社とも関係性があったけど忘れた
合理的でない理由は現実にはいくらでもあるからなあ…
偽物?本物?どっち?
教科書になんか載っていた記憶があります
倭の奴国なら匈奴じゃなくて匈の奴国じゃない?匈奴国というなら委奴国じゃない?という論争もありますね
本物で良かったε-(´∀`*)ホッ
金印自体は同時代の物でしょうな江戸時代の頃大陸には贋作で商売しているプロ集団が居て、そこから購入して国内で発見という形を取ったという説がありますが盗掘した駱駝印を改造して刻印を彫りなおしたとすれば、素材は後漢と同様で彫り方が近代という条件を満たすのではないかと思う
かなり有力な説な気がしますが動機がイマイチわからないんですよね。
福岡県のおかのした?
う、うん‥30%贋作🥺
江戸時代は古墳の盗掘が多いから古墳や遺跡以外の場所で発見された出土品は本物であろうと偽物であろうと信憑性が消えちゃうんだよね。とても安定した金っていう物質だからなおさら
な
ラクダの金印を手に入れて掘り直したは?
なんか売ってそう
委は倭じゃないですよね。漢が奴国の王を委ねる印と書いてるんだと思います。
北九州に委奴国というのがあったんかも
当時の漢王朝が日本にそれほど興味があったとは思えないので、漢字を間違っただけでは?
間違った封印がそのまま使われるのはおかしくないかい
@@保川駿 それは、そうですね!
@@保川駿 稲荷でしょう。
そもそも魏志倭人伝自体が怪しいと思うのですが😅
一字一句信用しすぎなんですよね、後の時代の明時代の歴史書なんか交戦国の日本の国内事情がデタラメに書いてあるし、それより1000年も遡ればさもなおさらでしょう。当時タイムリーに書いたものではなく何十年後に、そういえば当時こうだったらしいと書いた文章を神聖視しすぎなんです。
コピー品かな。
胡散臭いのだ
印ってそれ自体のモノじゃなくて印影が重要なのでは?書類とかでのマジで金ならどさくさでパクられてそうだから…
難しいんだよね。本物ちゃ本物偽物ちゃ偽物金印の持ち手がわのが小賢しい( ´Д`)=3首都からの方角?間違いをわざわざ作ってそれを直してるから
金印の材料は武士に贈られた褒美としての金を買い上げたんじゃ?
亀井南冥が仕掛けたフェイクだという説があります。
フェイクだとすると南冥?はモノホンを持ってそれを見ながら当時の金やら銀を使って作ったんやな贋物を。労力に見合わないと思うんやが
@@日巻やってた当時東と西の学問所で競っていたからその関係かもしれませんね
偽造したというよりも、博物館の展示に耐える精巧なレプリカだろ!? 本物を出しても売り払ったり私物化せず、ちゃんと保管してくれる保障もないからね。
交易が多く、古代史に造形のある人間が偽物を作るなら他の古代金印を作り替える方が佐渡金を手に入れるより簡単でリアリティのあるものが作れます。専門家が作る贋作はゼロからではなく作り替えがメジャーですし、つまみを作り替えたのも元の金印の痕跡を残して元の金印のスケッチなどから看破されたくかったからでは
贋作支持派です。動画には扱われてませんが、金印発見後に亀井南冥が3年後に失脚したのは「黒田家が贋作と知り、金印を門外不出にして幕府からの懲罰を恐れ公的には真贋不明にした。」という説があります。当時、新井白石の起こした邪馬台国論争など亀井は注目を集め名声を集めたかった模様です。現代でも少し前に考古学発掘のねつ造で大騒ぎになった事件ありましたよね。また、江戸時代は技術レベルが高くて費用的にもそれ程は高価ではなく、金印モドキの制作も実際されており贋作制作が容易。ラクダを間違えて途中で作り替えたとか倭と委を間違えたりは普通に考えてこじ付け感があります。現代はどこの鉱山かの成分測定ができるようになってきてるそうですから科学的な調査を期待します。日本の金山だと贋作確定ですね。
志賀島で発見された金印は印面が平らじゃなくて中央が窪んでいる。これは朱肉等をつかって紙に押す印ではなくて、泥をつかった封泥印の特徴。紙の印影しかみていない江戸人にこの特徴を贋作するのは不可能と考える。
一応、あの時代の中国で使われていた装飾品や他の金印と金属の割合が同じというかなり強い根拠があるんだよな
本物派と贋作派、両方の視点から解説しているこの動画はすごく良いですね。
コメントにも色々な情報や意見があり勉強になります。
出土場所が違うだけで本物。
贋作説について、いろいろ調べてみたけど、
やはり金の含有量が95%という点で無理があるような気がしていました。
とても勉強になりました。
で、気になるのは甚兵衛の存在かな。
広陵王璽のオチが秀逸すぎる
金印は一辺2.3cm程。後漢代の1寸に相当。高さ2.2cm程。蛍光X線分析で金95.1%と測定された。これらは近年になって類似の金印が中国で発見されているが、江戸時代には知る由もない。
金印の制作には金の精錬やデザインの作成、型の作成、文字の刻印など多くの技に優れた技能者を必要とするが、多くの人間が関わったにしては秘密の漏洩が皆無。
それから、多額の資金や時間、労力をかけて制作するメリットがあるだろうか?
