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私も7ヶ月入院した経験があります。強制入院で1ヶ月ほど奥の間(隔離病棟)で生活しました。人権って何?見学に行った刑務所の受刑者の方がよっぽど人権を尊重されていたよね?って言うくらい、ひどい扱いを受けましたよ。看守のような看護師に、上から目線で色々言われたり、監視されたり。お願いしなくちゃ、歯ブラシや洗面のタオルも出してもらえない。若い男性の看護師が見張る中で入浴させられるとか。もっと、広く、沢山の方々に知ってもらいたい。扱いだけじゃなく、本当に苦しんでいる病気の人たちの悩みとか、葛藤とか、1人ひとりにそれぞれの人生の歴史があるんだって言うことや…。あきらめと頑張りの行ったり来たりの思いとか。
多様性とは「分けない」「一緒にいる」という事なのに、「分ける」という事に慣れた世界では、本当の幸せは見つけられない。「次は自分が分けられる番ではないか」と、必ず自分が苦しくなってしまいます。自分が世界で、世界が自分。益田先生、考えるきっかけを与えて下さり、ありがとうございます。
「甘えていいのかなと思わせて突き落とされる感じ」はすごく受けますね。障害者として生きると障害者雇用に障害年金など制度は見かけはあるんですが、大抵は最低賃金、支給が曖昧な障害年金、企業の中では生産性は求められつつ「障害者さん」の扱い。障害者を分けたいのか活用したいのか大枠の社会設計が曖昧だなとは思います。
2010年(かなり昔ですが)、カナダで障害児を育てているお母さんに呼ばれて、会いに行きました。現地では少数民族とか人権教育の講演の通訳もしつつ。人権意識の差は当時から抱いていたものの、国内で共有できる人がなかなか見つからなかったのですが、益田Dr. がそこに着眼されていることもわかり、ホッとしました。ピアサポーターを目指せるかどうかのバリアはあとは私の資金力のバリアのみ。もし、バリアを突破したらその時はよろしくお願いいたします。
生まれながらに与えられる、人として生きる権利が、欧米で言う人権。対して日本は、義務を果たせなければ権利がない、という考えが強いと何かで読みました。早く欧米並になってほしい。入管や障がい者施設での虐待問題など、知るたびに、日本人として悲しくなります。
日本において信頼と甘えは確かにごっちゃになりやすい概念なのかもしれないですね。
今年は人間関係で悩む事があり、益田先生の動画を観るのが癒やしでした。人間関係の悩みを解決するのに、この動画が役立ちそうです。
日本人ってひとつになりたがるというか、「思いやり」や「気遣い」もある意味境界線を踏み込ませたり踏み込むことなんだけど、お互いに利益があるから許されてて、そういうことを周りにも求めて境界線をなくすことが当たり前になってるのがすごく嫌です。一見優しくて温かさがあるように見えて依存的で自立できてない個人主義の真逆みたいな感じ。
少しでも優しい世の中にしたい。優しくされたいのなら、自分から他人に優しくする。守られたいのであれば、自分が他人を守る。私は今32歳。死ぬまでにどれだけ社会貢献できるのだろうか
国連の指摘もわかるし、日本の改善策もわかります。フランスは、以前大統領のゴシップを告発した新聞社に対して、国民が反発しましたね。フランス留学は、ビザの関係もあり、日本に戻りましたが、日本では生きにくいと感じていました。もう一度行きたいです。
お話にもあったようにやはり自分の命を賭けてでも自分の立場を獲得するような本物の動機が無いところに本物の権利意識は育ちづらく、認識するのも難しいのではと思います。時代は変わっても、必要な代償というか、自腹を切らないとその大切さは理解しづらいというか。日本が理解するのは難しいと思います。
日本は家父長制度の元の人権だから、ろくなものじゃない。
もともとは社会科学が専門だったんですが、現在はアメリカで子供の特別支援教育を受ける権利を守ることを生業にしている者です。初めてコメントします。益田先生のお話は精神医学だけではなくて、哲学だったり社会学や文化人類学的な領域についてもよく触れられているので面白いなと思って拝見してきたんですが、今日はまさに私の興味関心+仕事の内容にドンピシャでした。この件について、先生と個人的に議論してみたいと思うくらいに。ただ一つ強調しておきたいと思ったのは、少なくともアメリカでは、通常学級で分離されずに教育を受けるのは『障害を持った子供の権利であって、義務ではない』と言う点についてです。そして別に欧米社会だからと言って、人権意識が行き渡っているかといえば、そうではないです。教育委員会や学校側が特別支援教育に関する法律を十分に認識しておらず、法律違反をしていることが少なからずあるくらいですから。だからこそ、特別支援教育を分離されずに受ける『子供とその親の権利』について、法律で事細かく定め、それが守られない場合の手続きについても、具体的に示されているのです。また分離されない教育を受ける権利もありますが、分離してもらって専門的に障害に応じた教育をする学校も多種多様にあります。それを主体的に選ぶのは、親であり子供です。(実際はとても大変なので、私のようなそれをお手伝いする仕事が必要なのですが)。また私は「優しい日本人の気配り」についてもよく理解しています。でもだからこそ、優しい気配りでは少なくとも発達障害の支援には事足りないし、また逆効果になることも良くある、という事も数多く経験しています。まぁだからと言って、日本の特別支援教育はどうすればよいのか、については正直言って分かりません。ただ、日本の風土に合うのかどうかは別としても、非常に具体的な支援教育のシステムが整っていて、それが現在でも毎月のようにアップデートされ続けているアメリカから見て思ったことをツラツラと書かせていただきました。これからも頑張ってください。応援しています。
益田先生の人権の話は興味深いものでした。
精神科病棟が収容所と化している基本的には座敷牢の時代から病棟に移行しただけ…
国連に言われてもなぁ…って感じ。同じ人間相手に残虐で非道な行いを繰り返す国も見て見ぬふりだし
私は障害者福祉の仕事をしています。分離教育の話がありましたが、成人の障害者施設においても、地域とどう関わりを持っていくかは大きな課題です。コロナ禍において、更に関わりが持てなくなっています。。
1:30 特別支援学級に関しては、大人の価値観を押し付けるのではなく、その子に合った環境を作ることが大切だと思う。障害のある子供が特別支援学級に通うパターンと、通常学級に通うパターンだと、後者の方が人間関係をうまく築けていないことが多いのが現場の感想。特別支援学級なら本人に合わせた人間関係の練習を先生がすぐそばで考えてくれるけれど、通常学級ならほぼ100%クラスの中で浮くし、多く場合イジメの対象になる。ただでさえ当事者は、物事の理解の難しさや、どう頑張っても越えられない自分の中の壁に悩むのに、通常学級だとより一層悩む上に同級生からの心無い言葉で傷付くことが多い。精神疾患を患うことがあれば、尚のこと将来の就職にも影響が出る。実際それで8050問題にもなる。大人の価値観で無理やり一緒にするのではなくて、本人の特性に合わせた環境を作ることこそがバリアフリーだと思う。本人に合った環境を用意することは分離教育ではなくノーマライゼーションだと思う。
自分が障害を持っていると分かってから世の中の仕組みに怒りを覚えたりしたけど、うまく手を抜ける人以外は定型でも生きにくい社会なんじゃないかとおもいます。人を思いやる余裕がないですよね。あとお金にしても福祉を充実させてほしいと思うけど、同時に一般の人達の手取りも増やしてほしい。20年サラリーマンやってましたけど、税金で全然手取り増えません。そんなだと福祉ばっかり金使ってって思いたくなる気持ちも分かるし、貰う方も後ろめたさがあります。
支援学級においては知的と情緒の場合は授業カリキュラムが先ず違いがあるのが日本でそれを何十年も変わらない状況でいることと教師においても何も支援学級においては知らない教師が配属されることが多いのが現状ですので今回国連からの話は凄く良い傾向であるが大々的に報道されないのが未だ日本の現状です。
長年地方の精神科病院でPSWをしていましたが、病院のあり方とソーシャルワーカーの価値観の間のジレンマが年々大きくなり先日退職しました。病院にもよるのでしょうが、知的発達認知症の方々を長期に入院させて、対応出来なければ拘束するとか😔病院は、結局は病床を埋めなければやっていけない。そこから給料をもらいながら、患者さんの人権を訴えていても強い無力を感じました。このような動画を発信力のある先生がされることに価値があると思います❣️
カウンセリングでは、クライアントが能動的かつ貪欲になることがよいと思います。時間と空間、心理士さんのスキルや経験を利用させていただく契約。安全な空間で、ときに苦痛を伴う深掘りに伴走していただいています。たまにアハ体験というか、なにかの発見の瞬間に立ち会っていただくこともあります。エピソード記憶として残りやすいですし、痛みも喜びも共有していただくイメージで感謝しています。
私が小学生のとき、クラスメイトに二分脊椎や、知的障害、識字障害、自閉症の子が普通にいました。先生の力量もあったと思いますが、休息教室があって、そこに時々行っているだけでした。障害者の保護者の方は、権利は言うけれど、学校や預け先への義務や責任は負っていない気がします。それが甘えなのだとは思いますが。そこから改革が必要な気もします。日本人の意識を変えて行くのは難しいですね。
ある精神科病院の隔離病棟に3ヶ月入院したことがあります。そこでは、看護師が毎日、痴呆の老人や統合失調症の幻覚妄想のある患者が理不尽な暴力で看護師の虐待を受けていました。人間は愚かなので、人権の問題は解決しないと思いますが、弱者は閉鎖的でない場所に身を置ける人は、そのほうが安全かもしれない。
分離教育と長期入院と権利と義務について、本音と建前が見られる気がします。<分離教育について>指導力が低下している教員を分離教育しないまま行うと、学級崩壊、学校崩壊などが一気に増えます。つまり、現場でこのようなトラブルを避けたいため、分離教育というものがそれらしいもっともな理由をつけて実施しています。現に、教員になって最初にするものに「裁判対策の保険へ加入するといい」というアドバイスをする人が多いです。病名や知能検査などを取り繕って、指導力不足を隠しています。この本当の原因は、教員養成課程のカリキュラムにあります。教員として真につけておくべき力を培うことができないカリキュラムだということです。これが、欧米諸国と大きな違いです。<長期入院について>1.お金です。私が入院中元気な患者さんが半数以上いました。その人たちに共通していたのは、「入院に数が長くなると、保険金がもらえるので、もらえる日数分満期まで入院することにしている。」と言って入院を続けていたことです。彼らは、一定期間すると、保険料をもらうために入院し直します。本当に入院すべき人であっても、保険に入っていない、入ることができない人は、早々に退院していました。2.薬です。欧米諸国と薬の強さや処方できる量が異なります。このため、治療期間の長期化を招いています。薬の種類についても大きく異なります。日本で認可されていないものが多いです。効果があると困るのは、製薬会社ではないでしょうか。長期間使えば潤うのは、製薬会社です。医師や患者ではありません。<権利と義務について>患者や児童生徒とその保護者は、医師や教員と全く違います。患者や児童生徒とその保護者は義務を果たさなくても罰せられません。医師や教員は、厳しく罰せられます。罰せられないものは、実にわがままに権利の主張ばかり言い続けます。義務を行った上で権利を主張しなければ、民主主義国家の基盤が崩れてしまいます。義務についてもっと厳しく立法すべきだと思います。例えば、「この薬をこの分飲んでください」と医師に言われても飲まない患者は、実費で医療費を支払うこととするなどです。薬だと廃棄すれば誤魔化せると思われそうですが、大丈夫です。体内の残留薬物検査を行えばすみます。以上、勝手なことを長文で記述しましたが、どれも個人が声を上げても解決できない問題ばかりです。益田先生が、きちんと臨床医として頑張っていくことが、はじめの一歩になり、人類というより日本人にとって大きな一歩になると思います。
