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アントニオ古賀先生、いつも貴重なお話をありがとうございます☺
アントニオ古賀さんに、UA-camで会えたのは嬉しいてすね。
テレビで、アントニオ古賀さんの哀しい酒を聞いたことがあります。その後ひばりさんが哀しい酒を歌うようになりましたが、私はアントニオ古賀さんの哀しい酒が好きでしたよ。
大事なお話が聞けて、有難う御座います。
北見沢惇さんのお名前は知っていましたが、レコード発売の前に亡くなられていたとは知りませんでした。しかし100万円逃されたのは痛いですね。今でもかなりの大金なのに、昭和42年だったら本当の大金でしたね。やはり一筆書いておかないといけませんね。でもアントニオ猪木さんの目と耳に狂いはありませんでしたね。貴重はお話を有難うございます。
俺にとってセゴビア 木村好夫 アントニオ古賀は神です
おかしいですね?「美空ひばり」が亡くなってから、各テレビ局で30年間ぐらい「特番」の放送がありました。その時の「悲しい酒」の言われは、1番と2番の間の間奏曲が長いので、間がとりにくいから、「美空ひばり」ちゃんが、「新宿コマ劇場公演」の時に、「石本美由紀」先生に電話して「セリフを作ってください」と言って1時間で作ってもらって、あのセリフが出来たように聞きましたが?最初「悲しい酒」は、「酒は涙か溜息か」の第2弾として作られたが、「作詞」の都合で作曲がままならず、あのように速いテンポで唄う曲になって、「美空ひばり」は、この歌を知らないから、新曲だと言って唄わせよう。と言うことで唄わせて、「美空ひばり」が、スロ-な曲にして行き、「古賀政男」先生が「ひばりちゃん速くない?」と言われたそうですが、耳を貸さずに「語るように唄ったので」ヒットした行ったのです。NHKで「3分から6分数十秒になった悲しい酒」と言うような題名で、30分ぐらいの番組が作られましたよ。「美空ひばり」は凄い人で、遅い方がいいのは遅く~語るように唄い。「人生一路」のような曲は、早いテンポで唄うようになりました。やはり「船村徹」先生が言われたように、「どこか宇宙の違う星から来た人だった」と言う表現が似合っていますね。
セリフの件は私も羽柴さんが書かれている様に石本先生がお話をされている映像を見た記憶があります。
@@keikohata8255 様「美空ひばり」ちゃんが、生存中にも、「セリフ」を入れたのは「美空ひばり」が、「新宿コマ公演」の際、1番と2番目の間が長いので、歌いにくいから、舞台の始まる直前に、「石本美由紀」先生に電話して事情を説明して1時間程度で作ってもらったもの~と、週刊誌でも「特番」でも、何回も放送しました。「悲しい酒」を語るようにスロ-にして行ったのも「美空ひばり」ちゃんでした。宇宙人だったのでしょうかね?歌に映画に、どんな役もこなし、歌は、地声、裏声、自由自在に、沢山の「音源」を持ち表現して行った。世界に「たった一人の歌手であり、役者」でした。
@@羽柴昌盛 ひばりさんが亡くなられ「川の流れのように」も何度となく放映されましたが、加えて「悲しい酒」もあの年は離婚の年だったあの年は古賀先生が亡くなられ、次いでお母さんがなくなられ、チエミさん、鶴田さん、橋蔵さん、弟さん、裕ちゃん、が・・・・と「一人ぼっちが・・好きだよと・・・♪ ♪・・」と歌うひばりさんは一人ぼっちになってしまい毎回慟哭しながらも、音程をはずさず見事に歌い上げ「石本先生」が一時間足らずに書き上げた「せりふ」で私達はひばりさんが流す涙でうなずき、悲しみを分け合い一緒に泣きました。ですから晩年の「悲しい酒」はひばりさんが編曲した様な作品だと私はおもいます。ギター奏者の湯浅さんも褒めてあげたいですね。
