祈祷会(2024年7月24日)聖書朗読&バイブル・スタディのみ(事前収録)※各自でお祈りください!

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  • Опубліковано 22 лип 2024
  • ◆主題 「使徒トマス」聖書人物伝シリーズ㉞
        ~疑ってから信じたトマス~
    ◆聖書 ヨハネ20:24-29
    ○ヨハネ20:24-29
    :24 十二弟子の一人で、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
    :25 そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言った。
    :26 八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。
    :27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
    :28 トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」
    :29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」
    【学びのポイント】
    1.使徒トマスについて(マタイ10:3、マルコ3:18、ルカ6:15、ヨハネ11:16、使徒1:13ほか)
    ①名前:「デドモと呼ばれるトマス」(ヨハネ11:6、20:24、21:2)。「デドモ」とは双子の意味。
    ②性格:疑い深い性格。主イエスがよみがえられたことを直接目撃した弟子たちの話を信じることが出来ずに疑ったが、復活の主にお会いして、 「わが主、わが神」とすばらしい信仰告白をした。
    ③人物:共観福音書の十二使徒のリストでは中ほどに記されている。しかし、ヨハネの福音書では、より重要な役割を果たしている(ヨハネ11:16、14:5、20:24‐29、21:2)。トマスは、イランからインド方面で伝道し、南インドで殉教し、チェンナイ(旧マドラス)に葬られた。南インドには聖トマス教会が存在している。
    2.主イエスに一途に従おうとしたトマス(ヨハネ11:16): 弟子としての覚悟
    ・弟子たちは主イエスが「マリアとその姉妹マルタ」(ヨハネ11:1)の弟であるラザロをよみがえらせるためにベタニヤに向かうことを決意された場面で危険を伴っていたので引き留めようとして、「先生。ついこの間ユダヤ人たちがあなたを石打ちにしようとしたのに、またそこにおいでになるのですか。」(ヨハネ11:8)と言いました。
    ・しかし、トマスは師である主イエスにどこまでも従っていく事を決意し、他の弟子たちを促して言いました。「そこで、デドモと呼ばれるトマスが、弟子の仲間に言った。『私たちも行って、主といっしょに死のうではないか。』」
    3.主イエスに分らないことをそのまま告げたトマス(ヨハネ14:5): 弟子としての信頼
    ○ヨハネ14:5 「トマスはイエスに言った。『主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。』」
    ・このトマスの最後の晩餐での主イエスに対する唐突な無理解の言葉によって、主イエスによる有名なみことばが語られました。それが、次節の「わたしは道であり、真理であり、いのちである・・・。」(ヨハネ14:6)。
    ・主イエスは、トマスの無理解に対してご自分に関わるとても大切な真理をお語りになりました。トマスは主イエスを信頼していたので、自分の思ったことを包み隠さず、主イエスに告げることができたのです。
    4.疑ってから信じたトマス(ヨハネ20:25): 弟子としての信仰告白/「私の主、私の神よ。」
    ・トマスは自分の中にある不信仰の心の闇を丸ごと赦し、受け入れてくださった主イエスの大きな愛に触れました。そして、トマスは、「私の主。私の神よ。」と心の底から信仰の告白をしました。
    ・このトマスの信仰告白は、後の時代に、イエスが神であるということの最大の証拠のひとつとしてあげられることになります。弟子たちの中で、疑い不信仰で心が閉ざされていたトマスの信仰告白こそ、三位一体の神様への信仰の大きな証しとなりました。
    ☆"疑ってから信じたトマス"の信仰告白を通して、主イエスの深い愛と赦しの大きさを改めて学ぶことが出来ます。主イエスは、疑いやすい、素直に信じ切ることが出来ない私やあなたの罪のために、十字架で刺し通され、尊い血潮を流してくださいました。主イエスの十字架は私の罪のためであったことを深く心にとめ、主イエスの愛に感謝し、主イエスに対して「私の主、私の神」と信仰の告白をさせていただきましょう!

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