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皆さん、こんにちは。あまり知られていないがんに患者さんの最期。知ることが力につながり、また良い準備につながるのは、他の事柄と同様です。新型コロナによって、看取りも影響を受ける事態が続いており、がんの高度進行期や終末期の患者さんにとってもそうです。これまで多くの方の看取りに携わった立場から改めて、知っておいたほうが良いこのことを動画にしました。ぜひご覧ください。
看取りに関して皆さんのご経験や思うところがありましたら、ぜひコメント欄でお教えください。
貴重なお話しを、有難うございました。経験豊富な緩和院長先生ならではの、現実的なアドバイスですね。デリケートな話題なので、実際にはなかなか、ここまで聴く機会は無かったです。とても勉強になりました🍀
10ヶ月ほど前に実父を見送りました。高齢という事もあったのでしょうが、患部以外の臓器や体力的には良好だったので抗癌治療のための入院での急変でした。自力で病院へ向かえる第一連絡先の私が見送りました。1日くらいでアッという間だったので、本人がどこまでこの展開を予想していたのか、痛みや症状から意識のある数時間の間に覚悟ができていたのか、コロナ禍で孫(私の子ども達)は病室へも入らせてもらえず、妻(実母)や娘(妹)は間に合わなかったことをどのように感じているのだろうとふとした時に考えてしまう10ヶ月でした。医師が「高齢という事もあって急だったけど、今までも88年間、晩年の治療、とてもがんばってきた人生でしたね」と声をかけてくださったことに救われました。
先生、私のアメリカ人の夫なんですが、、、。11月頃から、息切れしたり、軽い頭痛がありました。朝食も、その頃からたべなくなりましたが、夕食は、普通に食べてました。元々、高血圧で糖尿病で、薬を飲んでます。コロナが流行ってた頃、たくさんのビタミン剤を飲んでました。でも、体調が悪いと病院へ行き心臓の弁が悪いと言われ、内視鏡で弁を交換する手術の時、心臓を見ましたが、心臓には全く異常ありませんでした。それ以降、体の皮膚を痛痒くなり、胸、男性の性器に皮膚の不快感があるようです。そして、さらに立っているとき足元がふらつくのです。足を少しでも触ると痛がり、圧力靴下をしてます。左の腕にも圧力のサポーターをしてます。動機、息切れもしていて、頭痛がするようです。最近、目が見にくくなってます。そして、、、朝、起きてトイレに行ったとき、意識を失い倒れて、鼻、顔を怪我しました。突然、目が真っ黒に見えてしまい、怯えてわたしを呼んだこと2回、あります。手の感覚も前から変だといってました。味覚異常になり、何を食べても美味しくなく、吐き気がするそうです。アイスクリームだけは美味しく食べられるそうです。睡眠障害になり、夜は、体が痛痒いので眠れません。昼間、寝てる事が多くなりました。知り合いから強い痛み止めの薬を飲んだから、倒れたと言ってますが、そうは思えません。痛痒いのは手術の時、胸毛などを剃られた為に毛が伸びているとき、痛痒くなると言ってます。脳梗塞でしょうか?癌でしょうか?本人に医者に相談してと言ってるんですが、行きません。11月から、今日に至るまで、ますます、悪くなっていきます。ちなみにコロナ検査5回しても陰性でした。血圧は、下がって、突然、正常値に上がったりします。安定してません。頭痛も激しくなってきてるようです。先生は、これをどのような病気と思われますか?
母と妹がガンでした。二人とも、緩和ケアはなかったです。ただ、母は、この日まで持つかどうか?、妹は、もう覚悟をしてくれと、言われました。二人とも、苦しまずに逝けたと思います
昨日、100歳の祖母が亡くなりました😢ここ2週間で先生の動画をいくつも見ていたので、全てに臨機応変に対応出来ました。モルヒネ使用してましたが、身体のだるさを訴えていたので肩、背中、足のマッサージ何時間も、そして毎日してあげれました。本当の最期の日は、手首の動脈もなく、尿は20ml(多分前の日のかな?)チアノーゼが出てきて下顎呼吸もしました。こちらは案外長く、この時はもう目は開け、瞬きもしておりませんでしたので意識はもうなかったと思います。最期の最期で、先生のおっしゃる通り耳元で「今までありがとう。痛かったろう、もう私は大丈夫だから、心配しないで逝って。また会おう、ずーっとばあちゃんのこと大好きだよ。」とゆっくり聞こえるように言ったら、その5秒後、スーッと息を引き取りました。耳は最後まで聞こえるって本当かもと今でも思ってます。キレイな死に方、看取れたのもこのUA-cam、先生のおかげです。ありがとうございました😊😊😊あの世で再会したらまた一緒にネギ煎餅食べながらお茶飲んでいっぱい話ししようと思います。
ありがとうございました。私は肺腺癌ステージ4です。3週間に一度のアバスチン点滴とタルセバを服用して居ます。あと半年と言われてから、14か所の脳への転移をガンマーナイフで治療してもらい、化学治療と合わせてなんとか3年生き延びました。但し、緩和ケアの詳細が分からなかったので大変助かります。3週間に一度病院に通っています。緩和病棟のベッドが空いていれば、同じ病院で緩和ケアが受けられますが、空いていないとほかに見つけるしかありません。お墓は創らず永代供養のつもりで、お寺の検討もつけてあり、葬儀社も資料は集めて大体きめてあります。一番心配だったのが、最後は麻酔が効かず痛くくなるのが心配でした。緩和ケアへの判断は医師が決められるようですが、通常どれくらい前でしょうか、歩けなくなってからだと大変だという思いがあります。今から思えば胸が変な痛さをよく感じてしばらくすると痛みが治まっていました。60肩だと思って外科病院、接骨院に通っていましたが、ある日突然、指が勝手にぴくぴくしたのでこれはおかしいと思い、たまたま近くにあった、脳内神経科で頭のCTを念のために撮ってもらうと、脳に脳溢血ようなものがあったのですが、すぐに大きな病院にで監査してもらいました。脳への転移が4,5か所あったので、ガンマーナイフは無理なので全能放射と言われましたが、10か所以上でガンマーナイフができる病院を見つけて治療してもらいました。71歳まで生きれたので、特に後悔はないです。今は、大好きな音楽の作詞作曲をMIXしてyou tubeにアップしています。コロナの情報も大変たすかります。RmNAワクチンはどうしても信頼できません。
Covid-19感染拡大の頃より拝聴しておりました。大変貴重な動画をありがとう存じます。2週間前まで元気いっぱいであった母が、閉塞性黄疸からステージⅣの状況にあって、緩和ケアが必要になるとは夢にも思わない日々の真っ只中にいる私にとり、慰めと前進できる力をいただける具体的なアドヴァイスを頂戴致しました。心から感謝申し上げます。
親父は最後痛みで苦しんだので安楽死のできない日本は拷問みたいで嫌だった。治らないのなら一週間の延命とか意味がない状況で少しでも苦しまない方が良いと思いました。
心から尊敬申し上げます。病との闘いはつまるところ苦痛との闘いと思うのですが、緩和医療に携わっておられる先生のような方々が、日々患者や家族の心身の苦痛に向き合っておられるおかげで、多くの方々が救われています。先生方の過酷な現場でのご奮闘に、心から感謝と畏敬の念を捧げたいと思います。
私の弟は膵臓癌になって摘出手術をして、その後肝臓に転移が見つかり31歳で亡くなりました。膵臓癌が発覚してから8年間の闘病でした。最期の2日前、体をバタバタさせお父さんお母さんと叫びながら苦しむ様子がずっと忘れられず、そして何も出来なかった自分がとても情けなく落ち込んでいました。その状況が5時間ぐらい続いた後昏睡状態になり、翌日そのまま旅立ちました。母から聞いた話では最期はゆっくりと大きく呼吸し苦しそうではなくスーッと息を引き取ったという事でした。でも私はもっと昏睡状態が続くかと思い一回自宅に戻ってしまい、最後の瞬間は立ち会えず間に合いませんでした。その事もずっと悔やんでいたのですが、こちらの動画で心肺停止は全細胞が死んだのではないと言う先生のお話を聞いて、救われました。私が着いたのは心肺停止の約40分後ぐらいだったので分かりませんが、もしかしたらまだ耳は聞こえていたかもと思うだけでもとても救われましたし涙が出ました。それと、弟は亡くなる約一週間前、まだ会話ができる時にちゃんと自分から「お姉ちゃんありがとう」と伝えてくれてました。私はその時まさかその数日後に亡くなるとは思ってなかったので「またお見舞い来るから」ぐらいしか言えずそれももっとちゃんと声掛ければ良かったと思っていたのですが、弟からありがとうと言ってくれた事を感謝しちょっとでも前向きになれるように生きて行こうと思えました。今までなかなか人に話せず辛かったのですが、貴重なお話をして下さりありがとうございました。長々とすみません。このような大変なお仕事の中、発信して頂けるなんて大変有り難いです。この動画を見られた方は皆さん安心されているかと思います。癌患者さんと、その家族の方が少しでも楽になれますように祈っています。
父が危篤になってから1ヶ月泊まり込みで病院に居ました。当時私は10歳、意識がないのに輸血で痙攣を繰り返し、下を噛まないように処置され、かなり苦しみながら亡くなりました。私は現在緩和ケアの看護師をしています。緩和ケア、本当に大切だと思います。先生、これからも応援しています。
意識がはっきりしている間に家族に感謝出来ればそれでよい。その瞬間を見せる必要はないと思っている。ただ、痛みを緩和してもらいたい。
緩和ケア病院で肺がんの父と過ごした1週間 とても有意義な時間でした。緩和ケア病院の先生や看護師さんには感謝の言葉しかありません。先生のお話の通りの1週間でした
お父様、そうだったのですね。有意義な時間であったとのことで、良かったです。
大津先生お久しぶりです。いつも貴重なお話を有難うございます。今私は海外に単身赴任しておりますが、4年ほど前に家内の両親が高齢のため、親孝行出来なかったと後悔せぬように、相談し日本に帰しました。昨年家内の父親に膵臓がんが見つかりました。義理の父は92歳です。家内の参考にと、この動画を紹介しました。緩和医療の先生がいるのですが、それに先立って大津先生のご専門の緩和医療についての予備知識が役に立つと思ったからです。大変役に立つと家内も喜んでおります。用意があるのと無いとでは対応に格段の差が出ると思いました。大変有難うございました。
父の最後に立ち会いました。前日まで会話が出来、本人も覚悟していました。ケンカばかりの夫婦でしたが、長い間手を握りあい、母はお別れの言葉を口にし、父は母をただ見つめていたのがとても印象的でした。実の子供にもわからない、夫婦の絆がそこにあるのだと感動すら覚えました。母がそばにいることが父にとっては最大の緩和ケアのようでした。亡くなる数時間前から、呼吸の間隔があくようになり、いよいよなのだとなぜか感じたので、仕事中の兄を呼び寄せました。母がトイレに行き、席を外したほんの数分を狙っていたかのように、父は逝きました。唖然とする母に、「逝くとこ見られるのは恥ずかしいらしくて、わりと多いのよ」と看護師さんに言われました。「お父さんらしいなぁ」と思いながら、頭をワシャワシャ洗ってやりました。今でも、母は笑いながら父の悪口を言います。亡くなったからといって、善人にはしてもらえないようです。
その関係性を見ると、らしい逝かれ方だったのではないでしょうか。夫婦の関係はそれぞれであり、喧嘩ばかりだから悪いというわけでもないですものね。印象的なお話、ありがとうございます。
おすすめ動画をなんとなく見ていたら、先生のチャンネルに辿り着きました。5年程前に母の余命宣告をうけ、大切な人を看取る作法を購入して読みました。先生の本を読んでいたので、終末期の母の姿を受け入れる覚悟ができ、最期の瞬間まで逃避することなく寄り添うことができました。最後の鎮静への承諾書へのサイン、今でも思い出すとつらいのですが、先生の本を読んでいなかったら受け入れられず、母を苦しませ続けてしまったと思います。大切な事を教えてくれる本をありがとうございました。
初めまして。お勧めにでて来ましたので観させて頂きました。一昨年の10月に母は誰にも看取られず、1人で逝ってしまいました。病院に着いた時は、まだ温かったです。その日に行ってたのにです。そしてその後、母の四十九日法要があった6日後に父が永眠しました。父は重症肺炎でした。2019年12月21日の午前2時01分に病院から電話があって、一時間後に到着した時父は返事をしました。そして、その約一時間後最期看取りました!良く頑張ったねと声を掛けてあげました。医師からは年越し出来る様に頑張ってみようと言われましたが、残念でしたが86歳で往生しました。最期は大きく息をしてこの世から去りました。女医さんでしたが、父の事で延命治療はどうされますかと聞かれましたが、苦悩した結果しないと言う同意書にサインしました。父は母の元に行きたかったんだろう、母が淋しくて呼んだんだろうと思っています。耳は最後まで聴こえると知ってたので、ずっとずっと話しかけてました。今は、時間が解決してくれました。長文失礼しました。
良いお話をありがとうございました。7年前に母を緩和ケア病棟で看取ったときのことを思い出しながら、お聞きしました。
今日の話題はとても心に残るものでした、1月の中頃にパートナーが体調不良で入院してその時のお医者さんにクオリティーオブライフを考えていった方がよいと言われました。やはり87歳という高齢で身体の中にある臓器もだいぶ疲れているので家に帰ってきても完全には回復していないですね。今は主に私が面倒をみていますがやはり長年連れ添ったパートナーが衰えていくのを見るのはつらいです。まだ寝たきりとかにはなっていないので本格的な介護ではないのですが、先を見据えていこうといろいろ準備を始めようと自分に言い聞かせています。私のパートナーはもう少し頑張れるように思っていますが、この動画をこの後も何回か見て学習なりシュミレーションをしていきたいと思います、身に迫る話題でつらいですが私自身が健康管理を怠らず生活をしてこの先もパートナーに寄り添っていきたいと思います、ありがとうございました。
