聖徳太子と救世観音〜厩戸王は何故怨霊になったのか〜最終話

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  • Опубліковано 3 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 2

  • @MASATAKA-r4g
    @MASATAKA-r4g 8 місяців тому +1

    聖徳太子
    正に
    日本のツタンカーメン…😅

  • @siraki77
    @siraki77 7 місяців тому +1

    百済 聖明王が 王子 扶余昌上宮王に言う。。
    新羅と 高麗が公募して九州の 安羅を打って 任那を滅亡させて道を切って百済を
    両断しなければならないと言っている
    速く 軍を送って秋には 海外の官家をしっかり守らなければならないもし遅れれば
    後悔莫及したことになるでしょう。
    百済 余倉 軍事を起こして 高麗 百合野に行ってこの頃を積んで兵士らと寝食を一緒にした。
    夕方に遠く眺めたら広くて油っこい丘と野に人跡は珍しくて
    犬のほえる音も切れた忽然と
    短い瞬間に太鼓と笛の音が聞こえた百済軍 太鼓を打ちながら対応して
    夜を明かしてしっかり守った。
    夜明けに起きて広野を見たら青い山を覆ったように黒い旗が一杯だった。
    夜明け頃頭に 辰云をさした者が1騎 どらを持った者が2騎 虎しっぽをさした者が2騎
    合わせて5騎が手網を並んでして出て部下たちが言うのを
    我が野原にお客さんたちが来たと言う
    出迎えて 礼として待偶しなければならないと言った。
    出て 礼として回答する人の声明(名前)年地位を言います
    余昌 ひいては言って 姓は 高麗と 同姓です
    地位は 可利 年は29歳次は百済の方で叫んで名前を聞いて 前の法道によって
    答えた。ここに旗を立てて交戦した百済軍 高麗軍 勇士の
    言葉で突いて降りて首を枕にした。
    頭を 槍 あげくさして軍事に見えた 高麗軍 激怒して
    百済軍の歓声が天地を振った。副将らが太鼓を打って激しく戦って
    高麗軍を 東聖山で退却させた。
    高麗との手に負えないけんかで勝利して
    高麗対策が一切りつくと 余昌を百済 佐那岐狗邪 太子にした。
    可比 上宮太子王 これから新羅を打つために軍事を集結させた
    今度けんかは前より危ないから軍事の派遣を正月 中にするようにする。
    新羅は 無道して百済を恐れないで 高麗と心を一つにして九州を撃滅して
    道を切ろうと思う。
    伊利支が12月9日に新羅を打ち始めて 安羅の 〓山城を燃やして抜きました
    もし新羅だけなら 伊利支の軍事だけでも十分だろうが
    今 高麗と新羅が協力していて成功しにくいだろう速く
    多久 近くの軍事を送って 豊国を助けてください
    扶余昌上宮太子王 新羅を打つために起きて
    老臣ら諌言して空がまだ私たちを助けないです 禍が及ぶか恐ろしいです。
    余昌 いよいよ新羅に入って九州の 久田村にこの頃を積んだお父さん 聖明王が心配して 余倉が長年のけんかに苦しさにあって長い間寝食が廃することが多かった
    両親の恩恵も施すことができなかったし息子として孝をつくすにも困った
    そうから自ら行って慰めた。
    新羅は 聖明王が親しく来たということが分かって 豊国の軍事を全部起こして
    道を防いで海路を切って撃破した。
    この時新羅は 佐知村の 馬可比 谷支に 明王は有名な王であり 谷支は賤民
    谷支がお辞儀をして言って 大王の 首を切るようにしてください 明王が王の頭は民に任せることができないと答えたら我が国の法道は王だと言っても誓ったことを破れば
    民の手に死にます。
    聖王が空を仰いで歎息して涙を流したら承諾して椅子に座って
    自分の刀を解いて 谷支に渡して 絶するようにした言って
    朕はいつも骨にしみる苦痛を我慢して暮して来たが 命を物乞いしたくない。
    と言ってたまらないことをあった。
    余昌は遂に包囲あって出ようとしても出ることができなかった
    軍事は荒ててすることが分からなかった。
    この時 築紫国造が新羅騎兵の中に一番勇猛な 将を狙って滑路うって落とした
    また続いて雨降るような矢をうってもっと激しく新羅包囲軍を突破した。
    付与倉は 築紫国造が包囲軍を弓として突破したということが分かって誉めて
    高めて 倉支君と言った。
    百済 威徳明王 言って "私は今私によって 戦死なさった 父王の冥福を祈るため
    嫁入りして 修道をしたい。"
    諸臣百姓報言 もう 君王が僧侶になって 修道をなされば百済は
    高麗と新羅が争って滅亡させようと思うでしょう。
    初めて国をセウンと言うこの国の宗廟の祭祀をどの国に任せようとしますか?
    前過を悔やんで出家しないでください。
    もし 聖明王の冥福を祈って 怨を解くことを思ったら国民を出嫁させるでしょう。
    100人を出嫁させてさまざまな功徳をした。
    百済大王 夫余倉 弟 恵を 上宮太子王にして
    列島朝廷を管掌するようにした。
    そしてお父さん 聖明王を追慕する 聖明王像の救世観音を作るようにした