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今回も貴重な写真ばかりで見入ってしまいました。四国独特のSLはもちろんですがDF91とは…。四国だけは未だに渡った事が無いので、新幹線みたいなのが走っているうちになんとか行ってみたいです。
abbtk14 さん、ご視聴頂きありがとうございます。四国の蒸気はなんか変わっているというか、一度足を踏み入れると抜け出さない機関車が多かったイメージがあります。連絡船の載せるのが重くて避けるのか?そんなことないですね。
四国はどうも忘れられがちですがSLはC11、C58、8620がメインで一部でD51が使われていた。それとC59が代用ボイラーとして運ばれた
C59の高松での代用ボイラーの話は以前C12特集で紹介しています。
最初に登場した、ケンジのモデルの0系がカッコ良かったです…………。昨日(12月24日・日曜日・クリスマスイブ)私は、広島駅〜新尾道駅までハローキティ新幹線に乗って持光寺へにぎり仏を作りに行って来ました。ハローキティ新幹線の車内アナウンス(三原駅、新尾道駅、帰りの三原駅、東広島駅、広島駅)と持光寺踏切を通過する貨物列車と千光寺山ロープウェイの車窓(下り)と新尾道駅に到着するこだま849号(ハローキティ新幹線)の動画を撮影しました。
機関車ヒロさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。後で拝見させていただきますね。
1:17 D51 386ですよ、!
クハ203 マト66さん、ご視聴ありがとうございました。言い間違いご指摘ありがとうございます。
4:27 四国の8620はすみ丸ゴシック体の形式入りナンバーをもつ機体が多かったイメージです。小松島にいた68692はローマン体のオシャレな形式入りナンバーで、現在も徳島中央公園に保存されています。
かねやん丸のチャンネルさん、ご視聴頂きありがとうございます。形式入りプレートにするかしないか、後年取り外したりする機関車を見ると、なんか形式入りプレートには思惑とかあるのでしょうか?真岡鉄道は記念で形式入りプレートにするのですが、製造工程もかなりこだわっていますね。
千葉局と並んで無煙化モデル地区とされたのが四国総局。元々大型機はいなくてC58クラスが最大級(土讃線の勾配区間にD51が入選したのと多度津の据え付けボイラ代わりのC59が例外的存在)だったことや大都市圏から離れていた上にまだ架橋もなく四国以外からはアクセスしづらかったのが影響したのか確かに文献でもあまり紹介されていませんでしたね。0:16の岡オカ留置客車、新進気鋭の筈の12系が色褪せて見えるのは恐らく元はモノクロの原盤を画像処理でカラー化されたせいでは?0:52岡オカの80系は吹田工場の担当だったので300番台全金車も塗分け線を在来車に合わせていたので黄柑色の幅が狭くなっていました。尚広ヒロ・広セキの80系は幡生工場(現:下関車両センター)の担当でこちらは塗分け線を規定通りに塗っていましたので全金車は黄柑色のは場が広くなっていました。4:03のナレーション、高松駅と言われていますが画像はどう見ても高知駅ですが…???ただ、映像に残っている四国の蒸機の事例は散見されます。かつてNHKアーカイブスで紹介された昭和のSLシリーズでは珍しくデフの付いたC10(確か21号機?)の動画がありました。また昭和30年代の映画で題名は失念しましたがラストシーンで主人公が旅立つ際に当時予讃本線の看板列車だった?準急[いよ](編成最後尾のスハニに円形のトレインマークが掲げられていました)の走行シーンがあるものがあります(間近で走る列車を撮影したのは良かったのですが…眼前を通過する列車の窓ガラスに何と!カメラを回している撮影スタッフの姿が映り込んでいました。今だったらNG扱いでしょうがおそらく当時はフィルムも貴重な高額品だったので不問とされたか或いは撮影スタッフ誰も気付かなかったか気にも留めなかったか?ちょっと気になるところです)無煙化後の四国の気動車急行ネットワークは見事なもので[いよ][むろと][あしずり]などの愛称入りのヘッドマーク(尤も文字のみの簡素なものでしたが)を掲げしかも路線別に地色を変え、側面のサボも色を合わせてあり特に高松駅では誤乗防止に功を奏していました。勾配の厳しい土讃本線系統にはキハ65を挟みキロ28以外オール強力車編成な急行もありました。また四国にしかいない極めてレアな車輛がキユ25で気動車の全室郵便車は恐らくこの形式のみ。キハ58と同等の車体で塗装も急行色、そして扱い郵便車の特例として新製冷房車としてデビュー。製造時期の違いで1・2は平窓、3・4はパノラミックウィンド、乗客の乗るキハ58が非冷房でキユ25が冷房車という逆転現象すらありました。嘗てまだ昭和だった頃1年に満たない短期間でしたが転勤で新居浜市に住んでいたことがあります。
SleeperExpressJNRさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。12系の岡山なんですが、UA-camにアップ後画面で見るとかなり色が変わっていて、他の視聴者様からもご指摘ありました。オリジナルはもう少しまともです。高知駅を高松駅と言い間違えています。駅名看板通り高知駅で後半以外は全部高地駅周辺の写真です。映画で製作者が写りこんでいるのは見たことがあります。私も映画の題名覚えていませんが、あれは四国だったんですね。
