耳川の戦い /戦いは恐ろしい・・・。一度の敗北で、栄華から転落。没落する。
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- Опубліковано 12 січ 2023
- 耳川の戦い(みみかわのたたかい)は、天正六年(1578年)、田原紹忍を総大将とする大友軍と、島津義久率いる島津軍が、高城をめぐって激突した合戦。
高城の戦いともいわれる。
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▼音声
VOICEVOX:玄野武宏
VOICEVOX:白上虎太郎
VOICEVOX:青山龍星
VOICEVOX:剣崎雌雄
VOICEVOX:四国めたん
▼参考文献
佐土原藩譜
西藩野史
日向国史 下巻
日向記
薩藩旧記雑録
佐土原藩譜
九州戦国城郭史 岡寺良
西国の戦国合戦 山本浩樹
宮崎県の歴史
戦国合戦<大敗>の歴史学 黒嶋敏
▼Amazonほしいものリスト
ご支援してくださると嬉しいです。
www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/...
面白かった!本当に面白かった!!
・週末にまとめてあと何本か観ます。!
やっときたー、待ってました!最近ヨダレがなくて残念w
今度は伊達の人取橋の戦いとか見たいですw
九州は大友が劣勢になってからが面白い
しかし大友宗麟のキリスト教かぶれにもかかわらず、上記が残った不思議。
そんでイラスト最高w
複雑な部隊の機動とかwikiで文章読むよりこうやって動画で部隊が地図上を動くのを見る方がはるかに解りやすい
大作お疲れ様です
最近、このチャンネル凝ってきて、面白いですね。
こんな駄目な大友でも最後まで見捨てない高橋家、立花家はすごいよな。
武田勝頼
「」
今川義元
「」
尼子晴久
「」
龍造寺隆信
「」
高橋は大友の古くからの重臣だし
立花は宗茂が高橋紹運の子だからそりゃ見捨てれるわけないわな
待ってましたー!!!
今回も、面白かったです。
我が地元の歴史を取り上げていただき、ありがとうございます。
最近見るようになり、登録しましたが、本当に見易いです。桶狭間は大河ドラマ前にみましたが、位地などが凄くわかり予習になりましたよ、次回も楽しみにしてます❗
よだれ好き派とよだれ嫌い派で
このチャンネルも内部分裂している
絵のタッチが味わい深い
おもしろかったです。
十分の一位の兵力で勝っちゃう島津義弘家久兄弟ヤバすぎる。
有名な島津の退き口の主役な人だしね。
そこで大量の兵士、家臣、弟まで亡くしているので、頭脳戦もいけたバーサーカーってイメージある。
やっぱり大河で九州三国志を見たい。大友、龍造寺→鍋島、島津を主役に1クールずつ。ラストクールに耳川から岩屋城、秀吉の平定で〆。
お‼️新作お待ちしておりました‼️
白目鼻水ヨダレがないので、少々寂しいですが、これはこれで楽しく拝見しています‼️
士気って大事なんやな。
戦国でも、RPGみたく、エンカウントしたら戦いみたいなのじゃなくて、大義名分を得てその上で味方の士気を上げ無いと兵数が同数でも全然勝てないんやね。
このシリーズ大好きすぎる
日向の国を舞台とした大友、島津の勢力争い。間に挟まれた伊東氏。縣の松尾城は地元なので、親しみがあり以前から調べていました。
動画、結構、駆け足でしたが‥😂。
各武将がマンガ(イラスト)で、その分やり取りが面白く、思わず見入ってしまいました。
年表、歴史書では肩苦しさもありますし😂。動画では、各武将の思惑、狙いがよく表現されていて。ああ、こういうやり取りがあったのか。なるほどと。人物の描写がわかり易く。大変勉強になりました🤗。
動画をありがとうございます。勉強になりました。以下、メモ。
●務志賀は、現在でも延岡市に無鹿の地名が残っている。語源は、ポルトガル語のmusicaで、この地を天上の音楽が流れる楽園にしようとしたらしい。
●耳川の戦いは、動画の通り実質的には高城(小丸川)の戦いだった。戦が決した後、島津軍は大友軍を六里走って追撃し、皆殺しの気迫を見せた。逃走中、耳川で討たれたり溺れた将兵も多かったというが、なぜ耳川の戦いの名が定着したのかよくわからない。
陣営の動きがとてもわかりやすい!諸将の表情は今の塩梅が丁度いいと思うので、この方針でどんどん動画を編集お願いします!
