ひざ詰めで話し合って、お互いに着地点を作る時間(月単位)を作らないだけの問題な気がします そんなことをする時間と予算がないのなら、映像化に手を出さない方がいいんじゃなかろうか
原作の訴えているテーマを、テレビドラマという媒体に「翻訳」し、いかに効果的に表現するか。それはまさに脚本家の腕の見せ所なわけですが、
原作もろくに読まずただ局と芸能プロの手先になるだけのエセ脚本家に任せるぐらいならむしろ「一言一句変えずに原作どおりに作れ」と言いたくなるのもわかる。
主演タレントにあわせて主役の年齢を10歳底上げするとか、出演タレントを増やしたいから主役級の人物を追加するとか、そんなのは制作側の勝手な都合でしかないんで。
>「一言一句変えずに原作どおりに作れ」と言いたくなるのもわかる。
本当にその通りですね。
実は、僕の場合では、撮影で『一文一句変えるな!』と、いつも小さな声で言っています。そのくらいに作り込んで(計算し尽くして)書いています。
それをチャラい現場が適当に取り始めたら、ブチギレます!
TV局の報告書がダメなところは、改変の必要性を言いながら、何故その改変が必要なのかの記載が無かったことですね。
基本的に漫画原作のドラマは視ないタイプです。
漫画原作ドラマは原作の空気が薄れてしまって何か寂しいし、殆どの場合でキャラも変わってしまっててもういいやって感じになる事が多くて、何時しか完全に無視するようになりました。
まぁ、空気が薄まる事で一般の人を寄せ付けない感じだったのが、丁度よくなったなんてこともあるんでしょうけど。(桜風先生がセクシー田中さんはドラマの方が面白いと思ったのはそういう事なのかなぁと)
前回のシナリオ化の解説動画を見ててBS漫画夜話で「少女漫画系は少年漫画と文法違うから慣れてないと読み難い」って夏目さんが言ってたのを思い出しました。
解説に出て来たのは田中さんの紹介、田中さんと朱里の邂逅、邂逅直後の朱里視点から見た田中さんの場面だったと思うのですが、映像化するにあたって、漫画みたいな組み立てもあれば、いきなり田中さんと朱里の邂逅から初めて邂逅直後の朱里視点から見た田中さんのところで朱里から会社での田中さんを紹介させるような方法もありますよね。
報告書内の蘆原先生の言を考えると、どう作っても原作者は大筋で外してなければガタガタ言わなかったのではないかと思うのですが、ガシガシ直され捲ったってのは、日テレの合議の末に相沢氏がまとめた脚本は原作の空気は吹っ飛び、キャラは完全に別物だったんでしょうね。。。
「初稿と最終稿を掲載してよ。デジタルだから残ってるでしょ?」って思ってたりします。
「我々はこのシーンをこう解釈していて、実写に落とし込むための表現パターンとしてA案、B案、C案のイメージボードをお持ちしたんですが、どれが先生のイメージに近いでしょうか?それとも、解釈が違うでしょうか…?」
「私は、このシーンのこのキャラクターはこんな心情を抱えていると設定しているので、ビジュアル的にはB案が近いですが、正確なイメージはちょっと違いますね」
「ではB案にこういったものを足して、この役者にこんな演技をお願いするのではどうでしょう?」
「あ、良いですね。このまま進めるよりも、私のイメージに近くなります」
…的に、膝突き合わせて芦原先生とスタッフが何度もミーティングと解釈の摺り合わせを繰り返さなければ、どうしても歪みが生まれる作品だったと思う。
それが出来るだけの作品愛、芦原先生へのリスペクト、時間的余裕と手間を惜しまない精神が無いのなら、そもそもTVドラマ制作陣が手を出すべきではなかった。
前回の動画は第3者の脚本家が実際に脚本してみるとどういう問題が見えるのか。どう感じるのか。
そこからどういう再発防止策が取れるのか、どうすれば良かったのかを考える為の一つの材料。様々な視点の一つ。特に私を含め脚本家でない人達からすれば検証し辛い部分なので貴重な意見が得られる機会と言う認識でした。
