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母の故郷が島根県ということから出雲王国に興味を持ちました。大元出版の本を取り寄せて読んでいます。こちらの動画は美しくわかりやすく心が伝わってきます。
ご視聴ありがとうございます😊出雲口伝、はまりますよ。コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
東京都府中市の武蔵国総社大國魂神社は大國魂の命(大国主の命)が主祭神です。武蔵国一宮氷川神社と並び武蔵国の大きな神社の主祭神が出雲由来で太古の昔より脈々と大勢の人々から敬われ受け継がれていると思うととても感慨深いですね。
これこそ深い意味の調和ですね😊コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
いつも有難うございます🌿🙇♀️来週埼玉へ出掛けるのでタイムリーでした!👌氷川神社大宮へ参る予定で、ここの蛇の池が大好きです。目を凝らすと池の奥に巨石(磐座?)があります。でも外からよく見えないです😂色々神社を巡っていると、確かに「全ては繋がってるのか…」という思いに行き着きますね。大和(大調和)の心が大切ですね🤗
お気をつけて。楽しんできて下さいね。いつもありがとうございます😊うれしいです
父・大宮氷川神社子・中山神社母・氷川女體神社レイラインに並ぶ神社の構造自体がサイノカミ三神となっていますね。物部の攻撃から逃れ、東へ東へと移動する大彦勢も、出雲のサイノカミ信仰を奉ずるとともに、大彦自体も徐福の子孫でありました。みんなどこかでつながって、現在のわたしたちがありますね。素敵な動画をありがとうございます♪
そう、繋がっていますね。皆が正義と幸せを求め生きようとしています。そこが、切ない。。。。いつもありがとうございます😊🌸うれしいです
2024年6月18日(火曜日☔16時26分)参考に成りました。ありがとう御座いました🙏⛩
いつもありがとうございます😊🌸うれしいです
@@irisyell6626 ハーイ🤗ありがとうございます🙇♂🙏
大変興味深く読みました。若い頃(18歳まで)大宮市に住んでおり、大宮氷川神社は身近な社でした。社の近くに図書館があり、中学生の夏休みには毎日のように通って本を借りていました。先日、約40年振り位に大宮に行く機会があり、氷川神社にも参拝しましたが、祭神が出雲の神なのを不思議に思いましたが、大変腑に落ちました。その後、府中市に住んだこともあり、他の方も書かれている東京都府中市の武蔵国総社大國魂神社にも参りましたが、やはり祭神のことがずっと不思議でした。動画の終盤に蝦夷のことが出てきますが、茨城県の鹿島神宮、千葉県の香取神宮の祭神が出雲の国譲りと関係する神であり、朝廷から蝦夷に対する平定神ともされていることも、大和地方から見た東北への位置関係、そして埼玉県を囲うような位置関係が納得できるものがあります。私の母が秋田県出身で東北の蝦夷にはずっと親近感があるのですが、また父の方は三重県(伊勢!)出身で、京都~大阪~和歌山~三重と車で周り、伊勢神宮を参拝したこともあります。日本の歴史を知ると出雲、また蝦夷に大変共感するものがあるのですが、このような理由で複雑な感情がいつも生まれます。出雲大社にはまだ参ったことがないので、いつかは行きたいと思っています。
歴史を感じながら神社参拝は楽しいものですね😊ありがとうございます😊とても嬉しいです。
関東の神社の紹介ありがとうございます。知らなんだ…出雲の口伝から推察するに大彦の影響が大きいようですね!神武に…ではなかったようですね!ただね…まだわからないんですよ!スサノオが徐福とする説ですけど…出雲の口伝にはスサノオは登場しません。 徐福だとすると祖神として祀るだろうか?徐福のエピソードもやや斜めに見ています。秦の始皇帝をペテンにかけて大勢でやってきて出雲王家を掻き回した張本人を崇めるだろうか?スサノオは好きな魅力溢れる神様です。徐福とはイメージにギャップがあります。そういえば土曜日松原堺辺りをウロチョロしました。反正天皇を探ってます。柴籬神社お参りしました。堺市歴史博物館見学して須恵器をへばり付くようにみてきました。ガラスに顔の脂付着したかも…
徐福が日本の歴史登場しない💦😊謎です。いつも楽しく神社参拝されて、微笑ましいです😊いつもありがとうございます😊🌸うれしいです
