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5月5日の10時〜14時の間に開放しているようです。今年(2024年)見てきました。ヘッドライトも点灯されてました。近くで見てもよく手入れされていて、綺麗でした。
播但線時代よく乗ったから嬉しいし懐かしい!
数あるC57の中でもとくにスタイルが良かったのがC575だった、と昭和時代の鉄道雑誌に記されていました。一方「貴婦人」という呼び方、「C57-5」という表記には違和感を抱く前期高齢者の私です。昭和40年代、現場で貴婦人と呼んだファンはいないと思われます。
最大の危機は昭和36年、羽越本線急行日本海牽引時の脱線転覆事故ですね。通常なら廃車体になるところ新津機関区の英断により救われましたしかし、その後C57 2 が謎の廃車に…
この時からしばらくC59の先台車を使ってました。
@@N--jv3go そうでした!
どこかの文献でC57-2をドナーパーツとして復活したと見たことがある気がします(しかしドナーとして廃車なのかすり替えとして廃車なのかは議論の余地ありですが...)
@@A.G.101 トップナンバーの特権ですね…
5号機はもちろん、かつて新津に在籍時急行日本海牽引中に脱線転覆事故をおこして修復の際同じく新津にいて謎の除籍となった2号機も忘れてはいけない...
皆様、多くのコメントありがとうございます。個別に返信できず申し訳ございません。また正確性に欠ける表記や表現があります事、お詫び申しげます。様々な情報をお教えいただき、大変勉強になりました。皆様ありがとうございました。
初めましてm(__)m妹が姉を救ったのですね。
小学生の時に"蒸気の旅"号で姫路まで乗車した思い出があります。
5号機を金沢キク配置当時の北陸路で見たい。今庄ー直江津間で。もう夢の夢の中のお話です。
それ言うたら旧線の杉津や刀根で激闘するD51はもっと見たい
C575は梅小路のエースと言われていて人気があった。山陰本線での運用が終わった後に東海道線を臨時で走ったりしていたが後に豊岡に転属して播但線で活躍したが形式入りナンバープレートが普通のに代わっていた。更に浜田へ転属してそこで運用を終えた。
C575は日立のCMでみました、人間が大好きだー
汽車製造會社の蒸気機関車は、他社製より、出来(品質)が良かった!って、僕が子どもの頃、聞いた事が有ります!SLは、人間と同じで、機嫌の良い時(調子)悪い時が有ると、言ってました!
C57 5がある意味復活 D51 498も保存機のパーツ流用で復活してますし、C11 227に至っては、もうオリジナルの部品はどこへやら?手法としては、至極普通ですが、使える物は使う。必要な事ですよ。ダメになった部品を入れ替えて、さらに保存されていく訳ですから
大井川のC5644は戸越公園の解体されたC127の部品が使われているそうです。
益田市 あけぼの西公園で 静態保存中の C57156からもC571修理のため 部品が供給されているようです。
5号機は金沢から梅小路に移ってきたわな形式入りナンバープレートが残ってて梅小路のスターやった最後の最後に山陰に転属したとき普通のナンバーになってしもたけど形式入りのプレートはどこへ行ったんやろ?戦後になって長野工場に入場したC51やD50なんかが形式入りナンバープレートを形式なしの通常タイプになって出場したのが続出してて調査したらスクラップの払い下げの汚職が発覚した事例があったけど、5号機の移動は蒸機の末期やし全く関係あらへんやろから余計に不思議やわ
まあこれ以前に土砂に乗り上げた際C57-2の部品を使われたとか下手したらすり替えられたとか色んな噂がある釜だからね
今のC57 1 は C57 2 なんじゃないか…?という噂もあります…😮すり替えなんて…本当なら、2号機があまりにも不憫……😢
豊岡のC5711は製造時期は近いけどあっちは汽車製造製なんすよねえ
蒸気の技術継承で無いものはワンオフで造って再製すれば良いと思います。クラファンでフルレストアで本線復帰出来れば最高ですよね🥰
5月5日の10時〜14時の間に開放しているようです。
今年(2024年)見てきました。
ヘッドライトも点灯されてました。近くで見てもよく手入れされていて、綺麗でした。
播但線時代よく乗ったから嬉しいし懐かしい!
