Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
🎥番組のフル視聴(100分)はこちらからbit.ly/3CYIB47
「死ね」という騒ぎ散らかした表現は置いといて「タイパ(コスパ)主義批判」の何がいたたげけるわけにはいかないかってその先に続く言葉が大概の場合「タイパ(コスパ)効率の悪い俺の商品を買え!」で自分の一方通行でアンフェアな関係性を誰かに強要するためのレトリックとして利用されがちってことなんだよね旧態依然の誰かに負担をかけながら存在してるゾンビ事業の加害者たちが、DXの洗礼を受けて、まるで世を呪詛しながら焼失してくタイプの悪霊の断末魔をあげながら滅びていってる過程を見ているようで最高
しっかり勉強します!
AZUMA = out of date
視聴者は登場人物全員うなづくだけの番組に飽き飽きして東浩紀にたどりついたんじゃないのか?ひろゆきもしかり、傷つくことを恐れて否定しない集団に囲まれたらこうもつまらない作品になる。真似しても一円の価値にもならない友達が減るだけの屁理屈こねるくらいなら俺たちの求めている感情の戦いをみせろよ。本元は客を沸かせる戦士だろ。
@@professorchannel 、、しきのさ
東さんってなぜかエモいんだよなすごい心優しい人なんだろうなって分かる
タイパを求めるなら、生きてない方がいいこの一年で一番好きな言葉
成田さんの、コスパを追求するなら死んだほうがいいと一緒やな
@@blacksheepcat コスパは人によって原資が違うし、増やす事も可能だけど、時間は大体同じ、かつ総量は不明なんでね。余計に不毛感がある
確かに。ただ、なんでも数字で評価できる範囲内のことで全てを評価しようとする愚かさは一緒やな
@@blacksheepcat そんな気がしちゃいますよね
反論させてください。タイパの追求は否定できないと思います。人類史などに興味ある方は読んでください。まずタイパの追求は感情のアンインストールと同じであると考えます。映画の役者の機微や「間」に関しての感情をアンインストールしているわけですから、こう仮定するわけです。そうしますと、我々ホモサピエンスは30万年の間、最初のサバンナという偶然的な環境にのみ適応した感情を多数アンインストールしてきた事実があります。特に農耕や商業の発達以降、都市で生活する中で不要になってきたデフォルトのソフトをたくさん削除してきた。例えば21世紀人は脇汗を止めるために制汗剤を使うわけですが、原始人から見れば「そんなに脇汗が嫌なら生きてなきゃいいって話じゃない」というでしょう。もちろん制汗剤ははほんの一例で、他にも安全性の追求、治安の追求、衛生の追求、精神安定の追求などたくさんのアンインストールがあったわけです。つまり、タイパはダメで制汗剤はダメだという根拠がない。長い人類の歴史で見たら我々全員がz世代です。だから東さんやthas3815さんは視野が狭いと思います。このような話を僕のチャンネルでしています、もし良ければチャンネル登録高評価グッドボタンの方もよろしくお願いします。
デジタルのイラストレーターなんですが、すごく腑に落ちました。アナログからデジタルに転換したとき、絵を描く喜びが感じられず、かといってアナログで取れる仕事は少なく、「もう趣味ではなく仕事なんだから甘えてはいけない」などと抑圧的になり身体を壊しました。今はアナログとデジタルを組み合わせることで折り合いをつけています。
人々は体験を求めてるのに情報だけ与えている、ある種の詐欺である。これは良い言葉だなと思いました。
この現代のコンテンツ大戦のなかで30代の自分が改めてスラムダンクの歴代主題歌たちを聞いて感動し鳥肌が立っているのは、そこにタイパとは無縁の限りなくムダに時を重ねた青春があるからこそであると思う。
無駄に育った木を板にしていくような話だな
いやー分かるなぁ…そういった認識に立ち返ることができて、かつ明瞭に文章化できているコメ主さんの感性も素晴らしい。
スマホを見ずに公園をただ歩くことで、大事なものを取り戻す感覚になります。身体感覚が生き生きしてくる感覚です。時間を取り戻すって、そういうことなのかなと思いました。
「何故与論島に旅行しにきたの?」「携帯電話が通じない場所に行きたかった」2007年荻上直子監督映画「めがね」のセリフ。そういうことですね。
昔、大好きなマイナーバンドのCDを探して、街をうろついていた時のことを思い出しました。電車で一時間かけて出かけて、地図を見ながら店を探して入店して、そのアーティストの棚を見つけた時に『鳥肌が立った』ことを懐かしく思い出します。そのアーティストの全ての作品はレアなものまで含めてスマホで聴ける時代になりました。でも、あの鳥肌の立つような経験は二度と戻ってこないと思うと悲しいです。
ニュースはいらない。コスパやタイパの考え方はやばい。茶道のように時間を使う。体験の重要性。素晴らしいメッセージをありがとうございます。
人生のテーマって究極的に言うとどれだけ自分のためにムダなことをできるかだと思うから、丸一日寝てる日とか最高の贅沢だと思う
贅沢というのは日常との差異を自ら選ぶことによって生じる快のことなのかなぁと思いますね。なので、忙しい人が有給休暇で一日中寝ている時間は贅沢と感じられ、一方毎日監獄で暇に過ごしている囚人からすれば苦痛な時間なのかな、と。(あくまで仮定の話です)贅沢の対象はなんであれ、◦日常との差異があること◦自ら欲望し対象を選択することこの辺りがポイントなのかな、と。
素晴らしいコメント。無駄と贅沢は価値観が違うだけで同じ状況だったり。例えば五千着の洋服を所有している人を、贅沢と思うか無駄と思うかは価値観の違いですよね。
例えばタイパを求めてボタンひとつで珈琲も良いですけど、面倒臭い手順を踏んで飲む一杯もまた良いものです☕️茶道のように、その過程に意義や美しさを見出すのも素敵なんですけどね(突き詰めると茶道の作法は超合理的ですが)本当、何をそんなに私達は焦り生き急いでいるのでしょうね。
気を抜くと研究者からケーキ屋さんになってしまうからだろ。エリートがプー太郎達の悪口で消されてしまう社会。
8:18 「どんなイラストAIがあったとしても、イラストを描く喜びは人間に残る」これはめっちゃ思うわ。自分は絵を描く側の人間じゃないけど、多くのイラストレーターやアーティストがイラストAIに反発しているのは心情としては当然だと思う。
楽しくないんですよ 楽しいなら貴方も描いてる。ペンを握って見なさい苦痛で投げ出すよ。東さんも口だけです。
東さんが言っていることはタイムパフォーマンスのみを追求すると何かが抜け落ちる感覚を言語化してくれてると思う
「死ね」という騒ぎ散らかした表現は置いといて「タイパ(コスパ)主義批判」の何がいたたげけるわけにはいかないかってその先に続く言葉が大概の場合「タイパ(コスパ)効率の悪い俺の商品を買え!」で自分の一方通行でアンフェアな関係性を誰かに強要するためのレトリックとして利用されがちってことなんだよね旧態依然の誰かに負担をかけながら存在してるゾンビ事業の加害者たちが、DXの洗礼を受けて、まるで世を呪詛しながら焼失してくタイプの亡霊の断末魔をあげながら滅びていってる過程を見ているようで最高
マルクス主義の疎外論
