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お疲れさまでした。昔の写真を見ると、あれほど多くの人々が此処にいたことに驚きますね。何もない山の中に人が住むと集落ができ、人が離れるとまた何もなくなるという、当たり前のことなのに不思議なサイクルを見たような気がしました。秋深い山歩きの映像や清流の水音に癒されました。
秋の風景を楽しみながらの散策でした。
冒頭、石碑の近くに確か昭和28年の豪雪で遭難した方々の碑があります。この豪雪で被災し身動きの取れなくなった周辺集落の人々を岩国の米軍基地から救助隊が派遣されました。
本当ですか?それは貴重な情報ですね。
いつも投稿ありがとうございます。ドライブが趣味なのであの近辺は時々通りますが、今回の廃集落の存在は知りませんでした。地元の方でも知らない人も多いのかな?橋の手入れも全くされていない状態に見えるので、廃集落に通じる道も含めて人から忘れられてしまった存在なんでしょうか。安芸太田町は山間部に有りがちな過疎地ではありますが、かつては工業も盛んで人口も多い活気に溢れる町だったんですね。
中ノ甲林道は昔は車で通ることが出来たようです。今では時々、登山者が利用しているみたいです。
ニルスと不思議な旅を思い出しました。一日だけ浮上し、1コイン稼がないとまた沈む街みたいなw道中も深い山なのに短期間消滅とは…国策に踊らされた挙句の成れの果てですね。しかし毎度の杉林では無いので秋を堪能できましたwありがとうございます😊撮影お疲れ様でした😊
秋の山歩きに丁度良い林道でした。
いつも動画配信ありがとうございます😊
いろいろなところを企画しています。
いつもご苦労様です。楽しみに拝見させてもらってます。この辺り、めちゃくちゃ熊が出ます。自身、2度遭遇してます。気をつけて探訪ください。
ホントですか?まったく知りませんでした。
父が営林署に勤めてた時期、恐らく昭和30年代半ばですがこの辺りはバイクや冬はカンジキで歩き回っていたと聞いた事があります。数年前に中ノ甲の林道行き止まりまで行きましたが往時を偲ばせるものは見当たらなかったと思います。近隣で言えば、いつの間にか無くなった十方山林道の避難小屋はまだ跡地があったはずです。30年くらい前、釣りの途中で父に教えてもらって入った記憶が
やはり、建物は跡形もなく消し去ったということでしょうか。逆に何かあったのかと考えたりします。
何も無くなってしまいましたね。やはり人は、あまりにも人里離れずきても暮らしにくいのだと思います。狭い国土の日本だけれども、その80%近くが山であり森であり、だからこそ水が綺麗で空気が綺麗。けれど、平坦でないからこそ、少しでも山に入ると行き来が大変になる。せっかくの国土を広く利用しようとした計画も、会社の方向転換により断念。住んでいた人たちも残念で仕方がなかったのでしょうね。それにしても、せせらぎ、木漏れ日、紅葉…気持ちの良い道でしたね。配信ありがとうございました😊
山奥で当時と様変わりしていたためか、この地に集落があったとは想像できませんでした。
地元広島県にこんな場所があったなんて知らなかった。
散策におススメですよ。
@ ⛰️🥾
バイクの林道探検で 30年前頃よく行ってましたよ 聖山登山道から入り 下ったところに橋が有って その先はススキの広場恐羅漢の裏ですね行き当たりは 杉林で道が無くなります昔のたたら 製鉄の跡ですね。
30年前ですか。今よりもっと良い道だったのでしょうね。
橋昭和45年とありますから林道としてはしばらく利用されていたのでしょうか?道がわりとキレイに残ってましたし…橋が健在なのがビックリ!校舎は木造でしょうから跡形もないのは仕方ないですね。一瞬で消えてしまった、山から見ると幻の集落ともいえますね、お疲れさまでした😊
集落は跡形もなく消えていたので不思議な集落跡でした。
お疲れ様でした。廃集落が跡形も無く消えるというのは不思議な気がしますね。校舎跡を探索しても瓦1枚も見つからないのも不思議ですね。
きれいに無くなっていました。国は何か隠しているのでしょうか。
林道の路面にびっしりと積もった落ち葉が腐葉土と化し長い間時が止まったままなのをうかがい知る。突然現れるカーブミラーに、おぉっ‼️ここはクルマが通ることの出来る道路なんだと思い知る。かつては人々の生活や往来の姿があっただろうに65年の歳月は自然の前にその痕跡を見事なまでに覆い包み込んで見えなくしてしまうんですね😢
カーブミラーは意外でした。かつてこの林道を車が通っていたんだな、と思いながら歩きました。
こんにちは😊山は紅葉が始まってて綺麗ですね。集落の跡は何も残ってなかったのは寂しいですね😓
集落跡に何か目立つものでもあれば良かったのですが。
Thank you very mauch.