面白いw参考になります、ありがとうございますw
励みになります!ありがとうございます😊嬉しいです🌸
天津神系統は太平洋を北上し、北は水稲が出来る千葉と茨城の神宮、また安房国の安房神社。4世紀から6世紀。国津神でもあり蝦夷と最初に接触し、住み分けた出雲系は日本海側から長野~埼玉の氷川神社が3世紀頃から。そんな印象です。
そうですね😊コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
ありがとうございます。 まだ中山神社だけ参拝していないので...( ;∀;)氷川女體神社の祭祀場は最高でした^^いつもワクワク好奇心のご投稿ほんまにありがとうございます。学びます。
ほんとにいい神社ですね😊いつもありがとうございます😊🌸うれしいです
神栖の息栖神社 祭神(久那斗神くなどのかみ)と、常総の一言主神社(奈良の一言主神社から勧請) 祭神(事代主)と、粟嶋神社(事代主)は古代出雲(富家か神門臣家)と関係があると感じる。
神栖の息栖神社。松江の富家の王宮は、神魂神社(かもすじんじゃ)です。茨木はかみす市ですよね。富氏の末裔と感じます。出雲族はいたるところに・・・・・とても興味深いです。ありがとうございます😊情報嬉しいです🌸
いいですね。。。越谷住みで近くなのでそれぞれ行ってみようと思います。遠くの神社ばかり行って近くなのに行っておりませんでした。ドライブを兼ねて観光的に茨城の古神社によく行ってますがだいたいおおなむちがご祭神。出雲が関連しているのでしょうかね。。。それにしても神社、神道?はどうしてこんなに広まったんでしょうか?不思議に思います。。。
祈りには無意識の記憶がのこっているのでしょうか・・・・コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
「兄多毛比命」は、関東における初期の統治者かと思いますが、読みは「えたもひ・えあたもひ」ではなく、「え・たけひ」でしょうね。そう。大伴武日。兄が武日ならば、弟は、甲州を治めた「乎多氐 おたて」。おと・たて、でしょうか。たけひさんとたてさん。そんな兄弟だったかと。
教えていただいて嬉しいです😊ありがとうございます🌸
僕は出雲の民の出身が東日本とまでは考察してますが、交易を主体として日本列島を駆け回り、公平で豊かで平和な日々を作り続けた出雲の大元がどこかは推定出来ていません。出雲は交易を専門とする商社の役割を担っていたと考えています。ですが出雲は生産者側でも完全なる消費者側でもないと云うのが僕の推論です。どちらかに属していると優位な面が発生してしまい、必ず公平が担保出来ないからです。第三者として公平な交易こそが交易先への豊かさと平和をもたらしてくれる、そして自分達の存在意義を高められると解っていたと考えたのです。利根川中流域も候補の一つです。ここは僕の考察の稲作の発祥地の候補の一つだからです。ですが米を交易物とすると云う事を何を以って商材として持ち出すのかが不透明なのです。ですが必ず出身地となる拠点は存在し日本列島の情勢に従い島根に拠点を移した事は間違いないと思っています。
出雲族は、そうですね。島根までたどり着く過程は詳しくわかっていませんね。深く考察されていて参考になります。ありがとうございます😊とても嬉しいです🌸
補足しておきます。出雲は日本海側に数箇所交易拠点を縄文時代を早い段階で置いていたと考えています。なので島根は辿り着いた先ではなく、出雲の交易拠点の一つと考えます。出雲は日本列島を含む朝鮮半島南部と中国沿岸地域に交易の対象としていて、その協力者達が西日本に点在していたと考えます。僕は長崎に穂高と熊襲が居て渡海航路を担い、西日本側を主に隼人と熊野が流通を担っていたと考えています。これが記紀による記述と現在の神社の所在と由緒、世界史(東アジア史)から見た日本列島への影響を考慮した考えです。鬼界カルデラ噴火する起きた時に逃れる事が出来た人々を大陸に送ったと考えるのが、穂高と熊襲です。穂高は中国沿岸、熊襲は朝鮮半島です。隼人と熊野は東日本側に出雲の紹介で逃れ定住地を得たと考えます。そして中華からの渡来人の流入で状況は大きく変わり、歴史は動くと云うのが僕の推測です。
東京の秋葉原は秋葉神社の境内だった謂れから
そうなんですね😊ありがとうございます🌸