確かに益田先生が持論を述べておられるように、日本という国はこの国はスゴく保守的思想・保守的思考が他国より強いという特徴があると思います。特にSNSが通信インフラとして定着して広く普及してから過剰に「まず世間体ありき」の昔からある村意識を気にしすぎる人が異常な程に多く「ワタシが我慢してやってるんだからオマエも我慢して周りを不快にせず空気よんであわせろ❗」的な同調圧力が過度に強すぎる国と感じてます。些細なことでも気に入らない事があれば集団で袋叩きにしないと気がすまないというか…今の日本は他人の目を意識した「世間体」はあっても他者と同等の立場・権利を主張できる「社会」がない国と思います。人それぞれの多様性、寛容さがなく尊重することを色んな面で欠落してる、そんな気が強く感じます。日本人個々としては良い人は多いんですけどね。あと変化を避けたがって現状維持バイアスが働きやすい人が多いというか。恐らく様々な要因で今の日本はスゴく生きづらいな……と心の中で感じてる人が結構多いのかなぁと思いますね。世界や世の中は変えられなくても自分で自分を褒めて許して認めて変えていくことは誰にでもできるのに…と思いますけどもね😊
すごく面白かったです。まるで講義を聞いているよう。教育現場では人権という言葉は腫れもの扱いな空気があり、そこにあえて触れるのは社会的弱者が権利を主張したたかう時のみのような感じがありました。そして不思議とそういった活動に熱心な人がよく言うのが「思いやり」という言葉なので、いつも矛盾を感じていました。西洋由来の考え方が歪んで捉えられてるということ、日本に足りないイノベーションをスピーディに行うということ。自衛隊で世界についてリアルに考えてこられた先生だからこそ語れる内容だったと思いました。このUA-camは、自衛隊出身として国家や世界からの視点をもちながら、人の心の中の問題にも精通する、極めて独自性の高いチャンネルですね。俯瞰的にも、マクロ的にも両視点から、さらには国内のムラ的意見さえも反対意見として加味して議論されていて、先生にしかできないことをされていると感じました。社会を知って、自分を知ろうと思うようになってきています。
益田先生、動画ありがとうございます。甘えの文化、なんとなく感覚で分かるような気がします。家族みたいなぬるい関係がどこまでもじわーっと広がっている感じ。家族でも本当は違うと思うけど。そんな人間関係の意識が変われば、職場や学校で起きてるトラブルが減るような気がします。言葉で説明できるのすごいです。
権利のくだり、色々考えさせられます。 私は氷河期世代で、約40年前、親がよく「またストで電車止まるー」とぼやいていました。10年前フランスに旅行したら、ルーブル美術館やエッフェル塔がストライキして入れない日がありました。昔の裕福な時代の日本人は、ストライキしたり権利主張してました。でも今の日本でストライキ全然見ません。自分達の賃上げ交渉の為に、「迷惑をかけてはいけない」という気持ちが、どんどん労働者を弱くしているように思います。私より若い世代の人は、ストライキ見たことあるのかな?と思います。(集会、デモ行進程度なら見かけますが。)権利を主張する手段として、そもそもストライキは選択肢入らない(知らない、身近でないゆえに)、戦い方を学ぶ機会の無いまま大人になり、戦う事自体も「野蛮」とタブー視された結果、無力な個々が暗闇を彷徨っている日本…という感じがします。とはいえ、自分に出来ることといえば、今自分のすべき仕事をし、健康を維持する、これしかなくて。(苦笑)日本は精神疾患の入院期間長いとか、教えていただかなければ知りようのない情報でした。ありがとうございます。
たしかに、日本は人権意識が低いなぁと常々思っています。身近なところでも、夫よ、わたしの時間と労力を無料で使いたい放題だと思うなよ、と思っています。以前は黙っていましたが、最近は口に出して言います。
いつも動画ありがとございます。分離教育について…子どものクラスに発達障害(?)ぽい子がいたのですが、なかなか難しそうでした。授業中あてられて答えられない時、答えられるまで授業が進まず終わりの時間になる・その子だけ答えられなくても許される(出来てる判定)・ある程度の時間で区切りを付け出来ていない判定で次に進む(他の子と同じ扱い)と、先生によって対応が違うようでした。また、グループワークでは、意思表示をしてくれないため、意見を聞こうとして遅れると、そのグループはいつまでやっているんだと怒られ、意見を聞けないまま進めると、みんなの意見を入れろと怒られると困っていました。担当する先生によっては本人もクラスメイトも辛いし、毎日嫌な思いをしていたら本人は追い詰められクラスメイトは障害者に対して否定的になってしまいます。かといって学校の先生にどこまで求めるのかという事も思いますし。一方で私は全く接点のない学校生活を過ごしました。そうすると、確かに存在を忘れ社会に出たとき出会うと接し方が分かりません。混ざると否定的、分けると無関心。難しいですね。学習は別でイベントは混ざるとか出来たらいいのですかね?ただもしかいたら一時的には否定的になってしまっても将来、考え方が変わったりこの経験が役に立ったりするのかもしれませんが…長文 失礼しました。
先生いつもありがとうございます日本の特性 甘え 自立した上で、思いやりある対応ですね癒着、、何となく空気が伝わりますね、良くない空気感がありますね、しかしそこに期待している自分もいるのが事実で、もう少しドライに、その中にも思いやりある気持ちが、欲していますね、、期待しすぎていますね。 とにかく子供にも自立する力、持ってもらいたいですね。自分も依存するのではなく、自立した上で思いやりある態度をとって生きて行きたいですね!!距離感大切ですね!すぐ引っ付きに行きたくなるので😅なんだか文章がとっ散らかってすみません
ちなみに我が子は支援級に行ってますが、最高ですよ。出来ないこと(お勉強)を無理やりさせられるのは、虐待ですよ。たぶんうちの子は潰れます。今は交流級という形で、通常級に籍もあるし、体育祭などできることは一緒に練習してやります。国連、そういう実態分かってんのか?とちょっと疑問でーす🖐️
精神科やカウンセリングには行った事がないですが、行った方がいいのか悩んでいます。月に一回は仕事を休んでしまい、1日休むと何日も続けて休んでしまいどんどん憂鬱になっていきます。ただの怠けや甘えなのかもしれません。涙は何か動画などを見てるときに出るし、憂鬱な時にペットをなでた時に出ることもあります。でも仕事じゃない日は用事があれば出掛けられます。前に比べたら楽しみな用事でも家を出るのが億劫になった気がします。食欲は仕事を休んでしまっている期間はいつもより無くお風呂も入る気力が湧かないけど、休みの日なら普通に食欲もあります。日に日に憂鬱感モヤモヤ感が消えなくなってきていて5分ごとに気分の差がある感じです。さっきまでは楽しい未来を想像してたけど、何分か後には絶望感に襲われたり、家族と一緒にいるけど孤独感があったりします。すぐイライラもします。夜勤なので生活習慣が良くないのもあると思います。hspでもあります。相談できる人がいないのでここに書かせて頂きました。病院を受診すれば、何かが変わるでしょうか。話をちゃんと聞いてくれるかも不安です。
途中で言おうとしたのは、「ノブレスオブリージュ」ですか?
公立中学校3年生の家庭科の試験範囲に、消費者としての権利と義務の内容があったそうです。私の世代の家庭科とは全く違います。時代はどんどん変わっていくんだと思います。日本も。
日本人は思いやりない方だと思います。行政が何もしてくれない国の方が助け合いの意識がある気がします。日本の行政も大して何もしてくれないかもしれませんが困ってるなら福祉制度に頼れば?自分には関係ないと思っている人多いですよね。
「甘え」の話心当たりがあります。痛いところをつかれたなと思ったのですが、癒着や忖度という気に入られようという心理が働いている気もしますね。意識すると少し楽になるのかもしれません。
アメリカに住んで27年になります。なぜアメリカではこれだけカウンセリングが定着するのか、私なりにですがわかります。アメリカはプレゼン文化です。自分がいかに素晴らしい人間か、誇示するのにみんな必死で(もうそれが当たり前になっているのですが)はっきり言って人の話なんか誰も聞いていません。「Me! Me! Me!」の文化なんです。なので、アメリカ人の友達はすごく作りにくい。私はこちらで出来た友達は、ほとんど海外から来たか、アジア系の親を持つ人ばかりです。日本人と同じで、相手の事を思いやる文化があるので。で、アメリカ人達は、みんな自分の事ばかり誇示して、皮肉な事に相手も自分のことを誇示するのに忙しく、誰も話を聞いてくれない。そこで、お金を払ってでも聞いてくれる人がほしい。それでこれだけカウンセリングが普及しているんです。なんて殺伐とした、自己中な文化なのだろうと本当に思います。なあなあでも、甘えでも、相手の事を思いやる心がある国に生まれて、本当によかったと思います。ただキリスト教的なボランティア精神は発達しているので、人の話は普段聞かなくても😅、困っている人がいれば赤の他人でも助ける文化もあります。ほとんどの人は自己中ですが、いざと言う時は、全然親しくなくても急に助けてくれるので驚きます。だから友達や親しい人じゃなくても、赤の他人のカウンセリングでも機能するのかもしれません。後お金さえ出せば、システムは整っています。それこそ病院などは驚く程サポートシステムが出来ています。精神的にも。友達がいなくても、お金があれば大丈夫な国なんだ、って思えます。でも思いやり文化で育った私には、虚しくも感じます。文化があまりにも違いすぎるので、欧米のものが良い、と無理矢理当てはめるのは絶対無理があると思います。育てられ方も、文化も、感覚も、本当に違うので。
あくまで個人的な見解ですが、先生が仰った通り、日本ではカウンセリングや認知行動療法が治療としてまだまだ確立されていないと感じています。これが入院や治療の長期化の一つの原因なのかとも思います。ビジネスの話があったようにそれだけで一つの市場として確立し、医師など医療機関と連携していくことが理想なのではないかと考えています。
分離教育は確かにできれば分けない方がいいとは思いますが、知的障害ある人を支援する人達は大変そうだし、1人でもそういう人がいると普通に授業受けてる人たちの授業遅れそうだなと思うし、難しい問題だなと思います。仕事も同様です。みんな綺麗事言うけど病気や障害ができた時点でこの国では終わりなんだなと当事者として個人的に感じます。どうせ終わりなら早く死なせてくれと思います。
とても考えさせられた動画でした。障害者権利条約というのも存在をしりませんでしたので調べて勉強してみようと思います。日本特有の考え方とカウンセリング、医師と患者の関係に対する考え方の違いについて興味深く聞きました。
UA-camを通して、益田先生のお考えや皆さんのお考えで、多方面での視野が広がり、ありがたく思います。色んな考えがありますね。すみません…コメントが簡単すぎました😅最近は、日本の選挙の結果のニュースを見て、未来がどうなっていくのかと考える…次の日には、いつも通りにご飯を食べる…でした😅
特別学級はなあ、無くしちゃうと先生の負担マッハだしなんとも…
最後に、世界に近づけて行ったほうが良いかなという表現が素敵でした。よく理解出来ました。ありがとうございます!
