Wow! People here lauding the lies that literally killed their own family! As history, these 軍歌 are interesting and important - some are great songs - except for their purpose (like "Marching to Pretoria" is). I understand not wanting to believe that you or your loved ones gave their lives for a stupid, cruel and hopeless war, but not pretending what inspired those deaths (and the deaths they unjustly, evilly caused).
私が就職した頃、世の中を中心で回していたのが先の大戦を生き延びた方々でした。その大先輩達のために軍歌を沢山覚えカラオケで一生懸命に歌わせていただきました。その当時左傾化した同年代からは冷たい目で見られましたが、大先輩たちからは如何に自国を守る事が重要かを学びました。この歌を聞くとまるで昨日のように思い出されます。
大正生まれのじいちゃんがよく鼻歌で歌ってた。子供の私は歌詞の♪死んで帰れと励まされ♪の部分に引っかかり「ホントじいちゃんの父さんに言われたの?」とたずねたら「そんな事はない。なるべくタマの当たらん所にいて生きて帰れよ」とこっそりいわれたそうだ。なんだか少しホッとした記憶がある
❤
私の父は近衛の上等兵でした。私が8才の時死別しましたので詳しくはわかりませんが
私の誇りです。
私の曽祖父も旧陸軍でした。
部隊で唯一生き残り、
復員したと聞きましたから
ただ曽祖父に感謝です!
藤山一郎先生は戦前も戦後もこの歌を歌っておられます。
この歌の作曲者の古関祐而先生は、63歳の私が中学生の頃、欽ちゃんの家族スター対抗歌合戦で審査員長をやっていらっしゃっていたのを覚えています。ユニークな方だなと思ったのも覚えています。この方も戦後辛かったんだろうな、それがあの名曲「長崎の鐘」や「栄冠は君に輝く」や昭和39年の東京オリンピックの行進曲などなど・・・・・につながったんでしょうね。私が小中高生の頃の体育祭の行進曲は、あの東京オリンピックのときのこうしんきょくでした。古関先生、私たちを励ましてくださってありがとうございました。
この唄は、知っては いましたが、藤山先生が歌っていたのですね胸が苦しく 切ない思いに駆られます。それは唄の内容だけで無く その頃の先生を あれこれ思い出して見てのことか!いいですね。。ユーチューブミュージック。
でもこれは多分 当時 では無く年を重ねられて 歌われた。そのように思います。
藤山先生は終戦時、
ジャワ島スラバヤをマディウンへ
向かい移動する車中で
日本の敗戦を知ります。
独立を宣言したばかりの
インドネシア共和国の捕虜となり、
ジャワ島中部・ナウイ刑務所に
収容され、その後ソロ川中流部にある
マゲタンの刑務所へ移送されます。
1946年7月15日、
藤山先生は復員輸送艦に改装された
航空母艦・葛城に乗り帰国の途に
つかれました。
今、TVで「泣ける昭和名曲」なんて番組をやってますが
なぜか80年代や坂本九、美空ひばりの曲ばかり
露営の歌などの軍歌は取りあげられません
これぞ昭和の名曲です これを聴いて泣かない人がいるでしょうか
こうして昭和の記憶が捻じ曲げられていくことに歯がゆさを禁じえません
私もそう思います。63歳の私にとって80年代つまり昭和50年代の歌なんて、と思ってしまいます。戦争の事を知らない世代(私もそうですが子供の頃、亡父母や近所のおじさんおばちゃんや学校の先生方それに若手社員の頃、会社の上司や先輩から空襲体験や戦場体験をじかに伺っております)の人の為に、テレビ番組ででこういう歌がはやったことや、当時の時代背景のことをもっとやって欲しいです。
平成初期まではラジオなどでも普通に放送されていましたが、だんだん減っていき放送されなくなりました。
今では軍歌を唄えるだけで右翼扱い、僕のように日本軍関連の戦時資料(参謀用軍服、満鉄刀、恩賜軍刀、恩賜煙草など)を持っていると右翼活動家扱いの危険人物のような見かたをされます。
またそれらの資料を見てそんなガラクタ捨ててしまえとか平気で言ってきます。
戦争の痛みを忘れてはいけないと思います😢😢😢
自国の伝統、文化、歴史を尊重し、子々孫々の代まで受け継いでゆかせることは大事なことであり、愛国心は危険思想ではない!
初めて聞きました→紅白蛍の光にも共通する→日本人の哀愁が伝わりました→ありがとうごいます⏩戦後80年経っても感動は変わりません→兵隊さんの一歩一歩を支えた応援歌
素晴らしいなぁ^_^!❤❤❤
今日は長崎に原爆が投下された日です。
原爆被爆者の方が兵士達はこの露営の歌をうたっていた。と言っていました。それほど大事なきょくなんだ…と思いました。
日本軍は、中国戦線でもこの唄を
口ずさみながらその一念の元、命を賭して戦った!
この最後のフレーズ、
『 東洋平和のためならば 何で命が惜しかろう 』
この一念の元にだよ!
この歌から解る様に日本兵士は
言われている様な中国での虐殺、掠奪などの行為などするわけがない!!
それとも、
この唄を歌いながらやったのか?!
笑笑
最近、南京大虐殺も
中国によるでっち上げだという事が
証明されつつあります。
中国で亡くなられた英霊の為にも
事実を全て世界に知らしめるべき!
余談ながら、
私も曽祖父の弟が旧陸軍の
戦闘機乗りとして、
中国戦線で戦死されたそうです。
まさか、そんな筈ないでしょう!
では、最近証明されている写真は
どのようなものでしょうか?
中国戦線で戦死された曽祖父の弟の
為にも、中国における事実を
全部証明すべきです!
Wow! People here lauding the lies that literally killed their own family! As history, these 軍歌 are interesting and important - some are great songs - except for their purpose (like "Marching to Pretoria" is). I understand not wanting to believe that you or your loved ones gave their lives for a stupid, cruel and hopeless war, but not pretending what inspired those deaths (and the deaths they unjustly, evilly caused).
なんで天皇は死ななかったのかのほほんと戦後生きたなぜ国民が死にに行ったのになぜ