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あの戦争の前線から生き抜いて帰って来た時点で2人は凄い。
小野田さん、カメラの前で敬礼した姿。目の鋭さまさに軍人さんでした
@@齋藤元気-s9c その時点で10人近く現地人殺してるからな。つかまってたら八つ裂きにされてたはずだ。家の近所にこんな奴が居たらと思うとゾッとする。
@@齋藤元気-s9c 小野田は軽々成功した牧場経営者だった。「俺は水の出るとこくらいすぐわかる」だとさ。引退後は帰国して子供相手にサバイバル教室。
小野田さんは戦後の日本議員達を「肥えた豚」と皮肉と叱咤を込めて形容されました。変わりゆく我が国を憂い嘆いてらっしゃいました。恐らくこの様なメンタリティを持った方は今後出てこないと思います。
ほんと 二人とも いしょうけんめいに 命を かけて 戦ったの お疲れ様です。そして ありがとうございます
小野田さんが「職業軍人」だなと思えたのは登降を決断した理由です 最終的に投降した理由は上官からの「命令」でしたよね まだまだ戦うつもりでいた小野田さんに小野田さんの元上官が戦闘停止命令書をもってフィリピンまでいって小野田さんの前で命令書を読み上げてようやく小野田さんが戦闘をやめたと最近映画「ランボー」をみまして 暴れまわるランボーが上官からの「作戦中命令」を聞いてようやくおとなしくなったのをみて 「これが軍人なんだな」と思ったね
>上官からの「命令」 いゃ、そういうとこが小野田氏のイヤミなとこなんだろ。そりゃ田舎の地域社会に溶け込むのは無理だわ。仕方が無くてブラジル行って成功したわけで。開拓民は実力次第だし、温暖な自然さえあればどこでも暮らせる見識のあった人だからね。
@@torotorotonarino9652 日本政府が相手にせず、上官の命令を出させなかったら、そのまんまフィリピンに居続けることになったんだぞ?その時点では日本や政府がどういう雰囲気かも知ることはできない。そんなこと「イヤミ」でできるわけないだろ。古今東西の軍の価値観をまるで分かってない。上官の命令は絶対と叩きこまれ、特にエリートとなればなおさらだ。今の自衛隊のエリートのレンジャーだってそういう訓練を極限までされる。「田舎に溶け込む~」って、そもそもあの立場で、一般的な我々の田舎暮らしと同列に語れる状況に置かれるわけないだろ。米軍のベトナム帰還兵だってPTSDになったのに、はるかに長く潜伏して、価値観がズレてないわけがない。それを「イヤミな性格だから」で理解しようとできる、周囲四畳半的な世界の狭さにビックリだわ。
かといって安易に投降すれば逮捕される懸念もあったから身柄の保証として上官からの命令を欲したのでしょう。
@@GoMiyaShiki-z1y 現地の人をだいぶ殺しましたからね
消されるだろうなと思ったらやっぱり消されたコメ
終戦を知らずに兵隊として過ごし、生還した兵士に 優劣をつけるなんて、日本人のすることではない。
イヤ、遠く日本を離れ国政を理解し動かす状況にない中、国会議員に立候補とはヨッコイ庄一は政治をナメている。せめて10年くらい政治をしっかり勉強するのが日本人としてのマナーでは?落選して当然😂
でも戦時中に幼少期を過ごされたお爺さんが知り合いに居ますがその方も小野田さんと横井さんは全然違うと言っていたので、当時もそういう見方だったみたいですよ
@@nokanuka1594現地人から見たら犯罪者と元兵士だからね。 全く違うさ。
その通りです。
@@nokanuka1594貴様のような敗戦思想の裏切り者がおったからチューインガムを噛んで女にうつつを抜かす弱兵のアメ公に負けるのだ!恥を知れ!
ただ今日本人が戦争になったとして横井さんの様な行動が取れるのか?小野田さんの鋭い眼光、国の危機に何も出来ないしていない日本人は批評をするべきでは無い。孤独に祖国の為に戦い続けた御二方に感謝。
横井さんは穴を家みたいにしてヘルメットで作った鍋で料理したり、椰子の繊維で服を作ったりしてた。小野田さんは定住せず、弾丸の火薬が湿気らないようバラして干したりしてた。共に頭の良い方だったと思う。
それ以上に精神力が物凄かったと思う。
国の為に命をかけて戦ったひとに優劣なんて無いです‼️皆さん日本の誇りだし、英雄です😀
現地人から見たら犯罪者と元兵士だけどね
「素晴しい解説ありがとうございます♪」…横井さんは帰還後一部の心無い人々に脱走兵だとか揶揄され辛かったと思います方や小野田さんは帝国軍人の鑑であると称賛されました。一般人の横井庄一氏は徴集され2度も戦場で戦い抜き小野田寛郎氏は職業軍人として戦地に赴き終戦後も戦い抜く……どちらも見事な日本人ですね。
民主主義国の国民として彼らを雇ってるとしたら、この二人の評価は違って当然。どちらも見事といえるのは、お友達思考。
@@torotorotonarino9652 /確かに、当然そう言う視点も当然ありますね ♪♪ 価値観の違いと見解の相違は 少なからず人にはあるものだと思っているので素直に理解できます。
当時わたしは中学生でした。テレビでの報道は記憶に残っています。最近の動画配信でお二人のその後などを知ることができて思ったのは、横井さんの物を作る能力がすごかったこと。名古屋人(最強)だったんだーということ。小野田さん、すぐにブラジルへ行ってしまった。戦後のあの日本の空気、反戦とがんばってリッチになってますみたいな、は耐えられなかったと思う。
大分以前、小野田さんと一緒にキャンプしたときに、瞬間素晴らしい身体の動きを見ましたが流石でした。
生涯の宝となるキャンプだったことでしょうね、羨ましい・・・。因みに、小野田さんが何をされていた時に、どんな動きをされていたのでしょうか?
凄いですね!うらやましいです。
俺もそのキャンプに行きたかったです。でも身内に陸軍だった大叔父さんが18歳で亡くなっていて、いつも見守られてる気がするし、親戚の特攻隊員の爺さんには生前可愛がってもらって、感謝しています。
小野田さんとご一緒の大学教授が、私が持っていった、木刀と杖の杖を小野田さんに振りかざした瞬間、傍にあった太刀を取り、受け払いました、因みに日本に帰ってきてからある学校の剣道部の生徒と剣道を対峙し学生が敵わなかったとのことでした。
@@ishii0111 本当の死線を潜り抜けてきた人はちがいますね、以前小野田さんがある番組で夜のジャングルである時脳が膨張?するという感覚を得その瞬間から遥か彼方の匂いや夜なのにはっきり物が見えるようになったとおっしゃってました。
小野田寛郎氏は徴兵検査迄は商社マンでした。でも兄弟4人中2人も東京帝大出て(しかも長兄は医学部)軍人になってるような家で全員将校でしたので教育方針から一般家庭とは違ったのでしょうねしかも二俣分校とは言え大卒じゃないのに中野学校に選抜されれてる時点で相当優秀だったのかと思われます。
同じ東京帝国大学卒業しても学徒動員の兵隊さんの中には見聞きしていない天一号作戦の戦艦大和艦長有賀幸作さんら(あるがこうさく、海兵出身)の最期を嘘で書きまくり職業軍人の最後を馬鹿にしたような物語を書き金儲けした人もいますよ、それが吉田満の戦艦大和の最期」。
違いなんてない、同じくして、島でただ一人生きぬいて、生還して、帰られたお国の為に役立った尊い方達です。
小野田少尉な欺瞞5点!❶住民から奪ったラジオや印刷物で終戦に気付くも知らぬふり。(本当に知らないならばスパイ要請⇔中野学校の面汚し)❷小野田は敵ではない相手と交戦していた。(山賊行為) そもそも、フィリピンは交戦国ではなかった。(1946年7月4日に完全独立。1934年3月24日にアメリカ議会にて決定するが日本軍の侵攻で狂う)❸諜報員(小野田)は、国際法で保護対象ではないので任務を偽り、戦友を盾にして保身を図った。❹最高指揮官たる天皇の停戦命令無視。(上官の命令解除要求は、不当)❺フィリピン政府を買収して大統領に特赦を出させた日本政府の小野田英雄化工作。⇒⇒ keha-kg
正解や優劣を付けなくていいんだと思わせて頂きました、ありがとうございます。
いかに昔の人が真面目であったかが、お二人から伝わってきますね。
小野田さん=軍人、横井さん=兵隊
@BIKOHBOHさん小野田さんが戦い続けた人 横井さんが生き抜いた人ですよね
軍隊はメンコの喰った長さ横井さんの方が断然長い、小野田さんは旧制中学出身で頭も良かったんだろうね、写真は幹候時代(曹長)だね、横井さんは招集兵で軍曹までなれたのは偉い!うちのオヤジなんか3回招集されても伍長だったぞいさすがに3回目は最前線ではなかったみたいだ、そう言った配慮もあったらしい歩兵8連隊ラングーンが最終地であったらしい、又もや負けたか8連隊、それでは勲章9連隊なんて揶揄されていたみたいだ。
@@黒田飛鳥-f9h横井さんは脱走して陛下から拝謁した銃をスコップ代わりに使った
職業軍人「士官」と徴兵制で集められた兵隊さんの違い。ですね。
士官全てが職業軍人ではない。小野田さんは予備士官です。
しかし帰還された小野田さんの鋭い目が命懸けの戦いを続けてた兵隊の目なんですよね
