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毎回ありがとうございます。個人的には、3番を付けた日本人に毎レース期待した思い出があります。中嶋さんがいなくなったあとに、無くなりかけていた楽しみを与えてくれた一年でした。この翌年から見なくなったなぁ。
ティレル、ネタ大好きです。好きなチームでした。今後もティレルネタよろしくです。
ありがとうございます。次回もやりますよ!
カミカゼ右京が覚醒し飛躍したマシーンですよね。軽量高スペックのエンジンと相反する脆さ儚さは日本刀の様でしたね。3周走ってるんでギリギリフルオートならずって所なんでしょうね。遠い昔の水タンクといいティレルって伝統的にギリギリアウトに近いのアイデアを繰り出しますね。大好きです。
マイフェイバリットマシン:ティレル022のご紹介、ありがとうございます!♪ パーツの大部分が外注(とにかく壊れましたw 多分これによって数十ポイントは失ったのではないでしょうか)、度重なる1994シーズン中の空力規制改定により地上高を高めに作られたフロントウイング(単体性能というよも、グランドエフェクト効果増の為のウイング)が結果としてマイナスに働き、少しづつアンダーステアの傾向が出てきてしまったのが鈴鹿・日本グランプリでの失速につながってしまった気がしますそれでもドイツ&ハンガリーの予選5番手、カナダ&ベルギー&イタリア&ヨーロッパで当たり前の様にウィリアムズ、ベネトン以外の上位チームをごぼう抜きしていく光景は日本人として率直に嬉しかったです ヤマハOX10AV10エンジンもイタリアGPでのK1、K2、K3スペックでほぼ完成の域に達していたのにも関わらず、鈴鹿・日本GPで「俺達の右京の為に究極のエンジンを作ろうぜ!!!」と意気込んで製作、投入したスペックU(右京のU、ウルティメイト「究極」のU)が空回りしてトラブったのも今となっては良い想い出ですw トラブルが無ければ、サンマリノ、ドイツ、ハンガリー、ベルギー、イタリアでは、右京さんが表彰台に乗れていたのではと夢見てしまいます
次回も楽しみにしています、特にドライバー(ブランデルの事をよく知らないので)の話をたっぷり聞けるということで。
個人的見解ですが、あの022Cってマシンはカッコいいと思いました。かなりカラーリングは不評でしたが。高校野球選手のユニフォームみたいとかと言われて。だが性能は間違い無くヤマハエンジン搭載マシン最強だったはずです。日本人乗車マシンの中でも思い出が強い一台と思います。
モンツァやエストリルでほぼ最後尾から猛追した走りが忘れられないですねぇ
岡山英田サーキットには95年行きました。新幹線の岡山駅からバスで確か2時間は乗ったような気がします。なんと不便なところにあるなーっと思って帰りが特に疲れましたね、、、ポールは確かヒルだったかな、、ストレート区間の上が陸橋みたいになっていたような気がします。結果はご承知の通りなんだかんだでミハエルが勝って2年連続ワールドチャンピオンですね。初めてのf1の観戦だったんですがやっぱりテレビと迫力が全然違いました。フェラーリV12の生サウンドよかったー。今から思えばもうあの音は聞けないんですよねー。あとフォルティコルセってマシンがあったんですが、実際みたらめちゃくちゃ早かったです。モレノさんだったかな。マクラーレンは若きマグヌッセン(ケビンのパパ)がスポットで乗ってました。懐かしい。022は良いマシンでした。右京さん1回くらい表彰台に上って欲しかったですね。鈴鹿の予選、、デグナーだったかな。ギアが落ちなかかったんんですよね。で14番手。うーんて感じ。ブランデルが表彰台に1回上がりましたね。(ヘルメットカメラがついてました。オンボード映像凄かった。)
やっぱ94年はティレル、右京さん、ヤマハエンジンが輝きましたよね!ハーベイさんは、やっぱ凄いなーって感じました。右京さん予選も速かったし、ホッケンで一時2位走行はしびれましたね。フラビオはJTまで横取りしたんか笑あの方はお金に相当鼻が効くんやな笑今回も面白かったです!ありがとうございました😊
しゅうさん毎度です。ベネトンとJTは略奪愛っぽい恋愛結婚ですな。JTのひとめぼれ的な。(´∀`*)ウフフ
@@FormulaIneChannel ははは!うまい表現!笑
最終的に鈴鹿のUスペック(右京の略)で750馬力を達成しました!他チームから「ティレルはストレートでは抜けない!」と言われるようになっていました。もう、「雑魚スピード」と揶揄されたV8の面影はどこにもありませんでした。
ハーベイ博士が3年越しでやりたかった、軽量エンジンをシャーシに合わせて作るマシン!