「長年連れ添ったパートナーが衰えていくのを見るのはつらい」とのお気持ち、拝察いたします。できるだけyoshis12さんとパートナーさんが一緒の良い時間が長くありますことを心から願う次第です。
いつも受け止め易い仕方で教えて下さってありがとうございますわたしも父を在宅で看取りました本当に先生がおっしゃる通りの過程を辿りましたわたしの家族の場合、家で看取れてよかったと思いました病院よりずっとみんなと過ごせたですしわたし達も穏やかに出来ました緩和ケアはほんと大切です先生も看護師さんも専門なので本当に親切で志しの高い方々です今でも思い出すと涙が溢れますが緩和ケアをして看取れて良かったと思います先生の動画が皆さんの勇気となりますように
長文失礼します。母は胃癌だったのですが、褥瘡の方に苦しめられました。胃が痛いのはステントがずり落ちた時位。それと出血があるので輸血に助けられ、故にホスピスは諦めました。毎日通える所、桜が見える所・・・等色々考えていたのですが。喜んだのは氷をガーゼにくるんで吸わせた時でした。その間に毎日体を拭いて変化をチェックします。セラミドクリームも薄く塗ります。耳は最後まで聞こえると思っていたのでずっと話しかけました。と言っても夕方から一時間位ですけどね。部屋に入る時、看護婦さんの真似をして「〇〇さ~ん!」と言いながら入ると「は~い!」と毎日返事が返って来ました。最後の二日以外は。看護婦さんに「尿が少ない」と言われ「いつでも連絡をとれるように」と言われ、服を着たまま携帯を胸ポケットに入れ、毎日こたつで寝ます。ついに朝の4時に電話が来ました。夜中バイクで病院に行きました。母は暖かいまま私の手の中で亡くなりました。でも私は「お母さん、寝てばっかり。又夜寝られなくなるよ」といつものように言っておりました。反応の無い母に話しかけるのにはもう慣れていました。4年前の事です。昨日の事のように覚えています。身内で癌をお持ちの方へ。癌で死ぬのは結構良いですよ。ゆっくり今までの事をお互い話し合えますから。そして親孝行のチャンスを与えてくれますから。それとせん妄状態になっても諦めないで下さい。話しかけ続けると、ふとまともになりますから。
”部屋に入る時、看護婦さんの真似をして「〇〇さ~ん!」と言いながら入ると「は~い!」と毎日返事が返って来ました。”ほほえましい印象を受けました。療養を少しでも明るくするということは大切ですね。
貴重な情報ありがとうございます。こんなに情報化された現代でも知られていないお話しでした。親、自分の終末に役立てます。
それならば良かったです。
去年母が肺腺がん末期で他界しました、コロナ渦でなかなか面会できず、面会できたの1回で、最後は看取りの時に面会できて、エンゼルケアさせてもらいました。まだ母ロスから立ち直りできなくて、母は介護の仕事してたので、看護師さんにも優しかったそうです!母に会いたくてたえれません。
ありがとうございました。半年前に癌が発覚した祖母が3/18に亡くなりました。タイミングよくこちらの動画を出して下さって、見ていたので心の準備が出来ました。ご飯食べられるからまだ大丈夫かな?身の置き所のなさや怠さが出てきたな。あーあー言い出したから危ないかな?意識が無くなってきたな。と考えながらお見舞い出来ました。とても分かりやすい表現でした。おかげで母にも説明してあげられることが出来ました。コロナ禍でしたが、後悔しない最後の1,2週間を過ごすことができました。もともとコロナ関係でチャンネル登録していましたが、コロナ関連も緩和ケア関連もとても参考になりました。本当にありがとうございました。
先生、いつも貴重なお話ありがとうございます。亡くなった身内全員の最期を思い出し、涙致しました。全員誰しも迎えなければいけない臨終の大事を受け止めることが出来ました。私の祖父は、どんなことがあっても、一秒でも長く生きたい、とにかく延命治療をしてでも痛みに耐えてでも長く生きたいとずっと言い続けていたので、家族は、その意志を尊重して最後までやり遂げました。その祖父の意志の強さは臨終前日まで意識を保ち、最後の親戚の一人が来るまで心臓を動かし持ちこたえようと戦っている姿に映りました。気丈な祖父でしたが、最期の最期まで、貫いていたので驚きでした。拙い文章で申し訳ございませんが、とても有難いお話でした。今後とも見させて頂きます。宜しくお願い致します。
お祖父様、そうだったのですね。やはり人それぞれの思いがありますし、それに沿ったときに、人は力強く生きられるのかもしれませんね。一概に「やらないのが善、延命治療は悪」とは到底言えないですね。それぞれが心の声に耳を傾け、それに沿うことが大切ですね。貴重なご経験のお話、ありがとうございました。
私の母も昨年10月に亡くなりましたその時もお世話になりましたが、緩和ケアに携わる皆様には本当に頭が下がりますありがとうございます
何故なのか、自然に涙がこみ上げてきます。自分の最期の時も先生のような担当医師であってほしいものです。約28年前に肺癌を患っていた父が最期は吐血が止まらなく呼吸困難で亡くなった事を思い出しましたが、この動画のおかげで、気が楽になりました。ありがとうございます
4年前に咽頭癌で母を亡くしました。当時は現実を受け入れきずこの手の動画を見る勇気がわかなったことに物凄く後悔しています
以前、10年寝たきりだったALSの家族を看取ったことが思い出され先生のお言葉が救いになるように思いました。人は思いの中で生きているんですね。道徳を超越したところにこの医療があるように感じました。
ALSのご家族がいらっしゃったのですね。ふとした瞬間に以前の記憶が鮮やかに浮かんできたりすることもありますよね。生死の場というのは多くのことを私たちに伝えてくれる場であるとも感じます。
五年前、母の最後はまさに先生の話してくださった様子そのものでした。こういうものはその時知っていたかったですね。多くの方にこの動画が届くことを祈ります。
そうでしたか。知らないと、動揺が強くなったり、これではいけないのか(自然ではないのか)と思ったりしますものね。
有意義なチャンネルですね。情報不足の人々に素晴らしい情報を届けておられる。尊敬します。
お言葉ありがとうございます。励みになります。
15:00 くらいからのお話が、すごく優しく寄り添ってくれていると感じました… 良いお話をありがとうございます。
母親が脳内出血で意識がなくなり、寝たきり療養病院へ転院になりました。今回のアドバイスとても参考になりました。
妻は50代でした。人は皆最後を迎えるのですから、生きている方が優れているわけではありませんが、死をさげすみ見ないふりをするのは本能でしょうね。臨終の数日前に、仕事三昧で苦労をかけたねと詫びた時に「そんな事ないよ」と言ってくれたのが今でも救いになっています。最後へ向かうプロセスを知る事は、手遅れになる前に聞けることを聞いておくために、とても大切です。
”仕事三昧で苦労をかけたねと詫びた時に「そんな事ないよ」と言ってくれた”そのようなやり取りがあったのですね。そのような機会を持てる方ばかりではないので、それは本当に良いことだったのではないかと拝察いたします。
昨年の1月に義弟を見送りしました。57年の生涯でした。大腸がんが全身に転移して、脳にも転移していたようで、最後の4日間は意識が無く、あまり苦しくはなかったと思います。前年の12月に、このサイトに出会い、緩和ケアのある病院へ転院して、穏やかな3週間を過ごせました。本人はもちろんですが、寄り添う家族にとって、緩和ケアの有難さを実感しました。先生には感謝しております。命の終わりを選べるのなら、癌等の病で苦しむ事無く、家族にも寄り添い、見守ってくれる緩和ケアで、終焉を迎えたいと願います。
義弟様、そうだったのですね。それならばお役に立てて良かったです。 緩和ケアは患者さんだけではなくご家族も支えるものです。時として患者さんよりもご家族がつらいということもありますものね。誰もが穏やかに生を全うできることを願ってやみません。
このお話を聞いて、生きている元気なうちにも、楽しい時間や大切な時間を分かち合うことの大事さを痛感しました。そして、早めに行動しておくほうが、間際よりもいいという事も、周りに知らせておきたいと思いました。とても大事な事ですね。ありがとうございました。
新型肺炎で先生の動画に出会いましたが、緩和ケアについての今回の動画、父の時のことを思い出しましたしとても良い動画でした。ありがとうございます。
お父様もがんなどのご病気でしたか。誰もが見送り、また見送られるものなので、この事柄を知っておくことも大切ですね。いつもありがとうございます。
こうゆう真実を知っておいて欲しい人達がいるので、先生の動画は助かります。然るべきときがきて、緩和ケアについて調べるときに引っかかってくれるといいなと思います。
いざという時に役立つとうれしいですね。現在進行系でもたくさんの方が直面していたり、困ったりしているのではないかと思いますし。
先生はじめましていつも動画拝見しております。昨年夏に元気だった母が急性心不全と診断され入院。コロナ禍で面会もままならず母とは会えない日が続き食事を受けつけないと聞き家に連れて帰る選択をしました。その手続き中に尿量が少なくなり危篤状態で家に連れて帰り最期の4日間一緒に過ごすことができました。意識はしっかりしていましたが息があがり先生のおっしゃる様に顔をしかめ身のおきどころのない様子でした。我慢強い母が「もういや!」と言い在宅で看ていた私は1日でも長くいたいけれど1日延命し辛い表情の母をみるのは耐えがたく緩和医療をしていただきました。今これで良かったのか母に聞きたい気持ちでいっぱいです。
「1日でも長くいたいけれど1日延命し辛い表情の母をみるのは耐えがたく」偽らざる心境ですよね。ただその大変な時間にNたここさんがそばにいてくださったことは支えであったのではないかと存じます。
以前先生にもお話しましたが、肺癌で自分は母を亡くしました。もし…もしあの時先生の様な緩和ケア専門のお医者様と縁があったら自分も、そして苦しむ母の看護を1人で仕事をしながら寝ずに頑張った父もどれ程救われたんだろうと今更ながら悔やみます。イヤ悔やんでも悔やみきれません。あれから既に20年くらい経つんですが、未だに絶対に繋がる筈のない母が暮らした実家に電話したりします。勿論「この番号は現在使われておりません」の冷たいメッセージが流れるだけなんですが…何故か定期的にかけてしまいます。それだけ母の最期があれで良かったのか?と言う想いから抜け出せない自分がいるからでしょうか?今現在、またこれから自分と同じ体験をするであろう皆さん、是非緩和ケアを良く理解して頂き是非積極的に利用して下さい。自分の様な後悔を残さないために
お話、ありがとうございます。見送った側は色々と考えてしまうものですよね。 20年前といえば、私も研修医の頃。その頃の緩和ケアは、今と比べてずっと未成熟なものでした。昔の患者さんにはもっと楽をさせてあげたかったですが、それが叶わないことも今よりずっとありました。緩和ケアもより進歩し、穏やかな療養と悔いが少ない看取りが当たり前になってほしいと願っています。
いつも有り難う御座います。感謝致してます。次は自分の番です。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
カナダで夫の在宅緩和ケアをし 最後を看取りました。夫が自分で建ててきた家で最後まで一緒に過ごそう 最後の一瞬まで、そう決めたからです。本当に多くの人に助けられました。先生が動画でおっしゃった 本人が最後を決めている、それは夫の死を前にした心理のカウンセリングで カウンセラーの先生にも言われたことです。自分でその時を決めている様にみえると。そして夫も、自分で適切な時を選んだ、そんな最後でした。不思議です。病気でコントロールができない自分の体なのに 最後はちゃんと自分で選ぶことができるのですね。いつも ためになる確かな情報発信をありがとうございます。
在宅緩和ケアを受けられたのですね。逝く時というのも人それぞれで、見送る側はそこに何らかの思いを感じ取ることが多いですよね。そしておそらく、その受け取り方が正解なのだと思います。人は不思議です。いつもそれを感じます。ありがとうございます。
両親を既に見送った身ですが…こういう大切なお話しはご家族の方々に知っておいて頂きたいです。かんわいんちょう、有難う御座いました。
貴重なお話ありがとうございました。今後の参考にさせていただきます。
緩和ケアに携わる医師のなかなか耳にすることの少ない貴重なお話初めて聞かせて頂きました。大変なお仕事ですね、でも無くてはならない大変ありがたいお仕事だと思います。これからも宜しくお願いします。
いつもありがとうございます。兄が余命宣告されています。なので、こちらの動画を見るのが怖かったのですが、見て良かったです。そう遠くないその時がくるのがとても怖いですが…😢😢😢ありがとうございました。
癌ではありませんでしたが、当てはまる事が多いと思いつつ伺いました。死に目に合えませんでしたが、心肺停止の瞬間だけではないとのお言葉に癒やされました。ありがとうございました。
本当は間に合っているのではないか、ということはよくあり、呼吸停止だけで間に合っている・いないと即断しなければ、後々苦しむ方も減るのではないかと思います。
ウチの母親は癌で亡くなりましたが私は死に目の看取りは親が教えてくれる最期の事だと思って見ていました。
そうですね、私もそう思います親が子供達に教えてあげられる最期の仕事ですよねこうやって、もといた場所に帰っていくんだよ、って偉大なる存在ですね
18:30~女の子の話👍 「出来る事は必ずある」力強い言葉!
素晴らしい動画。大変ためになりました。そして心に響きました。ありがとうございます
癌患者のリハビリを担当している作業療法士です。先生の話はとても、勇気と安心につながり、明日からの活力になりました。ありがとうございました。
良かったです。ありがとうございます!