4:27正面と側面に形式入りの86戦後もこの姿は貴重ですね。
小樽築港機関区さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。古い機関車はそういうのは多いかもです。
9:12で登場するC12?牽引の2輌の客車、前の方がモロ❝大正風❞オハ60というのが興味深い。同じ仲間のオハフ60は北海道で1970年代まで一部の列車で使われたらしいが。
maironefさん、ご視聴頂きありがとうございます。ぎりぎりまで着色に腐心していたので、客車が古臭いなぁぐらいしか気が付きませんでした。
四国は無煙化は早かったが、国鉄の電化は遅かった。
ヒストレインさん、ご視聴頂きありがとうございます。DF50が活躍していたので償却終わるまで待っていたのでしょうか。
2:17 宇野線は電化はしたものの 変電所容量が小さくて 電気車両は 電気の取り合いだったとか。宇高連絡船には『ホーバークラフト』の急行便もかつてありました。急行料金は¥1,000だったと記憶しています。四国には C57等 配置されなかった蒸機もあったようですが ディーゼル機関車もDD51は配置されていなかったし 特急気動車も80系は配置されず キハ181系には食堂車は付けられず 58系急行形は 独特のヒゲ付きミュージックサイレン付きの車や 早くから『キロハ28』が配置されていたりと 色々な意味で独特でしたね。
とりりサービスさん、ご視聴頂きありがとうございます。県庁所在地の周りならともかく、隅々まで線路引きすぎたのでしょうか。一方市電は充実していますし、なんかいまだにちぐはぐさを引きづっているような感覚もってます。
四国は九州みたいに早い時にトンネルとか橋が開通もしていなかったから機関車とかを運ぶ時船で運んでて大変だったんだろうな
Mathie the frenchさん、ご視聴頂きありがとうございます。地味な四国の蒸機は動画にするのが難しいですね。宇高連絡船で機関車を運んでいたんです。
お疲れ様です。ハチロクやシーチョンチョンも、活躍していましたけど…シゴハチ王国の四国は、早い時期に無煙化が、終了した関係で…楽しく視聴させて頂きました。シゴハチのスリースリー(333号機)を載せて頂きありがとうございます。こちらの罐は、1969年10月30日高徳線323レ(高松~徳島)さよなら列車牽引で、四国で、撮影した唯一の罐でした。しかし、爆煙を出して駅を出発するシゴハチの336号機の演出は、感動しました。ありがとうございました。次回の動画配信も、楽しみにしております。
河野さん、ご支援ご視聴ありがとうございます。C58ばかりの四国ですが、D51もかなり(11輌)いたのですね。でも全然写真が入手できなかったです。333は以前BWで出したことがありましたので、綺麗にして色をつけてみました。
今回もワクワクする映像をありがとうございました。8620も見れてとても嬉しいです。四国には保存蒸気を見にいきたいです。
サマーほろふぁいぶ さん、ご視聴いただきありがとうございます。ワクワク頂いたのですね。とても製作のモチベーション高まるお言葉でありがとうございます。
0:16 蒸気機関車放置されていますね。
サハシ165 チャンネル さん、ご視聴頂きありがとうございます。これは廃車で工場へドナドナ町の機関車ですね。
図鑑とかの「四国以外の全国で活躍しました」という説明書きはあるあるですね。キューロクでも四国にはいなかったと知ったときは驚きました。
C56 448さん、ご視聴頂きありがとうございます。意外にもc59が高松に転属になり、機関区のお風呂のボイラーとして使われていました。
四国といえば=DF50のイメージですが、C58も大活躍だったのですね!DF50は独特のエンジン音がいいですね。C58よりは強力とはいえ、山道はC58はかなり粘るイメージがあります😂
プさん、ご視聴頂きありがとうございます。C58は地方主要線区レベルでは、どこでもC11とともに重宝されていました。
まだ新しかったはずの12系が既にボロボロなんだけど…。
のりのりさん、ご視聴頂きありがとうございます。私もアップした後気になりました。もっとピシッと色をつけないとだめですね。
瀬戸内は淡路島(兵庫県ですけれど)までで四国に渡ったことがない私は全然、詳しくありません。鉄道雑誌に出てくる新車は一通り知っていても今回の蒸機の頃を全く知りませんでした。ぶどう2号のDF50、新鮮ですね。私の好きなC58がたくさん出てきて嬉しかったですが最初に出てきた写真の廃車体は無煙化と言う時代の象徴とは言え見るのが辛いものがありますね。。。
Kei Itoさん、いつもご支援ご視聴いただきありがとうございます。DF50は紀勢線の熊野でC58の集煙装置の比較で出しました。C58お好きなのですね。私ももっと好きにならないといけないですね。
あっ…高知にたった1両だけ保存されているC58 335号機も多度津式集煙装置つけて保存されていました…一応C58 333号機も香川で保存されているそうです!後多度津駅には未だに給水塔が残されていますし…最後に四国を走った蒸気も保存されています!もし四国に来ることがあればネットなどで調べて見に来てやって下さい!