タイパの話には飛躍あったけど、その飛躍を埋めると、すなわち究極のタイパ、時間に対する効率性を過剰に徹底し過ぎると、生きる事自体から意味が剥奪される「ニヒリズムの究極系」が現れるってことを、あずまんは言ってるんです。だからタイパは安牌を打つ様なもので、安牌の連打がヤバい、っていうのが麻雀的な例えとして言える訳なんですが、これは蛇足の比喩ですね。すみません。
例えばポケベルの時代、公衆電話を探し彼女や友達に連絡をした事。旅行に行く前に情報を集めあそこに行こう、これ食べよと想いを馳せる事。便利=幸せじゃなく、幸せはある一定の手間とストレスと並行して存在してるんだと思う。
今更ながらこの対談めちゃくちゃ面白い。確かに最近久しぶりに紙の本読んでみたらなんとも形容し難い多幸感があったわ。あとタイパがヤバい言葉なのは本当にそう思う。タイパほどでは無いけどコスパも。人生が終わる瞬間に「俺の人生、コスパ(タイパ)良かった」って言うような人生に全く魅力感じないもんな。友達とか家族とは無駄なことをしていたい。
何かしらの世界に触れ合うことで喜びを感じるというのはその通りだと思います
成田悠輔も「人間が生きる上でのコスパを究極的に追求したいのなら死ねばいい」とか言ってたけどまさしくその通りだな
人々に時間を取り戻させるに凄い共感した
ブッダもキリストも、もともと時間なんてない、っていってますね。キリスト教では、終末の時っていうんだけど、本当は時の終末、つまり時という概念の終わり、時なんていうものはない
作用と反作用は表裏一体です。だから時は金なりという考えと時間をゆったり使うという考えは振り子のように行ったり来たりです。どちらかに淘汰されてしまうことは無いと思う。
落合陽一のシンギュラリティ論を打ち砕ける刺客は日本で最早この人しかいないと思う落合的な未来は個人的にディストピアでしかないんだよな落合陽一が乗り越えなければならない最大にして最強の論客
全然関係ないことなんですけど、そもそも落合陽一的な思想をある程度理解して(少なくとも主著は読破するくらい)、その上でウィークリーオチアイ視聴してる人って視聴者の半分にも満たないんだろうなと思いました😅
あずまんの落合批判から二人が通じ合ったすごい対談なのに、そこが理解されてない感じがしてもやっとします、いきなり絡んで独り言すみません😅元コメントを見て、ふと感じたので書き綴ってしましました笑
ネットショッピングは、便利だけど、わざわざ出掛けて実物を見て触って、店員さんに色々聞いたりして、買い物するのが結構好きです。「無駄」に思えるけど、豊かさって、本当は、遠回りしないと判らないと思います。
すごいですね。この2人の対談なんて。フル視聴します!
4:19 人間がいなくても成立する5:01 それだけで満足しない6:24 6:42他者と共有する喜びには定義上人間系が必要7:28 7:36 子供にとって絵を描くという動作はあるが、『自分で書く』から嬉しい8:18 8:23イラストを描くai 8:40 8:45 8:56イラストを描く喜びは人間に残る世界との接触から自分を守る世界との触れ合いを無くすためにテクノロジーやコンテンツがあるわけじゃない"世界と触れる"為のテクノロジー9:21 リコメンドが来るが接触の問題で 街を歩いて店に入り10:09 音だけが取り出され、効率的に簡単にばら撒く最適な平衡点12:06 12:16 本という単位の中には表紙、手触り12:47 コンテンツの定義を間違えたのではないかだから変えるべきなのではないか 13:08 会場まで歩き 会場で騒ぎ 全体で体験する13:39 タイパ
不幸をなくすことで安心したいんだよね。私のように何の才能もなく夢中になれるものも見つからなかった人間は、生まれてしまったから、死の恐怖を感じるから、生きてるだけで雑味のある幸福を求める余裕がない。食べることに苦労してたら何でも美味しく感じるのと同じで、タイパは私たちが時間不足の時間飢餓状態だという現れ。
絵を描く子供が、絵だけ渡される例えわかりやすかったです
お互い深いところで問題意識を共有していて噛み合ってる議論が凄い面白い。あと3時間ぐらい延長して見たいですね。
昔好きだったゲームを思い出す時、当時の部屋や友達や兄弟の顔も一緒に浮かんでくる。ゲームと一緒に取り巻く環境全てが俺にとってのドラゴンクエストの思い出。
「カップラーメンは、実は1分でもできるんです。なんでやらないかって?3分待つ方が美味しいじゃないですか」やはり安藤百福は偉大だった。
所詮はあなたの感想な
あずまんはやっぱり天才やな
ITができることは質量を減らすことだけど、人は重さに尊さや大切さを感じる貴重、重宝、重要すべてに重いという字が入っている
『モモ』の時間どろぼうとの闘いがいかに尊いものだったか、今やっと分かった。
大切なのはタイパを重視する若者に対して批判の態度を取るのではなく、手触り感のあるものの良さを伝えてくことやな
伝えても伝わるのはなかなか難しいんじゃないですかねぇ。お2人が動画の中でチラッと触れてますが、 人間は易きに流れる 人間は不安で常に周りにビクビクしてる 人間は経済モンスターの掛け算であるということが今の状況を作り出しているので。
それが世界を作りだす側の役割、大小あるけど大人の役割だと思う。
東はタイパについて「うまいものを3分で食べられてからといって、時短できて良かったとは思わんだろ」的な語り口で疑問を呈していた。東に倣って食べ物に例えると、フランス料理からカロリーを取り出して3分でフランス料理のカロリーを摂取できますと説くのがタイパそれはもはやフランス料理ではないし、3分フランス料理を喜ぶのは「フランス料理を食べた」と吹聴したいだけの人
一緒にハイキングとか釣りとかしてたらいいよ。無駄な時間を家族で過ごす。
音楽の話凄い共感しました。電子書籍をあまり買わずに本屋に行きたいのは、「本を買う」という行為が画面をタップするだけではつまらなくて、本屋に行って色々なものを見て買うからこそ面白いからだと感じます。
やっぱり東さんの話は面白い。人間は根源的に接触や体験を求めてますからね。デジタル社会は人間にとっては便利になってメリットはあるが幸福感は減っていっている気がします。
実質的な【体験】としての幸福感が減ってきてるということですかね。身近な便利さと引き換えに。
この話おもろいっすね! 資本主義的に効率化を求めていった先には「情報」だけが残って、そこにあるものは人間が本来求めていた喜びより虚しいものになる。 物には「技術的機能」と「感情的機能」があり、感情的機能を取り戻すには、物理的に豊かになる資本主義ではなく、感情的に豊かになることを目指す主義が必要になる。と考えるとめっちゃおもろいっすね
タイパを追求するなら生きていない方が良い。これほんと分かる。
東さんの話、難しい言葉を使ってなくてすごく分かりやすい✨
ついにこの時が。。。 成田さんとの対談が実現してからのこの対談。 感動。
水槽の脳にはなりたくないですね。即興、偶然、寄り道、回り道、遊び、いたずら、ノイズ、計画性のなさ…「人間が本当に求めてること」は幼児に学ぶのが一番な気がします。
そのうち幼児にもタイパを求めるようになってくるのではと恐れてる。
@@takatsuki_3 求めてなくても生きていた方がいいメリットは無いからいずれきますよね
ほんとにそう全て効率を極めると人はいらないから不要なこと。無駄なことをしたいですね
@@ぐっど-u3g そうそう!そう!そう!