@@keikohata8255 様そうですね。「美空ひばり」ちゃんは、その時、その時の舞台やテレビ局の生歌では、自分の心境が響くのか?涙を流したり、流さなかったりとして、歌い方を変える時がありました。「編曲者」との打ち合わせで流さなかったりするのか?「題名のない音楽会」の「悲しい酒」は流しませんでした。NHKで「石坂浩二」と一緒に「昭和の歌」の司会をして何曲か自分も唄い、他人も紹介したりした時には、最後の「トリ」の「石坂浩二」さんが、ファンからのハガキを読み上げて歌いだす時に、ブル-の奇麗な色のドレスで唄った「悲しい酒」の時には、最初から涙が出始めて、セリフの時には大粒の涙が、NHKのカメラマンが上手い方で、最後の所は、カメラをひいていて、最後の所でアップにして「美空ひばりの涙にぬれた顔」を大写しにして終わりでした。演奏が段々と大きくなって終わり、画像と溶け合い素晴らしい演出だと思いました。UA-camに載せてあります。高画質で~ぜひ、見てください。感動します。画面の中に引き込まれて涙が出ます。何度見ても。「リンゴ追分~津軽山唄」を唄った、NHKの高画質で載せてあるのも感動ものです。
@@羽柴昌盛 ご指摘の映像は最近拝聴しました。ひばりさんは石坂浩二さんの読み上げるナレーションを聞きながらご自分の人生と重なる部分があり、お顔が一瞬くずれました、そして前奏がはいり、ひばりさんは初めて涙と一緒に鼻を少しすすりました、又歌いながらも涙と共に鼻をそっと!すすりながら歌われたのは初めてみました。どんなに涙を流されても音程を崩さず事無く 見事に歌い上げましたお見事!そして感動のひと時でした。
先生って本当に不幸を呼び寄せるというか、不幸が好きなんですねぇ。笑えて涙が出ました。悲しい曲ですねぇ、全く。
昔、私の小学校に手品師が来て、私を舞台に呼んで 助手に使い "みそらすずめです"と皆に紹介された時から、美空ひばりさんには抵抗を感じ、歌い方も一向になじめませんでした😉
アントニオ古賀先生、いつも貴重なお話をありがとうございます☺
アントニオ古賀さんに、UA-camで会えたのは嬉しいてすね。
テレビで、アントニオ古賀さんの哀しい酒を聞いたことがあります。その後ひばりさんが哀しい酒を歌うようになりましたが、私はアントニオ古賀さんの哀しい酒が好きでしたよ。
大事なお話が聞けて、有難う御座います。
北見沢惇さんのお名前は知っていましたが、レコード発売の前に亡くなられていたとは知りませんでした。しかし100万円逃されたのは痛いですね。今でもかなりの大金なのに、昭和42年だったら本当の大金でしたね。やはり一筆書いておかないといけませんね。でもアントニオ猪木さんの目と耳に狂いはありませんでしたね。貴重はお話を有難うございます。
俺にとってセゴビア 木村好夫 アントニオ古賀は神です
おかしいですね?「美空ひばり」が亡くなってから、各テレビ局で30年間ぐらい「特番」の放送がありました。
その時の「悲しい酒」の言われは、1番と2番の間の間奏曲が長いので、間がとりにくいから、「美空ひばり」ちゃんが、「新宿コマ劇場公演」の時に、
「石本美由紀」先生に電話して「セリフを作ってください」と言って1時間で作ってもらって、あのセリフが出来たように聞きましたが?