分離教育は良くないけど、一緒に学んだ人間として一言、二言(実験的混ぜ混ぜだった。インクルーシブ教育だ)優しさや、配慮については自然に行動に移せました。大学に入って、障害者を始めてみた友達が、自然に車椅子を押したり、ノートテイキングしてたオレの姿にびっくりしてた。確かに、こころの教育とかには感謝してる。EQ高めなのは良かったとは思う。障害者に対して、こころのハードルはなかったと思う。しかし、働きだして発達障害者に出会ってしまって気持ちは180度変わった。働くって、戦争なので、敵に見つかるような大声を出す人間と一緒にいると爆撃されて自分の命が危険にさらされることがわかったんだよね。無神経な言葉に傷ついて、心療内科へ!😥話を戻しますけど、机を並べて勉強したことで、教科書は全然進まないし、学力は上がらなかった。もっと勉強したかったけど、個々に合わせるという文句で、低いところに合わせてたような気がする。学内では上位の成績だったけど、全国となると下がるし、なんでだろう?自分の頭の悪さを嘆いた。受験戦争に負けた感じがある。偏差値高めの大学には入れなかったけど、大学で個人プレーになったら、教授と膝を突き合わせて、本気で勉強できたような気がした。親が住んだ場所が悪かったのかなぁ。思い遣りや優しさでは食べていけないなぁと。人生を振り返って語ってしまうなぁ。市町村に任せて部分的?実験的に取り入れないでほしいかったな。人生は一度きりなんです。日本人大好きな、平等を言うとまた否定されるかもしれないけど、どうも親ガチャならぬ、教育ガチャありありで、日本ってねじれてるような気がする。
また悲惨な事件が障がい者施設で起きてしまいましたね。人権を無視して虫けらのように扱い、大勢の施設スタッフが暴力や虐待を日常的にやっていた。しかもみんな見て見ぬふり。強い憤りを感じます。
カウンセリングが広がらない理由は、お・か・ね♪と思います。診察は1割負担(自立支援医療の場合)なのに、カウンセリング8000円は落差ありすぎ。しかも、効果があるようなないような不確かなもの。「益田は冷たい」は「優しいこと言っても、結局5分で切るのね」という意味だと思います。診察代金を払う代わりに5分間話せる、薬の処方も受けられる、それだけの契約関係だという理解に欠けているとは言えるのかも…。
益田先生はずっと動画やライブでのコメントを避けていると感じていたので、個人的にとても嬉しいです。ありがとうございます。国連はもうずっと前の1968年にクラーク勧告という人権侵害だと指摘されているのに、いまだ解決に至らないのが利権含めて根深いと感じます。精神科病院に入院をした後一般的な病院に入院した人は、全員「普通の病院ってこんな親切なんだ」と驚きます。刑務所と精神科両方の経験がある人は「刑務所のほうが人間らしい生活ができた」と言います。権利と責任のバランス、人権団体は特に権利ばかり主張している色が濃く、私は苦手です。立場的に難しいかもしれませんが、益田先生が思う精神科医療の問題について、これからも取り上げて欲しいです。割と右側の立場にいらっしゃる方の視点でどうお考えなのか、もっと知りたいです。
8年前に障害者権利条約を結んだこと、甘えの文化についても初めて知りました。
カウンセリングにおいて日本と欧米の違い。先生がOSで例えられて分かりやすかったです😂私は民間の心理カウンセラー資格のみでフリーランスでカウンセリングをしています。日本のカウンセリングに対する意識、文化を変えていきたいと始めましたが、私が生きている間には叶わない事とも分かっています😅そんな虚しさもありながらも、いつも先生の動画を拝見する度に今できる事に踏ん張るパワーを頂いています😊
私自身は、男尊女卑の家庭に育ち、しかし、学校では男女平等と教える。最初に就職した会社(日本的な日本の会社)が合わす、その後は、主に外資系で、働きました。そちらの方が、普通に対等に、普通に尊厳を持って、人を扱ってくれるんですよね。しかし、また、大変日本的な状況で生き抜かなければならず、、
国歌の歌詞の内容の違いにもよく現れてますよね。フランス国歌は血を流し権利を勝ち取ったことを謳い、日本国歌の元ネタは古今和歌集の祝い唄。
短い期間でしたが、MSWとして、措置や医療保護などの強制入院が、身寄りがなく、近隣住民や行政に問題行動をとる統合失調症患者の処分先として機能しているケースをいくつか見てきました。他職種連携とか言って関わる人をいくら増やしても、当人の抱える本質的なさみしさを理解してケアする人は一人もいませんでした。バザーリアが1980年台に成し遂げたことを、日本が未だにできていないのは日本的な文化のせいなんでしょうか?単に優しさが足りないだけなんじゃないか、と思うことがあります。私も益田先生の意見に賛成です。まずは制度を変えるところから始めないと、人の考え方が変わらないのが日本人だと思います。
自治体によっては中学校の情緒支援学級の支援学級は形だけの事がありますし情緒支援学級の担任自体が情緒支援学級のことを知らないで担任になる教師が多いし文科省が通達している合理的配慮さえしない学校が田舎になればなるほど多いので通常学級で支援学級に在籍している児童達は過ごせないです。ギフテットやグレーすぎる子達は放置されがちです。
う〜ん???😆私の姉は4才上ですが学年は2学年違いで2才上の兄と同学年になります。姉は私が生まれる前に大火傷を負い顔面のケロイド 耳が無く 両手指が全て有りません。 身体障がい者です。が、姉は何フジュウ無く生活できます。 そんな姉は養護学校を進められました。理由は虐められる!からだったそうです。 私が小2の時のある日教室に入るといきなり、、おまえの姉ちゃんバケモノ!、、と数人の男子に囲まれ連呼されました。 私は姉のことを尊敬していたので心の中でですが、、バーカ!、、と思い無視しました。虐められるのは姉ではなく兄と私のことだった!と悟りました。 姉は独学で学んで公立高校へ進学 大学も卒業し高校の教員免許も取得していますが採用されませんでした😢 かつて乙武氏が先生をされているのを観て時代は変わったな、、と感じていましたが、、。甘え、、とか精神的に病をかかえる私には全てを理解するにはむずかしくて、、これが甘えかぁ😂深い動画 ありがとうございました🙇♀️
土居先生もそうですが河合隼雄さんの「母性社会の日本の病理」という著作を思い出しました。西洋的でない日本的な自我の成熟みたいなものを模索していくことになるでしょうか。
非常にわかりやすく、納得しました。ありがとうございます。
このニュースみました。みんな現場も見ずに、一概だなと思いました。分けてるんじゃなくて、選んでるんです!!!!!
動画ありがとうございます。自分自身のパワーも自覚していくということですね。自分のパワーを自覚して、よいことに使っていく。確かに、そういう意識は弱いかもしれません。
アメリカの文脈ですが、人種に基づく分離教育がされていた頃に「分離すれども平等」という原理が主張されていました。これについては1950年代の裁判所が米国憲法の平等条項に反するものであると判断したため、学校では人種を区別せずに教育を行うように求められました。……というようなことを大学で憲法の先生から教わりましたが、国連がめざす教育の発想には近しいものを感じます。
国連って基本的に欧米の価値観に基づいてるから、いくら分離教育が問題とか長期入院が問題とか欧米の価値観に照らし合わせて言ったところで、日本の実情に見合ってないし効果が薄い印象を受けました 日本独自のやり方とそれを普及させる方法が必要だと考えています
冷静に考えたら「国」というモノは得体のしれない何かではなく人が動かしているんですよね。間違いがあってもおかしくない存在なのだなと再認識しました。福祉関係に詳しい法の専門家(弁護士さん?)のお話も聞いてみたいですね
今の日本みたいだなってフランスの話聞いていて思いましたでも日本人は戦わない歴史も明治からの新しい時代は教えない都合悪いことは教えない
何十年も売れ続け参考にされている「甘えの構造」。この本の存在が忘れられる頃に日本にカウンセリング文化が定着しているのかもしれないですね🐱
カウンセリングが根付かないのは、おっしゃる通り、確かに対等な関係ではないからだと感じます。カウンセラーは、クライアントからすると「先生」ですから。敬語を使う国ですし、なかなか難しい問題だなぁと思います。
整形外科に入院中、何故か怖くなってしまって医者に殺される恐怖に襲われ(父が病院に殺されました)警察に電話したらしいです。そしたら亜昏迷状態になったらしくて、隔離されて拘束されました。幻聴幻覚妄想やばかったです。統合失調症ではなかったですけどあの時はマジでやばすぎて注射何本も打たれて20キロ痩せました。拘束反対!隔離反対!