これらから、「漢委奴国王」印は本物と考える。中国の学者も本物と断定している。
偽物呼ばわりをする者は日本人の一部であり、多くが自分の説と相違するので無理くりに偽物説を述べていると考える。
このスタイルめちゃくちゃいいな
そもそもこの人の動画は全てクオリティの高さは言うまでもないが、飽きさせない工夫がマジで天才のそれ
今夏、東北仙台から博物館を訪れる。他に「土塁」「吉野ヶ里」・・も。
土塁とは水城のことですかね、あれは太宰府の周辺をグルっと山ごと囲っていた羅城の一部とも言われているからなかなか面白いですよ。
@@okotarou1464 いえ、対元寇です。
@@長谷川平蔵-z3v 元寇防塁ですね!当時の海岸線に沿ってあったものなので広範囲に点在していて保存状態もまちまちですが、西南大学構内にあるものと今津などの福岡市の西側地域にあるものはしっかり原型を留めているものが多いのでぜひ楽しまれてください。
魏志に出てくる奴国は、言語学的に福岡市と言われている。志賀島は博多湾に浮ぶ島だから整合性がある。それと、1956年に中国で発見された漢の時代の金印と形式が同じ。これは、絶対的証拠と言っていい。江戸時代に本物の金印のサイズ、型式は知られていない。それと、金の含有率も後漢時代の物と同じ。こんなニセモノを造るのは不可能。
最近、NHKで長篠の合戦で使われた火縄銃の弾丸の鉛が、東南アジア産で鉱山まで突き止められた話があります。
この金印も今の分析技術なら、どこで生産された金かわかるかも知れませんよね。
個人的には、この話で出てきている金銀銅の比率が同年代の中国の金製品と一致しているという時点で、贋作説はほぼないと思っています。
@@御垣守衛士 贋作でないと困る人が沢山いるんだよ
(邪馬台国近畿説とか大和王権邪馬台国継承国説とかの支持者にとってはね)
@@御垣守衛士同時代(後漢)の金製品を加工して作った可能性はないでしょうかね。材料は昔のものを使って加工すればできますよね?
@@okotarou1464 当時、金製品の詳細な成分分析なんて技術が無いわけだから、偽物を作るなら普通の金で作るのが自然だと思う。
それと、後漢の金製品自体が、あったとしても、当時でも貴重なものだと思うから、それを潰して作り変えるのは不自然だと思う。
偽物―ピカピカすぎる。
ディベート形式で話が進んでいくのが面白い
実際の現場でもこんな感じで侃々諤々なんだろうな
金印は本物で出土地が糸島半島というのが今は有力らしいですね。以下、うろ覚えで間違ってるかもしれないので、詳しく知りたい方はググってください。
金印は糸島半島の古墳を何かの工事で壊した際、出土したもらしいです。長らく黒田家が保管していたのですが、亀井南冥がその重要性にきずき、幕府に報告することになったのですが、由来等が詳しくわからなくなっていたため、報告書の体裁のため志賀島で発見した話を創作したのではないかとのこと。記載されている百姓等は実在していないのだそうです。亀井南冥の手記等から明らかになったそうです。「委奴国」はイトコクとも読めるので説得力ある説だと思います。
糸島二見ヶ浦の桜井神社の由縁は当地の古墳の崩落に伴う石室開封が元ですが、まさかその時に出土していたのかもしれませんね。
たぶん本物だろうね。
金印の成分が純度の高い金で、当時の中国の金製品とほぼ同じだという点でだいたい決まったと思います。
あと一つ、卑弥呼が受けた親魏倭王の金印が見つかれば完璧なのだが、
江戸時代の人が「何か大切なものだろう」と大事に保管してくれた事に感謝です。
それとこのテの金印は中国でもほとんど出土例がなく、中国においても「超」国宝級なんだそうです。
こんな動画じゃなくて講演会の動画とか見た方が良い。当時贋作が作れなかったことがほぼ証明されてる。
禁足地の宗像神社の奥津宮に納めて有った物をくすねてきたとか。
想像だけど。
いや、江戸時代に贋作作ろうにもそもそも金印の本物見た事ある人いないし、他国に送られた類似品も知る事できないからね?