初めて自分の考え認めてくれる人いた…
随時リモートワークで、イベント等で稀に出社すると、生身で人と会うことにちょっと感動したりする。でもリモートが便利だし、通勤という負の体験もない。体験に希少価値を置いて、その瞬間を有り難く生きるのが良いのかな。効率化で「余った」時間やお金をどう使うかも大事。時間は作るもの、周りに流されず自身にとって大切なものを見極め優先していくべき。
このシリーズで一番面白い対談だと思いました!お互いの良さを引き出し合われている感じで、聞いていてこちらもヒートアップしてしまいました。
コンテンツは当然求めてるよ。音楽聞くのに毎回移動で1時間位かけて1万円近くかけて、「はい、これが音楽です。これしかありません。」って言われたら、ふざけんじゃねぇってなるよ。人の嗜好によるものだよ。体験が欲しい人はそれを選べばいい、その場合はコストが跳ね上がる、それだけだと思うよ。
このおじさま、初めて知ったのだけど、とにかくパッションを感じるけど、どこかその情熱が自分の中で空回りして、俺空回りしてんなあって自分でも思ってらっしゃいそう こういう話題をしゃに構えて話すインテリぶる人が多い中で、このおじさまはなんか愛おしいというか、興味ひかれる
『中年おじさんになるとギャル化が止まらない』がパワーワード過ぎます。
アナログや質量の大切さに先祖返りしながら進化していくのが人間なのだから人間は捨てたものではないです
spotifyやアマプラの味気なさって、前後の体験が切り落とされていたからなのか!感動しすぎて失禁しそうになった。
究極に効率を求めると人類補完計画しかないのよ
人類が小麦を管理して育ててるように、そのうち機械も人間を管理して育てるかもしれませんよ😊
音楽にまつわる議論の部分で、最近の体験は情報だけ切り抜いてと指摘があるが、全体的に昔は良かった論にしか聞こえない気もする。音楽を聞くという体験をするために、LPやCD、それを購入しに行く体験があっただけで、それ自体が楽しいよねと思えた時代もあっただけのこと。どんだけ音楽配信が一般化してもライブやフェスなどの体験は衰退していないし、配信だからこそ容易に聞くことだできるようになった音楽もある。CDを買う体験を求めている人は今でもCDを買っているし、いろんな音楽が情報として聞きたかった人は配信で楽しんでる。それだけでは?
日本にとってとても大切な話だったと思います!ただの現状批判ではなくて、深い見識のもとで憂う視点は愛情深いなぁと感銘致しました。色々な話が最終養老先生の話につながっていく気がしています。
一時期は左翼拗らせてた東さんがまた思想家として復活してくれて嬉しい
人はコストをかけたものに執着というか、愛着をもちますからね。不合理な無駄が、生(正)へのこだわりを生み出しているといえます。
サブスクで音楽聞くの味気ないなとよく思ってた。CDなんて、専用のビニール被せてラックにどう飾るかだけでめちゃくちゃ楽しかった。でも今それをやるかと聞かれるとやれないし、それだけの熱を音楽に持ててない。
「生きてる事自体がタイパ悪いからね」はその通り過ぎて草
成田さんも同じようなこと言ってましたよね
まだ理解し切れてなくて生きてること自体タイムパフォーマンスが悪いってどういう意味ですか?
@@nashi830 コスパ=得られるパフォーマンス÷必要なコスト死んだら必要なコストはゼロ。つまりは無限のコスパを得られるということになりますよね。
@@nashi830 真剣に長文のコメントをしようと思いましたがタイパが悪そうなのでやめておきます
タコパの方がまだマシ
タイパについてもやもやしてたことがちょっとスッキリしました。ありがとうございます東さん、チュンリーさん🤣🤣
人が人である本質、何かの本質を理解出来て喜ぶ、その喜びを十分に味わうには時間が必要。自分にフォーカスする行為や集中する時間が必要。他者により強化される情報に左右されるとネットワーク化された自分を形成し強固になった気がしてしまうがそれは自分を空洞化して本質を忘れる行為に近い。
すごく奥が深いし、どの分野でも当てはまるなって、刺激になりました。
お二人の対談、面白いですね!
普段なんとなく無意識的に考えているけれど言語化出来ない思考と照らし合わせて解釈しながら観てます。
人間の原初的な喜びは結局のところ人間性を介した「好奇心と体験」だと思う。私は音楽が趣味で正にサブスクの奴隷みたいな環境にいるけど、どれだけ普段使うDTMが高度になってデジタル音源が美麗になっても、本物のギターを掻き鳴らしてライブをした時の快感に勝ることはない。
タイパという言葉そのものが問題というよりは、何を持ってパフォーマンスとするか?という部分の定義が重要なのかなという気はしています。そのパフォーマンスの定義が個々人の価値観に則って、それぞれ価値のあるものとして定義されているのであれば、それほど問題には感じません。
相変わらずバカ丸出しやな
実際に体験することは大事ですね。
仕事についても同じだと思った。単にタスクをこなして成果物を出すことが仕事ではなく、その作業を通して同僚やお客様と関わり、様々な感情を抱くことが本当の仕事だと思う。でも、リモートや効率化の果てに、それらが失われてしまって、非常に無機質でつまらなくなってきたような気がする。
コロナで東京から田舎に帰って一番贅沢なのは車で10分かけて喫茶店に行って、たった30分や1時間、コーヒーを飲みながら文庫本を読んで帰ってくるだけの時間だったりします。
やっぱ東浩紀は凄すぎるな。本物
コンテンツは、人間の根源的な欲求を満たすためのツールやきっかけでしかないのに、その手段が目的化しちゃった結果タイパなどの言葉が生まれて、みんなが違和感に気づき始めてるってことか?
陰謀論もコンテンツで、根源的に求めているのは、正義を行ってる感、私だけが知ってる優越感、同士とつながれる安心感。これらの欲求を満たすためのツールとして陰謀論は優れているってことなのか。
@@my-eo6eg テレビが与えてくれる世界観を丸ごと信じてるのも陰謀論者と同じ
世界と触れ合うためにテクノロジーを使っている、という言葉になるほどと思いました。自分の都合のいい情報だけ取り出すことができてしまうSNSは本質的には触れ合いを感じることができていないのかもしれないですね。
これって、(おっさんのノスタルジー)な部分もあるんじゃね? 若い世代はそんなもの訓練で乗り越えるんじゃね?(じっさい物理的経済的に大量の書籍やCDを所有して引っ越しで持ち歩くのが物理的経済的に無理だ。)古来 理想とされたのは 書斎という空間の本箱やCDラックを眺めて過去の記憶を掘り起こして、現在の状況を好転させるヒントを得るために、参考になるコンテンツを再読・再生するわけだが、電子書籍や、電子化された音源の、インデックスが高度なものになって行けば、若い頃からの訓練で違和感なく使いこなせるようになるのでは?自販機の缶コーヒーだって綺麗にインデックス化されているのだから、書斎の本棚だって自販機並みのデイスプレイにできると思うが。?