見た目はオーソドックスながらニューマチックバルブからセミオートマまでコンプレッサー駆動というなかなかの変態マシンパーツ品質にお金をかけられなかったのが痛い高速サーキットでビックリするくらい速かった片山右京さんは本物のレーシングカーに初めて乗ったと評していましたね
ティレル022はいいマシンだったんですけどね・・・時折見せる速さは当時感動したものです。特にイタリアGPでの右京の走りはよかったです。当時TVで見てた時あのウィリアムズ2台の後ろにピッタリつけていたからついにトップを狙えるマシンだなーと思いましたが、いかんせんトラブルが多かったですね。94年はシムテックS941とパシフィックPR01を思い出すw
ポンさん、毎度です。そうなんですのね。いいマシンなはずなんですけどなぜかトラブル多発。辛いですよね。
お疲れ様です!7:28〜のはハーベイさんの素晴らしいコンセプトはヤマハにとってもまさに『ヤマハらしい作り』…バイクもエンジン屋のホンダと車体屋のヤマハですからね😅022は外注部品の品質に泣かされましたね💦イタリアGPのブレーキトラブルも…あれがなければ右京さん間違いなく3位になれたのに…
毎度です!後一歩なんですけどね。この年が本当に運命の別れ道ですな。考えれば考えるほど悔しくて。91年よりも悔やまれる年かもしれません。
@@FormulaIneChannel さんホントですね〜ヤマハエンジンもパワーアップして、乗りやすいシャーシでもあって速さはあったのに…ドイツGPのスロットルバルブの組付(締付)ミスも悔やまれます😅
毎度楽しませて頂いております☆確かにこの年から95~96年のJTの所謂『マイセン推しスポンサード』は金額的にもかなり肝が据わってましたよね。しかしながら94年に奇妙な程に運を呼び込めなかった右京のリザルトは悔やんでも悔やみ切れませんね(後年の琢磨とバトンの関係に似てますよねw)。仮に94年に表彰台込みのある程度のリザルトを残していたら …、あるいはその後のグランプリレギュラーの地位が確保出来ていた可能性も…、でも仮に好成績を残して95年からベネトンの契約書にサインして移籍なんかしてたら…、後の『皇帝』専用マシンに苦しんだ挙げ句、シーズン途中で解雇なんて可能性も高かった訳で…、勝負に『if』は無いとは言え、やはりグランプリは『選ばれし者』しか主役になれないんですね😢でも94年シーズンの右京のサムライ振りは多くのグランプリファンを楽しませてくれました❗感謝❗次回も楽しみにしております♪
Takashiさん相変わらず素晴らしいコメント力脱帽いたしませうぜぃ!次回はドライバー二人の角度からガッツリ攻めてみます!
私はティレル022はザウバーC12に非常に良く似ていると思います。ですから、1994年は堅実な成績を収めることができたのかもしれません。もちろん、両車は細かい所は違うかもしれませんが、傍から見ればカラーリングが違うだけでおなじマシンじゃないのって感じです。ふたりのドライバーはよく頑張りましたし、前年ノーポイントだったティレルに大躍進といってもいい結果をもたらしてくれました。しかしかし、翌年からまたおかしくなってしまったんですよね。ティレルは。
毎度です😀この車体バージョンは、ボーテックスジェネレーターの撤去、ディフューザーの短縮などが見られるので、シーズン中にレギュレーション変更を行ったスペインGP以降のものと思われます。
いつもありがとうございます。確かにそうですな。またやっちゃいましたな。ご愛嬌ということでご勘弁くださいませ。
改めて見直しましたが、側面から見たときに路面と底面の間が広く見える(車体が腰高に見える)ので、底面にスキッドプレートが装着され、簡易的なステップボトムとなったドイツGP以降のモデルのようです。
@@こどおじ46歳 フムフムなるほど。
みんな大好きティレル(笑)022最初見たときは「なんじゃこの真っ白なマシンは?」でした、スポンサーいないときのティレルっていわゆるティレルブルーのイメージ強かったので。でも、片山、ブランデルの活躍もありこの真っ白なマシンが大好きになりました。当時買った022のパネルが今でも飾ってあります
Oz-Rさん、毎度です。本当になんの変哲もないこのマシンがカッコよく見えてきますのね。テレビにかじりついて滅多に映らない白を探すんです。
この頃のJTは民営化後の上場を実現するために世界の投資家に対してPR活動していた時でしたね。
マーク・ブランデルといえば、92年の夏にSUGOで行われたマクラーレンホンダのデモランで初めて見たF1ドライバーでした。当時は確かマクラーレンのテストドライバーだったと記憶してます。
うっ羨ましい...
現実的にティレル最後の輝きだった022ですね。(最後になった026も悪くはなかったようですが)しかし右京さん、完走4回でしたか。印象が強い年だったせいか驚きです。言われるまで考えた事なかったですが、確かにザウバーC12にそっくりでしたね^^;
私はザウバーの方が黒いからか、当時は速そうに見えました。
毎度です。コメントいつもありがとうございます。そうなんですよ。完走4回って少ないですよね。私も改めて調べてみてびっくりですよ。デザイナーが凄く動く時代だったのでこういうの本当に多いんですよね。BT55とMP4/4もコンセプト一緒だったりもしますしね。もうぐちゃぐちゃですな。あはは
94年は右京さん覚醒か?の年(姉の死去と自身のガン宣告、後に誤診と発覚)にこの022がよくマッチしてセナ、ラッツェンバーガー死去で沈滞ムードのF1シーンを盛り上げてくれましたよね。タラレバ言えばキリがないですが┈。
岡山国際(当時は英田)というより、モントリオールのコースっぽく見えますね。ティレルは資金の問題=マーケティング下手が付いて回るんですよね。それにしては、この022はシンプルながら基本がしっかりしたよくできたマシンでした。中堅チームが目指すべきコンセプト(現代にも通用する考え)だと思います。
亜久里さんもそうだけど、右京さんもベネトンに乗って欲しかったなぁ。シューマッハースペシャルと言われた車だから、勝てなくても表彰台には登れたかも。
シンプルなカラーリングでかっこいいマシンでしたね。英田じゃなくて右京が2位快走したドイツGPが良かったです。
次回はドイツホッケンハイムをガッツリ走りますぜぃ!
