Fantastic! I visited silver mines in Shimane, also gold mines near Mt. Kirishima. The old Japanese techniques are amazing, thank you so much for sharing!
Thank you! The silver mines in Shimane would be a place I'd like to visit too! I'm sure there are refining techniques like this all over the world. I'd like to research them one by one and make a video of them!
化学式など解明されていないであろう時代に試行錯誤を重ねて製法を確立した先人の知恵に脱帽ですね。素晴らしいです
この技術を発見するまでに、かなりの労力と試行錯誤があったのでしょうね。
本当に素晴らしい技術です!
私の動画でできるだけ再現してお伝えしていきたいです^^
鉛銀分離法(연은분리법)は16世紀初め、朝鮮燕山君代に考案されたと伝えられる古典的な会取法(灰吹法、cupellation)の一種である。 咸鏡南道丹川で多く採れる、銀が多量に含まれた鉛鉱石を利用した方法だと言って、丹川鉛銀法とも呼ばれる。 朝鮮で作られたが、本国ではまともに活用されず、日本に渡って日本の銀生産量を大きく高め、大航海時代の西洋人の探検を促進させ、日本が西洋と頻繁に交流するようになるなど、世界史に多大な影響を及ぼした技術だ。灰取法は鉛が含まれた銀鉱石で溶ける点の違いを利用して鉛だけを酸化させ銀を選び出す技術だ。 朝鮮では特殊に製作されたるつぼを利用して龍炉(용로)に鉛をのせた後、その上に銀を敷いて火をつけると鉛が先に溶けて灰の中に落ち、その後に純粋な銀だけを凝固させて抽出する方法を使った。 当代に開発された銀製錬法の中では最も画期的な技術の一つであり、以後この技術が伝来した日本の銀本位制が世界の銀取引量に一役買ったことを見れば、隠れている歴史の一画と見ることができる。
ウィキペディアでは1533年に日本に伝えられたと紹介している。
鉛銀分離法に関する最初の記録は『燕山君日記』に収録されている。 1503年6月13日(延山9年5月18日)条に金監仏と金剣同という人が開発し試演したと知られているが、錬鉄を火鉢に溶かして銀を選び出す方法を使ったという。 民が王の前で芸を試演するということは、当時としては一生に一度あることも難しかったが、正史である実録に記録されたことを見ると、鉛銀分離法が朝廷の耳に入るほど相当な関心を集めた技術だったことが示唆される。
鉛銀分離法の試演を見た燕山君は「これからは銀を十分に使える(銀可足用)」と満足し、5日後には朝鮮最大の銀鉱がある咸鏡道丹川で鉛銀分離法で銀を掘るよう指示する。 また、共助判書のチョン·ミスが民間に採掘を許容する代わりに税金を払わせる「チェウン納税制(採銀納稅制)」と頭取を発給しろと建議し、燕山郡はこれを施行する。 当時の納付金額は採掘する一人当たり1日に銀1両だった。
銀分離法が考案される以前の東アジアでどのように銀を得たのかを調べれば、中国で銅と銀を分離する方法が開発されたが、他の大多数の国では鉱石を燃やした後、灰から銀をろ過する原始的な方法が主であり、したがって銀の生産量は不十分な状態だった。 鉛銀分離法は、以前中国で使用されていた回取法よりも効率的であり、より多くの銀を産出することができ、明の実用書『天公開物』などに紹介され、広く広まった。
燕山君が中宗反正に退き、中宗が即位した1506年、中宗は燕山君の時の贅沢風潮の清算を掲げ、銀鉱採掘を禁止させる。 1507年4月には、鉛銀分離法も禁止する案を講じてみろという王の指示が下されたりもする。
その後、いくつかの大臣たちは財政浮揚のために民間に銀採掘を再び許可しようと要請し、民間に銀採掘が一時許可される。
1508年には丹川で銀が多く出るが、これを郡民が無断で掘り出して通事に売り、通事がこの銀を持って北京に持って行くことがあるとし、すなわち銀が中国に流出しているのでこれを取り締まるべきだという話が出ている。 すると、中宗はこれを取り締まる剛直な人を送って管理監督させ、丹川の銀は1年間、国で使う分量だけ掘れという全校を下すこともある。(中宗実録7巻)
後でウングァン開発をしていた技術者たちが日本に渡ることになる。 伝来した由来を示す記録が2つある。 そのうちの一つである『中宗実録』には、従四品判官を務めていた柳書宗という人が日本人を引き入れ、鉛銀分離法を流出させたという内容だ。 柳書宗が実録に初めて登場したのは、事件が起きる2年前、司幹員が王に至った内容だ。
看員が「義州判官の柳書宗(ユ·ソジョン)は一家が破局したことが多く、助官にふさわしくないので改車してください」と言うので、言った通りにしろと全校した。
『中宗実録』85巻、中宗32年(1537年)7月16日、継嗣1条
司諫院が王に至った内容は、柳書宗一家が謀反に関与したことがあるため、朝官(朝廷の官職)に任命するには適当ではないという内容で、朝廷でこの柳書宗という人を快く思っていないことが明らかになっている。 そして2年後、柳書宗が倭人と接線したという記録が登場する。 司憲府が柳書宗の罪に関する情報を入手し、王に告げた内容が中宗実録91巻に記録されている。 鉛銀分離法は当時としては誰にでもできるものではなく、熟練した技術者が必要な高級技術だったが、これを日本に流出したことは大きな問題になることを語る部分だ。 しかし、すでに日本から入ってきた銀が民間に多くあった。
二つ目は日本の銀山球技に出てくる記録だ。 日本で最初に鉛銀分離法を試みたという石見銀鉱に伝わる歴史を見ると、1526年に博多出身の商人である神屋寿禎が銀鉱を発見し、朝鮮で경수(慶寿)と종단(宗丹)という二つの技術者を招き、彼らから鉛銀分離法に関する記述が伝来したと述べている。 銀鉱石に鉛が多量に混ざっていた石見銀鉱で、この銀分離法の伝来は日本の銀生産を大量に増加させる。
昔の人の知恵ってすごいですねぇ
ホントですよね^^
こういうのって世界各国で技術が違ったりするんでしょうね!
そういうのを今後まとめていけたらいいなと思っています^^
@@8390metal 楽しみに待ってます!