人名や地名の読みにまでこだわったとても面白い動画でした。
ありがとうございました。
1つ訂正を申し上げるとしたら「島津忠長」は「しまずただたけ」と読みます。
細かくてすみません。
おすすめに上がってきたので見始めました。わがご先祖様もこの戦いに参加していたのかと思うと感慨深いです。
まぁ某野望のゲームでは専用グラもないくらいのモブ武将ですが(苦笑
土持家の城跡が運動公園の近くにあって、見に行ったことがある。
このような動画で土持家が出てくると感慨深くなる。
車で30分走ると小丸川があるけど宮崎に住んでても自分で調べない限りこんなヤバい戦いがあったなんて若い人は誰も知らないんだよなぁ…
大将が戦に出ることが如何に重要か分かる動画
自分が島津家久だったとして、矢玉が飛び交う最前線で指揮が取れるか?俺は無理だわ。
家久、義弘はマジリスペクトする。
@@user-rr1cy9dd7p
島津ではなく、大友のことを言っています。
23:25 のように慎重論と主戦論になった場合、
慎重論が正しい状況でも一部の武将の先駆けを大将でなければ止めれず、
なし崩し的に戦闘になってしまうケースがあるからです。(大将を除けば明確な上下関係が成立してない)
大友軍が冷静さを保ち続けたらここまでの大敗はなかったかもしれない戦いです。
大将は矢玉飛び交う最前線で味方を鼓舞することより後方で全軍の指揮監督することが遥かに重要な仕事です。
武田家滅亡のときのように、大将運がないと戦の最初の火縄銃や弓の撃ち合いで勝頼の弟大将が戦死することがあったから島津の運があったとしかいえない。
このときは勝頼弟が出陣すべきでないという慎重論のほうが正しかった。
大友家が、上下関係の体制づくりしてなかった裏目に出た。
大友家はかなり腐敗していたのを大友宗麟が無理やり建て直したのがありましたからね。
大友宗麟が領国にいることで、領内の国人の反乱防いでいた面あるから、島津と違い戦にはでにくかったのもあるからまさに大友宗麟に運がなかった。
島津は鎌倉時代からだから、誰が戦死したら誰が指揮すると上下関係と指揮系統が出来ているから軍隊みたいな身分制度武士にあったから大将が前に出れたはある。
朝倉義景が姉川の戦いに自ら出ていれば…
夏の陣の秀頼も出てたら多少の延命はできたのかねえ😂
沖田畷は無茶苦茶なバーサーカー勝利でしたが、こちらは順当
地図を知っているので、あんなに交通の便が悪い土地で戦うなんて大変だったでしょうね。
同じ中学に土持、長倉の直系ではないが子孫がいてその時はどうも思ってなかったが今考えたら凄いことやな!!
島津義久は現在の志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所あたりを制圧したんですね
何の早口言葉かな?
舌噛んだわ
大友義鎮(宗麟)はこの時期隠居完全に政権移譲終わってからの入信でこの戦い自体にはあまり関与してないし禅宗の宗麟という号も捨ててない
息子の義統の「初陣」で寺社破壊自体は「信長が延暦寺焼き討ちしたから俺らもやっていい」と心理的ハードルが下がってたのも大きいし義統は入信してない(どっちかというと毛嫌い気味で、入信した志賀親次を冷遇してる)と実像は大分違うそうな 道雪らが出てないのは秋月と毛利戦線があるから離れられない。秋月種実は道雪の戸次一族族滅した猛者…
結局道雪らが義統やっぱダメだわってなって宗麟に頭下げて宗麟が現役復帰せざるを得ない状況になっちゃうのよね…(そこからの奮戦も評価されてほしい)
義昭が築いた大友包囲網がかなり作用してますよね…
宗麟の入信はぶっちゃけ熱心なキリスト教徒っていうよりは南蛮からの利益が大きいから入信したのが主な理由だったと思う
この一連の合戦を耳川の戦いって言うけど、主戦場は小丸川なんだよなぁ
島津は強い、関ヶ原の後の家康も恐れたね、攻めてたら苦戦どころか負けてた
。懐柔しかなかったと。
そろそろ、大河ドラマ「島津魂」お願いします🤲