3年前母を看取りました。私は臨月でした。入院して1ヵ月もせず亡くなりました。途中で緩和ケアを受けられる病院を紹介されて転院しました。余命など言われませんでしたが、孫を見せてあげることは難しいと言われ毎日病室を抜けては泣いていました。その度に看護師さんに付き添ってもらって本当に感謝しています。先生の言われていることが母と重なり色々思い出しました。歳をとっても子供に迷惑をかけたくないという母でしたが、出産と最期が重なったらどうしようと心配していた私のことを想ってか、孫が生まれる12日前に旅立ちました。今もまだつらいです。でも子育ての忙しさで涙を流す時間が減りました。最期は数人集まっていましたが、ちょうど私と母だけになった時に亡くなりました。もっともっと話しかけてあげれば良かったと思いますが、そばで看取れたことだけが心の救いです。
そうだったのですね。お話、ありがとうございます。「孫を見せてあげることは難しいと言われ毎日病室を抜けては泣いていました」という言葉から思いが伝わってきました。そうですね。きっとお母様の思いがあったのでしょうね。子に迷惑をかけたくないというのは親の思いですものね。ただmi Y- ・さんとお二人の時に逝かれるなど、お母様の思いは伝わってきますね。
大変お忙しいお仕事の中、このような貴重な情報をビデオで撮影しアップいただきありがとうございます。私の父が亡くなる時、ホスピスで大変お世話になり、先生方及び看護師の方に大変良くして頂きとても感謝しております。お医者様ならびに看護師の方など、それから病院を経営されている方、このような尊い仕事があるのかと改めてその時に認識いたしました。改めてお礼申し上げます。
最後の娘さんの話…涙が止まりませんでした声が届き、心が通じて、、、自分的にはお母さんの最期の娘さんへの優しさだった様に受け取りました娘を心配させない為に、娘に最期は穏やかな顔を見せる為に…母は強し…です(勝手に解釈)娘さんも本当に安心出来たと思いますお母さんを痛みから解放してあげれた、と。その愛情を忘れずに、元気に育って欲しいです
6年前に夫を見送った時を改めて思い出しました。辛いことですが、夫を見送ったことは私の誇りでもあります。両親は発作で旅立ってしまったので、ガンでも最期まで話せたことは有り難かったです。大切なことを真っ直ぐに伝えて下さる先生の姿勢に感銘を受けました。ありがとうございます。
他の病気と比べると比較的遅くまで話せる病気でありますものね。良い看取りを行うことは、誇りにもつながるものですよね。
先生の動画にたどり着けて幸せです。父を膵臓癌で亡くし、同年私も乳がんで手術しました。父には、最後まで頑張ろう!ずーっと守るから!と言い続けていました。そんな私に父は寄り添ってくれてました。私も当たり前のように、励まし続けました。でも、父が大好きだった主治医には『先生、わしいつまでこれが続くんや?もう辛い』と。主治医は私達家族に、眠らせる麻酔しますか?本人は苦しんでるのです。と言われました。もちろんその時私は、反対しました。そして父はその数日後亡くなりました。悲しすぎてしばらく立ち直れませんでした。私自身、癌で術後苦しくて苦しくて看護婦さんに『これが続くならもう殺して下さい』と伝えた時、父はこんな気持ちだったのかと、やっと理解できました。死ぬことは楽になることと知りました。
看取りのある施設で働いています。最近3人の方が立て続けになくなりました。今も看取りの方がいますが、おっしゃる通り、そうだなあと頷きながら動画を見させて頂きました。私の両親も高齢なので、とても参考になりました。ありがとうございます。
素晴らしい動画をありがとうございます😭
私の父は、約4ヶ月、家で緩和ケアを受けて亡くなりました。毎朝、声を掛けに実家の父に会いに行ってましたけど、ある朝、父の穏やかな顔を見た瞬間に、私は、今日だと感じ、父に「お父さん!痛みからやっと解放されたね!」と心の中で、お別れの挨拶をしました。その日の夕方、父は90歳の生涯を終えました。父が、自宅で緩和ケアを受け初めてから約2ヶ月した頃に、私は、精神的ストレスで、顔面神経麻痺になり、入院してしまいました。母は、父が亡くなった8ヶ月後に、自宅でくも膜下出血で倒れ、奇跡的に命は取り留めましたけど、会話することもなく、病院に4年近く入院して、94歳の生涯を終えました😞私の顔面神経麻痺は、今でも完治していませんが、見た目は大分、普通になってきたので、楽になって来ました。両親のオムツ一つ、取り替えることもしなかったなんて、私って、どんな運命なの?と思います。でも、90歳まで、元気でいて子供孝行してくれた両親に感謝‼️です。私も、息子達の為に、元気でいられるように、努力して過ごしてます❗️💓
「今日だ」との予感があったのですね。誰かをなくすということは大変な負荷を伴うものであり、今看護にあたっているご家族にも気をつけてほしいと勝又さんのお話を聞いて改めて感じました。子供のためにも元気、大切です😊
人でも動物でも最期の時を迎えると不可解な行動を取ることがあります。死の淵にいる本人にしか苦しみは理解できません。家族はただ見守ることしかできなくなり非力さを悟り悲しみや儚さという感情と毎日過ごすようになります。緩和医療が患者本人にも見守る家族にも最も相応しい医療だと私は思います。もっとこの分野が広まってほしいです。先生のおっしゃる通り知るという事の重要性を私も痛感しております。先生のUA-camは大変価値のあるものであり今後も見させて頂きます。お忙しいとは思いますが今後もぜひ継続して下さい。
「人でも動物でも最期の時を迎えると不可解な行動を取ることがあります。死の淵にいる本人にしか苦しみは理解できません」本当にその通りですね。 かくも不思議な命というものを支える領域である緩和ケアがますます浸透することを願う次第です。お言葉ありがとうございます。
父親が元気な頃から、「絶対に延命はするな」と言っていたため、ガンの診断を受けたときに取るべき方向がハッキリしていました。ありがたいことに化学療法が効いて元気なまま13年過ごせました。最後は「多臓器不全」で亡くなりましたが、心停止で救急のお世話になって、1ヶ月入院、病院で最後を迎えられました。確かに最後まで耳は聴こえていたようで、話しかけるとまばたきをしていました。90歳でしたので、長生きしたんじゃないかと思ってます。
化学療法で13年はすごいですね。まばたきされていましたか。さすがですね。そして90歳、大往生ですね。
死とは点ではないという事を教えて頂き、大変勉強になりました。今後看取りのご家族にそうお伝えしてまいります。緩和ケアはとても大事な医療の部分だと思います。これからも勉強させて頂きたいと思っています。
点であるとの捉え方で損をしてしまっている方は少なくなく、線で捉えるのが当たり前になってほしいですね。
凄い仕事をしていますね。ある程度患者に寄り添う必要もありますし、客観的に科学的に判断して、何をするべきかも判断する・・・頭が下がります。 緩和ケアの医療従事者のみなさん、私もいつかお世話になります、よろしくお願いします。
ありがとう御座いました。感謝します。もっと早くこの話聞きたかったです。
真実を受け止めることは大切だと思いました。緩和ケアは必要ですね♪
お話を聞いていて涙が止まりませんでした。何故かはわかりませんが・・・お話の最中には、亡くなっていった猫たちやまだまだ元気な母親のこと・亡くなったおじさんの事が頭をよぎっていきました。私にできること・やっていかなくてはいけない事いろいろ考えて準備しなくては!と思います。ありがとうございます。
いつも貴重なお話ありがとうございます。在宅でのお見取りは理想です。病院の終末期は本当に辛いです。在宅事情などで病院を選択される方が多くなりましたが、今、また在宅を選ばれる方も多くなってきました。在宅診療をする先生が増えたおかげと思います。そして、緩和ケア看護認定看護師も在宅診療所に多くいることも増えました。環境が整ってきたのだと実感しています。先生にぜひお願いがあります。在宅で介入される方に早期からエアマットをお勧めして頂ければと思います。終末期に褥瘡ケアで時間をとることはとても辛いです。今は、スモールポジションチェンジ機能が付いたものもありますので、体位変換も不要なものもあります(介護保険でレンタルできます)ご検討をして頂ければ幸いです。
エアマットの話、ありがとうございます。重要な情報です。
父の看取りをしました。私にとって「死」は忌み嫌うものではなく、身近なものです。知って安心し、準備できることは大変ありがたいことです。チャンネル登録します、今後とも宜しくお願い致します。
ありがとうございます。
亡き父は、生前中、自分の方最期は、モルヒネ投与、父の痛みは、医師・看護士さんしか知りません。見舞いに行った際ている様出来たした。鹿児島と夢🌈で昔の思い出を回想していた様でした。生前中、食事食べる際姿勢がわるかったのか…?誤嚥性肺炎になりました。入院した頃は、痛みの段階を父にどのレベか看護士の方が聞いていました。痛みは、本人しか分からないですね🐭生前中亡き妹にもしも自分の方最期は、家に連れて帰って欲しいと生前中の父の最後の言葉でした。今思い出せば、生きている間に親孝行するのが当たり前の゙事ですね🐭男の子は親孝行あまり…亡き両親感謝足りません。私自身花亡き両親に感謝しかありません。最後の両親の顔萩霊園でした。まるで寝ている様でした。亡くなった時の顔は穏やかでした。まだ両親には、生きていて欲しかったです。👥二人の人生が分かると…お疲れ様でした。生前中のは母に11月1日・誕生日報告したかったですが母の体調悪化しあうことも何も出来ませんでした。産んてくれてありがとうと言いたかった…生前中、母の誕生日、8月6日、窓越しでしたが母は、泣いていました。洋子かえと母は、分かつてくれました。私も涙💧しました。後ろ髪惹かれる想いで一杯でした。母の命日、11月19日・私の誕生日は…………11月1日・孫は11月18日、11月19日は私自身は救急救命士資格講習中でした。長文になり私事で申し訳ありません。大変貴重な動画配信して頂きありがとうm(_ _)mございました。大分より🐒♨️🌰🍎🎃🎃🐣
癌ではなく、老衰ですが、御礼が言いたくて失礼します。この動画を見て、心の準備が出来ました。ありがとうございました。残りわずかな施設の親に昼間だけ付き添っています。1日3時間程度だけ、眼を開けて意志疎通出来ています。食事はもう、1ヶ月以上取っていません。1日すいかのゼリーを3口程度だけです。水分も1日多くて150ccです。なのでおしっこも3日に1度少量です。血圧は、1度70以下になりましたが、今は100位あります。チアノーゼは出ていない。下顎呼吸もない、などで参考になりました。声は話はほとんど出せませんが、YES,NO.を首を少し揺らして伝えてくれます。あんなに夜中まで脚が痛いと痛み止めを飲んでいたのに今は、薬がなくても、痛みや苦しみはないと伝えるのが不思議です。 言われているように、最後の時に立ち会う事よりも、それまでの過ごし方や会話がとても大切だと感じます。今までの感謝を伝えることに躊躇せず伝えたいと思いました。最後まで何度も何度でも伝えようと思います。ありがとうございました。
弟が、5年間の闘病のち、肺癌で亡くなりました。病院に駆けつけましたが、15 分遅く臨終に立ち会えなかったです。まるで、寝ている様で直ぐに起き上がるのではないか? 穏やかな寝顔でした。私より先に、おふくろに会いに行くなんてずるい。今頃、仲良く話し合っているだろうな。涙が溢れて止まりません。 長文すみません。
それだったら間に合っているかもしれません。死の時間はあくまで便宜的なものであって、全細胞死ではありません。もしかすると藤井さんの言葉も聞こえていたかもしれませんし。思いは届いたと思いますよ。
自分も63歳です。2002年、1月に父を、12月に母を送りました。初めての介護と葬儀を、兄妹3人で執り行いましたが.....いろいろな、知識不足、大変不足で、反省し、また、後悔も残りますが、今度は私が子供に送られる番になりつつあります....お勉強させて頂きます。心より宜しくお願いします。
叔母が大腸癌で、余命1ヶ月。やっぱり、信じたく無いし、心の準備が。思い出が多い分、辛いです。でも、後悔しない様に話はしょうと思います。
とても勉強になる動画ありがとうございます。私を看取る家族にも是非見せておきたいと感じました。
確かにご家族に見せておくという方法もありますね😊
治る見込みがない状態なら尊厳なんて必要ないし数日命が長引いたりしなくて良いから、痛みや苦しみを感じないように麻薬でもなんでもガンガン打って意識がない状態にしといて欲しいと思います
意識があってこそ、自己選択ができてこそ、尊厳があると考えている人間にとって、最期に尊厳死を選ぶことができるように、早く法整備をしてほしい、と思っている。現状では、自殺という選択肢も考えている。
素晴らしいお話ありがとうございました。両親共にガンで亡くなって色々思う事がありました。夫や自分に役立てたいと思います。
ありがとうございます。お役に立てば幸いです。
私の父も4年前がんで、亡くなりました。病院にかかっていましたが、緩和ケアをちゃんとうけさせてあげられなかったのが、後悔しています。緩和ケアは早期から、まさしくそうでした。かんわいんちょの動画をもっと早く知っていればと思います。緩和ケアがもっと世の中に広がりますように、この動画が広がることを切に願います。
10年前に肺ガンで父が他界しました。私の誕生日の日に亡くなり、その歳は厄年だったので、父が厄を持って逝ってくれたのだろうと話していたのが記憶にあり、今でも思い返すと涙が止まりません。末期という事もあって、最期は緩和ケア病棟にお世話になっていましたが「痛い思いや、苦しまないようにしてあげて下さい」と伝えていたので、死に目にも会えず看取ってあげる事も出来ませんでしたが、苦しまずにあの世へ逝ってくれたと思いたいです。
入院中の父が危篤になり、急いで駆け付けましたが、私が到着するのを待っていたかのように、着いてすぐに亡くなりました。医師が父の容態を話していたら、急に目を見開いて私の顔を見たとたん、心停止しました。最後に息子の顔を一目見ようとしたのでしょうか、不思議な体験でした。
それは待っていましたね。お父さん、さすがですね。
父が末期ガンで亡くなった時を思い出しました。肺気腫で長期に治療を受けていたが、発見が遅くなり、判明した時は余命3ヶ月と診断された。家族としては、告知するのは辛かったが、本人は予想以上に(不満を言う事なく)サバサバしていて、救われた。ギリギリまで普通に過ごし、父といろんな事を話し合えて、多くの事が理解できて本当に貴重な時を過ごす事ができた。(父の事が一層好きになれた。)家族が死と向き合う時間も貴重な時だと思いたい。
肺癌の母を在宅で看取りました。もう16年前になります。近くに緩和ケア医はいなくて呼吸器内科にかかりましたが最初の医師は疼痛コントロールが難しいと骨転移で苦しむ母にモルヒネが使えないので、ほかの医師に変わりました。その医師に積極的治療がないなら絶対に苦しめたくない!あらゆる苦痛を取り除きたいと告げました。薬はほぼ私が与えられた薬で上限以内で疼痛コントロールしました。母はびっくりするくらい最期まで凛としていました。訪問看護師さんが考えが同じで私に寄り添って下さり助かりました。母は私が手を握り、ある歌を歌うとか気持ちよく眠りました。その歌詞は死にゆくときの不安や大切な人(私でした)にもう会えない不安を壮大に和ませる内容でした。(母がなくなってから理解しました(^^;) そういう音楽とか歌とかも緩和ケアには大切なものだと思いますよ。母は私の腕の中で息をひきとりました。眉間にしわもよせませんし、亡くなる2日前にコーヒーゼリーが食べたいと言い、急いで買ってきたコーヒーゼリーを「おいひい」(「し」がもう発音できません)とかすかに微笑み一口食べ、それっきり何も食べられなくなりました。最期までトイレでようをたしたのも人間らしくほこらしく凛とした姿を家族に見せて亡くなりました。皆さんも癌でもそれが出来る事を知っていただきたい。ありがとうございました。
お母様の緩和ケアはきっと参考になる方もいると存じます。ホスピスなどでは音楽療法が行われたりもしていますね。施設差はありますが、緩和ケア病棟では歌や音楽が大事にされていますね。