お二人とも立派です。戦後生まれの我々がああだこうだ言う資格はないと思います。
その通りです。生きて帰って来れただけで奇跡です。
一般徴兵から下士官まで昇格した横井さんも素晴らしいと思います。小野田さんはエリートだから。
2人を比べる事自体ダメだと思う。私の親父も戦争経験者で、戦争時の話はめったに話さなかったが、生き残って帰って来てその後は、亡くなった戦友のため、私たち家族のために毎年、御嶽山に上り、生家の近くでは御嶽神社で火渡りを行っていた。靖国神社に参拝に行った時も、片腕の無い軍服姿の人が物乞いをしていて、親父はその人にお金を渡し、物乞いなどするなと言いその場を引きかえらせたと母親から聞いた事も有る。どんなかたちであろうが、生きて帰って来た戦争経験の方を、経験の無い私たちが比べ語れる事では無いだろう。戦争そのものを歴史として後世に伝えて行くのは当然だと思うが、小野田さんと横井さん違いなんて語るべきでは無い。
小野田さんは横井さんのことを毛嫌いしていた
私の叔父は、フィリピン沖で撃沈されてしまいました。私の叔父は何のために死んだのでしょうか?「かくまでも醜き国になりたれば、棒げし人のただに惜しまる」
地獄の輸送船さぞかし辛かったでしょう
失政ですよアメリカの挑発に乗ってシナリオもなく開戦緒戦の勝利に驕り貴重な好機を自ら失った結果です
横井さんのサバイバル術はすごい
余り区別されていないからだろう、優劣をつけるものではない。
その優劣つけるのが軍隊であり、国防だ。横井はお荷物兵士だが被害者、小野田は有能な軍人だが、イヤミな奴。軍隊は後者をとり、田舎の伝統社会は前者をとる。国民が軍の評価する社会では当然小野田の評価が上。そうしないのは国防に反する。
小野田さんはいわゆる「職業軍人」ではありません。予備士官学校出身の予備士官です。同校卒業後少尉に任官、即日現役に召集です。従って、もし戦争に勝利してたら、終戦後には召集解除されて予備役に編入されてたはずです。立場は違うけれど、お二人は日本国のために戦われたのです、我々は敬意を表するべきですね。
よう調べたねここまでしつとるひとおらんよあんた新聞記者かね婆やわかんしたよ
中野学校上がりで「職業軍人ではない」は無理があるだろ。たとえ制度上ただしいとしても。
@@torotorotonarino9652 予備士官は予備でしかないんだよ職業軍人ではない
@@trasersystem パートタイムと言いたいわけ? 国営時代の郵便局長みたいな。兵士じゃない、つまり雇われじゃないってのが重要なこと。元々小野田は自営業者、若くして大陸商売の成功者だった。
@@torotorotonarino9652 ちょっと言ってることがわからないわ大丈夫?
お国のために人生を捧げた勇士に対して「かたいっぽ」という表現は頂けませんね。
違いはよう分からんが二人とも若い頃はイケメンやな。
もう少し勉強された方が良いと思います。「召集された人は一般的に伍長になる」ことはありません。成績が良くなければ上等兵にもなれません。更に、ここから進級して伍長(下士官)になるには選抜されるだけの戦功や良い成績が必要になります。それ以外にも小野田さんが職業軍人だったなどの間違いがあります。小野田さんが職業軍人ならば、学徒出陣し、見習士官になった私の父も職業軍人と呼ばなければなりません。陸士·海兵(機関学校)に入学して、軍務に就かなければ職業軍人ではありません。小野田さんは、幹候で士官になったので、職業軍人ではありません。
優秀な上等兵さんが除隊時に下士官適任証もらうんですよね🙌
下士官以上の階級で定年までいられるなら職業軍人では?学徒出陣は徴兵猶予を撤回しただけだし。
自分から志願して軍人を職業とすれば職業軍人でしょ。少年飛行兵は?、学徒出陣は招集されて士官でしょ、階級は関係ないと思うけどね。
@@kazus.9593 そもそも中野学校入った時点で「職業軍人じゃない」は完全に無理筋だよ。制度の履歴だけ見て結論付けるのは小役人思考だ。そもそも見込まれた人間しか入れないところなんだから。小野田氏は近代社会にも未開社会にも適応できる知識・バイタリティ・胆力を持った人だった。ただし、伝統社会だけは受け付けなかった人。
@@kazus.9593 志願して一時期だけ軍人だった中曽根首相は職業軍人か?
小野田さんは所謂、現代で言うところの特殊部隊。 横井さんは一般部隊の兵隊。 比較自体、無意味。それにしても横井さん、下士官になってる。誰でも下士官になれるわけではない。
横井さんは結構軍人として仕事出来たんじゃないかな賞詞も3個つけてるし伍長以上はそれなりのスキルがないとなれないと思う
横井さんは輸送関係❓被服扱ったりなので服を自作とかできてたんですよね❗
横井庄一さんは、輜重兵科で玉砕後も生き残った兵科将校率いる敗残兵部隊に編入を願ったが、貴方は輜重兵科だから我々と行動できないと拒絶され朝鮮人軍属二人と一緒に共同生活しましたが、朝鮮人軍属二人と反りが合わず単独行動に移ります。小野田さんは、中等学校卒後に内田洋行入社。上海支店勤務中に招集され予備士官学校入校。そこから英語、上海語が堪能なので選抜され陸軍諜報学校入校後に遊撃戦専門教育する諜報学校二股分校に移り卒業。卒業後直ぐにフィリピン軍勤務を仲間3人と命ぜられ特別機にてフィリピン軍に到着し直ぐに総軍司令官から特別任務を個別に与えられルバング島に着任。遊撃戦指導将校としてルバング島守備中隊に派遣された。ルバング島守備中隊は、遊撃戦を、遊撃船と間違えており手漕ぎ船を一艘用意して小野田さんを迎えた。小野田さんが遊撃戦を指導しようとしたが、中隊長は私の部隊だからと小野田さんの指導を拒否。仕方無く小野田さんは一人で情報収集をしてたら、今夜敵の基地に夜襲を掛けると中隊長以下出現してしまいほぼ全滅した。生き残った中で唯一の将校だったので、島田伍長、赤塚上等兵、小塚一等兵と四人で生活してたが、投降勧告に赤塚上等兵が投降。後にフィリピン山林監視隊との銃撃戦で島田伍長戦死。フィリピン軍との銃撃戦で小塚一等兵戦死。
脱走兵の時点で失格やな
戦後日本に全くなじめなかったのが小野田少尉チャンネル桜出演、横井軍曹はすんなりと戦後日本に適応できて結婚もしてハッピーな人生だった。
すんなりではないし奥さんも苦労していたようだよ
戦後の日本の現状を目の当たりにして、失意のの中ブラジルに移民された当時の彼の心境を今思うと、切ない。
小野田少尉は中野学校です。特殊任務でフィリピンにいってます。もちろん、諜報機関なので、すべて承知しています。日本が敗戦する事、フィリピンで陸軍が負ける事も全て承知で特殊任務についていたはずです。負けても続ける任務があったのです。多分、彼らはラジオを村人から奪っています。つまり日本の終戦も承知していて任務を続けていた可能性があります。諜報機関なので情報の収集はお手の物です。少尉が日本に帰る時の報道は終戦を知らなかった、です。それはありえません、中野学校は情報収集のための学校です。さらに彼を迎えに行った代議士は鈴木善幸氏で其の後、首相になりました。そして当時のフィリピン大統領マルコス氏の満面の笑みはなにを意味していたのか??あとはご想像にお任せいたします。一方の横井正一さんは完全な戦争犠牲者です。日本からほうおっておかれた人です。グアム島で、逃げ隠れしながら生きながらえた人です。お恥ずかしながらかえってきました。といいましたが、そんな事はないです。むしろ政府高官は土下座をして謝罪するべきだったと小生は考えます。両氏とも、もうこの世にはいません。ご冥福をお祈り申し上げます。ua-cam.com/video/bMOgexomMAE/v-deo.html
学校出は、現場を知らずに、最初から位を貰って配属されて来るので、現場の兵からは嫌われたり、古参兵からいじめらたりしたそうです。
わかり易い解説、感謝です🙏
どちらも素晴らしい方達です日本の為にありがとうございました🇯🇵
どちらも生きて帰って来た事に尊敬の念を送りたいですね。それだけで充分かと。
この二人の区別ができないことが、現代日本混乱の理由だと思うね。
小野田さんは職責を意識した強靭な任務遂行の意志を持続していた。横井さんは下士卒でそこまでの意志は無かったと思うが、逆に「任務遂行」という柱が無い状態で潜伏を続けて生還された横井さんには「生きること」に対する強烈な意識が備わっていたんだと思う。
比較する方おかしい。立場の違いだ。両者とも立派な日本軍兵士だ。攻められるは日本国で、戦後処理を怠った被害者である。
どちらの方も国の犠牲者ですよ、外部の人間が批判等すべきでは無い。
小野田さんも職業軍人を目指したのではない。説明も大きく間違っています。どちらも同じ兵役として軍隊に入っています。当時の幹部候補生を経て予備少尉。予備士官学校を受験したのではなく幹部候補生を受験し、その中で将校要員(甲種)に選ばれたので聯隊から予備士官学校に派遣されたのです。応召に行った人が伍長になるのはごく一部で一般的ではないです。