あとイラストの目が怖い😂いいけど
有名な釣り野伏せですな。
このころの絵がいい
隠居してた宗麟も復帰せざるをえなかった
キリスト教の布教というのは庶民から始まってその領主もやむを得ずキリスト教徒になり
最後はローマ皇帝までキリスト教徒にならざるを得なかったという長い過程がある。
大友氏のやり方はやはり無理でしたね。
関ヶ原頼みます
島津家は特に家久は龍造寺家を滅ぼし、更に大友家を壊滅的に叩いたのはハンパない。
秀吉と、官兵衛は、島津の降伏時に家久だけは必ず殺せという命令を出していた。
龍造寺家は降伏しただけで滅んでいない。
後年、後継がやらかしたので鍋島家に乗っ取られたけど。
@@yuji1181
戸次川の戦いでこれでもかって煮湯を飲まされたからね…
今はないですが、少し前まで国東半島に田原村ってあったんですよねえ。やっぱ多かったのかなあ、田原氏の子孫。
島津義久「どうして自分は落武者みたいな絵面なんですか?」
そりゃあ釣り野伏せやるのに強そうな絵面じゃ引っかかってくれないからでしょうに
新納忠元への信頼がすごい。3万の軍勢を一時的とはいえ必ず食い止めれるという前提で話が成立している。
キリスト教信仰したことで最先端技術や貿易での利益あっただろうけど信仰の違いで家臣や民の離反が進んだのは事実。キリスト教信仰しない大友家だったらもうちょっと九州の構図変わってたかもな。
大友は当時でも有数の結構な戦力あったはずなのにこの一戦で一気に滅亡寸前まで追い込まれるんだよね
前の対龍造寺と言い島津は敵に回してはいかんね(震え声
元々仲良かったんだけどカンボジアとの交易船が難破して薩摩に漂着後、その積み荷の帰属問題が発生して何年たっても豊後に返還されないわ、互いに「国主」として交易してたから主導権握る為に海上封鎖されてとで悪化しちゃったんですよね
釣りの伏せでの死傷率がヤバい。一戦で重臣クラスがバタバタ死ぬ戦いなんて、そうそうない。
@@user-rr1cy9dd7p
正攻法なら、陣頭指揮を執っていても、重臣クラスなら比較的安全な場所に居ますからね。
その比較的安全だったはずの場所すら、敵の射程範囲内に入ってしまってから猛反撃を受けるから、引っかかった側からすれば気がついたときにはもう手遅れという・・・
ただ、敵が引っかからなかった場合、仕掛けた側が各個撃破される危険性も高いから、本当に高度な現場指揮能力が要求される戦術ですね。
@@user-ep5qg8og3x 城攻めとなるとこの戦法は使えないのと、伊集院、山田、鎌田の様な庶流の権力が強く当主権力が弱いせいで耕作面積の少ない薩摩補正で自前で用意できる兵力も兵糧が無く持久力が無いからこういう冒険的な戦法を毎回やらないといけないのが島津の弱点でもある
木崎原は自軍も滅茶苦茶な被害被るのを代価にしたし、失敗例が根白坂の戦い…
島津の兵力も2万以上って話もありますよね。釣り野伏せが綺麗にハマったパターンですけど、結局この戦の大戦犯は田原紹忍ですよね。大友が大軍を動員すると負けるパターンその2みたいな。
一番の戦犯は大友宗麟じゃないかな。
バテレンの楽園を作る(笑)なんてクソくだらない理由で大軍を動員したのに、バテレンに反感を持っている家臣に現場丸投げして、自分は工法で安穏と過ごすとか、大凡総大将としてありえん対応かと。
食事やお菓子食べながら動画見るので
よだれや鼻水がなくなってうれしいです
島津一族、1代では難しいだろうが何代にわたって描けば大河ドラマで1年は続けられると思う。たまにはマイナーな戦国武将も見てみたいね。
鎌倉時代から700年にわたって領主家を維持したという世界でも稀有な家柄ですからね
今でも島津製作所とかで名前を残していますし
@@yasuyuhara8153
でも、島津家の野望はゲームにもならない。
実際に天下統一したんだけども。
島津はマイナーではないと思うけどなぁ
関ヶ原も負けたのにどうにか処罰はやり過しお家は存続、なんだかんだあって幕府を倒幕するまでに至った訳だしね
