帰還困難区域の記録2020|私が見た、今の福島県大熊町 The current situation in Okuma, Fukushima|書道家/書家
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- Опубліковано 4 жов 2024
- 2019年からスタートさせた、"書の旅in福島" 。
5年前に上京してから故郷福島についての知識不足に気がつき、県内全59市町村の旅に出ました。
その中でも特に知りたかったのは、2011年3月11日に発生した東日本大震災・福島第一原発事故の被害が県内で最も大きかった双葉郡の現状です。
これまで私はニュースで情報を得ていたくらいで、その情報が確かなのか不確かなのかも分からないまま、人に「今の福島は大丈夫です!」なんては伝えられず、自分の目で見たことを伝えたいと思い、実際に行って確かめてきました。
良いか悪いかのモノサシは人によって様々なので、私は私が大切だと思うことをただ続けていこうと思っています。
◆書の旅in福島 旅日記一覧
nemotomiki.jp/...
Today, I’m in Okuma, Fukushima.
Okuma is a town that was severely damaged by the Fukushima
Daiichi Nuclear Power Station destroyed by the massive earthquake that
occurred on March 11, 2011.
I was able to enter specially because of my work.
I took a video because I wanted to keep a record of the current Okuma town.
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◆Official Web
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◆Facebook
/ nemotomiki38
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#福島県 #大熊町 #fukushima #東日本大震災
様々な捉え方があると思いますが、私は私がただ感じたこと気づいたことを発信しているだけです。
そして、ただ純粋に故郷、福島が好きで動いているだけです。
特に誰かの期待に応えようと動いていたり、復興を掲げて動いているわけではないです。
ただ私が実際に自分の目で見て感じたことを今後も発信していきます。
秩父の江原と言う、老釣り師です。
お忙しい中、早速のご返信ありがとうございました。
あなたが日常生活で感じている事を、素直に表現している映像ですね❗️純粋さは十分伝わりますよ。
多方面のご活動これからも応援しています。
私たちの地元を動画にしてくれてありがとう!懐かしさが込み上げます。
高校生の頃、よく西口でお喋りしてたなぁ。
地元だったんですね!
駅構内は綺麗になっていましたよ。また少しずつ人が増えるといいですね。
12市町村の復興事業に、微力ながら関わらせていただいている人間です。
私の行動は素晴らしいことなのか?誇るべきことなのか?葛藤はありますが、私は祈り続けます。
大熊町、顧客対応で訪れましたが、6号沿いの光景に目を見張りました。
当時の惨劇を物語る紳士服屋さんや、駐車場に停められたままの車。
東京に居座っていてはまず目にしない光景でしょう。
後は我々日本人がどう受け止め何をするかです。
私は変わらず走り続けます。
昨日、今日、歯科検診の仕事で大熊に伺いましたが、復興はまだまだという印象でした。
また来ます。
そうだったんですね。私も来月にまた足を運ぶ予定なので、変化を見てこようと思います。
It's a little tough to face the reality of disasters, but at the same time I feel it is necessary so that we don't forget what happened and appreciate what we have now.
I am always impressed how Japanese people help each other in difficult times and try hard to change their future to a bright one.
Miki san, I love the part you say “Memories can't be taken away”
Yes, I think so too.
Every time such a disaster occurs, it makes me think about various things.
"What's the most important thing? "
"What should we do for peace…?"
I appreciate your comment, thank you!
題名が書のある暮らしですか素敵な題名です凄く気に入りましたこれからも取材頑張って下さい静岡県から心より応援しています
自分は下野上1区に住んでましたがまだ住めないみたいですね…。あれから11年…俺も21になったのでまたコロナが落ち着いたらもう一度故郷に行くつもりです。商店街も昔は祭りとかよくやっていて賑やかだったんですよ。またあの頃に戻れることを心から祈ってます。
まだ住めない地域は残っているようですね。21歳!10歳の頃に経験なさったんですね。故郷はどんな形になれど、故郷に変わりはないですからね。お祭りなどもやられていたんですね。私もまた大熊町に足を運ぶつもりです。少しずつですが前に進んではいるので、希望は捨てずにいましょうね。
地元に来て頂きありがとうございます。
また行きます!