個人的には022Cは暗黒期から抜け出すのに最適はマシンだったと思います。アンヘドラルウィングのような冒険ではなく、シンプルなコンセプトで、ベストバランスのマシンで、流石はハーベイ&マイクのコンビだったのではないでしょうか。結果はカミカゼ右京が予選で速さを見せて、確かMBも表彰台に上がりました。残念なのはこういった好機を巧く活用できないチームマネジメントの不器用さですね。
022って、ガスコインのデザインだったんですね!後にジョーダンやトヨタでテクニカル・ディレクター務めた土台はたいれるで経験値を重ねてたのですね。
コメントありがとうございます。そうなんですよね。シャーシのデザイナー名ってテクニカルディレクターの名前が前に出ることが多くて実際デザインしたのは別の人だったりすることもあるんですよね。019もジャンクロードミジョーだったりしますし。もちろん決定権がハーベイさんにあったのでハーベイさんのデザインとも言えますし。うーん🧐ムズイ。
@@FormulaIneChannel ガスコインさんデザインのシャシーって、凄い角張ってゴツゴツしてる印象が強くてですねw空力効率悪そうなのに、実は速いw当時とレギュレーションが大きく変わった今でも不思議ですねw
022。右京さんの記憶に残るマシン。速かった右京さん。でも、マシントラブルの多さに何度悔しい思いをしたか。資金がないとパーツ等の品質が落ちるんでしょうね。ブランデルさんが2位になったのですから、右京さんも表彰台に立って欲しかった。ご本人が一番そう望んでいたと思います。
ゆめさん、いつもありがとうございます。確かにその通りですね。次回その辺を私感情むき出してお話させて頂きます!
いいですね。楽しみです!😃
ティレルは、グレーゾーンを上手く使うんですよね!019には、車高調制が付いていましたよね!FIAに、バレなかったそうですね!
確かこの車は一応セミオートマですけどフロアに従来のシフトレバーが備わっていたんですよね。右京さんがまだセミオートマの扱いに慣れてないときに某トーク番組で「スピンしそうになったらついシフトレバーに手が行ってしまう」と話していて、「えっ、パドルだけじゃなくシフトレバーもあるの?」と驚いた記憶があります。
そうなんですよね。もともとセミオートマいつでも入れられるように準備してのシーケンシャルだったので、併用はありましたね。そんな車他にもありましたね。ジョーダンも確かシーケンシャルのシフト残してたような。
@@FormulaIneChannelえっ、パドルシフトとシーケンシャルシフトの両方が付いていたんですか。ティレル022って。
93年のザウバーのようなノーズでしたね。個人的には最後尾から追い上げたヘレスの7位はベストレースの一つですね、きちんとスタートしてたらポイント取れてたはず。
ザウバーの93年マシンC12はハーベイ・ポスルズウェイトが作った車ですからティレル022にもいくつかの共通アイディアは継承されていたんでしょうね。
ティレル022は昨年、ノーポイントに終わった020Cと021の発展型でヤマハエンジンとマッチングがピッタリ噛み合った信頼性は低かったが、名門復活の兆しが見え隠れした
奇抜なデザイン(F92A)みたいなの出して成績悪いより原点に戻ってオーソドックスなデザインにした方が良いって事でしょうかね次回も楽しみにしています♪
資金不足でのホワイトベースカラーが日本っぽくて好きだった。バランスのチョイハイノーズ。信頼性があれば興奮波乱のドイツ。
まだここからは先の話だが、高木虎之助がドライブするまでが、愛憎と苦節ティレルのストーリーですね。
ですね!これはもうライフワークになりそうな予感ですな!死ぬまでに完結させましょう!😁
ティレル浮上の為に登場させたのが022であって、カラーリングも白を重点的だったし、新生ティレルが1からスタートするための意気込みを感じられたね。このマシンで右京は再評価を得たし、絶賛だったし、マシンやエンジンによるトラブルが多かったけども本来の位置に這い上がるために決して無理をしない八十点的な感じだったし、そういう点ではまずまずだったんじゃないかな。だけども、トラブル的なたらればが多かったのが悔やまれるし、そういう面が解消されてたならマクラーレンとコンストラクターズ4位を争ってたかもよ。
片山右京がスゴく速かったマシンですね。マーク・ブランデルに予選で勝つことが多かった❗ちなみに私の大好きなドライバーはマーティン・ブランドル。ぜひ混戦の中爆走するベネトンB192をお願いします。
マーティンさんの方ですね。ベネトンをやらなきゃならんですね。そろそろ。
右京さんがこんなに速かったのには色々な巡り合わせがあったのですねえ。その背景をしっかり考察されているのに感服です。当時沢山あったF1専門誌でも触れられてなかったと思います。モヤモヤの1つは鈴鹿でいまいちだったこと。次のお話楽しみにしています‼️
片山右京さんがティレルチーム在籍時代、最も成績の良かった時のマシン「022」はシャシーの形がどことなく、マクラーレンの「MP4/8」(93年版)に似てますよね。(笑、(*^^)v)