面白い歴史をやってる一族だと思う
@@ark9269 関が原では捨て奸という前進して退却という基〇外じみた戦法を使って義弘の退路を確保しましたからね
アレで重傷を負った井伊直正が戦後島津との和平交渉を担当したのが興味深い
「こいつら取り潰したら何しでかすかわからない」
って徳川側も思ったんでしょうね
戦国時代の島津家やるなら朝鮮出兵相当いろんなところに気を使わないといけないと思う
8:58 もうこの時からアイム・ソーリンにw
面白いね。声が素人なのは仕方ないが、声優使ったらこのチャンネルは化けそう🥶
他の動画の戦いにあまり興味はないけど、見てみたくなる動画の作りでした
醜狂とはかくも恐ろしきもの也
あの当時の宗教は力持ってるからねー今のここの信教の自由、内心の自由とは全く意味が違う。。
大友はキリシタン大名だったので、占領した地域の神社仏閣壊して回ったのが良くなかったそうです。
宗麟自身は完全に隠居で政権移譲、破壊主導した義統は入信してませんね…
しき(士気指揮)がグダグダだったようですね
@@user-ub7tt4gl8y
入信したり、辞めたりしてたそうです。
@@user-lv5ee5qx9g
九州統一してからにすれば良かったのに。
@@pontarou01 当時はまぁ宗教のちゃんぽんはよくある話(ガチでキリスト1本は高山右近か小西行長くらい 大村純忠みたいな超過激でも「出家」して真言密教や伊勢信仰もやるという闇鍋)
効力ありそうなものは片っ端から信じるし「戦勝ご利益無いやんけ」で破壊するケースもありますしね…(武田信玄とかも駿河や上野とかで焼き討ちしてる)
島津軍は侍大将クラスが最前線で火縄銃をぶっ放しながら突っ込んでくるからな。槍が届くゼロ距離で次々と連続発射して戦線をぶち抜く『くりぬき』とか凶戦士戦術あるから、銃の使い方間違ってるからw
銃は戦で勝つために作られたものである以上、勝てる戦術を実施して勝てたなら、それは間違った使い方でないと思います。
@@maruchan6541 『使い方間違ってるって』褒め言葉の表現です。文脈を読んでください。
島津に銃剣を与えたらどうなったんだろう?
島津が居なければ九州の文化財や古文書は大友宗麟によって全て焼き払われてたと思うと恐ろしい
10日で兵糧が尽きた石城。
大友康平
耳川の負けで大友の主だった重臣が大体逝ったのがね・・・
確かにわかりやすいとは思うが、画像がポンポン変わるため、主に地図を表示し、音声だけを流した方が良いと思いました。毎回勢力図を表示する度に表示される城が変わるので主要な城は変わらず表示し、色分けなどた方が良いと思います。
小丸川での戦いじゃなかったかしら?
1日では無い。大友家はその大分前からバラバラの烏合の衆になってたよ。だから少数の島津に負けたんだよ
島津義久は家康以上の狸なんだよねぇ
秀吉然り家康を持ってしても関ヶ原以降の処分で潰す事ができなかったんだよね
ヨダレ無くなって良かった。
大友宗麟は天地人がきれいにバラバラだったイメージがある。
賢いバーサーカーとか最強で草
マターすべし
いっしょに耳壱ノックいきませんか^^おみごとです^^
3’40”「謀反の根」⇒「謀反の芽」・・根と芽はNとMを機械的な判別が難しい・・精度か?
明日耳川記念日か、、
中立な立場なのが良い!
大友の雑魚武将である田北も理由があって突撃したんだなぁ…
忠誠心素晴らしい!!
肥後方面の連中もまともに戦っていないからね。
実際に戦っている大友勢はかなり少なくなる。
独断先行大好き島津軍
イんだよ 細けえことは
昔キリシタン宗麟が主役のドラマで彼が道雪!道雪!といつも喚いていたのを思い出す(笑)家臣が九州トップクラスに優秀なのに頭が駄目じゃ勢力も衰えるな。 今回の動画も分かりやすくて面白い!間違いなく今戦国系で一番熱い動画。次も楽しみに待ってます。
キリシタン王国をつくるために縣で無駄に時間を費やせずにさっさと南下したらこの戦いはどうなっていたのだろう?