和鉄D51さん、ご視聴頂きありがとうございます。宇和島の扇形庫と転車台がJRによって撤去されそうなんですね。扇形庫はあまり関心引く形でも歴史のあるものでもなさそうなのですが、当時ものが残っています。Google Streetで良く見えます。
四国のc58って何か集煙装置を付けてるイメージがあるな
この動画で国鉄時代四国の路線を知る事が出来ました。SLブーム時の鉄道雑誌は各地の現役蒸気写真が満載でしたが四国だけは静態保存C12の写真でした。早期に無煙化された事から四国は興味がありませんでした。無煙化が早かったわりには多度津ほかに転車台給水塔など現存してますね。
k w さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。そうなんです。四国はSLファンから見捨てられていた土地ですが、その後はDF50の熱狂的なファンであふれたと聞いています。一度名古屋からの電車で隣に座ってきたファンからDF50の話を熱く聞かされうんざりした記憶有ります。
確かにうんざりですね笑。DL/DCファンでは四国は聖地の一つですよね。
そうなんですよ。聖地。今当時の皆さんはどうしているんでしょう。私よりずっと年下のファンなのでまだ元気なんでしょうね。
土讃線は高知を出て30分ほどの土佐山田から登りになり、ここでトンネルに入るのでよそ行きの服が真っ黒になる…ということで、ご婦人方が「さっさと蒸気をやめさせろ」と県や地元代議士に圧力をかけていた、という経緯があるそうです…。トンネルを走行中に機関士さんが煙に巻かれて…という事故もあったそうで…。
四国の寝不足たぬきさん、ご視聴頂きありがとうございます。私は無煙化が進んだのは、四国の頂いたコメントあるような上品で高所得の人が多いところにあるのかなと思っていました。機関車も重油を炊き、集煙装置を付け精いっぱいやったのでしょうが、DLにはこの点はかないませんね。
自分、徳島出身です。徳島にもSLは、走っていたんですね。
東方ジュラ紀さん、ご視聴頂きありがとうございます。そうなんです。やはりご存じない方も多いんでしょうね。
今回も大好物の車両をありがとう〜、あと俺の場合は南海電車に乗って和歌山港〜徳島迄行けるよ、しかも2500で
0721さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。?南海って淡路島に線路や橋があったんだ!と思い調べたらフェリー込みなんですね。そういう割引切符が動画の中で疑問を呈した「小豆島エック」だそうです。
まだ使った事無いけど四国に安く行けるから便利かもね
四国の鉄道は12年前に一度松山へ行ったきりですが、東京から岡山まで新幹線、岡山から松山までは特急「しおかぜ」で往復でした。「しおかぜ」は行きが電車、帰りがDCで、帰りは天気も良くて予讃線も瀬戸大橋も景色もバッチリ楽しめました。そんな楽しい乗車経験のウラには十河総裁の戦略が・・・と知ると面白いです。昔読んだ蒸気機関車の本でも、Wikiで国鉄蒸気の記事を読んでも「四国以外の各地で活躍」という旨の記載が多くて逆にどの機種が、と思ってしまいますがC58が主力だったようですね。中途半端なように見えてもちょうど必要な場所があり、ゆえに終戦直後も一定数が製造されていたのが分かります。重装備C58特集も拝見したいです。
成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。四国以外の土地で活躍は確かによく見ますね。以前羽越本線の特集の際に登場したD51-1057はかつて高知にいました。3つの集煙装置を付けた稀な機関車です。四国を活躍の場としなかったのは9600とハドソン三兄弟、パシフィックでしょうか。C59-111は据置ボイラーで半年ほど多度津に居ましたが。戦後形のC58はテンダーがとても大きいんですよ。
エックというのはエコノミークーポンの略ですね。当時の国鉄、交通公社などの旅行代理店が安価な観光旅行クーポンとして宣伝していました。宇高航路も本四架橋も渡ったことがなく、四国へは周防大島から船で行ったことがあるだけです。復路は松山から小牧へ。東京発着と違って四国から名古屋はあっという間でした。
motohisa ochiaiさん、ご視聴頂きありがとうございます。エコノミークーポンですか...なるほどありがとうございます。私も仕事でT社のある松山は何度も大阪経由のJALで往復しました。マイルがたまって良かったです。
エックって船とバスのクーポンがセットになった商品ではなかったかな。
確か、気軽に旅行が楽しめる商品だったみたいですよ。
えーっ、国鉄の商品だったんですね。全然知りませんでした。最初は小豆島の卵の事かと思いましたが、エックなんですよね。
国鉄かな、ひょっとしたら関西汽船とかかも。
エコノミークーポンの略だそうです!
すごい!
