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江本さん見た目も若いけど記憶もすごい!!いろんなこと事細かにぜ〜んぶ覚えてて素晴らしい〜!!
いつの間にか、デーブチャンネルになってた(笑)
江本さんの話ずっと聞いていたいです。
空白の一日とか興奮しないで会見はもう周知のごとくだけど時の選手会長だったエモやんの口から聴くとまた新鮮ブーのよりエモやんちゃんねるで聴けて良かった
懐かしい名前がたくさん出て嬉しいです!阪神OBの江川さん!
阪神ファンだけど小林繁さんが阪神に伝統は無いって言ったのは正しいと思う
6:12 江川には早稲田の特待生の話が来ていたが、江川曰く、「野球で入ったと思われるのがイヤだから蹴った」とのこと。あと、江川は大学で野球をやめるつもりにしていたらしく、卒業後のことを考えて慶應を一般受験したものの落第。そんな江川を拾ったのが法政の二部。
「たかされ」では、早稲田への推薦入学が決まっていたが、慶應から誘いを受けた父親が「早稲田を辞退」させたとなってるよ。
@@田代直也-d3v 江川が現役を引退した直後ぐらいにスポーツ新聞の番記者が編集して発刊された、「江川って奴は」という本によると、早稲田の件について、江川は記者に対してそのように言ったとある。
阪神江川投手背番号3でしたね。トレードの相手は阪神が欲しかったのは角さんと西本さんだったそうです。二人は出せないと巨人に言われたので、ダメ元で小林さんを指名したら了解されたそうですね。
パキューンばっかでおもしろいです。
4:34
7:30 空白の一日は、巨人側は正力松太郎の息子で、当時巨人のオーナーだった亨が仕掛けた。で、トレードについては、当時の金子鋭コミッショナーの仲介の下、亨と小津正二郎との間で決まり、小林は阪神に行く羽目に。
江川さんって、阪神背番号3江川のOB会野球出場を、掛布さんに催促されていましたよね。
エモやんの話が楽しくて嬉しいw
私の世代で小林繁さんで思い出すのは、近鉄の投手コーチになられた時、当時の岩隈投手を指導され、岩隈投手のピッチングフォームがなんとなく現役時代の小林さんのフォームに似てきたことです。小林さんほど個性的なフォームではありませんが。岩隈投手も息の長い選手になりました。あれから岩隈投手が投げていると、小林繫さんのことも思い出していました。
コッミッシナーの強い要望で規定を外れてトレード、水面化では知りませんが、当時の報道ではそう記憶してます
江川さんのタテジマユニフォーム見て見たい
江川氏は、早稲田への推薦入学が「確定」していたのに、慶應から誘いを受けた父親が「早稲田を辞退」させたのが事実である。
江川氏は子供の頃から大学進学し早慶戦をするのが夢だったそうで、1回目のドラフト拒否。。父親は推薦入学に反対で、「一般入試で大学進学しなさい」と言われて慶応受験し失敗。そして、法政進学されたのです。 また、親族一同が、関東在住のため、関東の球団以外のプロ入りに反対され2回目のドラフトも拒否ししなければならなくなり、翌年のドラフトに掛けアメリカへ。1年後に、阪神に指名されたことでプロへの道を諦めたそうですよ。
@@takadc2r96 早稲田の件は江川氏が直接「たかされ」で言及している。もう少し、調べてから発言しようね。それから、阪神に指名されてプロを諦めたとのことだが、江川氏は、大学卒業後、社会人野球へ入っていないので、1978年はドラフト指名対象外選手。つまり自由交渉選手だったので、読売と契約したのである。しかし、マスコミがこの事実を歪曲して伝え、世論が騒ぎ、これに手応えを感じた阪神が、ドラフト対象外選手である江川氏を指名したのである。
