こころの時代 ~宗教・人生~ 中村 元 仏教の源を語る 04

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 1 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 9

  • @にわか菩薩
    @にわか菩薩 4 роки тому +18

    本当にありがたい。

  • @HiroyukiIto-Singonsyu-Hakuun
    @HiroyukiIto-Singonsyu-Hakuun Рік тому +3

    南無三宝🙏🌈🌍

  • @z-ap1399
    @z-ap1399 Рік тому +4

    53:00 明るい気持ち」それが「道(さとり)」
    58:25 応無所住 而生其心
    優しく書かれた文で、すんなり読めても先生の補足説明なしでは理解が怪しい1:31:00
    俗に対する聖ではなく「高尚な」、邪に対する正ではなく「完全な」
    これが目を開き、知を生じ、涅槃に赴かしめる1:48:06
    わかった。知ることができた。というのは、その局面でのみ言えること
    完全ということはなく、八正道を不断に努め続けること

  • @植松京子
    @植松京子 4 роки тому +4

    1:20霊魂・魂・精神↔️身体
    アートマン↔️シャリーダ
    プシュケー↔️ソーマ
    1:37:00如来、タターガタ

  • @スメラ皇
    @スメラ皇 7 місяців тому

    色受想行識=五蘊 色(一つ)=物質的な身 受想行識(4つ)=心の働き
    色、物質的、形を示す
    受、受け取った感覚
    想、頭の中で整理した表象(イメージ)
    行、形成力、創造
    識、識別して意識する作用
    人間は魂や精神に執着して、それでは具合が悪いから、
    我々のこころの働きも色々なもので成り立っているんだよと理解させるために分けて説いた。
    わたしの感想↓
    今の現代人は、色と識だけで、受想行が抜け落ちていないか??
    即物に執着するのに、モノの必然的道理は何もわからないみたいな。
    いや、本当はわかっているけど、見て見ぬふりして、逃げているようにしか思えない。
    逃げても、自然の摂理からは逃れられない。
    形から入って備えあれば憂い無しというもので心を治めるのは良いんだけど、
    でも、物質的、形には限界があって、自然の摂理には敵わないわけで、
    心から入って備えあれば憂い無しの方に達観できれば、それは無双である。

  • @武井健二-s5m
    @武井健二-s5m Рік тому

    簡単な事をことさら、難しく言ってるようにも思ってしまう、きらいがある
    美しい女性を見て、色々、・・・・と、思ってはいけない、・・と言っても思ってしまうものはしょうがない
    それが人情(元来、人が生まれ持つ自然の情)(思い)・・・というもの、
    ただ
    やっていい事、やってはいけない事、を判断し制するところに、人の成長がある
    煩悩は成長(気付き)の源泉である
    ・・してはいけない…思ってはいけない……を滅せなければいけない、
    ・・何々がいけないと言っても、その、いけないものの塊りが人間です、
    そんな、いけない人間が、どう制御していくか、
    また「いけない」ものから学び、それを如何、前向きな力に変えられるか、が問題