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貴重な映像ありがとうございます♪しかも綺麗な映像😂
稲尾和久投手、中西太選手、豊田泰光選手、大下弘選手、藤田元司投手、水原監督、三原脩監督と懐かしい顔がフィルムに残っている貴重な動画ですね。西鉄ライオンズの栄光の瞬間。素晴らしいシリーズでした。やはり日本プロ野球が盛り上がって日本シリーズで対決する時期に皆がテレビやラジオで応援するのが幸せだと思います。中西太さん、杉下茂さん、北別府さんが亡くなり寂しくなりました。天国で中西さんや杉下さんが北別府さんに、お前はまだ早すぎるぞ!と言われている気がします。🌠🌠🌠
子供の頃は、福岡在住で、大の西鉄ファンでした。その後、大阪に移り、西鉄もだんだん弱くなって、自然と阪神ファンになりましたが、やはり、この時代の西鉄は、プロ野球史上に燦然と輝く至宝だと思います。優等生、紳士と言われてもてはやされた読売と対照的に、日本の果てのローカル軍団が破天荒な野武士野球で天下を制覇した古き良き、昭和のシンボルだった。
広島同様福岡もまだ政令都市になっていなかっただなぁ。今は福岡も広島も堂々たる大都会である。東京、大阪、名古屋の日本3大都市には負けるが。2024年11月28日
前年に内閣総理大臣になった岸信介が観戦している。最初の観客の顔アップシーンの人。
稲尾4勝2敗47イニング。豊田4本塁打。中西3本塁打。やっぱりこの三人化け物。
もう一回、こんな、野武士のチームの野球⚾️観てみたいわい!
稲尾さんは外国人相手の講演会では、冒頭で「私は42勝したピッチャーです。」と語り、聴衆が"な〜んだ、その程度の勝ち星が_| ̄|○"と反応するのを確認してから「1961年のワンシーズンで、」と付加え、会場全体が驚嘆に包まれるのを楽しむという鉄板の掴みを持っていたらしい^o^。
あの当時の九州のチームは移動だけでも大きなハンデだったろうな
小学5年生でした・・この《昭和33年大逆転勝利》はハッキリと胸に刻まれてます。三原監督以下チームがまさに《一丸》になりました。
稲尾投手ばかりが注目されるのは至極当然なのですが、この年の日本シリーズで稲尾投手以外で唯一、第二戦で先発しているアンダー気味のサイドスローの島原幸雄投手も良い投手だったんですよね⚾️このシリーズでは初回に打ち込まれて負け投手になりましたが、この2年前には25勝もあげています。1957年のシーズン途中の怪我が悔やまれます😢
データで調べさせてもらいました。松山東高校、名門旧制松山中学の後継になるのかな。大柄な気が優しいタイプの好漢だったでしょうね。
河村英文さん、西村貞朗さんも良い投手でしたよ。よその球団ならエースになっています。この時代の宿命と言いますか、稲尾さん、島原さん含め皆さん20代中盤でピークを過ぎてしまいましたが。
@@一山秀一 確かに河村さん、西村さんも複数回20勝以上を挙げた良い投手でしたね。やはり、皆さん、先発にリリーフに、若い時に投げすぎたのでしょうね。
長嶋選手の第7戦のランニングホームラン。リアルでは知らないですが、最も長嶋選手らしいパフォーマンスと思っています。華麗でスイング、躍動感あふれる走塁、派手でいてあまり意味のないスライディング。そしてなにより相手が鉄腕・稲尾。前日のファール・フライのお返しですよ。
豊田さんがボールも来てないのに滑るやつがいるのか。可愛い奴だな!って言ってました。
当時の西鉄のラインナップがやっぱり凄いです。大下さんはプロ野球のレジェンドだし、関口さんも凄い選手。トップバッターの高倉さん、仰木さんも皆さん良くご存知かと。近鉄では仰木さんが監督。関口さんがコーチでした。その後、仰木さんはオリックスの監督も務められました。キャッチャーは日比野さんから和田(博実)さんへ世代交代する時期でした。和田さんは後に指導者となりますが西武ライオンズで多くの名選手を育て上げ黄金時代に導かれました。圧倒的な西鉄不利の流れを変えたのが、雨天中止による第四戦の延期だとも言われています。実際に雨は早々に止み試合に影響しない程だったそうで水原監督からクレームがあったそう。これぞ、三原マジックかも知れませんね。そして、第5戦、小淵さんの小淵さんのサード強襲ヒット。今も語り継がれるポイントの場面ですね。