最初「悲しい酒」は、「酒は涙か溜息か」の第2弾として作られたが、「作詞」の都合で作曲がままならず、あのように速いテンポで唄う曲になって、
「美空ひばり」は、この歌を知らないから、新曲だと言って唄わせよう。と言うことで唄わせて、「美空ひばり」が、スロ-な曲にして行き、「古賀政男」先生が「ひばりちゃん速くない?」と言われたそうですが、耳を貸さずに「語るように唄ったので」ヒットした行ったのです。NHKで「3分から6分数十秒になった悲しい酒」と言うような題名で、30分ぐらいの番組が作られましたよ。「美空ひばり」は凄い人で、遅い方がいいのは遅く~語るように唄い。「人生一路」のような曲は、早いテンポで唄うようになりました。やはり「船村徹」先生が言われたように、
「どこか宇宙の違う星から来た人だった」と言う表現が似合っていますね。
セリフの件は私も羽柴さんが書かれている様に石本先生がお話をされて
いる映像を見た記憶があります。
@@keikohata8255 様
「美空ひばり」ちゃんが、生存中にも、「セリフ」を入れたのは「美空ひばり」が、「新宿コマ公演」の際、1番と2番目の間が長いので、歌いにくいから、
舞台の始まる直前に、「石本美由紀」先生に電話して事情を説明して1時間程度で作ってもらったもの~と、週刊誌でも「特番」でも、何回も放送しました。
「悲しい酒」を語るようにスロ-にして行ったのも「美空ひばり」ちゃんでした。宇宙人だったのでしょうかね?歌に映画に、どんな役もこなし、
歌は、地声、裏声、自由自在に、沢山の「音源」を持ち表現して行った。世界に「たった一人の歌手であり、役者」でした。
@@羽柴昌盛 ひばりさんが亡くなられ「川の流れのように」も何度と
なく放映されましたが、加えて「悲しい酒」もあの年は離婚の年だった
あの年は古賀先生が亡くなられ、次いでお母さんがなくなられ、チエミ
さん、鶴田さん、橋蔵さん、弟さん、裕ちゃん、が・・・・と
「一人ぼっちが・・好きだよと・・・♪ ♪・・」と歌うひばりさんは
一人ぼっちになってしまい毎回慟哭しながらも、音程をはずさず見事に
歌い上げ「石本先生」が一時間足らずに書き上げた「せりふ」で私達は
ひばりさんが流す涙でうなずき、悲しみを分け合い一緒に泣きました。
ですから晩年の「悲しい酒」はひばりさんが編曲した様な作品だと
私はおもいます。ギター奏者の湯浅さんも褒めてあげたいですね。
@@keikohata8255 様
そうですね。「美空ひばり」ちゃんは、その時、その時の舞台やテレビ局の生歌では、自分の心境が響くのか?涙を流したり、流さなかったりとして、
歌い方を変える時がありました。「編曲者」との打ち合わせで流さなかったりするのか?「題名のない音楽会」の「悲しい酒」は流しませんでした。
NHKで「石坂浩二」と一緒に「昭和の歌」の司会をして何曲か自分も唄い、他人も紹介したりした時には、最後の「トリ」の「石坂浩二」さんが、
ファンからのハガキを読み上げて歌いだす時に、ブル-の奇麗な色のドレスで唄った「悲しい酒」の時には、最初から涙が出始めて、セリフの時には大粒の涙が、
NHKのカメラマンが上手い方で、最後の所は、カメラをひいていて、最後の所でアップにして「美空ひばりの涙にぬれた顔」を大写しにして終わりでした。
演奏が段々と大きくなって終わり、画像と溶け合い素晴らしい演出だと思いました。UA-camに載せてあります。高画質で~ぜひ、見てください。
感動します。画面の中に引き込まれて涙が出ます。何度見ても。「リンゴ追分~津軽山唄」を唄った、NHKの高画質で載せてあるのも感動ものです。
@@羽柴昌盛
ご指摘の映像は最近拝聴しました。ひばりさんは石坂浩二さんの
読み上げるナレーションを聞きながらご自分の人生と重なる部分が
あり、お顔が一瞬くずれました、そして前奏がはいり、ひばりさんは
初めて涙と一緒に鼻を少しすすりました、又歌いながらも涙と共に
鼻をそっと!すすりながら歌われたのは初めてみました。
どんなに涙を流されても音程を崩さず事無く 見事に歌い上げました
お見事!そして感動のひと時でした。
先生って本当に不幸を呼び寄せるというか、不幸が好きなんですねぇ。笑えて涙が出ました。悲しい曲ですねぇ、全く。
昔、私の小学校に手品師が来て、私を舞台に呼んで 助手に使い "みそらすずめです"と皆に紹介された時から、美空ひばりさんには抵抗を感じ、歌い方も一向になじめませんでした😉