サハE230-500の後期製造車両がたった5年で廃車になった一方で、最後は床が波打ち満身創痍になりながら21年余り生き延びたサハE230-901の豪運っぷりよ。。。
キハ285系が発表されたとき、本当にワクテカしたなあ。
ハイブリットで8度傾斜、時速140キロで直線もカーブも爆走。
本当に残念
キハ281・283のスーパー北斗・おおぞら爆走を経験してたんで、オレもキハ285の異次元爆走を楽しみにしてたけど、数々のJR北海道トラブルが無くて投入されていたら、出鱈目保線の函館本線にて福知山線以上の大脱線事故が起きてたかもな。
JRではありませんけど、東京都交通局の10-300R形という先頭車だけを新しくした車種も短命でした!
京葉線沿線に住んでいるため、E331系には10回程度乗車する機会があったと思います。一部の車両はクロスシートで、走行音も静かで乗り心地は申し分なかったのですが、廃車はともかくコンセプトも受け継がれなかったのは少し残念に思います。
5:50 DD91とDD54は異なる車両ですよ。確かにエンジンやミッションなど主要部品は同じものを使っていますが、同一形式ではありません。DD91は昭和37年から国鉄が借入使用していましたが、昭和40年にメーカーへ返却されています。
EF500の短命の理由は他にも携帯電話で問題になった「電磁波」で、旧通産省エネルギー庁によって定められた
「高圧または特別高圧で受電する需要家の高調波抑制対策ガイドライン」の規制値をクリアするのが難しかった
という環境対策の犠牲となったというのもあります。
日本で一番連接車のノウハウを持つと言える小田急でも、
保守時に分割するのが大変ということで採用されなくなりました
50000系VSEは車体構造が災いして17年で定期運用終了に
かつて10000系や10100系といった2階建て連接式特急車両を運転していた近鉄も、連接式をやめて久しいです。
連接式は整備などで車体をジャッキアップする時、専用のジャッキが必用なので対応出来る車両基地が限られるという問題もあるそうです。
215系は昔わざわざ東京駅まで東海道線の車両に乗りに行ったりしましたね。
2階部分は目の高さに駅名の看板があり、1階部分は目の高さにプラットフォームの淵がある。新鮮な感覚でした。
関西人の私は215系と聞けば、近鉄の20100系初代あおぞら号を思い出しますね。
20100系も通勤輸送に試用されたことがありますが、乗降に時間が掛かるので結局通勤輸送には使えないという結果でした。
オール2階建て車両の宿命ですね。
修学旅行など団体輸送には凄いポテンシャルを発揮しますけど。
209系900番台は機器類が量産車と異なり、整備性に問題があったのでしょう。
当方は、平塚市内に住んでいた当時、215系の「ライナー」に乗るために、通常昼に起きるのを、朝6時台に起きて、バスで平塚駅に向かった事がありました。
そのような構造の車両、ついこの間、京阪の8000系で、階下席を体験してきました。確かに窓の下から見上げて、隣の車両の機器が間近に見られたものの、ずっと上を見ていたら肩がこって頭が痛くなってしまった…
EF200は日立が機関車事業から撤退したのが痛手だったよね💦
もし未だに部品だけでも供給してればこんなことにはならずに桃太郎と一緒に活躍してたんだろうな…もっと見たかった。
E331系は時代を先取り過ぎて当時としてはとんでもないくらいハイスペックだった
・14両のうちパンタグラフ2基だけ
・(2006年当時珍しかったかも)LCD搭載、通勤型初の自動放送、バリアフリーなど、設備という設備が今の最新車両の設備基準に
・何より走行音が今のPMSM搭載車両やSic-VVVF車両を超える程静か
・京急1000系1890番台で採用されてる、クロスシート←→ロングシートの似たような転換ができるとのこと
215系の運用制限の背景には、バリアフリー推進も大きく影響している。
近鉄にも短命な車両がありました。10000系初代ビスタカーは13年、10100系2代目ビスタカーは最長20年で全車引退しています。一方、30000系3代目ビスタカーは何度も更新工事を受け、車齢40年を超えて未だ全車健在です。
連接式はメンテナンスに手間が掛かるそうですね。