最近もう一度、ドラマ逃げるは恥だが役に立つを観たんですが、そちらは原作は未読でドラマだけしか知らないんですが
主人公の妄想シーンもテレビならではの演出でよくできていたと思います。
さっきーさんも言ってましたけど、単純に改変したのが悪かったわけではなくて改変が変なふうにしかなっていないのでそれなら原作どおりの設定やプロットにしてねってだけだったと思います。
逃げ恥みたいに面白いものができたら原作者も文句はなかったと思います。
今回の事件は日テレのドラマ製作陣および脚本家にいいものを作る実力がなかったということで、原作者にキレられたことに逆ギレした脚本家のSNS投稿がきっかけで悲しい結末になってしまったのは明らかです。
あまりドラマは見なく、アニメの例で申し訳ないですが共通な点があるので書きたいと思います
評判の良い漫画原作のアニメは
制作現場の人間がその原作を好き好きで原作者をリスペクトしていて
自ら進んで原作の解釈を深めていくことで成功しているのがポイントと思います
「放映枠がある→何かやらないと→なんか人気がある漫画があるからドラマ化するか」
じゃなくて
「私はこの漫画が好き→原作の良さを伝えたい→私が絶対にやりたい」
という熱意を感じます
アニメでも前者の場合は正直なところ大体面白くありませんし、視聴者にバレますw
今回の事件から「やっつけ」で仕事するなということかと思いました
そうなると結果的には、時間枠内で盛り上げる工夫、CMの差し込みなどの制約のあるTVのドラマは
漫画とはマッチしないことが当たり前で
脚本家がTVにあう手法でオリジナルの良い作品が作れる自分たちのホームグラウンドで「あるはず」です。
あるはず、なんですよね
それができないから原作を引っ張て来ているのですが、自分の価値を下げる行為であると理解しているのだろうか・・・
そう言えば、昨日放送されたアニメ響け!ユーフォニアムの10話でもとんでもなく原作改変されていて、セリフが違うだけではなく、全国大会前のイベントが関西大会前になっていたり、イベントの直後に幼馴染の部長と副部長が会う場面がまるまる抜けていたり、部内で演説する場面が関西大会後の部活時だったのが、関西大会の演奏直前だったりと大改変だったわけですが、これで感動して泣かされているから誰も文句が出ていません。原作がごちゃついていただけに、よく映像化で整理したと思われただけです。
また、去年の年末から日テレで放送局の肝入りで放送された葬送のフリーレンでも、それこそ、金曜ロードショーで放送された1話の勇者ヒンメルが亡くなった葬儀のシーン。なかなか状況を理解できないフリーレンが泣かずに葬儀に参列していた後で埋葬時に泣き出す部分は、原作ではコマを跨いで表現されていて、場面も葬儀場のままのところ、映像化では非難されて泣いたのか、徐々に気持ちに響いたのかが分かりにくいと場面転換するように改変されています。
映像化において改変が悪ではないのは自明なのですが、それが原作者に納得されて、うまく映像として表現できれば問題がないのでしょう。
アニメでうまくいって、ドラマでうまくいかないのは脚本家の質?というよりも、推敲に使われる時間と関与する人数が圧倒的にアニメの方が多いからなんでしょうね。アニメ化でも時々大失敗をやらかしていますし。夢見る男子は現実主義者とか、チェンソーマンとか。
脚本家が原作をもっと読むべきだったとか、中途半端にイジるくらいなら原作そのままなぞればいいじゃないかとか、原作者と脚本家と直接話せばよかったじゃないかというのはそれぞれがそれぞれでごもっとも。ただ、脚本家あるいはドラマ制作サイド全体としてでもいいけど「それでもあなたのこの作品が好きなんだ!原作愛があるんだ!」というのがあれば超えられたと思う。シロウトの抽象的な言い方ですいません。でもそう感じられる作品は昨今いくつもあるし、『シティーハンター』とか『銀魂』とか。少なくとも今回は原作とか原作者への非礼っぷりはちょっと信じがたい次元です。
こんにちは!