この動画の13年前が終戦ってすごいよな、
1:35堀内庄投手のフォーム、ダイナミックなフォームでリンスカムやんけ!と思わず言ってしまった。
西鉄は後半戦38勝10敗のハイペース。南海も、頑張った。それだけ価値がある。
稲尾のサヨナラホームランは初球ではなくて、二球目です。
此の試合ラジオで聞きました!😮最高の試合でした!中西太さんの打撃が今でも残っています!凄い選手でした!ご冥福をお祈りします。合唱😢
私も中学3年の時、最終戦を学校の用務員室のラジオで聞きました。まわりは巨人ファンばかりでしたが自分だけが西鉄を応援しました。(もちろん黙って)
@@kyoshinsano1613 当時東京、福岡どっちに住んでいました?もし東京ならば、仕方がない。僕は、長崎、福岡県久留米市、そして昭和47年1972年の夏小学校3年の時に広島に移った。その約2年後の昭和49年1974年のシーズンからプロ野球を見るようになり、広島ファンではなく、巨人ファンです。ちょうど巨人が中日にV10を阻止されて、翌年には広島が初優勝して、巨人は初の最下位になった。周りが広島ファンばかりで自分だけ巨人ファンでいたため手間取っていた。 今でも埼玉西武ライオンズファン?
すげぇ現代的な方やな
最後のパレードの映像、福岡市内の当時の様子が知れて貴重ですね。
第7戦、9回長嶋の打席は2アウトからではなく、先頭バッターです。その後、藤尾、川上、宮本と続けて凡退。試合終了。
65年前の貴重な動画、有りが等御座います❗巨人ファンですが、将に「三原マヂック」でしたね🎉西鉄の強さは、なみたいでなかったです❗「神様、稲尾様」でした‼️今では、考えられない42勝に、「稲尾様」の「スーパーマン」でしたね❤私は「堀内」さんの「ドロップ」に、子供👦の頃、ビックリでした🎉今は「死語」ですが、「フォークボール」の事でしょうか?改めて貴重な動画に、感謝致します‼️
元西武🦁監督の現役時代。広岡さん
第五戦、1点behindのの最終回、調子の戻ってきた中西が倒れてあと1アウトでジエンドという絶体絶命のピンチで調子のよくない関口選手がよく打ちました(ワタシの生まれる前んぼことなのでよくわからないですが)。サヨナラホームランの稲尾、ピッチャーと思えない素晴らしいスイングしているような気がします。1戦目2戦目とボコボコにされたのに、ホントよく巻き返しましたね。西鉄ライオンズは福岡の、九州の誇りですね。
当時の投手起用は無茶苦茶で登板過多
全くです。藤田さんも連投で打たれたのでは気の毒でした。
試合のポイントを編集したニュース画像だが、戦いの熱気が良く伝わります。面白い日本シリーズだったでしょう。巨人堀内投手はフォームが堀内恒夫ににていますが堀内庄投手ですね。巨人も西鉄も好選手がいたがやはり勝負の決め手は稲尾だったと思う。豊田は気骨ある水戸っぽだが、西鉄にぴったりの選手でした。後年、デーブ大久保が西鉄の後進の西武に1位指名されたのは何かのご縁かな、、、てなことないか。
ライオンズ、凄い‼️だけど藤田元司さんのピッチングホーム、良かったな。稲尾さん、肘が下がってきつそうでした。
昭和33年10月1日に東京駅~鹿児島駅に寝台特急はやぶさが誕生した。※西鹿児島駅は通過。6日後の10月7日に西鉄選手が博多駅からいざ戦いのためはやぶさに乗車したのか。はやぶさの受け持ち車掌区は伝統的に九州持ちで博多車掌区だった。帰りは博多車掌区の車掌さんも誇り高かったことだろう。おめでとうと声がけしたに違いない。因みに九州行きさくら・富士は東京車掌区で渥美清さんが映画の車掌役で活躍し出世作になった。
今は、東海道新幹線、山陽新幹線、九州新幹線が東京-鹿児島中央間が開通したためにロードゲームの移動が楽になった。