鉛銀分離法(연은분리법)は16世紀初め、朝鮮燕山君代に考案されたと伝えられる古典的な会取法(灰吹法、cupellation)の一種である。 咸鏡南道丹川で多く採れる、銀が多量に含まれた鉛鉱石を利用した方法だと言って、丹川鉛銀法とも呼ばれる。 朝鮮で作られたが、本国ではまともに活用されず、日本に渡って日本の銀生産量を大きく高め、大航海時代の西洋人の探検を促進させ、日本が西洋と頻繁に交流するようになるなど、世界史に多大な影響を及ぼした技術だ。灰取法は鉛が含まれた銀鉱石で溶ける点の違いを利用して鉛だけを酸化させ銀を選び出す技術だ。 朝鮮では特殊に製作されたるつぼを利用して龍炉(용로)に鉛をのせた後、その上に銀を敷いて火をつけると鉛が先に溶けて灰の中に落ち、その後に純粋な銀だけを凝固させて抽出する方法を使った。 当代に開発された銀製錬法の中では最も画期的な技術の一つであり、以後この技術が伝来した日本の銀本位制が世界の銀取引量に一役買ったことを見れば、隠れている歴史の一画と見ることができる。
ウィキペディアでは1533年に日本に伝えられたと紹介している。
鉛銀分離法に関する最初の記録は『燕山君日記』に収録されている。 1503年6月13日(延山9年5月18日)条に金監仏と金剣同という人が開発し試演したと知られているが、錬鉄を火鉢に溶かして銀を選び出す方法を使ったという。 民が王の前で芸を試演するということは、当時としては一生に一度あることも難しかったが、正史である実録に記録されたことを見ると、鉛銀分離法が朝廷の耳に入るほど相当な関心を集めた技術だったことが示唆される。
鉛銀分離法の試演を見た燕山君は「これからは銀を十分に使える(銀可足用)」と満足し、5日後には朝鮮最大の銀鉱がある咸鏡道丹川で鉛銀分離法で銀を掘るよう指示する。 また、共助判書のチョン·ミスが民間に採掘を許容する代わりに税金を払わせる「チェウン納税制(採銀納稅制)」と頭取を発給しろと建議し、燕山郡はこれを施行する。 当時の納付金額は採掘する一人当たり1日に銀1両だった。
銀分離法が考案される以前の東アジアでどのように銀を得たのかを調べれば、中国で銅と銀を分離する方法が開発されたが、他の大多数の国では鉱石を燃やした後、灰から銀をろ過する原始的な方法が主であり、したがって銀の生産量は不十分な状態だった。 鉛銀分離法は、以前中国で使用されていた回取法よりも効率的であり、より多くの銀を産出することができ、明の実用書『天公開物』などに紹介され、広く広まった。
諦めないって、こういう事なんだなって、心から思いました。最後銀が出てきた時感動しました。
これを試行錯誤でやったのですから、ものすごいですね。その原動力は人間の欲望ですか。やさぐれメタル様に感謝。
この前まで大さじが分からなかったのに
「小さじ2杯程」と大さじ小さじをマスターしてますね!
ここにも成長を感じました
毎回は直ぐに観るのは難しいですが過去動画もしっかり観てます!
今後も変わらず頑張ってください!!!
嬉しいコメントありがとうございます^^
マスターしているように見えて、目分量で入れてるだけですw
でも気づかないうちに成長できているのかもしれないですね^^
応援して下さる皆さんのお陰で楽しくUA-camやらせて頂いています。
これからも皆さんと楽しんでいきたいので
もっと楽しい動画撮れるよう頑張りますね!
やさぐれさん、今晩は!いつもありがとう御座います!頑張って下さいね!面白い。ナイス👍️失礼しました🙇
ありがとうございます^^
これからも頑張りますね!
小さい失敗をしながらいろんな気づきを与えてくれる良い動画だなと思いました.
ありがとうございます^^
嬉しいです!
失敗の連続ですが、実験している私はすごく楽しんでやっています!
いずれ純金を自分の手で作ってみたいですね!
実験凄い凄い🤩👍‼️
実験動画って撮ってる私も楽しいんです^^
今後、このような古の技術を動画にしていきたいですね!
@@8390metal
😀😃😄👍‼️
古の人は、凄いな⤴️⤴️な。日本の元を作ったからな。
今日も安定のやさぐれ動画👍️。
ホントですよね!
偉大なご先祖様に感謝ですね♪
今後、このような昔の技術をいろいろ調べて
動画にしてみたいと思います!
鉛銀分離法(연은분리법)は16世紀初め、朝鮮燕山君代に考案されたと伝えられる古典的な会取法(灰吹法、cupellation)の一種である。 咸鏡南道丹川で多く採れる、銀が多量に含まれた鉛鉱石を利用した方法だと言って、丹川鉛銀法とも呼ばれる。 朝鮮で作られたが、本国ではまともに活用されず、日本に渡って日本の銀生産量を大きく高め、大航海時代の西洋人の探検を促進させ、日本が西洋と頻繁に交流するようになるなど、世界史に多大な影響を及ぼした技術だ。灰取法は鉛が含まれた銀鉱石で溶ける点の違いを利用して鉛だけを酸化させ銀を選び出す技術だ。 朝鮮では特殊に製作されたるつぼを利用して龍炉(용로)に鉛をのせた後、その上に銀を敷いて火をつけると鉛が先に溶けて灰の中に落ち、その後に純粋な銀だけを凝固させて抽出する方法を使った。 当代に開発された銀製錬法の中では最も画期的な技術の一つであり、以後この技術が伝来した日本の銀本位制が世界の銀取引量に一役買ったことを見れば、隠れている歴史の一画と見ることができる。
ウィキペディアでは1533年に日本に伝えられたと紹介している。
鉛銀分離法に関する最初の記録は『燕山君日記』に収録されている。 1503年6月13日(延山9年5月18日)条に金監仏と金剣同という人が開発し試演したと知られているが、錬鉄を火鉢に溶かして銀を選び出す方法を使ったという。 民が王の前で芸を試演するということは、当時としては一生に一度あることも難しかったが、正史である実録に記録されたことを見ると、鉛銀分離法が朝廷の耳に入るほど相当な関心を集めた技術だったことが示唆される。
鉛銀分離法の試演を見た燕山君は「これからは銀を十分に使える(銀可足用)」と満足し、5日後には朝鮮最大の銀鉱がある咸鏡道丹川で鉛銀分離法で銀を掘るよう指示する。 また、共助判書のチョン·ミスが民間に採掘を許容する代わりに税金を払わせる「チェウン納税制(採銀納稅制)」と頭取を発給しろと建議し、燕山郡はこれを施行する。 当時の納付金額は採掘する一人当たり1日に銀1両だった。
銀分離法が考案される以前の東アジアでどのように銀を得たのかを調べれば、中国で銅と銀を分離する方法が開発されたが、他の大多数の国では鉱石を燃やした後、灰から銀をろ過する原始的な方法が主であり、したがって銀の生産量は不十分な状態だった。 鉛銀分離法は、以前中国で使用されていた回取法よりも効率的であり、より多くの銀を産出することができ、明の実用書『天公開物』などに紹介され、広く広まった。
燕山君が中宗反正に退き、中宗が即位した1506年、中宗は燕山君の時の贅沢風潮の清算を掲げ、銀鉱採掘を禁止させる。 1507年4月には、鉛銀分離法も禁止する案を講じてみろという王の指示が下されたりもする。
その後、いくつかの大臣たちは財政浮揚のために民間に銀採掘を再び許可しようと要請し、民間に銀採掘が一時許可される。
1508年には丹川で銀が多く出るが、これを郡民が無断で掘り出して通事に売り、通事がこの銀を持って北京に持って行くことがあるとし、すなわち銀が中国に流出しているのでこれを取り締まるべきだという話が出ている。 すると、中宗はこれを取り締まる剛直な人を送って管理監督させ、丹川の銀は1年間、国で使う分量だけ掘れという全校を下すこともある。(中宗実録7巻)