とても貴重なものを見させていただきました
10年経ちましたがまだ何もかも道半ばで終わっていませんね
改めて自分ができる事を考えてみようと思いました
なかなか目にしない光景ですよね。少しでもお役に立ててよかったです。
大熊町がいつかは笑顔いっぱい町になりますように
🙏🏻🙏🏻🙏🏻
みきさんの動画を初めて見たのが、秩父大血川渓流釣り場の映像でした。
その動画にコメント入れた時は、アウトドア好きな書家のお嬢さんと思いましたが、チャンネル登録して見たらビックリ❗️
私の娘と同じ歳、多趣味な事、そして福島出身で震災体験。
東日本大震災の傷痕を伝え、ふるさとの復興を願うみきさんの心を感じる動画でした。
チャンネル登録、そして動画ご視聴くださりありがとうございます。
自分が興味持ったことは我慢せず、思ったら即行動に移してしまうタイプかもしれません(笑)
福島は故郷なので、普段は関東で活動していても、やっぱり震災の件で色々と気にかける部分は多いです。
自分ができる範囲で、これからも福島を伝えていきたいなと思っています。
大野駅前地区も、来年春(2022年春)に避難指示が解除されることがほぼ決まりました。大野駅前の放射線量計の表示も、0.25マイクロシーベルトまで下がりました。一歩一歩着実に復興が進んでます。
それはよかったです。一歩一歩ですね。前向きな報告が聞けて嬉しいです。
ありがとうございます。
そうか。そうだよな。まだまだこれからなんだよな。10年なんてあっという間だった。
そうなんですよね。
なんか、ほんとに…早かったです。
頭の片隅に置いておきながら、今後も向き合っていきたいですね。
最後のまた来ます。目頭が熱くなりました。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
まだまだ、これからですね、
問題が多い行政だけでは解決しない問題も多いでしょうね。
小さな力も集まれば大きな波となって変わっていくのでしょうね!
そうですね。小さなことからだと思います。上京しても、やっぱり福島は大好きなので何かしらできることを続けていきたいです。
東日本大震災の凄さを改めて感じました。当時は茨城県日立市に住んでいて、震災を経験しました。電気、ガス、水道が止まって大変な思いをしました。しかし、今も放射線と戦っている現状を知ると大きさを痛感しました。時間はかかるかも知れませが、震災からの復興をきっかけに観光資源活性化を願いたいです。
また、チャンネル登録させて頂きました❗
宜しくお願いします🙇♂️⤵️
あの地震が起きた時は福島にいたので、冗談抜きに日本が終わったんじゃないかと思いました…。
地震、津波、原発事故…。3.11の出来事は自然が人間になにかを訴えているように思えます。
10年経てば話題に出る機会も少なくなりますが、大切なことはやっぱり伝えることだと思います。自然災害は逆らえないからこそ、未然に防げることは沢山あると思うので。
根本さん、この度はありがとうございました。ドキュメンタリー風に仕上がってますね。感謝感謝!です。家屋は取り壊され道路になる予定です。また変貌を遂げる大熊町にお越しくださいませ(^^)
動画編集していたら、自然とドキュメンタリー風に仕上がりました(笑)
はい、また行きます^ ^
青春18きっぷのシーズンになったら訪問しようと考えています。もちろんルールを守り、地元の方々に迷惑をかけないようにします。少しでも体調が悪いときは絶対に行きません。
直接ご自身の目で確認されると、これまで画面越しで見ていたニュースなどとは違った印象を受けるかと思います。
私もうまく言葉にできませんが、色々な思いが込み上げてきました。
実際に行けないから、今もこんな現状なんだなと知ることができました(・。・;人がいないから荒れ放題に驚かされます。本当の復興にはまだまだ時間がかかりますね😦同じ福島県なのにって思うと胸が痛くなります。これからも3・11は決して忘れてはならない出来事ですよね。
なかなか目にすることはないですよね。関東にいると尚更、福島の現状を知る機会が減るので…時々また行こうと思います^_^
ああ…懐かしい…
10年前を思い出す風景を…どうもありがとうございます。
まだあるのかな…フルーツ持ったくまの親子の看板…
少しでもお役に立てて良かったです。
故郷はなにがあっても故郷に変わりはないですよね。
また行こうと思います。
頑張って下さい静岡県復興願う会
名前を「紅茶花伝」に変えました(^^)/
今日、大熊町に行ってきました。根本さんと共に入った駅前地区は家屋の解体が進み、以前と全く雰囲気が変わってました。他の方がコメントされていた「レストラン峰」はまだ解体着手前でしたが、間もなく着手のようです。変わりゆく街並み、解体前の姿を残せて良かったと思ってます。ありがとうございました。
コロナ終息したら必ず行こうと思う!