収容列島にっぽんという本を読んでみてください。
人権意識が希薄な原因として、最小単位のコミュニティの家庭において、夫婦間や親子間の関係が対等ではなく、暴力や暴言など人としての関わり方が崩壊している家庭が増えているもあるかと。そのしわ寄せが学級崩壊やいじめの背景にあるように思います。子どもよりも大人が学ばねばなりません。
先日他チャンネルで拝見した、フランスと日本の育児スタイルについての動画でも、今回仰られてたような「自立」に似た話をされてました。終身雇用が崩れ、共働きが増え、欧米スタイルに生活が変化するのに合わせて、不足している意識や概念を身に付けたり理解することが、イマドキの人生を楽に生きるためのポイントなのかもしれませんね。
人権意識の低さは、歴史ですね。代々続く感覚にすら感じます。庶民の家での人権意識と、ある程度豊かな家庭の人権意識、庶民→少し豊かになっても続く古い人権意識、富裕層の人権意識、低さの種類は視点の数だけ色々なのではないかと思います。私が小学生だった時代(30年近く前)、グレーゾーンの子がクラスにチラホラいました。当時はグレーゾーンという認識はなく、「そういう子」という認識でした。また多様性を知らない時代なので、グレーゾーンに限らず、体型が一般的ではない子(痩せてる、太ってる)、身体的な病気で注意が必要な子などを差別している子も多くいました。混ぜることでの危険性は今は大いにあると思います。でもそれは社会への認識が今のままだと多様性を認めるまでにどの立場の人にも負荷が高く、理解が難しいからではないかと思います。社会自体が違いを認められない・対応の仕方がわからないのに、教師が教えるなんてとても難しいし、子供が理解するには環境がとても複雑です。(学校では違いを認めるように教えても、家庭では古い考えで違いを否定する可能性があるからです)日本人の特性として、大人の社会から常識や当たり前の共通認識が変わっていけば、結果的に「認めないことがおかしい」「対応を知らないことの方が社会的に遅れている」という空気感が出てくると、全体に行き渡りやすいのかなぁと感じました。少数派と多数派の逆転ですね。言うがやすし、な話ではありますが😂
今日もありがとうございます。📹🥛🤱📼🤱🎦🥛🤱👗🤱
数ヶ月、放課後等デイサービスで、働いていたけれど、分離教育って難しい問題ですね。普通学校に通って、辛いおもいをするすることもあるだろし、お互いが学習、成長することもあるだろうし。支援学校に通っている子どもたちを見ていて、その世界しか知らないわけだし、どっちが良いのかなって。
分断や対立が多いですね。働けない人に対して許容する人が少ないです。他の国が生活保護70%くらい受給出来ているが、日本は12%くらいです。本当に、スティグマ(烙印)が怖い方、社会の偏見が強いです。働かざる者食うべからずといった価値観が強いです。人権思想も強いですが、甘えとも相まって、変な依存が強い気がします。権利には一方的な受け身ではなく、責任も発生すること、自己主張には、他者との共生感も必要であると考えます。まとまっていないですが、根本には、欧米との自立感や個人認識の差、ムラ社会(変な連帯感、出る杭は打たれるといった抑圧思考)が抜けきっていない日本の価値観が難しくさせているのかもしれないですね。独自の価値観をどのように発展させていくのかが課題ですね。
差別ではないですけれど、欧米と日本とでは何かが根本的に違っていて、欧米のものをそのまま日本に持ってくるには無理がありそうで、だからといって、それを日本に合うようにすると変な物が出来上がっていて〜頭の良い人、何か良い方法を考えてください…という気持ちになりました。
欧州で3年前からカウンセリングに通っている者です。精神も安定し、未来に卒業が見えております。甘えのくだり、かなり腑に落ちました。そもそも他人同士での距離感や線引きのニュアンスが日常生活で微妙に違うので、10年単位で変わるような話ではなさそうですね。
日本人の価値観を欧米のように変容させていくというのは理想ですがまだまだ時間がかかるのだと思います。日本はノーマライゼーションの理念を具現化する努力をしている状況ですが、ご指摘の通りですね。
現代で資本主義社会で人権をどうのこうのって難しいと思います多様化って言いますけど難しくしてるのは頭がいい人やお金持ちだと思うひと昔前はもっと単純でシンプルだったような気がしますまぁその分問題も多かったですけど障がい(知的・発達)がんばれある子と一般的普通の子が一緒に勉強・活動することは簡単なことではないですね国連も課題を提示するだけではなくて日本にあった解決方法を提示してくれればいいのに・・・
高齢化も問題だけど、外国と日本の地域資源の差があるように思える。病床数減らすにも出戻りも考慮しなきゃならないし、地域資源差は歴史やもちろん人権意識もあるし日本に問題があるとも一概に言えないと思う。
確かに、病棟で他の患者に危害を加えると分かっていながら隔離から出されてた方いますね自分のいたとこは、露骨に虐めをする患者を止めもせず暴言吐かれまくる人がいても見て見ぬふり「きっとされてる方も猿のうちの一匹にしか見えてないんだろうなぁ」って終始恐ろしかったことを覚えています
日本もグローバルスタンダードの20人以下の学級(今の半分)にして必要な支援員を配置できればインクルーシブ教育は可能だと思う。重度の障害のある子どもたちに特別支援学校はあってもいいけど、少なくとも特別支援学級はあんなにいらない。1970年代200万人前後あった出生数が100万人を切っている状況ならばそれくらいやってもいいはず。子どもの数が半減しているのに、それを更に分離する教育したら、ますますマンパワーは枯渇するだろう。
人権を知るためには歴史を知ることも必要なんだと思います。また、その人権に対する考え方がカウンセリングなどにも繋がっていることが学びになりました。ありがとうございました。
合理的配慮のことですが、こちら側はやってもらってる感があり、いつも申し訳なく思います。それぞれに事情があり、それぞれに生きづらさがある、ということも感じるので。いつも感謝してるし、それはこれからも伝えていきたいです。解説、ありがとうございます( ´∀`)
日本人は人権意識が低いという話良く耳にします日本で生まれて日本で育ちました人権についてはあまり考えた事がありません難しい問題ですが日本独自の考え方を貫く•築くよりも「世の中スタンダード」に合わせていった方が良い気がします高齢者の多い日本…どの位の人達が柔軟に対応出来るようになるのか今後が楽しみですね
WHOのいうことを何でも信じなくても良いと思う。特別支援学校、養護学校、普通の学級、何でも丸めにしてうまくいくとは思えません。日本の今の文化、環境では無理でしょう。いろいろ努力していますが、外部が言うようにすぐには変わらない。我が家の娘たちは障害児との統合保育をしている保育園で過ごしました。保育園の保育士さん、保護者がよく話し合い理解を深めて保育をしていました。誰もが学び、助け合いながら育ちました。その歩みはかなりのエネルギーぐ要りました。良い時間を過ごせたと思います。しかし、なかなか継続、拡大するのは大変なことだと思います。
カウンセラーの資格を一本化して国家資格にし、保険適用が受けられれば良いのになぁ。。。と、思い続けて早数十年。。。
今までいっぱい辛いことあったからつい、甘えちゃうんじゃないかな。人よりできないことを、人並みに求められるのに疲れて、誰かに認めてほしくて。だから医師に対等に接せられても、「優しくしてほしい」「認めてほしい」って気持ちが出る。でもあれだな、そこは欧米と同じ価値観の、「自分にできること(義務、責任)をやる」ってのを取り入れて、人並みにするんじゃなくて自分ができることをすればいい誰かに認めてもらうんじゃなく、「時間はかかるかもしれないが、自立できるようにする」って気持ちで診察に通うと、治療効果も高まるのかな。
今日の動画からこちらに来ました。益田先生が仰った考え...日本に広がるには時間がかかりますよね。でもでも時間はかかっても少しずつ浸透していくと考えます!益田先生のように発信して下さることは素晴らしい!WindowsとMacのOSでの例え...とっても分かりやすく面白かったです 笑
教育において、特別支援学校に行くか、普通学校の特別支援学級に行くか、判断基準は、小学校入学前に決まります。特にグレーゾーンの人達は、分けられることで、学力についていけない苦痛からは解放されますが、レッテルを貼られたという気持ちはあるような気がします。混ぜること、インクルーシブは時間がかかるかもしれませんが、互いに支え合う方法を子どもたち自身が考えるし、大人になった時に、役に立つと思いますね。今回は、ムズカシイ内容でしたが、イロイロ考えました。
新疆ウィグルの強制収容場などの問題を無視していた国連が、なぜ日本の精神医療に口出すのかが不思議です。
そういうものを理解しないで頑張っちゃったり、搾取をされたりすることが多いよね。
日本文化は、悪いものではないし。私も大好きです。けれど、だからといって、現在起こっている問題から、目を背けてはいけないと思います。良いところは残し、良くないところは刷新することで、文化も人権も両方守っていきたいものです。
益田先生。今日も、ありがとうございます。先生(医師)だから、こんな処置ができたのよ!先生だから、こんな事もできたのよ!と、患者さんに言う看護師に出会ったことがあります。とても違和感でした。医師があなたよりも上で、あなたは下で。だから、お礼を言いなさい。頭を下げなさい!と、患者さんに言っているように、私には、聞こえました。そう言う考え方も、あるんだなぁ。と、思いましたが。聞いていて、とても気持ちが悪かったです。今日の動画は、その時感じた、気持ち悪さを解説していただけたと思っています。ありがとうございます。
患者さんも健康な人も、その間にいる人も、みんな人としての強みや弱さを持ちながら生きていると思いますし、だからこそ分け隔てなくその人にとっての権利や責任や義務があると改めて感じました。お互いを尊重したり、相手を本当に大切にしたいという思いがあるのであれば、患者さんだから出来ない等として分離することは、その人を人として諦めてしまうことにもなっているのではないかとも思います。人として経験出来ることを狭めてしまう支援の形が少しずつでも変化していけるように、自分の出来ることを、これからも考えていきたいです。益田先生の語られる内容の1つひとつが、自分の中に染み渡る思いで聴かせていただきました。ありがとうございました。
欧米では、赤ちゃんの時からベビーベッドで一人で寝かせますが日本では添い寝や川の字で寝ることが多く、1人で寝るのは小学生くらいからようやく、みたいな文化があります。自立心の表れとして自己主張するよう、欧米では教育されますが日本ではあまり自己主張が強すぎると叱られたりします。そういう躾を、物心つく前から受けてると自然と周りの空気を読んで忖度する癖が身につくのではないでしょうか。狩猟民族と農耕民族の違いなのか自然と戦うか、自然を受け入れて共存するのかそういう意味で、国家に楯突かないで、国家をみんなで協力して支える意識が育って拠らば大樹の陰、みたいな言葉ができたのでしょうか。大群になることで種を守るヌーの群れを連想しました。
肉食獣と草食獣の違いもあるかもしれません。あと、発達障害で空気読めない人は、群れで生きるのは大変そうです。一匹狼として生きる強さがあれば別ですけど、その強さがない人は、やはり支援を受ける必要がありますがそういう人があまり増えると、支える方が潰れるかもしれません。もしかして、そういう人たちが集まって集団を作り自分たちを守る工夫ができるといいのではと思います。
入院したことないですが、恐ろしい所というイメージがあります(^_^;)
失礼ながら、現代の欧米における人権についての考え方は、天賦人権説(義務を果たしているか否かに関わらず、誰もが生まれながらにして人権を有する、という考え方)に基づくものなのではないでしょうか?一方、現代の日本人の多くは、「義務を果たしていない者には、人権を認めない」と考える人(権利と義務をバーターだと考える人)が多く、そのことが障害者など弱者への差別につながっており、問題なのではないですか?先生の、人権についての考え方が根本的に誤っているように思い、コメントさせて頂きました。
分けた方が辛い思いは減らせると思うのですが、卒業後の進路も別れて、選択肢が無くなってしまうのが、辛いです
いつも配信を楽しみにし、コメントさせていただいてます、すいません🙇最近、精神病院や高齢者障害者のグループホームでの虐待の報道に心を痛めています。 日本人の心は座敷牢の時代とそんなに変わっていないのかな…?働く人の労働条件が悪いから(低賃金とか)といわれますが、それだけではないのではないかと。日本の教育に問題があるんじゃないかと個人的には思います。人は能力、肩書き、富などで価値の有る無しが測られるのではなく、ひとしく尊厳があるという価値観が行き渡っていないのではないかな、日本では。知識を詰め込んで偏差値の高い学校へ入り、社会的地位の高い または高収入の職業につくレールに乗せられる子どもたちが多いように感じます。 努力根性を美徳とし、宗教的には精進のような自力で成果を勝ち取ることに値うちがあるという風潮。そのようであるから優生思想もまだ残っていると思います。キリストの教えでは、最も小さい者に仕えることに価値があるとされています。 小さく弱い者も神によって作られ、思いのほか愛されているという教え。 だから欧米ではありのままが受け入れられ、人権が大切にされます。どんな人も不完全であることを自覚して いたわり支え合う世の中であってほしいと個人的には願ってます😢
ゆっくり変わっていくのが日本風と言えるかもしれませんね。国家をひっくり返すような出来事など起こらなかったわけですから。
私も7ヶ月入院した経験があります。
強制入院で1ヶ月ほど奥の間(隔離病棟)で生活しました。
人権って何?見学に行った刑務所の受刑者の方がよっぽど人権を尊重されていたよね?