宇野線の80系以外の旧国は混成チームだったようで、42系のクモハ32・クモハユニ64・サハ48、40系のサハ57・クハ55・クモハ51(モハ41から改造されたもの)、51系のクモハ51あたりがいました。
yiteng88さん、ご視聴頂きありがとうございます。クモハ32って好きです。
宇野線の旧型電車の中には、一部にかの流線形電車モハ52の中間車として入っていた元サロハ66、サハ48を3ドア化したサハ58が見られた。それらは戦後、車輌不足の横須賀線へ転用(元サロハ66は当時既に全室3等車化されていた筈)されたが、3ドアのモハ70系が増備されるとラッシュ時の旅客サービス上不都合が著しくなったため、横須賀線当時に3ドア化されたということである。
凄い!電車お詳しいですね。
そういえば四国に一両だけC59が居たらしいですね。
Tamita Fusaichi さん、ご視聴頂きありがとうございます。C59-111です。据置ボイラーとして機関区のお風呂を沸かすために使われていました。その目的のためだけの配置で動かなかったんです。こちらのC12動画で紹介していますので是非ご覧ください。
現在、予讃線と土讃線の一部が電化されて、8000系と8600系特急電車と2600系と2700系特急気動車が高徳線で運用されている。岡山ー高松間は5000系と223系5000番台の快速マリンライナーが運行されている。
大坂さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。本線と言う言葉が無くなった理由をご存じですか?昔はすべて入っていたのですが、最近無いのに気が付きました。
@@Yukkuri-Lab さん、JR四国は、本線と呼ぶのは相応しくないとの考えで簡略化したのでは。
でも留萌本線はまだ本線ですよね。四国の人々はみっともないということや当たり前をよく理解しているのでしょうね。
@@Yukkuri-Lab さん、その留萌本線も、再来年度には、全廃される予定。
集煙装置は、元々、敦賀式が大元で、後藤、鷹取、多度津も同型の座布団のようなのを使いました。多度津は使いやすさを考慮して両サイドを切り詰めた多度津式を開発し、それに倣って鷹取式、後藤式ができたようです。多度津式は鷹取式などより一回り大きいものだったようで、初期は角ばってもいました。また、鷹取式の初期のC58用は底が腹太でした。鷹取式に後藤工場も倣って鷹取式と同型にしましたが、多度津式鷹取式が6本足だったのを4本足に省略したようですが、鷹取も4本足にしたかもしれません。それぞれD51用、C57用、C58用などがありましたが、D51用をC57やC58に流用したり、C58用は使われなくなりC57用を流用したりしました。C58好き集煙付好きにはご褒美動画ですね(笑)
ほんわか慎さん、ご視聴頂きありがとうございます。鷹取式のC58は支柱が2本のもありますね。動画の亀山のは二本じゃなかったかな。私は敦賀式デカくて格好良いと思いますが、長野式の前が穴が開いているのが好きなんです。
なんか四国はC58がよく似合う路線なんだよ~それでも四国は夏場にカマの水が不足になることもあったらしく夏場の水の確保にかなり神経を使っていたから無煙化は現場からすれば水の確保から開放されるから無煙化を早くやって星海でしたなお集煙装置には手動式と真空式の2種類ありました
高橋さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。大歩危の峠、高知からの峠があって短いのですがかなり苦労するのが土讃線だと伺いました。
昔の宇野駅は181系特急「うずしお」や153系急行「鷲羽」など優等列車で賑わっていたのが懐かしいです特急すら走っていなかった四国が都市部にもまだ蒸機が残っていた時代にさっさと無煙化を達成したのは不思議でしたが四国出身の十河総裁が尽力されたとは初めて知りました
シロクニさん、ご視聴頂きありがとうございます。四国が無縁化したとき、まだ東京にも蒸気があり、とても違和感がありました。今回動画を作ったのはその理由が分かったからなんです。
四国は、寝台特急「瀬戸」で金比羅詣でに行ったきりだなぁ。客車に乗ったのはこれだけ。ワキ700は元々魚雷運搬用貨車で扉が偏った位置にあるのはこの為。魔理沙、宇野線には珍品「クモハ84」がいたことも忘れないでね。と、大元駅から「岡山臨港鉄道」なる、ロッド式L型機関車が貨車をゴトゴト、黒帽子の日車製気動車がトコトコ走る鉄道があったはず。
いあさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。ワキ700は吹田の特集のときに紹介しました。回天輸送用もあったらしいです。クモハ84?と思い調べましたが、かなり新しいものですね。私はそのあたりの鉄道の事がすっかり欠落しているのです。ロッド式のDLは良いですね。どこかの国で入換しているのを飽きずに見とれていました。
高知人の父に聞いても「小豆島エック」なんて初耳だそうで…。なんなんですかね…。
駿さん、ご視聴頂きありがとうございます。別の視聴者様が、船とバスのクーポンがセットになった国鉄の商品と教えていただきました!
@@Yukkuri-Lab なるほどそんなのあったんですね。でもバスってなんのバスですかね?船は宇高連絡船だろうけど。
やはり四国はあまり大きなSLが走っていないみたいですな大きくてD51というところがなんとも
電光刑事さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。D51の写真ってあまり見ません。デカすぎなのでしょうか。無煙化の邪魔になるのかな?
四国の蒸気機関車は、C58とC11形が配置されていたが、既に昭和40年代に入ると、DF50形によって無煙化が早く達成した。旅客列車もキハ58系やキハ65形の急行気動車やキハ181系特急気動車が入って、客車牽引機は、DF50形とDE10形、キハ17形やキハ22形が占めていた。
大坂さん、四国に新幹線は将来来るでしょうか?
