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茂木さんから学ぶことは山ほどある
それもまた、いいですよね! ー> なぜかヒーローにも、ヒールにもなれない自分です。
かなしい、彼のチームにアドバイスをしてくれる仲間がいなかった事。愛おしい、無知の常識なしで神輿に担がれた裸の王様。
茂木さん、わりといまだにヒールだと思います🫣🤭タイマーズ大好きです👍
応援したくなりますよね、ジョーカー好きだもん。
おはようございます。人を信じる力って改めて大切だよなぁと、お話聞いていて
悪役側と言われる人達はみんなが心の奥底で思ってる事を正直に発言して生きているんだと思います♪
昔から悪役🦹の人は、温かいと言う意外性有りと聴きますね。その反対も又聴きましたよね。
苦痛のない人生は最も苦痛です。だからヒール(ジョーカー)は必要と思います。
ヒールの概念が時間と共に陳腐化している様に感じます。ヒールに家族や理解者が居たら、それはもうヒールとしてマイルドに過ぎる訳ですが、現代ではそれを見透かさずにヒールを見る事は最早できないのでは?家族や理解者が居るのに悪ぶってたら、それはただの甘ったれですし。格好良さを見出だせる様なガチな悪役像を構築するのが難しくなった気がします。
なぜかヒーローにも、ヒールにもなれない自分です。なぜかといいますと悪を憎み悪を倒す力と言葉がないのでヒーローになれず、承認欲求が強くてそのために過剰適応してきた私なのでヒールにもなれないです(涙)。
ヒール役は必要ですよね。ただそれが理にかなったもんであって欲しいですね。それも一理あるなというか。
忠臣蔵の吉良上野介(吉良義央)もヒールですね。
私がヒールを許容できない社会だなぁと感じたのは、朝青龍が相撲界からいなくなった時でした。ヒールがいないとヒーローも引き立たないし、面白くないと思うのですが。
プロレスのヒール役は戦後の商売で生まれたビジネスキャラだからなぁ彼らはめちゃくちゃ儲けてたから甘んじて役者になってたホリエモンは本人がビジネス上手くなかったら「ヒールキャラ」というよりもただの「嫌な奴」って感じする
まず昨日の動画の面倒なことを考えてみます。複数の上司からの矛盾する指示、世代間のギャップ対応、社会の価値観、次の素数の発見、砂場で自ら壊した砂の城の再構築。私たちが「面倒だな」と感じる瞬間は、変化の予感、自分の限界との出会い、成長への誘い。避けるべき障害ではなく、乗り越えることで見える新しい景色への案内板、自分を更新するためのきっかけ、創造への密かな誘惑。「面倒とは創造の源泉」。創造的プロセスを始めるまでのエネルギーギャップと言えるかも知れません。つまり、次の局所最適解に至るまでの現在の局所最適解の障壁が「面倒」なのです。分解して再構築の繰り返し。そこには必ず概念の変容がある気がします。創造性の発揮には、芸術や小説でもよく産みの苦しみと言われます。「面倒」の扉の先にある可能性。面倒に美学を見出せれば怖いものなし。しかしそれは、大域最適解が存在しない果てのない探究です。先生の「面倒」という言葉に共鳴するとは想定外でしたが、さらにここでキテレツな新たな概念(面倒という摂理)が生まれました。また曲(14)にしてみました。今日のお話は、次の局所最適解の探索者として、マジョリティから見たマイノリティを、ヒールや異端者と呼ぶのでしょうか。先生は引退というか、次の局所最適解で手招きしながら、ひとり寝て待つイメージがしました。