私達が自由を見出すのは無重力空間ではなく、重力の軛の中でこそ、ですね。
制限があるからこそ自由を求める。自由が当たり前なら自由すら求めない。
落合陽一さんが話しても全く止まらず語り続けるのじわってしまいました笑難しい話なのにわかりやすくて自分まで頭よくなった気になっている
落合氏のコメントは、合いの手みたいなもの
頭いい人の話を聞くの好きなのはたぶんそういうことなんだなあ
東さんは、朝生に出ていた頃は一般意志2.0的制度を夢見てた感じだけど、『一般意志2.0』の巻末には既に「福島原発事故があって、それではダメだと思えてきた」みたいなことを言っていましたね。どの時期でも、彼の根底にある思想は「人はどうすれば濃密に生きられるか」なんでしょう。
現代人はエゴが強すぎる気がする
喜びって奥が深いですね…
東さんの要約力が一番タイパいいと思ってます🤤
自分が紙の本を愛している理由が分かった気がする。
3:12 この早さで合ってるって返せるの、常人のソレではないよな。お二方ともすごいよ
流石に憐れみがルソーは共通テスト倫政レベルだよ…
あんたはまだコンテンツベースで生きてるんだな
対談のお話し、いつも参考にさせていただいてます。
自分は情報としての音楽コンテンツを、スピーカーで流しながら料理することで、体験価値に昇華させてるけどな。実は使い方の工夫次第なんじゃないかな?
日本人の一人でも多くが、スマホを見る時間を減らして睡眠時間を30分でも1時間でも増やせば、社会のあらゆる問題が劇的に解消すると思う。
これはみんな見た方がいい
やっぱり体験することが重要ですよねぇ
落合さんの髪型、可愛いです。お二人の会話、弾んでいて面白いです。
資本主義の世の中ではテクノロジーが進化していくにつれモノが効率化していき便利になる=コスパ、タイパ的に最適化されていくことは止められないんでしょう それこそ「接触」「体験」が重視されるようになったら一周回って茶道ブームとか来るかもしれませんが
単純に若い頃は冷凍食品でも良かったけど、歳をとると手作りの家庭料理が食いたくなる。
タイパとか言葉だけで本気でそれに則る行動しかしない人なんていないコンテンツはそれが間違ってるんじゃなくてどう消費するかそういう意味で内容に関しては机上の空論にしか聞こえないわけだけど、このスピードでわかりやすく話せるのはとても尊敬する
激しく同意で、もやもやが明確化されました!
こんな議論は高校生でもできるよ。前からこんなの考えてたよ。落合さんも、むずかしそーな用語並べてるだけだなあ。日本の論者はもっと高度な議論というか、発見的な話してくれろ
哲学者は質の高い逆張りで世間を悩ませたり立ち止まらせたりするのが仕事だから、主張に一貫性は無いけど世間と視点をズラして変なこと言い続けるという事に関しては一貫してるのよ。端から明日には真逆のことを言ってる可能性がある生き物ということだけ承知しておけばよい。引用する目的でこういう人の話を聞いてはいけない。
リアルに体感することが大切ですね
このような対談も真実でもなんでもない、体験あるのみ、体感が本物、真実。
《質量》が付随するモノ・体験は割高になる(物流コスト、交通費など)から、時間も金もない若者はタイパの良い《コンテンツ》を消費せざるを得ない(無自覚だったとしても)という、マクロ経済的な問題も大きな要因としてある気がするな。。。
《無駄》に金を費やせる程度の余裕(可処分所得)を。
とても素晴らしい考察だと思います。
12:28 こういう相槌とか、落合さんがタイパ側の人間なんじゃないかと感じてしまう
日々感じてるコレジャナイ感を見事に説明してくれてて驚いた。
ついにこの対談が実現してしまったかシラスで落合陽一が見れる日も近い
東さんが言いたいことって、今まで人間がその事物の本質的(=バーチャル)な点だと考えているものの誤謬(恣意性?)に対することであって、落合さんが言うレコードの例にあてはまるような物質非物質についてのことではないと思う。僕はバカだから多読できないんだけど、紙の本は残りがどんどん減ってくから読書には楽しさに加えて達成感があったりするけど、電子書籍ではそれを感じるのが難しい。東さんが言いたいのはこういう読書の単純な喜びが、「単純な物語の楽しさ」だけを追求するコンテンツ読書に変わってしまっているということを指摘しているのではないか。と思う。
テレビ局ができる時、映画館が潰れるじゃないかと思った人がいたけど、いまだ映画館はなくなっていない。レコードを買い求める人がいる。本屋さんも結構人がいる。ライブもある。デジタルコンテンツが主流でも、体験を求めることは変わらないと思います。数的な減少はあるかもしれないけど。うまくできたもので、人は揺り戻されるんだと思います。
ダイパって結局は、集中力欠如した人間が、数秒単位のコンテンツしか認知できなくなってるだけじゃないかな。いいモノは、長く時間を使うだけの価値があるのに。
こういった議論はいつの時代もあったと思う。レコードが発明され音が録音されるようになった時、タイプライターやワードが市場に現れた人々がペンを持たなくなった時もそうだったかもしれない。
この動画を1.5倍速でみてるけど強く生きる
生きてない方がいい、そう思っている人への提言をお願いします。もしかしたら、タイパを求める人も何かあるかもしれませんさかいに。
アナログの体験、経験大切だと思います。質量なくなると、心が貧しくなりそうです。
なるほど…面白かったです🍀
🎥番組のフル視聴(100分)はこちらから
bit.ly/3CYIB47
「死ね」という騒ぎ散らかした表現は置いといて「タイパ(コスパ)主義批判」の何がいたたげけるわけにはいかないかってその先に続く言葉が大概の場合「タイパ(コスパ)効率の悪い俺の商品を買え!」で自分の一方通行でアンフェアな関係性を誰かに強要するためのレトリックとして利用されがちってことなんだよね
旧態依然の誰かに負担をかけながら存在してるゾンビ事業の加害者たちが、DXの洗礼を受けて、まるで世を呪詛しながら焼失してくタイプの悪霊の断末魔をあげながら滅びていってる過程を見ているようで最高
しっかり勉強します!
AZUMA = out of date
視聴者は登場人物全員うなづくだけの番組に飽き飽きして東浩紀にたどりついたんじゃないのか?
