【酷評注意】前作を否定しているようで否定になってない、野暮で中途半端で退屈な凡夫映画-『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』【映画レビュー/ネタバレあり】
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- Опубліковано 13 гру 2024
- #映画レビュー #ジョーカー #フォリアドゥ #ジョーカー2
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【🔊今回感想を語った映画】
題名:ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ
監督:トッド・フィリップス
公式サイト:wwws.warnerbro...
予告編: • 映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』ファイナ...
著作権:(C)2024 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved/
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🎫動画の目次
0:30 所感(ざっくりした感想)
6:00 感想詳細(ネタバレあり)
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📲備考
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ウラギリ・サンゴと申します。
普段はネットで自作小説を書いたり映画のレビュー集を書いてます。
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こういう考察が聞きたかった!大満足です。ありがとうございます。
こちらこそ、ご視聴ありがとうございます☺
■私もエンタメとしては冗長でしたが、ATG映画🎬的な「ヤマなし(マウンテンは作れなかったね)、オチなし(オチはあったか...)、意味なし」作品として興味深く鑑賞しましたね。
客に冷や水💦を浴びせるって意味では旧エヴァ劇場版の庵野監督を思い出しましたが、冷や水の裏側できちっと前作の補完をしてくれる点でも同じ感覚に陥りました。
私には「前作の否定」ではなく、そういったオーダーがあったとしても、それに託けた「前作の肯定」に思えます。
旧エヴァ劇場版ラストでアスカが「気持ち悪い...」と言ったときに感じた「やっぱそうなるよね💡」といった快感が、アーサー最期のシーンでもありました。
【これ、結局は前作含めた全編がアーサーの壮大な誇大&被害妄想で、そもそも大量殺人🔫も世間のジョーカー騒動🤡も現実ではないという話ですよね】
■アーサーが最期に口から流した血は、腹を刺されたことによる鮮血ではなく、明らかに髭剃りミスの乾きかけた血でした。
つまり、最初の髭剃りまでと最後の刺殺だけが現実で繋がっていて、他は全て妄想であり、ダサ・ミュージカルだけが明確に妄想だと見せているのは、敢えてのトリックでしょう。
・髭剃りミスの血をおばさん弁護士が自らの唾で拭き取ってくれましたが、リアルにそんなことをするはずがなく、アーサーの理想の甘ママ像👩を妄想していた証です。
・その前の雨のシーンで看守の傘が黒⇔カラフルになっていましたが、あれが妄想inのマーカーでしょう。
・冒頭でTV📺に映っていたアニメ「ペペルピュー」を、最期の前にもTV📺で観ていましたので、ここが繋がっているという暗示です。
・そもそも、裁判が全国📺生中継されるのは現実的ではありませんし、影響力のある殺人鬼を他の囚人と混ぜるという扱いも不自然でしょう。
・直前に生中継中の裁判所🏢爆破→逃亡という大騒動があったのに、収監環境が変わらないばかりか、周りの囚人も冒頭と同様にアーサーへ無関心です。
■前作も妄想と現実の境目が曖昧でしたが、今作によって、母親👩殺し以外は全て妄想だとハッキリした気がします。
今作で他5人殺害の裁判が行われていますが、これが妄想だということは、逆に現実世界では母親👩殺しのみの裁判が行われているのだと推測されます。
母親👩殺しの罪に苛まれ、大量殺人を犯して悪のカリスマとして君臨する妄想へ逃げ込んだものの、何者でもない自分からは逃れられなかったという、その意味ではより孤独で哀しい物語と言えるでしょう。
■最後にアーサーを刺した🔪ヒース・レジャー似の青年が「ダークナイト」版ジョーカー🤡で間違いなく、そもそも世間でジョーカー🤡騒動は起きていませんから、彼がオリジンで、アーサーは寧ろその快楽殺人の最初の被害者👼だったということです。