母の故郷が島根県ということから出雲王国に興味を持ちました。大元出版の本を取り寄せて読んでいます。こちらの動画は美しくわかりやすく心が伝わってきます。
ご視聴ありがとうございます😊
出雲口伝、はまりますよ。
コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
東京都府中市の武蔵国総社大國魂神社は大國魂の命(大国主の命)が主祭神です。武蔵国一宮氷川神社と並び武蔵国の大きな神社の主祭神が出雲由来で太古の昔より脈々と大勢の人々から敬われ受け継がれていると思うととても感慨深いですね。
これこそ深い意味の調和ですね😊
コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
いつも有難うございます🌿🙇♀️
来週埼玉へ出掛けるのでタイムリーでした!👌氷川神社大宮へ参る予定で、ここの蛇の池が大好きです。目を凝らすと池の奥に巨石(磐座?)があります。でも外からよく見えないです😂
色々神社を巡っていると、確かに「全ては繋がってるのか…」という思いに行き着きますね。大和(大調和)の心が大切ですね🤗
お気をつけて。
楽しんできて下さいね。
いつもありがとうございます😊うれしいです
父・大宮氷川神社
子・中山神社
母・氷川女體神社
レイラインに並ぶ
神社の構造自体が
サイノカミ三神となっていますね。
物部の攻撃から逃れ、
東へ東へと移動する大彦勢も、
出雲のサイノカミ信仰を奉ずるとともに、
大彦自体も徐福の子孫でありました。
みんなどこかでつながって、
現在のわたしたちがありますね。
素敵な動画を
ありがとうございます♪
そう、繋がっていますね。
皆が正義と幸せを求め生きようとしています。
そこが、切ない。。。。
いつもありがとうございます😊🌸うれしいです
2024年6月18日(火曜日☔16時26分)参考に成りました。ありがとう御座いました🙏⛩
いつもありがとうございます😊🌸うれしいです
@@irisyell6626 ハーイ🤗ありがとうございます🙇♂🙏
大変興味深く読みました。
若い頃(18歳まで)大宮市に住んでおり、大宮氷川神社は身近な社でした。
社の近くに図書館があり、中学生の夏休みには毎日のように通って本を借りていました。
先日、約40年振り位に大宮に行く機会があり、氷川神社にも参拝しましたが、
祭神が出雲の神なのを不思議に思いましたが、大変腑に落ちました。
その後、府中市に住んだこともあり、他の方も書かれている東京都府中市の武蔵国総社大國魂神社にも参りましたが、やはり祭神のことがずっと不思議でした。
動画の終盤に蝦夷のことが出てきますが、茨城県の鹿島神宮、千葉県の香取神宮の祭神が出雲の国譲りと関係する神であり、朝廷から蝦夷に対する平定神ともされていることも、大和地方から見た東北への位置関係、そして埼玉県を囲うような位置関係が納得できるものがあります。
私の母が秋田県出身で東北の蝦夷にはずっと親近感があるのですが、また父の方は三重県(伊勢!)出身で、京都~大阪~和歌山~三重と車で周り、伊勢神宮を参拝したこともあります。
日本の歴史を知ると出雲、また蝦夷に大変共感するものがあるのですが、このような理由で複雑な感情がいつも生まれます。
出雲大社にはまだ参ったことがないので、いつかは行きたいと思っています。
歴史を感じながら神社参拝は楽しいものですね😊
ありがとうございます😊
とても嬉しいです。
関東の神社の紹介ありがとうございます。
知らなんだ…
出雲の口伝から推察するに大彦の影響が大きいようですね!神武に…ではなかったようですね!
ただね…まだわからないんですよ!スサノオが徐福とする説ですけど…
出雲の口伝にはスサノオは登場しません。 徐福だとすると祖神として祀るだろうか?
徐福のエピソードもやや斜めに見ています。
秦の始皇帝をペテンにかけて大勢でやってきて出雲王家を掻き回した張本人を崇めるだろうか?
スサノオは好きな魅力溢れる神様です。徐福とはイメージにギャップがあります。
そういえば土曜日松原堺辺りをウロチョロしました。反正天皇を探ってます。柴籬神社お参りしました。堺市歴史博物館見学して須恵器をへばり付くようにみてきました。
ガラスに顔の脂付着したかも…
徐福が日本の歴史登場しない💦😊謎です。
いつも楽しく神社参拝されて、微笑ましいです😊
いつもありがとうございます😊🌸うれしいです
面白いw参考になります、ありがとうございますw
励みになります!