右京さんとブランデルさんのコンビが1995年継続されていたらと思うと残念に思う。右京さんもティレルに残るなら、「もう1年ブランデルさんと」と言ってほしかったなあ。
って言うか、岡山国際はこんなに木が「ボーボー」に生えてないですよ
確かにイメージ違うなって思ってたんですけども、見つけられる限りでは2種類あったんですけど今回使ったのが1994バージョンだそうでもう一つの方が今の岡山国際にそっくりでした。ただ94年の車走らせるのにレクサスの看板があるサーキットはちょっとと思ってしまいまして。
あれ?コンスト7位だったっけ・・・?もっと速かった記憶が。と思って当時の順位を確認してみると、ルノーを得て復調のリジェと復活したジョーダンが上にいるのですね。8ポイントで6位だった92年に対して、13ポイント取っても7位ですから少し可愛そうな気が。
毎度です。そうなんですよ。13ポイントで7位なんです。この年って実はデータだけ見ると車はそこそこで、ドライバーの速さが光ってる年なんです。
確かインダクションポッドが変なバージョンがあったような無かったような…右京がベネトンに行ってたら…と今でも思います。JTの後ろ盾もあったのに。
モントリールのカナダGPですよね 規則変更で「エンジンへの空気の送り込みのラム圧を低下させるよ だから各チーム、規定の大きさの穴を開けて空気を逃がしなさい」というお達しがあり、それを一番真面目に解釈して新規設計変更してまで「ブツ切り」のインダクションポッドにしてきたのがティレルだけでした 他のチームは既存のインダクションポッドの背中に穴を開けてきた程度のもの 翌戦のマニクールのフランスGPでは流石にティレルも同じ様な方式に変えてきました 「真面目に受け取る、少しでも抜け穴が無いかを探す、言われたらやる」それぞれの人となりが出て面白いです
おおっありがとうございます!そうなんですよね。この年はレギュレーションがシーズン中に3回も変わってるのでその度に各チーム大騒ぎでしたから。
@@hirokazutakahagi あの時だけ煙突みたいになってましたね。
@@こどおじ46歳 当時はテレビ中継で見た瞬間「うわっ、ダセッ!!」と思ってしまった思い出がありますw 翌戦のフランスGPで元のインダクションポッドの形に戻って安堵した記憶も でも今となってみると、1シーズン限定ならあれでも悪くないなと思ったり♪ 右京さん、足回りのトラブルが無ければスピンもせずにモントリオールでも入賞していたんでしょうねぇ。。。
レギュレーションの解釈といえばその後のヘッドプロテクターも正直チームとそうじゃないチームとで色々ありましたね(笑)
初めて見た時 MP4/8かと思った。ザウバーかぁ(^_^;)
ティレルがなくなるまでやって欲しい
頑張ります!
ティレル022 片山右京選手が一番輝いたマシン。昨年までのティレルブルーから真っ白なマシンでびっくりした記憶があります。早いんだけどガラスのマシン。チームのポカミス(ドイツGP)や品質管理の甘さからのリタイアと、ここ一番でダメでした。ヤマハに合わせたマシンと言うより、前年の成績が酷すぎて態勢立て直しの為、実績のあったC12のコンセプトを使いまわしてヤマハ仕様にしただけですよねw開発期間も短くて、サスペンションのジオメトリとかは前年の021から使いまわしてましたし。ガスコインさんは同じ人間がデザインしたんだから、同じようなマシンになるのは仕方ないって言い訳してましたけどwマイセンは同じくキャメルに去られたロータスが獲得寸前で、横からブリアトーレがかっさらって行ったと、当時今宮さんがおっしゃっておられました。
コメントありがとうございます。あはは🤣確かにその通り。言い方ですな!😁
品質管理の問題は1991年の020の時にもあったみたいですね。
何故でしょう?ティレルの話は良い話も悲惨な話も癒しとして確立しているのは?そして良い話にも必ずオチがある。最近はボブという単語を聞いただけで笑えます。
アハハ!笑ってしまいました。Nagaoさん、最高!
@@FormulaIneChannel さんこれも動画を作成して下さってるおかげですよ。ボブだけで笑えるようになったのも自分で驚きです。
この022をピークにしてティレルは凋落の道を辿るわけですが…その話は次回かな?
次回も022でございます。その後のお話はまたそのうちに。
マイセンスポンサー横取りがなければ資金は余裕ができたわけで…銭に鼻の効く?フラビオブリアトーレの影がチラつくんですが(笑)
そうですな!さすがブリアトーレ!JTもついにダークサイドに落ちましたな笑
その差がボブとの違いですよ
このマシンが93年にあれば、どうなっていたことか
どうなっていたんでしょう…ある程度ポイントとれて、94年マイルドセブンとタイトルスポンサー契約。パーツガンガン新しいのにして完走率向上。ポディアム多数。右京さん、初優勝。妄想って楽しい。
パッシブサスだとしたら、同じリジェとザウバーがライバルになってたかな?022は信頼性が低いので、リジェより下になってザウバーC12との勝負かな?というか、実質同じ車でしたね😅
TOP4チームが022を運用していたら相性の良かった高速コースなら勝てていたかも知れません。
これは斬新な妄想、面白いですな!勝ててたかもしれませんな!
いねむり片岡?