数あるC57の中でもとくにスタイルが良かったのがC575だった、と昭和時代の鉄道雑誌に記されていました。一方「貴婦人」という呼び方、「C57-5」という表記には違和感を抱く前期高齢者の私です。昭和40年代、現場で貴婦人と呼んだファンはいないと思われます。
最大の危機は昭和36年、羽越本線
急行日本海牽引時の脱線転覆事故
ですね。通常なら廃車体になるところ
新津機関区の英断により救われました
しかし、その後C57 2 が謎の廃車に…
この時からしばらくC59の先台車を使ってました。
@@N--jv3go そうでした!
どこかの文献でC57-2をドナーパーツとして復活したと見たことがある気がします(しかしドナーとして廃車なのかすり替えとして廃車なのかは議論の余地ありですが...)
@@A.G.101
トップナンバーの特権ですね…
5号機はもちろん、かつて新津に在籍時急行日本海牽引中に脱線転覆事故をおこして修復の際同じく新津にいて謎の除籍となった2号機も忘れてはいけない...
皆様、多くのコメントありがとうございます。個別に返信できず申し訳ございません。また正確性に欠ける表記や表現があります事、お詫び申しげます。様々な情報をお教えいただき、大変勉強になりました。皆様ありがとうございました。
初めましてm(__)m
妹が姉を救ったのですね。
小学生の時に"蒸気の旅"号で姫路まで乗車した思い出があります。
5号機を金沢キク配置当時の北陸路で見たい。今庄ー直江津間で。もう夢の夢の中のお話です。
それ言うたら
旧線の杉津や刀根で激闘するD51はもっと見たい
C575は梅小路のエースと言われていて人気があった。山陰本線での運用が終わった後に東海道線を臨時で走ったりしていたが後に豊岡に転属して播但線で活躍したが形式入りナンバープレートが普通のに代わっていた。更に浜田へ転属してそこで運用を終えた。
C575は日立のCMでみました、人間が大好きだー
汽車製造會社の蒸気機関車は、
他社製より、出来(品質)が良かった!って、僕が子どもの頃、聞いた事が有ります!
SLは、人間と同じで、機嫌の良い時(調子)悪い時が有ると、言ってました!
C57 5がある意味復活
D51 498も保存機のパーツ流用で復活してますし、C11 227に至っては、もうオリジナルの部品はどこへやら?
手法としては、至極普通ですが、使える物は使う。
必要な事ですよ。
ダメになった部品を入れ替えて、さらに保存されていく訳ですから
大井川のC5644は戸越公園の解体されたC127の部品が使われているそうです。
益田市 あけぼの西公園で 静態保存中の C57156からも
C571修理のため 部品が供給されているようです。
5号機は金沢から梅小路に移ってきたわな
形式入りナンバープレートが残ってて梅小路のスターやった
最後の最後に山陰に転属したとき普通のナンバーになってしもたけど
形式入りのプレートはどこへ行ったんやろ?
戦後になって長野工場に入場したC51やD50なんかが形式入りナンバープレートを形式なしの通常タイプになって出場したのが続出してて
調査したらスクラップの払い下げの汚職が発覚した事例があったけど、5号機の移動は蒸機の末期やし
全く関係あらへんやろから
余計に不思議やわ
まあこれ以前に土砂に乗り上げた際C57-2の部品を使われたとか下手したらすり替えられたとか色んな噂がある釜だからね
今のC57 1 は C57 2 なんじゃないか…?
という噂もあります…😮
すり替えなんて…本当なら、2号機が
あまりにも不憫……😢
豊岡のC5711は製造時期は近いけどあっちは汽車製造製なんすよねえ
蒸気の技術継承で無いものはワンオフで造って再製すれば良いと思います。クラファンでフルレストアで本線復帰出来れば最高ですよね🥰