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最近お茶の先生から、使われている道具が何焼きか、分かるように勉強してと言われたので、とても助かります。すごく分かりやすいです。
お役にたててとっても嬉しいです✨
焼き物のこと知りたいな〜の初心者で色々基礎から学びたかったのでめっちゃわかりやすかったです!!全体的な説明とそれぞれの特徴がわかって嬉しいです✨
嬉しいです☺️ぜひご一緒に学んでいきましょう!
毎回勉強になります🙇♀️
嬉しいです🥹更新がんばるので、ぜひごいっしょに勉強しましょう✨
@@utsuwamon 楽しみにしてます(*´꒳`*)♡
わかりやすいです✨
よかったです〜!誰にでもわかりやすい動画をアップできるよう頑張ります🍑
わかりやすいです
ありがとうございます😊
備前焼は釉薬使わないから土が命だけれど、良い土が取れなくなって苦戦しているようですねぇ。
最近このチャンネルを見つけました^ ^もっと色々知りたいので、これからも更新よろしくお願いします!応援してます^ ^
黄瀬戸や瀬戸黒は美濃です。
せともの、という言い方に対して、からつ、と言う言い方を「焼き物=器」に対してする人が多かったのが、西日本です。昭和40年代くらいまででしょうか。 当時は、備前焼も、インベ焼き、という言い方の方が主流でした。忌部or斎部とは、日本の黎明時代、それぞれを職業とする一族がいて、猪を飼う一族は「ししかいべ」と言われ、今も、岡山市東部に宍甘(しじかい)として名を残しています。土師部などもそうですね。土師、須恵は、瀬戸内市(備前市の南南西)に残る地名です。当時の焼き物屋としては、古墳時代の巨大な円筒埴輪、や、陶棺を焼いていた可真地区の集団があり、その窯の発掘資料は、PDFとしてDLできます。弥生から古墳時代にかけての窯跡です。六古窯については、それを作る職人さんたちは、夏は暑いので越前で作り、冬は暖かい瀬戸内(備前)で作っていた、と越前焼会館に書かれていました。これは、私も初めて知りました。形の違い、焼きの違いは、粘土と窯を作れる土地の違い、みたいなものから来る、と。瀬戸については、前身の猿投窯について、加藤唐九郎氏の志野焼の研究過程で明らかになっていく様子が文章で書かれしていました。加藤氏は、「日本陶磁体系」という分厚い辞書を編纂しているほど、研究者としても一流なのと、面白い性格の方なので、ぜひ、時間が売れば追ってみてください。シベリア上空を飛行機で飛びつつ、良質の粘土がある地形が見て取れた、というほど。是非是非、UA-camでの 陶器の知識の配布、続けてください。 楽しい構成で、初めての人も安心してみられるいい動画だと思いました。
益子!!・・・学生時代、友達の下宿に居候して、ウロウロした時、行きたくて、でも、交通の連結が日帰り(お金ないので)だと無理で諦めて、笠間にした経緯がある焼き物です。そこにおられるのですね。備前については、古い焼き方では、硬く焼きしまっていて、その謎を追求し、再現しようとして100m近い窯まで、築かれたのが、森陶岳氏。この人についても、是非、また、紹介してくださいね。私は、講談社MOOKで知り、陶芸同好会時代に見学をOKして貰いながら、直前、当時の窯のあった場所でのトラブルでキャンセル。残念に思った思いだがあります。その時の葉書も大切にしています。で、急遽、藤原啓さんを訪問させてもらい、色々お話しできました。(母が息子さんの同級生でしたので)備前焼については、青木氏の漫画「緋が走る」にも登場しますが、本当に今は、田んぼの下に眠っていた「ひよせ」と呼ばれる粘土を掘り尽くしかけていて大変そうです。
最後に、「からつ」出ましたね。ありがとうございます。陶器の唐津、磁器の伊万里、きしだけ・・・最初「岸田家」で作られたと勘違いした岸嶽、という山の麓、帆柱がまの近くに、発掘された窯跡が残っています。そのことを、今泉さんは、言われていたのだと、後で知りました。朝日カルチャーに、藤原雄さんが、当時の得意的な技術の持ち主を呼んでの特別講演会6回があった時に聞くことができました。当時のノートもあります。ラスター技術、再発見の話とかも、加藤さんから。また、機会があれば書きます。
大変勉強になります😭ありがとうございます!
