伝説の暴君!殷の紂王【ゆっくり武将紹介外伝 第56回】

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  • Опубліковано 14 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 34

  • @juroaizawa5029
    @juroaizawa5029 4 роки тому +10

    鳥人間というyoutuber様も殷周革命について金文などから考察されていましたね。その方は紂王暴君説に異を唱えられていました。
    様々な歴史資料から多角的に歴史的事件を見直すのはとても面白くて興味深いです。
    あと、その時代だと個人的には太公望以前に斉が存在したという資料があるミステリーがとても奥深く感じています。

  • @EmperorChiCheung
    @EmperorChiCheung 4 роки тому +3

    このタイミングで紂王が出てくるとは思わなかったので驚きましたが、良かったですね。春秋戦国より前の時代の人物を扱い始めたのは、とても良いことだと思います。今後も幅広い時代の人物を取り上げてください。
    紂王については『史記』はもちろん、どうしても明代の小説『封神演義』のイメージが強いですね。『封神演義』で紂王はもともと有能な王でしたが、好色な男であり、女神の女媧(じょか)を自分の女にしたいという旨の詩を詠んで、侮辱されたと怒こった女媧は妖怪の妲己を派遣して、紂王を誘惑して悪政へ導くよう命令し、紂王と殷を滅亡させているのです。とても有名な話ですね。
    なお、紂王は殷を滅ぼした周の武王による諡(おくりな)で、「紂」は非常に悪い意味なので、当時の臣下が王を「紂王様」と呼ぶことはなかったのです。紂王の本名は子受(子は姓、名は受)、帝王としての名は帝辛と言います。当時の人は二人称では紂王を「大王」と呼び、殷を滅ぼす前の武王らは三人称で彼のことを「商王受」と呼んでいました(商は殷の別の呼び名で、中国では殷よりも商のほうがメジャーです)。長くなりましたが、ご参考ください。

    • @sjfaow
      @sjfaow 4 роки тому

      EmperorChiCheung ジャンプ漫画の封神演義のイメージが強すぎる

  • @akanosoufu
    @akanosoufu 4 роки тому +3

    紂王が暴君だったかは諸説ありますがそうとう切れ者だったことは分かりますね

  • @753fire
    @753fire 4 роки тому

    神を軽んじるは不作が続いても人身御供をしなかったから説とかありますよね。

  • @reizoukoreizouko
    @reizoukoreizouko 3 роки тому

    殷末期がそもそも、なにかの改革を必要としていた時期だったのではないか。
    紂王はその必要性を感じ取り、なんらかの改革を進めた。
    しかし家臣団からはそれらを理解されず、果ては反乱を招くこととなる。
    これらは、紂王の時代には生贄の儀式が極端に少なかった(行ったという記述がなかったとどこかで聞いた)ことから想像している。
    時代を先取りしすぎた改革は常に大きな反発を生んでいるので、そこらへんじゃないかなぁと。

  • @福田英人-v2w
    @福田英人-v2w 4 роки тому +1

    ボクも霊夢さんの意見に賛成だな。下剋上して良いほどの暴君ではなかったと思うな。周王朝の正当化の為に悪役にされたんだろうね。ダッキもマリー・アントワネットと重なるし。たしか、治水もしたよね。紂王は。

  • @MUSASI40
    @MUSASI40 4 роки тому +1

    何となく後鳥羽上皇に似た感じの人だな。

  • @いでたかゆき-r8i
    @いでたかゆき-r8i 4 роки тому +1

    今回は殷の紂王か

  • @反オポジ派
    @反オポジ派 4 роки тому

    呉の名将 潘濬をリクエストします!