大体の形状が似る事の方があり得ないよ
江戸時代に偽物作るなら小判溶かして作らせるわな。令和の科学者までだますレベルの贋作は必要ない(笑)
中国から輸入した金で作れば済む話なんです。 しかも騙しているのは科学者ではなく私大文系の怠け者教授です。
発見の経緯は、もしかしたら真実では無かったかもしれない。
何らかの事情で、こういう事にしておこうとなった気もする
金印自体は本物っぽいですね。
でも金印しか埋めないっていうのも考えづらいので発見場所はうそなのかな。
滇王之印の形を知っているのは滇王朝の人達だけだよ。
そもそも江戸時代に純度の高い精密な金印を偽造する意味がないでしょう?
震えるほど凄い内容です。私のような素人でも十分楽しめました。
金を溶かして作ったのだから溶かした年代がわかれば良いのですが現在の技術では無理なのですね。
発見時の状況が怪しいから偽造説が出てきているだけで、出てきた状況がおかしい以外はほぼ後漢時代のものであろうという状態だからなあ…
(むしろ伝わっている発見時の場所とか状況とかが実は違ってるとかじゃないの?)
本当はどこからか盗掘して来た物だけど、そうは言えないから農民が見つけた事にしたとか、かな?
@@サンダル旅行 自分としては宗像神社の沖津島からの盗品だと思ってる。前科あるし。
まあ本物でしょうからね…
今の金価格だとあれは130万円くらいだが、江戸時代亀井南冥は40両200万円言ってる、誰かふざけて200万円贋作して藩に献上したと思うか まずあり得ないな
中国の金製品で作れば純度は同じだろ。
そこですよね、金細工の技術はあるわけだからむりではないはず。
@@yasutakakishida9628 後漢時代の金印と同じ物じゃなければ無理ですよ。
金銀銅の含有率が後漢のものと一致しているならかなり決定的。後漢の本物の含有率の数値の例が見たい。
ズバリ魏時代の金印が20世紀に複数発掘されていて、印影の文字はよく似てる。江戸時代にそんな知識はないはずだから、「漢委奴国王印」は本物か本物を見て作ったレプリカという認識です。ネットで探すと魏時代に関する論文のPDFが出てきますよ。
偽物を作る過程が、相当に難しいので。本物説。
金の含有量が大きいかも。
ずんだもんさん、凄く参考になります。
金印は、金属の含有比率、大きさが、後漢時代の他の出土品と矛盾しないから、本物だと思う。
発見の経緯は、都合の悪い事があれば、都合の良いように変えられている可能性はあると思う。
とりあえず、
原素の組成比が漢の出土品と一致しているなら物質的には漢の時代と同じ金山の金を使っているのだろう。
コメントで職人は目で目利きをしていたからと言うのがあるが、勘で組成比を一致させられるなら、それなら江戸時代に黄銅やステンレスが普及しててもおかしくない。そもそも単離出来る原素は限られていたはずなので組成に気付いても合成はできないだろうし、そんな超絶研究が出来る資金力や人材は幕府でもきついと思う。
未来人が過去の時代に時間旅行して、うっかり金印をパクっちゃって、急いで帰ろうとしたら時代を間違えて江戸時代にワープして、落としたところにちょうど甚平さんきちゃった説で。
うーん!!
不思議です。
昭和64年の再調査では金印発見地からは、弥生、古墳時代の遺物は何一つ発見されず14世紀以前は海中であつたらしく、水中考古学で海底を探したけど全く何も発見されなかった!!せめて支石墓の遺物でも発見されていたら!!
うわ海の中ってのは決定的ですねw
多数決取ったら面白いよ。偽物に一票。
江戸時代に現代でも通用する贋作が作れるんか?