お返事ありがとうございます。最近新型コロナについて正しい発信をされているので先生の動画はいつも拝見させていただいております。私は母の肺がんに際して、自分で緩和ケアを学ぶことを選びました。当時ヤフー掲示板で東京のホスピス医さん等がアドバイスして下さる掲示板があり、文献なども送信してくださり、一生懸命学びました。相手が自分の母だから出来たことだと思います。母は私の言うように薬を飲み、私が作る食べ物を食べてくれました。緩和ケアを勉強して一番疑問に思った事は点滴でした。点滴は末期においてなるべくしない方が良いと考え、食事は訪問看護師さんに多めに食べたと報告しました(^^;点滴はなされたとしても私の判断で外しても良いことになっていました。点滴は腹水や胸水につながり余計に母を苦しめる事がわかっていました。母は老衰と同じように本当に肺がんだったのか?と思う亡くなり方でした。体が衰弱してきた頃にはステロイド(リンデロン)を処方してもらうと母は「明日は買い物に行けるわ」と言ってかなり元気感が出たようです。あらゆる緩和ケアに徹しました。在宅で看取ったので母の思い出があちこちに残っていて、頑張って介護したけれど思い出すとかなり悲しいです。母と良い時間が過ごせただけに余計にその時間を愛おしく思い出して後悔がないはずなのに重い気持ちになります。悲しいです。
貴重なお話ありがとうざいます。死を考えたとき、一番怖いのはその瞬間まで痛かったり苦しかったりするのだろうか?という事だったでお話を聞いて少し恐怖心というものがなくなりました。父を癌で亡していますが、本人の希望もあり特に延命措置をすることもなく最後は本当に眠るように穏やかに亡くなったと思っております。家族全員が病室に集まり、病室内ではありますが、家族だけのとても有意義で大切な時間を過ごさせていただいた事は今でも忘れることができません。
最後のお母さんのお話、もう号泣してしまった。わたしにも幼い子がいますし、高齢出産で2人目にして体調も思うように戻らなくて、実母が悪性リンパ腫で今は寛解してますが、抗がん剤のだるさやその他の症状と闘ってる姿を見たり、実父が脳梗塞で1週間、昏睡状態で集中治療室へ、その為、ほぼ病院のロビーに寝泊まりして最期まで見守った事を思い出し、これから年老いていく母に、私のできることは何なのかを考えさせられました。自分の最期を考えると安楽死を日本も許可してほしい。。スイスやアメリカの州に飛ぶための体力、気力、サポートしてくれる人員がいる人が全てじゃないし。意識がはっきりしてるうちに、自分で選択したいと思う人がほとんどだと思います。日本が法整備が進まないせいで、法外な安楽死が事件もあるのに。意識混濁していく中でも、人の脳は苦しみから解放されたいと最期まであがいてるはず。それを伝えられなくなっただけだと感じてしまいます。実際の、脳波を調べたりする事で意識レベルの低下した状態でそれらの感情も感じられなくなっているという立証はできるんでしょうか。。それが出来ないなら、自分の意思で伝えられるうちに決断したい。
母が卵巣癌で在宅介護しています。本人の希望で今は抗がん剤をやっておりません。入院するとせん妄をおこしてしまうので最期まで家で過ごす事が母の願いです。この動画に今回出会えて良かったです。保存するとともにノートにも書いておきました。貴重なお話しをありがとうございます。
救われました。ありがとうございました。
有難うございます。そのうち自分も迎えるであろう死について、恐れではなく救いとか癒しのような話として聞くことができました私も、父と母を亡くす直前は、ただ、うろたえるばかりでした。呼吸が荒く苦しそうに見えましたが、本人は差ほど苦しくなかったのではないかと、お話を聞いて、思うようになりました。病院に駆け付けたとき、目を瞑ったまま、荒々しい呼吸をしながら、「ア!」と言って息を引き取りました。私が来たのを確認したかのように。そんなことは?と思いましたが、先生が仰る通り、死の瞬間を母が自分で選んだような亡くなり方だったのです。
10年前 胃ガンの末期だった母がもう入院したくない、家におりたい。と言うので仕事を休んで実家に戻り、在宅ホスピスクリニックの医師看護師の御指導のもと春から夏の終わりまで数ヶ月在宅で介護し看取りました。母は幸い最後まで痛みがなく、浮腫んでダルいことが悩みでした。点滴は全くしませんでした。酸素吸入を使ったのも最後の一週間だけです。確か亡くなる2週間ぐらい前まで好物の本マグロの中トロを美味しい美味しいと言って食べていました。その後 マグロ の意味もわからなくなり、固形物が食べられなくなり、、私は悲しくなりましたが、本人は不思議そうな顔をしていました。最後に食べた物はアイスクリームと桃でした。元々食が細いのに美味しいものが大好きな母でしたから、在宅を選んだのも、私を介護人に選んだのも正解だったんじゃないかと思います。本当はいろいろと細かい点を悔やんでしまったりするんですが、いくら反省してもやり直すことが出来ないので、最近は アレで良かったんだ。私で良かったんだと思うことにしました。それから、亡くなった後看護師さんに体を拭くなどの処置をして頂き、母のお気に入りのブティックで私が選んだ可愛いシャツに着替えさせて頂きました。本当は通院用に買った服ですが。顔のお化粧は私がしました。母は亡くなった人とは思えないほど綺麗になりました。これも在宅で看取ることの良い点だと思います。
実際に亡くなってゆく経過の細やかな情報ありがとうございました。お話を伺って、どう考えても典子さんが介護人となり在宅をお母様が選ばれたことは正解に感じました。
温かいお言葉 有難う御座います。涙が出ます。状況が許せば、本人が望めば、自宅での看取りも選択肢に入れて良いのでは、と皆さんに申し上げたいと思います。母の場合 最初はホスピス病棟に入って貰うつもりでしたが、「ホスピスに入るには本人が自分の状況、つまり余命が短い等を正確に把握している事が条件です。」と治療を受けた病院で聞き、母はその点が微妙だったので家の近所の在宅ホスピス専門クリニックを紹介していただきました。
先生の動画をいつも拝見させてもらってます。3ヶ月前に主人を直腸がんで亡くしました。亡くなる2ヶ月前に家に連れて帰って訪問の先生にお世話になりました。先生、スタッフの皆さんにはとてもよくしていただき感謝してます。主人は亡くなる数分前まで意識がしっかりしており朝食のミックスジュースと水に溶かした薬も飲んで30分後に苦しまず眠るように旅立ちました。朝のおはようの挨拶もしました。本人がその時初めて本当にきついと言いました。熱が39度あり血圧は計れませんでした。少し目を離して戻ってみると目が白黒しており意識がなくすぐに先生に電話しました。看取った時は先生も間に合わず私一人でしたが先生が来られて私の心のケアもしてくださいました。家に連れて帰って本当によかったと思ってます。
そうでしたか。直前までコミュニケーションがお取りになれたのですね。家でそのような時間をお持ちになることができて良かったですね。
ありがとうございます。本人には抗がん剤治療が出来なくなったとは言わずに退院前にストーマの手術をしたので家で療養と言っておりました。でも1ヶ月経った辺りから本人は気がついていたと思いますが私には何も言いませんでした。いつもありがとうと毎日のように言ってくれて私も主人には感謝してます。今でもあの頃を思い出すと涙が出ますが前を向いて進んで行ってます。
大変感銘を受けました貴重なお話有難うございました。
身近な人のせん妄、死期近い状態を経験したことがあります。1人は父です。最期にありがとうと言いたかったのですがあまり間際すぎてこれを言ったらもうお別れな気がしてしまい、新ためて言いそびれてしまいました😭結局伝えられてません…今後このようなことがあれば早めにありがとうをたくさん伝えようと思いました。死期間近な時は意識が確かでなくても昔の思い出話をたくさん語りかけようと計画しています。元気な時はお互い忙しくて語り合う余裕がないものです…💦あの時の父の癌と懸命に闘う姿が私たち子供に、ものすごい勇気や励みとなります事、本当に感謝しています✨
普通の生活をしていると、緩和ケアの先生方のお話を伺う機会がありません。こちらで色々教えていただけるとことに感謝です🙇♀️✨ありがとうございます😊
大腸癌で死んだ母の最期の7日、僕は病院に泊まり込んで付き添いました。
本当の「死に目に会う」ですね。点ではなく線の関わり。お母様も心強かったことでしょう。
とても参考になる動画でした。いつも、貴重なお話し、ありがとうございます。
ありがとうございます。励みになります。
この動画にもっと早く出遇いたっかった。。 見ておけばよかった。。 いや、配信が2/15でしたか。。遅かった。 こう云う終末期の問題を先々考えると縁起でもない気がして、触れないように避けて過ごしてしまいましたが、やはり準備すべきでした。 今、あれこれ後悔ばかりしています。 それにしても、コロナ禍において病院への面会もさせて貰えない状態では、担当医から正しく、いや、少し悪い事態を考えて状況を伝えて貰えないと、家族としては判断や準備が遅れる事ばかりでした。 最後の最後になって呼ばれても何もできなかったし、何もしてあげられなかった。 間違った言葉も掛けてしまったとも思う。 旅立ってしまった後ではもう何も取り戻せない。 緩和ケアの先生の動画を見ながら今、無念でならない。。
昨年末、親しい人を癌で亡くしたので、その前にこの話知っていたかった、という内容でした。ただ、後からでも残されたものの気持ちが少し軽くなる部分もあり、亡くなる人、残される人すべての人が後悔しないためにも心の準備として健康なうちに知っておくべきだと思います。先生、ありがとうございました。
そうですね。悔いが残らないように多くの方に知っておいていただければという事柄です。ありがとうございます。
父を亡くして5日。緩和ケアで約2ヶ月お世話になりました。コロナ禍の影響で面会日数、時間の制限がありましたが看護士さん達に良くしてもらって感謝の気持ちで一杯です。父の最期に立ち会う事ができ少しは親孝行出来たかなと思っています。緩和ケアの事は殆ど知識がありませんでしたが実際に看護士さん達の私達家族へのお心遣いは一生忘れる事が出来ません。本当にありがとうございました。まだまだ悲しさに負けてしまいますが残った母を助けていきたいと思います。
初めてこのお話を見ましたが全て当てはまります 私は母親をみとりました 19歳の時で母親は62でしたがはっきり記憶に残っています(現在私は54歳です) そうでした最期一週間は話が出来ませんでした まあその前に母親と大事な話は出来ていたので 最期の思いを聞き取れない事はなかったのだけが不幸中の幸いでした 緩和ケアは確かに大事だと思います母子家庭で母一人子供一人でしたので最期も看取れて良かったですただ、偶然にいる事ができたというわけなので こうしたお話は広めて頂いて 是非正しい知識を皆がもって取り組めたらです今後も宜しくお願い致します
貴重なお話をありがとうございます。35年前のお話なのですね。そばにいられたということで良かったと存じます。
お話を聞きそうだったのかと理解できました心がけていきたいと決めました
良かったです。
全ての人が知っておいたらいいお話だと思います。2000人以上もの死と向かい合ってきたなんて、先生のお仕事尊敬します。自身も医療従事者(カリフォルニア、ベイエリア)です。両親とも最期の頃は日本にしばらくいましたが、先生のような医師のもとで両親が最期を迎えられたらよかったのにと思いました。
ありがとうございます。この20年で日本の医療者の亡くなってゆく方を支える技術や経験、マインドはかなり進化したと思います。願わくば、どこにいても最善のケアを受けられるような状況になることですね。
昨年5月に在宅にて付き添い在宅緩和ケアにて専門医にお力をお借りして大切なパートナーを看取りました。あれから9ヶ月。いろんな葛藤の中、もがいていました。先生のお話をお聞きして、少し気持ちが楽になりました。ありがとうございます。
父のことを思い出して泣きました
わたしも同じです看取ること出来て良かったけれどその頃のことを思い出すと涙が溢れます
先生の「最期を看取る事が出来なかったという事を悔やむ必要はない。それまでの過程が大事なんだ」という言葉に私はすごく救われました。約6年前に重症筋無力症ならびに、胸腺腫で母を亡くしました。特殊な病気の為、専門医にかかるために、県をまたいで通院・入退院を度々繰り返しました。最期の数時間前にモルヒネを使い、それまでとても苦しんでましたが落ち着き、医師と相談して一旦帰宅した後に亡くなりました。これを読むと、こんな状態なのに何故帰ったのか?と批判を受けても仕方ないのですが、それまでせん妄もひどく、ほとんど寝ないで看病や仕事も行きながらでしたので、医師から「最期看取れなくても大丈夫ですか?」と聞かれましたが、私は帰宅を選択したのです。けれどやはり最期を看取る事が出来なかった事はずっと母に申し訳ない気持ちでいっぱいだったのです。たまたま今日この動画を見て、先生の言葉に本当に救われました。
お母様、そうだったのですね。きっとうらちゃんさんの背中に「ありがとう」とおっしゃったのではないでしょうか。ゆっくり休めるようにと考えたのかもしれませんね。
死を知ることは生きる大切さを確認することなのかなと。親しい人が亡くなって後悔しないように。ありがとうございます🙇
本当に、別れは予期していないことも多いですものね。それがこの世界に生きるということではありますが。その認識は、より良く生きることにもつながりますね。少しでもお役に立てば幸いです。
夫が癌で亡くなったのは10年前のことです。当時「1日でも長く生きて」と頼み、その最期はひどく苦しそうに見えたんです。無理をさせた、ひどいことをしていた、とずっと後悔がのこってましたが、先生の説明と比較したところ、見た目よりも苦しみは少なかったように思えます。気持ちがちょっと軽くなりました。動画を上げてくださってありがとうございました。
皆さん、こんにちは。あまり知られていないがんに患者さんの最期。知ることが力につながり、また良い準備につながるのは、他の事柄と同様です。新型コロナによって、看取りも影響を受ける事態が続いており、がんの高度進行期や終末期の患者さんにとってもそうです。これまで多くの方の看取りに携わった立場から改めて、知っておいたほうが良いこのことを動画にしました。ぜひご覧ください。
看取りに関して皆さんのご経験や思うところがありましたら、ぜひコメント欄でお教えください。
貴重なお話しを、有難うございました。
経験豊富な緩和院長先生ならではの、現実的なアドバイスですね。デリケートな話題なので、実際にはなかなか、ここまで聴く機会は無かったです。
とても勉強になりました🍀
10ヶ月ほど前に実父を見送りました。
高齢という事もあったのでしょうが、患部以外の臓器や体力的には良好だったので抗癌治療のための入院での急変でした。自力で病院へ向かえる第一連絡先の私が見送りました。
1日くらいでアッという間だったので、本人がどこまでこの展開を予想していたのか、痛みや症状から意識のある数時間の間に覚悟ができていたのか、コロナ禍で孫(私の子ども達)は病室へも入らせてもらえず、妻(実母)や娘(妹)は間に合わなかったことをどのように感じているのだろうとふとした時に考えてしまう10ヶ月でした。
医師が「高齢という事もあって急だったけど、今までも88年間、晩年の治療、とてもがんばってきた人生でしたね」と声をかけてくださったことに救われました。
先生、私のアメリカ人の夫なんですが、、、。
11月頃から、息切れしたり、軽い頭痛がありました。朝食も、その頃からたべなくなりましたが、夕食は、普通に食べてました。元々、高血圧で糖尿病で、薬を飲んでます。コロナが流行ってた頃、たくさんのビタミン剤を飲んでました。
でも、体調が悪いと病院へ行き心臓の弁が悪いと言われ、内視鏡で弁を交換する手術の時、心臓を見ましたが、心臓には全く異常ありませんでした。それ以降、体の皮膚を痛痒くなり、胸、男性の性器に皮膚の不快感があるようです。そして、さらに立っているとき足元がふらつくのです。足を少しでも触ると痛がり、圧力靴下をしてます。左の腕にも圧力のサポーターをしてます。動機、息切れもしていて、頭痛がするようです。最近、目が見にくくなってます。そして、、、朝、起きてトイレに行ったとき、意識を失い倒れて、鼻、顔を怪我しました。
突然、目が真っ黒に見えてしまい、怯えてわたしを呼んだこと2回、あります。
手の感覚も前から変だといってました。味覚異常になり、何を食べても美味しくなく、吐き気がするそうです。アイスクリームだけは美味しく食べられるそうです。
睡眠障害になり、夜は、体が痛痒いので眠れません。昼間、寝てる事が多くなりました。知り合いから強い痛み止めの薬を飲んだから、倒れたと言ってますが、そうは思えません。痛痒いのは手術の時、胸毛などを剃られた為に毛が伸びているとき、痛痒くなると言ってます。
脳梗塞でしょうか?癌でしょうか?本人に医者に相談してと言ってるんですが、行きません。
11月から、今日に至るまで、ますます、悪くなっていきます。
ちなみにコロナ検査5回しても陰性でした。血圧は、下がって、突然、正常値に上がったりします。安定してません。頭痛も激しくなってきてるようです。
先生は、これをどのような病気と思われますか?
