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面白かった!すごく興味深かったです!
ご視聴、コメントありがとうございます😊とても励みになります。これからもよろしくお願いします。
羽田空港のそばで生まれ育ちました。懐かしかった🎵
お近くでお住まいだったのですね。そのような感想を頂けて嬉しいです。これからもよろしくお願いします。
初めまして、空港線利用者です。楽しく拝見しました。穴守稲荷駅のホームを見ると石積みなのは数両分であとは延伸の時に新たに作った事が分かります。
コメントありがとうございます。穴守稲荷駅の石積みの件は気づきませんでした。次回、同駅に行く際には確認したいと思います。情報ありがとうございました😊
昔、騙されて降りた人がいっぱいいたでしょうね。重いスーツケースを抱えてガックリwww
駅前で遠くに見えるターミナルをみて、呆然としたのでしょうね
田舎もんだった私もだまされました。
この映像ですが、京急電鉄の初代 羽田空港駅は、痕跡があるだけで簡単に思えてしまいますね‼️ 昔の滑走路は、羽田イノベーションシティに変わってしまいましたけど、いつまでも伝えなければと思っております。
過去をしっかりと伝えることは大切ですね。過去の上に現在や未来がありますから。
旧羽田空港駅、廃止直前に見に行きました。空港線は複線なのに駅構内は単線で、ホームが1面だけだったことを覚えています。空港へのアクセスは、マイクロバスが駅から羽田空港ターミナルに連絡していました。旧、羽田空港駅目の前の川に、旧穴森駅に向かうための橋の橋脚のみが、当時まだ残ってました。
コメントありがとうございます。当時の様子を映像で見たことがありますが、今では想像できないような光景ですね。お書きいただいた橋脚は残念ながら撤去されてしまいましたね
以前は空港に行けない路線だったのは知っていました。廃止になる前に行ってみたかったです😂。戦前は対岸まで線路が繋がっていたのは知りませんでした。時を超えて復活したんですね。
@@チョコ-v9x 戦前は空港ではなく、普通の街だったということ、私もこの動画を作成するために下調べをして知りました。
穴守稲荷駅というのは今はヤマト運輸のクロノゲートで有名です
確か、副駅名として、駅名標にも記載されていますね
そうだったのか。私が小さい時は、羽田空港はモノレールで行くものだった記憶があるのに、中高ぐらいでは京急で行ったから、おかしいな?とは思っていたのです(笑)
羽田空港といえばモノレールが当たり前という感じでしたよね。今では値段やターミナルの関係もあり、京急の方が多いような気がします
@@街あるき鉄道チャンネル 私は以前モノレールでしたが、京急空港線が改良され、便利になったので、京急に移行。その後はリムジンバスがゆったりできるのでこちらを使うようになりました…
元鉄道用地の定番駐車場ですね。
歪な形をした土地が多いので、駐車場が手っ取り早いのでしょうね
解説の声の音量小さいかBGMがでかい
ご指摘ありがとうございます。今後改善していきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
@@街あるき鉄道チャンネル この内容について取り上げているUA-camr、なかなかいないと思うので、フルで見ました♪♪これからも応援してます(登録しました笑)
重ねてありがとうございます。まずご指摘の件は、撮り溜めストックがありますので、今後作成する動画て改善点してまいりたいと思います。しばらくはお聴き苦しいかと思いますが、ご了承願います。次にテーマについて、自分で面白いなと思ったテーマをジャンルに拘らず取り上げています。これからもご期待にそえる動画を目指していきますので、よろしくお願い申し上げます。
昭和32年09月生まれ64才男性です。高校2年生の時にクラスの友達が父親の仕事の都合で海外へ行く事になり 羽田空港国際線へと見送りに行く事になりました。自分の場合 当時は、京急本線上大岡最寄りに居住していましたので 京浜蒲田まで特急に乗車して羽田空港線に乗り換え羽田空港まで向かいました。当時の羽田空港線、3扉の400型が4両編成で走っており終点の羽田空港駅~京浜蒲田間は、3編成が使用されており 朝夕のラッシュ時間帯を除き2編成使用、1編成は羽田空港駅構内にあるホームのない留置線にパンタグラフを下ろして留置されていました。又、羽田空港駅ホームは、1面1線構造となっていましたし ホーム先には、有人改札口が有りました。穴守稲荷駅から羽田空港駅まで 線路は直線に伸びており 穴守稲荷駅からは、羽田空港駅留置線に留置されている車両が見えました。当時の羽田空港駅で降りてみれば 住宅街の中にひっそりと佇んでいる感じで あの喧騒感が全く感じられない田舎の駅と言った感じでした。羽田空港へのバス停があるとは聞いていたものの 全く見当たらず 結果、羽田空港ターミナルまで1時間余り歩きました。友達が搭乗したフライトは、パンアメリカン航空001便;サンフランシスコ~東京羽田~香港~バンコク~テヘラン~アテネ~パリ経由のニューヨーク行きの便でした。帰りは、どうしたかと言えば 見送り仲間の両親が車で羽田空港まで来てくれていた事もあり 京浜川崎駅まで同乗させて頂き 京浜川崎駅から急行に乗車して帰宅しました。
