【福岡市博物館】第16回福岡市史講演会(3)「弥生時代の始まりと福岡平野」宮本一夫

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  • Опубліковано 17 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 3

  • @ともさん-j9d
    @ともさん-j9d 2 роки тому +2

    朝鮮から文化が伝わった、ということに疑問を感じます。なぜ世界最古の磨製石器が日本にあるのでしょうか?

    • @sunsun2181
      @sunsun2181 Рік тому

      たぶん、日本人の平均IQは世界一なのですが、おそらく縄文時代から、発明とか工夫ができたのかなと思います。磨製石器はその発明の1つではないかと思います。
      稲が朝鮮半島から来ている説明になっているのですが、他の学者だと「縄文時代末期、中国大陸南部から台湾―沖縄経由で縄文人がもらってきた」という別の学説もあります。
      なぜなら、ジャポニカ米は暖地でないと生育しないです。揚子江流域に育っていたとあります。米は改良されて初めて、寒い地域でも育つようになるからでして、古代はまだ品種改良なんてできません。
      ただ、墓の傾向や青銅技術は、朝鮮半島から来ているようです。
      ただし、その時代に朝鮮半島に住んでいた人々は、必ずしも朝鮮民族ではないです。
      いわゆる今の中国人の先祖です、シナ人先祖とか、漢民族の先祖か、少数派民族の先祖かわかりません。そういう人から縄文人たちは、大陸を行き来していたので、教えてもらったのでしょう。結婚もしたと思います。
      米は、どちらのルートからも米は来たと思いますが、遺跡として残ったのが九州北部で、対馬経由でシナ人先祖にもらったのかもです。海流をみれば、どちらもあり得ます。
      弥生人が来る前から、もう米は中国大陸からもらってきていたのです。
      なにせ、九州南部は桜島とか、火山が多いので、火山灰で稲はうまく育ちませんから。5,6世紀まで、南九州は農作物があまり生えない、「貧しい土地」だったようです。
      たまたま、うまく九州北部は平野もあり、火山の影響もないし、稲作が一番早く成功して水田になるほどだったのかなと思います。

    • @ともさん-j9d
      @ともさん-j9d Рік тому

      @@sunsun2181 鹿児島県の火山灰の下から、12000年前の米のプラントオパールが出てますが?