最近お茶の先生から、使われている道具が何焼きか、分かるように勉強してと言われたので、とても助かります。すごく分かりやすいです。
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わかりやすいです✨
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備前焼は釉薬使わないから土が命だけれど、良い土が取れなくなって苦戦しているようですねぇ。
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ありがとうございます😊
黄瀬戸や瀬戸黒は美濃です。
せともの、という言い方に対して、からつ、と言う言い方を「焼き物=器」に対してする人が多かったのが、西日本です。昭和40年代くらいまででしょうか。 当時は、備前焼も、インベ焼き、という言い方の方が主流でした。忌部or斎部とは、日本の黎明時代、それぞれを職業とする一族がいて、猪を飼う一族は「ししかいべ」と言われ、今も、岡山市東部に宍甘(しじかい)として名を残しています。土師部などもそうですね。土師、須恵は、瀬戸内市(備前市の南南西)に残る地名です。
当時の焼き物屋としては、古墳時代の巨大な円筒埴輪、や、陶棺を焼いていた可真地区の集団があり、その窯の発掘資料は、PDFとしてDLできます。弥生から古墳時代にかけての窯跡です。
六古窯については、それを作る職人さんたちは、夏は暑いので越前で作り、冬は暖かい瀬戸内(備前)で作っていた、と越前焼会館に書かれていました。これは、私も初めて知りました。形の違い、焼きの違いは、粘土と窯を作れる土地の違い、みたいなものから来る、と。
瀬戸については、前身の猿投窯について、加藤唐九郎氏の志野焼の研究過程で明らかになっていく様子が文章で書かれしていました。
加藤氏は、「日本陶磁体系」という分厚い辞書を編纂しているほど、研究者としても一流なのと、面白い性格の方なので、ぜひ、時間が売れば追ってみてください。シベリア上空を飛行機で飛びつつ、良質の粘土がある地形が見て取れた、というほど。
是非是非、UA-camでの 陶器の知識の配布、続けてください。 楽しい構成で、初めての人も安心してみられるいい動画だと思いました。
益子!!・・・学生時代、友達の下宿に居候して、ウロウロした時、行きたくて、でも、交通の連結が日帰り(お金ないので)だと無理で諦めて、笠間にした経緯がある焼き物です。そこにおられるのですね。
備前については、古い焼き方では、硬く焼きしまっていて、その謎を追求し、再現しようとして100m近い窯まで、築かれたのが、森陶岳氏。この人についても、是非、また、紹介してくださいね。私は、講談社MOOKで知り、陶芸同好会時代に見学をOKして貰いながら、直前、当時の窯のあった場所でのトラブルでキャンセル。残念に思った思いだがあります。その時の葉書も大切にしています。で、急遽、藤原啓さんを訪問させてもらい、色々お話しできました。(母が息子さんの同級生でしたので)
備前焼については、青木氏の漫画「緋が走る」にも登場しますが、本当に今は、田んぼの下に眠っていた「ひよせ」と呼ばれる粘土を掘り尽くしかけていて大変そうです。
最後に、「からつ」出ましたね。ありがとうございます。陶器の唐津、磁器の伊万里、きしだけ・・・最初「岸田家」で作られたと勘違いした岸嶽、という山の麓、帆柱がまの近くに、発掘された窯跡が残っています。そのことを、今泉さんは、言われていたのだと、後で知りました。朝日カルチャーに、藤原雄さんが、当時の得意的な技術の持ち主を呼んでの特別講演会6回があった時に聞くことができました。当時のノートもあります。ラスター技術、再発見の話とかも、加藤さんから。また、機会があれば書きます。
大変勉強になります😭ありがとうございます!