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2000年の大河ドラマ『北条時宗』の名越流北条家の謎がようやく解けました。同じ北条家なのにどうしてあそこまで敵対しているのか疑問だったのですが、おかげですっきりしました。 このチャンネルでは過去疑問に思っていた疑問が解説されているので助かっています。
「時政系北条氏(そもそも時政自身が北条氏の嫡系では無い感じ)」の嫡流が時政→政範…(早世したんで仕方ないから)→江間系の義時→最初の正室(比企氏)の長男の朝時→(勘当)→最後の正室(伊賀氏)の長男の政村→(ゴタゴタしたから)→じゃあもう正室腹じゃない庶長男の泰時が継げ!って複雑な感じで変わってるからなぁ
いつもありがとうございます。毎回楽しみにしております
この時代、跡継ぎになれるかどうかは後ろ盾次第でしたから比企氏が滅びた時点で朝時が北条氏の跡を継ぐ可能性はなかったとは思うんですけどね
確かにそうなのですが、泰時も母は不明で後ろ盾はなく、伊賀の方の子は幼く伊賀氏も勢力はそこまで大きくないので、朝時にも可能性は十分あったのではないかなとも思います。
朝時の名越流、重時の極楽寺流、政村の政村流、実泰の金沢流沢山子供がいてビックリ
大河「北条時宗」では北条重時(平幹二朗)北条正村(伊東四朗)北条実泰の子、北条実時(ピーター) でしたね
@@ドミニオンパワー それ当時のピーターさんは池畑慎之助として受けていたらしいですよ。なのでメッチャ漢って感じで貫禄ありましたし。生で見ていてここまで演じ分けれる?と思ってました。
基本的にピーターさんは、本人曰く、俳優活動の時は、池畑慎之介の名義、その他、歌手活動等はピーター名義でされているとの事。
ありがとうございます!
応援ありがとうございます!
朝時は武勇には優れているけど政治には向いてないと判断されたんだろうな。
01年『北条時宗』で、名越時章は白竜さんが演じてましたね。悪役で(笑)時輔(渡部篤郎)は義宗(宮迫博之)に討たれたはずが生きていた設定…
名越時章の討伐事件は漫画アンゴルモアでも描かれてましたネ
北条家の独立勢力だったのが宮騒動、二月騒動を経て完全に得宗家に取り込まれ、最後は共に滅亡?した流れか……なんとも無情な系譜
見る前は、「このチャンネルで取り上げるには小者過ぎるのでは?」と思いましたが、子孫もいろいろやからしていて、ネタが豊富だったのですね。ところで、余計なお世話ですが、タイトルに「名越流」と入れれば、興味を持つ人がもっと多かったのではないでしょか。また、このチャンネル、中で解説される話にはいつも満足しておりますが、バックの画像は、ここで家系図が出れば判り易いんだけどなぁ、と思うことがあります。
貴重なご意見ありがとうございます!名越流、最初はサムネに入れていたのですが、大河を見ているだけの方には馴染みのない名称かなと思い消してしまいました…認識違いでしたね。今となっては入れた方が良かったなと思っております。。家系図については手が追いつかず完全にサボってしまっています…申し訳ないです…
鎌倉時代は正室の子供だからと言って後継者に指名されることはなかったようです。金沢貞顕も庶子ながら金沢家の後継者となり執権にまでなりました。朝時は名越流として子孫は残りましたが、時宗の時の2月騒動で粛清されました。朝時と同じ母親として重時のほうが重要視され重時の子供の長時は得宗家以外で初の執権になりましたし、最後の執権赤橋守時も重時の子孫ですね。
大河「太平記」では北条実泰の子孫の15代執権金沢貞顕(児玉清)北条重時の子の6代執権北条長時(川崎磨世)と続く子孫は最後の16代執権赤橋守時(勝野洋)に繋がりますね赤橋守時の妹登子(沢口靖子)が足利尊氏の正室となり足利義満など足利将軍家に繋がる北条重時の子孫が一番繁栄したのかな?