後でウングァン開発をしていた技術者たちが日本に渡ることになる。 伝来した由来を示す記録が2つある。 そのうちの一つである『中宗実録』には、従四品判官を務めていた柳書宗という人が日本人を引き入れ、鉛銀分離法を流出させたという内容だ。 柳書宗が実録に初めて登場したのは、事件が起きる2年前、司幹員が王に至った内容だ。
看員が「義州判官の柳書宗(ユ·ソジョン)は一家が破局したことが多く、助官にふさわしくないので改車してください」と言うので、言った通りにしろと全校した。
『中宗実録』85巻、中宗32年(1537年)7月16日、継嗣1条
司諫院が王に至った内容は、柳書宗一家が謀反に関与したことがあるため、朝官(朝廷の官職)に任命するには適当ではないという内容で、朝廷でこの柳書宗という人を快く思っていないことが明らかになっている。 そして2年後、柳書宗が倭人と接線したという記録が登場する。 司憲府が柳書宗の罪に関する情報を入手し、王に告げた内容が中宗実録91巻に記録されている。 鉛銀分離法は当時としては誰にでもできるものではなく、熟練した技術者が必要な高級技術だったが、これを日本に流出したことは大きな問題になることを語る部分だ。 しかし、すでに日本から入ってきた銀が民間に多くあった。
二つ目は日本の銀山球技に出てくる記録だ。 日本で最初に鉛銀分離法を試みたという石見銀鉱に伝わる歴史を見ると、1526年に博多出身の商人である神屋寿禎が銀鉱を発見し、朝鮮で경수(慶寿)と종단(宗丹)という二つの技術者を招き、彼らから鉛銀分離法に関する記述が伝来したと述べている。 銀鉱石に鉛が多量に混ざっていた石見銀鉱で、この銀分離法の伝来は日本の銀生産を大量に増加させる。
すごいな、昔は情報もなにもない中、手探りでこの技術に辿りついたのでしょうね、脱帽です。
そしてちょいちょいでてくる赤い彗星w
ww
今日はシャアな気分で作りましたw
昔の日本の技術はすごいですよね!
世界各国もこういう技術あるのかな?
いろいろ調べて動画にしていきたいです^^
鉛銀分離法(연은분리법)は16世紀初め、朝鮮燕山君代に考案されたと伝えられる古典的な会取法(灰吹法、cupellation)の一種である。 咸鏡南道丹川で多く採れる、銀が多量に含まれた鉛鉱石を利用した方法だと言って、丹川鉛銀法とも呼ばれる。 朝鮮で作られたが、本国ではまともに活用されず、日本に渡って日本の銀生産量を大きく高め、大航海時代の西洋人の探検を促進させ、日本が西洋と頻繁に交流するようになるなど、世界史に多大な影響を及ぼした技術だ。灰取法は鉛が含まれた銀鉱石で溶ける点の違いを利用して鉛だけを酸化させ銀を選び出す技術だ。 朝鮮では特殊に製作されたるつぼを利用して龍炉(용로)に鉛をのせた後、その上に銀を敷いて火をつけると鉛が先に溶けて灰の中に落ち、その後に純粋な銀だけを凝固させて抽出する方法を使った。 当代に開発された銀製錬法の中では最も画期的な技術の一つであり、以後この技術が伝来した日本の銀本位制が世界の銀取引量に一役買ったことを見れば、隠れている歴史の一画と見ることができる。
ウィキペディアでは1533年に日本に伝えられたと紹介している。
鉛銀分離法に関する最初の記録は『燕山君日記』に収録されている。 1503年6月13日(延山9年5月18日)条に金監仏と金剣同という人が開発し試演したと知られているが、錬鉄を火鉢に溶かして銀を選び出す方法を使ったという。 民が王の前で芸を試演するということは、当時としては一生に一度あることも難しかったが、正史である実録に記録されたことを見ると、鉛銀分離法が朝廷の耳に入るほど相当な関心を集めた技術だったことが示唆される。
鉛銀分離法の試演を見た燕山君は「これからは銀を十分に使える(銀可足用)」と満足し、5日後には朝鮮最大の銀鉱がある咸鏡道丹川で鉛銀分離法で銀を掘るよう指示する。 また、共助判書のチョン·ミスが民間に採掘を許容する代わりに税金を払わせる「チェウン納税制(採銀納稅制)」と頭取を発給しろと建議し、燕山郡はこれを施行する。 当時の納付金額は採掘する一人当たり1日に銀1両だった。
銀分離法が考案される以前の東アジアでどのように銀を得たのかを調べれば、中国で銅と銀を分離する方法が開発されたが、他の大多数の国では鉱石を燃やした後、灰から銀をろ過する原始的な方法が主であり、したがって銀の生産量は不十分な状態だった。 鉛銀分離法は、以前中国で使用されていた回取法よりも効率的であり、より多くの銀を産出することができ、明の実用書『天公開物』などに紹介され、広く広まった。
燕山君が中宗反正に退き、中宗が即位した1506年、中宗は燕山君の時の贅沢風潮の清算を掲げ、銀鉱採掘を禁止させる。 1507年4月には、鉛銀分離法も禁止する案を講じてみろという王の指示が下されたりもする。
その後、いくつかの大臣たちは財政浮揚のために民間に銀採掘を再び許可しようと要請し、民間に銀採掘が一時許可される。
1508年には丹川で銀が多く出るが、これを郡民が無断で掘り出して通事に売り、通事がこの銀を持って北京に持って行くことがあるとし、すなわち銀が中国に流出しているのでこれを取り締まるべきだという話が出ている。 すると、中宗はこれを取り締まる剛直な人を送って管理監督させ、丹川の銀は1年間、国で使う分量だけ掘れという全校を下すこともある。(中宗実録7巻)
後でウングァン開発をしていた技術者たちが日本に渡ることになる。 伝来した由来を示す記録が2つある。 そのうちの一つである『中宗実録』には、従四品判官を務めていた柳書宗という人が日本人を引き入れ、鉛銀分離法を流出させたという内容だ。 柳書宗が実録に初めて登場したのは、事件が起きる2年前、司幹員が王に至った内容だ。
看員が「義州判官の柳書宗(ユ·ソジョン)は一家が破局したことが多く、助官にふさわしくないので改車してください」と言うので、言った通りにしろと全校した。
『中宗実録』85巻、中宗32年(1537年)7月16日、継嗣1条
司諫院が王に至った内容は、柳書宗一家が謀反に関与したことがあるため、朝官(朝廷の官職)に任命するには適当ではないという内容で、朝廷でこの柳書宗という人を快く思っていないことが明らかになっている。 そして2年後、柳書宗が倭人と接線したという記録が登場する。 司憲府が柳書宗の罪に関する情報を入手し、王に告げた内容が中宗実録91巻に記録されている。 鉛銀分離法は当時としては誰にでもできるものではなく、熟練した技術者が必要な高級技術だったが、これを日本に流出したことは大きな問題になることを語る部分だ。 しかし、すでに日本から入ってきた銀が民間に多くあった。
二つ目は日本の銀山球技に出てくる記録だ。 日本で最初に鉛銀分離法を試みたという石見銀鉱に伝わる歴史を見ると、1526年に博多出身の商人である神屋寿禎が銀鉱を発見し、朝鮮で경수(慶寿)と종단(宗丹)という二つの技術者を招き、彼らから鉛銀分離法に関する記述が伝来したと述べている。 銀鉱石に鉛が多量に混ざっていた石見銀鉱で、この銀分離法の伝来は日本の銀生産を大量に増加させる。
これは失敗ではない。上手く行かない方法がわかったという成功である。
優しいコメントありがとうございます^^
ホントですね!