車体を持ち上げるのに専用のジャッキが必用とか…
確か高安車庫でしか整備が出来なかったと聞いたことがあります。
幼少の頃、近鉄10100系に乗りたくて何回も親にお願いしてました。
4歳の時に家族で伊勢志摩に旅行したのですが、その時に10100系に乗りました。
当時まだ新青山トンネルが開通する前でした。
それから数ヵ月後、あの悲惨な事故が…もっとも青山事故について詳しく知ったのは高校生くらいになってからでしたが。
近鉄特急用の車両は、製造元の近畿車両が一括製造している。
部品のメンテナンスも良いために、最近引退した12200系スナックカーは、最大50年も持った。
いろいろと勉強になります
そして、どの車輌も奥深いですね
EF500については、電力の問題ではなく誘導障害がひどすぎて使い物にならなかった事が主要因です。(一部文献にも出ていますが、当時のJR貨物の検修陣からも直接聞いています)
その通りです。結局、三菱川崎陣営が誘導障害を解決できなかったんです。ライバルの日立はその事をよく知っていて、出力を絞った上で日本海側に対応させたED500を登場させましたが、1000kWモーター使用の4軸駆動であったため、空転を抑えきれず、こちらも失敗作になってしまいましたね。
E331系、一度でいいから乗ってみたかった…
(ま、まあ同じ言葉でもどう受け取るかは人それぞれだよね…)
まあ走ってもすぐ壊れちゃうような車両でしたし、車庫で寝たきりになるのも当然でしょうかね…
自分は京葉線沿線だったこともあって2回乗ったことがあります。
当時の京葉線車両のなかでも近代的な内装だったこともあって私自身現在でも好きな車両です。
E331は2つに分割できる構造になっていて音を聞くと真ん中で音が1回変わるのが好きだった
E331は連接台車方式を採用して車両連結部も客室にする、1両当たりの車体長が14mと短くカーブを考慮しても車体幅を広くとれる、など、
既存の拡幅車両10両編成より更に収容力を高くして混雑緩和を狙った。
しかし韓国(大邱)の地下鉄火災の影響で、日本も国交省が各車両毎に火災時の煙のまん延防止に車端ドア設置が義務化。
この義務化が決まった時点で連接台車方式を採用するメリットがなくなり、E331系の命運は尽きた。
一番旅してる時期の京葉線は不思議な路線でした。電車のイメージカラーは赤なのに青い電車が走ってたり扉の位置が違ったり。
DD54良く覚えてます。日本離れしたデザインしてるなと子供の頃思ったのですが、のちにドイツのマイバッハ製というのを聞いて驚きました。やはり海外メーカーと提携するのは、メンテナンスを含め色々難しいのだと痛感しました。
マイバッハ機関とメキドロ変速機を組み合わせたディーゼル機関車は、本国ドイツは勿論イギリスや中国でも多用されましたが、それらの国では特に問題など無かったそうです。
残念ながら国鉄技術陣の技量不足と言わざるを得ません。
JR北海道のキハ130形やキハ285系は反面教師ともいえます。
すなわち、いくら頑張って努力しても、その環境が本当に実情と合致しているのかマーケティングを完璧に行わないと、その努力は全くの無駄になります。
自分も今までそれで失敗したことが何度もあるので、それらを反面教師にするべきだと思います。
DD54は一基1820ps馬力と、1機関単体として当時では最大の出力を持っていましたがメキドロ式変速機の構造の複雑さや推進軸の強度計算ミスが痛かったんですよね…亜幹線用の機関車の性能としては最適なのでより勿体ないというか…
阪急2800系の2897が1972年に登場したが1988年に廃車
其れならば役に立たなくなってきた鉄道車両などから全てのメダルや食器などへリサイクルして行く言葉ですよ。だからお財布などに優しい宝物ですよ。サラリーマンの皆様が待っていますよ。
215系は見た目も運用形態から見ても好きでした。一回だけ中央線のホリデー快速でこれに乗ったんですけど、人生初の2階建てかつ波動用特急だったんでめちゃ興奮して
それ以来ずっと気に入ってて、品川でも215を必死に探してたりしてたんですけど(笑)
ホームライナー廃止と共ないなくなると
聞いたときに本当にショックでしたね…
あと、E331に乗りたかった…たしか一度だけ見たような気がする…?