登子の実家ということもあって、足利尊氏は赤橋家の関係者を積極的に採用していましたね(笑)。
鎌倉殿の13人では西本たけるさんが北条朝時を演じていますね。
???「ジジイうるせぇんだよ!」
解説を有難う御座います。得宗家は、鎌倉御家人の一人に過ぎないわけですが(これは鎌倉殿と主従関係を結ぶということだと思うのですが)、名越流北条氏も、鎌倉殿と主従関係を結ぶ御家人となつたのですね。重時も政村も鎌倉殿の主従関係を持ち、御家人になつているということでしようか。光時、時章も宮騒動の時点ては、御家人身分にあつたと思います。おそらく、元服と同時に主従関係を結ぶのだろうと思いますが…。鎌倉時代の御家人とは、惣領以外も御家人になるというルールなのか、曖昧なまま考えたことがありませんでした。惣領の家来になるのかなと思っていましたが、それは間違いかもしれないと、動画を拝見し気になるようになりました。
惣領以外も御家人になるかは、父親から財産を分割されるかというところが一番大きいかと思います。御家人である父親から分割相続されれば、別家を立てるという意味で新たに御家人になるという認識かと考えています。
@@rekishock 江戸時代で考えれば伊達秀宗がそうですよね。大阪の陣で伊予宇和島を父・政宗が賜りそこから分割されて分家したわけですし。まぁ~最初から出来レースの感は否めませんが。
本来は嫡流であったのに外された怨念が、朝時を始祖とする名超流北条氏にはあった様ですね。その嫡男光時も反得宗家を鮮明にし、その結果鎌倉時代を通じて名超流は執権・連署といった要職に誰一人として選ばれていません。対照的なのは足利氏に置ける斯波氏で(北条氏と異なり、兄から弟へ嫡流が変わる)コチラは足利宗家と良好な関係を維持した為、室町時代も三管領の筆頭として栄えました。
御家騒動は力を弱める❗
重時が朝時の同腹弟なら何故義時は朝時を廃嫡せず庶長子の泰時に家督を相続させたのか?重時が正室の子供で年齢も十分だったのに、本来なら重時に家督相続させ泰時を補佐につけるのが筋だと思うのだが?
泰時も、年長者として侍所の別当になったり、後継者としての地位を与えられていますが、明確に義時から家督を譲られたわけではないですからね。義時がもっと長生きしていたら重時なり政村を後継者にして、泰時、時房に支えさせる体制を作った可能性も0ではないと思います。
@@rekishock 北条時輔・時宗の関係がいい例ですものね。元服の烏帽子親が誰だったかで考えれば一目瞭然でしたが。
因みに、おんな城主直虎の新野左馬之助の出身地です。自分ま〜関係ないですが🤣
すみません!御台所の女房とはいったい?御台所は女性と認識してますが、その女房とは何ですか?
女房は妻を意味しているのではなく、貴人の側で仕えるある程度身分の高い女性という意味です!京都の貴族、藤原親康の娘で身分の高い女性なので、侍女ではなく女房という扱いになっています。
@@rekishock ご丁寧にありがとうございます。勉強になりました。
泰時は、父義時を反面教師として、名執権になったのかな🤔
主君の御台所に手を出すとは、ヤバいですね。
御台所の女房 = 御台所のメイドさん御所の女房衆はおおよそ鎌倉武家出自の娘。
北条時宗は蒙古来襲の時に一生懸命やりました
え?侍女でなく御台所に???
ややこしい表現で申し訳ないです。実朝の御台所の女房で、松嶋局などと呼ばれていたようです。そこそこ身分の高い女性なので、侍女というには不適切かと思い、女房という表現を使わせていただきました。
@@rekishock 御台所とは将軍の本妻って意味ではないですかね?将軍の側室で良いのではないでしょうか?てか、いずれにせよ将軍の妻に手を出そうとしてたとはビックリですね。あれ?実朝は側室はいなかったんですよね???