@@Yukkuri-Lab さん、計画はあるが、財務状況を考えれば、建設は不可能かという。
無煙化が早かったのもあるのでしょうが、四国の蒸機で思い浮かぶのはC58くらいです…今回の動画で知る事が多々あり、D51のの運用も初耳でしたC58の急行運用とかあったのでしょうか?第二部があったらと個人的に期待しています。
デカミツさん、ご視聴頂きありがとうございます。あまり興味を引く蒸気ではないのばかりですよね。このためアピールポイントを示して皆さんの関心を掻き立てようと思う構成にしてみました。次回は四国の別のところが出来ればと思います。
今回も貴重な写真ばかりで見入ってしまいました。四国独特のSLはもちろんですがDF91とは…。四国だけは未だに渡った事が無いので、新幹線みたいなのが走っているうちになんとか行ってみたいです。
abbtk14 さん、ご視聴頂きありがとうございます。
四国の蒸気はなんか変わっているというか、一度足を踏み入れると抜け出さない機関車が多かったイメージがあります。連絡船の載せるのが重くて避けるのか?そんなことないですね。
四国はどうも忘れられがちですがSLはC11、C58、8620がメインで一部でD51が使われていた。それとC59が
代用ボイラーとして運ばれた
C59の高松での代用ボイラーの話は以前C12特集で紹介しています。
最初に登場した、ケンジのモデルの0系がカッコ良かったです…………。
昨日(12月24日・日曜日・クリスマスイブ)私は、広島駅〜新尾道駅までハローキティ新幹線に乗って持光寺へにぎり仏を作りに行って来ました。
ハローキティ新幹線の車内アナウンス(三原駅、新尾道駅、帰りの三原駅、東広島駅、広島駅)と持光寺踏切を通過する貨物列車と千光寺山ロープウェイの車窓(下り)と新尾道駅に到着するこだま849号(ハローキティ新幹線)の動画を撮影しました。
機関車ヒロさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
後で拝見させていただきますね。
1:17 D51 386ですよ、!
クハ203 マト66さん、ご視聴ありがとうございました。言い間違いご指摘ありがとうございます。
4:27 四国の8620はすみ丸ゴシック体の形式入りナンバーをもつ機体が多かったイメージです。小松島にいた68692はローマン体のオシャレな形式入りナンバーで、現在も徳島中央公園に保存されています。
かねやん丸のチャンネルさん、ご視聴頂きありがとうございます。
形式入りプレートにするかしないか、後年取り外したりする機関車を見ると、なんか形式入りプレートには思惑とかあるのでしょうか?
真岡鉄道は記念で形式入りプレートにするのですが、製造工程もかなりこだわっていますね。
千葉局と並んで無煙化モデル地区とされたのが四国総局。元々大型機はいなくてC58クラスが最大級(土讃線の勾配区間にD51が入選したのと多度津の据え付けボイラ代わりのC59が例外的存在)だったことや大都市圏から離れていた上にまだ架橋もなく四国以外からはアクセスしづらかったのが影響したのか確かに文献でもあまり紹介されていませんでしたね。
0:16の岡オカ留置客車、新進気鋭の筈の12系が色褪せて見えるのは恐らく元はモノクロの原盤を画像処理でカラー化されたせいでは?
0:52岡オカの80系は吹田工場の担当だったので300番台全金車も塗分け線を在来車に合わせていたので黄柑色の幅が狭くなっていました。尚広ヒロ・広セキの80系は幡生工場(現:下関車両センター)の担当でこちらは塗分け線を規定通りに塗っていましたので全金車は黄柑色のは場が広くなっていました。
4:03のナレーション、高松駅と言われていますが画像はどう見ても高知駅ですが…???
ただ、映像に残っている四国の蒸機の事例は散見されます。かつてNHKアーカイブスで紹介された昭和のSLシリーズでは珍しくデフの付いたC10(確か21号機?)の動画がありました。また昭和30年代の映画で題名は失念しましたがラストシーンで主人公が旅立つ際に当時予讃本線の看板列車だった?準急[いよ](編成最後尾のスハニに円形のトレインマークが掲げられていました)の走行シーンがあるものがあります(間近で走る列車を撮影したのは良かったのですが…眼前を通過する列車の窓ガラスに何と!カメラを回している撮影スタッフの姿が映り込んでいました。今だったらNG扱いでしょうがおそらく当時はフィルムも貴重な高額品だったので不問とされたか或いは撮影スタッフ誰も気付かなかったか気にも留めなかったか?ちょっと気になるところです)
無煙化後の四国の気動車急行ネットワークは見事なもので[いよ][むろと][あしずり]などの愛称入りのヘッドマーク(尤も文字のみの簡素なものでしたが)を掲げしかも路線別に地色を変え、側面のサボも色を合わせてあり特に高松駅では誤乗防止に功を奏していました。勾配の厳しい土讃本線系統にはキハ65を挟みキロ28以外オール強力車編成な急行もありました。また四国にしかいない極めてレアな車輛がキユ25で気動車の全室郵便車は恐らくこの形式のみ。キハ58と同等の車体で塗装も急行色、そして扱い郵便車の特例として新製冷房車としてデビュー。製造時期の違いで1・2は平窓、3・4はパノラミックウィンド、乗客の乗るキハ58が非冷房でキユ25が冷房車という逆転現象すらありました。
嘗てまだ昭和だった頃1年に満たない短期間でしたが転勤で新居浜市に住んでいたことがあります。
SleeperExpressJNRさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