@tkchan 555 さん、江川さんが自身の公式サイトで真相を語ってるよ。早稲田確定後に、慶応大学から父親へ入試の話があり、父親がその話に乗ったと。
江本さんが9:00に「小林投手は前の年20勝してる」と発言してますが、正確には小林投手は巨人最終年となる1978年は13勝です。その前年1977年に18勝して沢村賞受賞してます。
江本さんの野球談議は本当に面白いです。さすがに国会議員、違います。
小林さんに移籍手当1億
「江川・慶応」は作新学院入学時からの作新・船田理事長(元衆院議長)との口約束が始まり。中学時代の江川の希望は、甲子園出場を前提に「野球をやりながら東京六大学に入学出来る高校」で、当時、春夏7回甲子園に出場している埼玉の進学校・大宮高校に越境入学するつもりだった。これを聞き付けた船田が「県外に出すのはケシカラン、モッタイナイ。うち(作新)に来い。将来は保証する」として「作新・慶応」を提示したもの。船田一族は慶応OB。江川が「慶応・慶応」と、慶応にこだわった真意と、船田への当てこすりが、ここにある。そこで割りを食ったのが小山一中の大橋投手(のちに大洋)。大宮に行くはずの江川が突如作新入学で、大橋は3年間江川の控えに終わった。江川の〝進路お騒がせ〟は中学時代からである。江川自身も大宮の名前は出さぬが、越境入学の話はチラッとしている。埼玉に居た叔父の家に下宿する予定だった、と言う。
9:09 私はデーブさんは好きですが堀内恒夫元巨人監督はあまり好きでないです。堀内恒夫元巨人監督は桑田真澄さんよりは好きですが。江川さんは松村邦洋さんが8時間だけ阪神にいたと話してました、江川さん昨年末の松坂大輔選手の引退セレモニーで同じライオンズの投手のドラフト1位繋がりで松坂大輔選手にメッセージ送っていました。1978年のプロ野球のシーズンオフは阪神と西武は激動に感じました。
1973年阪急「一位やで」江川「大学へ行きます」1977年クラウンライター「一位ばい」江川「九州は遠い」→アメリカ留学1978年巨人「ドラフト前日に江川君と契約しました」世間「空白の一日がー」大バッシング阪神「一位やで」コミッショナー「トレードで。これは強い要望です」1979年1月31日巨人「小林を出します」阪神「江川を出します」記者会見江川「(報道陣に対して)皆さん、興奮しないで」2か月1軍登録自粛 9勝10敗小林「求められて行くので頑張る」22勝9敗(対巨人戦8勝負けなし)
当時の野球協約・・ドラフト指名対象選手とは、新卒予定者、同年中退者、もしくは社会人野球在籍者に限られていた。つまり、江川氏は、大学卒業後に社会人野球に在籍していなかったので、1978年度ドラフト「指名対象外」選手として確定していた。マスコミが歪曲報道して大騒ぎしなければすんなり入団できたであろう。そもそも、有力選手については、各球団、ドラフト対象になる前に、大金で入団させる事が状態化しており、事実上、野球協約を各球団が破っていた。江川氏の場合は、野球協約を遵守した上での真っ当な契約だった。マスコミは、この矛盾については、一切報道していなかったと記憶している。
ということは江川さんは浪人でドラフト対象外。指名した阪神がルール違反をしたことになり、江川さんは巨人にすんなり入れた
マスコミの歪曲報道に世論が誘導され、感触を得た阪神が野球協約を破り「他球団がそれを黙認」、これがなければ、スンナリ入団できてますね。小林投手も巨人に残留できました。
ルール違反ではないが信義則上いかがなものか?大巨人軍(自称)がする事ではないでしょう。
どの球団も、ルール通り普通にやっていたことなので、巨人もルール通り普通にやっただけだと思いますよ・・記者会見も含めて。江川選手は注目の的だったので、騒げば視聴率や発行部数増につながるのでマスコミ各社が騒いだのでは?