イネムリ片山ですね。 イネムリは私の源氏名で、私が運転してる車が片山右京さんの車なのでinemuri KATAYAMAと。毎回こんな感じで表示してます。
毎回ありがとうございます。
個人的には、3番を付けた
日本人に毎レース
期待した思い出があります。
中嶋さんがいなくなったあと
に、無くなりかけていた
楽しみを与えてくれた
一年でした。
この翌年から見なくなったなぁ。
ティレル、ネタ大好きです。好きなチームでした。今後もティレルネタよろしくです。
ありがとうございます。次回もやりますよ!
カミカゼ右京が覚醒し飛躍したマシーンですよね。軽量高スペックのエンジンと相反する脆さ儚さは日本刀の様でしたね。3周走ってるんでギリギリフルオートならずって所なんでしょうね。遠い昔の水タンクといいティレルって伝統的にギリギリアウトに近いのアイデアを繰り出しますね。大好きです。
マイフェイバリットマシン:ティレル022のご紹介、ありがとうございます!♪ パーツの大部分が外注(とにかく壊れましたw 多分これによって数十ポイントは失ったのではないでしょうか)、度重なる1994シーズン中の空力規制改定により地上高を高めに作られたフロントウイング(単体性能というよも、グランドエフェクト効果増の為のウイング)が結果としてマイナスに働き、少しづつアンダーステアの傾向が出てきてしまったのが鈴鹿・日本グランプリでの失速につながってしまった気がします
それでもドイツ&ハンガリーの予選5番手、カナダ&ベルギー&イタリア&ヨーロッパで当たり前の様にウィリアムズ、ベネトン以外の上位チームをごぼう抜きしていく光景は日本人として率直に嬉しかったです ヤマハOX10AV10エンジンもイタリアGPでのK1、K2、K3スペックでほぼ完成の域に達していたのにも関わらず、鈴鹿・日本GPで「俺達の右京の為に究極のエンジンを作ろうぜ!!!」と意気込んで製作、投入したスペックU(右京のU、ウルティメイト「究極」のU)が空回りしてトラブったのも今となっては良い想い出ですw トラブルが無ければ、サンマリノ、ドイツ、ハンガリー、ベルギー、イタリアでは、右京さんが表彰台に乗れていたのではと夢見てしまいます
次回も楽しみにしています、特にドライバー(ブランデルの事をよく知らないので)の話をたっぷり聞けるということで。
個人的見解ですが、あの022Cってマシンはカッコいいと思いました。かなりカラーリングは不評でしたが。高校野球選手のユニフォームみたいとかと言われて。だが性能は間違い無くヤマハエンジン搭載マシン最強だったはずです。日本人乗車マシンの中でも思い出が強い一台と思います。
モンツァやエストリルでほぼ最後尾から猛追した走りが忘れられないですねぇ
岡山英田サーキットには95年行きました。新幹線の岡山駅からバスで確か2時間は乗ったような気がします。なんと不便なところにあるなーっと思って帰りが特に疲れましたね、、、ポールは確かヒルだったかな、、ストレート区間の上が陸橋みたいになっていたような気がします。
結果はご承知の通りなんだかんだでミハエルが勝って2年連続ワールドチャンピオンですね。初めてのf1の観戦だったんですがやっぱりテレビと迫力が全然違いました。フェラーリV12の生サウンドよかったー。今から思えばもうあの音は聞けないんですよねー。
あとフォルティコルセってマシンがあったんですが、実際みたらめちゃくちゃ早かったです。モレノさんだったかな。マクラーレンは若きマグヌッセン(ケビンのパパ)がスポットで乗ってました。懐かしい。022は良いマシンでした。右京さん1回くらい表彰台に上って欲しかったですね。鈴鹿の予選、、デグナーだったかな。ギアが落ちなかかったんんですよね。で14番手。うーんて感じ。ブランデルが表彰台に1回上がりましたね。(ヘルメットカメラがついてました。オンボード映像凄かった。)
やっぱ94年はティレル、右京さん、ヤマハエンジンが輝きましたよね!
ハーベイさんは、やっぱ凄いなーって
感じました。
右京さん予選も速かったし、ホッケンで一時2位走行はしびれましたね。
フラビオはJTまで横取りしたんか笑
あの方はお金に相当鼻が効くんやな笑
今回も面白かったです!
ありがとうございました😊
しゅうさん毎度です。ベネトンとJTは略奪愛っぽい恋愛結婚ですな。JTのひとめぼれ的な。(´∀`*)ウフフ
@@FormulaIneChannel ははは!
うまい表現!笑
最終的に鈴鹿のUスペック(右京の略)で750馬力を達成しました!
他チームから「ティレルはストレートでは抜けない!」と言われるようになっていました。もう、「雑魚スピード」と揶揄されたV8の面影はどこにもありませんでした。
ハーベイ博士が3年越しでやりたかった、軽量エンジンをシャーシに合わせて作るマシン!
見た目はオーソドックスながら
ニューマチックバルブからセミオートマまで
コンプレッサー駆動というなかなかの変態マシン
パーツ品質にお金をかけられなかったのが痛い
高速サーキットでビックリするくらい速かった
片山右京さんは本物のレーシングカーに
初めて乗ったと評していましたね
ティレル022はいいマシンだったんですけどね・・・
時折見せる速さは当時感動したものです。特にイタリアGPでの右京の走りはよかったです。当時TVで見てた時あのウィリアムズ2台の後ろにピッタリつけていたからついにトップを狙えるマシンだなーと思いましたが、いかんせんトラブルが多かったですね。
94年はシムテックS941とパシフィックPR01を思い出すw
ポンさん、毎度です。そうなんですのね。いいマシンなはずなんですけどなぜかトラブル多発。辛いですよね。
お疲れ様です!
