この映像と島田姿で ”十三夜”を唄う映像が大好きです。一回り後に生まれていたとはいえ、日本に居た二十歳半ばまでほとんど島倉さんに注意を払わずにNYへ来てつい2年ほど前までは、全く縁のない人でした。たまたま、日本にいる同級生と美空ひばりか島倉千代子かどちらに惚れるか?という話になり、以来、事あるごとにこの二人の動画を見て、結局64歳までの島倉千代子と晩年の美空ひばり、という回答をだしました。生前のなまの姿を拝見できなかったのが、残念でなりません。折角、日本に日本に同時代に生まれて居たのに惜しい事をしました。N Y 在住
直立不動で有名な秋田県出身の東海人太郎‼️‼️😳🎼🎶🎶🎶🎶✨✨✨❤️💖💖💖🙏
昭和歌謡のひとつの到達点のような、すばらしい歌唱ですね。なんど聴いても感動します。
何て素敵な唄でしょう。
お千代さんにぴったりの歌ですね!まるでお千代さんの為に作られた歌みたいですね!何回かコマ劇場の舞台で拝見しましたが芸者姿も色っぽくゾクゾクしたのを覚えています。ありがとうございます。
彼女の生の舞台を拝見されたとは、なんとも羨ましいことです。最近になり、彼女の素晴らしさ、美しさに気付かされた次第で、なんとも悔やまれる思いをしています。
あの偉大な東海林太郎がお千代さんの傍では小さく見える。お千代さんの全盛期、本当に素晴らしい、今でも惚れ惚れします。
国宝級です!
じゃず
この頃の島倉さんは円熟期の最高の歌い手の頃ですね
日本を代表するに相応しい見事な歌声です 330,385 回の視聴 2021年11月22日 午前2時04分
言葉の選択が粋の極み。
全盛期のお千代さんは本当におおきかった。
こどもの頃から お千代さんのファンです。昨年地区の敬老会で 東京だよおっかさん
歌とお芝居を企画 楽しんだ頃より今度は 隅田川 🎶
試案企画中👌
この歌の元となった永井荷風「すみだ川」では幼馴染の長吉は18でとお糸は16という設定。 お互い好き合った仲だったが、お糸が芸者見習いに通いだした頃より長吉の胸は憂愁の想いにとりつかれていく。 今戸橋の欄干に身をもたせかけて夕月を眺めるにつけお糸との楽しかった昔の日々が思い出されてくる。 たまに長吉の家に立ち寄る芸者姿のお糸は長吉の想いとは裏腹にあっけらかんとして、今後お糸自身が大きく変貌していくだろうことに気づいてないよう。
そう、原作ではすみだ川沿いを歩いたり今戸の橋を渡ったりの際に、自分の力ではどうしてやることも出来ない不甲斐なさ遣る瀬無さに泣きたくなる思いが込み上げて来るのは長吉のほうだった。
永井荷風の原作に川口松太郎が脚色したものを作詞家が元にしたためにこういう逆転が起きた。 まぁ女性を悲劇のヒロインに仕立てたほうが一般受けするだろうし、日中戦争のさなかのこと故 女のことで思い悩む女々しい男像は当局の取り締まりの対象となったであろうことを思料すると致し方なかったのかもしれない。
島倉千代子を2・3曲聴いているうちにここに突き当たりました この歌の元が永井荷風の作品とはしりませんでした 早速読んでみようと思います コメントが極めて簡潔で 文体が体言止め(非常に大きな意味で)で余韻の香りを残し 何事もなかったかのような風体(失礼)でさらっと仕上げる ハイレベルだな この様な印象をもちました そこで是非お教え願えればと思いますのが東海林太郎のことです 歌手の命たる声質が古びた孔だらけの木綿ごしのそれで無彩色である故まるで精彩がなく唯一の取り柄が直立不動 これが私の印象で この様な歌手が何故に国民的大歌手と言われるほどのカリスマたり得たか 少し いや大いに違うのではないのか 壮大なる幻想ではなかったのか ヒントだけでも与えて頂ければと思いまして筆をとりました 宜しくお願い致します
2311柏戸 様 わたくしの拙文に対して過大なる御評価、恐縮の極みです。
さて このデュエットでの東海林太郎氏の歌唱は冴えませんね。 この収録より約二年後に亡くなられているので かなり体調が悪かったのでしょう。 氏の活躍期は昭和の初期から戦前戦中なので 現存する当時の録音も限られてしまっています。 それゆえ今日の我々には評価し難いかなと思います。 しかし「名月赤城山」や「国境の町」の歌唱は同氏ならではの味があり、他の歌手のカバーからは得難いものです。
この「すみだ川」については、何かの歌番組の中で司会の玉置宏が「東海林さんはこの曲を島倉さんに譲った」と言っており、その真偽を確かめるソースはないのですが、このVの収録でのお千代さんの歌唱力と凄みに東海林氏は圧倒されただろうことは想像に難くなく、この収録時から「すみだ川」は完全に島倉千代子の歌として上書きされることを自他共に許したのではないか、そう推察します。