ひろゆきもしかり、傷つくことを恐れて否定しない集団に囲まれたらこうもつまらない作品になる。
真似しても一円の価値にもならない友達が減るだけの屁理屈こねるくらいなら
俺たちの求めている感情の戦いをみせろよ。本元は客を沸かせる戦士だろ。
@@professorchannel 、
、しきのさ
東さんってなぜかエモいんだよな
すごい心優しい人なんだろうなって分かる
タイパを求めるなら、生きてない方がいい
この一年で一番好きな言葉
成田さんの、コスパを追求するなら死んだほうがいいと一緒やな
@@blacksheepcat コスパは人によって原資が違うし、増やす事も可能だけど、時間は大体同じ、かつ総量は不明なんでね。余計に不毛感がある
確かに。ただ、なんでも数字で評価できる範囲内のことで全てを評価しようとする愚かさは一緒やな
@@blacksheepcat そんな気がしちゃいますよね
反論させてください。タイパの追求は否定できないと思います。人類史などに興味ある方は読んでください。まずタイパの追求は感情のアンインストールと同じであると考えます。映画の役者の機微や「間」に関しての感情をアンインストールしているわけですから、こう仮定するわけです。そうしますと、我々ホモサピエンスは30万年の間、最初のサバンナという偶然的な環境にのみ適応した感情を多数アンインストールしてきた事実があります。特に農耕や商業の発達以降、都市で生活する中で不要になってきたデフォルトのソフトをたくさん削除してきた。例えば21世紀人は脇汗を止めるために制汗剤を使うわけですが、原始人から見れば「そんなに脇汗が嫌なら生きてなきゃいいって話じゃない」というでしょう。もちろん制汗剤ははほんの一例で、他にも安全性の追求、治安の追求、衛生の追求、精神安定の追求などたくさんのアンインストールがあったわけです。つまり、タイパはダメで制汗剤はダメだという根拠がない。長い人類の歴史で見たら我々全員がz世代です。だから東さんやthas3815さんは視野が狭いと思います。
このような話を僕のチャンネルでしています、もし良ければチャンネル登録高評価グッドボタンの方もよろしくお願いします。
デジタルのイラストレーターなんですが、すごく腑に落ちました。
アナログからデジタルに転換したとき、絵を描く喜びが感じられず、かといってアナログで取れる仕事は少なく、「もう趣味ではなく仕事なんだから甘えてはいけない」などと抑圧的になり身体を壊しました。
今はアナログとデジタルを組み合わせることで折り合いをつけています。
人々は体験を求めてるのに情報だけ与えている、ある種の詐欺である。
これは良い言葉だなと思いました。
この現代のコンテンツ大戦のなかで30代の自分が改めてスラムダンクの歴代主題歌たちを聞いて感動し鳥肌が立っているのは、そこにタイパとは無縁の限りなくムダに時を重ねた青春があるからこそであると思う。
無駄に育った木を板にしていくような話だな
いやー分かるなぁ…
そういった認識に立ち返ることができて、かつ明瞭に文章化できているコメ主さんの感性も素晴らしい。
スマホを見ずに公園をただ歩くことで、大事なものを取り戻す感覚になります。身体感覚が生き生きしてくる感覚です。時間を取り戻すって、そういうことなのかなと思いました。
「何故与論島に旅行しにきたの?」
「携帯電話が通じない場所に行きたかった」
2007年荻上直子監督映画「めがね」のセリフ。
そういうことですね。
昔、大好きなマイナーバンドのCDを探して、街をうろついていた時のことを思い出しました。
電車で一時間かけて出かけて、地図を見ながら店を探して入店して、そのアーティストの棚を見つけた時に『鳥肌が立った』ことを懐かしく思い出します。
そのアーティストの全ての作品はレアなものまで含めてスマホで聴ける時代になりました。
でも、あの鳥肌の立つような経験は二度と戻ってこないと思うと悲しいです。
ニュースはいらない。コスパやタイパの考え方はやばい。茶道のように時間を使う。体験の重要性。素晴らしいメッセージをありがとうございます。
「死ね」という騒ぎ散らかした表現は置いといて「タイパ(コスパ)主義批判」の何がいたたげけるわけにはいかないかってその先に続く言葉が大概の場合「タイパ(コスパ)効率の悪い俺の商品を買え!」で自分の一方通行でアンフェアな関係性を誰かに強要するためのレトリックとして利用されがちってことなんだよね
旧態依然の誰かに負担をかけながら存在してるゾンビ事業の加害者たちが、DXの洗礼を受けて、まるで世を呪詛しながら焼失してくタイプの悪霊の断末魔をあげながら滅びていってる過程を見ているようで最高
人生のテーマって究極的に言うとどれだけ自分のためにムダなことをできるかだと思うから、丸一日寝てる日とか最高の贅沢だと思う
贅沢というのは日常との差異を自ら選ぶことによって生じる快のことなのかなぁと思いますね。なので、忙しい人が有給休暇で一日中寝ている時間は贅沢と感じられ、一方毎日監獄で暇に過ごしている囚人からすれば苦痛な時間なのかな、と。(あくまで仮定の話です)
贅沢の対象はなんであれ、
◦日常との差異があること
◦自ら欲望し対象を選択すること
この辺りがポイントなのかな、と。
素晴らしいコメント。無駄と贅沢は価値観が違うだけで同じ状況だったり。
例えば五千着の洋服を所有している人を、贅沢と思うか無駄と思うかは価値観の違いですよね。
例えばタイパを求めてボタンひとつで珈琲も良いですけど、面倒臭い手順を踏んで飲む一杯もまた良いものです☕️
茶道のように、その過程に意義や美しさを見出すのも素敵なんですけどね(突き詰めると茶道の作法は超合理的ですが)
本当、何をそんなに私達は焦り生き急いでいるのでしょうね。
気を抜くと研究者からケーキ屋さんになってしまうからだろ。
エリートがプー太郎達の悪口で消されてしまう社会。
8:18 「どんなイラストAIがあったとしても、イラストを描く喜びは人間に残る」これはめっちゃ思うわ。自分は絵を描く側の人間じゃないけど、多くのイラストレーターやアーティストがイラストAIに反発しているのは心情としては当然だと思う。
楽しくないんですよ 楽しいなら貴方も描いてる。ペンを握って見なさい苦痛で投げ出すよ。東さんも口だけです。
東さんが言っていることはタイムパフォーマンスのみを追求すると何かが抜け落ちる感覚を言語化してくれてると思う
「死ね」という騒ぎ散らかした表現は置いといて「タイパ(コスパ)主義批判」の何がいたたげけるわけにはいかないかってその先に続く言葉が大概の場合「タイパ(コスパ)効率の悪い俺の商品を買え!」で自分の一方通行でアンフェアな関係性を誰かに強要するためのレトリックとして利用されがちってことなんだよね
旧態依然の誰かに負担をかけながら存在してるゾンビ事業の加害者たちが、DXの洗礼を受けて、まるで世を呪詛しながら焼失してくタイプの亡霊の断末魔をあげながら滅びていってる過程を見ているようで最高
マルクス主義の疎外論
タイパの話には飛躍あったけど、その飛躍を埋めると、すなわち究極のタイパ、時間に対する効率性を過剰に徹底し過ぎると、生きる事自体から意味が剥奪される「ニヒリズムの究極系」が現れるってことを、あずまんは言ってるんです。
だからタイパは安牌を打つ様なもので、安牌の連打がヤバい、っていうのが麻雀的な例えとして言える訳なんですが、これは蛇足の比喩ですね。すみません。
例えばポケベルの時代、公衆電話を探し彼女や友達に連絡をした事。
旅行に行く前に情報を集めあそこに行こう、これ食べよと想いを馳せる事。
便利=幸せじゃなく、幸せはある一定の手間とストレスと並行して存在してるんだと思う。
今更ながらこの対談めちゃくちゃ面白い。
確かに最近久しぶりに紙の本読んでみたらなんとも形容し難い多幸感があったわ。
あとタイパがヤバい言葉なのは本当にそう思う。タイパほどでは無いけどコスパも。人生が終わる瞬間に「俺の人生、コスパ(タイパ)良かった」って言うような人生に全く魅力感じないもんな。友達とか家族とは無駄なことをしていたい。
何かしらの世界に触れ合うことで喜びを感じるというのはその通りだと思います
成田悠輔も「人間が生きる上でのコスパを究極的に追求したいのなら死ねばいい」とか言ってたけどまさしくその通りだな
人々に時間を取り戻させるに凄い共感した
ブッダもキリストも、もともと時間なんてない、っていってますね。キリスト教では、終末の時っていうんだけど、本当は時の終末、つまり時という概念の終わり、時なんていうものはない
作用と反作用は表裏一体です。
だから時は金なりという考えと
時間をゆったり使うという考えは振り子のように行ったり来たりです。
どちらかに淘汰されてしまうことは無いと思う。
落合陽一のシンギュラリティ論を打ち砕ける刺客は日本で最早この人しかいないと思う
落合的な未来は個人的にディストピアでしかないんだよな
落合陽一が乗り越えなければならない最大にして最強の論客
全然関係ないことなんですけど、そもそも落合陽一的な思想をある程度理解して(少なくとも主著は読破するくらい)、その上でウィークリーオチアイ視聴してる人って視聴者の半分にも満たないんだろうなと思いました😅
あずまんの落合批判から二人が通じ合ったすごい対談なのに、そこが理解されてない感じがしてもやっとします、いきなり絡んで独り言すみません😅
元コメントを見て、ふと感じたので書き綴ってしましました笑
ネットショッピングは、便利だけど、わざわざ出掛けて実物を見て触って、店員さんに色々聞いたりして、買い物するのが結構好きです。
「無駄」に思えるけど、豊かさって、本当は、遠回りしないと判らないと思います。
すごいですね。この2人の対談なんて。フル視聴します!