前作でもわざわざアーサーとブルースの世代差を描いていましたから、アーサー≠ジョーカーという姿勢は一貫しているのだと思います。
■ハービー・デント検事補は爆破テロ💣によって顔の半分が焼け爛れていましたが、明らかにトゥーフェイスの誕生(ただし妄想)を描いています。
原作では、ハーレイクインが身籠り、様々なヴィランとの噂が浮上したものの、最終的にはデントの娘👶だと判明しました。
つまり、リーはジョーカーに会うためにデントを抱き込んで、その子を身籠ったという入り組んだ妄想をしていることになります。
自分を見てくれていないと気付きながらも、カリスマの仮面🤡を纏って美女に筆おろししてもらったら、そいつは自分の敵の子を宿していた...というNTR妄想で捗る我々と同じなわけです✨
■こうなると、あのゲイリーの真に迫る独白ですらアーサーの妄想ですから、「ゲイリーだけは本当の自分を見てくれているに違いない」と思い込みたいが、真実は誰にも分からない...という孤独で残酷で悲惨な物語だと感じました。
長文、大変大変失礼いたしました。
そんな見方もしてみると、ちょっと趣が変わるのでは...という提案です。
ご視聴ありがとうございます。
「母親殺し」「ATG的作品」というところで、ひとつ間違えば『青春の殺人者』のような面白さが宿っていた可能性もあったのかもしれませんね。
続編を作ったと聞いた時に、前作は名作だし蛇足なんじゃないかなあと思った反面、まあ大ヒット作の続編・最強クラスのIP・倍増した予算、これはまあ大ヒットするんだろうなあ……って思ってたんですけどね
色んな考察はあるだろうけど、単純にミュージカル映画としても間延びしていて退屈だったっていうのが率直な感想だよね
その歌唱やダンス(え?!)の拙さも、観客への当て付けでしょう。
アーサーは悪のカリスマ・ジョーカーではなく、ただの気弱で孤独な男であり、アーサーに戻って死にました
というのを真面目に描いて冷や水を浴びせる作品でしたね。真面目な監督なのでしょうが、仰るように野暮だと思いました。
ミュージカルシーンも面白くなく停滞し「もう歌は嫌だ!」という後半のアーサーの台詞は「こちらが言いたいよ」と思いました。
裁判でのゲイリーの証言シーンは、そこからもっと深堀りしていけば、アーサーの人生を悲劇に何か光を当てるものになったかもしれないですが、
裁判中、唐突な大爆発が起きて、雑に幕を引くなぁと思いました。まあ前作でも、いきなりパトカーに車が激突みたいなシーンはありましたけどね。。
ご視聴ありがとうございます。
あの大爆発シーンは雑展開でしたね。あまりにもなやり口に、思わず笑いそうになりました。これは想像ですが、監督が当初考えてた以上に物語が運べなくなって、力ずくで突破口を見いだそうとした結果なのかなと思います。
賛否両論って言われる時は、概ね否なんだよね。
ほぼ同じような感想でした
前作ファンへの否定もぬるいし映画としてずっと退屈でした…
否定するならアーサーが小便撒き散らしながら電気椅子にかけられるとこまでやるべきだったよなぁ
そもそもジョーカーの人格って仮面みたいにつけたり剥いだり、やめたりやめなかったりそんな設定じゃないだろって初っ端から映画の中身に入っていけなかったなぁ・・・
監督の伝えたい事も分かるけどせめて別の作品にしろよ・・・
あきらかに傑作だった「1」を対消滅させる恐ろしい子やで。コイツは。
ご視聴ありがとうございます!
ジョーカーになったりアーサーになったりのところで
「本当にあの『ジョーカー』の続編なのかこれは?」と激しく困惑しましたね。
悲惨というしかない生まれ育ちで「負けが見える」と信者や部下が逃げていくってのはそもそもキートンのバットマンリターンズでペンギンがやってたよねっつう。
なんならリターンズのペンギンのほうが愛くるしくて可哀想かわいいという。
監督の試みに対して、わざわざフィクションを使ってやる必要があるのか?と言うけれど、むしろフィクションにしかできないのでは?と思います。
映画という1つの表現として距離を保てる方なら、確かに今作は野暮に感じるかもしれませんが、果たしてそのような人ばかりだったのか?と、、、
この過酷な社会において「誰かをジョーカーとして誕生させてしまうかもしれない」という視点より、「自分もジョーカーかもしれない、ジョーカーになるかもしれない」という視点でアーサーにカリスマを見出す人が前作には多かったように感じました。(模倣犯まで現れたことには驚きです)
つまり、たとえフィクションであれ物語そのものが強い意味を持つ場合があるということです。
祭り上げられた虚構の存在は、その宗教的世界観の中で無力化する必要があったのではないでしょうか。
ご視聴ありがとうございます!