EF200とEF500はほぼ同時期にデビュー(EF200の方が数か月早い)して
新鶴見機関区の一般公開で展示してたけど
それまでの国鉄型機関車には無いデザインで本当にカッコ良かった
私は電気機関車の中ではEF200が一番好きです。
超大型機関車ですが流れる様な流線型のフォルムが堪らなく良いですね。
世界一格好良くて美しい電気機関車だと思います。
思い浮かぶのは少数派で早期廃車になった東武250系、デビュー後すぐに路線廃止になった下津井電鉄2000形(メリーベル号)、485系や583系の食堂車も短命なものが多かったです。下降窓の設計に不備があった155系や157系はほとんどが20年も持たずに廃車、営団1500NN形や北総7000系最終増備車も短命でした。
1500NNの最終者と01の最初の車は車齢が近かったですね。下降窓と言えばサロ165とキロ28もあり後にデザインを全く考慮しない2段上昇窓に改造されました、一部はクハ455-600に再改造されてるので結構長く活躍していました、クハ455-600はあまり違和感が無かったですね。
155系は小学生だった1982年秋、日光への修学旅行の際に乗りました。東京 - 上野の回送線を通るルートでしたが、翌年には回送線も155系も廃止(車)となったので、今考えると貴重な体験をしたのだな。
DD16 11が飯山線で旧型客車のイベント列車を牽引した時に撮影しましたが、その撮影が最初で最後になってしまいました。
撮影出来ただけ良かったかも知れないですが…。
こうして短命で終わった車輌とか見てると、ホントわずか数年で引退とかいるものなんですねぇ それを聞いてると、自分の地元の私鉄にも、1600系って車輌がいたのですが、あの車輌は途中で一部指定席に改装されたけど、それでも22年運用されてたから、まだ良かったかもしれない
EF200はパワーを持て余していたのもありますが、半導体部品の進歩が早くてEF200で使っている半導体部品が手に入らず保守が出来なくなると言う面もあったようです。国鉄型車両はそこまでコンピュータ化されていないのが幸いして保守は出来るようです。
DD45と表記されるDD54悲運すぎる
54が付いた機関車は必ず呪われるという言い伝えがある。
その数字が付いた機関車は必ず事故や故障を頻発する呪いがあり、失敗作になる確率が偉いほど高いのだ。」
8:01 山の青梅が海の青海になってる...
30年~40年…あの103系はじゃあ凄かったんだなぁ
47、8年とか…なんとか…
キハ285系の3年で解体は本当にもったいないことをしてはりますなぁ
DD54を残してくれたのが奇跡で嬉しい。播但線で高校時代乗ったから大好きな機関車だよ
国鉄側としては失敗の証拠隠滅の為に全車解体を狙ったらしいですが、其れを労組に「証拠」として保存させられる様に押し切られた的な裏話が。
JR各社が企画して、企業が開発した車両は、短命でもJR各社の歴史には確実に残る。
企業が売り込みをかけたけど、試験運用で問題が露見してそのまま消えた例もある。
近代では(株)日立製作所のED500がその例。
EF200は少数量産にとどまったし、最適化された車両は川崎と東芝に取られたからか、
日立はそのまま機関車製造から撤退してしまった。
EF200 901を水戸工場で静態保存してくれているのが救い。
1000馬力級エンジンを2台搭載よりも2000馬力級1台を搭載の方がなにかと効率がいいと考えるのは自然なことでしょうし、日本は海外から学んだ技術などを自国向けに改良進化させるのもお手の物でした。しかし、DD54だけはエンジンを初めとした動力系機器の構造の異常なまでの複雑さとライセンス契約などのしくじりのせいで・・・。
マイバッハ機関とメキドロ変速機を組み合わせたディーゼル機関車は本国ドイツは勿論、イギリスや中国などで多用されましたが、それらの国では大きな問題も無く運用されてました。
残念ながら当時の国鉄技術陣の技量不足もDD54が失敗した一因なんだと思います。
そもそもEF500が量産されなかったのは誘導障害が原因だしEF200が量産されたのはEF210の開発、生産までのつなぎ
もしEF200にも誘導障害が起きていたら量産されなかったはず
同時期に開発されたED500は資料が少ないせいかなかなかこういう動画には出てこなくて悲しい
ED500は日立が開発して自信満々でJR貨物に売り込んだけど空転が酷くて、のしつけて返却されたそうだ。
70トンにも満たない軽量車体に1000Kwの大出力電動機4基のD形では空転するのは当たり前かもしれない。
「DD54」の言語の違いによる開発の苦労話、興味深いですね。実は自動車の世界にも似たようなエピソードがあって、トヨタの「スープラ」(5代目モデル、独・BMW社と共同開発)も言語の違いによる情報共有だけで1年半近くもかかったとか。言語の壁ってヤツです。今も昔も海外との共同開発は難しいですね。
昔、ユーザーマニュアルを翻訳&編集する会社にいたんですが、英語担当者とドイツ語担当者が毎回の様に揉めていたのを思い出します。
理由は英語だと一つの言葉で済む用語がドイツ語だと用途ごとに違うからだとか(例えば燃料と潤滑油で容量に関する言い回しが変わる!)