4:19 人間がいなくても成立する
5:01 それだけで満足しない
6:24 6:42他者と共有する喜びには
定義上人間系が必要
7:28 7:36
子供にとって絵を描くという動作はあるが、『自分で書く』から嬉しい
8:18 8:23イラストを描くai 8:40 8:45 8:56
イラストを描く喜びは人間に残る
世界との接触から自分を守る
世界との触れ合いを無くすためにテクノロジーやコンテンツがあるわけじゃない
"世界と触れる"為のテクノロジー
9:21 リコメンドが来るが接触の問題で 街を歩いて店に入り
10:09 音だけが取り出され、効率的に簡単にばら撒く
最適な平衡点
12:06 12:16 本という単位の中には表紙、手触り
12:47 コンテンツの定義を間違えたのではないか
だから変えるべきなのではないか 13:08 会場まで歩き 会場で騒ぎ 全体で体験する
13:39 タイパ
不幸をなくすことで安心したいんだよね。
私のように何の才能もなく夢中になれるものも見つからなかった人間は、生まれてしまったから、死の恐怖を感じるから、生きてるだけで雑味のある幸福を求める余裕がない。
食べることに苦労してたら何でも美味しく感じるのと同じで、タイパは私たちが時間不足の時間飢餓状態だという現れ。
絵を描く子供が、絵だけ渡される例えわかりやすかったです
お互い深いところで問題意識を共有していて噛み合ってる議論が凄い面白い。あと3時間ぐらい延長して見たいですね。
昔好きだったゲームを思い出す時、当時の部屋や友達や兄弟の顔も一緒に浮かんでくる。ゲームと一緒に取り巻く環境全てが俺にとってのドラゴンクエストの思い出。
「カップラーメンは、実は1分でもできるんです。なんでやらないかって?3分待つ方が美味しいじゃないですか」
やはり安藤百福は偉大だった。
所詮はあなたの感想な
あずまんはやっぱり天才やな
ITができることは質量を減らすことだけど、人は重さに尊さや大切さを感じる
貴重、重宝、重要
すべてに重いという字が入っている
『モモ』の時間どろぼうとの闘いがいかに尊いものだったか、今やっと分かった。
大切なのはタイパを重視する若者に対して批判の態度を取るのではなく、手触り感のあるものの良さを伝えてくことやな
伝えても伝わるのはなかなか難しいんじゃないですかねぇ。
お2人が動画の中でチラッと触れてますが、
人間は易きに流れる
人間は不安で常に周りにビクビクしてる
人間は経済モンスター
の掛け算であるということが今の状況を作り出しているので。
それが世界を作りだす側の役割、大小あるけど大人の役割だと思う。
東はタイパについて「うまいものを3分で食べられてからといって、時短できて良かったとは思わんだろ」的な語り口で疑問を呈していた。
東に倣って食べ物に例えると、フランス料理からカロリーを取り出して3分でフランス料理のカロリーを摂取できますと説くのがタイパ
それはもはやフランス料理ではないし、3分フランス料理を喜ぶのは「フランス料理を食べた」と吹聴したいだけの人
一緒にハイキングとか釣りとかしてたらいいよ。無駄な時間を家族で過ごす。
音楽の話凄い共感しました。電子書籍をあまり買わずに本屋に行きたいのは、「本を買う」という行為が画面をタップするだけではつまらなくて、本屋に行って色々なものを見て買うからこそ面白いからだと感じます。
やっぱり東さんの話は面白い。人間は根源的に接触や体験を求めてますからね。デジタル社会は人間にとっては便利になってメリットはあるが幸福感は減っていっている気がします。
「死ね」という騒ぎ散らかした表現は置いといて「タイパ(コスパ)主義批判」の何がいたたげけるわけにはいかないかってその先に続く言葉が大概の場合「タイパ(コスパ)効率の悪い俺の商品を買え!」で自分の一方通行でアンフェアな関係性を誰かに強要するためのレトリックとして利用されがちってことなんだよね
旧態依然の誰かに負担をかけながら存在してるゾンビ事業の加害者たちが、DXの洗礼を受けて、まるで世を呪詛しながら焼失してくタイプの悪霊の断末魔をあげながら滅びていってる過程を見ているようで最高
実質的な【体験】としての幸福感が減ってきてるということですかね。身近な便利さと引き換えに。
この話おもろいっすね!
資本主義的に効率化を求めていった先には「情報」だけが残って、そこにあるものは人間が本来求めていた喜びより虚しいものになる。
物には「技術的機能」と「感情的機能」があり、感情的機能を取り戻すには、物理的に豊かになる資本主義ではなく、感情的に豊かになることを目指す主義が必要になる。と考えるとめっちゃおもろいっすね
タイパを追求するなら生きていない方が良い。これほんと分かる。
東さんの話、難しい言葉を使ってなくてすごく分かりやすい✨
ついにこの時が。。。 成田さんとの対談が実現してからのこの対談。 感動。
水槽の脳にはなりたくないですね。即興、偶然、寄り道、回り道、遊び、いたずら、ノイズ、計画性のなさ…「人間が本当に求めてること」は幼児に学ぶのが一番な気がします。
そのうち幼児にもタイパを求めるようになってくるのではと恐れてる。
@@takatsuki_3 求めてなくても生きていた方がいいメリットは無いからいずれきますよね
ほんとにそう
全て効率を極めると人はいらないから
不要なこと。無駄なことをしたいですね
@@ぐっど-u3g そうそう!そう!そう!
