【ゆっくり解説】今さら聞けない『池田屋事件』の解明されない謎とは?【新撰組・幕末】

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 10 лют 2024
  • #ゆっくり解説 #ゆっくり歴史解説 #日本史 #幕末
    ◆人気の動画はコチラです◆
    【ゆっくり解説】【驚愕!】縄文時代の謎!”1万4000年も続いた”理由がヤバい…
    • 【ゆっくり解説】【驚愕!】縄文時代の謎!”1...
    【ゆっくり解説】【驚愕!】サムライが盾を使わない本当の理由とは?/凄まじい「日本刀」の切れ味を出す最強の使い方とは?【世界最強の剣術】
    • 【ゆっくり解説】【驚愕!】サムライが盾を使わ...
    【驚愕!!】世界が恐れた”日本の戦国時代”がヤバすぎる…/世界最強国のスペインが日本を植民地化できなかった理由がわかる…【ゆっくり解説】
    • 【驚愕!!】世界が恐れた”日本の戦国時代”が...
    【ゆっくり歴史解説】最強剣豪で人格クズ!幕末最強の知る人ぞ知る剣豪を解説【仏生寺弥助】
    • 【ゆっくり歴史解説】最強剣豪で人格クズ!幕末...
    【ゆっくり解説】【衝撃!】出雲大社の正体とは?/謎の巨大神殿はあったのか?/なぜ「しめ縄」が逆なのか?
    • 【ゆっくり解説】【衝撃!】出雲大社の正体とは...
    【ゆっくり解説】首切りを3回も耐える「高橋お伝」がヤバい…/なぜ山田浅衛門は一発で仕留めなかったのか?
    • 【ゆっくり解説】首切りを3回も耐える「高橋お...
    【閲覧注意!!】号泣…生き地獄すぎる『会津戦争の女性たちの悲惨な最期』がヤバい…【ゆっくり解説】
    • 【閲覧注意!!】号泣…生き地獄すぎる『会津戦...
    【ゆっくり解説】【日本恐ろしすぎ!】モンゴルが日本を欲しがった本当の理由とは?/鎌倉幕府を滅亡に追い込んだ元寇前夜を詳しく解説!【元寇・文永の役】
    • 【ゆっくり解説】【日本恐ろしすぎ!】モンゴル...
    【ゆっくり解説】【日本人が怖すぎ!!】世界が恐れた「鎌倉武士」がヤバすぎた…/なぜ重装弓騎兵だったのか?【元寇・文永の役・弘安の役・蒙古襲来】
    • 【ゆっくり解説】【日本人が怖すぎ!!】世界が...
    【驚愕!!】縄文時代に老人がいない理由がヤバい…これはガチで眠れなくなる…【ゆっくり解説】
    • 【驚愕!!】縄文時代に老人がいない理由がヤバ...
    【閲覧注意!】謎の超美少年…信長が愛しすぎた”森蘭丸”がヤバい…/森蘭丸の生涯と信長の知られざる関係とは!?【ゆっくり解説】
    • 【閲覧注意!】謎の超美少年…信長が愛しすぎた...
    【ゆっくり解説】【衝撃!】未だ解明不可能!”日本刀が作れない理由”/切れ味抜群の日本刀がヤバすぎる。
    • 【ゆっくり解説】【衝撃!】未だ解明不可能!”...
    【驚愕!!】ヤバすぎる”戦闘集団「隼人一族」”とは何者なのか?【ゆっくり解説】
    • 【驚愕!!】ヤバすぎる”戦闘集団「隼人一族」...
    ◆シリーズはコチラです◆
    『室町時代』シリーズ
    • 室町時代
    『鎌倉時代』シリーズ
    • 鎌倉時代
    『江戸時代』シリーズ
    • 江戸時代
    『平安時代』シリーズ
    • 平安時代
    『戦国時代』シリーズ
    • 戦国時代
    『幕末』シリーズ
    • 幕末
    『古代』シリーズ
    • 古代
    『日本軍』シリーズ
    • 日本軍
    『近代史』シリーズ
    • 近代史