って言うくらい、ひどい扱いを受けましたよ。
看守のような看護師に、上から目線で色々言われたり、監視されたり。
お願いしなくちゃ、歯ブラシや洗面のタオルも出してもらえない。
若い男性の看護師が見張る中で入浴させられるとか。
もっと、広く、沢山の方々に知ってもらいたい。
扱いだけじゃなく、本当に苦しんでいる病気の人たちの悩みとか、葛藤とか、1人ひとりにそれぞれの人生の歴史があるんだって言うことや…。あきらめと頑張りの行ったり来たりの思いとか。
多様性とは「分けない」「一緒にいる」という事なのに、
「分ける」という事に慣れた世界では、本当の幸せは見つけられない。
「次は自分が分けられる番ではないか」と、必ず自分が苦しくなってしまいます。
自分が世界で、世界が自分。
益田先生、考えるきっかけを与えて下さり、ありがとうございます。
「甘えていいのかなと思わせて突き落とされる感じ」はすごく受けますね。
障害者として生きると障害者雇用に障害年金など制度は見かけはあるんですが、
大抵は最低賃金、支給が曖昧な障害年金、企業の中では生産性は求められつつ「障害者さん」の扱い。
障害者を分けたいのか活用したいのか大枠の社会設計が曖昧だなとは思います。
2010年(かなり昔ですが)、カナダで障害児を育てているお母さんに呼ばれて、会いに行きました。現地では少数民族とか人権教育の講演の通訳もしつつ。人権意識の差は当時から抱いていたものの、国内で共有できる人がなかなか見つからなかったのですが、益田Dr. がそこに着眼されていることもわかり、ホッとしました。ピアサポーターを目指せるかどうかのバリアはあとは私の資金力のバリアのみ。もし、バリアを突破したらその時はよろしくお願いいたします。
生まれながらに与えられる、人として生きる権利が、欧米で言う人権。対して日本は、義務を果たせなければ権利がない、という考えが強いと何かで読みました。
早く欧米並になってほしい。入管や障がい者施設での虐待問題など、知るたびに、日本人として悲しくなります。
日本において信頼と甘えは確かにごっちゃになりやすい概念なのかもしれないですね。
今年は人間関係で悩む事があり、益田先生の動画を観るのが癒やしでした。人間関係の悩みを解決するのに、この動画が役立ちそうです。
日本人ってひとつになりたがるというか、「思いやり」や「気遣い」もある意味境界線を踏み込ませたり踏み込むことなんだけど、お互いに利益があるから許されてて、そういうことを周りにも求めて境界線をなくすことが当たり前になってるのがすごく嫌です。一見優しくて温かさがあるように見えて依存的で自立できてない個人主義の真逆みたいな感じ。
少しでも優しい世の中にしたい。優しくされたいのなら、自分から他人に優しくする。
守られたいのであれば、自分が他人を守る。
私は今32歳。死ぬまでにどれだけ社会貢献できるのだろうか
国連の指摘もわかるし、日本の改善策もわかります。フランスは、以前大統領のゴシップを告発した新聞社に対して、国民が反発しましたね。フランス留学は、ビザの関係もあり、日本に戻りましたが、日本では生きにくいと感じていました。もう一度行きたいです。
お話にもあったようにやはり自分の命を賭けてでも自分の立場を獲得するような本物の動機が無いところに本物の権利意識は育ちづらく、認識するのも難しいのではと思います。時代は変わっても、必要な代償というか、自腹を切らないとその大切さは理解しづらいというか。日本が理解するのは難しいと思います。
日本は家父長制度の元の人権だから、ろくなものじゃない。
もともとは社会科学が専門だったんですが、現在はアメリカで子供の特別支援教育を受ける権利を守ることを生業にしている者です。初めてコメントします。
益田先生のお話は精神医学だけではなくて、哲学だったり社会学や文化人類学的な領域についてもよく触れられているので面白いなと思って拝見してきたんですが、今日はまさに私の興味関心+仕事の内容にドンピシャでした。この件について、先生と個人的に議論してみたいと思うくらいに。
ただ一つ強調しておきたいと思ったのは、少なくともアメリカでは、通常学級で分離されずに教育を受けるのは『障害を持った子供の権利であって、義務ではない』と言う点についてです。
そして別に欧米社会だからと言って、人権意識が行き渡っているかといえば、そうではないです。
教育委員会や学校側が特別支援教育に関する法律を十分に認識しておらず、法律違反をしていることが少なからずあるくらいですから。
だからこそ、特別支援教育を分離されずに受ける『子供とその親の権利』について、法律で事細かく定め、それが守られない場合の手続きについても、具体的に示されているのです。
また分離されない教育を受ける権利もありますが、分離してもらって専門的に障害に応じた教育をする学校も多種多様にあります。それを主体的に選ぶのは、親であり子供です。(実際はとても大変なので、私のようなそれをお手伝いする仕事が必要なのですが)。
また私は「優しい日本人の気配り」についてもよく理解しています。でもだからこそ、優しい気配りでは少なくとも発達障害の支援には事足りないし、また逆効果になることも良くある、という事も数多く経験しています。
まぁだからと言って、日本の特別支援教育はどうすればよいのか、については正直言って分かりません。ただ、日本の風土に合うのかどうかは別としても、非常に具体的な支援教育のシステムが整っていて、それが現在でも毎月のようにアップデートされ続けているアメリカから見て思ったことをツラツラと書かせていただきました。
これからも頑張ってください。応援しています。
益田先生の人権の話は興味深いものでした。
精神科病棟が収容所と化している
基本的には座敷牢の時代から病棟に移行しただけ…
国連に言われてもなぁ…って感じ。同じ人間相手に残虐で非道な行いを繰り返す国も見て見ぬふりだし
私は障害者福祉の仕事をしています。分離教育の話がありましたが、成人の障害者施設においても、地域とどう関わりを持っていくかは大きな課題です。コロナ禍において、更に関わりが持てなくなっています。。
1:30 特別支援学級に関しては、大人の価値観を押し付けるのではなく、その子に合った環境を作ることが大切だと思う。障害のある子供が特別支援学級に通うパターンと、通常学級に通うパターンだと、後者の方が人間関係をうまく築けていないことが多いのが現場の感想。
特別支援学級なら本人に合わせた人間関係の練習を先生がすぐそばで考えてくれるけれど、通常学級ならほぼ100%クラスの中で浮くし、多く場合イジメの対象になる。ただでさえ当事者は、物事の理解の難しさや、どう頑張っても越えられない自分の中の壁に悩むのに、通常学級だとより一層悩む上に同級生からの心無い言葉で傷付くことが多い。
精神疾患を患うことがあれば、尚のこと将来の就職にも影響が出る。実際それで8050問題にもなる。
大人の価値観で無理やり一緒にするのではなくて、本人の特性に合わせた環境を作ることこそがバリアフリーだと思う。本人に合った環境を用意することは分離教育ではなくノーマライゼーションだと思う。
自分が障害を持っていると分かってから世の中の仕組みに怒りを覚えたりしたけど、うまく手を抜ける人以外は定型でも生きにくい社会なんじゃないかとおもいます。人を思いやる余裕がないですよね。
あとお金にしても福祉を充実させてほしいと思うけど、同時に一般の人達の手取りも増やしてほしい。20年サラリーマンやってましたけど、税金で全然手取り増えません。そんなだと福祉ばっかり金使ってって思いたくなる気持ちも分かるし、貰う方も後ろめたさがあります。
支援学級においては知的と情緒の場合は授業カリキュラムが先ず違いがあるのが日本でそれを何十年も変わらない状況でいることと教師においても何も支援学級においては知らない教師が配属されることが多いのが現状ですので今回国連からの話は凄く良い傾向であるが大々的に報道されないのが未だ日本の現状です。
長年地方の精神科病院でPSWをしていましたが、病院のあり方とソーシャルワーカーの価値観の間のジレンマが年々大きくなり先日退職しました。病院にもよるのでしょうが、知的発達認知症の方々を長期に入院させて、対応出来なければ拘束するとか😔病院は、結局は病床を埋めなければやっていけない。そこから給料をもらいながら、患者さんの人権を訴えていても強い無力を感じました。このような動画を発信力のある先生がされることに価値があると思います❣️
カウンセリングでは、クライアントが能動的かつ貪欲になることがよいと思います。
時間と空間、心理士さんのスキルや経験を利用させていただく契約。
安全な空間で、ときに苦痛を伴う深掘りに伴走していただいています。
たまにアハ体験というか、なにかの発見の瞬間に立ち会っていただくこともあります。
エピソード記憶として残りやすいですし、痛みも喜びも共有していただくイメージで感謝しています。
私が小学生のとき、クラスメイトに二分脊椎や、知的障害、識字障害、自閉症の子が普通にいました。先生の力量もあったと思いますが、休息教室があって、そこに時々行っているだけでした。
障害者の保護者の方は、権利は言うけれど、学校や預け先への義務や責任は負っていない気がします。それが甘えなのだとは思いますが。そこから改革が必要な気もします。
日本人の意識を変えて行くのは難しいですね。
ある精神科病院の隔離病棟に3ヶ月入院したことがあります。そこでは、看護師が毎日、痴呆の老人や統合失調症の幻覚妄想のある患者が理不尽な暴力で看護師の虐待を受けていました。人間は愚かなので、人権の問題は解決しないと思いますが、弱者は閉鎖的でない場所に身を置ける人は、そのほうが安全かもしれない。
分離教育と長期入院と権利と義務について、本音と建前が見られる気がします。
<分離教育について>
指導力が低下している教員を分離教育しないまま行うと、学級崩壊、学校崩壊などが一気に増えます。つまり、現場でこのようなトラブルを避けたいため、分離教育というものがそれらしいもっともな理由をつけて実施しています。現に、教員になって最初にするものに「裁判対策の保険へ加入するといい」というアドバイスをする人が多いです。病名や知能検査などを取り繕って、指導力不足を隠しています。この本当の原因は、教員養成課程のカリキュラムにあります。教員として真につけておくべき力を培うことができないカリキュラムだということです。これが、欧米諸国と大きな違いです。
<長期入院について>
1.お金です。
私が入院中元気な患者さんが半数以上いました。その人たちに共通していたのは、「入院に数が長くなると、保険金がもらえるので、もらえる日数分満期まで入院することにしている。」と言って入院を続けていたことです。彼らは、一定期間すると、保険料をもらうために入院し直します。本当に入院すべき人であっても、保険に入っていない、入ることができない人は、早々に退院していました。
2.薬です。
欧米諸国と薬の強さや処方できる量が異なります。このため、治療期間の長期化を招いています。薬の種類についても大きく異なります。日本で認可されていないものが多いです。効果があると困るのは、製薬会社ではないでしょうか。長期間使えば潤うのは、製薬会社です。医師や患者ではありません。
<権利と義務について>
患者や児童生徒とその保護者は、医師や教員と全く違います。患者や児童生徒とその保護者は義務を果たさなくても罰せられません。医師や教員は、厳しく罰せられます。罰せられないものは、実にわがままに権利の主張ばかり言い続けます。義務を行った上で権利を主張しなければ、民主主義国家の基盤が崩れてしまいます。義務についてもっと厳しく立法すべきだと思います。例えば、「この薬をこの分飲んでください」と医師に言われても飲まない患者は、実費で医療費を支払うこととするなどです。薬だと廃棄すれば誤魔化せると思われそうですが、大丈夫です。体内の残留薬物検査を行えばすみます。
