一瞬で奪われた “今と変わらない日常” 被爆前の写真を通して原爆の悲惨さを学ぶ【被爆78年 NO MORE…#6】

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  • Опубліковано 7 сер 2023
  • 長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)は “被爆前の日常写真” を通して、原爆がもたらしたものを感じてもらう新たな取り組みを進めています。
    「被爆前の日常アーカイブ」は、RECNAが国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館から委託を受け制作しているインターネット上のサービスです。
    被爆前後と今の風景を見比べることで“今と変わらない人々の営み”が一瞬で失われたことが分かります。
    被爆前の日常が原爆の悲惨さを物語る
    滝の前で撮った一枚。浦上駅のホームでの一枚。写真に収められているのは、原爆が投下される前の長崎の日常です。今年5月、長崎市の野母崎小学校で開かれた特別授業。RECNAの林田光弘さんが平和学習の教材として取り上げたのが『被爆前の写真』です。長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)林田 光弘特任研究員:
    「8月9日から始まってしまうと大変な話から始まるけど、大変じゃない時期もあって、楽しかった時期もあって、将来の夢を持っている時もあって、それがだんだん戦争が激しくなると自由が少なくなって」被爆後ではなく、被爆前の写真を使ったのは、当時も今と変わらない暮らしがあったことを知ってもらい、一瞬で幸せが奪われた原爆の悲惨さをより身近に感じてもらうためです。林田さん:
    「びっくりしたのは隣のお姉さんの乗っているこれなんですよ。キックボード!」児童:「今の自分たちと同じ感じ。幸せそうな暮らし」児童:「戦争は怖いイメージがあったけど、その前は楽しいこともいろいろあったんだなと」
    「今のうちに伝えないと」被爆者が写真を提供
    「被爆前の日常アーカイブ」は、RECNAが国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館から委託を受け制作しているインターネット上のサービスです。写真を通して被爆の実相を伝えるのが目的で、被爆者やその家族から6千枚以上が寄せられました。写真を提供した一人、長崎市江戸町で商店を営む被爆者の三瀬清一朗さん(88)は、10歳の時、爆心地から3.6キロの矢の平地区で被爆しました。三瀬 清一朗さん:
    (写真を見ながら)「これ右側はね私の妹。で、これが今の万橋ですね。」当時カメラは高級品で、今ほど普及していなかったため、日常を収めた写真は貴重です。林田さんと三瀬さんは、三瀬さんの母と妹が写真に写っていた万橋を訪れました。三瀬 清一朗さん:
    「さっきの写真が、ちょうどこの辺りで。この辺でしょう」自身の被爆体験を積極的に語り伝えている三瀬さんは「被爆前の日常アーカイブ」を活用することで、当時の出来事をより鮮明にイメージしてもらえると考えています。三瀬 清一朗さん:
    「やっぱり今のうちに話を、伝えとかないといけないね、というのは自分で分かりますよ。今もお見せした写真。これやっぱ大きな材料ですよね。
    今の人たちに、私が今からそれこそ70年前とか80年前の話をしてもね、イメージが全然湧かないですもん」林田さん:
    「三瀬さんのように当時の事を鮮明に覚えておられて、何より具体的なエピソードをたくさん覚えておられて、それを写真とともに今回残せたっていうのはすごい良かった」
    “タブレット”と“まち歩き”で被爆前後と今の風景を見比べる平和学習も
    写真に託された思いをどう伝えるか。
    林田さんがいま取り組んでいるのは、デジタル教材とまち歩きを合わせた新しい平和学習です。RECNAが作った航空写真のオンラインマップと合わせて、写真に思いをはせるだけでなく、現地に足を運ぶフィールドワークを企画しました。長崎県立大学(被爆3世)大園 穂乃佳さん(4年):
    「一番は、子どもたちに自分事として捉えてもらいたいというのが大きくて、子どもたちと一緒にわたしも学びながら説明ができたら」先月行われたフィールドワークには、県の内外から13人が参加しました。旧城山国民学校エリアを中心に、タブレットで被爆前後といまの風景を見比べながら歩きます。活水女子大学(被爆3世)松本 海奈さん(4年):
    「11時2分だから、もしかしたらお昼ご飯の準備をしていたかもしれないし、もしかしたら家族で団らん、夏休みみんなと同じように遊びに出かけてたかもしれないっていう日常が、壊されてしまったっていうのが、写真を見てわかるんじゃないかなと思います」日常の延長線上で起きた原爆の投下。長崎県立大学(被爆3世)大園 穂乃佳さん(4年):
    「ここは八幡神社っていう名前の神社なんですけど、当時も同じ場所に八幡神社と同じ名前で神社がありました。
    これが原爆が落ちる前の八幡神社になります。
    原爆が落ちてどうなったかというと、これが原爆が落ちた後の八幡神社。
    全部崩れてしまっているのわかるかな」およそ2時間のフィールドワークを通して、子どもたちが感じたことは──大野 楓馬君(小5):
    「原爆の前は、今の暮らしと同じような暮らしがあったというのが、印象に残っています」大野 陽咲さん(小3):
    「一瞬にして幸せな時間が壊されるというっていうことが、もう二度とないようにしてほしいなと思いました」長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)林田 光弘特任研究員:
    「スマホ1台あれば、知識がゼロの状態でも街歩きができますよとか、色んなことを学べますよってい風うになるのが、これからのことを考えると一番いいと思います。
    (フィールドワークで)今まで気づけなかった視点に気づけるというのはすごく大きなメリットだと思いました」被爆者がいない未来が迫る中、戦争や原爆について、今までとは違った視点で伝えていく、新しい平和教育の模索が続いています。
    詳細は NEWS DIG でも!↓
    newsdig.tbs.co...

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