貴重な体験談を教えていただき、ありがとうございました。駅前で同じような絶望感を感じた方がたくさんおられたのでしょうね
へぇ、パンナムの世界一周航路ですか。日航も飛ばしていましたが、今は航空連合の発達でそれもなくなりましたね。
@@nanalinn さん、世界一周便は、確かパンアメリカン航空が開設したルートで 先に述べたフライトがPA 001便、逆がPA 002便で デイリーでの運航でした。友達が搭乗したPA 001便で香港まで行き そこからトンガまで行っています。余談となりますが 私個人としての初めての海外は、羽田~グアム~サイパンで 羽田~グアム間は、パンアメリカン航空 B707-320タイプ、グアム~サイパン間は、コンチネンタル航空のB727-100で 往路では、テニアン島に立ち寄るフライトでした。サイパンで2泊後、サイパン~グアム間で搭乗したのは、コンチネンタル航空のB727-200でした。グアムで一泊後グアム~羽田間はパンアメリカン航空B707-320タイプでした。
@@nanalinn パンナム懐かしいですね、確か相撲の千秋楽での優勝力士表彰にも出てましたね。
@@N--jv3go デビッド・ジョーンズさんですね。本来なら社長になってもおかしくない方でしたが、この「ヒョーショージョー!」をやりたいから日本に留まらせてほしい、と懇願し、以後パンナムが日本から撤退するまで日本とアメリカとの架け橋的存在として活躍しました。最後の「ヒョーショージョー!」の時には相撲協会の粋な計らいで最後のスピーチまでさせてくれました。記憶に残るアメリカ人の一人です。
旧成田空港駅も同じように不便でしたね。
確かにそうでしたね。あちらの方は駅名が変わってまだ残っていますが、運転系統も複雑になってややこしそうです
昔あの駅から乗ったことがあります。スカイライナーに乗ろうとしたら、「満席」だと言われて仕方なく一般の特急に乗車。しかし特急の車内からスカイライナーが発車してくのを見ると、車内はガラガラでした…
旧京急羽田空港駅、羽田空港までは約4キロはあったかと。羽田空港駅の変遷がわかりやすく解説されている素晴らしい動画でした。
励みになる、嬉しいコメントありがとうございます。これからもより良い動画作りに努力したいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。
旧羽田空港駅構内は単線になっておりホームー線路ー土塁になっていました、前方の海老取川上には船を利用した水上レストランが2000年くらいまであり、近くには屋形船の駐船場にもなっていました。また川沿いには大きな電照看板が空港の方に向いて立っていたのを覚えています。穴守稲荷ー天空橋駅間工事中は穴守稲荷駅横の京急バス羽田営業所から代行バスが当時の空港ビルまで運転されてました。
当時の様子が目に浮かぶようなコメントありがとうございます。水上レストランがあったのは初めて知りました。代行バスになってからの方が、利便性が高くなったのはなんとも皮肉なものですね
幼い頃は旧駅の時代でしたが、京急があまりに不便だったのでもっぱらタクシーで羽田空港まで行ってました。その後国際線が成田空港に統合されたことでしばらく使わなくなりましたが、羽田空港で国際線が復活したタイミングで京急も乗り入れ開始していたのでとても便利になりました。
今や大動脈。こんなに変貌するとは想像できなかったかもしれませんね
空港駅の変遷がよくわかりました
コメントありがとうございます。これからも頑張ります
羽田駅(現天空橋駅)開業後は、現羽田空港駅方面へ車両を入換して折り返していました。しかし6両分しか長さがなかったので、ほとんど都営5000系を6両に組み換えて運行していました(京急1500系も1編成だけ入れましたが)。余談ですが、上記理由により都営車の他線乗り入れ距離が伸びたため、北総車が西馬込~泉岳寺の折り返しに充当されました。
鉄道会社がたくさんあると、使用料相殺の運用管理もなかなか大変ですね