木崎原の戦いで勝利(9割死傷)
釣り野伏せの島津家久が出てきた時点で
大友軍の命運は尽きていた
焼失した日向の古文書にどんなものがあったのか。。。
天逆鉾や高千穂神社など、日本神話でめちゃくちゃ重要な地だから、恐らく相当貴重な文献が燃えたと思いますよ。それこそ、比叡山焼き討ちを鼻で笑えるくらい貴重なものが・・・
@@user-ep5qg8og3x どこかに残っている可能性は薄いんだろうな… 宮崎がパッとしないのはここからきてるのかな…
@@kumosukeponsuke
全く無いとも言えなくもないですけどね…
日本の神社ってあの時点でも軽く数百年の歴史を持ってるとかゴロゴロありましたし、本当に重要な書物とかは、地縁などを頼りに焼かれる前に誰かに託した可能性は十分あると思います。
長い間詳細な構造が不明で幻の城と言われていた安土城も、戦後になって東京の静嘉堂文庫から発見された天主指図という古文書を解読したら、安土城の図面だったという話もありますし、意外なところから、ポロッと出てくる可能性もありえなくもないと思います。
@@user-ep5qg8og3x 戦後に古い蔵のある家の改築や調査、整理などで、まだ見ぬ貴重なものが市場に流れている感じがするんですよね。海外に流出しないで国内に留まっていてくれたらって思いますね。たまに出てくる書物の発見などワクワクするんですよね。数年前には本能寺直前の長曾我部への書状が出てきたりしましたよね。いつか出てきてほしいです。
@@kumosukeponsuke 寺社って割と日常的に破壊されますし「当時の日常物」への有難みも当時は薄かったでしょうしねー
敵対したから壊す、廃仏毀釈とか「戦勝祈願効果ないやん!舐められた(武田信玄はこれで駿河や上野等破壊しまくってる)」ってだけで破壊されたり、キリストだけじゃなく日蓮や普伝とか他の神仏信じるわで破壊したりくっそ大事な文書を他の文書の裏紙に使ったり割と雑い
九州とかそれこそ阿蘇、宇佐、宗像等寺社勢力が比叡山並みに強大すぎ+比叡山焼き討ちの影響で「信長がやってるなら俺らもやっていい」って非信徒かつ息子で実権握り始めの義統が躍起になってしまったのもあるし地味に奈多の専横も結構エグイ…→奈多鑑基(他社殿放火や宮司殺害等)
また島津w
島津は脳筋なのでネタが豊富w
大友宗麟のキリスト教に家臣は追従してなかったのかwそんな状態でも強かったのなら大友宗麟が普通の戦国大名なら九州統一してたかもしれないな。。
それを考えるといかに立花宗茂が化物武将だったか分かる。全盛期の島津の大軍を10分の1以下で持ちこたえた。
大友がサイコでは花心は堪らんぞな。
島津は味方を捨て駒にする戦い方が多過ぎるから嫌い。
家は早々に離脱、親方スンマソンですわ…
20:39この時期に将軍から……(ΦωΦ)ホホォ……
室町幕府はこの耳川の合戦の5年前、1573年に倒れてるのに……(・ω・`*)ネー
将軍が存命であったとしても幕府は倒れてるのに、何の権限も無い将軍の命令がそんなに役に立つんですかね〜( ´-ω-)σ
大友宗麟は嫌いだけど、家臣は好きな武将が多いです
島津の人たち名前どっちがどっちかわからなくなる。。
なんか冒頭で登場人物の紹介とか思惑とかの概要が掴めると助かります。
ストーリーにするスタイルは好きです!
島津義久 慎重な殿様一番上のお兄ちゃん 島津義弘 戦闘の鬼 次弟
島津家久 戦闘の鬼 末弟
島津以久 従兄弟
島津忠長 従兄弟
島津義虎 とおーい親戚
義鎮のバテレンによる脳のやられ具合がよくわかる動画w
むしろ宗麟が出てきたから敗戦から立て直せたんじゃ…
大友宗麟がどう見てもバイキングのなんて日だの人にしか見えないのだが。。
九戸征伐取り上げてください
総大将に豊臣秀次以下、徳川家康・伊達政宗・石田三成・蒲生氏郷・上杉景勝・浅野長政・井伊直政・大谷吉継・堀尾吉晴・佐竹義重など、錚々たる戦国武将と戦った
九戸政実 上方軍勢6万に、九戸籠城軍約5千人が対峙、熾烈な攻防戦
難攻不落の城に苦戦を強いられた上方軍は謀略を巡らせ九戸氏の菩提寺長興寺の和尚
を使者にたてました。持たせた手紙の中で政実の武勇を讃え、女子供の助命を条件に降伏を説得させたが
謀略とは知らぬ和尚と、一人でも多くの一族郎党を救おうと和睦に応じた政実でしたが、開門した城内には火が放たれ、城内の者は撫斬りにされた
政実と7人の重臣は豊臣秀次の待つ三ノ迫で斬首されました
島津の強さって「この大将のためなら」って思わせる人徳なんだろうな。家久は「持ち場を離れたら死罪」って言っても逃亡兵が出たって話も聞かないし義弘は名前のない兵士とも鍋を囲んで暖をとったって話もあるし。
キリスト教、恐るべし
島津無敵伝説の始まりを告げる戦いですね。
まあ、島津に勝ってもらって良かった。
豊後の人には悪いが、大友宗麟なんかに九州の覇者になってもらったら、キリシタンが引き起こす騒動で、西日本をキリスト教勢力に荒らされていた可能性が高かったのだから。
まじそれな
大友氏クラスタが見たらキレそう…
島津、毛利の敵ポジだったために必要以上に悪く言われてる感
愚かなり大友宗麟。
義統くんのかわりに怒られる宗麟は可哀想
まぁ、功罪ある人物だとは思うけど、キリシタンでない家臣たちにキリシタンの楽園(笑)を作るための前線丸投げは、弁護の余地がないよね…
一応、20歳頃にキリスト教徒であったけど、50代で隠居するまでは洗礼を受けないなど、周囲への配慮はしていたみたいだけど、その後の寺社仏閣・仏像・古文書等の破却はどう考えても愚行。
息子の義統がやったという説もあるけど、それを止めようともしなかった時点で・・・ね。
@@user-ep5qg8og3x 寺社仏閣に関してはキリスト教国云々とかじゃないやつでは?