7:28〜のはハーベイさんの素晴らしいコンセプトはヤマハにとってもまさに『ヤマハらしい作り』…
バイクもエンジン屋のホンダと車体屋のヤマハですからね😅
022は外注部品の品質に泣かされましたね💦イタリアGPのブレーキトラブルも…あれがなければ右京さん間違いなく3位になれたのに…
毎度です!後一歩なんですけどね。この年が本当に運命の別れ道ですな。考えれば考えるほど悔しくて。91年よりも悔やまれる年かもしれません。
@@FormulaIneChannel さん
ホントですね〜
ヤマハエンジンもパワーアップして、乗りやすいシャーシでもあって速さはあったのに…
ドイツGPのスロットルバルブの組付(締付)ミスも悔やまれます😅
毎度楽しませて頂いております☆確かにこの年から95~96年のJTの所謂『マイセン推しスポンサード』は金額的にもかなり肝が据わってましたよね。しかしながら94年に奇妙な程に運を呼び込めなかった右京のリザルトは悔やんでも悔やみ切れませんね(後年の琢磨とバトンの関係に似てますよねw)。仮に94年に表彰台込みのある程度のリザルトを残していたら …、あるいはその後のグランプリレギュラーの地位が確保出来ていた可能性も…、でも仮に好成績を残して95年からベネトンの契約書にサインして移籍なんかしてたら…、後の『皇帝』専用マシンに苦しんだ挙げ句、シーズン途中で解雇なんて可能性も高かった訳で…、勝負に『if』は無いとは言え、やはりグランプリは『選ばれし者』しか主役になれないんですね😢でも94年シーズンの右京のサムライ振りは多くのグランプリファンを楽しませてくれました❗感謝❗次回も楽しみにしております♪
Takashiさん相変わらず素晴らしいコメント力脱帽いたしませうぜぃ!次回はドライバー二人の角度からガッツリ攻めてみます!
私はティレル022はザウバーC12に非常に良く似ていると思います。ですから、1994年は堅実な成績を収めることができたのかもしれません。もちろん、両車は細かい所は違うかもしれませんが、傍から見ればカラーリングが違うだけでおなじマシンじゃないのって感じです。ふたりのドライバーはよく頑張りましたし、前年ノーポイントだったティレルに大躍進といってもいい結果をもたらしてくれました。しか
しかし、翌年からまたおかしくなってしまったんですよね。ティレルは。
毎度です😀
この車体バージョンは、ボーテックスジェネレーターの撤去、ディフューザーの短縮などが見られるので、シーズン中にレギュレーション変更を行ったスペインGP以降のものと思われます。
いつもありがとうございます。確かにそうですな。またやっちゃいましたな。ご愛嬌ということでご勘弁くださいませ。
改めて見直しましたが、側面から見たときに路面と底面の間が広く見える(車体が腰高に見える)ので、底面にスキッドプレートが装着され、簡易的なステップボトムとなったドイツGP以降のモデルのようです。
@@こどおじ46歳 フムフムなるほど。
みんな大好きティレル(笑)022最初見たときは「なんじゃこの真っ白なマシンは?」でした、スポンサーいないときのティレルっていわゆるティレルブルーのイメージ強かったので。でも、片山、ブランデルの活躍もありこの真っ白なマシンが大好きになりました。当時買った022のパネルが今でも飾ってあります
Oz-Rさん、毎度です。本当になんの変哲もないこのマシンがカッコよく見えてきますのね。テレビにかじりついて滅多に映らない白を探すんです。
この頃のJTは民営化後の上場を実現するために世界の投資家に対してPR活動していた時でしたね。
マーク・ブランデルといえば、92年の夏にSUGOで行われたマクラーレンホンダのデモランで初めて見たF1ドライバーでした。
当時は確かマクラーレンのテストドライバーだったと記憶してます。
うっ羨ましい...
現実的にティレル最後の輝きだった022ですね。
(最後になった026も悪くはなかったようですが)
しかし右京さん、完走4回でしたか。印象が強い年だったせいか驚きです。
言われるまで考えた事なかったですが、確かにザウバーC12にそっくりでしたね^^;
私はザウバーの方が黒いからか、当時は速そうに見えました。
毎度です。コメントいつもありがとうございます。そうなんですよ。完走4回って少ないですよね。私も改めて調べてみてびっくりですよ。デザイナーが凄く動く時代だったのでこういうの本当に多いんですよね。BT55とMP4/4もコンセプト一緒だったりもしますしね。もうぐちゃぐちゃですな。あはは
94年は右京さん覚醒か?の年(姉の死去と自身のガン宣告、後に誤診と発覚)にこの022がよくマッチしてセナ、ラッツェンバーガー死去で沈滞ムードのF1シーンを盛り上げてくれましたよね。タラレバ言えばキリがないですが┈。
岡山国際(当時は英田)というより、モントリオールのコースっぽく見えますね。
ティレルは資金の問題=マーケティング下手が付いて回るんですよね。
それにしては、この022はシンプルながら基本がしっかりしたよくできたマシンでした。
中堅チームが目指すべきコンセプト(現代にも通用する考え)だと思います。
亜久里さんもそうだけど、右京さんもベネトンに乗って欲しかったなぁ。シューマッハースペシャルと言われた車だから、勝てなくても表彰台には登れたかも。
シンプルなカラーリングでかっこいいマシンでしたね。英田じゃなくて右京が2位快走したドイツGPが良かったです。
次回はドイツホッケンハイムをガッツリ走りますぜぃ!