元町民です。昭和50年位、子供のころに車に乗って行った記憶があります
昭和50年に行きましたか。当時と今とでは全く違うでしょうね。
確か樽床ダムに抜ける道だったと思います。ダムに浸かる前は樽床集落があり、そこへの生活道だったと聴いてます
樽床集落の記録を調べるために、近くにある民芸博物館に行きましが、資料となるものはありませんでした。
度々お邪魔して恐縮です。30年程前に、友人知人4名でその建物に泊まった際、友人がお札の貼ってある扉を誤って開いてしまい・・・その夜、怖い思いしました。その建物は老朽化が進み、雪の重みで倒壊しました。建物の北側に広場があり、地中に車が一台埋まっていると聞いた覚えがあります。
確かに広場があります。そこから湖畔の空き屋が見える場所ですね。現在はそこには建物はありませんが、地中に車が埋まっているとは驚きです。
山深い道のりを徒歩でご苦労様でした。訪ずれる人も少なくかなり深い場所ですが倒木や熊笹に侵食されずに道が維持されているということは、誰かか定期的に整備されているのでしょうね。
中ノ甲林道は歩けるようになっていたのでそこそこ整備されていると思いました。
登山口の看板がある分岐を湖畔沿いに数10メートルゆくと右手に小さな広場があります。そこには以前小さな建屋があり、おばあさんがお一人で住まわれてました。その建屋は、その昔湖底に沈んだ集落にあった分校の建物を移築したと聞きました。
その建物は知っています。その家に住むのは生活に不便ではないかと思いますが、どのように生活していたのか気になりますね。
写真には 150〜200人位のいろんな服装の人人人達が写っています。どんなにか 『 気合を入れて 』での開拓だったでしょうに・朽ち葉を踏むちから強い その足音に、とっても 元気をもらいます。途中の案内板に 《 夏焼けのキビレ 》とありますが (゚Д゚;)でしょうか?
夏焼けのキビレの案内板?そんなのありましたっけ?
@@vs2226 18:50あたり 橋を渡っての、 比較的新しい案内板の 上部
@@vs2226 18:50 端を渡って直後の 比較的新しい案内板の上部に 記されているのですが
ここを歩いて恐羅漢山まで行ったことがあります。もう少し集落の痕跡があれば面白かったのですがね……お疲れ様でした
中ノ甲林道は恐羅漢山の登山道になっているようですね。なかなか良い景色を楽しめました。
その建物に何度が寝泊まりにましたが、おばあさんの住まわれていた部屋の扉にはすべて扉が開かないように結界とおぼしきお札が貼ってあったのを思いだしました。
実はこの樽床ダムは何度か来たことがあります。その建物の写真をコミュニティに投稿しておきますね。
知らなかったです。勉強になりますよね
まだまだ知らない所がたくさんありますよね。
28年は豪雨でしたね。豪雪は38年かもです。米軍の救助隊がヘリコプターで非常食を投下してましたので・・・
当時、ニュースになっていたかも知れませんね。
熊笹だらけだし、いかにも🐻が出そう😨😨こんなところにかつて人が住んでいたんですね🤔風景は紅葉も相まって、すごくきれいですが。。チキンな私は、コワくて行けません😰
他の投稿者にもありましたが、この辺りは熊がよく出るそうです。
熊が出てきそうな雰囲気ですね。積雪もあるでしょうから、痕跡が朽ちるのも早そうですよね。
クマ笹がなければ、建物の基礎などがあるかも知れませんが、ちょっと無理でした。
藪の中は歩きにくそうでしたね。珍しく画面が揺れていて、苦しそうでした。
@@月猫0163 I think that perhaps the camera stabilizer had a problem.
熊とか多い中、すごいと思います。虫が嫌いな自分は絶対無理です。もうちょっと説明があれば、もっと好きです!
了解です。
カーブミラーがあるって事はクルマが通っていたって事、グレーチングもあったし、こんな所に人が住んどった事ですよねー、生活感ゼロですね。ホコドロ見たいにこうなったら経緯があったら、見るけど?
林道に車が通っていたんですね。驚きます。
なぜ校舎を解体したんだろう?そのままにしてくれたら良かったのに!新しい建物を建てるわけでも無いのに解体する意味って何だろう?暇だったのかな?