15:50細かい事ですが名越流です。
ご指摘ありがとうございます!最初名越家で原稿案を作っていて途中で名越流に変えたのですが、修正抜けてしまったようです…
p
有力一族に大仏流がありますが、これを何故オサラギと呼ぶのでしょうか?
Wikipedia知識で恐縮なのですが、山形県の若木山(おさなぎやま)が別名大仏山と呼ばれていて、大仏→おさなぎ→おさらぎと読むようになった、鎌倉大仏を大きな新参者という意味でオホサラギと呼んだなど諸説あるようです。
北条義時の弟、北条時房(瀬戸康史)の子孫が大仏氏ですね
名越家については、あまり大きく取り上げられてないんですよね。ここでリクエストではありますが、『島家三代記』というのでお願い致します。島安次郎・島秀雄・島隆の三代で成る家系であり、「新幹線を作り上げた一族」となっています。これだと、近現代史の動画となりますが…。
近現代史については、近代日本を作った政治家や実業家などを中心とした別チャンネルを作ろうかなと構想はしているのですが、鎌倉時代で手一杯で実行に移せておらず…島秀雄いいですよね!実績も素晴らしいですし家系の歴史もありますし個人的に好きです。
レキショック様 ふむふむ、近現代史専門の別チャンネルを創設する予定があるのですね。まあ、そのほうがいいでしょうね。対象となる人物と言うと、渋沢栄一とか五代友厚とか、そっち系統ですかな?
そうですね。渋沢や五代よりはもっとマイナーで、だけども大きな貢献をした人物にスポットライトを当てたいという感じです。再生数期待できなさそうですが…笑
レキショック様 ふと思ったのですが、渋沢栄一にしても五代友厚にしても、それまであまり脚光を浴びなかった人物ですよねぇ…。幕末界隈だと、龍馬・隆盛・海舟・松陰とかが有名になり過ぎてる感が…。
2000年の大河ドラマ『北条時宗』の名越流北条家の謎がようやく解けました。同じ北条家なのにどうしてあそこまで敵対しているのか疑問だったのですが、おかげですっきりしました。 このチャンネルでは過去疑問に思っていた疑問が解説されているので助かっています。
「時政系北条氏(そもそも時政自身が北条氏の嫡系では無い感じ)」の嫡流が時政→政範…(早世したんで仕方ないから)→江間系の義時→最初の正室(比企氏)の長男の朝時→(勘当)→最後の正室(伊賀氏)の長男の政村→(ゴタゴタしたから)→じゃあもう正室腹じゃない庶長男の泰時が継げ!って複雑な感じで変わってるからなぁ
いつもありがとうございます。毎回楽しみにしております
この時代、跡継ぎになれるかどうかは後ろ盾次第でしたから比企氏が滅びた時点で朝時が北条氏の跡を継ぐ可能性はなかったとは思うんですけどね
確かにそうなのですが、泰時も母は不明で後ろ盾はなく、伊賀の方の子は幼く伊賀氏も勢力はそこまで大きくないので、朝時にも可能性は十分あったのではないかなとも思います。
朝時の名越流、重時の極楽寺流、政村の政村流、実泰の金沢流沢山子供がいてビックリ
大河「北条時宗」では
北条重時(平幹二朗)
北条正村(伊東四朗)
北条実泰の子、北条実時(ピーター)
でしたね
@@ドミニオンパワー それ当時のピーターさんは池畑慎之助として受けていたらしいですよ。なのでメッチャ漢って感じで貫禄ありましたし。生で見ていてここまで演じ分けれる?と思ってました。
基本的にピーターさんは、本人曰く、俳優活動の時は、池畑慎之介の名義、その他、歌手活動等はピーター名義でされているとの事。
ありがとうございます!
応援ありがとうございます!