今回の実験で鉄が要因なのがわかりましたので
次回は、やすりとステンレス容器を使わずに
リベンジしたいと思います^^
現代のエジソンがいると聞いて
男性だからと言うか、料理をしない方なら知らない点も多いかも知れませんね。
この点は陶器を使うと昔の方の使い方で(ほー、なるほど)思いました。
すると主さんはアルミの計量カップを出してきたので、え!?と思いました。
結果やはり。。、みたいなw
これはジャム作りとか料理をする方なら理解できる失敗談だと思いますが、こういった失敗回も載せてもらって知る人もいるだろうし、失敗も全て見せてくれる面白さに敬服します👮
失敗から学ぶとか、その過程を何故?とクエスチョンを追求するのって学ぶ中で大切な過程なので、好感が持てます😊
なるほど。料理をする方なら防げたミスだったかもしれませんね。
ただ、おっしゃる通りミスを載せたことで逆に良かったのかもしれませんw
ありえないようなミスをする場合もありますが、
その試行錯誤を皆さんと共有しながら楽しい動画を撮っていきたいと思います^^
@@8390metal
私もよくあります😄ミスも経験でしょうし、私も日々色々Google先生にお世話になってます😅
色々見させてくれるところが、好きです😄
はい、楽しく拝見していきますよ👍
マメだー。理化学機器を整えたら精度と結果の向上につながるね。やる気と繊細な操作が見事です🎉
ここまでの、かかる時間はすごいのでしょうね
その塩化ナトリウム溶液の量だと塩化銀が溶解平衡に達していて溶けきらないのだと思います。
また、この粉末は赤褐色に見えるので塩化銀では無いかもしれません。酸化銀なら通常は黒褐色に見えるのですが、光の加減によって褐色に見えることもあるのでステンレス合金の錆と混合してその色に見えるという説明がつきます。
補足:塩化銀を最も楽に実験的に溶かす方法はアンモニア水溶液と混ぜることです。これで塩化銀が生成しているか確かめてみるのも一つの手かも知れません。
おおおお!
詳しく教えて下さってありがとうございます^^
これもっと知識を深めて、近日リベンジするつもりなんです!
教えて頂いたことを念頭に再度やってみますね!
次は上手くいくといいですね😊
楽しみ
ありがとうございます!
次回は鉄を除いてリベンジしたいと思います♪
黄金の島ジパングって本当にあったんだね😊
なぜそう呼ばれたかわかった気がする
勉強になります
おバカ動画ですがお役に立てたなら嬉しいですね^^
もっと皆さんにとって有益な情報を
動画にしてお届けしていきたいです!
@@8390metal
動画楽しみにお待ちしております!!
面白かったです。
思ったんですけど、金属ヤスリで削るとヤスリの粉も混ざりませんか?
!!
そ、そこは盲点でした。。
たしかに!
だから、当時の“砕金”は石で砕いていたのかー。
今度はやすり使わずにやってみますね!
銀製品大切にしようと思わせる動画です🥲
ww
ですね!
銀に限らず貴金属の精錬はものすごい労力がいるものなんですね!
鉛銀分離法(연은분리법)は16世紀初め、朝鮮燕山君代に考案されたと伝えられる古典的な会取法(灰吹法、cupellation)の一種である。 咸鏡南道丹川で多く採れる、銀が多量に含まれた鉛鉱石を利用した方法だと言って、丹川鉛銀法とも呼ばれる。 朝鮮で作られたが、本国ではまともに活用されず、日本に渡って日本の銀生産量を大きく高め、大航海時代の西洋人の探検を促進させ、日本が西洋と頻繁に交流するようになるなど、世界史に多大な影響を及ぼした技術だ。灰取法は鉛が含まれた銀鉱石で溶ける点の違いを利用して鉛だけを酸化させ銀を選び出す技術だ。 朝鮮では特殊に製作されたるつぼを利用して龍炉(용로)に鉛をのせた後、その上に銀を敷いて火をつけると鉛が先に溶けて灰の中に落ち、その後に純粋な銀だけを凝固させて抽出する方法を使った。 当代に開発された銀製錬法の中では最も画期的な技術の一つであり、以後この技術が伝来した日本の銀本位制が世界の銀取引量に一役買ったことを見れば、隠れている歴史の一画と見ることができる。
ウィキペディアでは1533年に日本に伝えられたと紹介している。
鉛銀分離法に関する最初の記録は『燕山君日記』に収録されている。 1503年6月13日(延山9年5月18日)条に金監仏と金剣同という人が開発し試演したと知られているが、錬鉄を火鉢に溶かして銀を選び出す方法を使ったという。 民が王の前で芸を試演するということは、当時としては一生に一度あることも難しかったが、正史である実録に記録されたことを見ると、鉛銀分離法が朝廷の耳に入るほど相当な関心を集めた技術だったことが示唆される。
鉛銀分離法の試演を見た燕山君は「これからは銀を十分に使える(銀可足用)」と満足し、5日後には朝鮮最大の銀鉱がある咸鏡道丹川で鉛銀分離法で銀を掘るよう指示する。 また、共助判書のチョン·ミスが民間に採掘を許容する代わりに税金を払わせる「チェウン納税制(採銀納稅制)」と頭取を発給しろと建議し、燕山郡はこれを施行する。 当時の納付金額は採掘する一人当たり1日に銀1両だった。