12系の岡山なんですが、UA-camにアップ後画面で見るとかなり色が変わっていて、他の視聴者様からもご指摘ありました。オリジナルはもう少しまともです。
高知駅を高松駅と言い間違えています。駅名看板通り高知駅で後半以外は全部高地駅周辺の写真です。
映画で製作者が写りこんでいるのは見たことがあります。私も映画の題名覚えていませんが、あれは四国だったんですね。
4:27正面と側面に形式入りの86戦後もこの姿は貴重ですね。
小樽築港機関区さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
古い機関車はそういうのは多いかもです。
9:12で登場するC12?牽引の2輌の客車、前の方がモロ❝大正風❞オハ60というのが興味深い。同じ仲間のオハフ60は北海道で1970年代まで一部の列車で使われたらしいが。
maironefさん、ご視聴頂きありがとうございます。ぎりぎりまで着色に腐心していたので、客車が古臭いなぁぐらいしか気が付きませんでした。
四国は無煙化は早かったが、国鉄の電化は遅かった。
ヒストレインさん、ご視聴頂きありがとうございます。DF50が活躍していたので償却終わるまで待っていたのでしょうか。
2:17 宇野線は電化はしたものの 変電所容量が小さくて 電気車両は 電気の取り合いだったとか。
宇高連絡船には『ホーバークラフト』の急行便もかつてありました。急行料金は¥1,000だったと記憶しています。
四国には C57等 配置されなかった蒸機もあったようですが ディーゼル機関車もDD51は配置されていなかったし 特急気動車も80系は配置されず キハ181系には食堂車は付けられず 58系急行形は 独特のヒゲ付きミュージックサイレン付きの車や 早くから『キロハ28』が配置されていたりと 色々な意味で独特でしたね。
とりりサービスさん、ご視聴頂きありがとうございます。
県庁所在地の周りならともかく、隅々まで線路引きすぎたのでしょうか。
一方市電は充実していますし、なんかいまだにちぐはぐさを引きづっているような感覚もってます。
四国は九州みたいに早い時にトンネルとか橋が開通もしていなかったから機関車とかを運ぶ時船で運んでて大変だったんだろうな
Mathie the frenchさん、ご視聴頂きありがとうございます。
地味な四国の蒸機は動画にするのが難しいですね。
宇高連絡船で機関車を運んでいたんです。
お疲れ様です。
ハチロクやシーチョンチョンも、活躍していましたけど…シゴハチ王国の四国は、早い時期に無煙化が、終了した関係で…楽しく視聴させて頂きました。
シゴハチのスリースリー(333号機)を載せて頂きありがとうございます。
こちらの罐は、1969年10月30日高徳線323レ(高松~徳島)さよなら列車牽引で、四国で、撮影した唯一の罐でした。
しかし、爆煙を出して駅を出発するシゴハチの336号機の演出は、感動しました。
ありがとうございました。
次回の動画配信も、楽しみにしております。
河野さん、ご支援ご視聴ありがとうございます。
C58ばかりの四国ですが、D51もかなり(11輌)いたのですね。でも全然写真が入手できなかったです。
333は以前BWで出したことがありましたので、綺麗にして色をつけてみました。
今回もワクワクする映像をありがとうございました。8620も見れてとても嬉しいです。四国には保存蒸気を見にいきたいです。
サマーほろふぁいぶ さん、ご視聴いただきありがとうございます。ワクワク頂いたのですね。とても製作のモチベーション高まるお言葉でありがとうございます。
0:16 蒸気機関車放置されていますね。
サハシ165 チャンネル さん、ご視聴頂きありがとうございます。
これは廃車で工場へドナドナ町の機関車ですね。
図鑑とかの
「四国以外の全国で活躍しました」
という説明書きはあるあるですね。
キューロクでも四国にはいなかったと知ったときは驚きました。
C56 448さん、ご視聴頂きありがとうございます。
意外にもc59が高松に転属になり、機関区のお風呂のボイラーとして使われていました。
四国といえば=DF50のイメージですが、C58も大活躍だったのですね!DF50は独特のエンジン音がいいですね。C58よりは強力とはいえ、山道はC58はかなり粘るイメージがあります😂
プさん、ご視聴頂きありがとうございます。C58は地方主要線区レベルでは、どこでもC11とともに重宝されていました。
まだ新しかったはずの12系が既にボロボロなんだけど…。
のりのりさん、ご視聴頂きありがとうございます。
私もアップした後気になりました。もっとピシッと色をつけないとだめですね。
瀬戸内は淡路島(兵庫県ですけれど)までで四国に渡ったことがない私は全然、詳しくありません。
鉄道雑誌に出てくる新車は一通り知っていても今回の蒸機の頃を全く知りませんでした。
ぶどう2号のDF50、新鮮ですね。私の好きなC58がたくさん出てきて嬉しかったですが
最初に出てきた写真の廃車体は無煙化と言う時代の象徴とは言え見るのが辛いものがありますね。。。
Kei Itoさん、いつもご支援ご視聴いただきありがとうございます。
DF50は紀勢線の熊野でC58の集煙装置の比較で出しました。C58お好きなのですね。私ももっと好きにならないといけないですね。
あっ…高知にたった1両だけ保存されているC58 335号機も多度津式集煙装置つけて保存されていました…
一応C58 333号機も香川で保存されているそうです!
後多度津駅には未だに給水塔が残されていますし…最後に四国を走った蒸気も保存されています!
もし四国に来ることがあればネットなどで調べて見に来てやって下さい!