江川監督が誕生できない理由が阪神に在籍していた事実があるっていう噂もある
小津小次郎じゃなくて小津正次郎。
小津の魔法使いですね
博一さん阪神時代にしばかれた話はウケました。確か趣味が下駄集めでしたっけ。早世されたのが本当残念です。
ライオンズから真弓、若菜、加藤、加藤初が去って行ったときは、随分落ち込みましたねぇ。福岡のモンは…😨
小林繁さんウチの近所に住んでいたんだよな。僕は当時子供で野球もしらなかったので「大きなオジサンだなー」と思ってたけど、近所の野球好きのお兄ちゃん達は小林さんからサインを貰ったりしていたよ。その後、江川さんとの一件で引っ越した。ウチから少し離れた所では巨人に移籍後の川口和久さんも少し前まで住んでいた。
江川トレードの当時、小学1年生だったが新聞のテレビ欄の見出しに「泣くな!小林!」とあった。意味はわからなかったが印象に残っていた。その後江本氏のベストセラーにトレード後の小林が巨人戦で発奮し8勝挙げたこと、江川が2か月のペナルティを受け入れたのだからもういじめるなと書かれていた。その時もよくわからなかった。中学ぐらいで「空白の一日」を知り、とんでもないルール違反をやったんだと知った。
江本さんのファンだけど大久保はどうも好きになれないな?
空白の1日から巨人の栄光はなくなった、小林のトレードは失敗でした!
エモやんに監督をやって欲しかったですね、瞬間湯沸器で退場記録を作ってましたね⚾⚾⚾
T-falやん
江川卓はなぜ巨人軍監督になれないのか?→阪神OBだから。 なるほど~!目のうろこが落ちました!!
江川問題があったから自分はアンチ巨人の阪神ファンになりました。
ズルして入ったから、味方の援護が少なかったよな江川さんw桑田や菅野もそう。野球はチームスポーツ。
江川氏は阪神入団時の背番号は3です。
江川の監督は無理だ。なぜなら監督としてドラフト会議に出る資格がない。もし監督としてクジを引いたら「お前が引くな」と大炎上するだろ。
この人達の話を鵜呑みにしないでください。詳しい話は「江川卓のたかされ」にて。
島野怖いしな
エモヤンも、大久保と付き合ったら、ダメだろ。マイペースでやりゃ良いのに、欲出さすとコケるよ。
江本さん
見た目も若いけど
記憶もすごい!!
いろんなこと事細かに
ぜ〜んぶ覚えてて
素晴らしい〜!!
いつの間にか、デーブチャンネルになってた(笑)
江本さんの話ずっと聞いていたいです。
空白の一日とか興奮しないで会見はもう周知のごとくだけど
時の選手会長だったエモやんの口から聴くとまた新鮮
ブーのよりエモやんちゃんねるで聴けて良かった
懐かしい名前がたくさん出て嬉しいです!阪神OBの江川さん!
阪神ファンだけど小林繁さんが阪神に伝統は無いって言ったのは正しいと思う
6:12 江川には早稲田の特待生の話が来ていたが、江川曰く、「野球で入ったと思われるのがイヤだから蹴った」とのこと。あと、江川は大学で野球をやめるつもりにしていたらしく、卒業後のことを考えて慶應を一般受験したものの落第。そんな江川を拾ったのが法政の二部。
「たかされ」では、早稲田への推薦入学が決まっていたが、慶應から誘いを受けた父親が「早稲田を辞退」させたとなってるよ。
@@田代直也-d3v 江川が現役を引退した直後ぐらいにスポーツ新聞の番記者が編集して発刊された、「江川って奴は」という本によると、早稲田の件について、江川は記者に対してそのように言ったとある。
阪神江川投手背番号3でしたね。
トレードの相手は阪神が欲しかったのは角さんと西本さんだったそうです。
二人は出せないと巨人に言われたので、ダメ元で小林さんを指名したら了解されたそうですね。
パキューンばっかでおもしろいです。
4:34
7:30 空白の一日は、巨人側は正力松太郎の息子で、当時巨人のオーナーだった亨が仕掛けた。で、トレードについては、当時の金子鋭コミッショナーの仲介の下、亨と小津正二郎との間で決まり、小林は阪神に行く羽目に。