ドイツ語って技術用語に関してはマジでややこしいんだなと痛感させられました。
EF200は「狭軌鉄道で世界最強の電気機関車」としてギネスに載ったこともあるとか…
そのEF200によって置き換わる予定だったEF66もデビュー当時は狭軌で世界最強の電気機関車だった。
しかし、結果的にはEF66が生き残るという皮肉。
最後のカニさんの電動発電機というのに驚きました、
電気で発電って面白い。
カニ22は後に一部が24系客車に編入されて、「カニ25」となったものがありますね。カニ25になった後、最初は寝台特急あかつきに使われてましたが、あかつきの24系客車撤退+完全14系化以降は寝台特急彗星、明星などに使用されました。
@@5red90 さん
当時の国鉄は慢性的な赤字でしたからね…。新型車両の投入も出来なけりゃ、地方(特に北海道)の盲腸式ローカル線延伸+そのローカル線同士を繋げる計画もままならない有様でしたから…
@@user-wy9th6fc2d
なぜカニ25をオンボロ電源車から改造したかっていうんじゃなく、真新しいカニ24-100をなぜカニ25にしなかったというのが不可解なんですよ。
まあ毎度お馴染み、国労研修等煩雑化対策でしょうが。
先行き短いオンボロ20系転用車に、当時新鋭な25型の一形式であるカニ25を付与するのも不可解ですね。
九州新幹線長崎ルートでのフリーゲージトレインも短命でしたね~!!。
確かに試験に於いてかなりの予算オーバーだったかも知れませんが、出来ていたら画期的だったはずですよね~!!。
新幹線のFGTは高速性能や軽量化など無茶苦茶な要求をされたのも短命に終わる一因だったのかもしれません。
ただ、最近になって近鉄など在来線でFGTを開発再開する動きが出てきました。
新幹線のFGTも決して無駄にはなってないと思います。
JR北海道最強のジェットエンジン除雪車
トキ17988改は実動3日とかって話
ジェットエンジン…スンバラスイ
別の方がアップされている動画でそのテスト光景がありました。バラストや踏切の踏板まで吹き飛ばしてしまい失敗。スラブ軌道or直結軌道+高架線ならワンチャン使えそうですが。
興味深いご説明をありがとうございました。
キハ40がいかに丈夫な車両ということですね😳
215系はせめて転換クロスシートを採用して欲しかったけど、JR東日本じゃ採用例がなかったしな。
5両編成×2本化してムーンライトながらに使えば、波動&大量輸送という点では適材適所だったかもしれないけど、時代的にもうすでに斜陽だったのが惜しい。
オール2階建て編成は通勤輸送には向かない。
近鉄も昔、20100系を通勤輸送に試用したことがあるけど、乗降に時間が掛かるので無理だった。
やはり団体輸送でないと真価を発揮できない。
結局悲劇とはいっても鉄だからもう何回でも活躍できるね!!
