Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
鋸山、日本じゃないみたいな雰囲気で好きです!天気の良い風景の動画を探していてこちらに辿り着きました。楽しく綺麗な動画なので何回も観ようと思います
ありがとうございます!
鋸山は20年ばかり前の釣行の際海岸から見上げたことがありましたが、今回の動画を拝見し、膨大な数の石造群と日本寺寺域の広さに改めて驚きました。西暦660年百済が、同668年には高句麗が滅亡し統一新羅が成立した後、わが国には多くの朝鮮系渡来人が、養蚕、機織、土木、銅・鉄の精錬技術を携えて渡来したことが、日本書紀の天武朝、持統朝の条に記録されています。日本寺の開祖とされる行基はこれら朝鮮系渡来人の内「秦氏」(京都・太秦が本貫)の末裔で、晩年は聖武天皇から東大寺建立の責任者に任ぜられた人物としても有名ですが、関東には高尾山の薬王院など行基が開いたとされる寺院が多く存在し、これら秦氏系渡来人の精神的支柱であったことが伺えます。また日本寺には聖徳太子信仰の痕跡が残されていますが、広隆寺を建立した秦一族の秦河勝は聖徳太子との縁が深いことから、これも秦氏系統の影響かもしれません。千葉県には、今でも利根川の砂州には群馬県の磁鉄鉱鉱脈を源とする砂鉄が取れ、また数多くの製鉄遺構が存在しますが、これら金属の精錬技術は上記渡来人がもたらしたものとされています。房総には「金谷」「金山」「鍛冶谷」「金糞(草)」等の製鉄に関係する地名、祭神を製鉄神とする神社が多く残されており、古代では製鉄が盛んにおこなわれた地域であったことが分かります。鋸山との関係では登山口にあたる富津市浜金谷に、720年創建とされる金山神社があり、「鉄尊様」と呼ばれる古代の製塩窯が祭られていています。上記のような日本寺・金山神社の創建時期の近似性、渡来系製鉄・鉱山技術者とのかかわり等から、日本寺創建には有力な鍛冶氏集団が関わっていたことが推測されます。一方、製鐵には大量の木炭を消費するため、鍛冶氏は森林資源を求めて移住を繰り返していました。中世になるとこの地域の製鐵遺構は見られなくなり、日本寺は神仏習合の修験道が盛んにおこなわれるようになりますが、山伏と鍛冶師は密接な関係にあり、鍛冶師が鋸山を去った後もその一派がこの地に留まり、その鉱山技術を使って房総石の採掘に活躍したことが伺えます。近世に至る膨大な石造の宗教遺物はこれら技術者の寄進によるものではないでしょうか。日本寺はその後衰微の道をたどり、第二次大戦中は軍の要塞になりますが、盛時の大伽藍には及ばないものの戦後は再建が進み現在に至っています。以上、日本寺の辿った変遷の歴史、稲作・単一民族という日本の基調文化とは対立軸にある、山の神、山岳宗教、渡来人による金属精錬、鬼伝説、縄文的なるもの等日本文化のもう一つの極がこの地域に詰まっており、とても勉強になりました。追伸今回、ネット検索をしたところ千葉大学井上孝夫氏の「房総地域の山岳宗教に関する基礎的考察」「金谷神社大鏡鉄の由来について」の2論文を読むことが出来ました。金谷神社神宝の由来や里見氏と鍛冶師との関係についての記述もあり参考になりました。
鴨川〜東京湾フェリーのバスは3月で廃止されますね。このルートも徒歩が多くなるので、残念です😭
そうなんですね…便利なルートかと思ったんですが、地元民の需要があまりない感じですかね。
@@akihirobaどちらかと言えば利用者より運転手不足でしょうね。鴨川までの観光客の需要はありましたから…
鋸山、日本じゃないみたいな雰囲気で好きです!
天気の良い風景の動画を探していてこちらに辿り着きました。
楽しく綺麗な動画なので何回も観ようと思います
ありがとうございます!
鋸山は20年ばかり前の釣行の際海岸から見上げたことがありましたが、今回の動画を拝見し、膨大な数の石造群と日本寺寺域の広さに改めて驚きました。
西暦660年百済が、同668年には高句麗が滅亡し統一新羅が成立した後、わが国には多くの朝鮮系渡来人が、養蚕、機織、土木、銅・鉄の精錬技術を携えて渡来したことが、日本書紀の天武朝、持統朝の条に記録されています。
日本寺の開祖とされる行基はこれら朝鮮系渡来人の内「秦氏」(京都・太秦が本貫)の末裔で、晩年は聖武天皇から東大寺建立の責任者に任ぜられた人物としても有名ですが、関東には高尾山の薬王院など行基が開いたとされる寺院が多く存在し、これら秦氏系渡来人の精神的支柱であったことが伺えます。また日本寺には聖徳太子信仰の痕跡が残されていますが、広隆寺を建立した秦一族の秦河勝は聖徳太子との縁が深いことから、これも秦氏系統の影響かもしれません。
千葉県には、今でも利根川の砂州には群馬県の磁鉄鉱鉱脈を源とする砂鉄が取れ、また数多くの製鉄遺構が存在しますが、これら金属の精錬技術は上記渡来人がもたらしたものとされています。房総には「金谷」「金山」「鍛冶谷」「金糞(草)」等の製鉄に関係する地名、祭神を製鉄神とする神社が多く残されており、古代では製鉄が盛んにおこなわれた地域であったことが分かります。鋸山との関係では登山口にあたる富津市浜金谷に、720年創建とされる金山神社があり、「鉄尊様」と呼ばれる古代の製塩窯が祭られていています。
上記のような日本寺・金山神社の創建時期の近似性、渡来系製鉄・鉱山技術者とのかかわり等から、日本寺創建には有力な鍛冶氏集団が関わっていたことが推測されます。
一方、製鐵には大量の木炭を消費するため、鍛冶氏は森林資源を求めて移住を繰り返していました。中世になるとこの地域の製鐵遺構は見られなくなり、日本寺は神仏習合の修験道が盛んにおこなわれるようになりますが、山伏と鍛冶師は密接な関係にあり、鍛冶師が鋸山を去った後もその一派がこの地に留まり、その鉱山技術を使って房総石の採掘に活躍したことが伺えます。近世に至る膨大な石造の宗教遺物はこれら技術者の寄進によるものではないでしょうか。
日本寺はその後衰微の道をたどり、第二次大戦中は軍の要塞になりますが、盛時の大伽藍には及ばないものの戦後は再建が進み現在に至っています。
以上、日本寺の辿った変遷の歴史、稲作・単一民族という日本の基調文化とは対立軸にある、山の神、山岳宗教、渡来人による金属精錬、鬼伝説、縄文的なるもの等日本文化のもう一つの極がこの地域に詰まっており、とても勉強になりました。
追伸
今回、ネット検索をしたところ千葉大学井上孝夫氏の「房総地域の山岳宗教に関する基礎的考察」「金谷神社大鏡鉄の由来について」の2論文を読むことが出来ました。金谷神社神宝の由来や里見氏と鍛冶師との関係についての記述もあり参考になりました。
鴨川〜東京湾フェリーのバスは3月で廃止されますね。
このルートも徒歩が多くなるので、残念です😭
そうなんですね…
便利なルートかと思ったんですが、地元民の需要があまりない感じですかね。
@@akihirobaどちらかと言えば利用者より運転手不足でしょうね。鴨川までの観光客の需要はありましたから…