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鈴木選手の一本足打法、好きでした😊
この頃のセンバツは全試合中継されてたし、ダイジェストも1時間。懐かしい古き良き時代
6ホーマーに屈せず砂川北奮闘
残念なのは桑田投手ではなかったという事ですね
この桑田、清原を含む最強世代のチームでさえ、選抜は優勝することができませんでした。しかもそれが甲子園の常連校ではなく、岩倉、伊野商といういずれも甲子園に初出場したチームに阻まれたというのが面白いところですね。
前年秋の秋季北海道大会決勝戦。函館有斗vs砂川北は見応えありました。有斗の後藤投手と砂北の辰橋投手による投手戦。初回の1点が唯一の得点でした。函館有斗1-0砂川北。後藤投手が甲子園で投げるのを見たかったです。それにしても当時この試合をテレビ観戦していてPLのパワーには度肝を抜かれました!
砂川北高校は、函館有斗高校の不祥事による出場辞退を受けての代替出場でした。それでも、あのPL学園から7点を奪った訳ですから、よく頑張ったのでは。ただ、試合終了後に、砂川北高校を率いていた佐藤茂富監督が、「あのパワーはどこからくるのか。北海道の指導者は考えないといけない」と語られたそうです。佐藤監督はこの敗戦で得た経験(パワーの重要性)を指導に活かされて、砂川北高校や鵡川高校で指揮を執られたそうです。
PLの試合なのにスタンドがガラガラ…と思いましたが、曇りがちの平日の1試合目じゃ仕方ないですね。
昔の毎日放送の選抜ハイライトは17リポーターがいたよなw
藤原紀香がやっていたのは有名な話ですね。
球審西大立目1塁本郷2塁清水3塁永野の4人です。
3:45旗手選手はサッカー日本代表で海外でリーグ活躍している旗手怜央選手のお父さんですか?
そうです。旗手が川崎に居ている時は「あのPLの旗手の息子さん?」って言われていたんですよだって父の方が知名度遥かに上でしたので今じゃ逆転してますね
田口投手が、もっと成長してたら、桑田、田口の2枚看板で、甲子園の優勝回数も増えてたかも😊
@@yosi2412 そうですね田口投手が成長してたら5季連続優勝だったかもですね
桑田の姉さん きれいやね😄
この頃のPL学園は最強とは言われてましたが、大会後半になると打てなくなり接戦に弱く脆さもありましたね。やはり池田を倒した朝山主将のチームと春夏連覇をしたチームが最強ではと私は思ってます。
私にとっては投手田口としては最後の勇姿。数多くのホームランの中で最も度肝を抜かれたのは、鈴木。一本足打法、背番号13の3番打者。(そもそも前年夏ベンチ入りなのに何故13?)色んな大会展望の雑誌では杉本が有力と云われてましたが、層の厚さは圧巻でした。
3年夏の甲西戦に投げましたよ その試合は見なかったですか?まぁ別人でしたけどw
@@揺れ動く胸の女性応援団 様そうでした!背番号14で投げてましたけど、腕が縮こまってて、誰だ?って感じでした。
忘れてました。都城戦に先発しましたね。
@@揺れ動く胸の女性応援団 様田口と田口の先発でした。桑田が指をやった為でしたが、もし好投していれば田口もPLも、もっと輝いたと思います。
PL学園の⑪田口投手ですが 84年夏はメンバー外でしたね 85年の春(第57回選抜)はメンバー外?85年夏は⑭で投と左翼手でしたね 準決勝の甲西戦で投げてましたね。
甲西戦の田口は変な投げ方になっていて別人でしたね
@@揺れ動く胸の女性応援団 巨人のガリクソン投手みたいなフォームでしたね
@@リプリーロケッツ そうですwwwガリクソンですわwwwwwww
@@揺れ動く胸の女性応援団 ガリクソン 懐かしいですね…初戦(2回戦)東海大山形戦は途中代打で起用されそのまま左翼を守ったか?毎回得点を決めた(8回裏 三ゴ失)打者が確かガリクイャ 田口だったと思うのですが
横から失礼します 元々は田口の方が体も大きいし期待されていたと聞いていました。私が覚えているのは1983年昭和58年の選手権の大阪府大会の決勝戦に先発投手で出てきて相手の桜宮にいきなり3点取られて降板したことです。もしあのまま逆転できずに負けていたら歴史が大きく変わっていたんだと今でも思っています。この試合も田口が先発しているのを見て、小学生ながら「桑田を温存か。しかし、監督は田口が好きだな」と思いながら見ていて、7回に打たれたときは、やっぱりな思ってしまいました。最後の夏はお情けとは言いませんが、ぎりぎりでベンチに入ったのかなと思っています。
鈴木選手の一本足打法、好きでした😊
この頃のセンバツは全試合中継されてたし、ダイジェストも1時間。懐かしい古き良き時代
6ホーマーに屈せず砂川北奮闘
残念なのは桑田投手ではなかったという事ですね
この桑田、清原を含む最強世代のチームでさえ、選抜は優勝することができませんでした。しかもそれが甲子園の常連校ではなく、岩倉、伊野商といういずれも甲子園に初出場したチームに阻まれたというのが面白いところですね。
前年秋の秋季北海道大会決勝戦。函館有斗vs砂川北は見応えありました。有斗の後藤投手と砂北の辰橋投手による投手戦。初回の1点が唯一の得点でした。函館有斗1-0砂川北。後藤投手が甲子園で投げるのを見たかったです。
それにしても当時この試合をテレビ観戦していてPLのパワーには度肝を抜かれました!