昭和33年10月と言うと東京−九州間の寝台特急は3往復(長崎行平和号、博多行あさかぜ号、鹿児島行はやぶさ号)のみで東京から博多に向かう時は時間帯からして、あさかぜ号(18時30発発)とはやぶさ号(19時10分発)に分乗して移動したそうです。後楽園で連敗した西鉄ナインに対して三原監督は気分転換を兼ねて食堂車での飲食飲酒を監督持ちで自由にさせたそうでそのため食堂車での酒類の在庫が切れて静岡駅で臨時に積み込んだエピソードがあったそうです。当時の九州特急の特急券の入手は厳しかったそうですが、親会社西日本鉄道の威光で融通が効いたそうです…。
あの所沢移転後の西武黄金時代より強いとまで言われる史上最強のライオンズ。
神様仏様稲尾様が居られる段階で(;^ω^)対戦相手がONでも勝てなかった
なにより魅力的な選手が集まっていて野球がおもしろい。堤西武ライオンズはつまらん。
当時、黄金時代の西鉄だったらメジャーリーグの下位チームにも堂々渡り合い勝てると言われていたそうです。
西鉄は奇跡の優勝だったね。
高い評価ありがとうございます。
今はもうない西鉄の猛者と呼ばれるメンバーたちをはじめて見ました。テレビで似たのが皮肉なことに巨人にトレードした高倉さんでした。
西鉄はペナントレースで南海に11ゲーム差を引き離されての逆転優勝、日本シリーズでは巨人に3連敗の後4連勝の逆転優勝これは他に未だにこの年の西鉄ライオンズだけである。令和5年2023年8月1日
土俵際に強い西鉄
@@朗高木-c5n 逆転のライオンズと先攻逃げ切りのホークス。
懐かしいですね。確かこの映像、1988年2月?だったか福岡の民放・FBSで放送された「熱球の譜」という番組でも使われましたっけ。
このシリーズについては、他の方も沢山アップされていますが、第5戦9回裏先頭小渕のツーベースヒットと抗議する長嶋が含まれているこの映像は貴重ですね。あのヒットの直前ボール臭い球をストライク判定したのはセ・リーグ所属の円城寺球審。その時苦虫を噛み潰したような顔をしていたパ・リーグ所属の二出川塁審。その直後の際どい打球とフェア判定でした。当時は審判も所属リーグに分かれての対抗意識が強かった様です。
第五戦の豊田さんのバント、あれは有名ですよね。
王手を掛けられた試合で1点ビハインドの9回、ランナー1塁。バッターはシリーズ絶好調の豊田。送るべきか、打つべきか。次打者はシリーズでは不調な中西。豊田が三原監督を見ると、しれーっとノーサインだった。そこで豊田が表情を変えてサインを迫ったところ、監督のサインは・・・「オマエにまかせる」だったとか。あ、そうそう続く中西さんの初球サードゴロの映像は初めて見ました!中西さん曰く、「生涯で一番忘れられない打席」なんだそうです。土壇場で絶好調のトヨが送ってくれた、4番として責任ある打席での大失態だったと。
アメリカ大リーグのワールドシリーズでは、ストレート勝ちは何度もあるが、3連敗の後の4連勝は長い歴史の中で、未だにない。2023年令和5年7月
神様仏さま稲尾さま
当時の西鉄は、巨人に対抗する全国区だと思う‼️😃当時生きてれば西鉄を応援してた。関西(三重)出身の俺より😛
僕がこの年に生まれていて、野球を見ていたら、巨人にこの年はストレート勝ちをして欲しかった。ところが西鉄側が朝8時頃に早々と第4戦を中止にしたためにストレート勝ちどころか、その後4連敗をしてしまった。噂では稲尾さんを休ませるためと福岡以外の九州各地長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島、佐賀の遠方からの貸切バスや自家用車などで観戦しに来るために平和台球場に来る前に決めたのではないかと、見ている。来てから中止にするとせっかく来たのにとならんようにした。昭和39年1964年1月生まれの60歳、先日定年を迎えた。野球を見始めたのは昭和49年1974年のシーズンから、従って、巨人が3期に渡る黄金時代に終焉。長島さん、森さん、黒江さんが引退した。令和6年2024年2月26日
妖怪の顔がサブリミナルみたいに見えたような...