母と妹がガンでした。二人とも、緩和ケアはなかったです。ただ、母は、この日まで持つかどうか?、妹は、もう覚悟をしてくれと、言われました。二人とも、苦しまずに逝けたと思います
昨日、100歳の祖母が亡くなりました😢
ここ2週間で先生の動画をいくつも見ていたので、全てに臨機応変に対応出来ました。
モルヒネ使用してましたが、身体のだるさを訴えていたので肩、背中、足のマッサージ何時間も、そして毎日してあげれました。
本当の最期の日は、手首の動脈もなく、尿は20ml(多分前の日のかな?)チアノーゼが出てきて下顎呼吸もしました。こちらは案外長く、この時はもう目は開け、瞬きもしておりませんでしたので意識はもうなかったと思います。
最期の最期で、先生のおっしゃる通り耳元で
「今までありがとう。痛かったろう、もう私は大丈夫だから、心配しないで逝って。また会おう、ずーっとばあちゃんのこと大好きだよ。」とゆっくり聞こえるように言ったら、その5秒後、スーッと息を引き取りました。耳は最後まで聞こえるって本当かもと今でも思ってます。
キレイな死に方、看取れたのもこのUA-cam、先生のおかげです。
ありがとうございました😊😊😊
あの世で再会したらまた一緒にネギ煎餅食べながらお茶飲んでいっぱい話ししようと思います。
ありがとうございました。私は肺腺癌ステージ4です。3週間に一度のアバスチン点滴とタルセバを服用して居ます。あと半年と言われてから、14か所の脳への転移をガンマーナイフで治療してもらい、化学治療と合わせてなんとか3年生き延びました。但し、緩和ケアの詳細が分からなかったので大変助かります。3週間に一度病院に通っています。緩和病棟のベッドが空いていれば、同じ病院で緩和ケアが受けられますが、空いていないとほかに見つけるしかありません。お墓は創らず永代供養のつもりで、お寺の検討もつけてあり、葬儀社も資料は集めて大体きめてあります。一番心配だったのが、最後は麻酔が効かず痛くくなるのが心配でした。緩和ケアへの判断は医師が決められるようですが、通常どれくらい前でしょうか、歩けなくなってからだと大変だという思いがあります。今から思えば胸が変な痛さをよく感じてしばらくすると痛みが治まっていました。60肩だと思って外科病院、接骨院に通っていましたが、ある日突然、指が勝手にぴくぴくしたのでこれはおかしいと思い、たまたま近くにあった、脳内神経科で頭のCTを念のために撮ってもらうと、脳に脳溢血ようなものがあったのですが、すぐに大きな病院にで監査してもらいました。脳への転移が4,5か所あったので、ガンマーナイフは無理なので全能放射と言われましたが、10か所以上でガンマーナイフができる病院を見つけて治療してもらいました。71歳まで生きれたので、特に後悔はないです。今は、大好きな音楽の作詞作曲をMIXしてyou tubeにアップしています。コロナの情報も大変たすかります。RmNAワクチンはどうしても信頼できません。
Covid-19感染拡大の頃より拝聴しておりました。
大変貴重な動画をありがとう存じます。
2週間前まで元気いっぱいであった母が、閉塞性黄疸からステージⅣの状況にあって、緩和ケアが必要になるとは夢にも思わない日々の真っ只中にいる私にとり、慰めと前進できる力をいただける具体的なアドヴァイスを頂戴致しました。
心から感謝申し上げます。
親父は最後痛みで苦しんだので安楽死のできない日本は拷問みたいで嫌だった。治らないのなら一週間の延命とか意味がない状況で少しでも苦しまない方が良いと思いました。
心から尊敬申し上げます。
病との闘いはつまるところ苦痛との闘いと思うのですが、緩和医療に携わっておられる先生のような方々が、日々患者や家族の心身の苦痛に向き合っておられるおかげで、多くの方々が救われています。
先生方の過酷な現場でのご奮闘に、心から感謝と畏敬の念を捧げたいと思います。
私の弟は膵臓癌になって摘出手術をして、その後肝臓に転移が見つかり31歳で亡くなりました。膵臓癌が発覚してから8年間の闘病でした。
最期の2日前、体をバタバタさせお父さんお母さんと叫びながら苦しむ様子がずっと忘れられず、そして何も出来なかった自分がとても情けなく落ち込んでいました。その状況が5時間ぐらい続いた後昏睡状態になり、翌日そのまま旅立ちました。
母から聞いた話では最期はゆっくりと大きく呼吸し苦しそうではなくスーッと息を引き取ったという事でした。
でも私はもっと昏睡状態が続くかと思い一回自宅に戻ってしまい、最後の瞬間は立ち会えず間に合いませんでした。
その事もずっと悔やんでいたのですが、こちらの動画で心肺停止は全細胞が死んだのではないと言う先生のお話を聞いて、救われました。
私が着いたのは心肺停止の約40分後ぐらいだったので分かりませんが、もしかしたらまだ耳は聞こえていたかもと思うだけでもとても救われましたし涙が出ました。
それと、弟は亡くなる約一週間前、まだ会話ができる時にちゃんと自分から「お姉ちゃんありがとう」と伝えてくれてました。
私はその時まさかその数日後に亡くなるとは思ってなかったので「またお見舞い来るから」ぐらいしか言えずそれももっとちゃんと声掛ければ良かったと思っていたのですが、弟からありがとうと言ってくれた事を感謝しちょっとでも前向きになれるように生きて行こうと思えました。
今までなかなか人に話せず辛かったのですが、貴重なお話をして下さりありがとうございました。
長々とすみません。
このような大変なお仕事の中、発信して頂けるなんて大変有り難いです。
この動画を見られた方は皆さん安心されているかと思います。癌患者さんと、その家族の方が少しでも楽になれますように祈っています。
父が危篤になってから1ヶ月泊まり込みで病院に居ました。当時私は10歳、意識がないのに輸血で痙攣を繰り返し、下を噛まないように処置され、かなり苦しみながら亡くなりました。私は現在緩和ケアの看護師をしています。緩和ケア、本当に大切だと思います。先生、これからも応援しています。
意識がはっきりしている間に家族に感謝出来ればそれでよい。その瞬間を見せる必要はないと思っている。ただ、痛みを緩和してもらいたい。
緩和ケア病院で肺がんの父と過ごした1週間 とても有意義な時間でした。緩和ケア病院の先生や看護師さんには感謝の言葉しかありません。
先生のお話の通りの1週間でした
お父様、そうだったのですね。有意義な時間であったとのことで、良かったです。
大津先生お久しぶりです。いつも貴重なお話を有難うございます。今私は海外に単身赴任しておりますが、4年ほど前に家内の両親が高齢のため、親孝行出来なかったと後悔せぬように、相談し日本に帰しました。昨年家内の父親に膵臓がんが見つかりました。義理の父は92歳です。家内の参考にと、この動画を紹介しました。緩和医療の先生がいるのですが、それに先立って大津先生のご専門の緩和医療についての予備知識が役に立つと思ったからです。大変役に立つと家内も喜んでおります。用意があるのと無いとでは対応に格段の差が出ると思いました。大変有難うございました。
父の最後に立ち会いました。
前日まで会話が出来、本人も覚悟していました。ケンカばかりの夫婦でしたが、長い間手を握りあい、母はお別れの言葉を口にし、父は母をただ見つめていたのがとても印象的でした。
実の子供にもわからない、夫婦の絆がそこにあるのだと感動すら覚えました。母がそばにいることが父にとっては最大の緩和ケアのようでした。
亡くなる数時間前から、呼吸の間隔があくようになり、いよいよなのだとなぜか感じたので、仕事中の兄を呼び寄せました。
母がトイレに行き、席を外したほんの数分を狙っていたかのように、父は逝きました。唖然とする母に、
「逝くとこ見られるのは恥ずかしいらしくて、わりと多いのよ」
と看護師さんに言われました。
「お父さんらしいなぁ」と思いながら、頭をワシャワシャ洗ってやりました。
今でも、母は笑いながら父の悪口を言います。亡くなったからといって、善人にはしてもらえないようです。
その関係性を見ると、らしい逝かれ方だったのではないでしょうか。夫婦の関係はそれぞれであり、喧嘩ばかりだから悪いというわけでもないですものね。印象的なお話、ありがとうございます。
おすすめ動画をなんとなく見ていたら、先生のチャンネルに辿り着きました。5年程前に母の余命宣告をうけ、大切な人を看取る作法を購入して読みました。先生の本を読んでいたので、終末期の母の姿を受け入れる覚悟ができ、最期の瞬間まで逃避することなく寄り添うことができました。最後の鎮静への承諾書へのサイン、今でも思い出すとつらいのですが、先生の本を読んでいなかったら受け入れられず、母を苦しませ続けてしまったと思います。大切な事を教えてくれる本をありがとうございました。
初めまして。
お勧めにでて来ましたので観させて頂きました。
一昨年の10月に母は誰にも看取られず、1人で逝ってしまいました。病院に着いた時は、まだ温かったです。その日に行ってたのにです。
そしてその後、母の四十九日法要があった6日後に父が永眠しました。父は重症肺炎でした。
2019年12月21日の午前2時01分に病院から電話があって、一時間後に到着した時父は返事をしました。
そして、その約一時間後最期看取りました!