個人的には022Cは暗黒期から抜け出すのに最適はマシンだったと思います。アンヘドラルウィングのような冒険ではなく、シンプルなコンセプトで、ベストバランスのマシンで、流石はハーベイ&マイクのコンビだったのではないでしょうか。結果はカミカゼ右京が予選で速さを見せて、確かMBも表彰台に上がりました。
残念なのはこういった好機を巧く活用できないチームマネジメントの不器用さですね。
022って、ガスコインのデザインだったんですね!
後にジョーダンやトヨタでテクニカル・ディレクター務めた土台はたいれるで経験値を重ねてたのですね。
コメントありがとうございます。そうなんですよね。シャーシのデザイナー名ってテクニカルディレクターの名前が前に出ることが多くて実際デザインしたのは別の人だったりすることもあるんですよね。019もジャンクロードミジョーだったりしますし。もちろん決定権がハーベイさんにあったのでハーベイさんのデザインとも言えますし。うーん🧐ムズイ。
@@FormulaIneChannel ガスコインさんデザインのシャシーって、凄い角張ってゴツゴツしてる印象が強くてですねw
空力効率悪そうなのに、実は速いw
当時とレギュレーションが大きく変わった今でも不思議ですねw
022。右京さんの記憶に残るマシン。速かった右京さん。でも、マシントラブルの多さに何度悔しい思いをしたか。資金がないとパーツ等の品質が落ちるんでしょうね。ブランデルさんが2位になったのですから、右京さんも表彰台に立って欲しかった。ご本人が一番そう望んでいたと思います。
ゆめさん、いつもありがとうございます。確かにその通りですね。次回その辺を私感情むき出してお話させて頂きます!
いいですね。楽しみです!😃
ティレルは、グレーゾーンを上手く使うんですよね!
019には、車高調制が付いていましたよね!
FIAに、バレなかったそうですね!
確かこの車は一応セミオートマですけどフロアに従来のシフトレバーが備わっていたんですよね。右京さんがまだセミオートマの扱いに慣れてないときに某トーク番組で「スピンしそうになったらついシフトレバーに手が行ってしまう」と話していて、「えっ、パドルだけじゃなくシフトレバーもあるの?」と驚いた記憶があります。
そうなんですよね。もともとセミオートマいつでも入れられるように準備してのシーケンシャルだったので、併用はありましたね。そんな車他にもありましたね。ジョーダンも確かシーケンシャルのシフト残してたような。
@@FormulaIneChannelえっ、パドルシフトとシーケンシャルシフトの両方が付いていたんですか。ティレル022って。
93年のザウバーのようなノーズでしたね。
個人的には最後尾から追い上げたヘレスの7位はベストレースの一つですね、きちんとスタートしてたらポイント取れてたはず。
ザウバーの93年マシンC12はハーベイ・ポスルズウェイトが作った車ですから
ティレル022にもいくつかの共通アイディアは継承されていたんでしょうね。
ティレル022は昨年、ノーポイントに終わった020Cと021の発展型で
ヤマハエンジンとマッチングがピッタリ噛み合った
信頼性は低かったが、名門復活の兆しが見え隠れした
奇抜なデザイン(F92A)みたいなの出して成績悪いより原点に戻ってオーソドックスなデザインにした方が良いって事でしょうかね
次回も楽しみにしています♪
資金不足でのホワイトベースカラーが日本っぽくて好きだった。バランスのチョイハイノーズ。信頼性があれば興奮波乱のドイツ。
まだここからは先の話だが、高木虎之助がドライブするまでが、愛憎と苦節ティレルのストーリーですね。
ですね!これはもうライフワークになりそうな予感ですな!死ぬまでに完結させましょう!😁
ティレル浮上の為に登場させたのが022であって、カラーリングも白を重点的だったし、新生ティレルが1からスタートするための意気込みを感じられたね。
このマシンで右京は再評価を得たし、絶賛だったし、マシンやエンジンによるトラブルが多かったけども本来の位置に這い上がるために決して無理をしない八十点的な感じだったし、そういう点ではまずまずだったんじゃないかな。
だけども、トラブル的なたらればが多かったのが悔やまれるし、そういう面が解消されてたならマクラーレンとコンストラクターズ4位を争ってたかもよ。
片山右京がスゴく速かったマシンですね。マーク・ブランデルに予選で勝つことが多かった❗
ちなみに私の大好きなドライバーはマーティン・ブランドル。ぜひ混戦の中爆走するベネトンB192をお願いします。
マーティンさんの方ですね。ベネトンをやらなきゃならんですね。そろそろ。
右京さんがこんなに速かったのには色々な巡り合わせがあったのですねえ。その背景をしっかり考察されているのに感服です。当時沢山あったF1専門誌でも触れられてなかったと思います。モヤモヤの1つは鈴鹿でいまいちだったこと。次のお話楽しみにしています‼️
片山右京さんがティレルチーム在籍時代、最も成績の良かった時のマシン「022」はシャシーの形が
どことなく、マクラーレンの「MP4/8」(93年版)に似てますよね。(笑、(*^^)v)
右京さんとブランデルさんのコンビが1995年継続されていたらと思うと残念に思う。右京さんもティレルに残るなら、「もう1年ブランデルさんと」と言ってほしかったなあ。