銀分離法が考案される以前の東アジアでどのように銀を得たのかを調べれば、中国で銅と銀を分離する方法が開発されたが、他の大多数の国では鉱石を燃やした後、灰から銀をろ過する原始的な方法が主であり、したがって銀の生産量は不十分な状態だった。 鉛銀分離法は、以前中国で使用されていた回取法よりも効率的であり、より多くの銀を産出することができ、明の実用書『天公開物』などに紹介され、広く広まった。
燕山君が中宗反正に退き、中宗が即位した1506年、中宗は燕山君の時の贅沢風潮の清算を掲げ、銀鉱採掘を禁止させる。 1507年4月には、鉛銀分離法も禁止する案を講じてみろという王の指示が下されたりもする。
その後、いくつかの大臣たちは財政浮揚のために民間に銀採掘を再び許可しようと要請し、民間に銀採掘が一時許可される。
1508年には丹川で銀が多く出るが、これを郡民が無断で掘り出して通事に売り、通事がこの銀を持って北京に持って行くことがあるとし、すなわち銀が中国に流出しているのでこれを取り締まるべきだという話が出ている。 すると、中宗はこれを取り締まる剛直な人を送って管理監督させ、丹川の銀は1年間、国で使う分量だけ掘れという全校を下すこともある。(中宗実録7巻)
後でウングァン開発をしていた技術者たちが日本に渡ることになる。 伝来した由来を示す記録が2つある。 そのうちの一つである『中宗実録』には、従四品判官を務めていた柳書宗という人が日本人を引き入れ、鉛銀分離法を流出させたという内容だ。 柳書宗が実録に初めて登場したのは、事件が起きる2年前、司幹員が王に至った内容だ。
看員が「義州判官の柳書宗(ユ·ソジョン)は一家が破局したことが多く、助官にふさわしくないので改車してください」と言うので、言った通りにしろと全校した。
『中宗実録』85巻、中宗32年(1537年)7月16日、継嗣1条
司諫院が王に至った内容は、柳書宗一家が謀反に関与したことがあるため、朝官(朝廷の官職)に任命するには適当ではないという内容で、朝廷でこの柳書宗という人を快く思っていないことが明らかになっている。 そして2年後、柳書宗が倭人と接線したという記録が登場する。 司憲府が柳書宗の罪に関する情報を入手し、王に告げた内容が中宗実録91巻に記録されている。 鉛銀分離法は当時としては誰にでもできるものではなく、熟練した技術者が必要な高級技術だったが、これを日本に流出したことは大きな問題になることを語る部分だ。 しかし、すでに日本から入ってきた銀が民間に多くあった。
二つ目は日本の銀山球技に出てくる記録だ。 日本で最初に鉛銀分離法を試みたという石見銀鉱に伝わる歴史を見ると、1526年に博多出身の商人である神屋寿禎が銀鉱を発見し、朝鮮で경수(慶寿)と종단(宗丹)という二つの技術者を招き、彼らから鉛銀分離法に関する記述が伝来したと述べている。 銀鉱石に鉛が多量に混ざっていた石見銀鉱で、この銀分離法の伝来は日本の銀生産を大量に増加させる。
ナイス実験!
ありがとうございます^^
実験動画はやってる私も楽しいんですw
やさぐれさん!ずっと前からファンです!これからも頑張ってください!!!
ありがとうございますw
今回のように昔からの技術を動画でお伝えしていければと思います^^
先人も最初は、鉄を使用失敗を何度も重ね陶器に辿り着いたかもしれませんね。
いやー、仰る通りですね!
今回の失敗は鉄を使用したことだと思っています。
次回はやすりとステンレス容器を使わずにやってみます^^
全て、陶器が良さそうですね
不純物が混ざんないんでしょうね
ホントですね^^;
今度は陶器の器でやってみたいと思います!
昔の時代にもう今に近い技術があったんですね!!
江戸時代に「塩銀」って言葉があったのに驚きですよね!
化学式はわからなくても、反応はわかっていたんですね^^
@@8390metal そうなんですね!あと前のコメントの「よくもだましてくれたなぁー」ってなんですか?
ステンレスは塩素と反応するからダメですよ
あとヤスリは削る方向があります
そのヤスリなら銀を奥から手前に動かすとよく削れます
やっぱりですか!?
私もステンレス怪しいと思ったんですよね。
ヤスリの方向逆でしたかw
今度は教えて頂いた方法でやってみます^^
教えてくださってありがとうございます!
@@8390metal
ヤスリは材料に対して手前から奥に動かすのか基本になりますなのでヒラやすりを入れ物に置いて
大根おろしの感じで材料を手前から奥に向かって動かすと良いと思います
この動画の影響で古銭銀貨にハマってしまいました!
貨幣カタログを購入して毎日読んでます!
おおお!ナカーマじゃないですか^^
古銭銀貨は楽しいですよね!
私も負けずに集めていきます♪
また今度古銭動画撮りますね!
昔の人の知恵ってスゲ〜😊
濃食塩水で溶けるのは錯体イオンの関係ですかね。
学生の実験思い出して見ると良いんですが基本金属は使わずガラスかセラミックです一応ちゃんとした理由で使われています。実験ですから失敗は寧ろ糧です、条件一箇所変えて再挑戦していくと面白いかもですね(その際安全面はご注意を)。
いやー、お恥ずかしいw
仰る通りですよね^^;
今度、陶器の器でリベンジしたいと思っています!
今度は成功させてみせますね!
過ちを気に病むことはない。ただ認めて次の糧にすればよい。それが大人の特権だ。
どんな時代でも天才って現れるんですね…。
ホントですよね!
元々は西洋から入ってきた技術だと思いますが
それを独自に昇華させる技術がすごいですよね!