良く頑張ったねと声を掛けてあげました。医師からは年越し出来る様に頑張ってみようと言われましたが、残念でしたが86歳で往生しました。
最期は大きく息をしてこの世から去りました。
女医さんでしたが、父の事で延命治療はどうされますかと聞かれましたが、苦悩した結果しないと言う同意書にサインしました。
父は母の元に行きたかったんだろう、母が淋しくて呼んだんだろうと思っています。
耳は最後まで聴こえると知ってたので、ずっとずっと話しかけてました。
今は、時間が解決してくれました。
長文失礼しました。
良いお話をありがとうございました。7年前に母を緩和ケア病棟で看取ったときのことを思い出しながら、お聞きしました。
今日の話題はとても心に残るものでした、1月の中頃にパートナーが体調不良で入院してその時のお医者さんにクオリティーオブライフを考えていった方がよいと言われました。やはり87歳という高齢で身体の中にある臓器もだいぶ疲れているので家に帰ってきても完全には回復していないですね。今は主に私が面倒をみていますがやはり長年連れ添ったパートナーが衰えていくのを見るのはつらいです。まだ寝たきりとかにはなっていないので本格的な介護ではないのですが、先を見据えていこうといろいろ準備を始めようと自分に言い聞かせています。私のパートナーはもう少し頑張れるように思っていますが、この動画をこの後も何回か見て学習なりシュミレーションをしていきたいと思います、身に迫る話題でつらいですが私自身が健康管理を怠らず生活をしてこの先もパートナーに寄り添っていきたいと思います、ありがとうございました。
「長年連れ添ったパートナーが衰えていくのを見るのはつらい」とのお気持ち、拝察いたします。できるだけyoshis12さんとパートナーさんが一緒の良い時間が長くありますことを心から願う次第です。
いつも受け止め易い仕方で教えて下さってありがとうございます
わたしも父を在宅で看取りました
本当に先生がおっしゃる通りの過程を辿りました
わたしの家族の場合、家で看取れてよかったと思いました
病院よりずっとみんなと過ごせたですしわたし達も穏やかに出来ました
緩和ケアはほんと大切です
先生も看護師さんも専門なので
本当に親切で志しの高い方々です
今でも思い出すと涙が溢れますが緩和ケアをして看取れて良かったと思います
先生の動画が皆さんの勇気となりますように
長文失礼します。
母は胃癌だったのですが、褥瘡の方に苦しめられました。
胃が痛いのはステントがずり落ちた時位。
それと出血があるので輸血に助けられ、故にホスピスは諦めました。
毎日通える所、桜が見える所・・・等色々考えていたのですが。
喜んだのは氷をガーゼにくるんで吸わせた時でした。
その間に毎日体を拭いて変化をチェックします。
セラミドクリームも薄く塗ります。
耳は最後まで聞こえると思っていたのでずっと話しかけました。
と言っても夕方から一時間位ですけどね。
部屋に入る時、看護婦さんの真似をして「〇〇さ~ん!」
と言いながら入ると「は~い!」と毎日返事が返って来ました。
最後の二日以外は。
看護婦さんに「尿が少ない」と言われ「いつでも連絡をとれるように」
と言われ、服を着たまま携帯を胸ポケットに入れ、毎日こたつで寝ます。
ついに朝の4時に電話が来ました。夜中バイクで病院に行きました。
母は暖かいまま私の手の中で亡くなりました。
でも私は「お母さん、寝てばっかり。又夜寝られなくなるよ」と
いつものように言っておりました。
反応の無い母に話しかけるのにはもう慣れていました。
4年前の事です。昨日の事のように覚えています。
身内で癌をお持ちの方へ。
癌で死ぬのは結構良いですよ。
ゆっくり今までの事をお互い話し合えますから。
そして親孝行のチャンスを与えてくれますから。
それとせん妄状態になっても諦めないで下さい。
話しかけ続けると、ふとまともになりますから。
”部屋に入る時、看護婦さんの真似をして「〇〇さ~ん!」
と言いながら入ると「は~い!」と毎日返事が返って来ました。”
ほほえましい印象を受けました。
療養を少しでも明るくするということは大切ですね。
貴重な情報ありがとうございます。
こんなに情報化された現代でも知られていない
お話しでした。
親、自分の終末に役立てます。
それならば良かったです。
去年母が肺腺がん末期で他界しました、コロナ渦でなかなか面会できず、面会できたの1回で、最後は看取りの時に面会できて、エンゼルケアさせてもらいました。まだ母ロスから立ち直りできなくて、母は介護の仕事してたので、看護師さんにも優しかったそうです!母に会いたくてたえれません。
ありがとうございました。
半年前に癌が発覚した祖母が3/18に亡くなりました。タイミングよくこちらの動画を出して下さって、見ていたので心の準備が出来ました。
ご飯食べられるからまだ大丈夫かな?
身の置き所のなさや怠さが出てきたな。
あーあー言い出したから危ないかな?
意識が無くなってきたな。
と考えながらお見舞い出来ました。
とても分かりやすい表現でした。
おかげで母にも説明してあげられることが出来ました。
コロナ禍でしたが、後悔しない最後の1,2週間を過ごすことができました。
もともとコロナ関係でチャンネル登録していましたが、コロナ関連も緩和ケア関連もとても参考になりました。
本当にありがとうございました。
先生、いつも貴重なお話ありがとうございます。
亡くなった身内全員の最期を思い出し、涙致しました。
全員誰しも迎えなければいけない臨終の大事を受け止めることが出来ました。
私の祖父は、どんなことがあっても、一秒でも長く生きたい、とにかく延命治療をしてでも痛みに耐えてでも長く生きたいとずっと言い続けていたので、家族は、その意志を尊重して最後までやり遂げました。
その祖父の意志の強さは臨終前日まで意識を保ち、最後の親戚の一人が来るまで心臓を動かし持ちこたえようと戦っている姿に映りました。
気丈な祖父でしたが、最期の最期まで、貫いていたので驚きでした。
拙い文章で申し訳ございませんが、とても有難いお話でした。
今後とも見させて頂きます。宜しくお願い致します。
お祖父様、そうだったのですね。やはり人それぞれの思いがありますし、それに沿ったときに、人は力強く生きられるのかもしれませんね。一概に「やらないのが善、延命治療は悪」とは到底言えないですね。それぞれが心の声に耳を傾け、それに沿うことが大切ですね。貴重なご経験のお話、ありがとうございました。
私の母も昨年10月に亡くなりました
その時もお世話になりましたが、緩和ケアに携わる皆様には本当に頭が下がります
ありがとうございます
何故なのか、自然に涙がこみ上げてきます。自分の最期の時も先生のような担当医師であってほしいものです。約28年前に肺癌を患っていた父が最期は吐血が止まらなく呼吸困難で亡くなった事を思い出しましたが、この動画のおかげで、気が楽になりました。ありがとうございます
4年前に咽頭癌で母を亡くしました。
当時は現実を受け入れきずこの手の動画を見る勇気がわかなったことに物凄く後悔しています
以前、10年寝たきりだったALSの家族を看取ったことが思い出され先生のお言葉が救いになるように思いました。人は思いの中で生きているんですね。道徳を超越したところにこの医療があるように感じました。
ALSのご家族がいらっしゃったのですね。ふとした瞬間に以前の記憶が鮮やかに浮かんできたりすることもありますよね。生死の場というのは多くのことを私たちに伝えてくれる場であるとも感じます。
五年前、母の最後はまさに先生の話してくださった様子そのものでした。
こういうものはその時知っていたかったですね。多くの方にこの動画が届くことを祈ります。
そうでしたか。知らないと、動揺が強くなったり、これではいけないのか(自然ではないのか)と思ったりしますものね。
有意義なチャンネルですね。
情報不足の人々に素晴らしい
情報を届けておられる。
尊敬します。
お言葉ありがとうございます。励みになります。
15:00 くらいからのお話が、すごく優しく寄り添ってくれていると感じました… 良いお話をありがとうございます。
母親が脳内出血で意識がなくなり、寝たきり療養病院へ転院になりました。今回のアドバイスとても参考になりました。
妻は50代でした。
人は皆最後を迎えるのですから、生きている方が優れているわけではありませんが、死をさげすみ見ないふりをするのは本能でしょうね。
臨終の数日前に、仕事三昧で苦労をかけたねと詫びた時に「そんな事ないよ」と言ってくれたのが今でも救いになっています。
最後へ向かうプロセスを知る事は、手遅れになる前に聞けることを聞いておくために、とても大切です。
”仕事三昧で苦労をかけたねと詫びた時に「そんな事ないよ」と言ってくれた”そのようなやり取りがあったのですね。そのような機会を持てる方ばかりではないので、それは本当に良いことだったのではないかと拝察いたします。
昨年の1月に義弟を見送りしました。57年の生涯でした。
大腸がんが全身に転移して、脳にも転移していたようで、最後の4日間は意識が無く、あまり苦しくはなかったと思います。
前年の12月に、このサイトに出会い、緩和ケアのある病院へ転院して、穏やかな3週間を過ごせました。
本人はもちろんですが、寄り添う家族にとって、緩和ケアの有難さを実感しました。
先生には感謝しております。
命の終わりを選べるのなら、癌等の病で苦しむ事無く、家族にも寄り添い、見守ってくれる緩和ケアで、終焉を迎えたいと願います。
義弟様、そうだったのですね。それならばお役に立てて良かったです。 緩和ケアは患者さんだけではなくご家族も支えるものです。時として患者さんよりもご家族がつらいということもありますものね。誰もが穏やかに生を全うできることを願ってやみません。
このお話を聞いて、生きている元気なうちにも、楽しい時間や大切な時間を分かち合うことの大事さを痛感しました。
そして、早めに行動しておくほうが、間際よりもいいという事も、周りに知らせておきたいと思いました。とても大事な事ですね。ありがとうございました。
新型肺炎で先生の動画に出会いましたが、緩和ケアについての今回の動画、父の時のことを思い出しましたしとても良い動画でした。ありがとうございます。
お父様もがんなどのご病気でしたか。誰もが見送り、また見送られるものなので、この事柄を知っておくことも大切ですね。いつもありがとうございます。
こうゆう真実を知っておいて欲しい人達がいるので、先生の動画は助かります。
然るべきときがきて、緩和ケアについて調べるときに引っかかってくれるといいなと思います。
いざという時に役立つとうれしいですね。現在進行系でもたくさんの方が直面していたり、困ったりしているのではないかと思いますし。
先生はじめまして
いつも動画拝見しております。
昨年夏に元気だった母が急性心不全と診断され入院。コロナ禍で面会もままならず母とは会えない日が続き食事を受けつけないと聞き家に連れて帰る選択をしました。その手続き中に尿量が少なくなり危篤状態で家に連れて帰り最期の4日間一緒に過ごすことができました。意識はしっかりしていましたが息があがり先生のおっしゃる様に顔をしかめ身のおきどころのない様子でした。我慢強い母が「もういや!」と言い在宅で看ていた私は1日でも長くいたいけれど1日延命し辛い表情の母をみるのは耐えがたく緩和医療をしていただきました。今これで良かったのか母に聞きたい気持ちでいっぱいです。
「1日でも長くいたいけれど1日延命し辛い表情の母をみるのは耐えがたく」偽らざる心境ですよね。ただその大変な時間にNたここさんがそばにいてくださったことは支えであったのではないかと存じます。
以前先生にもお話しましたが、肺癌で自分は母を亡くしました。もし…もしあの時先生の様な緩和ケア専門のお医者様と縁があったら自分も、そして苦しむ母の看護を1人で仕事をしながら寝ずに頑張った父もどれ程救われたんだろうと今更ながら悔やみます。イヤ悔やんでも悔やみきれません。あれから既に20年くらい経つんですが、未だに絶対に繋がる筈のない母が暮らした実家に電話したりします。勿論「この番号は現在使われておりません」の冷たいメッセージが流れるだけなんですが…何故か定期的にかけてしまいます。それだけ母の最期があれで良かったのか?と言う想いから抜け出せない自分がいるからでしょうか?今現在、またこれから自分と同じ体験をするであろう皆さん、是非緩和ケアを良く理解して頂き是非積極的に利用して下さい。自分の様な後悔を残さないために
お話、ありがとうございます。見送った側は色々と考えてしまうものですよね。 20年前といえば、私も研修医の頃。その頃の緩和ケアは、今と比べてずっと未成熟なものでした。昔の患者さんにはもっと楽をさせてあげたかったですが、それが叶わないことも今よりずっとありました。緩和ケアもより進歩し、穏やかな療養と悔いが少ない看取りが当たり前になってほしいと願っています。
いつも有り難う御座います。
感謝致してます。
次は自分の番です。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
カナダで夫の在宅緩和ケアをし 最後を看取りました。夫が自分で建ててきた家で最後まで一緒に過ごそう 最後の一瞬まで、そう決めたからです。本当に多くの人に助けられました。先生が動画でおっしゃった 本人が最後を決めている、それは夫の死を前にした心理のカウンセリングで カウンセラーの先生にも言われたことです。自分でその時を決めている様にみえると。そして夫も、自分で適切な時を選んだ、そんな最後でした。不思議です。病気でコントロールができない自分の体なのに 最後はちゃんと自分で選ぶことができるのですね。
いつも ためになる確かな情報発信をありがとうございます。
在宅緩和ケアを受けられたのですね。逝く時というのも人それぞれで、見送る側はそこに何らかの思いを感じ取ることが多いですよね。そしておそらく、その受け取り方が正解なのだと思います。人は不思議です。いつもそれを感じます。ありがとうございます。
両親を既に見送った身ですが…こういう大切なお話しはご家族の方々に知っておいて頂きたいです。かんわいんちょう、有難う御座いました。
貴重なお話ありがとうございました。今後の参考にさせていただきます。
緩和ケアに携わる医師のなかなか耳にすることの少ない貴重なお話初めて聞かせて頂きました。大変なお仕事ですね、でも無くてはならない大変ありがたいお仕事だと思います。これからも宜しくお願いします。
いつもありがとうございます。
兄が余命宣告されています。
なので、こちらの動画を見るのが怖かったのですが、見て良かったです。
そう遠くないその時がくるのがとても怖いですが…😢😢😢
ありがとうございました。
癌ではありませんでしたが、当てはまる事が多いと思いつつ伺いました。死に目に合えませんでしたが、心肺停止の瞬間だけではないとのお言葉に癒やされました。
ありがとうございました。
本当は間に合っているのではないか、ということはよくあり、呼吸停止だけで間に合っている・いないと即断しなければ、後々苦しむ方も減るのではないかと思います。
ウチの母親は癌で亡くなりましたが私は死に目の看取りは親が教えてくれる最期の事だと思って見ていました。
そうですね、私もそう思います
親が子供達に教えてあげられる最期の仕事ですよね
こうやって、もといた場所に帰っていくんだよ、って
偉大なる存在ですね
18:30~
女の子の話👍 「出来る事は必ずある」力強い言葉!
素晴らしい動画。大変ためになりました。そして心に響きました。ありがとうございます
癌患者のリハビリを担当している作業療法士です。先生の話はとても、勇気と安心につながり、明日からの活力になりました。ありがとうございました。
良かったです。ありがとうございます!