サッカーの神様ペレとミスター長嶋茂雄がブレークした年。
第五戦で九回に西鉄の小淵の三塁線の打球をフェアで二出川塁審が「俺がルールブックだ」は有名な話。長嶋、水原を相手にまったく判定を変えない態度は審判の威厳を感じた。ちなみに二出川塁審はベーブ・ルースの来日した時に全日本軍選手の一員。
移動も在来線の特急、急行列車まだ東海道新幹線が開通する6年前。
巨人は22回日本一になっているが、ストレート負けが5回ある。逆転日本一も3回許している。一方西鉄西武は13回日本一になっているが、ストレート負けが1回、逆転日本一を許していない。ストレート勝ちが2回、逆転日本一は6回ある。令和5年2023年終了時点
阿佐田哲也大人のギャンブル論でいえば、この本来あってはならない「奇蹟」で、西鉄はすべての運を使い果たした。
神様仏様稲尾様😂
今から40年ほど前映像なのに相当な昔に感じますね。
巨人はこの前年西鉄にストレート負けをしているために、第4戦で決めたかったろう。雨で中止になったのが流れを変えたのではないか?
過去3連勝3連敗3連敗3連勝になったケースは4回あって、逆転王手を掛けたチームの3勝1敗だが、勝つたのはいずれもビジターチーム。 令和5年2023年6月
三原西鉄が水原巨人に3連勝
小久保監督のせいで掘り返されるの草
ライオンズは九州に 戻って欲しい!
ホークスも、関西に、帰って欲しい!
嫌もうホークスは完全に福岡並びに九州に定着している。ライオンズも埼玉県所沢市並びに関東地区の球団に定着している。
第1戦観戦に故安倍晋三元総理大臣の叔父で安保内閣と言われた岸信介総理大臣がいました!
第7戦、2アウトから長嶋ランニングホームラン、次が最終打者宮本凡退で試合終了と説明があるが、打順として4番長嶋、5番藤尾、6番川上、7番坂崎→宮本、なので、長嶋が9回の先頭打者。宮本の前に川上が現役最後の打席でレフトフライ。
ブルートレイン以前の夜行列車が良いね?
昭和20年代のプロ野球映像だと手投げ投法が多いけど30年代になると全身を使った投法が多いように見えるが映像のせい?
球界の魔術師仰木彬が出ている
阿片=岸信介
巨人には悪太郎の前にも堀内ってピッチャーがいた。堀内庄。悪太郎に俺よりすごいカーブを投げると言わしめた。
藤田さん投げすぎじゃね?
稲尾稲尾雨稲尾!
大リーグのワールトシリーズでの逆転優勝は何度もある。
失礼堀口氏
藤田滅多打ち。
投手陣はともかく、デストラーデと清原をタイムスリップして組み込んだらもっと楽に勝てますかね?