こういう場所には建物が残っていたりしますが、見事に消えていました。逆に何かあったのかと勘繰ってしまいます。
音楽がきょわい😢
お疲れさまでした。昔の写真を見ると、あれほど多くの人々が此処にいたことに驚きますね。
何もない山の中に人が住むと集落ができ、人が離れるとまた何もなくなるという、当たり前のことなのに不思議なサイクルを見たような気がしました。
秋深い山歩きの映像や清流の水音に癒されました。
秋の風景を楽しみながらの散策でした。
冒頭、石碑の近くに確か昭和28年の豪雪で遭難した方々の碑があります。
この豪雪で被災し身動きの取れなくなった周辺集落の人々を岩国の米軍基地から救助隊が派遣されました。
本当ですか?それは貴重な情報ですね。
いつも投稿ありがとうございます。ドライブが趣味なのであの近辺は時々通りますが、今回の廃集落の存在は知りませんでした。地元の方でも知らない人も多いのかな?橋の手入れも全くされていない状態に見えるので、廃集落に通じる道も含めて人から忘れられてしまった存在なんでしょうか。安芸太田町は山間部に有りがちな過疎地ではありますが、かつては工業も盛んで人口も多い活気に溢れる町だったんですね。
中ノ甲林道は昔は車で通ることが出来たようです。今では時々、登山者が利用しているみたいです。
ニルスと不思議な旅を思い出しました。
一日だけ浮上し、1コイン稼がないとまた沈む街みたいなw
道中も深い山なのに短期間消滅とは…
国策に踊らされた挙句の成れの果てですね。
しかし毎度の杉林では無いので秋を堪能できましたwありがとうございます😊
撮影お疲れ様でした😊
秋の山歩きに丁度良い林道でした。
いつも動画配信ありがとうございます😊
いろいろなところを企画しています。
いつもご苦労様です。
楽しみに拝見させてもらってます。
この辺り、めちゃくちゃ熊が出ます。
自身、2度遭遇してます。
気をつけて探訪ください。
ホントですか?まったく知りませんでした。
父が営林署に勤めてた時期、恐らく昭和30年代半ばですがこの辺りはバイクや冬はカンジキで歩き回っていたと聞いた事があります。
数年前に中ノ甲の林道行き止まりまで行きましたが往時を偲ばせるものは見当たらなかったと思います。
近隣で言えば、いつの間にか無くなった十方山林道の避難小屋はまだ跡地があったはずです。
30年くらい前、釣りの途中で父に教えてもらって入った記憶が
やはり、建物は跡形もなく消し去ったということでしょうか。逆に何かあったのかと考えたりします。
何も無くなってしまいましたね。
やはり人は、あまりにも人里離れずきても暮らしにくいのだと思います。
狭い国土の日本だけれども、その80%近くが山であり森であり、だからこそ水が綺麗で空気が綺麗。
けれど、平坦でないからこそ、少しでも山に入ると行き来が大変になる。
せっかくの国土を広く利用しようとした計画も、会社の方向転換により断念。住んでいた人たちも残念で仕方がなかったのでしょうね。
それにしても、せせらぎ、木漏れ日、紅葉…
気持ちの良い道でしたね。
配信ありがとうございました😊
山奥で当時と様変わりしていたためか、この地に集落があったとは想像できませんでした。
地元広島県にこんな場所があったなんて知らなかった。
散策におススメですよ。
@
⛰️🥾
バイクの林道探検で 30年前頃よく行ってましたよ 聖山登山道から入り 下ったところに橋が有って その先はススキの広場
恐羅漢の裏ですね行き当たりは 杉林で道が無くなります
昔のたたら 製鉄の跡ですね。
30年前ですか。今よりもっと良い道だったのでしょうね。
橋昭和45年とありますから林道としてはしばらく利用されていたのでしょうか?道がわりとキレイに残ってましたし…橋が健在なのがビックリ!校舎は木造でしょうから跡形もないのは仕方ないですね。一瞬で消えてしまった、山から見ると幻の集落ともいえますね、お疲れさまでした😊
集落は跡形もなく消えていたので不思議な集落跡でした。
お疲れ様でした。廃集落が跡形も無く消えるというのは不思議な気がしますね。校舎跡を探索しても瓦1枚も見つからないのも不思議ですね。
きれいに無くなっていました。国は何か隠しているのでしょうか。
林道の路面にびっしりと積もった落ち葉が腐葉土と化し長い間時が止まったままなのをうかがい知る。
突然現れるカーブミラーに、おぉっ‼️ここはクルマが通ることの出来る道路なんだと思い知る。
かつては人々の生活や往来の姿があっただろうに65年の歳月は自然の前にその痕跡を見事なまでに覆い包み込んで見えなくしてしまうんですね😢
カーブミラーは意外でした。かつてこの林道を車が通っていたんだな、と思いながら歩きました。
こんにちは😊山は紅葉が始まってて綺麗ですね。集落の跡は何も残ってなかったのは寂しいですね😓
集落跡に何か目立つものでもあれば良かったのですが。
Thank you very mauch.