「目指したのではない」なんて関係ない。当時の日本国民は戦争で目指さぬ人生になった人がほとんどだ。戦争というのはそういうもの。中野にリクルートされた時点で、「職業軍人」といってよい。
そうだと思います応召で軍曹なるには難しいと思います、末期は下級将校が戦死したりして不足していたので赤紙で招集された高学歴の人が将校になりました当時は曹長、准尉は見かけないけど少尉ははいて捨てるほど見かけたと揶揄されたと聞きました。
違いなんてどうでもいい。二人とも日本国の為に戦ってくれた人。今同じ事をやれと言われたら、俺はできないな。生きて帰って来れただけで奇跡です。尊敬します。
非常によく理解出来ました。私の祖父の弟さんは、大正一桁の生まれで、オランダ領のニューギニア島で終戦を迎えて現地人に助けられて、昭和22年に神戸港に復員しています。身分は横井庄一さんと同じだったと思います。❨※その祖父の弟さんは、電気工事士だったと聞いています。❩以前、不確かですが小野田寛雄さんと横井庄一さんの対談番組を企画したが、小野田寛雄さんが、即時、断ったと亡き父が言っていました。
@@oisii.banana様 そりゃ立場が全然違う海軍中尉だった叔父も小野田さんを上に見てた。まぁ最後まで武器を持っていたかどうか、降伏も手順を踏んだか否かを重要視してた。自分が自衛隊入った時の中隊長も同様の事を言うてました。
テレビ番組で野坂昭如が先の大戦について如何に自分が苦労したか等話していたとき共演していた小野田少尉が眼光鋭く睨みつけと視線に気付いた野坂昭如が忽ち言葉を失って目を逸した出来事があったそうです。「舐めるな小僧」ぐらいの衝撃が軍国少年だった野坂昭如にはあったのかもしれません。
その時横井さんも同じ番組に出ていて、何か感想を他人事のように言っていてはっきりと侮蔑の表情を小野田さんがしていたのを覚えています。野坂昭如がレイバンの黒眼鏡をしていたので目の動きは分かりませんでしたが睨まれていることから慌てて口を閉じたようには思いましたね。
非常に学びました。ありだとうございました。
小野田さんはスパイ養成じゃなく ゲリラ戦養成でした残留スパイというより 残留してゲリラ戦を展開することが使命でした
中野学校の関係者がビルマ〈現、ミャンマー〉の独立に向け軍事訓練をしました。
二俣分校
1993年くらいにグアム島に旅行に行った時、オプショナルツアーで横井さんの生活してた拠点場所に行きました。ジープタイプの4wdでないといけないくらいの林の中の悪路の先に案内された所は、人ひとりがやっと入れる穴があり、近くにきれいな水が流れている水路があったような記憶があります。そもそも立場が違ってたんですね、勉強になりました。
もしも2人が人知れずジャングルで戦わば小野田さんがストロングスタイルで付け狙うも横井さんが隠れトラップで対抗して戦後100年経ちそうだ
私らは戦時体制下にあった国民では無いので二人に評価など付けられない。二人共、この時代では当たり前な日本人の姿であろうと推察されます。日本は敗戦国となり、世の中が全て180度変わってしまった祖国には二人は驚き困惑した事でしょう。しかし、その時代の流れの中で生き抜いた二人には只々、感服いたします。
両者共立派な大日本帝国軍人だよ〜😊😅
横井さんに共感を覚えます💧
陸軍中野学校でゲリラ戦の訓練受けた方と徴兵された方と比較されたらかなわん。
私の知人も敗戦間際に応召兵で千島列島へ行きました。階級は兵長から伍長になったようで、戦後はシベリア帰りです。経験者の二度目ですから、新兵たちを率いる下士官を担わされたようです。
小野田氏が職業軍人か否かの意見がありますが、それはここの目的ではないと思います、。ここでの主題は優劣を論ずべきではないということではないでしょうか。お二人とも命を懸けて戦ってくれたことを称賛することが主題ではないでしょうか。
肝心な部分がごっそり抜けてるしこれじゃ小野田さんに失礼じゃなかろうか?優劣はつけなくても違いは理解しとかないといけない。
私は、両雄はもとより国のため命を懸けて戦っていただいた先人の方々に感謝申し上げる。これだけです。他意はありません。
@@yokohamayamato9010 責任ある国民の評価として当然二人の優劣をつける必要がある。でないと軍隊はどう働いたらいいか分からん。
帰国が時のコメントが違いを感じてました。
昭和時代のギャグで横井さんの物真似する人が「小野田さんは陸軍中野学校卒のエリートで私は…」というのがあったなあ。
私の父もビルママレシア最後わ台湾の小学校でおんがくのせんせい90代のひとふるさと歌える人いたらうれしいです
二人共一銭五厘の赤紙貰ってもその後は小野田寛郎さんは陸軍中野学校二俣分校出られていますよね、横井庄一さんはずーと一銭五厘の兵隊さんですよね。
おのださんはおのださんのかんきようのなかでたたかいいきぬいた、よこいさんはよこいさんのかんきようのなかでいきぬいた、ふたりとも、りっぱな、だいにほんていこく軍人であった、どっちがえらいとかえらくないとかいうことではない。
んー小野田さんは本当に残留兵だったのかいまだに不思議。顔つやも良くて身なりも整っていた。発する言葉も一々、ご立派な言葉を述べておられた。普通に考えて将校なら戦争が終わったか終わってないのか分かると思うんだけどな。発見されたところも小島のルバング島。横井さんは発見されたときは、全身皮膚病だらけで歯はすべて抜け落ち支えられないと立てないほど体力が消耗していた。発見されたところは現地人がたくさんいるグァム島。横井さんは情けない人だったけど言葉は温かい人だったな。
ありがとうございます。よくわかりました。二人がごちゃごちゃになってわからなくなっていたので。
横井さんの言ったことで印象に残っているのが「おろしがね一枚持ってれば戦場で餓死する兵隊などいなかったはずだ」ということ
小野田さんは少尉は少尉でも特務少尉ですから、一般の少尉とは扱いが違ったんでしょう籍は歩兵連隊に属しても、実質的な上司は中野学校系ですもんね
違いがあるとしたら横井さんは見つかるまで一人きり小野田さんは見つかる寸前まで相棒がいた警察にしろ軍隊にしろ行動するには最低2人はいる。一人きりでは生き残るのに精一杯になる。フィリピン警察軍との銃撃戦でしぼうした相棒金村だか金田氏名すらはっきりしない当時三木さんやったか金をやるから何もかたらずブラジルへいけ。小野田さんはわずか十日ほどで、国民栄誉賞はそのとき誤魔化すために三木さんが始めたものだよ❗️
わかりやすい解説でした
横井庄一さんは、大東亜戦争中、敵前逃亡をして逃げた。これは戦時中ならば銃殺刑に値する。小野田少尉は、陸軍中野学校と言うスパイ学校を卒業して来たので、戦争中はスパイ活動として出て来なかったので戦後、上官が命令の解除を伝えたのでジャングルから出て来た。だから、小野田少尉は戦後迄、戦争を続けていた犠牲者だが、横井庄一さんは敵前逃亡者だから、同じ様に論じる事は間違えている。
まったくですね。しかも小野田さんの任務は金品財宝の保護です。なので財宝の使途が不明では出てこれないという事情があった、しかもこれは口外禁止。そのため不自然だとある事ない事メディアが吹聴した。また当時の反日に染まったメディアが小野田氏を目の敵にして攻撃したりもしていた。横井氏は戦後反日思想に染まった日本に迎合されようとしてた節もあり調子のって選挙に出馬という事までやらかしてます。「あんな奴と一緒にするな」と小野田さんが言っていた真意を考えた方がいい。一緒に語る事自体が小野田さんに失礼なのです。
中野学校では軍人ではない。軍人でないから軍人のように扱わなければ武装解除しない。そもそも軍人じゃないし特務機関員で憲兵記章をつけています。 山下財宝の隠ぺいに関わるのでその莫大な金塊の話し合いがついたから・・・だと思う。私の考察ですが。
将校と兵隊キャリアとノンキャリ大卒とそれ以下総合職と一般職正社員と派遣社員古今東西、人によりその差はある
叔父も、職業軍人で、延べ10年間、満州にいた。
戦った人間と戦わされた人間
戦わされただと?貴様は非国民だ。お国のために戦うのは喜ばしいことだ。
小野田さんが予備士官学校に進んだことを”職業軍人への道を選んだ”と云っているが、予備士官学校の修業年限はたったの6ヶ月だった。戦時体制下に急膨張した軍で特に不足した下級指揮官を速成する教育機関が予備士官学校だった。予備士官はホンモノの士官学校出からは”竹光”と陰口を叩かれており、彼らも戦争が終われば一般人に戻るつもりでいた。職業軍人などとんでもない。
少尉と軍曹
比べる事がおかしい。お二人共日本国の為に戦われた事、感謝しか無いです。
小野田さんの教官は日章丸事件の片棒を担いだ出光興産の手島常務。
うぉっ... それどんな本に出てるのかな
其々が日本軍の中で立場が違います。比較するのは誤りです。この番組の言われるように視点です。
たいてい1等兵で終わるから軍曹まで進級するのは優秀
小野田少尉は、元々がゲリラ戦を専門とする中野学校出、かたや横井さん服屋とかでしょ。素人と今でいうレンジャー隊員との差ぐらいでしょ。逆に横井さんが生き抜いたという方が凄い!!