初めて自分の考え認めてくれる人いた…
随時リモートワークで、イベント等で稀に出社すると、生身で人と会うことにちょっと感動したりする。でもリモートが便利だし、通勤という負の体験もない。体験に希少価値を置いて、その瞬間を有り難く生きるのが良いのかな。効率化で「余った」時間やお金をどう使うかも大事。時間は作るもの、周りに流されず自身にとって大切なものを見極め優先していくべき。
このシリーズで一番面白い対談だと思いました!お互いの良さを引き出し合われている感じで、聞いていてこちらもヒートアップしてしまいました。
コンテンツは当然求めてるよ。
音楽聞くのに毎回移動で1時間位かけて1万円近くかけて、「はい、これが音楽です。これしかありません。」って言われたら、ふざけんじゃねぇってなるよ。
人の嗜好によるものだよ。
体験が欲しい人はそれを選べばいい、その場合はコストが跳ね上がる、それだけだと思うよ。
このおじさま、初めて知ったのだけど、とにかくパッションを感じるけど、どこかその情熱が自分の中で空回りして、俺空回りしてんなあって自分でも思ってらっしゃいそう こういう話題をしゃに構えて話すインテリぶる人が多い中で、このおじさまはなんか愛おしいというか、興味ひかれる
『中年おじさんになるとギャル化が止まらない』がパワーワード過ぎます。
アナログや質量の大切さに先祖返りしながら進化していくのが人間なのだから人間は捨てたものではないです
spotifyやアマプラの味気なさって、前後の体験が切り落とされていたからなのか!感動しすぎて失禁しそうになった。
究極に効率を求めると人類補完計画しかないのよ
「死ね」という騒ぎ散らかした表現は置いといて「タイパ(コスパ)主義批判」の何がいたたげけるわけにはいかないかってその先に続く言葉が大概の場合「タイパ(コスパ)効率の悪い俺の商品を買え!」で自分の一方通行でアンフェアな関係性を誰かに強要するためのレトリックとして利用されがちってことなんだよね
旧態依然の誰かに負担をかけながら存在してるゾンビ事業の加害者たちが、DXの洗礼を受けて、まるで世を呪詛しながら焼失してくタイプの亡霊の断末魔をあげながら滅びていってる過程を見ているようで最高
人類が小麦を管理して育ててるように、
そのうち機械も人間を管理して育てるかもしれませんよ😊
音楽にまつわる議論の部分で、最近の体験は情報だけ切り抜いてと指摘があるが、全体的に昔は良かった論にしか聞こえない気もする。
音楽を聞くという体験をするために、LPやCD、それを購入しに行く体験があっただけで、それ自体が楽しいよねと思えた時代もあっただけのこと。
どんだけ音楽配信が一般化してもライブやフェスなどの体験は衰退していないし、配信だからこそ容易に聞くことだできるようになった音楽もある。
CDを買う体験を求めている人は今でもCDを買っているし、いろんな音楽が情報として聞きたかった人は配信で楽しんでる。それだけでは?
日本にとってとても大切な話だったと思います!ただの現状批判ではなくて、深い見識のもとで憂う視点は愛情深いなぁと感銘致しました。
色々な話が最終養老先生の話につながっていく気がしています。
一時期は左翼拗らせてた東さんがまた思想家として復活してくれて嬉しい
人はコストをかけたものに執着というか、愛着をもちますからね。
不合理な無駄が、生(正)へのこだわりを生み出しているといえます。
サブスクで音楽聞くの味気ないなとよく思ってた。
CDなんて、専用のビニール被せてラックにどう飾るかだけでめちゃくちゃ楽しかった。
でも今それをやるかと聞かれるとやれないし、それだけの熱を音楽に持ててない。
「生きてる事自体がタイパ悪いからね」はその通り過ぎて草
「死ね」という騒ぎ散らかした表現は置いといて「タイパ(コスパ)主義批判」の何がいたたげけるわけにはいかないかってその先に続く言葉が大概の場合「タイパ(コスパ)効率の悪い俺の商品を買え!」で自分の一方通行でアンフェアな関係性を誰かに強要するためのレトリックとして利用されがちってことなんだよね
旧態依然の誰かに負担をかけながら存在してるゾンビ事業の加害者たちが、DXの洗礼を受けて、まるで世を呪詛しながら焼失してくタイプの亡霊の断末魔をあげながら滅びていってる過程を見ているようで最高
成田さんも同じようなこと言ってましたよね
まだ理解し切れてなくて
生きてること自体タイムパフォーマンスが悪いってどういう意味ですか?
@@nashi830 コスパ=得られるパフォーマンス÷必要なコスト
死んだら必要なコストはゼロ。つまりは無限のコスパを得られるということになりますよね。
@@nashi830 真剣に長文のコメントをしようと思いましたがタイパが悪そうなのでやめておきます
タコパの方がまだマシ
「死ね」という騒ぎ散らかした表現は置いといて「タイパ(コスパ)主義批判」の何がいたたげけるわけにはいかないかってその先に続く言葉が大概の場合「タイパ(コスパ)効率の悪い俺の商品を買え!」で自分の一方通行でアンフェアな関係性を誰かに強要するためのレトリックとして利用されがちってことなんだよね
旧態依然の誰かに負担をかけながら存在してるゾンビ事業の加害者たちが、DXの洗礼を受けて、まるで世を呪詛しながら焼失してくタイプの悪霊の断末魔をあげながら滅びていってる過程を見ているようで最高
タイパについてもやもやしてたことがちょっとスッキリしました。ありがとうございます東さん、チュンリーさん🤣🤣
人が人である本質、何かの本質を理解出来て喜ぶ、その喜びを十分に味わうには時間が必要。自分にフォーカスする行為や集中する時間が必要。他者により強化される情報に左右されるとネットワーク化された自分を形成し強固になった気がしてしまうがそれは自分を空洞化して本質を忘れる行為に近い。
すごく奥が深いし、どの分野でも当てはまるなって、刺激になりました。
「死ね」という騒ぎ散らかした表現は置いといて「タイパ(コスパ)主義批判」の何がいたたげけるわけにはいかないかってその先に続く言葉が大概の場合「タイパ(コスパ)効率の悪い俺の商品を買え!」で自分の一方通行でアンフェアな関係性を誰かに強要するためのレトリックとして利用されがちってことなんだよね
旧態依然の誰かに負担をかけながら存在してるゾンビ事業の加害者たちが、DXの洗礼を受けて、まるで世を呪詛しながら焼失してくタイプの亡霊の断末魔をあげながら滅びていってる過程を見ているようで最高
お二人の対談、面白いですね!
普段なんとなく無意識的に考えているけれど言語化出来ない思考と照らし合わせて解釈しながら観てます。
人間の原初的な喜びは結局のところ人間性を介した「好奇心と体験」だと思う。
私は音楽が趣味で正にサブスクの奴隷みたいな環境にいるけど、どれだけ普段使うDTMが高度になってデジタル音源が美麗になっても、本物のギターを掻き鳴らしてライブをした時の快感に勝ることはない。
タイパという言葉そのものが問題というよりは、何を持ってパフォーマンスとするか?という部分の定義が重要なのかなという気はしています。
そのパフォーマンスの定義が個々人の価値観に則って、それぞれ価値のあるものとして定義されているのであれば、それほど問題には感じません。
相変わらずバカ丸出しやな
実際に体験することは大事ですね。
仕事についても同じだと思った。
単にタスクをこなして成果物を出すことが仕事ではなく、その作業を通して同僚やお客様と関わり、様々な感情を抱くことが本当の仕事だと思う。
でも、リモートや効率化の果てに、それらが失われてしまって、非常に無機質でつまらなくなってきたような気がする。
コロナで東京から田舎に帰って一番贅沢なのは車で10分かけて喫茶店に行って、たった30分や1時間、コーヒーを飲みながら文庫本を読んで帰ってくるだけの時間だったりします。
やっぱ東浩紀は凄すぎるな。本物
コンテンツは、人間の根源的な欲求を満たすためのツールやきっかけでしかないのに、その手段が目的化しちゃった結果タイパなどの言葉が生まれて、みんなが違和感に気づき始めてるってことか?