苦境を分離させ感じられる人々はそれぞれ、みたいに物をみてその中の景色というのは人は孤独(一人)かな、と思う、弱さ持ち寄り。種としては強くなり過ぎた面や弱いままの面景色それぞれですね。仮面🎭️っての側面て、とちょっと賢ぶらせて下さい。
奥行きがでるね
ばいきんまん、のことかな(笑)
これからはアンチじゃなくて、オルタナティブ😊
今のWWEとか見てると、ベビーフェイスVSヒールっていう構図自体が成立しないんすよ。全員ヒールor変な奴だから(そもそもベビーフェイスがいない)。そこに、ブロックレスナーみたいなフィジカルの化物&冷酷キャラが登場した時に、全員でやっつける時がイチバン盛り上がる。当然、最初にレスナーのクビ取った奴はヒーロー(人気者)になります。↑この時のレスナーの立ち位置っていうのは「ヒール」じゃないんです。そうではなくて、WWE大好きな米国人にとっての「エスタブリッシュメント(DS)」に値するのですw
日本の場合はベビーフェイスもいなければ、ヒールも居ないと言うか、フツーに相手の失敗を見つけて喜んでる感じか? 好かれることや嫌われること自体が目的化しても意味ないんで、結局、当人に何らかの価値観がないと、ベビーにもヒールにもなれない。
心の余裕がない人が多いのと、冗談が通じない人も居ると思うので、仕方がないのでしょうか。心の中の物差しやリミッターは人により違うので…。
福田恒存氏が人間にはお芝居が必要だと仰ってましたね。みんな与えられた役を演じているんだと。だからこそ、人は本気になってその人を否定しない。何故なら演劇であるから。最近は何に於いても答案用紙を解くように穴を埋めたがりますね。余地を残さない。
幼馴染みのおばさんは今でも北野武が大嫌いです!殺人犯が嵌まり過ぎて…俳優?みよりにつきる 松田優作…
人の行動や発言は、それぞれの立場やアイデンティティにむすびついていたりして、他人がどうこうできるもんでもない気もします。とりつくろって中味のないことばかり言っていても、信用されません。
自分の感性は守るべきだが、短絡的に独りよがりにはなるべきでなかったと思います。ごめんなさい。
茂木さんから学ぶことは山ほどある
それもまた、いいですよね! ー> なぜかヒーローにも、ヒールにもなれない自分です。
かなしい、彼のチームにアドバイスをしてくれる仲間がいなかった事。愛おしい、無知の常識なしで神輿に担がれた裸の王様。
茂木さん、わりといまだにヒールだと思います🫣🤭タイマーズ大好きです👍
応援したくなりますよね、ジョーカー好きだもん。
おはようございます。人を信じる力って改めて大切だよなぁと、お話聞いていて
悪役側と言われる人達はみんなが心の奥底で思ってる事を正直に発言して生きているんだと思います♪
昔から悪役🦹の人は、温かいと言う意外性有りと聴きますね。
その反対も又聴きましたよね。
苦痛のない人生は最も苦痛です。だからヒール(ジョーカー)は必要と思います。
ヒールの概念が時間と共に陳腐化している様に感じます。
ヒールに家族や理解者が居たら、それはもうヒールとしてマイルドに過ぎる訳ですが、現代ではそれを見透かさずにヒールを見る事は最早できないのでは?