金細工職人の腕は確かでしたね
@@okotarou1464 いや、知識の面で。当時の文化にサイズとか材質とか1000年以上前の彫り方とかね。
@@Beijaflor89 モデルになるものが他にもあったのかも。亀井南明は極めて優秀な学者だったから知識はあったはず。ないものはある知識を総動員して推測すればいいし。
記録に厳しい祖先日本人が出土場所を曖昧にするのは不思議ですね。
貴重なものがあればすぐ神社なり寺なり建ててご神体にしそうですが
もしかしたら本物だけど他の所から盗み出されて価値の分からない泥棒が捨てたor隠した説とか?
任那を認めない学者(あっち系)は、金印偽物っていうしかない罠。
贋作説は宮崎市定の謎の七支刀で知った
少なくとも印台は後漢時代の本物
しかしながら出土状況は限りなく怪しい
てことは
本物だとすれば、盗掘盗品など後ろめたい手段で入手したのでそこだけ嘘をついた
贋作だとすれば、元々は別の文字が彫られていた後漢時代の金印を入手してそれを彫り直した
うーん、僕的には8-2で本物説かなぁ
中国語版のWikiを見る限り中国の見解では本物の可能性のほうが高いと判断しているようですね
中国人が本物と言ってるってことは・・・
クレタ島の住民は皆嘘つきだとクレタ人が言ってた…
というか、他の金印を見ると判るが、外見が綺麗過ぎない?純金に近いものが屋外に放置されていたら、こんな状態ありえるの?
ずんだもん何も知らない状態からよくここまで調べたな
化けキツネ。
ズンダモンはすごい友達を持ってるな。飽きずに最後まで見ちゃったよ。
化けキツネ、またリピート出演してちょ!!
遺跡は、、田んぼになって壊れちゃったんでしょうか?
偽物説、本物説を調べていて凝ってるね
贋作にしてはオーバースペックですよね。蛍光X線分析もない江戸時代に小判よりも純度を上げる必要はない。どうせ未来にならないと組成なんてわからないんですからもっと適当に作っていいはずです
ですね。そもそも贋作を世に出したいんなら「畑で農民が発掘した」なんてどう考えてもアリエナイ発見状況にはしないでしょう。それこそ由緒あるどこぞの神社仏閣の隠された秘宝なり古墳からの発掘品なり、それらしいストーリーを作ってもいいはずかと。
けど出来すぎた話だし嘘くさいと思ってましたけど。学校で習った時から。古文書に書かれていた通りのものがたまたま見つかったとか、マンガに出てきそうなストーリーだなあ、と授業中に思った記憶が。教科書的には、関連する実物が多く残っている聖徳太子の実在すら疑うのにこれは疑わないというのはバランスを欠いてると思う。スペックが高いのは、作った人にとってそれだけ価値のある捏造だったんでしょう。
贋作だと思いますけれど。。あれって話が出来すぎてると思う。
当時日本は平戸で清と交易していたので、100g程度なら高純度の金を輸入することは容易でした。
農作業中に大昔の古文書に書かれた伝説に出てくる金印が偶然有った、というのは漫画のストーリーのように出来過ぎだと思った記憶が有ります。授業中に。教科書的には、多くの関連の実物が現存する聖徳太子の実在すら疑うのにこれは疑わないのはバランスを欠いた態度だと思う。
純度の話しですが、そもそも本物の金印もってないと純度が高いなんてわからないですよね?
贋作だとしたら製作者はどうやって金印の純度を知ったのでしょうか?他から借りるってのは無理ありますよね?
また、後漢代の金制品の含有率を知っていたとしても金印がその含有率とは限りません
つまり贋作だったら製作者は含有率が分からないまま作った可能性が高い、なのに含有率はあってた
だから本物だと思いますよ
製作当時の含有量と合致すれば本物かどうか解るかもと最初の段階で思ったがまさかいろんな説があったとは思わなかった
出土した場所が不自然だと言われるが奴国自体がその後どうなったかわからないし没落した奴国王族が逃げた先で隠したのかもしれない
特に確証もないのに実は〇〇は〇〇だった!(ではなかった!)的な胡散臭い説が多すぎてうんざり。
気になって調べてみたけど亀井南冥って人面白いな
学者兼医者兼教育者で著書を渋沢栄一がリスペクトするほどの超優秀な天才で、金印見て後漢書の記述とのつながりを即答できても違和感ない
そんな大人物だが失脚して親子共々亡くなって主宰していた学問所は閉鎖、残った片方の学問所は福岡の名門修猷館になった。
農民が玉璽見つけた話も本家にあるわな、やれやれだわ
金印が本物か否かは、邪馬台国論争にも大きく関わるからポジションで否定的な人もいると思う
そもそも、江戸時代に何で偽造しなければいけないのか?お金が欲しいのならば手間暇かけて偽造しなくても金の地金の方が換金しやすいのでは?江戸時代にそんなのを欲しがるマニアがいたかと言えば、江戸にはいたかもしれないけれど福岡では無理があるのでは?福岡藩として保管はしたみたいだけれども幕府には提出していないし、「歴史的遺物」と言う感覚は無かったのでは?