  • @匿名希望-w3h
    @匿名希望-w3h 4 роки тому

    殷墟となると殷の遺民の恨みもありそうだし、バイアス無き歴史は無いわけで、難しいところですな。
    ともあれ、こうやれば強国だろうが天下無双だろうが国が滅ぶ、という教科書になったのは事実。
    そして司馬遷の凄さ。

  • @tntintuittion3504
    @tntintuittion3504 4 роки тому +4

    歴史は勝者の手で作られる…

  • @tkg44
    @tkg44 4 роки тому

    しかし、そんなに前の遺跡が未だに出てくるとか凄いな。
    その辺の土地は何千年も上書きされてるだろうに・・・

  • @御神誉黎
    @御神誉黎 4 роки тому

    紂王の妻とされるのが妲己
    九尾の狐の化身と言われる魔女だな

  • @KO-hq3wi
    @KO-hq3wi 3 роки тому +1

    勝者がつくる歴史を否定するなら、殷ではなく商とすべき。

  • @yanman09
    @yanman09 3 роки тому

    考古学的資料から推測できる説の方が信頼性は高い、私としては昨今の考古学の成果から思うに紂王は言われるほどの暴君では無い方に賛同したい。

  • @taknar4020
    @taknar4020 4 роки тому +1

    史記に書いてあることは額面通りには受け取れないが、炮烙の刑が司馬遷の時代まで記録として残ってたと言うなら実際に何度かやったんだろうし、紂王はそれなりには暴君っぽいこともしっかりやってたんでしょう。

  • @user-unetaro
    @user-unetaro 4 роки тому

    東ローマ帝国やトルコのマムルークの例もありますが、奴隷兵なんて戦闘でどれほど役に立つんでしょうか?いざとなったら逃げ出したり裏切ったりするタイミングばかり狙っていそうに思うんですが?マムルークは奴隷とは名ばかりな感じですし。まあ、近世ヨーロッパ(フランス革命以前)の軍隊における一般兵(傭兵)も戦意が低くて逃亡する確率が高く、当時の士官が持っていた拳銃は敵を撃つためというより味方の兵士を脅すためだったそうなので、そんな感じだったのかなとは思うけども、すくなくとも奴隷兵ではなかったわけですしね。

  • @ozone7554
    @ozone7554 4 роки тому

    殷の紂王は本当に暴虐な王だったのか•••?
    史書は勝者の手によって作られるので、都合の悪い部分は載せなかったりしますから、真実はわかりませんね。
    紂王は英邁ではあるが、好色でそこが弱点であり、そこを突くために女性を送り込んで暴虐な行いをさせる為の誰かの計略だったりしたら面白いかな、と思いました。

  • @buzyutusaikou
    @buzyutusaikou 4 роки тому

    文はいくらでも改変出来るけど物的証拠はね。科学的な方がエビデンスとしては信憑性は高い。

  • @高瀬-w9h
    @高瀬-w9h 4 роки тому

    殷より前の時代の遺跡がある=夏王朝が存在したは違うと思うんだけども

    • @sjfaow
      @sjfaow 4 роки тому

      メメ 少なくとも前王朝はあったって事だろ
      夏じゃなくとも

  • @mocchi2643
    @mocchi2643 4 роки тому

    日本でも武烈天皇は「悪逆だった」と記録されている。ということは継体天皇は・・・。

  • @神楽蓮-y6h
    @神楽蓮-y6h 4 роки тому

    妲己に操られていなかった時にはまともな政治やってたんだっけ

    • @エッソエジソン
      @エッソエジソン 4 роки тому +1

      そもそも悪行は後世の史記のでっち上げだからね。妲己も完全に作り話で実際は存在してない。妲という字が殷代にはない。

  • @shou-sho
    @shou-sho 4 роки тому +1

    紂王には悪いが暴君だったという史料がある以上、暴君ではなかったという史料がでてくるまでは「暴君だった」とせざるを得ない。それが、歴史というものなんだな。

    • @エッソエジソン
      @エッソエジソン 4 роки тому +1

      なお、その資料には当時絶対に存在しえない架空人物ぶち込んで悪行を水増ししている模様。

  • @山城弾正
    @山城弾正 4 роки тому +1

    完全な極悪人・完璧な聖人君子はこの世に存在しないと思います。人間は全員清濁併せ持っているもの。