日高本線を走っていた、機動車のキハ130。
日高本線廃線で退役後、苫小牧駅の引き込み線上にずっと放置されていたよ。側面の書き込みイラストが可愛らしかったな。
8:01 青梅線が青海線になってます。お台場でコンサートがあるアイドルが間違えて乗っていまう・・・
そういえばパンタグラフのある電源車は24系にもあったように記憶しています。形式は忘れましたが編成の中程にロビーカー?みたいな内装の車両がありました。
DD16はまだ持った方。中型クラスでDD13とDE10があるが、DD13の方が先に全車除籍されてしまっている。あとカニ22についてですが、1968年に電動機とパンタが外されてしまったが、1972年には急行「安芸」格上げの下関行「あさかぜ」、急行格上げの「瀬戸」が登場していて、共通運用の両者は直流区間のみだから、逆にディーゼル機関を外して活用できたのではと思ってしまう。
カニ22なんて車両いたんですね…パンタグラフがついた客車っていうのが面白いなって思いました()
そういえば東武2080系という車両も短命でした。東部2000系の経年の浅い中間車を改造した車両で、
野田線で運用されてたんですが4年で廃車となった車両です。改造される前の車齢を含めれば21年ほど…()
この動画に出てきた車両と比べると短命とは言えないかもですが鉄道車両、また形式としては比較的短命な車両です…()
あとは都営地下鉄10-300R形の先頭車も短命でした…()
八戸臨海鉄道のdd16もこの前引退しましたね…寂しい限りです。
何故か国鉄では54と相性が悪く、C54然りDD54然りED54然り……これらも設計通りの性能を発揮できなかったり時代や環境に恵まれなかったりで悲運の車輛と言える。
当時京葉線沿いに住んでいて、14両仕様の乗車位置に驚きました
そういえばドアトラブルもあったような
昔の大阪市営地下鉄でも編成替えして、短命で余剰廃車になった車両があり、新30系の3043と3543はわずか9年(1984年〜1993年)で廃車になりました。
其れならば役に立たなくなってきた鉄道車両などから全てのメダルや食器などへリサイクルして行く言葉ですよ。だからお財布などに優しい宝物ですよ。サラリーマンの皆様が待っていますよ。
DD45いや54ですが、当時の我が国の工業力は低くドイツの設計要求にまで至らなかったというのが本音でしょう。ですがYS-11と同じく技術習得はあったと思います。こんどDD50やってください、、
E331系を
1度乗りました。
乗ったとつっても
たったの1駅しか乗らなかった。
そのときに
JRのスタンプラリーで
京葉線に乗るのに少なかったから
そのときに乗ることが出来ました。
この動画を見て思った
「そ~いえば山手線の6ドア編成なくなったな!!」
小学校の頃通学で、新宿の南口の階段の近いから山手線10号車の6ドア編成の部分に毎日乗ってたからなんかちょっと残念ですわ……
自分で席を出した時に周りから「そんな事出来るんだ!!」って目で見られるの好きだったw
急行「銀河」に連結されていたオシ16形食堂車も稼働期間は約11年(1962~1973)と短命だった。中央にビュッフェのようなカウンターがあり、その前後に椅子とテーブル、反対側にカウンターがある特異な配置だった。そして、電子レンジが新製当初から標準装備されていた。
短命のイメージが強い車両といえば、サシ481などの食堂車が真っ先に浮かびます。
中にはブルトレや「だんらん」に改造されましたが、短いものは20年足らずで廃車になりましたね…
JR東日本って短命車両結構多いのね
西日本は最近は世代交代が進んでるけどちょっと前までは老体に鞭うつ酷使起用だったのに・・・
所謂「古い車両を長く大切に使いましょう」ってやつ
阪和線から103系がなくなって随分(といってもまだ4年くらい)ですが、それ以上の年月が経ったような感じ、高校時代103系に乗って通学してましたから。(40年以上前の話しです)
一方でE217系など寿命半分と言われてる車両が今でも元気に走っていると考えるとね…
「走ルンデス」と揶揄された209系も確か、「費用も寿命も半分」だったはずですね。その車両が未だに武蔵野線などで走っているという… 本来ならあれ、確か15年程度で廃車にしてもおかしくないという発想で作られてるのに、かれこれ20年以上は走っているような。その間に山手線は何回世代交代したんだろうなと思いますね。
良く勘違いされてるけど、「寿命半分」は従来の半分しかもたないおんぼろ車両って意味じゃなくて、電車の法定減価償却期間である12年間は大規模な更新工事を必要とせずに使い続けられるように設計することで、その気になれば従来車の半分の寿命で廃車にしても経済的に元がとれる長持ち設計って意味なんだよなあ……。
E331系、1度だけ乗ったことがある。
小学生の頃に、京葉線で高崎線の電車みたいな椅子の車両に乗った(要はボックスシートに座ったよ)と説明しても信用してくれなかったのはいい思い出。
都営交通局の10-300R形は、両先頭車に関して言えば、製造から僅か10年程度で修繕工事を一回も行われずに全車廃車されましたが、同じく都営交通局の10-300形1次車も、都営新宿線の10両編成化のために8両編成である理由から、新造車両である都営交通局の10-300形6次車に置き換えられ、製造から僅か17年程度で全車廃車されました。
(因みに、都営交通局の車両名称の語尾は系ではなく形で呼びます)
それから、小田急電鉄の小田急ロマンスカーのVSE(50000形)も連接台車自体の不足と定期検査で連接台車を交換するメンテナンス費用の不足、ドア位置がホームドアに対応していないなどの理由から、製造から僅か17年程度で引退(全車廃車はまだですが)しました。
名鉄1600系豊橋方先頭車はわずか9年で廃車になった
確かにわかりやすい!