プロの脚本家さんのお話、興味深かったです!
やはり、もうオリジナルで書ける人がオリジナルで勝負して欲しいと思いました…。
脚本に関しては…。
解説いただいたおかげで、脚本家の専門性、素人が簡単に出来るわけではないことがよくわかりました。
特に今回は脚本家がというより担当された脚本家の能力不足が足をひっぱったのでしょう。
33:14
私も前まではそう思ってました。
映像は映像、原作が好きでも映像が気に入らないなら見なければいいと。
でも今回みたいに原作者を失うなら話しが違います。
気づかなかったこと何もできなかったことを後悔するしかない。
日テレや他の関係者も全ての人に再発防止をちゃんと考えて欲しい
レディスコミックは特に余白を大きくとる傾向があるので、特に難しいのだと思いますが。コミックや小説の場合には余白を読者に想像させることが表現手法でありますが、アニメ化やドラマ化では想像部分を映像にする必要があるので、難しさがあるのは前回で理解できました。
本来なら余白を脚本家含めて制作側が読み解いて映像化するのでしょうが、読み解けないとよくわからない映像化になりますね。
まあ、映像化で改変しても、人気をはくせれば神映像化、人気が出なければ原作レイプと言われてしまうわけです。難しいですね。
おっしゃる通りですね。
登場人物が多い作品は、特に心理描写が複雑になるので、テレビドラマではなかなか苦労すると思います。
原作は、連載のページ数制限もあって、かなりの数の絵を詰め込んだ作品になっていて、感情の省略(行間)の多いのも特徴だと思います。ですから、映像化する場合には、その行間に多くの時間を割り当てる必要が出てくるので、全体の尺を調整するのが難しいとも言えます。
そして、おっしゃるように作品は結果論なので、そこも難しいです。
しかし、今回の問題は、出来上がった作品の結果論とは別次元で色々なことが起きていると思います。
原作者の最後の言葉になる、(脚本家を)責めたかったわけじゃない、という意味が、実は一部の原作ファンに届いていないことも、重要な問題点だと指摘しておきたいです。
原作の筋を変える事は問題だと思う。
原作付き作品の脚本を手掛けるなら、原作の内容は変えず視点表現を変えるなどで独自性やテレビ映えを示せば良いだけ。性別を変えたり人間関係を改変などは原作の意味を殺すだけ。年齢設定は、多少は仕方ないと思う。
非難されるのは、キャストありきでドラマ設定をされていると見てろれるからだと思う。
ドラマである以上、キャストが主なのは仕方ないが、原作付きドラマなら原作を大事にしなければダメだろいとう事だと思う。
相沢女史はドラマは壊してないが原作者の心を壊したのだ
実話とドラマへの作り込みの話・・・
これ、物凄い教科書的な上手い落とし込みして大ヒットしているコンテンツがあります。
"ウマ娘"です。
あれ、今の映画もそうですが大枠というか話の筋や入れ込んでいるストーリーには背景になる事実(競走馬、厩舎や騎手、馬主関係者)の過去インタビューやエピソードがしっかり使われているんで
絶対的な架空の話なのに安っぽくならないし
競馬関係者からも評判良いんですよね。
原作、原案リスペクトってああいう事を言うんだと思います。
で今回日テレと制作会社(含む脚本家)はどこまでリスペクトがあったのかで
命を奪うまでに至ってしまいましたね。
ウマ娘は2.5次元の舞台化までされていてこれも評判良く、実馬知っている競馬おじさんがボロボロ泣くんですよ
史実(実馬)→アニメ・ゲーム・漫画→舞台化という求められる媒体、演出が全く違うメディアでもそれぞれ成功し、結果を残してます。
多分、開発元(サイゲームス)の開発チーム、シナリオ陣が物凄い骨太のお客様に訴えたい、楽しんでもらいたい設定の核が強固にあり各媒体への展開でも曲げずに要求してるんだと思います。
流石にここまではいかなくとも繊細ないわゆる"難しい"作品を取り扱うならこれぐらい原作者と顔突き合わせて組み合う体制が絶対必要なんでしょうね。
ウマ娘舞台なんか元ネタ馬だろ?
