仏教的"心の病"のとらえ方、手放し方

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  • Опубліковано 6 вер 2024
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    #大愚和尚の一問一答 #大愚和尚 #仏教

КОМЕНТАРІ • 13

  • @user-zm5gr2lc7m
    @user-zm5gr2lc7m 2 роки тому +63

    病気は自分のなかに原因があって起きるという教え、ありがとうございます。
    確かに医学にも、認知行動療法という、ものの捉え方(認知)の歪みを修正するものがありますね。
    ただ、自分のなかの原因を見つめる、という事は心が少し回復してきた人がするものだと私は思っています。
    鬱でしんどい時に自分に原因があるのではないか、と考えることは、自責の念を強めて悪影響になることがあるからです。
    質問者さんの心が今どのような状況なのか分かりませんが、どうかご自分を責めないで下さい。
    心と身体の状態が少し落ち着いてきたときに、ゆっくり自分を振り返ってほしいです。
    過去の自分を責めるのではなく、これから先、再発せずに強く生きるための振り返りです。
    私もうつ病であり、最近婚約者を亡くしたもので、勝手に質問者さんに親近感を覚えて心配になってしまいました。
    医療者の端くれの言葉なので、仏教の教えとは異なるかもしれませんが😅
    どうかご自愛下さい。
    長文失礼しました。

  • @anarcheologist
    @anarcheologist 2 роки тому +33

    大愚和尚様、本日も貴重なお話ありがとうございます。私は最近毎朝1時間ほどの瞑想を続け、魂の目線から自分の心にへばりついているエゴの姿を客観的に眺めるように練習してます。また、あらゆる困難は自身成長のための魂の計画と捉え、抵抗せず受け入れて、日々がむしゃらに課題解決に取り組んで余計なことは考えず生きるようにしてます。執着がないとすごく楽です。それでもエゴはなかなか思うように制御できないと、つくづく思うこの頃です。

  • @user-zk5hh9mi4q
    @user-zk5hh9mi4q 2 роки тому +15

    運不運ではなくて「貪・盡・痴」が、心や身体の病なのですね。今迄、私は「運の良さ」だけで、生きてきた様に思います。
    私も心の病にかかって長いですが、目から鱗でした。ありがとうございます。

  • @daishizennonegoto
    @daishizennonegoto 2 роки тому +21

    諦めてしまっていることの中にも、まだコントロール可能なことがありそうだと思えるようになりました😌

  • @user-gb4qb9qs1f
    @user-gb4qb9qs1f 2 роки тому +3

    和尚様いつもお話聞くたびに、自分の愚かさに自問自答しております。いけないとわかってるつもりなのに産まれてきたくなかったと、おもうわたしがいます。
    昨年人工肛門になり、リハビリ中に傷口が開いてしまい、処置室でぬってもらいました😭気絶寸前の痛み私が今まで、心療内科にも通い親に迷惑かけてきたから、罰が当たったと責める毎日です。生きてることのつらさと、後悔と早く地獄に落ちろと思うバカ者です。生きてる間は修行なんだと、癌で亡くなった母の口癖でした。支離滅裂な話すみません🙇早く寿命終わらないかなと、毎日思うあたおかです😓和尚様の動画はじめから又、聞いてがんばります🙇長文失礼いたしました😷

  • @amano-kazu
    @amano-kazu 2 роки тому +36

    今回の大愚和尚のお話は「心の病」についてですが、広い意味では「体の病」も「心の病」と言っていいのではないか。そのようなことを思います。
    たとえば、「病気」というものを見た場合、たしかに、
    ・ウイルス
    などの「直接の原因」はあります。しかし、その「原因」をもっと深くたどっていくと、
    ・ふだん、ストレスを抱えていた
    というところに行き着くことが非常に多いです。そういう人は、
    ・薬を飲む
    などの対処をすれば、たしかに「病気」は直ります。しかし、「深い原因」となっている「ストレス」が改善されていなければ、必ずまた「病気」にかかります。
    だとすると、いかに「ストレス」を受けないように生きるか。それが重要になってくるということが言えるでしょう。
    ★ ★ ★
    そうした場合、「ストレス」を受けやすい人は
    ・物の見方
    ・考え方
    が「適切ではない」場合がほとんどです。
    つまりは、「嫌な上司」「嫌な出来事」などの「自分の外」が原因でストレスを受ける、というよりは、むしろ、
    ・その上司をどう見たか。その出来事をどう受け止めたか
    という、「自分の内」が原因となっているんですね。
    そういう人は、仏教でいうところの「貪・瞋・痴(とんじんち)」という状態が、強い人。言い換えれば
    ・欲が深くて、怒りっぽくて、過剰な物の見方をする
    性質の人ですね。「エゴが強い」とも言えるかもしれません。心理学的に言うと「認知のゆがみ(小さなことを過剰に捉えて悩んでしまう性質)がある」ということになるのかもしれません。
    いずれにしても、そういう、「適切ではない物の見方、考え方」が起点となって、感情的になり、それを無理に抑え、その結果、ストレスがたまる。
    で、やがて
    ・精神に支障をきたす
    ・身体に支障をきたす
    という状態になる。個人的にはそのように思っています。
    そうならないよう、常に心の状態を整えて、人生をより善くしていきたいですね。
    いつも貴重な動画をありがとうございます。

  • @user-hl3ot8ck6i
    @user-hl3ot8ck6i 9 місяців тому +1

    ありがとうございます🌿🙇

  • @oyuntsetsegsodnombaljir6158
    @oyuntsetsegsodnombaljir6158 2 роки тому +2

    🙏🙏🙏

  • @user-cn1td2tx9j
    @user-cn1td2tx9j 2 роки тому +4

    三毒が心の病の原因の全てなのでしょうか?心から知りたく思います。

  • @user-jq8mk8hf1r
    @user-jq8mk8hf1r 2 роки тому

    大愚 和尚様もそのような気持ちになるなんて驚きました。 それと同時に安心もしました。

  • @user-bi5ks1hf7c
    @user-bi5ks1hf7c Рік тому

    因縁果の道理ですね❗

  • @user-yi8tp5wz1z
    @user-yi8tp5wz1z 2 роки тому +8

    おれの知り合いの鈴木さんとそっくりですよ!あなたは!

  • @monchi-g2f
    @monchi-g2f 8 місяців тому +4

    精神を病むことの原因とされがちな出来事は、きっかけに過ぎず、原因は、脳のなかで起きています。
    精神病は、なにも特殊な病気ではない。どこを患っても、つらいのは同じ。にもかかわらず、精神病患者自身が、自分の病に偏見をもっていたりする。
    生老病死の「病」と捉えるべきだと思う。
    私は、まだ、養老孟司先生の『唯脳論』を読んでいませんが、精神は心であるけれど、心という器官は、イメージ的には胸のあたりにある感じでも、実際にはそのような器官はなく、やはり、脳のことであると思っています。
    脳内の、主に神経伝達物質に異常、又は問題のある病気です。
    ただし、癌にステージがあるように、精神病にも、薬を服用しておれば、全く日常生活を支障なく過ごせる軽度の段階から、入院生活を余儀なくされる重度の段階まであります。
    仏教にできることがあるとすれば、きっかけのうちに、こじれてしまわないように、その状況を冷静に正しい判断ができるような指針を示すことだろうと、思います。
    それも、規則正しい生活をして、特に、朝日を浴びながら散歩をする…という、とても単純なことを、ごちゃごちゃ言わず、布団からでて実際に「やる」だけのことのようです。
    どんな病気も、重症化すれば、治るのに時間がかかるのも同じです。