以上、勝手なことを長文で記述しましたが、どれも個人が声を上げても解決できない問題ばかりです。益田先生が、きちんと臨床医として頑張っていくことが、はじめの一歩になり、人類というより日本人にとって大きな一歩になると思います。
確かに益田先生が持論を述べておられるように、日本という国はこの国はスゴく保守的思想・保守的思考が他国より強いという特徴があると思います。
特にSNSが通信インフラとして定着して広く普及してから過剰に「まず世間体ありき」の昔からある村意識を気にしすぎる人が異常な程に多く「ワタシが我慢してやってるんだからオマエも我慢して周りを不快にせず空気よんであわせろ❗」的な同調圧力が過度に強すぎる国と感じてます。
些細なことでも気に入らない事があれば集団で袋叩きにしないと気がすまないというか…
今の日本は他人の目を意識した「世間体」はあっても他者と同等の立場・権利を主張できる「社会」がない国と思います。
人それぞれの多様性、寛容さがなく尊重することを色んな面で欠落してる、そんな気が強く感じます。日本人個々としては良い人は多いんですけどね。
あと変化を避けたがって現状維持バイアスが働きやすい人が多いというか。
恐らく様々な要因で今の日本はスゴく生きづらいな……と心の中で感じてる人が結構多いのかなぁと思いますね。
世界や世の中は変えられなくても自分で自分を褒めて許して認めて変えていくことは誰にでもできるのに…と思いますけどもね😊
すごく面白かったです。まるで講義を聞いているよう。
教育現場では人権という言葉は腫れもの扱いな空気があり、そこにあえて触れるのは社会的弱者が権利を主張したたかう時のみのような感じがありました。
そして不思議とそういった活動に熱心な人がよく言うのが「思いやり」という言葉なので、いつも矛盾を感じていました。
西洋由来の考え方が歪んで捉えられてるということ、日本に足りないイノベーションをスピーディに行うということ。
自衛隊で世界についてリアルに考えてこられた先生だからこそ語れる内容だったと思いました。
このUA-camは、自衛隊出身として国家や世界からの視点をもちながら、人の心の中の問題にも精通する、極めて独自性の高いチャンネルですね。
俯瞰的にも、マクロ的にも両視点から、さらには国内のムラ的意見さえも反対意見として加味して議論されていて、先生にしかできないことをされていると感じました。
社会を知って、自分を知ろうと思うようになってきています。
益田先生、動画ありがとうございます。
甘えの文化、なんとなく感覚で分かるような気がします。
家族みたいなぬるい関係がどこまでもじわーっと広がっている感じ。家族でも本当は違うと思うけど。
そんな人間関係の意識が変われば、職場や学校で起きてるトラブルが減るような気がします。
言葉で説明できるのすごいです。
権利のくだり、色々考えさせられます。 私は氷河期世代で、約40年前、親がよく「またストで電車止まるー」とぼやいていました。
10年前フランスに旅行したら、ルーブル美術館やエッフェル塔がストライキして入れない日がありました。
昔の裕福な時代の日本人は、ストライキしたり権利主張してました。
でも今の日本でストライキ全然見ません。自分達の賃上げ交渉の為に、「迷惑をかけてはいけない」という気持ちが、どんどん労働者を弱くしているように思います。
私より若い世代の人は、ストライキ見たことあるのかな?と思います。(集会、デモ行進程度なら見かけますが。)
権利を主張する手段として、そもそもストライキは選択肢入らない(知らない、身近でないゆえに)、戦い方を学ぶ機会の無いまま大人になり、戦う事自体も「野蛮」とタブー視された結果、無力な個々が暗闇を彷徨っている日本…という感じがします。
とはいえ、自分に出来ることといえば、今自分のすべき仕事をし、健康を維持する、これしかなくて。(苦笑)
日本は精神疾患の入院期間長いとか、教えていただかなければ知りようのない情報でした。ありがとうございます。
たしかに、日本は人権意識が低いなぁと常々思っています。
身近なところでも、夫よ、わたしの時間と労力を無料で使いたい放題だと思うなよ、と思っています。以前は黙っていましたが、最近は口に出して言います。
いつも動画ありがとございます。
分離教育について…
子どものクラスに発達障害(?)ぽい子がいたのですが、なかなか難しそうでした。授業中あてられて答えられない時、答えられるまで授業が進まず終わりの時間になる・その子だけ答えられなくても許される(出来てる判定)・ある程度の時間で区切りを付け出来ていない判定で次に進む(他の子と同じ扱い)と、先生によって対応が違うようでした。また、グループワークでは、意思表示をしてくれないため、意見を聞こうとして遅れると、そのグループはいつまでやっているんだと怒られ、意見を聞けないまま進めると、みんなの意見を入れろと怒られると困っていました。
担当する先生によっては本人もクラスメイトも辛いし、毎日嫌な思いをしていたら本人は追い詰められクラスメイトは障害者に対して否定的になってしまいます。かといって学校の先生にどこまで求めるのかという事も思いますし。
一方で私は全く接点のない学校生活を過ごしました。そうすると、確かに存在を忘れ社会に出たとき出会うと接し方が分かりません。
混ざると否定的、分けると無関心。難しいですね。
学習は別でイベントは混ざるとか出来たらいいのですかね?
ただもしかいたら一時的には否定的になってしまっても将来、考え方が変わったりこの経験が役に立ったりするのかもしれませんが…
長文 失礼しました。
先生いつもありがとうございます
日本の特性 甘え
自立した上で、思いやりある対応ですね
癒着、、何となく空気が伝わりますね、
良くない空気感がありますね、
しかしそこに期待している自分もいるのが事実で、もう少しドライに、その中にも思いやりある気持ちが、欲していますね、、
期待しすぎていますね。 とにかく子供にも自立する力、持ってもらいたいですね。
自分も依存するのではなく、自立した上で思いやりある態度をとって生きて行きたいですね!!距離感大切ですね!すぐ引っ付きに行きたくなるので😅
なんだか文章がとっ散らかってすみません
ちなみに我が子は支援級に行ってますが、最高ですよ。出来ないこと(お勉強)を無理やりさせられるのは、虐待ですよ。たぶんうちの子は潰れます。
今は交流級という形で、通常級に籍もあるし、体育祭などできることは一緒に練習してやります。国連、そういう実態分かってんのか?とちょっと疑問でーす🖐️
精神科やカウンセリングには行った事がないですが、行った方がいいのか悩んでいます。月に一回は仕事を休んでしまい、1日休むと何日も続けて休んでしまいどんどん憂鬱になっていきます。ただの怠けや甘えなのかもしれません。涙は何か動画などを見てるときに出るし、憂鬱な時にペットをなでた時に出ることもあります。でも仕事じゃない日は用事があれば出掛けられます。前に比べたら楽しみな用事でも家を出るのが億劫になった気がします。食欲は仕事を休んでしまっている期間はいつもより無くお風呂も入る気力が湧かないけど、休みの日なら普通に食欲もあります。日に日に憂鬱感モヤモヤ感が消えなくなってきていて5分ごとに気分の差がある感じです。さっきまでは楽しい未来を想像してたけど、何分か後には絶望感に襲われたり、家族と一緒にいるけど孤独感があったりします。すぐイライラもします。夜勤なので生活習慣が良くないのもあると思います。hspでもあります。相談できる人がいないのでここに書かせて頂きました。病院を受診すれば、何かが変わるでしょうか。話をちゃんと聞いてくれるかも不安です。
途中で言おうとしたのは、「ノブレスオブリージュ」ですか?
公立中学校3年生の家庭科の試験範囲に、消費者としての権利と義務の内容があったそうです。私の世代の家庭科とは全く違います。
時代はどんどん変わっていくんだと思います。日本も。
日本人は思いやりない方だと思います。行政が何もしてくれない国の方が助け合いの意識がある気がします。日本の行政も大して何もしてくれないかもしれませんが困ってるなら福祉制度に頼れば?自分には関係ないと思っている人多いですよね。
「甘え」の話心当たりがあります。痛いところをつかれたなと思ったのですが、癒着や忖度という気に入られようという心理が働いている気もしますね。意識すると少し楽になるのかもしれません。
アメリカに住んで27年になります。
なぜアメリカではこれだけカウンセリングが定着するのか、私なりにですがわかります。
アメリカはプレゼン文化です。自分がいかに素晴らしい人間か、誇示するのにみんな必死で(もうそれが当たり前になっているのですが)はっきり言って人の話なんか誰も聞いていません。「Me! Me! Me!」の文化なんです。
なので、アメリカ人の友達はすごく作りにくい。私はこちらで出来た友達は、ほとんど海外から来たか、アジア系の親を持つ人ばかりです。日本人と同じで、相手の事を思いやる文化があるので。
で、アメリカ人達は、みんな自分の事ばかり誇示して、皮肉な事に相手も自分のことを誇示するのに忙しく、誰も話を聞いてくれない。
そこで、お金を払ってでも聞いてくれる人がほしい。それでこれだけカウンセリングが普及しているんです。
なんて殺伐とした、自己中な文化なのだろうと本当に思います。なあなあでも、甘えでも、相手の事を思いやる心がある国に生まれて、本当によかったと思います。
ただキリスト教的なボランティア精神は発達しているので、人の話は普段聞かなくても😅、困っている人がいれば赤の他人でも助ける文化もあります。ほとんどの人は自己中ですが、いざと言う時は、全然親しくなくても急に助けてくれるので驚きます。だから友達や親しい人じゃなくても、赤の他人のカウンセリングでも機能するのかもしれません。
後お金さえ出せば、システムは整っています。それこそ病院などは驚く程サポートシステムが出来ています。精神的にも。友達がいなくても、お金があれば大丈夫な国なんだ、って思えます。でも思いやり文化で育った私には、虚しくも感じます。
文化があまりにも違いすぎるので、欧米のものが良い、と無理矢理当てはめるのは絶対無理があると思います。育てられ方も、文化も、感覚も、本当に違うので。
あくまで個人的な見解ですが、
先生が仰った通り、日本ではカウンセリングや認知行動療法が治療としてまだまだ確立されていないと感じています。これが入院や治療の長期化の一つの原因なのかとも思います。ビジネスの話があったようにそれだけで一つの市場として確立し、医師など医療機関と連携していくことが理想なのではないかと考えています。
分離教育は確かにできれば分けない方がいいとは思いますが、知的障害ある人を支援する人達は大変そうだし、1人でもそういう人がいると普通に授業受けてる人たちの授業遅れそうだなと思うし、難しい問題だなと思います。仕事も同様です。みんな綺麗事言うけど病気や障害ができた時点でこの国では終わりなんだなと当事者として個人的に感じます。どうせ終わりなら早く死なせてくれと思います。
とても考えさせられた動画でした。障害者権利条約というのも存在をしりませんでしたので調べて勉強してみようと思います。日本特有の考え方とカウンセリング、医師と患者の関係に対する考え方の違いについて興味深く聞きました。
UA-camを通して、益田先生のお考えや皆さんのお考えで、多方面での視野が広がり、ありがたく思います。色んな考えがありますね。すみません…コメントが簡単すぎました😅最近は、日本の選挙の結果のニュースを見て、未来がどうなっていくのかと考える…次の日には、いつも通りにご飯を食べる…でした😅
特別学級はなあ、無くしちゃうと先生の負担マッハだしなんとも…
最後に、世界に近づけて行ったほうが良いかなという表現が素敵でした。
よく理解出来ました。ありがとうございます!