江川さんって、阪神背番号3江川のOB会野球出場を、掛布さんに催促されていましたよね。
エモやんの話が楽しくて嬉しいw
私の世代で小林繁さんで思い出すのは、近鉄の投手コーチになられた時、当時の岩隈投手を指導され、岩隈投手のピッチングフォームがなんとなく現役時代の小林さんのフォームに似てきたことです。小林さんほど個性的なフォームではありませんが。岩隈投手も息の長い選手になりました。あれから岩隈投手が投げていると、小林繫さんのことも思い出していました。
コッミッシナーの強い要望で規定を外れてトレード、水面化では知りませんが、当時の報道ではそう記憶してます
江川さんのタテジマユニフォーム見て見たい
江川氏は、早稲田への推薦入学が「確定」していたのに、慶應から誘いを受けた父親が「早稲田を辞退」させたのが事実である。
江川氏は子供の頃から大学進学し早慶戦をするのが夢だったそうで、1回目のドラフト拒否。。父親は推薦入学に反対で、「一般入試で大学進学しなさい」と言われて慶応受験し失敗。そして、法政進学されたのです。
また、親族一同が、関東在住のため、関東の球団以外のプロ入りに反対され2回目のドラフトも拒否ししなければならなくなり、翌年のドラフトに掛けアメリカへ。1年後に、阪神に指名されたことでプロへの道を諦めたそうですよ。
@@takadc2r96 早稲田の件は江川氏が直接「たかされ」で言及している。もう少し、調べてから発言しようね。それから、阪神に指名されてプロを諦めたとのことだが、江川氏は、大学卒業後、社会人野球へ入っていないので、1978年はドラフト指名対象外選手。つまり自由交渉選手だったので、読売と契約したのである。しかし、マスコミがこの事実を歪曲して伝え、世論が騒ぎ、これに手応えを感じた阪神が、ドラフト対象外選手である江川氏を指名したのである。
@tkchan 555 さん、江川さんが自身の公式サイトで真相を語ってるよ。早稲田確定後に、慶応大学から父親へ入試の話があり、父親がその話に乗ったと。
江本さんが9:00に「小林投手は前の年20勝してる」と発言してますが、正確には小林投手は巨人最終年となる1978年は13勝です。その前年1977年に18勝して沢村賞受賞してます。
江本さんの野球談議は本当に面白いです。さすがに国会議員、違います。
小林さんに移籍手当1億
「江川・慶応」は作新学院入学時からの作新・船田理事長(元衆院議長)との口約束が始まり。中学時代の江川の希望は、甲子園出場を前提に「野球をやりながら東京六大学に入学出来る高校」で、当時、春夏7回甲子園に出場している埼玉の進学校・大宮高校に越境入学するつもりだった。これを聞き付けた船田が「県外に出すのはケシカラン、モッタイナイ。うち(作新)に来い。将来は保証する」として「作新・慶応」を提示したもの。船田一族は慶応OB。江川が「慶応・慶応」と、慶応にこだわった真意と、船田への当てこすりが、ここにある。そこで割りを食ったのが小山一中の大橋投手(のちに大洋)。大宮に行くはずの江川が突如作新入学で、大橋は3年間江川の控えに終わった。江川の〝進路お騒がせ〟は中学時代からである。江川自身も大宮の名前は出さぬが、越境入学の話はチラッとしている。埼玉に居た叔父の家に下宿する予定だった、と言う。
9:09 私はデーブさんは好きですが堀内恒夫元巨人監督はあまり好きでないです。堀内恒夫元巨人監督は桑田真澄さんよりは好きですが。
江川さんは松村邦洋さんが8時間だけ阪神にいたと話してました、江川さん昨年末の松坂大輔選手の引退セレモニーで同じライオンズの投手のドラフト1位繋がりで松坂大輔選手にメッセージ送っていました。
1978年のプロ野球のシーズンオフは阪神と西武は激動に感じました。
1973年
阪急「一位やで」
江川「大学へ行きます」
1977年
クラウンライター「一位ばい」
江川「九州は遠い」→アメリカ留学
1978年
巨人「ドラフト前日に江川君と契約しました」