鉛銀分離法(연은분리법)は16世紀初め、朝鮮燕山君代に考案されたと伝えられる古典的な会取法(灰吹法、cupellation)の一種である。 咸鏡南道丹川で多く採れる、銀が多量に含まれた鉛鉱石を利用した方法だと言って、丹川鉛銀法とも呼ばれる。 朝鮮で作られたが、本国ではまともに活用されず、日本に渡って日本の銀生産量を大きく高め、大航海時代の西洋人の探検を促進させ、日本が西洋と頻繁に交流するようになるなど、世界史に多大な影響を及ぼした技術だ。灰取法は鉛が含まれた銀鉱石で溶ける点の違いを利用して鉛だけを酸化させ銀を選び出す技術だ。 朝鮮では特殊に製作されたるつぼを利用して龍炉(용로)に鉛をのせた後、その上に銀を敷いて火をつけると鉛が先に溶けて灰の中に落ち、その後に純粋な銀だけを凝固させて抽出する方法を使った。 当代に開発された銀製錬法の中では最も画期的な技術の一つであり、以後この技術が伝来した日本の銀本位制が世界の銀取引量に一役買ったことを見れば、隠れている歴史の一画と見ることができる。
ウィキペディアでは1533年に日本に伝えられたと紹介している。
鉛銀分離法に関する最初の記録は『燕山君日記』に収録されている。 1503年6月13日(延山9年5月18日)条に金監仏と金剣同という人が開発し試演したと知られているが、錬鉄を火鉢に溶かして銀を選び出す方法を使ったという。 民が王の前で芸を試演するということは、当時としては一生に一度あることも難しかったが、正史である実録に記録されたことを見ると、鉛銀分離法が朝廷の耳に入るほど相当な関心を集めた技術だったことが示唆される。
鉛銀分離法の試演を見た燕山君は「これからは銀を十分に使える(銀可足用)」と満足し、5日後には朝鮮最大の銀鉱がある咸鏡道丹川で鉛銀分離法で銀を掘るよう指示する。 また、共助判書のチョン·ミスが民間に採掘を許容する代わりに税金を払わせる「チェウン納税制(採銀納稅制)」と頭取を発給しろと建議し、燕山郡はこれを施行する。 当時の納付金額は採掘する一人当たり1日に銀1両だった。
銀分離法が考案される以前の東アジアでどのように銀を得たのかを調べれば、中国で銅と銀を分離する方法が開発されたが、他の大多数の国では鉱石を燃やした後、灰から銀をろ過する原始的な方法が主であり、したがって銀の生産量は不十分な状態だった。 鉛銀分離法は、以前中国で使用されていた回取法よりも効率的であり、より多くの銀を産出することができ、明の実用書『天公開物』などに紹介され、広く広まった。
燕山君が中宗反正に退き、中宗が即位した1506年、中宗は燕山君の時の贅沢風潮の清算を掲げ、銀鉱採掘を禁止させる。 1507年4月には、鉛銀分離法も禁止する案を講じてみろという王の指示が下されたりもする。
その後、いくつかの大臣たちは財政浮揚のために民間に銀採掘を再び許可しようと要請し、民間に銀採掘が一時許可される。
1508年には丹川で銀が多く出るが、これを郡民が無断で掘り出して通事に売り、通事がこの銀を持って北京に持って行くことがあるとし、すなわち銀が中国に流出しているのでこれを取り締まるべきだという話が出ている。 すると、中宗はこれを取り締まる剛直な人を送って管理監督させ、丹川の銀は1年間、国で使う分量だけ掘れという全校を下すこともある。(中宗実録7巻)
後でウングァン開発をしていた技術者たちが日本に渡ることになる。 伝来した由来を示す記録が2つある。 そのうちの一つである『中宗実録』には、従四品判官を務めていた柳書宗という人が日本人を引き入れ、鉛銀分離法を流出させたという内容だ。 柳書宗が実録に初めて登場したのは、事件が起きる2年前、司幹員が王に至った内容だ。
看員が「義州判官の柳書宗(ユ·ソジョン)は一家が破局したことが多く、助官にふさわしくないので改車してください」と言うので、言った通りにしろと全校した。
『中宗実録』85巻、中宗32年(1537年)7月16日、継嗣1条
司諫院が王に至った内容は、柳書宗一家が謀反に関与したことがあるため、朝官(朝廷の官職)に任命するには適当ではないという内容で、朝廷でこの柳書宗という人を快く思っていないことが明らかになっている。 そして2年後、柳書宗が倭人と接線したという記録が登場する。 司憲府が柳書宗の罪に関する情報を入手し、王に告げた内容が中宗実録91巻に記録されている。 鉛銀分離法は当時としては誰にでもできるものではなく、熟練した技術者が必要な高級技術だったが、これを日本に流出したことは大きな問題になることを語る部分だ。 しかし、すでに日本から入ってきた銀が民間に多くあった。
二つ目は日本の銀山球技に出てくる記録だ。 日本で最初に鉛銀分離法を試みたという石見銀鉱に伝わる歴史を見ると、1526年に博多出身の商人である神屋寿禎が銀鉱を発見し、朝鮮で경수(慶寿)と종단(宗丹)という二つの技術者を招き、彼らから鉛銀分離法に関する記述が伝来したと述べている。 銀鉱石に鉛が多量に混ざっていた石見銀鉱で、この銀分離法の伝来は日本の銀生産を大量に増加させる。
こう言う動画が見たかったありがとう!
ありがとうございます^^
金銀を扱うチャンネルとして
こういう技術は習得したいと思っています!
日本には様々な素晴らしい技術がありましたので
そういうものを順にお伝えしていきたいです!
ぜひ次回も楽しみにしていてくださいね^^
あんたすごいよぜひ成功させてくれ!
ありがとうございます♪
すごいのはこの技術を発見した先人たちですね^^
素晴らしい技術を私のチャンネルで少しずつ紹介していけたらと思います!
めっちゃ難しそうですね…
3:28 〜のやさぐれマークがかわいいw
いやー、思った以上に大変ですねw
ただ、すごく楽しみながら実験できています^^
いつか純金を取り出してみせますね!
2:22意外と江戸時代の人も腹出っ張ってんだw
金と銀の重さはしっかり計っているのに塩化マグネシウムや塩とかも化学式に沿って計った量で試した方が無駄が少ないと思いました😂
Fantastic! I visited silver mines in Shimane, also gold mines near Mt. Kirishima. The old Japanese techniques are amazing, thank you so much for sharing!
Thank you!
The silver mines in Shimane would be a place I'd like to visit too!
I'm sure there are refining techniques like this all over the world.
I'd like to research them one by one and make a video of them!
初めの昔の解説聞いた時点で、今回は失敗するなと思ってしまいましたwでも、面白く動画にし、経験を積んで次は成功されるかもしれないですね。
ww
私の動画の傾向が読まれてるw
いやー、でも次回は成功できると思います!
次回はやすりと、ステンレス容器を使わずにやってみます^^
@@8390metal さん
失敗も含めて面白いなと思ってます。頑張って下さいm(_ _)m
昔の日本人は化け学を知らないのによくやりましたね。日本人は頭が良かったのですね。
精錬したい量にもよるけど、
器の周りに炭で加熱するともっといいかも
前に灰吹法で使った金はもうないのかな?
あれで実験するともっと目に見える結果が出たかも
あああ!なるほど!
炭を置くのは効果的な気がしますね!