朝時は武勇には優れているけど政治には向いてないと判断されたんだろうな。
01年『北条時宗』で、名越時章は白竜さんが演じてましたね。悪役で(笑)
時輔(渡部篤郎)は義宗(宮迫博之)に討たれたはずが生きていた設定…
名越時章の討伐事件は漫画アンゴルモアでも描かれてましたネ
北条家の独立勢力だったのが宮騒動、二月騒動を経て完全に得宗家に取り込まれ、最後は共に滅亡?した流れか……なんとも無情な系譜
見る前は、「このチャンネルで取り上げるには小者過ぎるのでは?」と思いましたが、子孫もいろいろやからしていて、ネタが豊富だったのですね。
ところで、余計なお世話ですが、タイトルに「名越流」と入れれば、興味を持つ人がもっと多かったのではないでしょか。
また、このチャンネル、中で解説される話にはいつも満足しておりますが、バックの画像は、ここで家系図が出れば判り易いんだけどなぁ、と思うことがあります。
貴重なご意見ありがとうございます!
名越流、最初はサムネに入れていたのですが、大河を見ているだけの方には馴染みのない名称かなと思い消してしまいました…認識違いでしたね。
今となっては入れた方が良かったなと思っております。。
家系図については手が追いつかず完全にサボってしまっています…申し訳ないです…
鎌倉時代は正室の子供だからと言って後継者に指名されることはなかったようです。
金沢貞顕も庶子ながら金沢家の後継者となり執権にまでなりました。
朝時は名越流として子孫は残りましたが、時宗の時の2月騒動で粛清されました。
朝時と同じ母親として重時のほうが重要視され重時の子供の長時は得宗家以外で初の執権になりましたし、最後の執権赤橋守時も重時の子孫ですね。
大河「太平記」では北条実泰の子孫の15代執権金沢貞顕(児玉清)
北条重時の子の6代執権北条長時(川崎磨世)と続く子孫は最後の16代執権赤橋守時(勝野洋)に繋がりますね
赤橋守時の妹登子(沢口靖子)が足利尊氏の正室となり
足利義満など足利将軍家に繋がる
北条重時の子孫が一番繁栄したのかな?
登子の実家ということもあって、足利尊氏は赤橋家の関係者を積極的に採用していましたね(笑)。
鎌倉殿の13人では西本たけるさんが北条朝時を演じていますね。
???「ジジイうるせぇんだよ!」
解説を有難う御座います。
得宗家は、鎌倉御家人の一人に過ぎないわけですが(これは鎌倉殿と主従関係を結ぶということだと思うのですが)、名越流北条氏も、鎌倉殿と主従関係を結ぶ御家人となつたのですね。重時も政村も鎌倉殿の主従関係を持ち、御家人になつているということでしようか。光時、時章も宮騒動の時点ては、御家人身分にあつたと思います。おそらく、元服と同時に主従関係を結ぶのだろうと思いますが…。
鎌倉時代の御家人とは、惣領以外も御家人になるというルールなのか、曖昧なまま考えたことがありませんでした。
惣領の家来になるのかなと思っていましたが、それは間違いかもしれないと、動画を拝見し気になるようになりました。
惣領以外も御家人になるかは、父親から財産を分割されるかというところが一番大きいかと思います。
御家人である父親から分割相続されれば、別家を立てるという意味で新たに御家人になるという認識かと考えています。
@@rekishock 江戸時代で考えれば伊達秀宗がそうですよね。大阪の陣で伊予宇和島を父・政宗が賜りそこから分割されて分家したわけですし。まぁ~最初から出来レースの感は否めませんが。
本来は嫡流であったのに外された怨念が、朝時を始祖とする名超流北条氏にはあった様ですね。
その嫡男光時も反得宗家を鮮明にし、その結果鎌倉時代を通じて名超流は執権・連署といった要職に誰一人として選ばれていません。
対照的なのは足利氏に置ける斯波氏で(北条氏と異なり、兄から弟へ嫡流が変わる)コチラは足利宗家と良好な関係を維持した為、室町時代も三管領の筆頭として栄えました。
御家騒動は力を弱める❗
重時が朝時の同腹弟なら何故義時は朝時を廃嫡せず庶長子の泰時に家督を相続させたのか?重時が正室の子供で年齢も十分だったのに、本来なら重時に家督相続させ泰時を補佐につけるのが筋だと思うのだが?