当時の西鉄ライオンズサード中西、ショート豊田、ライト大下は競技者表彰で殿堂入り選手。センター高倉、レフト関口、キャッチャー和田はオールスター常連選手。ファースト河野、セカンド仰木が他のポジションに比べると弱いです。
このシリーズで川上哲治は現役を引退し入れ替わりな形で王貞治が入団しあ
他に投手いないんかい
1:44この頃から悪太郎氏デビューしてたか。
悪太郎の堀内さんではなく初代堀内と言われた、堀内庄さんですね。
堀内ってこのころから投げてたのか びっくり
この堀内は、堀内恒夫じゃないよ。
この堀内は堀内庄
貴重な映像ありがとうございます♪しかも綺麗な映像😂
稲尾和久投手、中西太選手、豊田泰光選手、大下弘選手、藤田元司投手、水原監督、三原脩監督と懐かしい顔がフィルムに残っている貴重な動画ですね。西鉄ライオンズの栄光の瞬間。素晴らしいシリーズでした。やはり日本プロ野球が盛り上がって日本シリーズで対決する時期に皆がテレビやラジオで応援するのが幸せだと思います。
中西太さん、杉下茂さん、北別府さんが亡くなり寂しくなりました。
天国で中西さんや杉下さんが北別府さんに、お前はまだ早すぎるぞ!と言われている気がします。🌠🌠🌠
子供の頃は、福岡在住で、大の西鉄ファンでした。その後、大阪に移り、西鉄もだんだん弱くなって、自然と阪神ファンになりましたが、やはり、この時代の西鉄は、プロ野球史上に燦然と輝く至宝だと思います。優等生、紳士と言われてもてはやされた読売と対照的に、日本の果ての
ローカル軍団が破天荒な野武士野球で天下を制覇した古き良き、昭和のシンボルだった。
広島同様福岡もまだ政令都市になっていなかっただなぁ。今は福岡も広島も堂々たる大都会である。東京、大阪、名古屋の日本3大都市には負けるが。2024年11月28日
前年に内閣総理大臣になった岸信介が観戦している。最初の観客の顔アップシーンの人。
稲尾4勝2敗47イニング。豊田4本塁打。中西3本塁打。やっぱりこの三人化け物。
もう一回、こんな、野武士のチームの野球⚾️観てみたいわい!
稲尾さんは外国人相手の講演会では、冒頭で「私は42勝したピッチャーです。」と語り、聴衆が"な〜んだ、その程度の勝ち星が_| ̄|○"と反応するのを確認してから「1961年のワンシーズンで、」と付加え、会場全体が驚嘆に包まれるのを楽しむという鉄板の掴みを持っていたらしい^o^。
あの当時の九州のチームは移動だけでも大きなハンデだったろうな
小学5年生でした・・この《昭和33年大逆転勝利》はハッキリと胸に刻まれてます。三原監督以下チームがまさに《一丸》になりました。
稲尾投手ばかりが注目されるのは至極当然なのですが、この年の日本シリーズで稲尾投手以外で唯一、第二戦で先発しているアンダー気味のサイドスローの島原幸雄投手も良い投手だったんですよね⚾️このシリーズでは初回に打ち込まれて負け投手になりましたが、この2年前には25勝もあげています。1957年のシーズン途中の怪我が悔やまれます😢
データで調べさせてもらいました。松山東高校、名門旧制松山中学の後継になるのかな。大柄な気が優しいタイプの好漢だったでしょうね。
河村英文さん、西村貞朗さんも良い投手でしたよ。
よその球団ならエースになっています。
この時代の宿命と言いますか、稲尾さん、島原さん含め皆さん20代中盤でピークを過ぎてしまいましたが。
@@一山秀一 確かに河村さん、西村さんも複数回20勝以上を挙げた良い投手でしたね。やはり、皆さん、先発にリリーフに、若い時に投げすぎたのでしょうね。
長嶋選手の第7戦のランニングホームラン。リアルでは知らないですが、最も長嶋選手らしいパフォーマンスと思っています。華麗でスイング、躍動感あふれる走塁、派手でいてあまり意味のないスライディング。そしてなにより相手が鉄腕・稲尾。前日のファール・フライのお返しですよ。
豊田さんがボールも来てないのに滑るやつがいるのか。可愛い奴だな!って言ってました。
当時の西鉄のラインナップがやっぱり凄いです。
大下さんはプロ野球のレジェンドだし、関口さんも凄い選手。
トップバッターの高倉さん、仰木さんも皆さん良くご存知かと。
近鉄では仰木さんが監督。関口さんがコーチでした。
その後、仰木さんはオリックスの監督も務められました。