3年前母を看取りました。私は臨月でした。入院して1ヵ月もせず亡くなりました。途中で緩和ケアを受けられる病院を紹介されて転院しました。余命など言われませんでしたが、孫を見せてあげることは難しいと言われ毎日病室を抜けては泣いていました。その度に看護師さんに付き添ってもらって本当に感謝しています。
先生の言われていることが母と重なり色々思い出しました。
歳をとっても子供に迷惑をかけたくないという母でしたが、出産と最期が重なったらどうしようと心配していた私のことを想ってか、孫が生まれる12日前に旅立ちました。
今もまだつらいです。でも子育ての忙しさで涙を流す時間が減りました。
最期は数人集まっていましたが、ちょうど私と母だけになった時に亡くなりました。もっともっと話しかけてあげれば良かったと思いますが、そばで看取れたことだけが心の救いです。
そうだったのですね。お話、ありがとうございます。「孫を見せてあげることは難しいと言われ毎日病室を抜けては泣いていました」という言葉から思いが伝わってきました。そうですね。きっとお母様の思いがあったのでしょうね。子に迷惑をかけたくないというのは親の思いですものね。ただmi Y- ・さんとお二人の時に逝かれるなど、お母様の思いは伝わってきますね。
大変お忙しいお仕事の中、このような貴重な情報をビデオで撮影しアップいただきありがとうございます。私の父が亡くなる時、ホスピスで大変お世話になり、先生方及び看護師の方に大変良くして頂きとても感謝しております。お医者様ならびに看護師の方など、それから病院を経営されている方、このような尊い仕事があるのかと改めてその時に認識いたしました。改めてお礼申し上げます。
最後の娘さんの話…涙が止まりませんでした
声が届き、心が通じて、、、自分的には
お母さんの最期の娘さんへの優しさだった様に受け取りました
娘を心配させない為に、娘に最期は穏やかな顔を見せる為に…母は強し…です(勝手に解釈)
娘さんも本当に安心出来たと思います
お母さんを痛みから解放してあげれた、と。
その愛情を忘れずに、元気に育って欲しいです
6年前に夫を見送った時を改めて思い出しました。辛いことですが、夫を見送ったことは私の誇りでもあります。両親は発作で旅立ってしまったので、ガンでも最期まで話せたことは有り難かったです。
大切なことを真っ直ぐに伝えて下さる先生の姿勢に感銘を受けました。ありがとうございます。
他の病気と比べると比較的遅くまで話せる病気でありますものね。良い看取りを行うことは、誇りにもつながるものですよね。
先生の動画にたどり着けて幸せです。
父を膵臓癌で亡くし、同年私も乳がんで手術しました。
父には、最後まで頑張ろう!ずーっと守るから!と言い続けていました。
そんな私に父は寄り添ってくれてました。私も当たり前のように、励まし続けました。でも、父が大好きだった主治医には『先生、わしいつまでこれが続くんや?もう辛い』と。
主治医は私達家族に、眠らせる麻酔しますか?本人は苦しんでるのです。と言われました。もちろんその時私は、反対しました。
そして父はその数日後亡くなりました。
悲しすぎてしばらく立ち直れませんでした。
私自身、癌で術後苦しくて苦しくて看護婦さんに『これが続くならもう殺して下さい』と伝えた時、
父はこんな気持ちだったのかと、やっと理解できました。
死ぬことは楽になることと知りました。
看取りのある施設で働いています。最近3人の方が立て続けになくなりました。今も看取りの方がいますが、おっしゃる通り、そうだなあと頷きながら動画を見させて頂きました。私の両親も高齢なので、とても参考になりました。ありがとうございます。
素晴らしい動画をありがとうございます😭
私の父は、約4ヶ月、家で緩和ケアを受けて亡くなりました。毎朝、声を掛けに実家の父に会いに行ってましたけど、ある朝、父の穏やかな顔を見た瞬間に、私は、今日だと感じ、父に「お父さん!痛みからやっと解放されたね!」と心の中で、お別れの挨拶をしました。
その日の夕方、父は90歳の生涯を終えました。
父が、自宅で緩和ケアを受け初めてから約2ヶ月した頃に、私は、精神的ストレスで、顔面神経麻痺になり、入院してしまいました。
母は、父が亡くなった8ヶ月後に、自宅でくも膜下出血で倒れ、奇跡的に命は取り留めましたけど、会話することもなく、病院に4年近く入院して、94歳の生涯を終えました😞
私の顔面神経麻痺は、今でも完治していませんが、見た目は大分、普通になってきたので、楽になって来ました。
両親のオムツ一つ、取り替えることもしなかったなんて、私って、どんな運命なの?と思います。
でも、90歳まで、元気でいて子供孝行してくれた両親に感謝‼️です。
私も、息子達の為に、元気でいられるように、努力して過ごしてます❗️💓
「今日だ」との予感があったのですね。誰かをなくすということは大変な負荷を伴うものであり、今看護にあたっているご家族にも気をつけてほしいと勝又さんのお話を聞いて改めて感じました。子供のためにも元気、大切です😊
人でも動物でも最期の時を迎えると不可解な行動を取ることがあります。死の淵にいる本人にしか苦しみは理解できません。家族はただ見守ることしかできなくなり非力さを悟り悲しみや儚さという感情と毎日過ごすようになります。
緩和医療が患者本人にも見守る家族にも最も相応しい医療だと私は思います。もっとこの分野が広まってほしいです。
先生のおっしゃる通り知るという事の重要性を私も痛感しております。先生のUA-camは大変価値のあるものであり今後も見させて頂きます。お忙しいとは思いますが今後もぜひ継続して下さい。
「人でも動物でも最期の時を迎えると不可解な行動を取ることがあります。死の淵にいる本人にしか苦しみは理解できません」本当にその通りですね。 かくも不思議な命というものを支える領域である緩和ケアがますます浸透することを願う次第です。お言葉ありがとうございます。
父親が元気な頃から、「絶対に延命はするな」と言っていたため、ガンの診断を受けたときに取るべき方向がハッキリしていました。ありがたいことに化学療法が効いて元気なまま13年過ごせました。最後は「多臓器不全」で亡くなりましたが、心停止で救急のお世話になって、1ヶ月入院、病院で最後を迎えられました。確かに最後まで耳は聴こえていたようで、話しかけるとまばたきをしていました。90歳でしたので、長生きしたんじゃないかと思ってます。
化学療法で13年はすごいですね。まばたきされていましたか。さすがですね。そして90歳、大往生ですね。
死とは点ではないという事を教えて頂き、大変勉強になりました。今後看取りのご家族にそうお伝えしてまいります。緩和ケアはとても大事な医療の部分だと思います。これからも勉強させて頂きたいと思っています。
点であるとの捉え方で損をしてしまっている方は少なくなく、線で捉えるのが当たり前になってほしいですね。
凄い仕事をしていますね。ある程度患者に寄り添う必要もありますし、客観的に科学的に判断して、何をするべきかも判断する・・・頭が下がります。
緩和ケアの医療従事者のみなさん、私もいつかお世話になります、よろしくお願いします。
ありがとう御座いました。
感謝します。もっと早くこの話聞きたかったです。
真実を受け止めることは大切だと思いました。
緩和ケアは必要ですね♪
お話を聞いていて涙が止まりませんでした。
何故かはわかりませんが・・・
お話の最中には、亡くなっていった猫たちやまだまだ元気な母親のこと・亡くなったおじさんの事が頭をよぎっていきました。
私にできること・やっていかなくてはいけない事いろいろ考えて準備しなくては!と思います。ありがとうございます。
いつも貴重なお話ありがとうございます。
在宅でのお見取りは理想です。
病院の終末期は本当に辛いです。
在宅事情などで病院を選択される方が多くなりましたが、今、また在宅を選ばれる方も多くなってきました。
在宅診療をする先生が増えたおかげと思います。そして、緩和ケア看護認定看護師も在宅診療所に多くいることも増えました。環境が整ってきたのだと実感しています。
先生にぜひお願いがあります。在宅で介入される方に早期からエアマットをお勧めして頂ければと思います。終末期に褥瘡ケアで時間をとることはとても辛いです。
今は、スモールポジションチェンジ機能が付いたものもありますので、体位変換も不要なものもあります(介護保険でレンタルできます)
ご検討をして頂ければ幸いです。
エアマットの話、ありがとうございます。重要な情報です。
父の看取りをしました。私にとって「死」は忌み嫌うものではなく、身近なものです。知って安心し、準備できることは大変ありがたいことです。チャンネル登録します、今後とも宜しくお願い致します。
ありがとうございます。
亡き父は、生前中、自分の方最期は、モルヒネ投与、父の痛みは、医師・看護士さんしか知りません。見舞いに行った際ている様出来たした。鹿児島と夢🌈で昔の思い出を回想していた様でした。生前中、食事食べる際姿勢がわるかったのか…?誤嚥性肺炎になりました。入院した頃は、痛みの段階を父にどのレベか看護士の方が聞いていました。痛みは、本人しか分からないですね🐭生前中亡き妹にもしも自分の方最期は、家に連れて帰って欲しいと生前中の父の最後の言葉でした。今思い出せば、生きている間に親孝行するのが当たり前の゙事ですね🐭男の子は親孝行あまり…亡き両親感謝足りません。私自身花亡き両親に感謝しかありません。最後の両親の顔萩霊園でした。まるで寝ている様でした。亡くなった時の顔は穏やかでした。まだ両親には、生きていて欲しかったです。👥二人の人生が分かると…お疲れ様でした。生前中のは母に11月1日・誕生日報告したかったですが母の体調悪化しあうことも何も出来ませんでした。産んてくれてありがとうと言いたかった…生前中、母の誕生日、8月6日、窓越しでしたが母は、泣いていました。洋子かえと母は、分かつてくれました。私も涙💧しました。後ろ髪惹かれる想いで一杯でした。母の命日、11月19日・私の誕生日は…………11月1日・孫は11月18日、11月19日は私自身は救急救命士資格講習中でした。長文になり私事で申し訳ありません。大変貴重な動画配信して頂きありがとうm(_ _)mございました。大分より🐒♨️🌰🍎🎃🎃🐣
癌ではなく、老衰ですが、御礼が言いたくて失礼します。この動画を見て、心の準備が出来ました。ありがとうございました。
残りわずかな施設の親に昼間だけ付き添っています。
1日3時間程度だけ、眼を開けて意志疎通出来ています。食事はもう、1ヶ月以上取っていません。1日すいかのゼリーを3口程度だけです。水分も1日多くて150ccです。なのでおしっこも3日に1度少量です。血圧は、1度70以下になりましたが、今は100位あります。チアノーゼは出ていない。下顎呼吸もない、などで参考になりました。声は話はほとんど出せませんが、YES,NO.を首を少し揺らして伝えてくれます。あんなに夜中まで脚が痛いと痛み止めを飲んでいたのに今は、薬がなくても、痛みや苦しみはないと伝えるのが不思議です。
言われているように、最後の時に立ち会う事よりも、それまでの過ごし方や会話がとても大切だと感じます。今までの感謝を伝えることに躊躇せず伝えたいと思いました。最後まで何度も何度でも伝えようと思います。ありがとうございました。
弟が、5年間の闘病のち、肺癌で亡くなりました。病院に駆けつけましたが、15 分遅く臨終に立ち会えなかったです。
まるで、寝ている様で直ぐに起き上がるのではないか? 穏やかな寝顔でした。私より先に、おふくろに会いに行くなんてずるい。今頃、仲良く話し合っているだろうな。
涙が溢れて止まりません。 長文すみません。
それだったら間に合っているかもしれません。死の時間はあくまで便宜的なものであって、全細胞死ではありません。もしかすると藤井さんの言葉も聞こえていたかもしれませんし。思いは届いたと思いますよ。
自分も63歳です。2002年、1月に父を、12月に母を送りました。初めての介護と葬儀を、兄妹3人で執り行いましたが.....いろいろな、知識不足、大変不足で、反省し、また、後悔も残りますが、今度は私が子供に送られる番になりつつあります....お勉強させて頂きます。心より宜しくお願いします。
叔母が大腸癌で、余命1ヶ月。
やっぱり、信じたく無いし、心の準備が。
思い出が多い分、辛いです。
でも、後悔しない様に話はしょうと思います。
とても勉強になる動画ありがとうございます。私を看取る家族にも是非見せておきたいと感じました。
確かにご家族に見せておくという方法もありますね😊
治る見込みがない状態なら尊厳なんて必要ないし数日命が長引いたりしなくて良いから、痛みや苦しみを感じないように麻薬でもなんでもガンガン打って意識がない状態にしといて欲しいと思います
意識があってこそ、自己選択ができてこそ、尊厳があると考えている人間にとって、最期に尊厳死を選ぶことができるように、早く法整備をしてほしい、と思っている。現状では、自殺という選択肢も考えている。
素晴らしいお話ありがとうございました。両親共にガンで亡くなって色々思う事がありました。夫や自分に役立てたいと思います。
ありがとうございます。お役に立てば幸いです。
私の父も4年前がんで、亡くなりました。病院にかかっていましたが、緩和ケアをちゃんとうけさせて
あげられなかったのが、後悔しています。緩和ケアは早期から、まさしくそうでした。
かんわいんちょの動画をもっと早く知っていればと思います。緩和ケアがもっと世の中に広がりますように、
この動画が広がることを切に願います。
10年前に肺ガンで父が他界しました。私の誕生日の日に亡くなり、その歳は厄年だったので、父が厄を持って逝ってくれたのだろうと話していたのが記憶にあり、今でも思い返すと涙が止まりません。末期という事もあって、最期は緩和ケア病棟にお世話になっていましたが「痛い思いや、苦しまないようにしてあげて下さい」と伝えていたので、死に目にも会えず看取ってあげる事も出来ませんでしたが、苦しまずにあの世へ逝ってくれたと思いたいです。
入院中の父が危篤になり、急いで駆け付けましたが、私が到着するのを待っていたかのように、着いてすぐに亡くなりました。医師が父の容態を話していたら、急に目を見開いて私の顔を見たとたん、心停止しました。最後に息子の顔を一目見ようとしたのでしょうか、不思議な体験でした。
それは待っていましたね。お父さん、さすがですね。
父が末期ガンで亡くなった時を思い出しました。
肺気腫で長期に治療を受けていたが、発見が遅くなり、判明した時は余命3ヶ月と診断された。
家族としては、告知するのは辛かったが、本人は予想以上に(不満を言う事なく)サバサバしていて、救われた。
ギリギリまで普通に過ごし、父といろんな事を話し合えて、多くの事が理解できて本当に貴重な時を過ごす事ができた。(父の事が一層好きになれた。)
家族が死と向き合う時間も貴重な時だと思いたい。
肺癌の母を在宅で看取りました。もう16年前になります。近くに緩和ケア医はいなくて呼吸器内科にかかりましたが最初の医師は疼痛コントロールが難しいと骨転移で苦しむ母にモルヒネが使えないので、ほかの医師に変わりました。その医師に積極的治療がないなら絶対に苦しめたくない!あらゆる苦痛を取り除きたいと告げました。薬はほぼ私が与えられた薬で上限以内で疼痛コントロールしました。母はびっくりするくらい最期まで凛としていました。訪問看護師さんが考えが同じで私に寄り添って下さり助かりました。母は私が手を握り、ある歌を歌うとか気持ちよく眠りました。
その歌詞は死にゆくときの不安や大切な人(私でした)にもう会えない不安を壮大に和ませる内容でした。(母がなくなってから理解しました(^^;) そういう音楽とか歌とかも緩和ケアには大切なものだと思いますよ。母は私の腕の中で息をひきとりました。眉間にしわもよせませんし、亡くなる2日前にコーヒーゼリーが食べたいと言い、急いで買ってきたコーヒーゼリーを「おいひい」(「し」がもう発音できません)とかすかに微笑み一口食べ、それっきり何も食べられなくなりました。最期までトイレでようをたしたのも人間らしくほこらしく凛とした姿を家族に見せて亡くなりました。皆さんも癌でもそれが出来る事を知っていただきたい。ありがとうございました。
お母様の緩和ケアはきっと参考になる方もいると存じます。ホスピスなどでは音楽療法が行われたりもしていますね。施設差はありますが、緩和ケア病棟では歌や音楽が大事にされていますね。
お返事ありがとうございます。最近新型コロナについて正しい発信をされているので先生の動画はいつも拝見させていただいております。私は母の肺がんに際して、自分で緩和ケアを学ぶことを選びました。当時ヤフー掲示板で東京のホスピス医さん等がアドバイスして下さる掲示板があり、文献なども送信してくださり、一生懸命学びました。相手が自分の母だから出来たことだと思います。母は私の言うように薬を飲み、私が作る食べ物を食べてくれました。緩和ケアを勉強して一番疑問に思った事は点滴でした。点滴は末期においてなるべくしない方が良いと考え、食事は訪問看護師さんに多めに食べたと報告しました(^^;点滴はなされたとしても私の判断で外しても良いことになっていました。点滴は腹水や胸水につながり余計に母を苦しめる事がわかっていました。母は老衰と同じように本当に肺がんだったのか?と思う亡くなり方でした。体が衰弱してきた頃にはステロイド(リンデロン)を処方してもらうと母は「明日は買い物に行けるわ」と言ってかなり元気感が出たようです。あらゆる緩和ケアに徹しました。在宅で看取ったので母の思い出があちこちに残っていて、頑張って介護したけれど思い出すとかなり悲しいです。母と良い時間が過ごせただけに余計にその時間を愛おしく思い出して後悔がないはずなのに重い気持ちになります。悲しいです。
貴重なお話ありがとうざいます。
死を考えたとき、一番怖いのはその瞬間まで痛かったり苦しかったりするのだろうか?