泰時も、年長者として侍所の別当になったり、後継者としての地位を与えられていますが、明確に義時から家督を譲られたわけではないですからね。
義時がもっと長生きしていたら重時なり政村を後継者にして、泰時、時房に支えさせる体制を作った可能性も0ではないと思います。
@@rekishock 北条時輔・時宗の関係がいい例ですものね。元服の烏帽子親が誰だったかで考えれば一目瞭然でしたが。
因みに、おんな城主直虎の新野左馬之助の出身地です。自分ま〜関係ないですが🤣
すみません!
御台所の女房とはいったい?
御台所は女性と認識してますが、その女房とは何ですか?
女房は妻を意味しているのではなく、貴人の側で仕えるある程度身分の高い女性という意味です!
京都の貴族、藤原親康の娘で身分の高い女性なので、侍女ではなく女房という扱いになっています。
@@rekishock ご丁寧にありがとうございます。
勉強になりました。
泰時は、父義時を反面教師として、名執権になったのかな🤔
主君の御台所に手を出すとは、
ヤバいですね。
御台所の女房 = 御台所のメイドさん
御所の女房衆はおおよそ鎌倉武家出自の娘。
北条時宗は蒙古来襲の時に一生懸命やりました
え?侍女でなく御台所に???
ややこしい表現で申し訳ないです。
実朝の御台所の女房で、松嶋局などと呼ばれていたようです。
そこそこ身分の高い女性なので、侍女というには不適切かと思い、女房という表現を使わせていただきました。
@@rekishock 御台所とは将軍の本妻って意味ではないですかね?将軍の側室で良いのではないでしょうか?てか、いずれにせよ将軍の妻に手を出そうとしてたとはビックリですね。あれ?実朝は側室はいなかったんですよね???
15:50細かい事ですが名越流です。
ご指摘ありがとうございます!
最初名越家で原稿案を作っていて途中で名越流に変えたのですが、修正抜けてしまったようです…
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有力一族に大仏流がありますが、これを何故オサラギと呼ぶのでしょうか?
Wikipedia知識で恐縮なのですが、山形県の若木山(おさなぎやま)が別名大仏山と呼ばれていて、大仏→おさなぎ→おさらぎと読むようになった、鎌倉大仏を大きな新参者という意味でオホサラギと呼んだなど諸説あるようです。
北条義時の弟、北条時房(瀬戸康史)の子孫が大仏氏ですね
名越家については、あまり大きく取り上げられてないんですよね。
ここでリクエストではありますが、『島家三代記』というのでお願い致します。
島安次郎・島秀雄・島隆の三代で成る家系であり、「新幹線を作り上げた一族」となっています。
これだと、近現代史の動画となりますが…。
近現代史については、近代日本を作った政治家や実業家などを中心とした別チャンネルを作ろうかなと構想はしているのですが、鎌倉時代で手一杯で実行に移せておらず…
島秀雄いいですよね!実績も素晴らしいですし家系の歴史もありますし個人的に好きです。
レキショック様 ふむふむ、近現代史専門の別チャンネルを創設する予定があるのですね。まあ、そのほうがいいでしょうね。
対象となる人物と言うと、渋沢栄一とか五代友厚とか、そっち系統ですかな?
そうですね。渋沢や五代よりはもっとマイナーで、だけども大きな貢献をした人物にスポットライトを当てたいという感じです。
再生数期待できなさそうですが…笑
レキショック様 ふと思ったのですが、渋沢栄一にしても五代友厚にしても、それまであまり脚光を浴びなかった人物ですよねぇ…。幕末界隈だと、龍馬・隆盛・海舟・松陰とかが有名になり過ぎてる感が…。