酸素が炭素と結びつきそうです。
以前に灰吹法で使った金は、コモキンに依頼して精錬しちゃったんですよね。
今回でやり方を覚えたら、今度は自分で精錬していきたいです^^
以前銀細工をしていた方が呼吸器系の病で入院していらした事を思い出しまして、
どうか実験時はマスク着用で必ず換気の良いところで行い下さい
爪の根本が膨らんで来たりしていないか?爪の形が変形していないか?お気をつけて下さい。
バチ指というらしく昔からあるみたいですよ。
実験主体の企画がまた繋がりましたね。パチパチパチ~です。
江戸時代の人はオランダやポルトガルから精錬法の知識を入手して「焼金法」を試してみたのかも。中学や高校で学ぶような一般的な化学の知識がない以上は偶然で「焼金法」を見つけるのは困難だったでしょうから。もっとも化学の原理や化学式を南蛮渡来の知識で既にで知っており、その知識をもとにいろいろ工夫して独自で精錬法を確立させたのかもしれないですが。
まさに仰る通りの方法で、
西洋から入ってきた知識を改良したもののようですよ!
こういう技術改良などは日本人のお家芸のようなものですね!
塩化水素ガスはあんまり濃すぎると近くにあるものを真っ黒にしちゃうから気をつけてくだされ
混ぜるな危険で出るものと同じなんです🫣
そうなんですね!
教えてくださってありがとうございます。
屋内でやるのは避けたほうがよさそうですね。
今後もこの技術を用いて精錬にチャレンジしてみたいと思いますので
気を付けながらやっていきますね^^
6:51 申し上げます。こする方向が逆であります。ヤスリの刃は前向きに付いているのでヤスリを押す方向、ヤスリを固定するなら品物を引く方向で切れます。逆にしますとヤスリの摩耗をいたずらに早め、目詰まりするばかりであります。
失礼しました。たまにですが楽しく拝見しています。金塊ずいぶん成長しましたね。
鉛銀分離法(연은분리법)は16世紀初め、朝鮮燕山君代に考案されたと伝えられる古典的な会取法(灰吹法、cupellation)の一種である。 咸鏡南道丹川で多く採れる、銀が多量に含まれた鉛鉱石を利用した方法だと言って、丹川鉛銀法とも呼ばれる。 朝鮮で作られたが、本国ではまともに活用されず、日本に渡って日本の銀生産量を大きく高め、大航海時代の西洋人の探検を促進させ、日本が西洋と頻繁に交流するようになるなど、世界史に多大な影響を及ぼした技術だ。灰取法は鉛が含まれた銀鉱石で溶ける点の違いを利用して鉛だけを酸化させ銀を選び出す技術だ。 朝鮮では特殊に製作されたるつぼを利用して龍炉(용로)に鉛をのせた後、その上に銀を敷いて火をつけると鉛が先に溶けて灰の中に落ち、その後に純粋な銀だけを凝固させて抽出する方法を使った。 当代に開発された銀製錬法の中では最も画期的な技術の一つであり、以後この技術が伝来した日本の銀本位制が世界の銀取引量に一役買ったことを見れば、隠れている歴史の一画と見ることができる。
ウィキペディアでは1533年に日本に伝えられたと紹介している。
すごいムズムズする動画
えええ!?
ど、どういう意味でだろうw
次回はもっとスッキリする動画撮りますね♪
@@8390metal
理系の悪い癖で...
応援しています!
食塩水じゃなくて海水でやった方がいいのかな
海水が良さそうですね^^
あとステンレスの容器は使ったらダメなやつでしたw
いいねー😊
磁石につかないのは赤錆だからつかないのかもしれません
な、なるほど!
いずれにせよ、鉄製品を使ったらNGなようですね^^;
現代科学は先人が帰納した法則・学問を演繹するけど、
昔の人は学問が無いのに、どうやって手法を導いたかが不思議...
すごいことですよね!
偉大な先人たちのおかげで豊かな現代に暮らせていると思います^^
昔の素晴らしい技術を一つ一つ紐解いて、
動画にしてみたいです!
塩化鉄ですかね😅
金ヤスリは押すと削れるんで、銀の押し付け方は逆がよく削れたかも
おおおお!
そうなんですね!
私、真逆の方法やってましたねw
教えてくださってありがとうございます^^
遥か昔とずっと未来が邂逅しながら実験されてる
シャアが古めかしい実験だけど、これからガンダニュウム合金でも精製するのかな?
石原慎太郎が言ってた「日本がこれだけ戦後に産業で経済発展できたのは江戸時代という成熟した時代を経験したからだ」と
3:41 海坊主だ!
その場のノリで作るので
今見返すと訳わからないですねw
海水から、金銀を錬成すると聞いて これでにがりと塩で億万長者や
ww
海水から金銀作れたらすごいですが
大暴落しそうですね♪
ナチスが諦めたやつですわ
普通に塩を作った方が安くつく
赤穂塩とかブランド力付けられたらの話
塩化銀は濃食塩水に溶けたなら、金がふ含まれてなければ只の不純物じゃないかな?
デカンテーションした際の廃棄した水溶液の塩分濃度を下げれば銀が析出するのでは?
ありがとうございます^^
まさに仰る通りの方法で析出した銀を回収しました^^
この実験、もっと改良してリベンジしてみますね!
佐渡金山だとっ!
ググる事で!…
ここ好きw
ww
私の知識の99%はググってますw
ステンレスでやったら塩化鉄が混ざるでしょうよ・・・
やさぐれちゃんこんばんは♪
音質が良くなった気がするが気のせいかw
いやw
撮影環境、何も変わってないですよw
先人はいろいろ試して製法を確立したんでしょうね。
それをまた検証するやさぐれさんがすごい!
海水の説明するときのやさがれちゃんが顔を出すのは可愛かったです^^
ありがとうございます^^
元々は南蛮文化なのでしょうが、それを独自に技術発展させるのが
すごいですよね!
そういう先人たちの偉業を少しずつ動画にしていきたいです^^
いろんな工夫をしていくといいみたいですねWW
もしだったら壊れたタブレットorスマホからどんな金属を取り出して何が出てくるか実験する機会があればお願いします🙇♀
おおお!
以前はスマホなどからの回収はできなかったのですが
改善された灰吹法などで回収できるようになったものもあると思います!
ちょっと色々考えてみますね^^
@@8390metal thank you
仏像に金メッキしてるから遠い昔、はるかかなたの銀河か金河かの時代でしょw
なぜかスターウォーズを連想しましたw
次は海水から金を取り出すんですねわかります
何で試す行動に一気に実験で出た生成物全部投入するかなぁ…
溶ける量が少ない可能性だってあるのに(絵的に大量な水の中だったので)
ぐぬぬぬぬ。
たしかに!
実験慣れしていないんですね^^;
知識だけでなくこういうところもアップデートしていきたいです!
いつも楽しみにしております
またまたカフェで読んだ、
サライって本の1月号が金についての特集でした(*´`*)
メルカリでさっそくお取り寄せしました。
ワタクシもパチンコ店で読んだの思い出した、金のは湯沸かしが壱千マンほどで紹介されてましたね
おおお!そうなのですね!