和鉄D51さん、ご視聴頂きありがとうございます。宇和島の扇形庫と転車台がJRによって撤去されそうなんですね。扇形庫はあまり関心引く形でも歴史のあるものでもなさそうなのですが、当時ものが残っています。Google Streetで良く見えます。
四国のc58って何か集煙装置を付けてるイメージがあるな
この動画で国鉄時代四国の路線を知る事が出来ました。SLブーム時の鉄道雑誌は各地の現役蒸気写真が満載でしたが四国だけは静態保存C12の写真でした。早期に無煙化された事から四国は興味がありませんでした。無煙化が早かったわりには多度津ほかに転車台給水塔など現存してますね。
k w さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
そうなんです。四国はSLファンから見捨てられていた土地ですが、その後はDF50の熱狂的なファンであふれたと聞いています。
一度名古屋からの電車で隣に座ってきたファンからDF50の話を熱く聞かされうんざりした記憶有ります。
確かにうんざりですね笑。DL/DCファンでは四国は聖地の一つですよね。
そうなんですよ。聖地。今当時の皆さんはどうしているんでしょう。私よりずっと年下のファンなのでまだ元気なんでしょうね。
土讃線は高知を出て30分ほどの土佐山田から登りになり、ここでトンネルに入るのでよそ行きの服が真っ黒になる…ということで、ご婦人方が「さっさと蒸気をやめさせろ」と県や地元代議士に圧力をかけていた、という経緯があるそうです…。
トンネルを走行中に機関士さんが煙に巻かれて…という事故もあったそうで…。
四国の寝不足たぬきさん、ご視聴頂きありがとうございます。
私は無煙化が進んだのは、四国の頂いたコメントあるような上品で高所得の人が多いところにあるのかなと思っていました。
機関車も重油を炊き、集煙装置を付け精いっぱいやったのでしょうが、DLにはこの点はかないませんね。
自分、徳島出身です。徳島にもSLは、走っていたんですね。
東方ジュラ紀さん、ご視聴頂きありがとうございます。
そうなんです。やはりご存じない方も多いんでしょうね。
今回も大好物の車両をありがとう〜、あと俺の場合は南海電車に乗って和歌山港〜徳島迄行けるよ、しかも2500で
0721さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
?南海って淡路島に線路や橋があったんだ!と思い調べたらフェリー込みなんですね。
そういう割引切符が動画の中で疑問を呈した「小豆島エック」だそうです。
まだ使った事無いけど四国に安く行けるから便利かもね
四国の鉄道は12年前に一度松山へ行ったきりですが、東京から岡山まで新幹線、岡山から松山までは特急「しおかぜ」で往復でした。「しおかぜ」は行きが電車、帰りがDCで、帰りは天気も良くて予讃線も瀬戸大橋も景色もバッチリ楽しめました。そんな楽しい乗車経験のウラには十河総裁の戦略が・・・と知ると面白いです。
昔読んだ蒸気機関車の本でも、Wikiで国鉄蒸気の記事を読んでも「四国以外の各地で活躍」という旨の記載が多くて逆にどの機種が、と思ってしまいますがC58が主力だったようですね。中途半端なように見えてもちょうど必要な場所があり、ゆえに終戦直後も一定数が製造されていたのが分かります。重装備C58特集も拝見したいです。
成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
四国以外の土地で活躍は確かによく見ますね。以前羽越本線の特集の際に登場したD51-1057はかつて高知にいました。3つの集煙装置を付けた稀な機関車です。
四国を活躍の場としなかったのは9600とハドソン三兄弟、パシフィックでしょうか。C59-111は据置ボイラーで半年ほど多度津に居ましたが。
戦後形のC58はテンダーがとても大きいんですよ。
エックというのはエコノミークーポンの略ですね。当時の国鉄、交通公社などの旅行代理店が安価な観光旅行クーポンとして宣伝していました。
宇高航路も本四架橋も渡ったことがなく、四国へは周防大島から船で行ったことがあるだけです。
復路は松山から小牧へ。東京発着と違って四国から名古屋はあっという間でした。
motohisa ochiaiさん、ご視聴頂きありがとうございます。
エコノミークーポンですか...なるほどありがとうございます。
私も仕事でT社のある松山は何度も大阪経由のJALで往復しました。
マイルがたまって良かったです。
エックって船とバスのクーポンがセットになった商品ではなかったかな。
確か、気軽に旅行が楽しめる商品だったみたいですよ。
えーっ、国鉄の商品だったんですね。全然知りませんでした。
最初は小豆島の卵の事かと思いましたが、エックなんですよね。
国鉄かな、ひょっとしたら関西汽船とかかも。
エコノミークーポンの略だそうです!
すごい!
宇野線の80系以外の旧国は混成チームだったようで、42系のクモハ32・クモハユニ64・サハ48、40系のサハ57・クハ55・クモハ51(モハ41から改造されたもの)、51系のクモハ51あたりがいました。
yiteng88さん、ご視聴頂きありがとうございます。クモハ32って好きです。
宇野線の旧型電車の中には、一部にかの流線形電車モハ52の中間車として入っていた元サロハ66、サハ48を3ドア化したサハ58が見られた。それらは戦後、車輌不足の横須賀線へ転用(元サロハ66は当時既に全室3等車化されていた筈)されたが、3ドアのモハ70系が増備されるとラッシュ時の旅客サービス上不都合が著しくなったため、横須賀線当時に3ドア化されたということである。
凄い!電車お詳しいですね。
そういえば四国に一両だけC59が居たらしいですね。
Tamita Fusaichi さん、ご視聴頂きありがとうございます。
C59-111です。据置ボイラーとして機関区のお風呂を沸かすために使われていました。その目的のためだけの配置で動かなかったんです。こちらのC12動画で紹介していますので是非ご覧ください。
現在、予讃線と土讃線の一部が電化されて、8000系と8600系特急電車と2600系と2700系特急気動車が高徳線で運用されている。
岡山ー高松間は5000系と223系5000番台の快速マリンライナーが運行されている。
大坂さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
本線と言う言葉が無くなった理由をご存じですか?