小野田さんは中野学校出身である意味愚直な軍人だから命令以外にはフレキシブルではなく、現場の指揮官には扱いにくかったのか?硫黄島からの手紙の中村獅童の役柄みたいな人だったのかな?この映画の中では特務上がりの兵隊は侮蔑されていたり、または恐れられていたりという描写もあったし、そんな感じなのか?ナチスドイツだって、ハイリッヒ・ハラ―は逃げ続けたし、スコルツェニーも遠くへ逃げたから職業軍人の鑑みたいな人は「あるある」なのかな?
>愚直な軍人 愚直はあやしーなぁ。中野に入る前はなかなかの商売人だったわけで。へそ曲がりってんならわかるがね。
大統領、日本に2発の原爆投下しても降伏しません。3発目は東京にしましょう。大統領:私は誰と和平交渉するんだ?当時アメリカのジョークです。
アメリカが三発目を作ったのは半年後だ。電力が足りなくて作れなかった。
今でこそ冗談めいて聞けるが 当時の原爆に対しては賛否両論だったみたい
二人共日本の為に命をかけて戦った。二人とも英霊であるのは間違いない。。が、最後まで作戦を遂行していた小野田さんと、ただ逃げ回っていた横井さんとは兵隊として戦績が違いすぎる。決して同じではない!それは横井さんもよくわかっているはずだ。
平和ボケした日本にガツンと食らわされたニュースやったねかたや召集で兵卒で入った人かたや士官学校卒で将尉立ち居振舞いが全然ちがったね?
比較するのが無意味。
顔つきがそもそも違う
横井さんは日本軍最後の捕虜。小野田さんは日本軍最後の帰還兵。
今日も元気に姉さんと仲良く学校に行けるのは♪兵隊さんのおかげです。お国の為に〜 お国の為に戦った兵隊さんのおかげです♪
その通りだ。その歌を学校に広めなさい。
ビートたけしの、よっこいしょういち。(´Д`)余りにも有名。
よっこいしょういち!ですよね?たまに、よっこいしょうへい!って言う人なんかも居るんだけど!そのたび、えっ?誰?ってなってるんだよなぁ?しょうへいと、しょうきちだわ!
それたけしさんが言い始めたというより、当時の年寄りの人はみんな言っていた。
わかりやすかったです
横井さんが逃げ回っていたかは存じませんが、小野田さんは立派な方だと思います。
現地人が長く苦しんで死ぬように、わざと腹を狙って撃って居た奴だぞ。
旧軍の身分は大変厳しい,将校と兵卒では食事もトイレも別
ユニークなテーマありがとうございます。私は横井氏については、「生きること」を真っ当されたことに素晴らしさを感じます。彼はいつも笑顔がありましたね! 一方、小野田氏に関しては、色々報道されました。彼は結婚されてから笑顔が見られましたが、それまでは少々表情が暗いと感じていました。 問題は、誰が小野田氏をブラジルへと移住させたかです? 『笹川良一』です。小野田氏は、フィリピンに日本が秘匿した『財宝(日本、欧米金融貴族達の所有物)を死守せよ!』との命令を戦後もその見張り役を実行していた。なにしろ天皇の命令である! 笹川氏はこのことをよく知っていて、小野田氏の口から、その財宝の場所がバレるとまずいので、その発言を口封じさせるため大金を使い、ブラジルへ追いやったのです。 太平洋戦争後期、12のアジアの国から収奪した財宝を日本軍が戦艦などで運ぶことが難しくなり、フィリピンに埋める(隠す)ことになり、山下陸軍司令官(将軍)が中心となり、高松宮、三笠宮の協力で埋めることに成功した。 この財宝に目をつけ、半ば奪ったのが、マルコス前フィリピン大統領だったが、日本政府からの通報でCIA にばれて、反マルコスクーデターを起こされ、失脚後ハワイで暗殺された。金塊のほか、換金した額は当時でも5500億ドル以上であったと言う。しかし、500億ドルしか受け取ることができなかった。
笹川良一は一部を転用して日本に競艇を作った。
>口封じさせる ブラジルに住んでも口は封じられないやん。話が最初から成立してない。
@@torotorotonarino9652 様 コメントありがとうございました。私が思うに、小野田氏は士気の高い兵士としての純真な思いと、悪どい笹川氏の攻撃に悩んだことと思います。でもやっぱり『生きたかった』のでしょう! 素敵な女性と結婚されからの小野田氏の笑顔は素晴らしいと思います!
@@minosima100 小野田は情報将校だ。兵士などではなく、純真には程遠い。中野に入る前は若造なのに大陸商売で大成功していたクセ者だ。だから中野にリクルートされた。そこは誰でも入れるところではない。
私も含め 政治家、役人も見習なければいけないね 現代、日本
小野田さんのこと、現地の人を殺めた殺人犯みたいに言うコメ見つけました。よく国の為に戦後何十年も頑張った人にそんなこと言えるなって思いました(自分は楽しといて)
両氏を比較し云々するな!あの状況で、降すのを潔しとせず潜伏された横井さん、残置諜者として継戦された小野田さん、今の日本人が失った精神力に敬服するのみ‼️
横井さんを情けないて言ってる人酷すぎます
こうことを発信する事は良いです。
2人を比べるのは小野田さんに失礼!横井は 脱走兵 見つかれば銃殺刑
さんをつけろよ。何様だよお前。
小野田さん、命令が無ければ帰らないと言っていたと思ったので頑なな人物だったのではないかと思いますね、逆に、そういうところを見越して命令を出して部下を率いて現地に赴かせた節がありますね。情報、諜報戦を目的とした陸軍中野学校を出てる事を考えると諜報戦ならもっと柔軟で柔らかい思考が求められると思うのですが、誠実(過ぎるか)頑ななイメージになるんですよね。
亡き父は「横井は脱走兵だ」と吐き捨てていた。部隊から逃亡し、ただ自分の命が大事と隠れていたのでは、軍隊経験者なら皆そう思うだろう。反対に小野田少尉は立派だった。
脱走兵を立派と讃えたら逃げづバンザイ突撃した横井さんの部下が浮かばれない
比べる意味がない
ほぉ、そぉですね。んでだから何が言いたいの?