どうやって役者が演じるんだろw
と、タカを括っていたのにボロ泣きしましたからね。
あれ見て、脚本家って凄いな!って心底思いました。
桜風さんの伝わらなくてもどかしい感じ
よくわかります。
ただドラマ制作の難しさもわかりますが、
一歩引いてドラマ化できませんと手を
挙げれば防げたように思えます。
ありがとうございます!
桜風先生の実作者ならではのご解説、実に勉強になりました。
私はじき66歳の男性で、ここ2年ほど芦原先生の作品を20冊ほど楽しんでおりました。
と言っても熟読したわけでもなく、全著作の3割程度ですし、TVドラマに至っては録画したものをながら視聴程度ですので。
ただ気になったのは。
今回の件の争点の「原作そのまま」は各シーンの逐語訳的直訳を要求したわけでもなく、単に意訳の出来が悪すぎたことが原因だと思います。
主要キャラクターたちの人格がちゃんと「原作そのまま」であれば、芦原先生もアナザーストーリーとして受容可能だったのでは?と思います。
非常に詳細に造り込まれたオリジナリティにとんだ登場人物を、よくあるありふれた量産型の類型のデク人形に改変したので、許容できなかったのでしょう。
エピソード群も人物造形と人間関係に密接に関係するため、前後の順をみだりに変えることが不可だったのだと思います。
ですので映像効果はさておき。
主要キャラクターたちの人格再現ができていれば、実写版映像化も困難ではあるが不可能ではないと思います。
ただし今回は最初のキャスティングですでに乖離が大きいので、無理だったろうと思います。
脚本家のかたも、一曲しか持ち歌のない歌手やマヨネーズしか調味料を持っていない料理人のようなかたで、1パターンの女性しか書けない点で、不幸な組み合わせでした。
仰る通りだと思います。
バージンで40歳と、モテるのに奥手、ハイスペックなのに変なこだわりのあるエリートなど、非常に演じ難いキャラクターだなぁとも思います。
映像化にあたって、尺やコスト、スポンサーや俳優、事務所の都合等もあって何かしらの形で「整理」が必要であり、それを脚本家が担当すべき部分があるのでしょうね
実際、世の中には原作から大きな改変をされたヒット作というものもありますしね
ただ、今回はその必要性や重要性以前に、変えないという約束(嘘)の元にスタートしてしまった事がそもそもの発端に有るので本件を元に「改変の是非」を語るのは、いろいろな意味で適切ではない形になる気がしますね
ドラマへの改変に携わるひとたちも100人100色…観る人たちの解釈も100人100色…難しいですね…でも色々な方の改変パターンがあればそれも観てみたいなとも思いますね☺️
この動画へのコメントでは無い事に恐縮です。一応、「セクシー田中さん」事件と漫画の実写/劇化について、ちょっと気づいた事なので、書かせていただきました。
先日アニメの「推しの子」を観まして、ものすごい既視感を覚えました。キャラクターの立場、それぞれの性格などは、人それぞれであり、また「セクシー田中さん」の事件とは違う角度で描かれており、「パラレルワールドで、そういう場合もあり得るなぁ」と思ったりしました。漫画の方がいつ発出版されたのかは知りませんが、売れている漫画のテーマに成る程、その筋の人達には周知であり問題提起されていていた事象が、現実では最悪の結末を迎えた事は、アニメを観ていて切なくなりました。(アニメはつい最近放送された回でのテーマですが、漫画としては「セクシー田中さん」問題・事件の前に出版されていると推測します。)漫画から演劇、ドラマ、映画、アニメ等に発展させるって、大変な仕事なんですね。
私見ですがそもそも局の企画段階で「この作品がテレビドラマ向けかどうか」の見極めが出来ていなくて、丸投げされた現場が処理しきれなかっただけかと思います。
私もドラマを先に見たのでドラマとマンガを見た印象はほぼ同じです。
年齢と実情の齟齬に関しては、50代の作者がそれに近しい読者に向けて描いた作品なので、そのまま映像化することが妥当なんだと思います。
おそらく私も桜風さんも芦原先生が想定している視聴者層としては若いんでしょう。
でも伝えたい層に伝えたいことを伝えられているからヒットしたんだと思います。
世代間ギャップの話であれば、少年少女でなければ成立しない話をキャストの都合で成人に演じさせてる意味の分からないドラマも多くありますよね?