普通に箔がつくんじゃないですかね、そんな昔のものが出てきたとなれば。学問やってる人間ならなおさら。平和な時代こそ学問の比重は重いし。
@@okotarou1464 へ。記録によると発見したのは「呑百姓(自分の田を持たない小作人)」で学問やってる人間ではありませんよ。
前に別の動画で見たときの専門家は、文字の彫り方や字体などが江戸時代のものなので、即座に偽物と断定していた。しかし金の含有量や寸法からは、本物の可能性が高い。
江戸時代に掘り出したときには印面が不鮮明だったので、彫り直したとは考えられないだろうか。
岐阜にあるパレオ・ラボの出番だ!🔬😉
神奈川の県立の社会教師でしたが、かって同僚に先祖が黒田家の末裔と言う青年がいたのでふと、もしかして家に金印無かった?と聞いたら、ア、有りましたがどっか博物館に譲っちゃいましたと!
国宝のあったお家。
どっちかが嘘ついてる
私、安曇族ゆかりの土地出身ですが、口伝で元々は中国の南部に居住していた海洋民族で、朝鮮半島→九州→北陸に移動してきたと聞いています。
あくまで伝承ですので確実性はありませんが、安曇族自体が渡来人という可能性もあるのかなと思っています。
安曇一族は志賀島が発祥であると聞きました、だから安曇一族は発祥地を巡礼するとも聞きましたが本当ですかね??
日本の河川で、砂金の採れる所もあるから、マテリアルとしては存在するが、量を確保するのは手間だなぁ。
そこから金印を作るのは大変だよね。
金印ドックが出来ただけでも偽物でもオッケー
で、でも玉璽だって井戸から見つかってるしい〜?
こういう複数の説をディベートみたいな形で紹介していく形式おもしろいですね!ちなみに自分は昔からずっと思ってるんですけど、金印は本物で見付かった経緯が嘘だと思っています。そんな1000年以上も埋まってたはずのものが百姓が掘ったぐらいででるわけないじゃないですか。だったらその前の年にでててもおかしくないはず。おそらく真相はこうです。金印は本物で門外不出のものとしてどこかで秘匿されていたものを、何らかの目的のために利用したのかと。もしくは見付かっちゃいけない場所からみつかった本物の金印を、偶然畑からでてきましたーってことにしたのか。考えはじめると謎が謎を呼んで夜しか寝られなくなりそう……
なるほどです。
その発想は無かった😮
ありえますね。
自分もそう考えています。だからこそ、発掘場所や発見者があいまいだったりしたのでは。そうなると、邪馬台国と10年来争っていた奴国が全然違うところ(少なくとも博多周辺じゃない可能性が高くなる)で、今まで続いていた邪馬台国論争に終止符が打たれる可能性も出てくるかもしれないと思っています。真実が分かる日が来ることを祈っています。
そもそも水銀って個人で得られる物なのか?。
おしろいがほぼ水銀じゃなかったけ。水銀が多ければ多いほど白く粧めるんだときいたような
細石神社と八雲神社の金印「漢委奴國王」の保存説
こういうお話があるのはご存知でしょうか?