あの戦争の前線から生き抜いて帰って来た時点で2人は凄い。
小野田さん、カメラの前で
敬礼した姿。目の鋭さまさに
軍人さんでした
@@齋藤元気-s9c その時点で10人近く現地人殺してるからな。つかまってたら八つ裂きにされてたはずだ。家の近所にこんな奴が居たらと思うとゾッとする。
@@齋藤元気-s9c 小野田は軽々成功した牧場経営者だった。「俺は水の出るとこくらいすぐわかる」だとさ。引退後は帰国して子供相手にサバイバル教室。
小野田さんは戦後の日本議員達を「肥えた豚」と皮肉と叱咤を込めて形容されました。
変わりゆく我が国を憂い嘆いてらっしゃいました。
恐らくこの様なメンタリティを持った方は今後出てこないと思います。
ほんと 二人とも いしょうけんめいに 命を かけて 戦ったの お疲れ様です。そして ありがとうございます
小野田さんが「職業軍人」だなと思えたのは登降を決断した理由です 最終的に投降した理由は上官からの「命令」でしたよね まだまだ戦うつもりでいた小野田さんに小野田さんの元上官が戦闘停止命令書をもってフィリピンまでいって小野田さんの前で命令書を読み上げてようやく小野田さんが戦闘をやめたと
最近映画「ランボー」をみまして 暴れまわるランボーが上官からの「作戦中命令」を聞いてようやくおとなしくなったのをみて 「これが軍人なんだな」と思ったね
>上官からの「命令」 いゃ、そういうとこが小野田氏のイヤミなとこなんだろ。そりゃ田舎の地域社会に溶け込むのは無理だわ。仕方が無くてブラジル行って成功したわけで。開拓民は実力次第だし、温暖な自然さえあればどこでも暮らせる見識のあった人だからね。
@@torotorotonarino9652 日本政府が相手にせず、上官の命令を出させなかったら、そのまんまフィリピンに居続けることになったんだぞ?その時点では日本や政府がどういう雰囲気かも知ることはできない。そんなこと「イヤミ」でできるわけないだろ。
古今東西の軍の価値観をまるで分かってない。上官の命令は絶対と叩きこまれ、特にエリートとなればなおさらだ。今の自衛隊のエリートのレンジャーだってそういう訓練を極限までされる。
「田舎に溶け込む~」って、そもそもあの立場で、一般的な我々の田舎暮らしと同列に語れる状況に置かれるわけないだろ。米軍のベトナム帰還兵だってPTSDになったのに、はるかに長く潜伏して、価値観がズレてないわけがない。それを「イヤミな性格だから」で理解しようとできる、周囲四畳半的な世界の狭さにビックリだわ。
かといって安易に投降すれば逮捕される懸念もあったから身柄の保証として上官からの命令を欲したのでしょう。
@@GoMiyaShiki-z1y
現地の人をだいぶ殺しましたからね
消されるだろうなと思ったら
やっぱり消されたコメ
終戦を知らずに兵隊として過ごし、生還した兵士に 優劣をつけるなんて、日本人のすることではない。
イヤ、遠く日本を離れ国政を理解し動かす状況にない中、国会議員に立候補とはヨッコイ庄一は政治をナメている。せめて10年くらい政治をしっかり勉強するのが日本人としてのマナーでは?落選して当然😂
でも戦時中に幼少期を過ごされたお爺さんが知り合いに居ますがその方も小野田さんと横井さんは全然違うと言っていたので、当時もそういう見方だったみたいですよ
@@nokanuka1594現地人から見たら犯罪者と元兵士だからね。 全く違うさ。
その通りです。
@@nokanuka1594
貴様のような敗戦思想の裏切り者がおったからチューインガムを噛んで女にうつつを抜かす弱兵のアメ公に負けるのだ!恥を知れ!
ただ今日本人が戦争になったとして横井さんの様な行動が取れるのか?小野田さんの鋭い眼光、国の危機に何も出来ないしていない日本人は批評をするべきでは無い。孤独に祖国の為に戦い続けた御二方に感謝。
横井さんは穴を家みたいにしてヘルメットで作った鍋で料理したり、椰子の繊維で服を作ったりしてた。
小野田さんは定住せず、弾丸の火薬が湿気らないようバラして干したりしてた。
共に頭の良い方だったと思う。
それ以上に精神力が物凄かったと思う。
国の為に命をかけて戦ったひとに優劣なんて無いです‼️皆さん日本の誇りだし、英雄です😀
現地人から見たら犯罪者と元兵士だけどね
現地人から見たら犯罪者と元兵士だけどね
「素晴しい解説ありがとうございます♪」…横井さんは帰還後一部の心無い人々に脱走兵だとか揶揄され辛かったと思います方や小野田さんは帝国軍人の鑑であると称賛されました。一般人の横井庄一氏は徴集され2度も戦場で戦い抜き小野田寛郎氏は職業軍人として戦地に赴き終戦後も戦い抜く……どちらも見事な日本人ですね。
民主主義国の国民として彼らを雇ってるとしたら、この二人の評価は違って当然。どちらも見事といえるのは、お友達思考。
@@torotorotonarino9652 /確かに、当然そう言う視点も当然ありますね ♪♪ 価値観の違いと見解の相違は
少なからず人にはあるものだと思っているので素直に理解できます。
現地人から見たら犯罪者と元兵士だけどね
当時わたしは中学生でした。テレビでの報道は記憶に残っています。最近の動画配信でお二人のその後などを知ることができて思ったのは、横井さんの物を作る能力がすごかったこと。名古屋人(最強)だったんだーということ。小野田さん、すぐにブラジルへ行ってしまった。戦後のあの日本の空気、反戦とがんばってリッチになってますみたいな、は耐えられなかったと思う。
大分以前、小野田さんと一緒にキャンプしたときに、瞬間素晴らしい身体の動きを見ましたが流石でした。
生涯の宝となるキャンプだったことでしょうね、羨ましい・・・。
因みに、小野田さんが何をされていた時に、どんな動きをされていたのでしょうか?
凄いですね!うらやましいです。
俺もそのキャンプに行きたかったです。
でも身内に陸軍だった大叔父さんが18歳で亡くなっていて、いつも見守られてる気がするし、親戚の特攻隊員の爺さんには生前可愛がってもらって、感謝しています。
小野田さんとご一緒の大学教授が、私が持っていった、木刀と杖の杖を小野田さんに振りかざした瞬間、傍にあった太刀を取り、受け払いました、因みに日本に帰ってきてからある学校の剣道部の生徒と剣道を対峙し学生が敵わなかったとのことでした。
@@ishii0111 本当の死線を潜り抜けてきた人はちがいますね、以前小野田さんがある番組で夜のジャングルである時脳が膨張?するという感覚を得その瞬間から遥か彼方の匂いや夜なのにはっきり物が見えるようになったとおっしゃってました。
小野田寛郎氏は徴兵検査迄は商社マンでした。
でも兄弟4人中2人も東京帝大出て(しかも長兄は医学部)軍人になってるような家で全員将校でしたので教育方針から一般家庭とは違ったのでしょうねしかも二俣分校とは言え大卒じゃないのに中野学校に選抜されれてる時点で相当優秀だったのかと思われます。
同じ東京帝国大学卒業しても学徒動員の兵隊さんの中には見聞きしていない天一号作戦の戦艦大和艦長有賀幸作さんら(あるがこうさく、海兵出身)の最期を嘘で書きまくり職業軍人の最後を馬鹿にしたような物語を書き金儲けした人もいますよ、それが吉田満の戦艦大和の最期」。
違いなんてない、同じくして、島でただ一人生きぬいて、生還して、帰られたお国の為に役立った尊い方達です。
小野田少尉な欺瞞5点!