キャッチャーは日比野さんから和田(博実)さんへ世代交代する時期でした。
和田さんは後に指導者となりますが西武ライオンズで多くの名選手を育て上げ
黄金時代に導かれました。
圧倒的な西鉄不利の流れを変えたのが、雨天中止による第四戦の延期だとも言われています。
実際に雨は早々に止み試合に影響しない程だったそうで水原監督からクレームがあったそう。
これぞ、三原マジックかも知れませんね。
そして、第5戦、小淵さんの小淵さんのサード強襲ヒット。
今も語り継がれるポイントの場面ですね。
この動画の13年前が終戦ってすごいよな、
1:35
堀内庄投手のフォーム、ダイナミックなフォームでリンスカムやんけ!と思わず言ってしまった。
西鉄は後半戦38勝10敗のハイペース。南海も、頑張った。それだけ価値がある。
稲尾のサヨナラホームランは初球
ではなくて、二球目です。
此の試合ラジオで聞きました!😮最高の試合でした!中西太さんの打撃が今でも残っています!凄い選手でした!ご冥福をお祈りします。合唱😢
私も中学3年の時、最終戦を学校の用務員室のラジオで聞きました。まわりは巨人ファンばかりでしたが自分だけが西鉄を応援しました。(もちろん黙って)
@@kyoshinsano1613 当時東京、福岡どっちに住んでいました?もし東京ならば、仕方がない。僕は、長崎、福岡県久留米市、そして昭和47年1972年の夏小学校3年の時に広島に移った。その約2年後の昭和49年1974年のシーズンからプロ野球を見るようになり、広島ファンではなく、巨人ファンです。ちょうど巨人が中日にV10を阻止されて、翌年には広島が初優勝して、巨人は初の最下位になった。周りが広島ファンばかりで自分だけ巨人ファンでいたため手間取っていた。 今でも埼玉西武ライオンズファン?
すげぇ現代的な方やな
最後のパレードの映像、福岡市内の当時の様子が知れて貴重ですね。
第7戦、9回長嶋の打席は2アウトからではなく、先頭バッターです。その後、藤尾、川上、宮本と続けて凡退。試合終了。
65年前の貴重な動画、有りが等御座います❗
巨人ファンですが、将に「三原マヂック」でしたね🎉西鉄の強さは、なみたいでなかったです❗
「神様、稲尾様」でした‼️
今では、考えられない42勝に、「稲尾様」の「スーパーマン」でしたね❤
私は「堀内」さんの「ドロップ」に、子供👦の頃、ビックリでした🎉今は「死語」ですが、「フォークボール」の事でしょうか?
改めて貴重な動画に、感謝致します‼️
元西武🦁監督の現役時代。広岡さん
第五戦、1点behindのの最終回、調子の戻ってきた中西が倒れてあと1アウトでジエンドという絶体絶命のピンチで調子のよくない関口選手がよく打ちました(ワタシの生まれる前んぼことなのでよくわからないですが)。サヨナラホームランの稲尾、ピッチャーと思えない素晴らしいスイングしているような気がします。1戦目2戦目とボコボコにされたのに、ホントよく巻き返しましたね。西鉄ライオンズは福岡の、九州の誇りですね。
当時の投手起用は無茶苦茶で登板過多
全くです。藤田さんも連投で打たれたのでは気の毒でした。
試合のポイントを編集したニュース画像だが、戦いの熱気が良く伝わります。面白い日本シリーズだったでしょう。
巨人堀内投手はフォームが堀内恒夫ににていますが堀内庄投手ですね。巨人も西鉄も好選手がいたがやはり勝負の決め手は稲尾だったと思う。
豊田は気骨ある水戸っぽだが、西鉄にぴったりの選手でした。後年、デーブ大久保が西鉄の後進の西武に1位指名されたのは何かのご縁かな、、、てなことないか。
ライオンズ、凄い‼️だけど藤田元司さんのピッチングホーム、良かったな。稲尾さん、肘が下がってきつそうでした。
昭和33年10月1日に東京駅~鹿児島駅に寝台特急はやぶさが誕生した。※西鹿児島駅は通過。
6日後の10月7日に西鉄選手が博多駅からいざ戦いのためはやぶさに乗車したのか。
はやぶさの受け持ち車掌区は伝統的に九州持ちで博多車掌区だった。
帰りは博多車掌区の車掌さんも誇り高かったことだろう。おめでとうと声がけしたに違いない。
因みに九州行きさくら・富士は東京車掌区で渥美清さんが映画の車掌役で活躍し出世作になった。