砂川北高校は、函館有斗高校の不祥事による出場辞退を受けての代替出場でした。
それでも、あのPL学園から7点を奪った訳ですから、よく頑張ったのでは。
ただ、試合終了後に、砂川北高校を率いていた佐藤茂富監督が、「あのパワーはどこからくるのか。北海道の指導者は考えないといけない」と語られたそうです。
佐藤監督はこの敗戦で得た経験(パワーの重要性)を指導に活かされて、砂川北高校や鵡川高校で指揮を執られたそうです。
PLの試合なのにスタンドがガラガラ…と思いましたが、曇りがちの平日の1試合目じゃ仕方ないですね。
昔の毎日放送の選抜ハイライトは17リポーターがいたよなw
藤原紀香がやっていたのは有名な話ですね。
球審西大立目1塁本郷2塁清水3塁永野の4人です。
3:45
旗手選手はサッカー日本代表で海外でリーグ活躍している旗手怜央選手のお父さんですか?
そうです。
旗手が川崎に居ている時は「あのPLの旗手の息子さん?」って言われていたんですよ
だって父の方が知名度遥かに上でしたので
今じゃ逆転してますね
田口投手が、もっと成長してたら、
桑田、田口の2枚看板で、甲子園の優勝回数も増えてたかも😊
@@yosi2412
そうですね
田口投手が成長してたら5季連続優勝だったかもですね
桑田の姉さん きれいやね😄
この頃のPL学園は最強とは言われてましたが、大会後半になると打てなくなり接戦に弱く脆さもありましたね。やはり池田を倒した朝山主将のチームと春夏連覇をしたチームが最強ではと私は思ってます。
私にとっては投手田口としては最後の勇姿。
数多くのホームランの中で最も度肝を抜かれたのは、鈴木。一本足打法、背番号13の3番打者。(そもそも前年夏ベンチ入りなのに何故13?)色んな大会展望の雑誌では杉本が有力と云われてましたが、層の厚さは圧巻でした。
3年夏の甲西戦に投げましたよ
その試合は見なかったですか?
まぁ別人でしたけどw
@@揺れ動く胸の女性応援団 様
そうでした!背番号14で投げてましたけど、腕が縮こまってて、誰だ?って感じでした。
忘れてました。都城戦に先発しましたね。
@@揺れ動く胸の女性応援団 様
田口と田口の先発でした。桑田が指をやった為でしたが、もし好投していれば田口もPLも、もっと輝いたと思います。
PL学園の⑪田口投手ですが 84年夏はメンバー外でしたね 85年の春(第57回選抜)はメンバー外?85年夏は⑭で投と左翼手でしたね
準決勝の甲西戦で投げてましたね。
甲西戦の田口は変な投げ方になっていて別人でしたね
@@揺れ動く胸の女性応援団
巨人のガリクソン投手みたいなフォームでしたね
@@リプリーロケッツ
そうですwww
ガリクソンですわwwwwwww
@@揺れ動く胸の女性応援団
ガリクソン 懐かしいですね…
初戦(2回戦)東海大山形戦は途中代打で起用されそのまま左翼を守ったか?毎回得点を決めた(8回裏 三ゴ失)打者が確かガリク
イャ 田口だったと思うのですが
横から失礼します 元々は田口の方が体も大きいし期待されていたと聞いていました。私が覚えているのは1983年昭和58年の選手権の大阪府大会の決勝戦に先発投手で出てきて相手の桜宮にいきなり3点取られて降板したことです。もしあのまま逆転できずに負けていたら歴史が大きく変わっていたんだと今でも思っています。
この試合も田口が先発しているのを見て、小学生ながら「桑田を温存か。しかし、監督は田口が好きだな」と思いながら見ていて、7回に打たれたときは、やっぱりな思ってしまいました。
最後の夏はお情けとは言いませんが、ぎりぎりでベンチに入ったのかなと思っています。