❶住民から奪ったラジオや印刷物で終戦に気付くも知らぬふり。(本当に知らないならばスパイ要請⇔中野学校の面汚し)
❷小野田は敵ではない相手と交戦していた。(山賊行為)
そもそも、フィリピンは交戦国ではなかった。(1946年7月4日に完全独立。1934年3月24日にアメリカ議会にて決定するが日本軍の侵攻で狂う)
❸諜報員(小野田)は、国際法で保護対象ではないので任務を偽り、戦友を盾にして保身を図った。
❹最高指揮官たる天皇の停戦命令無視。(上官の命令解除要求は、不当)
❺フィリピン政府を買収して大統領に特赦を出させた日本政府の小野田英雄化工作。⇒⇒ keha-kg
現地人から見たら犯罪者と元兵士だけどね
正解や優劣を付けなくていいんだと思わせて頂きました、ありがとうございます。
現地人から見たら犯罪者と元兵士だけどね
いかに昔の人が真面目であったかが、お二人から伝わってきますね。
小野田さん=軍人、横井さん=兵隊
@BIKOHBOHさん
小野田さんが戦い続けた人 横井さんが生き抜いた人
ですよね
軍隊はメンコの喰った長さ横井さんの方が断然長い、小野田さんは旧制中学出身で頭も良かったんだろうね、写真は幹候時代(曹長)だね、横井さんは招集兵で軍曹までなれたのは偉い!うちのオヤジなんか3回招集されても伍長だったぞいさすがに3回目は最前線ではなかったみたいだ、そう言った配慮もあったらしい歩兵8連隊ラングーンが最終地であったらしい、又もや負けたか8連隊、それでは勲章9連隊なんて揶揄されていたみたいだ。
@@黒田飛鳥-f9h
横井さんは脱走して陛下から拝謁した銃をスコップ代わりに使った
職業軍人「士官」と徴兵制で集められた兵隊さんの違い。ですね。
士官全てが職業軍人ではない。小野田さんは予備士官です。
しかし帰還された小野田さんの鋭い目が命懸けの戦いを続けてた兵隊の目なんですよね
お二人とも立派です。
戦後生まれの我々がああだこうだ言う資格はないと思います。
その通りです。生きて帰って来れただけで奇跡です。
一般徴兵から下士官まで昇格した横井さんも素晴らしいと思います。小野田さんはエリートだから。
2人を比べる事自体ダメだと思う。私の親父も戦争経験者で、戦争時の話はめったに話さなかったが、生き残って帰って来てその後は、亡くなった戦友のため、私たち家族のために毎年、御嶽山に上り、生家の近くでは御嶽神社で火渡りを行っていた。靖国神社に参拝に行った時も、片腕の無い軍服姿の人が物乞いをしていて、親父はその人にお金を渡し、物乞いなどするなと言いその場を引きかえらせたと母親から聞いた事も有る。どんなかたちであろうが、生きて帰って来た戦争経験の方を、経験の無い私たちが比べ語れる事では無いだろう。戦争そのものを歴史として後世に伝えて行くのは当然だと思うが、小野田さんと横井さん違いなんて語るべきでは無い。
小野田さんは横井さんのことを毛嫌いしていた
私の叔父は、フィリピン沖で撃沈されてしまいました。
私の叔父は何のために死んだのでしょうか?
「かくまでも醜き国になりたれば、棒げし人のただに惜しまる」
地獄の輸送船さぞかし辛かったでしょう
失政ですよ
アメリカの挑発に乗ってシナリオもなく開戦
緒戦の勝利に驕り貴重な好機を自ら失った結果です
横井さんのサバイバル術はすごい
余り区別されていないからだろう、優劣をつけるものではない。
その優劣つけるのが軍隊であり、国防だ。横井はお荷物兵士だが被害者、小野田は有能な軍人だが、イヤミな奴。軍隊は後者をとり、田舎の伝統社会は前者をとる。国民が軍の評価する社会では当然小野田の評価が上。そうしないのは国防に反する。
小野田さんはいわゆる「職業軍人」ではありません。予備士官学校出身の予備士官です。
同校卒業後少尉に任官、即日現役に召集です。
従って、もし戦争に勝利してたら、終戦後には召集解除されて予備役に編入されてたはずです。
立場は違うけれど、お二人は日本国のために戦われたのです、我々は敬意を表するべきですね。
よう調べたねここまでしつとるひとおらんよあんた新聞記者かね婆やわかんしたよ
中野学校上がりで「職業軍人ではない」は無理があるだろ。たとえ制度上ただしいとしても。
@@torotorotonarino9652
予備士官は予備でしかないんだよ
職業軍人ではない
@@trasersystem パートタイムと言いたいわけ? 国営時代の郵便局長みたいな。兵士じゃない、つまり雇われじゃないってのが重要なこと。元々小野田は自営業者、若くして大陸商売の成功者だった。
@@torotorotonarino9652
ちょっと言ってることがわからないわ
大丈夫?
お国のために人生を捧げた勇士に対して「かたいっぽ」という表現は頂けませんね。
違いはよう分からんが二人とも若い頃はイケメンやな。
もう少し勉強された方が良いと思います。「召集された人は一般的に伍長になる」ことはありません。成績が良くなければ上等兵にもなれません。更に、ここから進級して伍長(下士官)になるには選抜されるだけの戦功や良い成績が必要になります。それ以外にも小野田さんが職業軍人だったなどの間違いがあります。小野田さんが職業軍人ならば、学徒出陣し、見習士官になった私の父も職業軍人と呼ばなければなりません。陸士·海兵(機関学校)に入学して、軍務に就かなければ職業軍人ではありません。小野田さんは、幹候で士官になったので、職業軍人ではありません。
優秀な上等兵さんが除隊時に下士官適任証もらうんですよね🙌
下士官以上の階級で定年までいられるなら職業軍人では?
学徒出陣は徴兵猶予を撤回しただけだし。
自分から志願して軍人を職業とすれば職業軍人でしょ。少年飛行兵は?、学徒出陣は招集されて士官でしょ、階級は関係ないと思うけどね。
@@kazus.9593 そもそも中野学校入った時点で「職業軍人じゃない」は完全に無理筋だよ。制度の履歴だけ見て結論付けるのは小役人思考だ。そもそも見込まれた人間しか入れないところなんだから。小野田氏は近代社会にも未開社会にも適応できる知識・バイタリティ・胆力を持った人だった。ただし、伝統社会だけは受け付けなかった人。
@@kazus.9593
志願して一時期だけ軍人だった中曽根首相は職業軍人か?
小野田さんは所謂、現代で言うところの特殊部隊。
横井さんは一般部隊の兵隊。
比較自体、無意味。それにしても横井さん、下士官になってる。誰でも下士官になれるわけではない。
横井さんは結構軍人として仕事出来たんじゃないかな
賞詞も3個つけてるし伍長以上はそれなりのスキルがないとなれないと思う
横井さんは輸送関係❓被服扱ったりなので服を自作とかできてたんですよね❗
横井庄一さんは、輜重兵科で玉砕後も生き残った兵科将校率いる敗残兵部隊に編入を願ったが、貴方は輜重兵科だから我々と行動できないと拒絶され朝鮮人軍属二人と一緒に共同生活しましたが、朝鮮人軍属二人と反りが合わず単独行動に移ります。
小野田さんは、中等学校卒後に内田洋行入社。上海支店勤務中に招集され予備士官学校入校。そこから英語、上海語が堪能なので選抜され陸軍諜報学校入校後に遊撃戦専門教育する諜報学校二股分校に移り卒業。
卒業後直ぐにフィリピン軍勤務を仲間3人と命ぜられ特別機にてフィリピン軍に到着し直ぐに総軍司令官から特別任務を個別に与えられルバング島に着任。
遊撃戦指導将校としてルバング島守備中隊に派遣された。ルバング島守備中隊は、遊撃戦を、遊撃船と間違えており手漕ぎ船を一艘用意して小野田さんを迎えた。
小野田さんが遊撃戦を指導しようとしたが、中隊長は私の部隊だからと小野田さんの指導を拒否。
仕方無く小野田さんは一人で情報収集をしてたら、今夜敵の基地に夜襲を掛けると中隊長以下出現してしまいほぼ全滅した。
生き残った中で唯一の将校だったので、島田伍長、赤塚上等兵、小塚一等兵と四人で生活してたが、投降勧告に赤塚上等兵が投降。
後にフィリピン山林監視隊との銃撃戦で島田伍長戦死。
フィリピン軍との銃撃戦で小塚一等兵戦死。
脱走兵の時点で失格やな
戦後日本に全くなじめなかったのが小野田少尉チャンネル桜出演、横井軍曹はすんなりと戦後日本に適応できて結婚もしてハッピーな人生だった。
すんなりではないし奥さんも苦労していたようだよ
戦後の日本の現状を目の当たりにして、失意のの中ブラジルに移民された当時の彼の心境を今思うと、切ない。
小野田少尉は中野学校です。
特殊任務でフィリピンにいってます。
もちろん、諜報機関なので、すべて承知しています。
日本が敗戦する事、フィリピンで陸軍が負ける事も
全て承知で特殊任務についていたはずです。
負けても続ける任務があったのです。多分、
彼らはラジオを村人から奪っています。
つまり日本の終戦も承知していて任務を続けていた
可能性があります。
諜報機関なので情報の収集はお手の物です。
少尉が日本に帰る時の報道は終戦を知らなかった、です。
それはありえません、中野学校は情報収集のための
学校です。
さらに彼を迎えに行った代議士は鈴木善幸氏で
其の後、首相になりました。
そして当時のフィリピン大統領マルコス氏の
満面の笑みはなにを意味していたのか??