家族や理解者が居るのに悪ぶってたら、それはただの甘ったれですし。格好良さを見出だせる様なガチな悪役像を構築するのが難しくなった気がします。
なぜかヒーローにも、ヒールにもなれない自分です。なぜかといいますと悪を憎み悪を倒す力と言葉がないのでヒーローになれず、承認欲求が強くてそのために過剰適応してきた私なのでヒールにもなれないです(涙)。
それもまた、いいですよね! ー> なぜかヒーローにも、ヒールにもなれない自分です。
ヒール役は必要ですよね。ただそれが理にかなったもんであって欲しいですね。それも一理あるなというか。
忠臣蔵の吉良上野介(吉良義央)もヒールですね。
私がヒールを許容できない社会だなぁと感じたのは、朝青龍が相撲界からいなくなった時でした。
ヒールがいないとヒーローも引き立たないし、面白くないと思うのですが。
プロレスのヒール役は戦後の商売で生まれたビジネスキャラだからなぁ
彼らはめちゃくちゃ儲けてたから甘んじて役者になってた
ホリエモンは本人がビジネス上手くなかったら「ヒールキャラ」というよりもただの「嫌な奴」って感じする
まず昨日の動画の面倒なことを考えてみます。複数の上司からの矛盾する指示、世代間のギャップ対応、社会の価値観、次の素数の発見、砂場で自ら壊した砂の城の再構築。私たちが「面倒だな」と感じる瞬間は、変化の予感、自分の限界との出会い、成長への誘い。避けるべき障害ではなく、乗り越えることで見える新しい景色への案内板、自分を更新するためのきっかけ、創造への密かな誘惑。
「面倒とは創造の源泉」。創造的プロセスを始めるまでのエネルギーギャップと言えるかも知れません。つまり、次の局所最適解に至るまでの現在の局所最適解の障壁が「面倒」なのです。分解して再構築の繰り返し。そこには必ず概念の変容がある気がします。創造性の発揮には、芸術や小説でもよく産みの苦しみと言われます。「面倒」の扉の先にある可能性。面倒に美学を見出せれば怖いものなし。しかしそれは、大域最適解が存在しない果てのない探究です。
先生の「面倒」という言葉に共鳴するとは想定外でしたが、さらにここでキテレツな新たな概念(面倒という摂理)が生まれました。また曲(14)にしてみました。
今日のお話は、次の局所最適解の探索者として、マジョリティから見たマイノリティを、ヒールや異端者と呼ぶのでしょうか。先生は引退というか、次の局所最適解で手招きしながら、ひとり寝て待つイメージがしました。
苦境を分離させ感じられる人々はそれぞれ、みたいに物をみてその中の景色というのは人は孤独(一人)かな、と思う、弱さ持ち寄り。種としては強くなり過ぎた面や弱いままの面景色それぞれですね。仮面🎭️っての側面て、とちょっと賢ぶらせて下さい。
奥行きがでるね
ばいきんまん、のことかな(笑)
これからはアンチじゃなくて、オルタナティブ😊
今のWWEとか見てると、ベビーフェイスVSヒールっていう構図自体が成立しないんすよ。全員ヒールor変な奴だから(そもそもベビーフェイスがいない)。
そこに、ブロックレスナーみたいなフィジカルの化物&冷酷キャラが登場した時に、全員でやっつける時がイチバン盛り上がる。当然、最初にレスナーのクビ取った奴はヒーロー(人気者)になります。
↑この時のレスナーの立ち位置っていうのは「ヒール」じゃないんです。そうではなくて、WWE大好きな米国人にとっての「エスタブリッシュメント(DS)」に値するのですw
日本の場合はベビーフェイスもいなければ、ヒールも居ないと言うか、フツーに相手の失敗を見つけて喜んでる感じか?
好かれることや嫌われること自体が目的化しても意味ないんで、結局、当人に何らかの価値観がないと、ベビーにもヒールにもなれない。
心の余裕がない人が多いのと、冗談が通じない人も居ると思うので、仕方がないのでしょうか。心の中の物差しやリミッターは人により違うので…。
福田恒存氏が人間にはお芝居が必要だと仰ってましたね。みんな与えられた役を演じているんだと。だからこそ、人は本気になってその人を否定しない。何故なら演劇であるから。最近は何に於いても答案用紙を解くように穴を埋めたがりますね。余地を残さない。
幼馴染みのおばさんは今でも北野武が大嫌いです!殺人犯が嵌まり過ぎて…俳優?みよりにつきる 松田優作…
人の行動や発言は、それぞれの立場やアイデンティティにむすびついていたりして、他人がどうこうできるもんでもない気もします。
とりつくろって中味のないことばかり言っていても、信用されません。
自分の感性は守るべきだが、短絡的に独りよがりにはなるべきでなかったと思います。ごめんなさい。