たしかにこの世の中にはフィクションと現実を混同する困った人が結構いますからね。そういう人らを対象に「冷水」を浴びせる映画としては、ある程度成功しているとは思います。
@@UragiLi35
返信ありがとうございます😊
後半の指摘、概ね同感でした。
アーサーを更に深く掘り下げる事もなく、前作に対する否定としてもどこか手緩くもの足りない、カタルシスを感じるところも無く、消化不良感が否めないし、その上ミュージカル要素も取り入れていることから間延びしており全体的に非常に掴みどころが無かったように思います。
しかしながらこれもトッドフィリップス監督の狙いなのかな、というふうにも感じました。
というのも、前作、今作共にアーサーの物語ですが、その描かれ方に大きな違いを感じたからです。
前作では物語を、社会から疎外される主人公アーサーとして一人称的に(正確には三人称一元視点)進めることで、観る側がアーサーに共感し易い構造になっていたのに対して、今作では弁護士やハーレイ、前作の登場人物達といった、それぞれの立場にある程度共感できるような三人称的な視点を含めて進行することで、「アーサー(=ジョーカー)とは何者なのか?」という問いにストレートに答える作品というより、他者との関係の中から浮かび上がるぼんやりとした「アーサー(=ジョーカー)」を意図的に描いた作品になっているように思いました。
ジョーカーはアーサーの別人格という人もいれば、ジョーカーこそが本当のアイデンティティだ、という人も。
本当のアーサーフレックは心優しい男だと言う人もいれば、理解不能な精神障害者という人もいる。
どれもこれも一歩引いてそれぞれの立場から考えると、ある意味で説得性があり、物語が進めば進むほど、結局アーサーって何者?前作何だったの?という部分が曖昧になっています。
だからこそ個人的には、前作のように主人公アーサーにそこまで感情移入できなかったし、かなり悲劇的な死であるにも関わらず、何のこっちゃ感がありました笑
ただ、そこに敢えて作り手が「ジョーカー」を、それ以上でもそれ以下でも無いように描く、という狙いがあったのではないかと邪推しています。そう描くことによって、何者かになれたと思われたアーサーが結局操り人形に過ぎなかったということを、作中の群衆や鑑賞者の失望を以て証明されるというように。
悪のカリスマなどでは無かったにも関わらず、じゃあ人間的にアーサー自身の行いってどうなの?という部分にもフォーカスせず人間的な同情や憐れみをも与えないことで作品と鑑賞者との間を突き放し、アーサーの悲劇的な人生を大層なドラマでは無く喜劇として、しかも全然面白くない、つまらない喜劇として描きたかったのではないか?というのは考えすぎですかね笑
そう考えると、アーサー演じるジョーカーが送るクソつまらない喜劇としての「ジョーカー」であれば、とてもアーサーらしくてしっくりきたし面白かったというのが個人的な感想です笑
熱のあるコメントありがとうございます。私よりも深くこの映画を理解されてると感じました。
「つまらない喜劇」「同情を寄せられない悲劇」として描くことで、何者かになれたと勘違いしてるアーサーの存在を無化しているという御指摘、たぶんアーサーが自分で自分を弁護するシーンにそれがいちばん出ていたと思います。あれが、たとえばヒース・レジャーのジョーカーならキレッキレの悪の頭脳で優位に立ち回ると思いますが、アーサーは教養ゼロ人間だからどう頑張っても面白くなるはずがないし、なんならゲイリーに言い返されてショック受けてる感じでしたもんね。「自分で自分を弁護なんてしても面白くならないんだからやめとけやめとけ!」と鑑賞時に思ったものですが、監督が最初からそういう意図で演出していたのなら、ミュージカルの中途半端な盛り上がりも含めて納得ですね。
@@UragiLi35
見識ある方からのお褒めの言葉恐悦です😊
そうなんですよね笑
法廷でのシーンは非常に半端でした😅
アーサーフレックを深掘りするでも無く、悪のカリスマとしてのジョーカー劇場になるでも無く、、
ただ、自分はジョーカーなどでは無かったと告白するだけでした。
ただ、前作を徹底的に否定する作風(人間アーサーにフォーカスするといった)にしなかったことによる、絶妙なしょうもなさが逆にリアルにも感じられました。
ジョーカーに幻滅して法廷を後にするハーレイにとても共感できるというか笑
ミュージカルに関しては、揺れ動くアーサーの自我や感情、ハーレイとの恋模様を月並みに感じましたが、そういう受け止めでよかったのかな?笑
まぁちょっと微妙でしたよね😅
ところでUragiLiさんは芥川龍之介の「藪の中」という作品をご存知ですか?