羽田使って京急で都心に行く時に運賃の安さにびっくりしました
通常の空港なら、都心までバスで1000円以上とか、普通ですしね。それより何より、品川駅まで20分以内で到着という速さにも驚きます。
昔の羽田空港駅、行ったこと無いけど、ドラマ「はいすくーる落書」でロケーションに使われた…
そうなんですね。そのドラマ見てみたいです
穴守稲荷の両隣は、共に地下なのだし、穴森稲荷も地下駅にすればよかったとも思うのですが、なんでわざわざ地上に上げたのか。何か下に埋まっていた、とかでしょうか。
穴守稲荷の手前の大鳥居駅の近くに、幹線道路があり、踏切が交通障害の原因となっていたので、地下化したと聞きました。その先も地下化すると、費用が莫大になるのと、地下工事をするための仮線設置場所が確保できないくらいに住宅などが密集しているのが原因ではないかなと考えています、駅付近だけ地下にする手法は、東急とか小田急がよく使っていますね
大鳥居駅が地下化される工事の頃にその地域にいましたが、工事の終盤での地下運用が始まってからの地上部の工事の頃に工事内容の関係なのか地上線路の隙間辺りから地下の線路部が覗けるというのが変な怖さを感じました。
@@郷仲久志さとなかひさし なかなかない、貴重な体験をされたのですね。工法にもよるのでしょうが、私も見てみたかったです
オッサンだから初乗り時は旧駅でした😉
私も近くに住んでいたら乗車してみたかったです…
京急で羽田空港まで行くと酷い目にあっていたと聞いた事が有ります。飛行機は見えるが空港が無いのです。目の前は川と住宅街、詐欺みたいな駅名でしたね。
晩年にはミニバスで路線が開設されたそうですが、短命で終わったそうですよ。ところで、今も、ほかの地方で、空港ターミナルまでかなりの距離がある駅があるそうです。紛らわしい駅名は迷惑ですね
@@街あるき鉄道チャンネル 東北本線の「花巻空港駅」ですね。花巻空港ターミナルまで3.5kmあるのに、駅名に「空港」と入れている。元の駅名の「二枚橋」に戻してもらいたい。
@@kenichiro_uesugi 空港連絡バスなどもなさそうですが。。。
空港ではありませんが、小田急の「読売ランド前駅」も、読売ランドとは離れていて、バスに乗り換えて行く…
自分の時は天空橋駅が羽田空港最寄駅でしだが、使いづらさは同じくらいかと。多分やるのでしょうけど京急蒲田が新しくなる前は絶望的な乗り換えで今みたいに逗子から直通とか出来ない仕組みでした。
天空橋駅ができて(確か羽田駅という名称だったかと)も直接ターミナルにいえるわけではなくて、結局モノレールに接続したというだけでしたものね。あと、京急蒲田の地上時代は、一番端のホームだけが空港線につながっていて、ものすごくバタバタした駅だったような記憶があります
天空橋が羽田と呼ばれていた頃、最初は6連までしか乗り入れられなかった…
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羽田空港のそばで生まれ育ちました。懐かしかった🎵
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穴守稲荷駅のホームを見ると石積みなのは数両分であとは延伸の時に新たに作った事が分かります。
コメントありがとうございます。穴守稲荷駅の石積みの件は気づきませんでした。次回、同駅に行く際には確認したいと思います。情報ありがとうございました😊
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重いスーツケースを抱えてガックリwww
駅前で遠くに見えるターミナルをみて、呆然としたのでしょうね
田舎もんだった私もだまされました。
この映像ですが、京急電鉄の初代 羽田空港駅は、痕跡があるだけで簡単に思えてしまいますね‼️ 昔の滑走路は、羽田イノベーションシティに変わってしまいましたけど、いつまでも伝えなければと思っております。
過去をしっかりと伝えることは大切ですね。過去の上に現在や未来がありますから。
旧羽田空港駅、廃止直前に見に行きました。空港線は複線なのに駅構内は単線で、ホームが1面だけだったことを覚えています。空港へのアクセスは、マイクロバスが駅から羽田空港ターミナルに連絡していました。
旧、羽田空港駅目の前の川に、旧穴森駅に向かうための橋の橋脚のみが、当時まだ残ってました。
コメントありがとうございます。当時の様子を映像で見たことがありますが、今では想像できないような光景ですね。お書きいただいた橋脚は残念ながら撤去されてしまいましたね