今は、東海道新幹線、山陽新幹線、九州新幹線が東京-鹿児島中央間が開通したためにロードゲームの移動が楽になった。
昭和33年10月と言うと東京−九州間の寝台特急は3往復(長崎行平和号、博多行あさかぜ号、鹿児島行はやぶさ号)のみで東京から博多に向かう時は時間帯からして、あさかぜ号(18時30発発)とはやぶさ号(19時10分発)に分乗して移動したそうです。
後楽園で連敗した西鉄ナインに対して三原監督は気分転換を兼ねて食堂車での飲食飲酒を監督持ちで自由にさせたそうでそのため食堂車での酒類の在庫が切れて静岡駅で臨時に積み込んだエピソードが
あったそうです。
当時の九州特急の特急券の入手は厳しかったそうですが、親会社西日本鉄道の威光で融通が効いたそうです…。
あの所沢移転後の西武黄金時代より強いとまで言われる史上最強のライオンズ。
神様仏様稲尾様が居られる段階で(;^ω^)
対戦相手がONでも勝てなかった
なにより魅力的な選手が集まっていて野球がおもしろい。堤西武ライオンズはつまらん。
当時、黄金時代の西鉄だったら
メジャーリーグの下位チームにも堂々渡り合い勝てると言われていたそうです。
西鉄は奇跡の優勝だったね。
高い評価ありがとうございます。
今はもうない西鉄の猛者と呼ばれるメンバーたちをはじめて見ました。
テレビで似たのが皮肉なことに巨人にトレードした高倉さんでした。
西鉄はペナントレースで南海に11ゲーム差を引き離されての逆転優勝、日本シリーズでは巨人に3連敗の後4連勝の逆転優勝これは他に未だにこの年の西鉄ライオンズだけである。令和5年2023年8月1日
土俵際に強い西鉄
@@朗高木-c5n 逆転のライオンズと先攻逃げ切りのホークス。
懐かしいですね。確かこの映像、1988年2月?だったか福岡の民放・FBSで放送された「熱球の譜」という番組でも使われましたっけ。
このシリーズについては、他の方も沢山アップされていますが、第5戦9回裏先頭小渕のツーベースヒットと抗議する長嶋が含まれているこの映像は貴重ですね。
あのヒットの直前ボール臭い球をストライク判定したのはセ・リーグ所属の円城寺球審。その時苦虫を噛み潰したような顔をしていたパ・リーグ所属の二出川塁審。その直後の際どい打球とフェア判定でした。
当時は審判も所属リーグに分かれての対抗意識が強かった様です。
第五戦の豊田さんのバント、あれは有名ですよね。
王手を掛けられた試合で1点ビハインドの9回、ランナー1塁。
バッターはシリーズ絶好調の豊田。
送るべきか、打つべきか。
次打者はシリーズでは不調な中西。
豊田が三原監督を見ると、しれーっとノーサインだった。
そこで豊田が表情を変えてサインを迫ったところ、監督のサインは・・・
「オマエにまかせる」だったとか。
あ、そうそう続く中西さんの初球サードゴロの映像は初めて見ました!
中西さん曰く、「生涯で一番忘れられない打席」なんだそうです。
土壇場で絶好調のトヨが送ってくれた、4番として責任ある打席での大失態だったと。
アメリカ大リーグのワールドシリーズでは、ストレート勝ちは何度もあるが、3連敗の後の4連勝は長い歴史の中で、未だにない。2023年令和5年7月
神様仏さま稲尾さま
当時の西鉄は、巨人に対抗する全国区だと思う‼️😃当時生きてれば西鉄を応援してた。関西(三重)出身の俺より😛
僕がこの年に生まれていて、野球を見ていたら、巨人にこの年はストレート勝ちをして欲しかった。ところが西鉄側が朝8時頃に早々と第4戦を中止にしたためにストレート勝ちどころか、その後4連敗をしてしまった。噂では稲尾さんを休ませるためと福岡以外の九州各地長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島、佐賀の遠方からの貸切バスや自家用車などで観戦しに来るために平和台球場に来る前に決めたのではないかと、見ている。来てから中止にするとせっかく来たのにとならんようにした。昭和39年1964年1月生まれの60歳、先日定年を迎えた。野球を見始めたのは昭和49年1974年のシーズンから、従って、巨人が3期に渡る黄金時代に終焉。長島さん、森さん、黒江さんが引退した。令和6年2024年2月26日
妖怪の顔がサブリミナルみたいに見えたような...