藪の中で起こった殺人事件の真相について、7人の登場人物の証言や告白を照らし合わせると、どうしても矛盾が生じてしまい、真相がわからなくなってしまうという物語なのですが、この物語の肝は犯人は誰なのか、誰がウソをついているのか、という推理的な要素にあるのでは無く、「それぞれの感情や主観を持つ立場から見た『ある事実』の曖昧さや人間の持つ恐ろしく危うい側面」を描いたところにあると思うのです。
今作は芥川龍之介の「藪の中」のように、様々な思惑や感情を持った立場から見た「アーサーフレック」という存在の曖昧さを描き、そしてそのような関係の中で翻弄され、悲劇的な人生を送った人間の物語を非常にダークな喜劇として見事に描き切っていると思います。
「真相は藪の中」ならぬ、「アーサーという存在は藪の中」な映画でした。
「藪の中」是非ご一読ください笑
@@vcoqxsavic9195
なるほど、「ダークな喜劇」ですか。
私が「この映画、悪意しか無いな、、、」と感じた事に近いのかな、、、、
ぬるい。その意見よくわかります。
エヴァの旧劇くらい突き放してくれる方が好みです。
精々ドラクエユアストーリーの「大人になれ」レベルの安い説教だと冷や水にもなってないなと。
ご視聴ありがとうございます!
私も観終わったあとは「これって旧劇エヴァ?」って思いかけましたが、
あっちほど強く観客を否定してないのがモヤりました。
自分は賛否だったら「賛」派だな〜
ガガ様歌いすぎなのは同意だけど。
そうそう。
色々細かい部分で弁護している「賛」動画を見ますが、そういう細かい事を問題にしているのではなくて、総体としてクズ映画なんですよね。
この映画が造られた意義と、思想的な話ですよね。
ご視聴ありがとうございます!
本当、監督の「本心」が聞きたいところです。本気でこれを「前作の否定映画」として作ってるとしたら、なんか違うのではないか?と感じてしまいます。
JOKER1は奇跡的に上手く行っただけなのかもしれないですね。1を観に行った時、ヒースレジャーのJOKERが完璧だったので、監督の詳細を調べてかなり心配して観に行ったことを思い出します。この監督が闇を描けるのかな、と思っていました。結果、1は面白かった。でも監督は1でも邪魔だったと思いました。今後もJOKERの存在は無くならない。監督の底が知れてしまっただけですよね。今回は。
ご視聴ありがとうございます。
前作はマーティン・スコセッシの諸作品を引用していたぶん、作劇のメリハリがはっきりしていたのが良かったですね。ちなみに自分もヒース・ジョーカーが大好きです!
正直、結構よかったんじゃないかと思ってるんですよね。
まぁ個人的にミュージカル的な演出が好きってだけかもしれませんが。
お前たちが憧憬を求めているヴィラン的価値観はこれほどまでに陳腐であり、
特筆するほどの背景もない、温くありふれたものである、
っていう、期待通りのお説教感が大好きなんですよ
強いて言うなら、フォアリドゥとか付けるよりも素直に、アーサーってタイトルにすべきだった気もする
どうせお説教だという事は事前のインタビューで分かりきっている事なんですから。
ご視聴ありがとうございます。
説教するならもっとデントに頑張ってもらいたかったなあというのが正直なところ……裁判を「ジョーカーのショー」として見せたいのか、アーサーの内面を掘り下げる「法廷劇」にしたいのか。どっちもやろうとして中途半端になってる感がどうしてもありました。
ミュウジカルが退屈だったよね💕︎
熱量の多い感想お疲れ様でした。
賛否はともかく、長いのはいただけませんね。
説教するなら短く、簡潔にしてもらいたいものです。
ご視聴ありがとうございます。
人を叱る時は短く簡潔に……大事なことだと思います。
時間が長いのも、観客に対する当て付けだと思います。
配信で観る方が羨ましいですね。