という事だったでお話を聞いて少し恐怖心というものがなくなりました。
父を癌で亡していますが、本人の希望もあり特に延命措置をすることもなく最後は
本当に眠るように穏やかに亡くなったと思っております。
家族全員が病室に集まり、病室内ではありますが、家族だけのとても有意義で大切な
時間を過ごさせていただいた事は今でも忘れることができません。
最後のお母さんのお話、もう号泣してしまった。わたしにも幼い子がいますし、高齢出産で2人目にして体調も思うように戻らなくて、実母が悪性リンパ腫で今は寛解してますが、抗がん剤のだるさやその他の症状と闘ってる姿を見たり、実父が脳梗塞で1週間、昏睡状態で集中治療室へ、その為、ほぼ病院のロビーに寝泊まりして最期まで見守った事を思い出し、これから年老いていく母に、私のできることは何なのかを考えさせられました。
自分の最期を考えると安楽死を日本も許可してほしい。。スイスやアメリカの州に飛ぶための体力、気力、サポートしてくれる人員がいる人が全てじゃないし。意識がはっきりしてるうちに、自分で選択したいと思う人がほとんどだと思います。
日本が法整備が進まないせいで、法外な安楽死が事件もあるのに。
意識混濁していく中でも、人の脳は苦しみから解放されたいと最期まであがいてるはず。それを伝えられなくなっただけだと感じてしまいます。
実際の、脳波を調べたりする事で
意識レベルの低下した状態でそれらの感情も感じられなくなっているという立証はできるんでしょうか。。
それが出来ないなら、自分の意思で伝えられるうちに決断したい。
母が卵巣癌で在宅介護しています。本人の希望で今は抗がん剤をやっておりません。入院するとせん妄をおこしてしまうので最期まで家で過ごす事が母の願いです。この動画に今回出会えて良かったです。保存するとともにノートにも書いておきました。貴重なお話しをありがとうございます。
救われました。ありがとうございました。
有難うございます。そのうち自分も迎えるであろう死について、恐れではなく救いとか癒しのような話として聞くことができました
私も、父と母を亡くす直前は、ただ、うろたえるばかりでした。呼吸が荒く苦しそうに見えましたが、本人は差ほど苦しくなかったのではないかと、お話を聞いて、思うようになりました。
病院に駆け付けたとき、目を瞑ったまま、荒々しい呼吸をしながら、「ア!」と言って息を引き取りました。私が来たのを確認したかのように。そんなことは?と思いましたが、先生が仰る通り、死の瞬間を母が自分で選んだような亡くなり方だったのです。
10年前 胃ガンの末期だった母がもう入院したくない、家におりたい。と言うので仕事を休んで実家に戻り、在宅ホスピスクリニックの医師看護師の御指導のもと春から夏の終わりまで数ヶ月在宅で介護し看取りました。母は幸い最後まで痛みがなく、浮腫んでダルいことが悩みでした。点滴は全くしませんでした。酸素吸入を使ったのも最後の一週間だけです。確か亡くなる2週間ぐらい前まで好物の本マグロの中トロを美味しい美味しいと言って食べていました。その後 マグロ の意味もわからなくなり、固形物が食べられなくなり、、私は悲しくなりましたが、本人は不思議そうな顔をしていました。最後に食べた物はアイスクリームと桃でした。元々食が細いのに美味しいものが大好きな母でしたから、在宅を選んだのも、私を介護人に選んだのも正解だったんじゃないかと思います。本当はいろいろと細かい点を悔やんでしまったりするんですが、いくら反省してもやり直すことが出来ないので、最近は アレで良かったんだ。私で良かったんだと思うことにしました。
それから、亡くなった後看護師さんに体を拭くなどの処置をして頂き、母のお気に入りのブティックで私が選んだ可愛いシャツに着替えさせて頂きました。本当は通院用に買った服ですが。顔のお化粧は私がしました。母は亡くなった人とは思えないほど綺麗になりました。これも在宅で看取ることの良い点だと思います。
実際に亡くなってゆく経過の細やかな情報ありがとうございました。お話を伺って、どう考えても典子さんが介護人となり在宅をお母様が選ばれたことは正解に感じました。
温かいお言葉 有難う御座います。涙が出ます。
状況が許せば、本人が望めば、自宅での看取りも選択肢に入れて良いのでは、と皆さんに申し上げたいと思います。
母の場合 最初はホスピス病棟に入って貰うつもりでしたが、「ホスピスに入るには本人が自分の状況、つまり余命が短い等を正確に把握している事が条件です。」と治療を受けた病院で聞き、母はその点が微妙だったので家の近所の在宅ホスピス専門クリニックを紹介していただきました。
先生の動画をいつも拝見させてもらってます。
3ヶ月前に主人を直腸がんで亡くしました。
亡くなる2ヶ月前に家に連れて帰って訪問の先生にお世話になりました。
先生、スタッフの皆さんにはとてもよくしていただき感謝してます。
主人は亡くなる数分前まで意識がしっかりしており朝食のミックスジュースと水に溶かした薬も飲んで30分後に苦しまず眠るように旅立ちました。
朝のおはようの挨拶もしました。本人がその時初めて本当にきついと言いました。熱が39度あり血圧は計れませんでした。
少し目を離して戻ってみると目が白黒しており意識がなくすぐに先生に電話しました。
看取った時は先生も間に合わず私一人でしたが先生が来られて私の心のケアもしてくださいました。
家に連れて帰って本当によかったと思ってます。
そうでしたか。直前までコミュニケーションがお取りになれたのですね。家でそのような時間をお持ちになることができて良かったですね。
ありがとうございます。
本人には抗がん剤治療が出来なくなったとは言わずに退院前にストーマの手術をしたので家で療養と言っておりました。
でも1ヶ月経った辺りから本人は気がついていたと思いますが私には何も言いませんでした。
いつもありがとうと毎日のように言ってくれて私も主人には感謝してます。
今でもあの頃を思い出すと涙が出ますが前を向いて進んで行ってます。
大変感銘を受けました貴重なお話有難うございました。
ありがとうございます。
身近な人のせん妄、死期近い状態を経験したことがあります。1人は父です。最期にありがとうと言いたかったのですがあまり間際すぎてこれを言ったらもうお別れな気がしてしまい、新ためて言いそびれてしまいました😭結局伝えられてません…
今後このようなことがあれば早めにありがとうをたくさん伝えようと思いました。死期間近な時は意識が確かでなくても昔の思い出話をたくさん語りかけようと計画しています。元気な時はお互い忙しくて語り合う余裕がないものです…💦あの時の父の癌と懸命に闘う姿が私たち子供に、ものすごい勇気や励みとなります事、本当に感謝しています✨
普通の生活をしていると、緩和ケアの先生方のお話を伺う機会がありません。こちらで色々教えていただけるとことに感謝です🙇♀️✨ありがとうございます😊
大腸癌で死んだ母の最期の7日、僕は病院に泊まり込んで付き添いました。
本当の「死に目に会う」ですね。点ではなく線の関わり。お母様も心強かったことでしょう。
とても参考になる動画でした。いつも、貴重なお話し、ありがとうございます。
ありがとうございます。励みになります。
この動画にもっと早く出遇いたっかった。。 見ておけばよかった。。 いや、配信が2/15でしたか。。遅かった。 こう云う終末期の問題を先々考えると縁起でもない気がして、触れないように避けて過ごしてしまいましたが、やはり準備すべきでした。 今、あれこれ後悔ばかりしています。 それにしても、コロナ禍において病院への面会もさせて貰えない状態では、担当医から正しく、いや、少し悪い事態を考えて状況を伝えて貰えないと、家族としては判断や準備が遅れる事ばかりでした。 最後の最後になって呼ばれても何もできなかったし、何もしてあげられなかった。 間違った言葉も掛けてしまったとも思う。 旅立ってしまった後ではもう何も取り戻せない。 緩和ケアの先生の動画を見ながら今、無念でならない。。
昨年末、親しい人を癌で亡くしたので、その前にこの話知っていたかった、という内容でした。
ただ、後からでも残されたものの気持ちが少し軽くなる部分もあり、亡くなる人、残される人すべての人が後悔しないためにも心の準備として健康なうちに知っておくべきだと思います。
先生、ありがとうございました。
そうですね。悔いが残らないように多くの方に知っておいていただければという事柄です。ありがとうございます。
父を亡くして5日。緩和ケアで約2ヶ月お世話になりました。コロナ禍の影響で面会日数、時間の制限がありましたが看護士さん達に良くしてもらって感謝の気持ちで一杯です。父の最期に立ち会う事ができ少しは親孝行出来たかなと思っています。緩和ケアの事は殆ど知識がありませんでしたが実際に看護士さん達の私達家族へのお心遣いは一生忘れる事が出来ません。本当にありがとうございました。まだまだ悲しさに負けてしまいますが残った母を助けていきたいと思います。
初めてこのお話を見ましたが全て当てはまります 私は母親をみとりました 19歳の時で母親は62でしたがはっきり記憶に残っています(現在私は54歳です) そうでした最期一週間は話が出来ませんでした まあその前に母親と大事な話は出来ていたので 最期の思いを聞き取れない事はなかったのだけが不幸中の幸いでした 緩和ケアは確かに大事だと思います
母子家庭で母一人子供一人でしたので最期も看取れて良かったです
ただ、偶然にいる事ができたというわけなので こうしたお話は広めて頂いて 是非正しい知識を皆がもって取り組めたらです
今後も宜しくお願い致します
貴重なお話をありがとうございます。35年前のお話なのですね。そばにいられたということで良かったと存じます。
お話を聞きそうだったのかと理解できました心がけていきたいと決めました
良かったです。
全ての人が知っておいたらいいお話だと思います。2000人以上もの死と向かい合ってきたなんて、先生のお仕事尊敬します。自身も医療従事者(カリフォルニア、ベイエリア)です。両親とも最期の頃は日本にしばらくいましたが、先生のような医師のもとで両親が最期を迎えられたらよかったのにと思いました。
ありがとうございます。この20年で日本の医療者の亡くなってゆく方を支える技術や経験、マインドはかなり進化したと思います。願わくば、どこにいても最善のケアを受けられるような状況になることですね。
昨年5月に在宅にて付き添い在宅緩和ケアにて専門医にお力をお借りして大切なパートナーを看取りました。
あれから9ヶ月。
いろんな葛藤の中、もがいていました。
先生のお話をお聞きして、
少し気持ちが楽になりました。
ありがとうございます。
父のことを思い出して泣きました
わたしも同じです
看取ること出来て良かったけれど
その頃のことを思い出すと涙が溢れます
先生の「最期を看取る事が出来なかったという事を悔やむ必要はない。それまでの過程が大事なんだ」という言葉に私はすごく救われました。
約6年前に重症筋無力症ならびに、胸腺腫で母を亡くしました。特殊な病気の為、専門医にかかるために、県をまたいで通院・入退院を度々繰り返しました。
最期の数時間前にモルヒネを使い、それまでとても苦しんでましたが落ち着き、医師と相談して一旦帰宅した後に亡くなりました。
これを読むと、こんな状態なのに何故帰ったのか?と批判を受けても仕方ないのですが、それまでせん妄もひどく、ほとんど寝ないで看病や仕事も行きながらでしたので、医師から「最期看取れなくても大丈夫ですか?」と聞かれましたが、私は帰宅を選択したのです。けれどやはり最期を看取る事が出来なかった事はずっと母に申し訳ない気持ちでいっぱいだったのです。たまたま今日この動画を見て、先生の言葉に本当に救われました。
お母様、そうだったのですね。きっとうらちゃんさんの背中に「ありがとう」とおっしゃったのではないでしょうか。ゆっくり休めるようにと考えたのかもしれませんね。
死を知ることは生きる大切さを確認することなのかなと。
親しい人が亡くなって後悔しないように。
ありがとうございます🙇
本当に、別れは予期していないことも多いですものね。それがこの世界に生きるということではありますが。その認識は、より良く生きることにもつながりますね。少しでもお役に立てば幸いです。
夫が癌で亡くなったのは10年前のことです。当時「1日でも長く生きて」と頼み、その最期はひどく苦しそうに見えたんです。
無理をさせた、ひどいことをしていた、とずっと後悔がのこってましたが、先生の説明と比較したところ、見た目よりも苦しみは少なかったように思えます。
気持ちがちょっと軽くなりました。動画を上げてくださってありがとうございました。