以前は空港に行けない路線だったのは知っていました。廃止になる前に行ってみたかったです😂。戦前は対岸まで線路が繋がっていたのは知りませんでした。時を超えて復活したんですね。
@@チョコ-v9x 戦前は空港ではなく、普通の街だったということ、私もこの動画を作成するために下調べをして知りました。
穴守稲荷駅というのは今はヤマト運輸のクロノゲートで有名です
確か、副駅名として、駅名標にも記載されていますね
そうだったのか。私が小さい時は、羽田空港はモノレールで行くものだった記憶があるのに、中高ぐらいでは京急で行ったから、おかしいな?とは思っていたのです(笑)
羽田空港といえばモノレールが当たり前という感じでしたよね。今では値段やターミナルの関係もあり、京急の方が多いような気がします
@@街あるき鉄道チャンネル 私は以前モノレールでしたが、京急空港線が改良され、便利になったので、京急に移行。その後はリムジンバスがゆったりできるのでこちらを使うようになりました…
元鉄道用地の定番駐車場ですね。
歪な形をした土地が多いので、駐車場が手っ取り早いのでしょうね
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ご指摘ありがとうございます。今後改善していきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
@@街あるき鉄道チャンネル この内容について取り上げているUA-camr、なかなかいないと思うので、フルで見ました♪♪
これからも応援してます(登録しました笑)
重ねてありがとうございます。まずご指摘の件は、撮り溜めストックがありますので、今後作成する動画て改善点してまいりたいと思います。しばらくはお聴き苦しいかと思いますが、ご了承願います。次にテーマについて、自分で面白いなと思ったテーマをジャンルに拘らず取り上げています。これからもご期待にそえる動画を目指していきますので、よろしくお願い申し上げます。
昭和32年09月生まれ64才男性です。
高校2年生の時にクラスの友達が父親の仕事の都合で海外へ行く事になり 羽田空港国際線へと見送りに行く事になりました。
自分の場合 当時は、京急本線上大岡最寄りに居住していましたので 京浜蒲田まで特急に乗車して羽田空港線に乗り換え羽田空港まで向かいました。
当時の羽田空港線、3扉の400型が4両編成で走っており終点の羽田空港駅~京浜蒲田間は、3編成が使用されており 朝夕のラッシュ時間帯を除き2編成使用、1編成は羽田空港駅構内にあるホームのない留置線にパンタグラフを下ろして留置されていました。
又、羽田空港駅ホームは、1面1線構造となっていましたし ホーム先には、有人改札口が有りました。
穴守稲荷駅から羽田空港駅まで 線路は直線に伸びており 穴守稲荷駅からは、羽田空港駅留置線に留置されている車両が見えました。
当時の羽田空港駅で降りてみれば 住宅街の中にひっそりと佇んでいる感じで あの喧騒感が全く感じられない田舎の駅と言った感じでした。
羽田空港へのバス停があるとは聞いていたものの 全く見当たらず 結果、羽田空港ターミナルまで1時間余り歩きました。
友達が搭乗したフライトは、パンアメリカン航空001便;サンフランシスコ~東京羽田~香港~バンコク~テヘラン~アテネ~パリ経由のニューヨーク行きの便でした。
帰りは、どうしたかと言えば 見送り仲間の両親が車で羽田空港まで来てくれていた事もあり 京浜川崎駅まで同乗させて頂き 京浜川崎駅から急行に乗車して帰宅しました。
貴重な体験談を教えていただき、ありがとうございました。駅前で同じような絶望感を感じた方がたくさんおられたのでしょうね
へぇ、パンナムの世界一周航路ですか。日航も飛ばしていましたが、今は航空連合の発達でそれもなくなりましたね。
@@nanalinn さん、
世界一周便は、確かパンアメリカン航空が開設したルートで 先に述べたフライトがPA 001便、逆がPA 002便で デイリーでの運航でした。
友達が搭乗したPA 001便で香港まで行き そこからトンガまで行っています。
余談となりますが 私個人としての初めての海外は、羽田~グアム~サイパンで 羽田~グアム間は、パンアメリカン航空 B707-320タイプ、グアム~サイパン間は、コンチネンタル航空のB727-100で 往路では、テニアン島に立ち寄るフライトでした。
サイパンで2泊後、サイパン~グアム間で搭乗したのは、コンチネンタル航空のB727-200でした。
グアムで一泊後グアム~羽田間はパンアメリカン航空B707-320タイプでした。
@@nanalinn パンナム懐かしいですね、確か相撲の千秋楽での優勝力士表彰にも出てましたね。
