私は農協に昔勤めていて、葬儀の道具を取り扱いをしていました。農協職員が祭壇を組み立ててました。葬儀は構組という組織があり葬式委員がいて土葬していました。火葬はわりと最近で、今ではセレモニーホールで葬儀してますが当時は自宅葬でした。
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あ 0057
このナンバーに何ともも言いがたい感情を抱いてしまいました🤣
今でも地方では火葬炉にランク無い所が多いと思いますが、東京では当時からあったのですね~。当時は最先端の宮型霊柩車、今だとレトロで逆に高級感があります
とても貴重な資料ですね!
今まで色々な古い霊柩車の画像を見る機会がありましたが
どれも初めて見るカラーの画像に感動しました♪すごい!
スライドショー希望
斉場萌さんが喜びそうな資料w
昭和62年に落合火葬場で兄を荼毘にした時、まだ昔の火葬場と言った感じだったのを思い出しました。
08:25~「堀之内・・・」
昔の邦画に出てきた。タイトルは忘れたが😓
霊柩車が名古屋風で黒檀の宮型、上級タイプになると京阪神で花輪代わりの樒(しきみ・しきび)に白布を付けたのが祭壇の両側にあるのを見て50年前の葬儀の様子が何となく解る気がします。
座棺の霊柩車はやっぱり無いよね⁉️
このパンフレット読んで観たいですね。
中国地方の田舎なので50年前だと市街地以外は、野辺送りして土葬がまだ残っていたと聞きました。さすが東京ですね。
あら火葬料も入ってお安いわ。ではなくて当時の給料や物価などの貨幣価値が気になりますね。現代よりかける費用は高いのか安いのか?興味深いですね。
お疲れ様ですm(_ _;)m
砂町斎場、北砂町にありました(笑)
1960年代はラーメン1杯が50円位ギャハハハ
谷塚は埼玉県草加市です。足立区や葛飾区の火葬をやるから東京のような気がしますけど。
昔の宣伝に、「ご家庭にあってはならない、世の中になくてはならない……」てのがあったな。昔も葬儀屋任せだったけど、葬式は家でやったぜ。
この当時の内容を今再現すると料金がどれくらいになるのか気になりますね!
火葬料が入ってるなんて!(゚A゚;)
調べたところ1960年前半は東京都は他府県と違い地名表示のないナンバープレートであり、これをシングルナンバーというそうです。
当時は営業車が黄色ナンバーで一般車が白ナンバーだそうです。
また軽自動車は一般車と同じ白ナンバーであるが一回り小さく、小板と呼ばれたそうです。
いまのように軽自動車が黄色ナンバーになったのは高速道路の普及により料金所で料金徴収する際に一目でわかるように変更された。とのことです。