あとはご想像にお任せいたします。
一方の横井正一さんは完全な戦争犠牲者です。
日本からほうおっておかれた人です。
グアム島で、逃げ隠れしながら生きながらえた人です。
お恥ずかしながらかえってきました。と
いいましたが、そんな事はないです。
むしろ政府高官は土下座をして謝罪するべきだった
と小生は考えます。
両氏とも、もうこの世にはいません。
ご冥福をお祈り申し上げます。
ua-cam.com/video/bMOgexomMAE/v-deo.html
学校出は、現場を知らずに、最初から位を貰って配属されて来るので、現場の兵からは嫌われたり、古参兵からいじめらたりしたそうです。
わかり易い解説、感謝です🙏
どちらも素晴らしい方達です
日本の為にありがとうございました🇯🇵
どちらも生きて帰って来た事に尊敬の念を送りたいですね。
それだけで充分かと。
この二人の区別ができないことが、現代日本混乱の理由だと思うね。
現地人から見たら犯罪者と元兵士だけどね
小野田さんは職責を意識した強靭な任務遂行の意志を持続していた。
横井さんは下士卒でそこまでの意志は無かったと思うが、逆に「任務遂行」という柱が無い状態で潜伏を続けて生還された横井さんには「生きること」に対する強烈な意識が備わっていたんだと思う。
比較する方おかしい。立場の違いだ。両者とも立派な日本軍兵士だ。攻められるは日本国で、戦後処理を怠った被害者である。
どちらの方も国の犠牲者ですよ、外部の人間が批判等すべきでは無い。
小野田さんも職業軍人を目指したのではない。説明も大きく間違っています。どちらも同じ兵役として軍隊に入っています。当時の幹部候補生を経て予備少尉。予備士官学校を受験したのではなく幹部候補生を受験し、その中で将校要員(甲種)に選ばれたので聯隊から予備士官学校に派遣されたのです。応召に行った人が伍長になるのはごく一部で一般的ではないです。
「目指したのではない」なんて関係ない。当時の日本国民は戦争で目指さぬ人生になった人がほとんどだ。戦争というのはそういうもの。中野にリクルートされた時点で、「職業軍人」といってよい。
そうだと思います応召で軍曹なるには難しいと思います、末期は下級将校が戦死したりして不足していたので赤紙で招集された高学歴の人が将校になりました当時は曹長、准尉は見かけないけど少尉ははいて捨てるほど見かけたと揶揄されたと聞きました。
違いなんてどうでもいい。二人とも日本国の為に戦ってくれた人。今同じ事をやれと言われたら、俺はできないな。生きて帰って来れただけで奇跡です。尊敬します。
非常によく理解出来ました。私の祖父の弟さんは、大正一桁の生まれで、オランダ領のニューギニア島で終戦を迎えて現地人に助けられて、昭和22年に神戸港に復員しています。身分は横井庄一さんと同じだったと思います。❨※その祖父の弟さんは、電気工事士だったと聞いています。❩
以前、不確かですが小野田寛雄さんと横井庄一さんの対談番組を企画したが、小野田寛雄さんが、即時、断ったと亡き父が言っていました。
@@oisii.banana様 そりゃ立場が全然違う海軍中尉だった叔父も小野田さんを上に見てた。まぁ最後まで武器を持っていたかどうか、降伏も手順を踏んだか否かを重要視してた。自分が自衛隊入った時の中隊長も同様の事を言うてました。
テレビ番組で野坂昭如が先の大戦について如何に自分が苦労したか等話していたとき共演していた小野田少尉が眼光鋭く睨みつけと視線に気付いた野坂昭如が忽ち言葉を失って目を逸した出来事があったそうです。「舐めるな小僧」ぐらいの衝撃が軍国少年だった野坂昭如にはあったのかもしれません。
その時横井さんも同じ番組に出ていて、何か感想を他人事のように言っていてはっきりと侮蔑の表情を小野田さんがしていたのを覚えています。野坂昭如がレイバンの黒眼鏡をしていたので目の動きは分かりませんでしたが睨まれていることから慌てて口を閉じたようには思いましたね。
非常に学びました。ありだとうございました。
小野田さんはスパイ養成じゃなく ゲリラ戦養成でした
残留スパイというより 残留してゲリラ戦を展開することが使命でした
中野学校の関係者がビルマ〈現、ミャンマー〉の独立に向け軍事訓練をしました。
二俣分校
1993年くらいにグアム島に旅行に行った時、オプショナルツアーで横井さんの生活してた拠点場所に行きました。ジープタイプの4wdでないといけないくらいの林の中の悪路の先に案内された所は、人ひとりがやっと入れる穴があり、近くにきれいな水が流れている水路があったような記憶があります。そもそも立場が違ってたんですね、勉強になりました。
もしも2人が人知れずジャングルで戦わば
小野田さんがストロングスタイルで付け狙うも横井さんが隠れトラップで対抗して戦後100年経ちそうだ
私らは戦時体制下にあった国民では無いので二人に評価など付けられない。
二人共、この時代では当たり前な日本人の姿であろうと推察されます。日本は敗戦国となり、世の中が全て180度変わってしまった祖国には二人は驚き困惑した事でしょう。
しかし、その時代の流れの中で生き抜いた二人には只々、感服いたします。
両者共
立派な大日本帝国軍人だよ〜😊😅
横井さんに共感を覚えます💧
陸軍中野学校でゲリラ戦の訓練受けた方と徴兵された方と比較されたらかなわん。
私の知人も敗戦間際に応召兵で千島列島へ行きました。階級は兵長から伍長になったようで、戦後はシベリア帰りです。経験者の二度目ですから、新兵たちを率いる下士官を担わされたようです。
小野田氏が職業軍人か否かの意見がありますが、それはここの目的ではないと思います、。ここでの主題は優劣を論ずべきではないということではないでしょうか。お二人とも命を懸けて戦ってくれたことを称賛することが主題ではないでしょうか。
肝心な部分がごっそり抜けてるしこれじゃ小野田さんに失礼じゃなかろうか?優劣はつけなくても違いは理解しとかないといけない。
私は、両雄はもとより国のため命を懸けて戦っていただいた先人の方々に感謝申し上げる。これだけです。他意はありません。
@@yokohamayamato9010 責任ある国民の評価として当然二人の優劣をつける必要がある。でないと軍隊はどう働いたらいいか分からん。
現地人から見たら犯罪者と元兵士だけどね
帰国が時のコメントが違いを感じてました。
昭和時代のギャグで横井さんの物真似する人が「小野田さんは陸軍中野学校卒のエリートで私は…」というのがあったなあ。
私の父もビルママレシア最後わ台湾の小学校でおんがくのせんせい90代のひとふるさと歌える人いたらうれしいです
二人共一銭五厘の赤紙貰ってもその後は小野田寛郎さんは陸軍中野学校二俣分校出られていますよね、横井庄一さんはずーと一銭五厘の兵隊さんですよね。
おのださんはおのださんのかんきようのなかでたたかいいきぬいた、よこいさんはよこいさんのかんきようのなかでいきぬいた、ふたりとも、りっぱな、だいにほんていこく軍人であった、どっちがえらいとかえらくないとかいうことではない。
んー小野田さんは本当に残留兵だったのかいまだに不思議。顔つやも良くて身なりも整っていた。発する言葉も一々、ご立派な
言葉を述べておられた。普通に考えて将校なら戦争が終わったか終わってないのか分かると思うんだけどな。発見されたところも
小島のルバング島。横井さんは発見されたときは、全身皮膚病だらけで歯はすべて抜け落ち支えられないと立てないほど体力が
消耗していた。発見されたところは現地人がたくさんいるグァム島。横井さんは情けない人だったけど言葉は温かい人だったな。
ありがとうございます。よくわかりました。二人がごちゃごちゃになってわからなくなっていたので。
横井さんの言ったことで印象に残っているのが「おろしがね一枚持ってれば戦場で餓死する兵隊などいなかったはずだ」ということ
小野田さんは少尉は少尉でも特務少尉ですから、一般の少尉とは扱いが違ったんでしょう
籍は歩兵連隊に属しても、実質的な上司は中野学校系ですもんね
違いがあるとしたら横井さんは見つかるまで一人きり小野田さんは見つかる寸前まで相棒がいた警察にしろ軍隊にしろ行動するには最低2人はいる。一人きりでは生き残るのに精一杯になる。フィリピン警察軍との銃撃戦でしぼうした相棒金村だか金田氏名すらはっきりしない当時三木さんやったか金をやるから何もかたらずブラジルへいけ。小野田さんはわずか十日ほどで、
国民栄誉賞はそのとき誤魔化すために三木さんが始めたものだよ❗️
わかりやすい解説でした
横井庄一さんは、大東亜戦争中、敵前逃亡をして逃げた。これは戦時中ならば銃殺刑に値する。
小野田少尉は、陸軍中野学校と言うスパイ学校を卒業して来たので、戦争中はスパイ活動として出て来なかったので戦後、上官が命令の解除を伝えたのでジャングルから出て来た。だから、小野田少尉は戦後迄、戦争を続けていた犠牲者だが、横井庄一さんは敵前逃亡者だから、同じ様に論じる事は間違えている。
まったくですね。しかも小野田さんの任務は金品財宝の保護です。なので財宝の使途が不明では出てこれないという事情があった、しかもこれは口外禁止。そのため不自然だとある事ない事メディアが吹聴した。また当時の反日に染まったメディアが小野田氏を目の敵にして攻撃したりもしていた。横井氏は戦後反日思想に染まった日本に迎合されようとしてた節もあり調子のって選挙に出馬という事までやらかしてます。「あんな奴と一緒にするな」と小野田さんが言っていた真意を考えた方がいい。一緒に語る事自体が小野田さんに失礼なのです。
中野学校では軍人ではない。軍人でないから軍人のように扱わなければ武装解除しない。そもそも軍人じゃないし特務機関員で憲兵記章をつけています。
山下財宝の隠ぺいに関わるのでその莫大な金塊の話し合いがついたから・・・だと思う。私の考察ですが。
将校と兵隊
キャリアとノンキャリ
大卒とそれ以下
総合職と一般職
正社員と派遣社員
古今東西、人によりその差はある
叔父も、職業軍人で、延べ10年間、満州にいた。
戦った人間と
戦わされた人間
戦わされただと?