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旧京急羽田空港駅、羽田空港までは約4キロはあったかと。羽田空港駅の変遷がわかりやすく解説されている素晴らしい動画でした。
励みになる、嬉しいコメントありがとうございます。これからもより良い動画作りに努力したいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。
旧羽田空港駅構内は単線になっておりホームー線路ー土塁になっていました、前方の海老取川上には船を利用した水上レストランが2000年くらいまであり、近くには屋形船の駐船場にもなっていました。また川沿いには大きな電照看板が空港の方に向いて立っていたのを覚えています。穴守稲荷ー天空橋駅間工事中は穴守稲荷駅横の京急バス羽田営業所から代行バスが当時の空港ビルまで運転されてました。
当時の様子が目に浮かぶようなコメントありがとうございます。水上レストランがあったのは初めて知りました。代行バスになってからの方が、利便性が高くなったのはなんとも皮肉なものですね
幼い頃は旧駅の時代でしたが、京急があまりに不便だったのでもっぱらタクシーで羽田空港まで行ってました。その後国際線が成田空港に統合されたことでしばらく使わなくなりましたが、羽田空港で国際線が復活したタイミングで京急も乗り入れ開始していたのでとても便利になりました。
今や大動脈。こんなに変貌するとは想像できなかったかもしれませんね
空港駅の変遷がよくわかりました
コメントありがとうございます。これからも頑張ります
羽田駅(現天空橋駅)開業後は、現羽田空港駅方面へ車両を入換して折り返していました。
しかし6両分しか長さがなかったので、ほとんど都営5000系を6両に組み換えて運行していました(京急1500系も1編成だけ入れましたが)。
余談ですが、上記理由により都営車の他線乗り入れ距離が伸びたため、北総車が西馬込~泉岳寺の折り返しに充当されました。
鉄道会社がたくさんあると、使用料相殺の運用管理もなかなか大変ですね
羽田使って京急で都心に行く時に運賃の安さにびっくりしました
通常の空港なら、都心までバスで1000円以上とか、普通ですしね。それより何より、品川駅まで20分以内で到着という速さにも驚きます。
昔の羽田空港駅、行ったこと無いけど、ドラマ「はいすくーる落書」でロケーションに使われた…
そうなんですね。そのドラマ見てみたいです
穴守稲荷の両隣は、共に地下なのだし、穴森稲荷も地下駅にすればよかったとも思うのですが、なんでわざわざ地上に上げたのか。
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穴守稲荷の手前の大鳥居駅の近くに、幹線道路があり、踏切が交通障害の原因となっていたので、地下化したと聞きました。その先も地下化すると、費用が莫大になるのと、地下工事をするための仮線設置場所が確保できないくらいに住宅などが密集しているのが原因ではないかなと考えています、駅付近だけ地下にする手法は、東急とか小田急がよく使っていますね
大鳥居駅が地下化される工事の頃に
その地域にいましたが、
工事の終盤での地下運用が始まってからの
地上部の工事の頃に
工事内容の関係なのか
地上線路の隙間辺りから
地下の線路部が覗けるというのが
変な怖さを感じました。
@@郷仲久志さとなかひさし なかなかない、貴重な体験をされたのですね。工法にもよるのでしょうが、私も見てみたかったです
オッサンだから初乗り時は旧駅でした😉
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晩年にはミニバスで路線が開設されたそうですが、短命で終わったそうですよ。ところで、今も、ほかの地方で、空港ターミナルまでかなりの距離がある駅があるそうです。紛らわしい駅名は迷惑ですね
@@街あるき鉄道チャンネル 東北本線の「花巻空港駅」ですね。
花巻空港ターミナルまで3.5kmあるのに、駅名に「空港」と入れている。
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天空橋駅ができて(確か羽田駅という名称だったかと)も直接ターミナルにいえるわけではなくて、結局モノレールに接続したというだけでしたものね。あと、京急蒲田の地上時代は、一番端のホームだけが空港線につながっていて、ものすごくバタバタした駅だったような記憶があります
天空橋が羽田と呼ばれていた頃、最初は6連までしか乗り入れられなかった…