詳細はお調べ頂ければとおもいますが、これも一つの説で福岡市民で歴史好きなら聞いたことあるお話です
それでも今現在福岡市博物館に常設展示されてるものが、中国からきたのかはわかりません
福岡市や福岡市博物館は本物だと言っていますが‥市民の私はどちらとも言えません
しかしながら歴史好きのわたしとしては古代の港町の遺跡が複数ある事、それも大規模な ただ、日本の歴史の始まりの地の一部の福岡県や福岡市は今の時代を生きる私達のイメージするよりももっと巨大で先進的だったようです
菅原道真の時代にはチャイナタウンも博多にあったようなので、金印がどうとかはまあどうでも良くてもっと街並みや歴史感を掘り下げるのが、歳とっての趣味になりつつあります
長文失礼します😅
チャイナタウン、唐人町ですね。今も地名に名残があります。
かんのわのなのこくおう。
かんのいどこくおう。
読み方も異説あり。
金印を偽物だと言っているのは三浦しをんの父親だけだろ。
それも根拠は皆無で珍説でしかない。
「委」の文字の解釈ですが、漢が委任する奴国の王、という意味なのではないですか?
気楽にきき流せるちゃん寝るおやすみ
未来日本人の置き土産
「物」は本物だけど発見の経緯がウソだと思う、何かやましい方法で手に入れたのか?
10円玉と同等の大きさなのか。意外に小さかった。
比較対象の金印が贋作説は実に隣国らしいですね……。
魏志倭人伝も贋作です。
面白い!
色々と研究してるずんだもんだからこそ語れる内容!
本物だといいな!ずんちゃん、かわいい💞
金印や銀印は下賜された王が死ぬと、下賜した皇帝に返す必要があるという話もありますよね。
なので、もし、親魏倭王印が見つかっても、そこが邪馬台国とは限らないという話をきいたことがあります。
金印や銀印は、周辺国にも下賜されているので、その辺りの研究をしている人に詳しい話を聞いて見たいものです。
一つ、説が表れたらとりあえず反対意見を提示したくなる、とまあありそうな話。
本物だと思う
ただ発見場所がなんでー?って思う。あと墓とか、他の出土品が無いのが不可解
確か、移動させて隠した説がある。その説だと宗像大社とも関係性があったけど忘れた
合理的でない理由は現実にはいくらでもあるからなあ…
偽物?本物?どっち?
教科書になんか載っていた記憶があります
倭の奴国なら匈奴じゃなくて匈の奴国じゃない?匈奴国というなら委奴国じゃない?という論争もありますね
本物で良かったε-(´∀`*)ホッ
金印自体は同時代の物でしょうな
江戸時代の頃大陸には贋作で商売しているプロ集団が居て、そこから購入して国内で発見という形を取ったという説がありますが
盗掘した駱駝印を改造して刻印を彫りなおしたとすれば、素材は後漢と同様で彫り方が近代という条件を満たすのではないかと思う
かなり有力な説な気がしますが動機がイマイチわからないんですよね。
福岡県のおかのした?
う、うん‥30%贋作🥺
江戸時代は古墳の盗掘が多いから古墳や遺跡以外の場所で発見された出土品は本物であろうと偽物であろうと信憑性が消えちゃうんだよね。とても安定した金っていう物質だからなおさら
な
ラクダの金印を手に入れて掘り直したは?
なんか売ってそう
委は倭じゃないですよね。
漢が奴国の王を委ねる印と書いてるんだと思います。
北九州に委奴国というのがあったんかも
当時の漢王朝が日本にそれほど興味があったとは思えないので、漢字を間違っただけでは?
間違った封印がそのまま使われるのはおかしくないかい
@@保川駿
それは、そうですね!
@@保川駿 稲荷でしょう。
そもそも魏志倭人伝自体が怪しいと思うのですが😅
一字一句信用しすぎなんですよね、後の時代の明時代の歴史書なんか交戦国の日本の国内事情がデタラメに書いてあるし、それより1000年も遡ればさもなおさらでしょう。当時タイムリーに書いたものではなく何十年後に、そういえば当時こうだったらしいと書いた文章を神聖視しすぎなんです。
コピー品かな。
胡散臭いのだ
印ってそれ自体のモノじゃなくて印影が重要なのでは?書類とかでの
マジで金ならどさくさでパクられてそうだから…
難しいんだよね。
本物ちゃ本物
偽物ちゃ偽物
金印の持ち手がわのが
小賢しい( ´Д`)=3
首都からの方角?
間違いをわざわざ作って
それを直してるから
金印の材料は武士に贈られた褒美としての金を買い上げたんじゃ?
亀井南冥が仕掛けたフェイクだという説があります。
フェイクだとすると南冥?はモノホンを持ってそれを見ながら当時の金やら銀を使って作ったんやな贋物を。労力に見合わないと思うんやが
@@日巻やってた当時東と西の学問所で競っていたからその関係かもしれませんね