元町民です。昭和50年位、子供のころに車に乗って行った記憶があります
昭和50年に行きましたか。当時と今とでは全く違うでしょうね。
確か樽床ダムに抜ける道だったと思います。ダムに浸かる前は樽床集落があり、そこへの生活道だったと聴いてます
樽床集落の記録を調べるために、近くにある民芸博物館に行きましが、資料となるものはありませんでした。
度々お邪魔して恐縮です。
30年程前に、友人知人4名でその建物に泊まった際、友人がお札の貼ってある扉を誤って開いてしまい・・・
その夜、怖い思いしました。
その建物は老朽化が進み、雪の重みで倒壊しました。
建物の北側に広場があり、地中に車が一台埋まっていると聞いた覚えがあります。
確かに広場があります。そこから湖畔の空き屋が見える場所ですね。現在はそこには建物はありませんが、地中に車が埋まっているとは驚きです。
山深い道のりを徒歩でご苦労様でした。訪ずれる人も少なくかなり深い場所ですが倒木や熊笹に侵食されずに道が維持されているということは、誰かか定期的に整備されているのでしょうね。
中ノ甲林道は歩けるようになっていたのでそこそこ整備されていると思いました。
登山口の看板がある分岐を湖畔沿いに数10メートルゆくと右手に小さな広場があります。
そこには以前小さな建屋があり、おばあさんがお一人で住まわれてました。
その建屋は、その昔湖底に沈んだ集落にあった分校の建物を移築したと聞きました。
その建物は知っています。その家に住むのは生活に不便ではないかと思いますが、どのように生活していたのか気になりますね。
写真には 150〜200人位のいろんな服装の人人人達が写っています。どんなにか 『 気合を入れて
』での開拓だったでしょうに・朽ち葉を踏むちから強い その足音に、とっても 元気を
もらいます。途中の案内板に 《 夏焼けのキビレ 》とありますが (゚Д゚;)でしょうか?
夏焼けのキビレの案内板?そんなのありましたっけ?
@@vs2226 18:50あたり 橋を渡っての、 比較的新しい案内板の 上部
@@vs2226 18:50 端を渡って直後の 比較的新しい案内板の
上部に 記されているのですが
ここを歩いて恐羅漢山まで行ったことがあります。もう少し集落の痕跡があれば面白かったのですがね……お疲れ様でした
中ノ甲林道は恐羅漢山の登山道になっているようですね。なかなか良い景色を楽しめました。
その建物に何度が寝泊まりにましたが、おばあさんの住まわれていた部屋の扉にはすべて扉が開かないように結界とおぼしきお札が貼ってあったのを思いだしました。
実はこの樽床ダムは何度か来たことがあります。その建物の写真をコミュニティに投稿しておきますね。
知らなかったです。勉強になりますよね
まだまだ知らない所がたくさんありますよね。
28年は豪雨でしたね。
豪雪は38年かもです。
米軍の救助隊がヘリコプターで非常食を投下してましたので・・・
当時、ニュースになっていたかも知れませんね。
熊笹だらけだし、いかにも🐻が出そう😨😨
こんなところにかつて人が住んでいたんですね🤔
風景は紅葉も相まって、すごくきれいですが。。
チキンな私は、コワくて行けません😰
他の投稿者にもありましたが、この辺りは熊がよく出るそうです。
熊が出てきそうな雰囲気ですね。
積雪もあるでしょうから、痕跡が朽ちるのも早そうですよね。
クマ笹がなければ、建物の基礎などがあるかも知れませんが、ちょっと無理でした。
藪の中は歩きにくそうでしたね。
珍しく画面が揺れていて、苦しそうでした。
@@月猫0163 I think that perhaps the camera stabilizer had a problem.
熊とか多い中、すごいと思います。虫が嫌いな自分は絶対無理です。もうちょっと説明があれば、もっと好きです!
了解です。
カーブミラーがあるって事はクルマが通っていたって事、グレーチングもあったし、こんな所に人が住んどった事ですよねー、生活感ゼロですね。ホコドロ見たいにこうなったら経緯があったら、見るけど?
林道に車が通っていたんですね。驚きます。
なぜ校舎を解体したんだろう?そのままにしてくれたら良かったのに!新しい建物を建てるわけでも無いのに解体する意味って何だろう?暇だったのかな?
こういう場所には建物が残っていたりしますが、見事に消えていました。逆に何かあったのかと勘繰ってしまいます。
音楽がきょわい😢