これらに対してプロの脚本化がどういう思うのかも聞いてみたいです。
単純に予測すると田中さんのドラマ化とは真逆の論理になる気がしますが、制作サイドには何かしらの整合性があるんでしょうね。
なんか、ゼロから創り上げた原作を大事に思う者として、原作通りだったね!とみんなが思えるテレビドラマを観たいですよね。
テレビは改変モノしか見れないコンテンツなんだとしたら、原作通りに作り上げるチカラのあるコンテンツを選んで行くしかないんだろうなと思います。
テレビの手法を正当化するためには、正直に「原作改変ドラマ セクシー田中さま」とかにしないとダメですね。
映像の楽しさと漫画や小説の楽しさは別物で、そんなことはクリエイターとしてわかってるからこそ、脚本という仕事をリスペクトされてたはずなんですよね
純粋に、設定やストーリー展開という両者に共通する部分だけをみても、脚本の「甘さ」に失望されたのでしょう
自分の経験だと、ジュラシックパーク、リング・らせん、オデッセイ/火星の人は、原作と映画がそれぞれ面白く、さらにその面白さの対比がまた面白くてびっくりしました
良かったです。脚本家の傲慢さがしっかり出てました。
「わかりやすくするために、盛り上げるために、原作のままじゃ伝わりにくいから」
そうやって言い訳や理由をつけて「変えてもいい」という心理に至るんですね。
最終2話は、業を煮やした原作者が、素人ながらに自分で脚本を書き、視聴率もより高くなっていました。素人の方が本職の脚本家よりも良い物を作ったという事です。その上に、脚本家は最終2話には関わっていないのに、自分の名前をクレジットに出すように要請していたと報告書に上がってきています。今回の悲劇は、ドラマ化の難しさ以上に、原作者を蔑ろにしている制作者側の傲慢さが起こした事だと思います。原作者を守ってくれる人や企業が無いというのも恐ろしい事です。
すみません、動画を拝見してモヤっとしてしまったため、暴論をご容赦ください。
そもそも原作者が満足できる、自分と同等の熱量を込めたドラマなんて作られるはずがない。
作品の世界観を守る? 無理でしょ? そんな熱意も、技量もないでしょ?
タイトルとアイディアを拝借して、短期でパパっとそれっぽいドラマを作って儲けたいだけなんだから。
正直、原作をダシにして使い捨ての作品(=最終話まで作られず完結しないドラマやアニメ)を作り続けるビジネスモデルはどうにも好きになれない。
そういう使い捨ての作品は見ても大抵がっかりするだけだし、そもそも作らなきゃいいのにと思っちゃう。
まぁ、他人の金儲けに口出しする権利も気概もないけど。。。
今更何を言っても遅いけど、原案にとどめて、タイトルも「セクシー佐藤さん」くらいの、自分と無関係なドラマが作られるくらいに思ってた方が幸せだったと思う。
なんとなく思ったのですが、今回プロ意識が悪い方向に作用したのではないでしょうか。注文が入った時に、プロに向かって何てことを言うんだという意識が働いてしまい、行き違いが生じたのだと思います。私なども仕事で妙な事を言われる事がありますが、ご本人と直接話してみると誤解が解けたりする事があります。
"一般的な原作付きのTVドラマ化"と"セクシー田中さんの場合"を分けなければいけないと思っています。
一般的 脚本は変更しないと撮影できない。理由は漫画とTVドラマの表現が違うから。
セクシ 脚本は変更できない。理由は当初の条件で"変更しない"お断り見積をTV局が了承したから。
話すなら分けて話して下さい。
動画で意図的にあいまいにしたいのかな?と言う匂いをちょっと感じました。
やっぱり何も、ほんとうに何にもわかっていないんですね
読み方感じ方の違いとかではないですよ
カット割りや心の声など、細かく同じにしろなどと誰も言っていないはずです
そういう解釈部分は、脚本家が思うように書けばいいのだと思います
ただそれが正しいかの推敲をする為に、これでいいのか確かめるために、原作者に一度戻すのではないのですか?