世間「空白の一日がー」大バッシング
阪神「一位やで」
コミッショナー「トレードで。これは強い要望です」
1979年1月31日
巨人「小林を出します」
阪神「江川を出します」
記者会見
江川「(報道陣に対して)皆さん、興奮しないで」2か月1軍登録自粛 9勝10敗
小林「求められて行くので頑張る」22勝9敗(対巨人戦8勝負けなし)
当時の野球協約・・ドラフト指名対象選手とは、新卒予定者、同年中退者、もしくは社会人野球在籍者に限られていた。つまり、江川氏は、大学卒業後に社会人野球に在籍していなかったので、1978年度ドラフト「指名対象外」選手として確定していた。マスコミが歪曲報道して大騒ぎしなければすんなり入団できたであろう。そもそも、有力選手については、各球団、ドラフト対象になる前に、大金で入団させる事が状態化しており、事実上、野球協約を各球団が破っていた。江川氏の場合は、野球協約を遵守した上での真っ当な契約だった。マスコミは、この矛盾については、一切報道していなかったと記憶している。
ということは江川さんは浪人でドラフト対象外。
指名した阪神がルール違反をしたことになり、江川さんは巨人にすんなり入れた
マスコミの歪曲報道に世論が誘導され、感触を得た阪神が野球協約を破り「他球団がそれを黙認」、これがなければ、スンナリ入団できてますね。小林投手も巨人に残留できました。
ルール違反ではないが信義則上いかがなものか?大巨人軍(自称)がする事ではないでしょう。
どの球団も、ルール通り普通にやっていたことなので、巨人もルール通り普通にやっただけだと思いますよ・・記者会見も含めて。江川選手は注目の的だったので、騒げば視聴率や発行部数増につながるのでマスコミ各社が騒いだのでは?
江川監督が誕生できない理由が阪神に在籍していた事実があるっていう噂もある
小津小次郎じゃなくて小津正次郎。
小津の魔法使いですね
博一さん阪神時代にしばかれた話はウケました。確か趣味が下駄集めでしたっけ。早世されたのが本当残念です。
ライオンズから真弓、若菜、加藤、加藤初が去って行ったときは、随分落ち込みましたねぇ。福岡のモンは…😨
小林繁さんウチの近所に住んでいたんだよな。僕は当時子供で野球もしらなかったので「大きなオジサンだなー」と思ってたけど、近所の野球好きのお兄ちゃん達は小林さんからサインを貰ったりしていたよ。
その後、江川さんとの一件で引っ越した。
ウチから少し離れた所では巨人に移籍後の川口和久さんも少し前まで住んでいた。
江川トレードの当時、小学1年生だったが新聞のテレビ欄の見出しに「泣くな!小林!」とあった。意味はわからなかったが印象に残っていた。
その後江本氏のベストセラーにトレード後の小林が巨人戦で発奮し8勝挙げたこと、江川が2か月のペナルティを受け入れたのだからもういじめるなと書かれていた。その時もよくわからなかった。
中学ぐらいで「空白の一日」を知り、とんでもないルール違反をやったんだと知った。
江本さんのファンだけど大久保はどうも好きになれないな?
空白の1日から巨人の栄光はなくなった、小林のトレードは失敗でした!
エモやんに監督をやって欲しかったですね、瞬間湯沸器で退場記録を作ってましたね⚾⚾⚾
T-falやん
江川卓はなぜ巨人軍監督になれないのか?→阪神OBだから。 なるほど~!目のうろこが落ちました!!
江川問題があったから自分はアンチ巨人の阪神ファンになりました。
ズルして入ったから、味方の援護が少なかったよな江川さんw
桑田や菅野もそう。野球はチームスポーツ。
江川氏は阪神入団時の背番号は3です。
江川の監督は無理だ。
なぜなら監督としてドラフト会議に出る資格がない。
もし監督としてクジを引いたら「お前が引くな」と大炎上するだろ。
この人達の話を鵜呑みにしないでください。
詳しい話は「江川卓のたかされ」にて。
島野怖いしな
エモヤンも、大久保と付き合ったら、ダメだろ。マイペースでやりゃ良いのに、欲出さすとコケるよ。