211系が如何に息の長い車両だなぁ! 群馬の大地に似合ってるよね!
「ざんねんな」各機関車・車両が短命だった理由がわかりました。数十年、もやもやしていた疑問が氷解しました(例えば、DD54など…1970年代の鉄道ジャーナルでは、やや故障が多かった、的な記述で具体的な問題に言及していなかった)
近鉄10000系 ビスタカー 完全空調システムなどの試みを取り入れ、後の鉄道車両に技術が引き継がれている。試作車として7両編成1本のみ登場し、10100系の設計に影響を与えた。活躍期間13年。近鉄特急車の中で最も短かった。
EF500は誘導障害が解決できなかったのが大きいんじゃないっけ
あと個人的に200と500を取り扱ったならED500も取り扱ってほしかったな
E331は京葉線で乗ったことあるけど、とにかく乗り心地が悪かった印象があります。
特に線路のつなぎ目(ポイント?)の振動がダイレクトに座席に伝わる感じ。乗ってて怖くなりました。。
EF 200の代わりにEF 210 の桃太郎が増備され、瀬野八のEF 67も置き換えたり、四国まで入線しています。
また、EF 510 300番台も製造してゆくゆくは、東京から九州まで直通する貨物も置き換えられる予定です。
E331系は乗車位置が他の車両と異なっていて乗客の混乱を生み出す可能性があったのと故障が多く起きているので、廃車されるのも無理はないんでしょうね...
青梅線の小作に住んでました。
通勤通学の時に乗ってました。
山手線の205系が6扉車の最初で新大久保駅での事故のかなり以前だと思うのですが....
電車では、ないけど桃花台新交通システムピーチライナー100系
ロマンスカーは特急だから連接の長編成で成功したわけで、、、通勤車にはやっぱ向かないんだなぁ、、、
11:40その6ドア車の代替えとして製造されたサハ231-4600のほとんどはE235に転入されたものの
余った車両に関しては容赦なく廃車されてしまい短命に終わった物もいる
確かに初心者にも分かりやすいね。
短命だけど、そこから得られたデータは後世に語り継ぐのはいい話ですね。
ブルートレインを始めとした夜行列車はもっとあちこちで通常営業運転してほしいなぁ
JRとしては長距離の客には新幹線に乗って欲しいというのが本音だし、今は飛行機も格安運賃で乗れるので夜行列車の存在価値が無くなってしまった。
他にもマイカーの普及や高速バスの充実なども理由。
1966だか67に買ってもらった学研の図鑑「交通」にはEF54が載っていたなあ。「鉄道」単科だったかも。D54はとうの昔に廃車になっていてちょうどSLブームが過熱してきたな。SLの語が世間に浸透してきた年だったかも。蒸気機関車は惜しまれ、路面電車は新聞からのバッシングで消えていった。
215系は初期の湘南新宿ライン(制御システムの関係なのか、新宿までしか入れなかった)で新宿から帰る時によく使ってた(大崎駅の5〜8番線ホームを作ってた時です)。
2ドア10両でアクティは無謀。アクティに接続する普通に充当すれば、まだマシだったのに。
昔京葉線でいつものと違う電車来たなーってことがあったけど、このE331だったのかな
実はE331系が本命で、E233系はE231系を改良した中央線向けの車両に過ぎなかった筈。
まさか、こんな事になろうとはなぁ・・・そもそも何の不具合で運用離脱したのか分からないし。
一度だけ乗った事があるけどM車でもメチャクチャ静かで快適だった。
失敗したらその反省点を次の車両にいかす…
なるほどね
ここの動画はゆっくりにしては失敗作を小馬鹿にするようなことがないから気持ちよく見られます