貴様は非国民だ。
お国のために戦うのは喜ばしいことだ。
小野田さんが予備士官学校に進んだことを”職業軍人への道を選んだ”と云っているが、予備士官学校の修業年限はたったの6ヶ月だった。戦時体制下に急膨張した軍で特に不足した下級指揮官を速成する教育機関が予備士官学校だった。予備士官はホンモノの士官学校出からは”竹光”と陰口を叩かれており、彼らも戦争が終われば一般人に戻るつもりでいた。職業軍人などとんでもない。
少尉と軍曹
比べる事がおかしい。お二人共日本国の為に戦われた事、感謝しか無いです。
小野田さんの教官は日章丸事件の片棒を担いだ出光興産の手島常務。
うぉっ... それどんな本に出てるのかな
其々が日本軍の中で立場が違います。比較するのは誤りです。この番組の言われるように視点です。
たいてい1等兵で終わるから軍曹まで進級するのは優秀
小野田少尉は、元々がゲリラ戦を専門とする中野学校出、かたや横井さん服屋とかでしょ。
素人と今でいうレンジャー隊員との差ぐらいでしょ。
逆に横井さんが生き抜いたという方が凄い!!
小野田さんは中野学校出身である意味愚直な軍人だから命令以外にはフレキシブルではなく、現場の指揮官には扱いにくかったのか?
硫黄島からの手紙の中村獅童の役柄みたいな人だったのかな?この映画の中では特務上がりの兵隊は侮蔑されていたり、または恐れられていたりという描写もあったし、そんな感じなのか?
ナチスドイツだって、ハイリッヒ・ハラ―は逃げ続けたし、スコルツェニーも遠くへ逃げたから職業軍人の鑑みたいな人は「あるある」なのかな?
>愚直な軍人 愚直はあやしーなぁ。中野に入る前はなかなかの商売人だったわけで。へそ曲がりってんならわかるがね。
大統領、日本に2発の原爆投下しても降伏しません。3発目は東京にしましょう。大統領:私は誰と和平交渉するんだ?
当時アメリカのジョークです。
アメリカが三発目を作ったのは半年後だ。電力が足りなくて作れなかった。
今でこそ冗談めいて聞けるが 当時の原爆に対しては賛否両論だったみたい
二人共日本の為に命をかけて戦った。二人とも英霊であるのは間違いない。。が、最後まで作戦を遂行していた小野田さんと、ただ逃げ回っていた横井さんとは兵隊として戦績が違いすぎる。決して同じではない!それは横井さんもよくわかっているはずだ。
現地人から見たら犯罪者と元兵士だけどね
平和ボケした日本にガツンと食らわされたニュースやったねかたや召集で兵卒で入った人かたや士官学校卒で将尉立ち居振舞いが全然ちがったね?
比較するのが無意味。
顔つきがそもそも違う
横井さんは日本軍最後の捕虜。
小野田さんは日本軍最後の帰還兵。
今日も元気に姉さんと仲良く学校に行けるのは♪兵隊さんのおかげです。お国の為に〜 お国の為に戦った兵隊さんのおかげです♪
その通りだ。
その歌を学校に広めなさい。
ビートたけしの、よっこいしょういち。(´Д`)余りにも有名。
よっこいしょういち!ですよね?
たまに、よっこいしょうへい!って言う人なんかも居るんだけど!
そのたび、えっ?誰?ってなってるんだよなぁ?
しょうへいと、しょうきちだわ!
それたけしさんが言い始めたというより、当時の年寄りの人はみんな言っていた。
わかりやすかったです
横井さんが逃げ回っていたかは存じませんが、小野田さんは立派な方だと思います。
現地人が長く苦しんで死ぬように、わざと腹を狙って撃って居た奴だぞ。
旧軍の身分は大変厳しい,将校と兵卒では食事もトイレも別
ユニークなテーマありがとうございます。
私は横井氏については、「生きること」を真っ当されたことに
素晴らしさを感じます。彼はいつも笑顔がありましたね!
一方、小野田氏に関しては、色々報道されました。彼は結婚されてから笑顔
が見られましたが、それまでは少々表情が暗いと感じていました。
問題は、誰が小野田氏をブラジルへと移住させたかです? 『笹川良一』です。
小野田氏は、フィリピンに日本が秘匿した『財宝(日本、欧米金融貴族達の
所有物)を死守せよ!』との命令を戦後もその見張り役を実行していた。なにし
ろ天皇の命令である! 笹川氏はこのことをよく知っていて、小野田氏の口から、
その財宝の場所がバレるとまずいので、その発言を口封じさせるため大金を使い、
ブラジルへ追いやったのです。
太平洋戦争後期、12のアジアの国から収奪した財宝を日本軍が
戦艦などで運ぶことが難しくなり、フィリピンに埋める(隠す)ことになり、
山下陸軍司令官(将軍)が中心となり、高松宮、三笠宮の協力で埋めることに成功した。
この財宝に目をつけ、半ば奪ったのが、マルコス前フィリピン大統領だったが、
日本政府からの通報でCIA にばれて、反マルコスクーデターを起こされ、失脚後
ハワイで暗殺された。金塊のほか、換金した額は当時でも5500億ドル以上で
あったと言う。しかし、500億ドルしか受け取ることができなかった。
笹川良一は一部を転用して日本に競艇を作った。
>口封じさせる ブラジルに住んでも口は封じられないやん。話が最初から成立してない。
@@torotorotonarino9652 様 コメントありがとうございました。私が思うに、小野田氏は
士気の高い兵士としての純真な思いと、悪どい笹川氏の攻撃に悩んだことと
思います。でもやっぱり『生きたかった』のでしょう! 素敵な女性と結婚されからの小野田氏の笑顔は素晴らしいと思います!
@@minosima100 小野田は情報将校だ。兵士などではなく、純真には程遠い。中野に入る前は若造なのに大陸商売で大成功していたクセ者だ。だから中野にリクルートされた。そこは誰でも入れるところではない。
私も含め 政治家、役人も見習なければいけないね 現代、日本
小野田さんのこと、現地の人を殺めた殺人犯みたいに言うコメ見つけました。よく国の為に戦後何十年も頑張った人にそんなこと言えるなって思いました(自分は楽しといて)
両氏を比較し云々するな!あの状況で、降すのを潔しとせず潜伏された横井さん、残置諜者として継戦された小野田さん、今の日本人が失った精神力に敬服するのみ‼️
横井さんを情けないて言ってる人酷すぎます
こうことを発信する事は良いです。
2人を比べるのは小野田さんに失礼!横井は 脱走兵 見つかれば銃殺刑
さんをつけろよ。何様だよお前。
小野田さん、命令が無ければ帰らないと言っていたと思ったので頑なな人物だったのではないかと思いますね、
逆に、そういうところを見越して命令を出して部下を率いて現地に赴かせた節がありますね。
情報、諜報戦を目的とした陸軍中野学校を出てる事を考えると諜報戦ならもっと柔軟で柔らかい思考が求められると思うのですが、
誠実(過ぎるか)頑ななイメージになるんですよね。
亡き父は「横井は脱走兵だ」と吐き捨てていた。部隊から逃亡し、ただ自分の命が大事と隠れていたのでは、軍隊経験者なら皆そう思うだろう。反対に小野田少尉は立派だった。
脱走兵を立派と讃えたら
逃げづバンザイ突撃した横井さんの部下が浮かばれない
比べる意味がない
ほぉ、そぉですね。んでだから何が言いたいの?