アクカメさんぽ #03「かつて“洲崎”と呼ばれていた町」

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  • Опубліковано 25 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 7

  • @ねずみ色の猫
    @ねずみ色の猫 Місяць тому +3

    東京湾に面した堤防かと想像されるコンクリート構造物は、南砂町駅の南の方にも見受けられます。探すともっともっと残っていそうです。

  • @utakoyumeko
    @utakoyumeko 2 місяці тому +3

    りとるまま という長屋の店舗が、まだ自転車置いてあるので、こっそり営業しているっぽいけど、かつその近くにも、当時の長屋の外壁をリフォームしているスナック緑も営業しているみたいだけど、たどり着けなかったのは残念ですね!また1:10あたりの右アングルすれば当時の建物で今は不動産、酒処、立ち呑みやとして営業を続けている小さい店舗がまだ残っていますよ!

    • @cc6934
      @cc6934  Місяць тому +1

      店舗等については、ちょっと取材etcは遠慮してしまいました。かつてのこの町についてどう捉えておられるのか不明なので。。。

  • @参河屋喜三郎
    @参河屋喜三郎 2 місяці тому +2

    洲崎 といったら、遊郭なんかよりも「洲崎球場」を忘れては困る。
    wikiによると、「日本プロ野球草創期、東京では上井草球場に次ぐ2番目のプロ野球専用球場であった。大東京軍の本拠地として建設されたが、実際は当時フランチャイズ制が敷かれていなかったこともあり、東京巨人軍も試合を開催していた。」とある。
    洲崎球場で行われた試合の中では、1936年の巨人対タイガースの沢村栄治、景浦将が出場した優勝決定戦は語り草になっており、“打撃の神様”と呼ばれた川上哲治(巨人)のプロデビュー戦もこの球場であったそうだ。

    • @c2factory
      @c2factory 2 місяці тому +1

      洲崎球場は地名としては「洲崎」にあったわけじゃないんですよね。ってその辺はあいまいというかテキトーで、要するに洲崎に近いからとか「洲」の先っぽにあるからみたいなことでの命名だったんだと思います。でもいわゆる洲崎の近所なのは間違いないので実際選手らも試合後等に遊びに行ってたりしたみたいですね。まぁその辺もムニャムニャという感じで(笑)。
      っていうか私的にはこの洲崎球場については言いたいことがありまして、21世紀に入ってしばらく経つまでその正確な場所もわからないまま、とどのつまり「放置」されてたわけで、それはどうなんだ、と。
      江東区はそういうのが多いです。小津監督の生家も間違いなく深川にあったはずなのですがその正確な場所はよくわからんままになってます。

    • @ねずみ色の猫
      @ねずみ色の猫 Місяць тому +2

      洲崎球場の案内板は、東陽町駅の南東側に設置されています。
      現在の東陽町とか新砂あたりになると、大昔はゴミ捨て場で、ハエが大発生して遊郭から苦情があったとか。

    • @cc6934
      @cc6934  Місяць тому +2

      @@ねずみ色の猫 運転免許試験場の向かいでしたかね。しかしここプロ野球史的には重要なものだと思うのですが、それにしちゃ扱いが地味だよな、と思います。それでいいのか、と。