福島行く時、タイミング合えば一緒に行きたいね!
もう、【大熊・双葉・浪江は消え去った過去の町なんだ】【福島は終わったんだ】って思い込んでたけど以外な一面があるんだな。少しずつ回復してる感じがする。
本当に少しずつですが、前に進んでいる感じがしました。
おそらく自分が生きている間はずっと向き合うであろう事ですが、小さくてもできることで力になりたいと思いました。
国道6号線走ったけど放射能測定器が五年前には何ヵ所にも設置されてたけど先月走ったら一ヵ所だけだったなw
もう問題ないんだから開放したら良いのにね。
長靴でも入りそうな
カバーですね。
入りますね。ただ歩いていると少し下がってきます。
1を切るって、年間換算で10ミリシーベルトだよ。とんでもない値だ。これでここに住むってのは正気の沙汰ではない。
下記、大熊町ご出身の方からの情報です。実際に今大熊町に住んでいる方もいれば、数年後に戻ってくる方もいます。
その方々のことまで考え、単純計算ではなく様々な面から眺め、情報を集めてから言葉を選ばれた方が良いかと思います。
結論から言いまして、単純計算でも年間の積算で10ミリシーベルトに達しません。
以下単純計算です。
1マイクロシーベルト × 24時間 × 365日 = 8.76ミリシーベルト
です。
実際には1日24時間屋外に居ることはありませんので、1日24時間のうち8時間を屋外で過ごし、残りの16時間を屋内で過ごすと仮定して計算します。
16時間に係数を掛けるのですが
木造家屋 係数0.5
鉄筋家屋 係数0.1
となります。
木造家屋に居住する前提ですと、
1マイクロシーベルト × (8時間 + (16時間 × 0.5係数)) × 365日
= 5.84ミリしーべルト
です。
これより除染しますと、40%~60%ほど線量が軽減されますので、年間で3ミリシーベルト程度となります。
航空機も宇宙線(放射線)に被爆しますが、東京(成田)-ニューヨークを1往復すると100~150マイクロシーベルトほど被爆します。線量に巾を持たせているのは、飛行高度の違いによるものです。
またCTスキャンも、1度で7ミリシーベルトほど被爆します。
(単位 1000マイクロシーベルト = 1ミリシーベルト です。)
素朴な疑問なのですが、年間換算で10ミリシーベルトは危険なのでしょうか?
端的に言いまして、身体に何らかの影響が出てくると言われているのが100ミリシーベルトと言われています。
安全係数を10としても、10ミリシーベルトは問題ないレベルと思っています。
実際問題、イランのラムサールは自然界での放射線量が最大で年間500ミリシーベルトになりますし、インドのケンナイ、チェンナイでは年間50ミリシーベルトになります。
その地域で癌が多発するなんて聞いたことがありません。
また身近なところでは、胃のX線検査で5ミリシーベルト、CTスキャンで有に10ミリシーベルトを越えます。
コメ主は、こう言ったことはご存じでしょうか。
もっと医学的、科学的な観点からコメントください。