【大阪/鶴橋】焼肉ホルモン 空 鶴橋本店やみつき間違い無しの美味さ!

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  • Опубліковано 18 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 12

  • @takahiro3619
    @takahiro3619 6 місяців тому

    ここのホルモンは最高♪
    1番好き♡

    • @nanako7
      @nanako7  6 місяців тому

      そうですよね、ここ良いですよね😋

  • @takahiro3619
    @takahiro3619 6 місяців тому

    鶴橋の3店舗が好きです♡

    • @nanako7
      @nanako7  6 місяців тому

      空さんはほんと人気店ですね♪😊

  • @弘美北口
    @弘美北口 2 роки тому +3

    夕方に行きましたが1時間の時間制限があるみたたいです。しかしそのお知らせはどこにも案内は書いてなく時間制限があるのであれば他のお店に行ったのに

    • @nanako7
      @nanako7  2 роки тому +1

      それは残念でしたね😅お肉は美味しいお店なのに。

  • @hiroshiyoshitake4576
    @hiroshiyoshitake4576 2 роки тому +3

    ホルモン焼は大阪鶴橋が発祥というのは、真っ赤な嘘です
    1920年代には一時的にだが「精力が増進する料理」という意味の「ホルモン料理」の店ができました。
    卵、納豆、山芋などと並んで動物の内臓を出す店ができ、1930年代になると、一般向けにも広まりました。
    例えば大阪難波の店「北極星」を営む北橋茂男は1936年(昭和11年)頃に牛の内臓をフランス風の洋食「ホルモン料理」として提供し、1937年(昭和12年)には「北ホルモン」の名で商標登録を出願し、『料理の友』には1936年(昭和11年)から年1度のペースで内臓料理が「ホルモン料理」として特集されました。
    1940年(昭和15年)2月号では牛や鶏の内臓のバター焼きなどの調理法が掲載され、1936年(昭和11年)には日本赤十字社主催で「ホルモン・ビタミン展覧会」として講演や料理実演が行われました。
    1920年代には東京で豚の内臓を串に刺してタレで焼いた「やきとり」が売られ、1940年頃には労働大衆の食として人気を博しました。
    ホルモン焼は、もともとは焼き鳥屋で売られていたのです。それを鶴橋でホルモンだけを串刺しにして売った。ということです。焼き鳥屋でホルモン焼は大昔から売られています。かなり古いです

    • @nanako7
      @nanako7  2 роки тому

      歴史があるんですね!教えて頂きありがとうございます😊

  • @Onraps-b5b
    @Onraps-b5b 2 роки тому

    もっと生でいけまっせ

    • @nanako7
      @nanako7  2 роки тому

      コメントありがとうございます😊
      そこ気になりましたか〜笑レア派の方結構いると思うんですが😅わたしは、もうちょっとだけ焼きたい派なんですよね〜😆

  • @r-pc8tw
    @r-pc8tw 6 місяців тому

    焼肉もホルモン焼も関西人は大阪発祥みたいに言うけど、全然違います
    モツ(ホルモン)のメッカは東京です。歴史も古いです。江戸の終りから明治にかけて盛んでした。ホルモン焼は大阪だけの呼び名です。大阪以外ではモツ煮込み、もつ焼き、モツの串焼きなど、モツと呼んでいます。
    大阪なら、どて煮、どて焼が大正時代から食べられています。
    焼肉の発祥は北海道です。焼肉の本場も北海道です。大昔から北海道は畜産業が発達してたのです。北海道から全国に広まったのです
    浅草のホッピー通り
     浅草の伝法院西側に、「ホッピー通り」というストリートがあります。
    昼間からホッピーを飲む人で混雑する飲兵衛の聖地。ズラリと並ぶ居酒屋の名物は、ホッピーと煮込みです。このストリート、別名「煮込み通り」ともいいます。
     この内臓肉の煮込みは、150年以上前から存在する東京の伝統食。記録に残る動物の内臓料理としてはかなり古い部類に入ります。
     古い資料ですと、坪井正五郎『工商技芸看板考』(1887年刊)に、明治維新の頃に富士山藤次郎という人が、品川で牛の煮込屋を開業したとあります。
     進斎年光『浮世繁昌穴さがし』(1871年刊)には、天秤棒で煮込みを売り歩く振り売りの姿が描かれています。
     これらの資料には煮込みの具体的な姿は描かれていません。煮込みの姿が明らかになるのは、1884年の服部誠一『東京新繁昌記初編』においてです。
     そこに描かれた煮込みは、「弁慶」のような串に刺さった煮込みでした。

    • @nanako7
      @nanako7  6 місяців тому

      ご説明ありがとうございます😊