芦原先生も「こうきたか」という変え方をしてくれるのを楽しみにしているといっていたでしょう?
ですが、たとえばキャラクターの性別を変えたり、性格を変えたり、ロングヘアがトレードマークのキャラをショートにしてみたり
恋愛要素など微塵もない所に無理やりそういう色味を加えるのとか、ハムスターの件もそうですが、どうしてもそうしなければならない理由があったのですか?
ただ、作品を思うように自分色に染めたかった?
起用しなければならない役者がいたからでしょうか?
脚本家のお仕事は、原作を映像化にする際に必要な変更を加えることであり、派手な盛り上げ要素を勝手に付加するものではありません
記憶に残るシーンをねじ込みたいというのはただのエゴです
もしそうするのだとしても、原作者にお伺いをたててからでなければ加えてはいけないと思います
それをしたいのなら、オリジナルでどうぞ
原作を面白くないと言い切るのはものすごく失礼ですね
人気があるから何冊もシリーズ化され、ドラマ化されたのですよ
日本の漫画界は熾烈な競争下にあります
芦原先生はその中から這い上がってきた方です
その人気を利用したかったのでしょう? テレビ局は面白い原作脚本を用意できないから、すでに多くのファンがいる人気漫画を使おうとしたのでしょう?
原作レイプも「面白くするため」ならやむなしだと思っていそうですね
あなたのことですよ
大変腹が立つ動画でした
本当に腹が立つコメントだな。
この動画のどこに、キャラクターを変えていいとか、ストーリーを変えていいって言っている部分があるんだよ。
どうしたら忠実に再現できるかを検討する方法を話しているのであって、自由に変えろなんて全く言っていないし、むしろ改変しない方法を検討しているだけだろ。
そして、この漫画のコマ割りはは実写向きじゃない、ということを言っているだけだろ。
理解力なしに、勝手に自分の考えを言うのやつは、バカとしか返せないよ。
1ページ内でものすごい回数の場所の違いや回想、頭の中のイメージが繰り返されるから、それをそのまま動画にすると混乱するんだよ。
それの解決方法は、原作者にしかわからない部分が多いから、原作者と話し合わないと整合性が取れない、そい言っているだけだろ。
ああ、飛ばし飛ばしにしか見ないで、よくこんなに長文で持論を書けるな、恥知らず!\
視聴者が面白い、原作よりも面白いという意見を引き出せたのなら、その脚本家は優秀だと思う
原作読者側はドラマ実写化に求めすぎていると思う 漫画家やアニメ化とは違い、実写化についてはやっぱり実写なだけのプロの人に委ねるのがいちばんだと思う 今回のセクシー田中さんの脚本家の人も立派に仕事をしたと僕は思う
あまりにいろんな人から責められすぎて可哀想だと思う
部外者は安直に「そのまま作れ」と言うけど、ドラマに翻訳する時点でいろいろと具体的な操作が必要で、部外者は勝手な線引きで「許容される操作」は看過して「許容できない操作」だけを改変と呼ぶけど、本当はその基準は人によって違っていて、まして実際に脚本を書いている当人からするとその両者の間にスパッときれいに線引きすることは全く出来ないということですよね。
自分も物書きだから、読んだ人間が各々の解釈で自分なりの解釈を自由にする事を嫌だとは思わないし、むしろ嬉しいくらいです。田中さんの脚本の問題は、きわめて皮相的で中身を見ない(見ようとしない)処理をされた原作者さんが絶望してしまったんだと思います。脚本家がちゃんと読み込み、熱をもって「自分はこう理解しました」って自信をもって言える人なら、たとえ解釈が多少ずれていても原作者さんは拒否しなかったんじゃないでしょうか。