お千代さんにはことのほか日本調がはまる例は「十三夜」において顕著です。 樋口一葉が明治28年に上梓した小説「十三夜」を元にしたこの曲は戦後榎本美佐江に吹き込まれてヒットしましたが、お千代さんが優雅に上書きしてしまっていると思います。
返信頂いたのを機に今度はじっくり私なりに丁寧に読み直した 何度も繰り返した 的確な言葉の使い その運びはあらゆる無駄をそぎ落とすも伸びやかを失わない 原作(直ぐに青空文庫で読みました 予想以上に長かったですね)がわずか一握りの言葉であっけなく集約されてしまった 散文でありながら詩の香りが漂う 漢字も多用されておりながらひらがな文の味を残す うーん「見事」相当の素養の裏付けがなければこうは書けまい こう書きながらも『道ばたのたった一枚の葉っぱに心を奪われ 一体お前は日本のGNPにいかほど貢献しているというのだ』の声がする 狂四郎はいう『俺は明日の為に生きてはいない 今日という刹那に生きているる』美の行きつく涯はかぎりない虚無 雷蔵狂四郎と田村狂四郎 どちらも心誘われる 東海林太郎のことはすっかり忘れていました すいません
2311柏戸 師と仰ぐ森鴎外と同様 明治の文体の荷風の文は読みづらいですね。 日本調(=江戸情緒)の中に美を認める荷風は自らを時代遅れの変わり者と任じつつも、明治の文明開化以来の開発の波で東京の景観が徐々に失われていくことには強い批判的意識を持っていなかったように思われます(日和下駄)。 彼は自由な高等遊民さんですが、漱石と違い社会や文明に批判的な眼を向けず、手前勝手上等を地で行くモノ書きなのでGDPに貢献など夢想だにしなかったでしょう笑 。
日本の年号が平成から次のものへと変わることを意識しだした昨年辺りから 日本人の心の変遷を今一度再確認したい一心から、島倉千代子、美空ひばり、ついで田端義夫等々を改めて聴き直す作業をしているところですが、脱線に次ぐ脱線で、目下美空ひばりカバーによる「湯島の白梅」があまりに良いので 歌詞中にある「お蔦、主税」の物語「婦系図」(泉鏡花作)を暇読みしています。
♪ 都鳥さえ一羽じゃ飛ばぬ~♪ 「名にしおば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」 在原業平が隅田川で詠んだ、この和歌ですね。出張時、田原町で泊まったホテルの上階からは、眼下に東本願寺別院の長大な甍が広がり、目を移せば言問橋や今戸まで一望で、今でもこの歌詞と荷風先生が描いた長吉の道程を、わずか乍らその名残を留めていました。
詳らかに解説いただき感謝します。
元になった永井荷風『すみだ川』を読むと、反射的にご両人のこの唄が。小説の主人公は東海林太郎のように生真面目一本で女性には小心。恋するおきゃんなお糸は芸の習い事に出ると、長吉は夢遊病者のようにその稽古屋まで彷徨う。
芸者の小唄勝太郎姐さんや神楽坂はん子姐さんが歌謡界で活躍された時代に、お千代さんはずいぶん小唄や端唄はじめお座敷芸にも通じられたのではと、この唄から思いを巡らします。
日暮れの鐘の声〜
Peerless, Unparalleled, One of a kind, Flawless, Unrivaled Shimakura.
この映像を見て一言「日本に生まれて良かった!」
この映像と島田姿で ”十三夜”を唄う映像が大好きです。一回り後に生まれていたとはいえ、日本に居た二十歳半ばまでほとんど島倉さんに注意を払わずにNYへ来てつい2年ほど前までは、全く縁のない人でした。たまたま、日本にいる同級生と美空ひばりか島倉千代子かどちらに惚れるか?という話になり、以来、事あるごとにこの二人の動画を見て、結局64歳までの島倉千代子と晩年の美空ひばり、という回答をだしました。生前のなまの姿を拝見できなかったのが、残念でなりません。折角、日本に日本に同時代に生まれて居たのに惜しい事をしました。N Y 在住
beautiful
東海林太郎は確か早稲田出身 直立不動で歌う人でした。
すごいなあ
佐藤惣之助の詞が素晴らしい🎵
勤め始めて、「下町の人だろ」言われて、歌ってみた曲です。
大御所東海林太郎さん島倉千代子さんのすみだ川、島倉千代子さんの直接東海林太郎さんに「手紙」書かれ実現したテレビ番組でした
reminding me Kyoto!
カセットテープがあります
This is sure the essence of the world of Japanese art, which sends shivers down my spine.
わたしは演歌より歌謡曲の方が好きです
演歌は江戸を感じる曲が少ないのですよ
演歌は田舎っぽいです
このすみだ川も良い ua-cam.com/video/ACEWxgF1rjg/v-deo.html
正直な話、自分の持ち歌である東海林太郎、完璧歌唱のお千代さんの前では形無しですな。 というよりこの隅田川はこの時点より島倉千代子の持ち歌となりました。