チェックしてみます^^
教えてくださってありがとうございます!
@@8390metal
ワタクシの玉にいく、昆布つ市場で金の湯沸かしが70マンで落札され、それが東京の市場で270マンになったとのこと、流石、都会の人、資金力とセンスが違う、現在なら1000万いくのでせうネ!
塩化水素ガスと酸。どちらが毒性が環境に悪いのかな。
うーんw
酸でしょうかね?
どちらも量によりますよね^^
この頃のやさめたさんが面白い
楽しみすぎるぅ( ・∇・)
ありがとうございます^^
次回は鉄を除けば上手くできると思うんです!
リベンジ楽しみにしていてくださいね!
[勘違い!]
やさぐれメタル様、金の湯沸かしが載っているのは週刊文春I月19日でした、訂正いたします。
ww
そうなんですねw
ありがとうございます^^
すっ、水銀が使えれば☠️
いやー、さすがの私も水銀だけはヤバイと思っていますw
水銀使うとかなりラクに取れるみたいですけどね^^;
塩化鉄ができてるんじゃない?
その通りですよね;;
なんでステンレス容器でやったんだ。。
改善してリベンジしたいです!
@@8390metal
頑張ってください(๑•̀ㅂ•́)و✧
変な合金になってしまったウチの純金を救うのはこの方法ですかねー(;´∀`)
この焼金法を習得したら、灰吹法などを通して
純金を作ってみたいと思います!
その時の情報はきっとお役に立てると思います^^
金属の精製に他の金属の器は、だめだということが判りました。
誰が見つけたんだ?
古くは西洋から入ってきた「南蛮文化」ですね!
それを日本人の職人が改良していって
日本オリジナルの技術となったんでしょうね!
塩化マグネシウムということはマグネシウムが多分に含まれているのでは
こんな方法をどうやって江戸時代に会得したんだろう
蘭学とかでもたらされたのかな
誰が一番に思いついたんだろ?
ホントですよね!
西洋などから情報が入ってきて
それを多くの方が試行錯誤した結果なのでしょうね!
炭火で酸素がない状態で焼くべきかと
炭火かー!
酸と結びついて効果ありそうですね^^
うまく似た環境に作れないか考えてみますね!
食塩水が少なかったからとかでは?もしや
それもあるかもしれないですね^^
皆さんからコメント欄にお寄せ頂いたいろいろな考察をヒントに
改善して極めてみたいと思います!
やさぐれメタルさんへ今回の動画製作ありがとうございます。お疲れ様です。良かったら金を使ったアクセサリーをお嫁さんがいるなら、プレゼントしてあげて欲しい。
ありがとうございます^^
嫁さんは金に全く興味ないんですよねw
昔の人はどこからその知識を得たのか…発想だけでは何ともならんやろ…
元は西洋から学んだ技術を、独自に改良したようですね^^
本当に素晴らしい技術ですよね!
二分金なんかこうやって量目と成分合わせてたんですね。作業服の男が文句いってこられないように塩化物扱うときは、気をつけて下さい。
一度純金にしてからちゃんと計算して作っていたみたいですね^^
先人の知恵というのは本当に凄いですね!
調べれば何でも分かるに等しい今の時代でも通用する事を発見した人は本当に尊敬する(≧▽≦)
本当ですよね!
よく発見したなっていう技術が沢山ありますよ!
そういうものを私のチャンネルでお伝えしていけたらと思います^^
ステンレスは極めて熱伝導度は低いよ
今日も化学+歴史の授業、ありがとうございます。昇天したお鍋、手厚く葬ってやって下さい。(;_;) お鍋もヤサグレメタル様のお役に立てて本望でしょう。
私事ですが、フリマで知り合った方から、竜50銭銀貨のグレードの見分け方を伝授させて貰いました。そのまま、引用します。「50銭と書いてある面の下のリボンのすぐ右に3枚の葉があります。その真ん中の葉は、少し出ぱっているので、一番磨耗しやすいです。この葉の葉脈が細かくはっきりしていると極美以上です。磨耗していると美品になります。その他の葉も平らなら並品です。」
その後でフリマに出品している物を見てみると、3枚の葉の真ん中の葉が磨耗している物が多いです。次にショップの美品、極美品の物を見て見ると、この方のご指摘のとおりでした。これは竜5銭〜円銀、旭日銀貨に共通した見分け方だそうです。私はこの方から、出来るだけ知識を吸収したいと思います。次回の返信で竜図の見分けるポイントをお伝え致します。☺
いやー、ステレンス容器はよく頑張ってくれましたw
ちょっと今回のは化学徒からすると怖かったなぁ
や、やっぱり?
知識もなくあまりアブナイことしたらダメですね。
安全のためにもしっかり知識も身に着けるようにします。
そこまでやるなら、ウランを。。。(゜o゜)\Baki!
ステンレスの選択腐食ですね。
卑金属と貴金属が接触しながら腐食環境にあると優先的に卑金属が腐食します。
時をかけるやさぐれ
ww
私のような一般人には現代の精錬方法よりも
大昔の精錬方法の方が合ってる気がします^^
食塩水濃度と
あとホットプレートで温めてもよかった気がするばいね?
(。-`ω´-)ンー
実験ばいね?
室内でやるのが怖かったので外でできるカセットコンロを使ったばいw
ホットプレートでもできるのかな?
今度それも試してみたいばいw
@@8390metal
塩水入れて温める時のことばい
ソッチ (。・・)σ
普通に海水使えばよかった気がする
台場とか東京湾はそう遠くないはず
やさぐれのホームから
@@知花信
キッチンのが近いばい?
ɿ(。・௰・)ɾ
徒歩30秒とかじゃね?
@@やれやればい
なんていうか 砂糖やと
黒色の粉は原液に近くって
白色の粉は加工品で味わいも違うんよ
サトウキビが原料の砂糖なんやけど
塩も結構高い天日干しと工場で作った安い塩で味が変わるから、混ぜもんのあんばいが海水使えばベストちゃうんかな?
金箔くった人糞でも…
想像したくないからヤメテw
カマグwww
また無駄知識が増えました(感謝)
ww
ええ。
人生で役に立たない情報を押し付けるチャンネルですw
ぜひまた遊びにきてやってくださいね♪
海水を使った精錬か。まさかと思ったがやっぱり違っていてがっかりした。海水には金が含まれている。その量は50mプール1杯で1グラムだ。つまり、世界中の海水で、プール1杯ごとに1万円札が入っていることになるわけだ。やさぐれさんが知らないはずがないと思いますが、少しでも、海水中から金を取り出せたら、(費用対効果は問いません)大スクープになるだろう。是非挑戦してください。吉報をお待ちしております。