分離教育は良くないけど、一緒に学んだ人間として一言、二言(実験的混ぜ混ぜだった。インクルーシブ教育だ)
優しさや、配慮については自然に行動に移せました。
大学に入って、障害者を始めてみた友達が、自然に車椅子を押したり、ノートテイキングしてたオレの姿にびっくりしてた。
確かに、こころの教育とかには感謝してる。
EQ高めなのは良かったとは思う。障害者に対して、こころのハードルはなかったと思う。
しかし、働きだして発達障害者に出会ってしまって気持ちは180度変わった。
働くって、戦争なので、敵に見つかるような大声を出す人間と一緒にいると爆撃されて自分の命が危険にさらされることがわかったんだよね。
無神経な言葉に傷ついて、心療内科へ!😥
話を戻しますけど、机を並べて勉強したことで、教科書は全然進まないし、学力は上がらなかった。もっと勉強したかったけど、個々に合わせるという文句で、低いところに合わせてたような気がする。
学内では上位の成績だったけど、全国となると下がるし、なんでだろう?自分の頭の悪さを嘆いた。受験戦争に負けた感じがある。
偏差値高めの大学には入れなかったけど、大学で個人プレーになったら、教授と膝を突き合わせて、本気で勉強できたような気がした。
親が住んだ場所が悪かったのかなぁ。思い遣りや優しさでは食べていけないなぁと。人生を振り返って語ってしまうなぁ。
市町村に任せて部分的?実験的に取り入れないでほしいかったな。人生は一度きりなんです。日本人大好きな、平等を言うとまた否定されるかもしれないけど、どうも親ガチャならぬ、教育ガチャありありで、日本ってねじれてるような気がする。
また悲惨な事件が障がい者施設で起きてしまいましたね。人権を無視して虫けらのように扱い、大勢の施設スタッフが暴力や虐待を日常的にやっていた。しかもみんな見て見ぬふり。強い憤りを感じます。
カウンセリングが広がらない理由は、お・か・ね♪と思います。診察は1割負担(自立支援医療の場合)なのに、カウンセリング8000円は落差ありすぎ。しかも、効果があるようなないような不確かなもの。
「益田は冷たい」は「優しいこと言っても、結局5分で切るのね」という意味だと思います。
診察代金を払う代わりに5分間話せる、薬の処方も受けられる、それだけの契約関係だという理解に欠けているとは言えるのかも…。
益田先生はずっと動画やライブでのコメントを避けていると感じていたので、個人的にとても嬉しいです。ありがとうございます。国連はもうずっと前の1968年にクラーク勧告という人権侵害だと指摘されているのに、いまだ解決に至らないのが利権含めて根深いと感じます。
精神科病院に入院をした後一般的な病院に入院した人は、全員「普通の病院ってこんな親切なんだ」と驚きます。刑務所と精神科両方の経験がある人は「刑務所のほうが人間らしい生活ができた」と言います。
権利と責任のバランス、人権団体は特に権利ばかり主張している色が濃く、私は苦手です。立場的に難しいかもしれませんが、益田先生が思う精神科医療の問題について、これからも取り上げて欲しいです。割と右側の立場にいらっしゃる方の視点でどうお考えなのか、もっと知りたいです。
8年前に障害者権利条約を結んだこと、甘えの文化についても初めて知りました。
カウンセリングにおいて日本と欧米の違い。先生がOSで例えられて分かりやすかったです😂
私は民間の心理カウンセラー資格のみでフリーランスでカウンセリングをしています。日本のカウンセリングに対する意識、文化を変えていきたいと始めましたが、私が生きている間には叶わない事とも分かっています😅そんな虚しさもありながらも、いつも先生の動画を拝見する度に今できる事に踏ん張るパワーを頂いています😊
私自身は、男尊女卑の家庭に育ち、しかし、学校では男女平等と教える。最初に就職した会社(日本的な日本の会社)が合わす、その後は、主に外資系で、働きました。そちらの方が、普通に対等に、普通に尊厳を持って、人を扱ってくれるんですよね。しかし、また、大変日本的な状況で生き抜かなければならず、、
国歌の歌詞の内容の違いにもよく現れてますよね。フランス国歌は血を流し権利を勝ち取ったことを謳い、日本国歌の元ネタは古今和歌集の祝い唄。
短い期間でしたが、MSWとして、措置や医療保護などの強制入院が、身寄りがなく、近隣住民や行政に問題行動をとる統合失調症患者の処分先として機能しているケースをいくつか見てきました。
他職種連携とか言って関わる人をいくら増やしても、当人の抱える本質的なさみしさを理解してケアする人は一人もいませんでした。
バザーリアが1980年台に成し遂げたことを、日本が未だにできていないのは日本的な文化のせいなんでしょうか?
単に優しさが足りないだけなんじゃないか、と思うことがあります。
私も益田先生の意見に賛成です。
まずは制度を変えるところから始めないと、人の考え方が変わらないのが日本人だと思います。
自治体によっては中学校の情緒支援学級の支援学級は形だけの事がありますし情緒支援学級の担任自体が情緒支援学級のことを知らないで担任になる教師が多いし文科省が通達している合理的配慮さえしない学校が田舎になればなるほど多いので通常学級で支援学級に在籍している児童達は過ごせないです。ギフテットやグレーすぎる子達は放置されがちです。
う〜ん???😆
私の姉は4才上ですが学年は2学年違いで2才上の兄と同学年になります。
姉は私が生まれる前に大火傷を負い顔面のケロイド 耳が無く 両手指が全て有りません。 身体障がい者です。
が、姉は何フジュウ無く生活できます。 そんな姉は養護学校を進められました。理由は虐められる!からだったそうです。 私が小2の時のある日教室に入るといきなり、、おまえの姉ちゃんバケモノ!、、と数人の男子に囲まれ連呼されました。 私は姉のことを尊敬していたので心の中でですが、、バーカ!、、と思い無視しました。
虐められるのは姉ではなく兄と私のことだった!と悟りました。 姉は独学で学んで公立高校へ進学 大学も卒業し高校の教員免許も取得していますが採用されませんでした😢 かつて乙武氏が先生をされているのを観て時代は変わったな、、と感じていましたが、、。
甘え、、とか精神的に病をかかえる私には全てを理解するにはむずかしくて、、これが甘えかぁ😂
深い動画 ありがとうございました🙇♀️
土居先生もそうですが河合隼雄さんの「母性社会の日本の病理」という著作を思い出しました。
西洋的でない日本的な自我の成熟みたいなものを模索していくことになるでしょうか。
非常にわかりやすく、納得しました。ありがとうございます。
このニュースみました。
みんな現場も見ずに、一概だなと思いました。
分けてるんじゃなくて、選んでるんです!!!!!
動画ありがとうございます。自分自身のパワーも自覚していくということですね。自分のパワーを自覚して、よいことに使っていく。確かに、そういう意識は弱いかもしれません。
アメリカの文脈ですが、人種に基づく分離教育がされていた頃に「分離すれども平等」という原理が主張されていました。これについては1950年代の裁判所が米国憲法の平等条項に反するものであると判断したため、学校では人種を区別せずに教育を行うように求められました。
……というようなことを大学で憲法の先生から教わりましたが、国連がめざす教育の発想には近しいものを感じます。
国連って基本的に欧米の価値観に基づいてるから、いくら分離教育が問題とか長期入院が問題とか欧米の価値観に照らし合わせて言ったところで、日本の実情に見合ってないし効果が薄い印象を受けました 日本独自のやり方とそれを普及させる方法が必要だと考えています
冷静に考えたら「国」というモノは得体のしれない何かではなく人が動かしているんですよね。間違いがあってもおかしくない存在なのだなと再認識しました。福祉関係に詳しい法の専門家(弁護士さん?)のお話も聞いてみたいですね
今の日本みたいだな
ってフランスの話聞いていて思いました
でも日本人は戦わない
歴史も明治からの新しい時代は教えない
都合悪いことは教えない
何十年も売れ続け参考にされている「甘えの構造」。
この本の存在が忘れられる頃に日本にカウンセリング文化が定着しているのかもしれないですね🐱
カウンセリングが根付かないのは、おっしゃる通り、確かに対等な関係ではないからだと感じます。カウンセラーは、クライアントからすると「先生」ですから。敬語を使う国ですし、なかなか難しい問題だなぁと思います。
整形外科に入院中、何故か怖くなってしまって医者に殺される恐怖に襲われ(父が病院に殺されました)警察に電話したらしいです。そしたら亜昏迷状態になったらしくて、隔離されて拘束されました。幻聴幻覚妄想やばかったです。統合失調症ではなかったですけどあの時はマジでやばすぎて注射何本も打たれて20キロ痩せました。
拘束反対!隔離反対!