サッカーの神様ペレとミスター長嶋茂雄がブレークした年。
第五戦で九回に西鉄の小淵の三塁線の打球をフェアで二出川塁審が「俺がルールブックだ」は有名な話。長嶋、水原を相手にまったく判定を変えない態度は審判の威厳を感じた。ちなみに二出川塁審はベーブ・ルースの来日した時に全日本軍選手の一員。
移動も在来線の特急、急行列車まだ東海道新幹線が開通する6年前。
巨人は22回日本一になっているが、ストレート負けが5回ある。逆転日本一も3回許している。一方西鉄西武は13回日本一になっているが、ストレート負けが1回、逆転日本一を許していない。ストレート勝ちが2回、逆転日本一は6回ある。令和5年2023年終了時点
阿佐田哲也大人のギャンブル論でいえば、この本来あってはならない「奇蹟」で、西鉄はすべての運を使い果たした。
神様仏様稲尾様😂
今から40年ほど前映像なのに相当な昔に感じますね。
巨人はこの前年西鉄にストレート負けをしているために、第4戦で決めたかったろう。雨で中止になったのが流れを変えたのではないか?
過去3連勝3連敗3連敗3連勝になったケースは4回あって、逆転王手を掛けたチームの3勝1敗だが、勝つたのはいずれもビジターチーム。 令和5年2023年6月
三原西鉄が水原巨人に3連勝
小久保監督のせいで掘り返されるの草
ライオンズは九州に 戻って欲しい
!
ホークスも、関西に、帰って欲しい!
ホークスも、関西に、帰って欲しい!
嫌もうホークスは完全に福岡並びに九州に定着している。ライオンズも埼玉県所沢市並びに関東地区の球団に定着している。
第1戦観戦に故安倍晋三元総理大臣の叔父で安保内閣と言われた岸信介総理大臣がいました!
第7戦、2アウトから長嶋ランニングホームラン、次が最終打者宮本凡退で試合終了と説明があるが、打順として4番長嶋、5番藤尾、6番川上、7番坂崎→宮本、なので、長嶋が9回の先頭打者。宮本の前に川上が現役最後の打席でレフトフライ。
ブルートレイン以前の夜行列車が良いね?
昭和20年代のプロ野球映像だと手投げ投法が多いけど30年代になると全身を使った投法が多いように見えるが映像のせい?
球界の魔術師仰木彬が出ている
阿片=岸信介
巨人には悪太郎の前にも堀内ってピッチャーがいた。堀内庄。悪太郎に俺よりすごいカーブを投げると言わしめた。
藤田さん投げすぎじゃね?
稲尾稲尾雨稲尾!
大リーグのワールトシリーズでの逆転優勝は何度もある。
失礼堀口氏
藤田滅多打ち。
投手陣はともかく、デストラーデと清原をタイムスリップして組み込んだらもっと楽に勝てますかね?
当時の西鉄ライオンズ
サード中西、ショート豊田、ライト大下は競技者表彰で殿堂入り選手。
センター高倉、レフト関口、キャッチャー和田はオールスター常連選手。
ファースト河野、セカンド仰木が他のポジションに比べると弱いです。
このシリーズで川上哲治は現役を引退し入れ替わりな形で王貞治が入団しあ
他に投手いないんかい
1:44この頃から悪太郎氏デビューしてたか。
悪太郎の堀内さんではなく初代堀内と言われた、堀内庄さんですね。
堀内ってこのころから投げてたのか びっくり
この堀内は、堀内恒夫じゃないよ。
この堀内は堀内庄