ありがとうございます😊嬉しいです🌸
天津神系統は太平洋を北上し、北は水稲が出来る千葉と茨城の神宮、また安房国の安房神社。4世紀から6世紀。
国津神でもあり蝦夷と最初に接触し、住み分けた出雲系は日本海側から長野~埼玉の氷川神社が3世紀頃から。
そんな印象です。
そうですね😊
コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
ありがとうございます。 まだ中山神社だけ参拝していないので...( ;∀;)
氷川女體神社の祭祀場は最高でした^^
いつもワクワク好奇心のご投稿ほんまにありがとうございます。
学びます。
ほんとにいい神社ですね😊
いつもありがとうございます😊🌸うれしいです
神栖の息栖神社 祭神(久那斗神くなどのかみ)と、常総の一言主神社(奈良の一言主神社から勧請) 祭神(事代主)と、粟嶋神社(事代主)は古代出雲(富家か神門臣家)と関係があると感じる。
神栖の息栖神社。松江の富家の王宮は、神魂神社(かもすじんじゃ)です。茨木はかみす市ですよね。
富氏の末裔と感じます。
出雲族はいたるところに・・・・・
とても興味深いです。
ありがとうございます😊情報嬉しいです🌸
いいですね。。。
越谷住みで近くなのでそれぞれ行ってみようと思います。
遠くの神社ばかり行って近くなのに行っておりませんでした。
ドライブを兼ねて観光的に茨城の古神社によく行ってますがだいたいおおなむちがご祭神。
出雲が関連しているのでしょうかね。。。
それにしても神社、神道?はどうしてこんなに広まったんでしょうか?
不思議に思います。。。
祈りには無意識の記憶がのこっているのでしょうか・・・・
コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
「兄多毛比命」は、関東における初期の統治者かと思いますが、読みは「えたもひ・えあたもひ」ではなく、「え・たけひ」でしょうね。
そう。
大伴武日。
兄が武日ならば、弟は、甲州を治めた「乎多氐 おたて」。おと・たて、でしょうか。
たけひさんとたてさん。
そんな兄弟だったかと。
教えていただいて嬉しいです😊
ありがとうございます🌸
僕は出雲の民の出身が東日本とまでは考察してますが、交易を主体として日本列島を駆け回り、公平で豊かで平和な日々を作り続けた出雲の大元がどこかは推定出来ていません。出雲は交易を専門とする商社の役割を担っていたと考えています。ですが出雲は生産者側でも完全なる消費者側でもないと云うのが僕の推論です。どちらかに属していると優位な面が発生してしまい、必ず公平が担保出来ないからです。第三者として公平な交易こそが交易先への豊かさと平和をもたらしてくれる、そして自分達の存在意義を高められると解っていたと考えたのです。
利根川中流域も候補の一つです。ここは僕の考察の稲作の発祥地の候補の一つだからです。ですが米を交易物とすると云う事を何を以って商材として持ち出すのかが不透明なのです。
ですが必ず出身地となる拠点は存在し日本列島の情勢に従い島根に拠点を移した事は間違いないと思っています。
出雲族は、そうですね。島根までたどり着く過程は詳しくわかっていませんね。
深く考察されていて参考になります。
ありがとうございます😊とても嬉しいです🌸
補足しておきます。出雲は日本海側に数箇所交易拠点を縄文時代を早い段階で置いていたと考えています。なので島根は辿り着いた先ではなく、出雲の交易拠点の一つと考えます。
出雲は日本列島を含む朝鮮半島南部と中国沿岸地域に交易の対象としていて、その協力者達が西日本に点在していたと考えます。僕は長崎に穂高と熊襲が居て渡海航路を担い、西日本側を主に隼人と熊野が流通を担っていたと考えています。
これが記紀による記述と現在の神社の所在と由緒、世界史(東アジア史)から見た日本列島への影響を考慮した考えです。
鬼界カルデラ噴火する起きた時に逃れる事が出来た人々を大陸に送ったと考えるのが、穂高と熊襲です。穂高は中国沿岸、熊襲は朝鮮半島です。隼人と熊野は東日本側に出雲の紹介で逃れ定住地を得たと考えます。そして中華からの渡来人の流入で状況は大きく変わり、歴史は動くと云うのが僕の推測です。
東京の秋葉原は秋葉神社の境内だった謂れから
そうなんですね😊
ありがとうございます🌸