陰謀論もコンテンツで、根源的に求めているのは、正義を行ってる感、私だけが知ってる優越感、同士とつながれる安心感。これらの欲求を満たすためのツールとして陰謀論は優れているってことなのか。
@@my-eo6eg テレビが与えてくれる世界観を丸ごと信じてるのも陰謀論者と同じ
世界と触れ合うためにテクノロジーを使っている、という言葉になるほどと思いました。自分の都合のいい情報だけ取り出すことができてしまうSNSは本質的には触れ合いを感じることができていないのかもしれないですね。
「死ね」という騒ぎ散らかした表現は置いといて「タイパ(コスパ)主義批判」の何がいたたげけるわけにはいかないかってその先に続く言葉が大概の場合「タイパ(コスパ)効率の悪い俺の商品を買え!」で自分の一方通行でアンフェアな関係性を誰かに強要するためのレトリックとして利用されがちってことなんだよね
旧態依然の誰かに負担をかけながら存在してるゾンビ事業の加害者たちが、DXの洗礼を受けて、まるで世を呪詛しながら焼失してくタイプの悪霊の断末魔をあげながら滅びていってる過程を見ているようで最高
これって、(おっさんのノスタルジー)な部分もあるんじゃね? 若い世代はそんなもの訓練で乗り越えるんじゃね?
(じっさい物理的経済的に大量の書籍やCDを所有して引っ越しで持ち歩くのが物理的経済的に無理だ。)
古来 理想とされたのは 書斎という空間の本箱やCDラックを眺めて過去の記憶を掘り起こして、現在の状況を好転させるヒントを得るために、参考になるコンテンツを再読・再生するわけだが、電子書籍や、電子化された音源の、インデックスが高度なものになって行けば、若い頃からの訓練で違和感なく使いこなせるようになるのでは?
自販機の缶コーヒーだって綺麗にインデックス化されているのだから、書斎の本棚だって自販機並みのデイスプレイにできると思うが。?
私達が自由を見出すのは無重力空間ではなく、重力の軛の中でこそ、ですね。
制限があるからこそ自由を求める。
自由が当たり前なら自由すら求めない。
落合陽一さんが話しても全く止まらず語り続けるのじわってしまいました笑
難しい話なのにわかりやすくて自分まで頭よくなった気になっている
「死ね」という騒ぎ散らかした表現は置いといて「タイパ(コスパ)主義批判」の何がいたたげけるわけにはいかないかってその先に続く言葉が大概の場合「タイパ(コスパ)効率の悪い俺の商品を買え!」で自分の一方通行でアンフェアな関係性を誰かに強要するためのレトリックとして利用されがちってことなんだよね
旧態依然の誰かに負担をかけながら存在してるゾンビ事業の加害者たちが、DXの洗礼を受けて、まるで世を呪詛しながら焼失してくタイプの亡霊の断末魔をあげながら滅びていってる過程を見ているようで最高
落合氏のコメントは、合いの手みたいなもの
頭いい人の話を聞くの好きなのはたぶんそういうことなんだなあ
東さんは、朝生に出ていた頃は一般意志2.0的制度を夢見てた感じだけど、『一般意志2.0』の巻末には既に「福島原発事故があって、それではダメだと思えてきた」みたいなことを言っていましたね。どの時期でも、彼の根底にある思想は「人はどうすれば濃密に生きられるか」なんでしょう。
現代人はエゴが強すぎる気がする
喜びって奥が深いですね…
東さんの要約力が一番タイパいいと思ってます🤤
自分が紙の本を愛している理由が分かった気がする。
3:12 この早さで合ってるって返せるの、常人のソレではないよな。お二方ともすごいよ
流石に憐れみがルソーは共通テスト倫政レベルだよ…
あんたはまだコンテンツベースで生きてるんだな
対談のお話し、いつも参考にさせていただいてます。
自分は情報としての音楽コンテンツを、スピーカーで流しながら料理することで、体験価値に昇華させてるけどな。
実は使い方の工夫次第なんじゃないかな?
日本人の一人でも多くが、スマホを見る時間を減らして睡眠時間を30分でも1時間でも増やせば、社会のあらゆる問題が劇的に解消すると思う。
これはみんな見た方がいい
やっぱり体験することが重要ですよねぇ
落合さんの髪型、可愛いです。お二人の会話、弾んでいて面白いです。
資本主義の世の中ではテクノロジーが進化していくにつれモノが効率化していき便利になる=コスパ、タイパ的に最適化されていくことは止められないんでしょう それこそ「接触」「体験」が重視されるようになったら一周回って茶道ブームとか来るかもしれませんが
単純に若い頃は冷凍食品でも良かったけど、歳をとると手作りの家庭料理が食いたくなる。
タイパとか言葉だけで本気でそれに則る行動しかしない人なんていない
コンテンツはそれが間違ってるんじゃなくてどう消費するか
そういう意味で内容に関しては机上の空論にしか聞こえないわけだけど、このスピードでわかりやすく話せるのはとても尊敬する
激しく同意で、もやもやが明確化されました!
こんな議論は高校生でもできるよ。前からこんなの考えてたよ。落合さんも、むずかしそーな用語並べてるだけだなあ。日本の論者はもっと高度な議論というか、発見的な話してくれろ
哲学者は質の高い逆張りで世間を悩ませたり立ち止まらせたりするのが仕事だから、主張に一貫性は無いけど世間と視点をズラして変なこと言い続けるという事に関しては一貫してるのよ。端から明日には真逆のことを言ってる可能性がある生き物ということだけ承知しておけばよい。引用する目的でこういう人の話を聞いてはいけない。
リアルに体感することが大切ですね
このような対談も真実でもなんでもない、体験あるのみ、体感が本物、真実。
《質量》が付随するモノ・体験は割高になる(物流コスト、交通費など)から、時間も金もない若者はタイパの良い《コンテンツ》を消費せざるを得ない(無自覚だったとしても)という、マクロ経済的な問題も大きな要因としてある気がするな。。。
《無駄》に金を費やせる程度の余裕(可処分所得)を。
とても素晴らしい考察だと思います。
12:28 こういう相槌とか、落合さんがタイパ側の人間なんじゃないかと感じてしまう
日々感じてるコレジャナイ感を見事に説明してくれてて驚いた。
ついにこの対談が実現してしまったか
シラスで落合陽一が見れる日も近い
東さんが言いたいことって、今まで人間がその事物の本質的(=バーチャル)な点だと考えているものの誤謬(恣意性?)に対することであって、落合さんが言うレコードの例にあてはまるような物質非物質についてのことではないと思う。僕はバカだから多読できないんだけど、紙の本は残りがどんどん減ってくから読書には楽しさに加えて達成感があったりするけど、電子書籍ではそれを感じるのが難しい。東さんが言いたいのはこういう読書の単純な喜びが、「単純な物語の楽しさ」だけを追求するコンテンツ読書に変わってしまっているということを指摘しているのではないか。と思う。
テレビ局ができる時、映画館が潰れるじゃないかと思った人がいたけど、いまだ映画館はなくなっていない。レコードを買い求める人がいる。本屋さんも結構人がいる。ライブもある。デジタルコンテンツが主流でも、体験を求めることは変わらないと思います。数的な減少はあるかもしれないけど。うまくできたもので、人は揺り戻されるんだと思います。
ダイパって結局は、集中力欠如した人間が、数秒単位のコンテンツしか認知できなくなってるだけじゃないかな。
いいモノは、長く時間を使うだけの価値があるのに。
こういった議論はいつの時代もあったと思う。レコードが発明され音が録音されるようになった時、タイプライターやワードが市場に現れた人々がペンを持たなくなった時もそうだったかもしれない。
この動画を1.5倍速でみてるけど強く生きる
生きてない方がいい、そう思っている人への提言をお願いします。
もしかしたら、タイパを求める人も何かあるかもしれませんさかいに。
アナログの体験、経験大切だと思います。質量なくなると、心が貧しくなりそうです。
なるほど…面白かったです🍀