って言うか、岡山国際はこんなに木が「ボーボー」に生えてないですよ
確かにイメージ違うなって思ってたんですけども、見つけられる限りでは2種類あったんですけど今回使ったのが1994バージョンだそうでもう一つの方が今の岡山国際にそっくりでした。ただ94年の車走らせるのにレクサスの看板があるサーキットはちょっとと思ってしまいまして。
あれ?コンスト7位だったっけ・・・?もっと速かった記憶が。
と思って当時の順位を確認してみると、ルノーを得て復調のリジェと復活したジョーダンが上にいるのですね。
8ポイントで6位だった92年に対して、13ポイント取っても7位ですから少し可愛そうな気が。
毎度です。そうなんですよ。13ポイントで7位なんです。この年って実はデータだけ見ると車はそこそこで、ドライバーの速さが光ってる年なんです。
確かインダクションポッドが変なバージョンがあったような無かったような…
右京がベネトンに行ってたら…と今でも思います。JTの後ろ盾もあったのに。
モントリールのカナダGPですよね 規則変更で「エンジンへの空気の送り込みのラム圧を低下させるよ だから各チーム、規定の大きさの穴を開けて空気を逃がしなさい」というお達しがあり、それを一番真面目に解釈して新規設計変更してまで「ブツ切り」のインダクションポッドにしてきたのがティレルだけでした 他のチームは既存のインダクションポッドの背中に穴を開けてきた程度のもの 翌戦のマニクールのフランスGPでは流石にティレルも同じ様な方式に変えてきました 「真面目に受け取る、少しでも抜け穴が無いかを探す、言われたらやる」それぞれの人となりが出て面白いです
おおっありがとうございます!そうなんですよね。この年はレギュレーションがシーズン中に3回も変わってるのでその度に各チーム大騒ぎでしたから。
@@hirokazutakahagi あの時だけ煙突みたいになってましたね。
@@こどおじ46歳 当時はテレビ中継で見た瞬間「うわっ、ダセッ!!」と思ってしまった思い出がありますw 翌戦のフランスGPで元のインダクションポッドの形に戻って安堵した記憶も でも今となってみると、1シーズン限定ならあれでも悪くないなと思ったり♪ 右京さん、足回りのトラブルが無ければスピンもせずにモントリオールでも入賞していたんでしょうねぇ。。。
レギュレーションの解釈といえばその後のヘッドプロテクターも正直チームとそうじゃないチームとで色々ありましたね(笑)
初めて見た時 MP4/8かと思った。ザウバーかぁ(^_^;)
ティレルがなくなるまでやって欲しい
頑張ります!
ティレル022 片山右京選手が一番輝いたマシン。昨年までのティレルブルーから真っ白なマシンでびっくりした記憶があります。早いんだけどガラスのマシン。チームのポカミス(ドイツGP)や品質管理の甘さからのリタイアと、ここ一番でダメでした。
ヤマハに合わせたマシンと言うより、前年の成績が酷すぎて態勢立て直しの為、実績のあったC12のコンセプトを使いまわしてヤマハ仕様にしただけですよねw開発期間も短くて、サスペンションのジオメトリとかは前年の021から使いまわしてましたし。ガスコインさんは同じ人間がデザインしたんだから、同じようなマシンになるのは仕方ないって言い訳してましたけどw
マイセンは同じくキャメルに去られたロータスが獲得寸前で、横からブリアトーレがかっさらって行ったと、当時今宮さんがおっしゃっておられました。
コメントありがとうございます。あはは🤣確かにその通り。言い方ですな!😁
品質管理の問題は1991年の020の時にもあったみたいですね。
何故でしょう?
ティレルの話は良い話も悲惨な話も癒しとして確立しているのは?
そして良い話にも必ずオチがある。
最近はボブという単語を聞いただけで笑えます。
アハハ!笑ってしまいました。Nagaoさん、最高!
@@FormulaIneChannel さん
これも動画を作成して下さってるおかげですよ。
ボブだけで笑えるようになったのも自分で驚きです。
この022をピークにしてティレルは凋落の道を辿るわけですが…
その話は次回かな?
次回も022でございます。その後のお話はまたそのうちに。
マイセンスポンサー横取りがなければ資金は余裕ができたわけで…銭に鼻の効く?フラビオブリアトーレの影がチラつくんですが(笑)
そうですな!さすがブリアトーレ!JTもついにダークサイドに落ちましたな笑
その差がボブとの違いですよ
このマシンが93年にあれば、どうなっていたことか
どうなっていたんでしょう…ある程度ポイントとれて、94年マイルドセブンとタイトルスポンサー契約。パーツガンガン新しいのにして完走率向上。ポディアム多数。右京さん、初優勝。妄想って楽しい。
パッシブサスだとしたら、同じリジェとザウバーがライバルになってたかな?
022は信頼性が低いので、リジェより下になってザウバーC12との勝負かな?
というか、実質同じ車でしたね😅
TOP4チームが022を運用していたら相性の良かった高速コースなら勝てていたかも知れません。
これは斬新な妄想、面白いですな!勝ててたかもしれませんな!
いねむり片岡?
イネムリ片山ですね。 イネムリは私の源氏名で、私が運転してる車が片山右京さんの車なのでinemuri KATAYAMAと。毎回こんな感じで表示してます。