収容列島にっぽんという本を読んでみてください。
人権意識が希薄な原因として、最小単位のコミュニティの家庭において、夫婦間や親子間の関係が対等ではなく、暴力や暴言など人としての関わり方が崩壊している家庭が増えているもあるかと。そのしわ寄せが学級崩壊やいじめの背景にあるように思います。子どもよりも大人が学ばねばなりません。
先日他チャンネルで拝見した、フランスと日本の育児スタイルについての動画でも、今回仰られてたような「自立」に似た話をされてました。
終身雇用が崩れ、共働きが増え、欧米スタイルに生活が変化するのに合わせて、不足している意識や概念を身に付けたり理解することが、イマドキの人生を楽に生きるためのポイントなのかもしれませんね。
人権意識の低さは、歴史ですね。
代々続く感覚にすら感じます。
庶民の家での人権意識と、ある程度豊かな家庭の人権意識、庶民→少し豊かになっても続く古い人権意識、富裕層の人権意識、低さの種類は視点の数だけ色々なのではないかと思います。
私が小学生だった時代(30年近く前)、グレーゾーンの子がクラスにチラホラいました。
当時はグレーゾーンという認識はなく、「そういう子」という認識でした。
また多様性を知らない時代なので、グレーゾーンに限らず、体型が一般的ではない子(痩せてる、太ってる)、身体的な病気で注意が必要な子などを差別している子も多くいました。
混ぜることでの危険性は今は大いにあると思います。
でもそれは社会への認識が今のままだと多様性を認めるまでにどの立場の人にも負荷が高く、理解が難しいからではないかと思います。
社会自体が違いを認められない・対応の仕方がわからないのに、教師が教えるなんてとても難しいし、子供が理解するには環境がとても複雑です。(学校では違いを認めるように教えても、家庭では古い考えで違いを否定する可能性があるからです)
日本人の特性として、大人の社会から常識や当たり前の共通認識が変わっていけば、結果的に「認めないことがおかしい」「対応を知らないことの方が社会的に遅れている」という空気感が出てくると、全体に行き渡りやすいのかなぁと感じました。
少数派と多数派の逆転ですね。
言うがやすし、な話ではありますが😂
今日もありがとうございます。📹🥛🤱📼🤱🎦🥛🤱👗🤱
数ヶ月、放課後等デイサービスで、働いていたけれど、分離教育って難しい問題ですね。
普通学校に通って、辛いおもいをするすることもあるだろし、お互いが学習、成長することもあるだろうし。支援学校に通っている子どもたちを見ていて、その世界しか知らないわけだし、どっちが良いのかなって。
分断や対立が多いですね。働けない人に対して許容する人が少ないです。他の国が生活保護70%くらい受給出来ているが、日本は12%くらいです。本当に、スティグマ(烙印)が怖い方、社会の偏見が強いです。
働かざる者食うべからずといった価値観が強いです。
人権思想も強いですが、甘えとも相まって、変な依存が強い気がします。権利には一方的な受け身ではなく、責任も発生すること、自己主張には、他者との共生感も必要であると考えます。
まとまっていないですが、根本には、欧米との自立感や個人認識の差、ムラ社会(変な連帯感、出る杭は打たれるといった抑圧思考)が抜けきっていない日本の価値観が難しくさせているのかもしれないですね。
独自の価値観をどのように発展させていくのかが課題ですね。
差別ではないですけれど、欧米と日本とでは何かが根本的に違っていて、欧米のものをそのまま日本に持ってくるには無理がありそうで、だからといって、それを日本に合うようにすると変な物が出来上がっていて〜頭の良い人、何か良い方法を考えてください…という気持ちになりました。
欧州で3年前からカウンセリングに通っている者です。精神も安定し、未来に卒業が見えております。
甘えのくだり、かなり腑に落ちました。そもそも他人同士での距離感や線引きのニュアンスが日常生活で微妙に違うので、10年単位で変わるような話ではなさそうですね。
日本人の価値観を欧米のように変容させていくというのは理想ですがまだまだ時間がかかるのだと思います。日本はノーマライゼーションの理念を具現化する努力をしている状況ですが、ご指摘の通りですね。
現代で資本主義社会で人権をどうのこうのって難しいと思います
多様化って言いますけど
難しくしてるのは頭がいい人やお金持ちだと思う
ひと昔前はもっと単純でシンプルだったような気がします
まぁその分問題も多かったですけど
障がい(知的・発達)がんばれある子と一般的普通の子が一緒に勉強・活動することは簡単なことではないですね
国連も課題を提示するだけではなくて
日本にあった解決方法を提示してくれればいいのに・・・
高齢化も問題だけど、外国と日本の地域資源の差があるように思える。病床数減らすにも出戻りも考慮しなきゃならないし、地域資源差は歴史やもちろん人権意識もあるし日本に問題があるとも一概に言えないと思う。
確かに、病棟で他の患者に危害を加えると分かっていながら隔離から出されてた方いますね
自分のいたとこは、露骨に虐めをする患者を止めもせず暴言吐かれまくる人がいても見て見ぬふり
「きっとされてる方も猿のうちの一匹にしか見えてないんだろうなぁ」って終始恐ろしかったことを覚えています
日本もグローバルスタンダードの20人以下の学級(今の半分)にして必要な支援員を配置できればインクルーシブ教育は可能だと思う。重度の障害のある子どもたちに特別支援学校はあってもいいけど、少なくとも特別支援学級はあんなにいらない。1970年代200万人前後あった出生数が100万人を切っている状況ならばそれくらいやってもいいはず。子どもの数が半減しているのに、それを更に分離する教育したら、ますますマンパワーは枯渇するだろう。
人権を知るためには歴史を知ることも必要なんだと思います。また、その人権に対する考え方がカウンセリングなどにも繋がっていることが学びになりました。ありがとうございました。
合理的配慮のことですが、
こちら側はやってもらってる感があり、いつも申し訳なく思います。
それぞれに事情があり、それぞれに生きづらさがある、ということも感じるので。
いつも感謝してるし、それはこれからも伝えていきたいです。
解説、ありがとうございます( ´∀`)
日本人は人権意識が低いという話
良く耳にします
日本で生まれて日本で育ちました
人権についてはあまり考えた事がありません
難しい問題ですが
日本独自の考え方を貫く•築くよりも
「世の中スタンダード」に合わせていった方が良い気がします
高齢者の多い日本…
どの位の人達が柔軟に対応出来るようになるのか
今後が楽しみですね
WHOのいうことを何でも信じなくても良いと思う。
特別支援学校、養護学校、普通の学級、何でも丸めにしてうまくいくとは思えません。
日本の今の文化、環境では無理でしょう。
いろいろ努力していますが、外部が言うようにすぐには変わらない。
我が家の娘たちは障害児との統合保育をしている保育園で過ごしました。
保育園の保育士さん、保護者がよく話し合い理解を深めて保育をしていました。誰もが学び、助け合いながら育ちました。
その歩みはかなりのエネルギーぐ要りました。
良い時間を過ごせたと思います。
しかし、なかなか継続、拡大するのは大変なことだと思います。
カウンセラーの資格を一本化して国家資格にし、保険適用が受けられれば良いのになぁ。。。と、思い続けて早数十年。。。
今までいっぱい辛いことあったからつい、
甘えちゃうんじゃないかな。
人よりできないことを、人並みに求められるのに疲れて、誰かに認めてほしくて。
だから医師に対等に接せられても、
「優しくしてほしい」「認めてほしい」って
気持ちが出る。
でもあれだな、そこは欧米と同じ価値観の、「自分にできること(義務、責任)をやる」
ってのを取り入れて、
人並みにするんじゃなくて
自分ができることをすればいい
誰かに認めてもらうんじゃなく、
「時間はかかるかもしれないが、自立できるようにする」
って気持ちで
診察に通うと、治療効果も高まるのかな。
今日の動画からこちらに来ました。益田先生が仰った考え...日本に広がるには時間がかかりますよね。でもでも時間はかかっても少しずつ浸透していくと考えます!益田先生のように発信して下さることは素晴らしい!
WindowsとMacのOSでの例え...とっても分かりやすく面白かったです 笑
教育において、特別支援学校に行くか、普通学校の特別支援学級に行くか、判断基準は、小学校入学前に決まります。
特にグレーゾーンの人達は、
分けられることで、学力についていけない苦痛からは解放されますが、
レッテルを貼られたという気持ちはあるような気がします。
混ぜること、インクルーシブは時間がかかるかもしれませんが、
互いに支え合う方法を子どもたち自身が考えるし、大人になった時に、
役に立つと思いますね。
今回は、ムズカシイ内容でしたが、
イロイロ考えました。
新疆ウィグルの強制収容場などの問題を無視していた国連が、なぜ日本の精神医療に口出すの
かが不思議です。
そういうものを理解しないで頑張っちゃったり、搾取をされたりすることが多いよね。
日本文化は、悪いものではないし。私も大好きです。
けれど、だからといって、現在起こっている問題から、目を背けてはいけないと思います。
良いところは残し、良くないところは刷新することで、文化も人権も両方守っていきたいものです。
益田先生。今日も、ありがとうございます。
先生(医師)だから、こんな処置ができたのよ!先生だから、こんな事もできたのよ!
と、患者さんに言う看護師に出会ったことがあります。
とても違和感でした。
医師があなたよりも上で、あなたは下で。だから、お礼を言いなさい。頭を下げなさい!
と、患者さんに言っているように、私には、聞こえました。
そう言う考え方も、あるんだなぁ。と、思いましたが。
聞いていて、とても気持ちが悪かったです。
今日の動画は、その時感じた、気持ち悪さを解説していただけたと思っています。
ありがとうございます。
患者さんも健康な人も、その間にいる人も、みんな人としての強みや弱さを持ちながら生きていると思いますし、だからこそ分け隔てなくその人にとっての権利や責任や義務があると改めて感じました。お互いを尊重したり、相手を本当に大切にしたいという思いがあるのであれば、患者さんだから出来ない等として分離することは、その人を人として諦めてしまうことにもなっているのではないかとも思います。
人として経験出来ることを狭めてしまう支援の形が少しずつでも変化していけるように、自分の出来ることを、これからも考えていきたいです。益田先生の語られる内容の1つひとつが、自分の中に染み渡る思いで聴かせていただきました。ありがとうございました。
欧米では、赤ちゃんの時からベビーベッドで一人で寝かせますが
日本では添い寝や川の字で寝ることが多く、
1人で寝るのは小学生くらいからようやく、みたいな文化があります。
自立心の表れとして自己主張するよう、欧米では教育されますが
日本ではあまり自己主張が強すぎると叱られたりします。
そういう躾を、物心つく前から受けてると
自然と周りの空気を読んで忖度する癖が身につくのではないでしょうか。
狩猟民族と農耕民族の違いなのか
自然と戦うか、自然を受け入れて共存するのか
そういう意味で、国家に楯突かないで、国家をみんなで協力して支える意識が育って
拠らば大樹の陰、みたいな言葉ができたのでしょうか。
大群になることで種を守るヌーの群れを連想しました。
肉食獣と草食獣の違いもあるかもしれません。
あと、発達障害で空気読めない人は、群れで生きるのは大変そうです。
一匹狼として生きる強さがあれば別ですけど、
その強さがない人は、やはり支援を受ける必要がありますが
そういう人があまり増えると、支える方が潰れるかもしれません。
もしかして、そういう人たちが集まって集団を作り
自分たちを守る工夫ができるといいのではと思います。
入院したことないですが、恐ろしい所というイメージがあります(^_^;)
失礼ながら、現代の欧米における人権についての考え方は、天賦人権説(義務を果たしているか否かに関わらず、誰もが生まれながらにして人権を有する、という考え方)に基づくものなのではないでしょうか?
一方、現代の日本人の多くは、「義務を果たしていない者には、人権を認めない」と考える人(権利と義務をバーターだと考える人)が多く、そのことが障害者など弱者への差別につながっており、問題なのではないですか?
先生の、人権についての考え方が根本的に誤っているように思い、コメントさせて頂きました。
分けた方が辛い思いは減らせると思うのですが、卒業後の進路も別れて、選択肢が無くなってしまうのが、辛いです
いつも配信を楽しみにし、コメントさせていただいてます、すいません🙇
最近、精神病院や高齢者障害者のグループホームでの虐待の報道に心を痛めています。 日本人の心は座敷牢の時代とそんなに変わっていないのかな…?
働く人の労働条件が悪いから(低賃金とか)といわれますが、それだけではないのではないかと。
日本の教育に問題があるんじゃないかと個人的には思います。
人は能力、肩書き、富などで価値の有る無しが測られるのではなく、ひとしく尊厳があるという価値観が行き渡っていないのではないかな、日本では。
知識を詰め込んで偏差値の高い学校へ入り、社会的地位の高い または高収入の職業につくレールに乗せられる子どもたちが多いように感じます。
努力根性を美徳とし、宗教的には精進のような自力で成果を勝ち取ることに値うちがあるという風潮。
そのようであるから優生思想もまだ残っていると思います。
キリストの教えでは、最も小さい者に仕えることに価値があるとされています。 小さく弱い者も神によって作られ、思いのほか愛されているという教え。 だから欧米ではありのままが受け入れられ、人権が大切にされます。
どんな人も不完全であることを自覚して いたわり支え合う世の中であってほしいと個人的には願ってます😢
ゆっくり変わっていくのが日本風と言えるかもしれませんね。
国家をひっくり返すような出来事など起こらなかったわけですから。