@@matukawatositane
日向をバテレンの国にしようという意思は恐らく存在していて、その過程で寺社仏閣を破却させてますから、過剰なキリスト教への傾倒がなければ起きなかった行為じゃないですかね?
少なくとも、この時期に大友家の領国で、比叡山のような反抗を示したわけでもない(少なくともそういった資料のない)寺社仏閣が破却されたのは事実ですし、それが非キリシタンの家臣からすれば、(宗麟の真意はともかく)キリスト教に傾倒した結果引き起こされたと判断されたかと。
@@user-ep5qg8og3x 同盟者の織田氏の影響という気もしてる
義統からしたら力の寺社の土地も押さえれて、家臣団に与える土地として見てたかもだけど
窮地のとき、顔に蛆がわくな。
耳川の戦いは歴史を変えた重要な一戦だったと思ってる。ここで大友が勝った場合、九州は大友によってキリスト教国として統一されていた可能性があり、それはすなわちポルトガルの傀儡政権と言う事。信長といえどもポルトガルに支援された九州を討伐できたかどうかは怪しく、日本が分断されて西欧植民地になっていたかもしれない。
天下統一とは無関係な戦いだったから軽く扱われがちだけど、キリスト教に侵食されていた九州の流れを変えた一戦。
主力4万とか、別働隊3万とか、お互い軍勢を盛り過ぎっ。
盛ってるとは思うけど、どちらの陣営も6か国と3か国から募兵してると思うから、そんなに盛ってない気もするな
戦国時代だと、1万石で300~350名程度は動員可能だったらしいから、単純計算で200万石在れば動員可能。慶長年間の資料だと、大友家の最盛期の領土である豊後、豊前、筑後、肥前・肥後・筑前の総石高が150万石くらいなので、少なくとも5万前後は自力で動員できたかと。
あと、南蛮・明との貿易で財政面でも潤っていたので、そこから用立てれる土豪などの兵力を合わせれば、多少の誇張はあっても、それなりの数は集まったんじゃないですかね。
@@user-ep5qg8og3x ご教示ありがとうございます。
いつにも増して皆、口が悪いのがジワる。
😅
立花道雪や高橋紹運が参戦していれば少なくとも大敗だけは免れていたような気がする(もっとも立花道雪はこの戦に大反対だったらしいが)。
宗麟のキリスト教傾倒により家臣たちが分裂状態でバラバラな大友氏が、例え寡兵であったとしても、しっかりと統制が取れており戦上手な島津軍に勝つのはほぼ無理ゲー状態…
そのあと秀吉が大友氏の要請で九州に遠征して来る訳だけど、
大友氏としては「秀吉さん間に合った…ほんと助かった」とホッと胸を撫で下ろし、
島津氏としては「あと少しだったのに横槍が入ったか」と舌打ちする気持ちだったに違いない。
宗麟は「マインドコントロール」の、先駆者?だったのだ・・。 令和の今から見ても・・、頭が進んでいた?・・・のだ・・。 恐るべき、「先行行動者」?だ・・。
大友が敗北した理由はどう考えても神社仏閣を焼き払ったからだ。しかし大友宗麟のキリスト教に対する情熱が島津の計算を狂わせていた面もあるね