昔はすべて入っていたのですが、最近無いのに気が付きました。
@@Yukkuri-Lab さん、JR四国は、本線と呼ぶのは相応しくないとの考えで簡略化したのでは。
でも留萌本線はまだ本線ですよね。四国の人々はみっともないということや当たり前をよく理解しているのでしょうね。
@@Yukkuri-Lab さん、その留萌本線も、再来年度には、全廃される予定。
集煙装置は、元々、敦賀式が大元で、後藤、鷹取、多度津も同型の座布団のようなのを使いました。多度津は使いやすさを考慮して両サイドを切り詰めた多度津式を開発し、それに倣って鷹取式、後藤式ができたようです。多度津式は鷹取式などより一回り大きいものだったようで、初期は角ばってもいました。また、鷹取式の初期のC58用は底が腹太でした。鷹取式に後藤工場も倣って鷹取式と同型にしましたが、多度津式鷹取式が6本足だったのを4本足に省略したようですが、鷹取も4本足にしたかもしれません。
それぞれD51用、C57用、C58用などがありましたが、D51用をC57やC58に流用したり、C58用は使われなくなりC57用を流用したりしました。
C58好き集煙付好きにはご褒美動画ですね(笑)
ほんわか慎さん、ご視聴頂きありがとうございます。
鷹取式のC58は支柱が2本のもありますね。動画の亀山のは二本じゃなかったかな。
私は敦賀式デカくて格好良いと思いますが、長野式の前が穴が開いているのが好きなんです。
なんか四国はC58が
よく似合う路線なんだよ~
それでも四国は夏場に
カマの水が不足になることも
あったらしく
夏場の水の確保にかなり
神経を使っていたから
無煙化は現場からすれば
水の確保から開放されるから
無煙化を早くやって星海でした
なお集煙装置には手動式と真空式の2種類ありました
高橋さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。大歩危の峠、高知からの峠があって短いのですがかなり苦労するのが土讃線だと伺いました。
昔の宇野駅は181系特急「うずしお」や153系急行「鷲羽」など優等列車で賑わっていたのが懐かしいです
特急すら走っていなかった四国が都市部にもまだ蒸機が残っていた時代にさっさと無煙化を達成したのは不思議でしたが四国出身の十河総裁が尽力されたとは初めて知りました
シロクニさん、ご視聴頂きありがとうございます。四国が無縁化したとき、まだ東京にも蒸気があり、とても違和感がありました。今回動画を作ったのはその理由が分かったからなんです。
四国は、寝台特急「瀬戸」で金比羅詣でに行ったきりだなぁ。客車に乗ったのはこれだけ。
ワキ700は元々魚雷運搬用貨車で扉が偏った位置にあるのはこの為。
魔理沙、宇野線には珍品「クモハ84」がいたことも忘れないでね。
と、大元駅から「岡山臨港鉄道」なる、ロッド式L型機関車が貨車をゴトゴト、黒帽子の日車製気動車がトコトコ走る鉄道があったはず。
いあさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。ワキ700は吹田の特集のときに紹介しました。回天輸送用もあったらしいです。
クモハ84?と思い調べましたが、かなり新しいものですね。私はそのあたりの鉄道の事がすっかり欠落しているのです。
ロッド式のDLは良いですね。どこかの国で入換しているのを飽きずに見とれていました。
高知人の父に聞いても「小豆島エック」なんて初耳だそうで…。なんなんですかね…。
駿さん、ご視聴頂きありがとうございます。別の視聴者様が、船とバスのクーポンがセットになった国鉄の商品と教えていただきました!
@@Yukkuri-Lab なるほどそんなのあったんですね。でもバスってなんのバスですかね?船は宇高連絡船だろうけど。
やはり四国はあまり大きなSLが走っていないみたいですな
大きくてD51というところがなんとも
電光刑事さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
D51の写真ってあまり見ません。デカすぎなのでしょうか。無煙化の邪魔になるのかな?
四国の蒸気機関車は、C58とC11形が配置されていたが、既に昭和40年代に入ると、DF50形によって無煙化が早く達成した。
旅客列車もキハ58系やキハ65形の急行気動車やキハ181系特急気動車が入って、客車牽引機は、DF50形とDE10形、キハ17形やキハ22形が占めていた。
大坂さん、四国に新幹線は将来来るでしょうか?
@@Yukkuri-Lab さん、計画はあるが、財務状況を考えれば、建設は不可能かという。
無煙化が早かったのもあるのでしょうが、四国の蒸機で思い浮かぶのはC58くらいです…
今回の動画で知る事が多々あり、D51のの運用も初耳でした
C58の急行運用とかあったのでしょうか?
第二部があったらと個人的に期待しています。
デカミツさん、ご視聴頂きありがとうございます。あまり興味を引く蒸気ではないのばかりですよね。このためアピールポイントを示して皆さんの関心を掻き立てようと思う構成にしてみました。次回は四国の別のところが出来ればと思います。