КОМЕНТАРІ • 10

  • @user-lr2cf3rv8j
    @user-lr2cf3rv8j 2 місяці тому +2

    えー…
    新選組はまず長州系過激浪士の首魁と見られていた宮部鼎蔵を捕らえようと、宮部が京で定宿としていた、古高俊太郎(桝屋喜右衛門)邸に踏み込んだんですね
    ところが古高は間一髪、宮部を逃がしてしまった
    そこで逃げた宮部の捜索のために出動したのです
    (古高が拷問で自供したのは自分の本名のみ
    彼にも宮部の行方はわからなかったでしょうし、例の『逆さ吊り』などはやっていません
    『逆さ吊り』どころか、拷問が行われた前川邸を見ると、本当に人を吊ったりできたのかも怪しいようです
    ただし、たまに行われる前川邸の見学会では『古高は吊られた』と説明されているようです
    その方がドラマチックですからね…)
    新選組や会津、桑名は、果して宮部は「大勢の仲間達と一緒に居た」のか、「目立たないように1人、または少人数で潜んでいた」のかまでは「わからなかった」のです
    会津は「新選組は宮部鼎蔵を捜索中なのだ」と言う認識だったかと思われます
    ですから早めに援軍を出す事はなかったんですね…
    仮に最初から「大人数が何処かに集まっていた」と言う事を把握していたとしたなら(結局その後「禁門の変」が始まって会津と長州は完全に敵対してしまいましたし)会津や桑名は最初から大人数の援軍を早めに出していたと思います
    (そうでなければ自藩の恥となるので)
    また新選組も「大人数の会合」を把握していたなら、近藤隊10名、土方隊24名(この24名が更に3隊に分かれて捜索したそうですが)と言う危険、かつアンバランスな分け方はしなかったと思われます
    なお沖田総司が戦闘中に倒れたのは、祇園祭の宵宮と言う暑さの中での捜索の熱中症と言う説が有力で、この時はまだ結核に罹患していなかったか、吐血するほどの重症ではなかったであろうと言われ、また土方歳三が後から駆けつけた会津桑名の兵を池田屋の中に入れなかったと言うのも小説「燃えよ剣」の創作です
    力関係では圧倒的に会津>>>新選組でしたから(芹沢鴨暗殺も会津の命令である可能性が高いです)実際は土方にもそんな事はできなかったのです
    後から池田屋の報を聞いた会津や桑名は池田屋から逃げた浪士を追ったり、他の場所にも怪しい浪士が潜んでいないか?と言う「ローラー作戦」を開始していました
    この「ローラー作戦」は池田屋事件後も数日間続きました
    なお近藤勇はこの池田屋事件の僅か20日前に会津藩に
    「我々は京の治安維持の為に来たのではなく、あくまでも将軍様の警護と攘夷のたむに来ました
    しかし将軍様は江戸に帰ってしまわれました
    そして近頃は江戸や多摩に天然理心流の弟子も大分増えたと聞きましたので、新選組を解散して江戸に帰りたいのです」
    と言う「解散伺い」を立てていたのですが(故郷に向けた近藤勇の手紙より)、京の治安維持の手が圧倒的に足りなかった会津は新選組の解散を許可しませんでした
    そしてそのうち池田屋事件が起きてしまったのですが…
    近藤が池田屋事件直前に新選組解散伺いを立てていたと言う事は、新選組は池田屋事件の前までは自分達が京の警護でのし上がってやろうと言う野心などは持っていなかったのではないか…とも考えられます

  • @user-qf7yg6mx3b
    @user-qf7yg6mx3b 5 місяців тому +1

    池田屋と近江屋の跡地は京都市が買い取り再建して資料館にすればいいのに
    再建された寺田屋も見学客が多く来てるし。

  • @user-wg2sx7og8g
    @user-wg2sx7og8g 2 місяці тому +1

    この頃の新選組は解散の危機があったから池田屋事件が無かったらそのまま消滅してたんだよね

  • @user-ju5wc5kn6t
    @user-ju5wc5kn6t 5 місяців тому +3

    池田屋は今は居酒屋🏮さんです😊

    • @motoyukihirai777
      @motoyukihirai777 5 місяців тому +1

      はなの舞が経営してますね。入ったことあります。

    • @user-ju5wc5kn6t
      @user-ju5wc5kn6t 5 місяців тому +2

      @@motoyukihirai777 さん
      居酒屋🏮の前はパチンコ🎰屋さんでしたよ😊

  • @user-yq8ci1jf9x
    @user-yq8ci1jf9x 5 місяців тому

    今の党でも「保守勢力」が「憲法改正」を主張してて、
    「革新政党」が「憲法を守ろう」と云ってるね。

  • @shibukiable
    @shibukiable 5 місяців тому

    斎藤一の写真が間違ってますよ。