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箕島高校の復活が生きているうちに甲子園で見たい。尾藤監督のあの笑顔が忘れられない。
箕島って言葉がいっさい出てこないのが、すごい名曲
箕島が強かった頃の旧バージョンがイイね
自分の出身校の校歌は全く覚えて無いが箕島高校の校歌は歌えるぞ!
そうなんです。あの頃の野球少年はみんなそうでした。母校が甲子園に出たとき「箕島の校歌なら歌えるのに」と野球部OBが口々に 笑
私も❗
箕島、PL、横浜、帝京の校歌歌えます。
箕島の甲子園出場待っています
箕島星稜戦は本当に生で見てみたい試合の1つ。植草アナの「甲子園球場に奇跡は生きています」は何度聞いても奇跡のバックホーム並みに鳥肌が立つ。
昭和54年の箕島対星稜戦をリアルタイムで見ました中学生でしたが石井投手のあの投げ方と延長になって何度先制されても奇跡のように同点にしていく箕島尾藤監督の笑顔忘れられません久しぶりに校歌を聴きましたが歌えました〜懐かしさに感動です箕島高校 大好きです
星稜のピッチャー堅田くんは今審判員やってるらしい。
…今でも箕島の校歌は、歌詞を見なくても空で歌える。今でもこの校歌を聴くと心が震える。甲子園大会で箕島高校の校歌が、他の高校のどの校歌より誇らしく聞こえる。甲子園という聖地での、箕島の奇跡的な感動の勝利の数々と、その選手達の熱い青春ドラマは、この校歌と共に自分の脳裏に甦り、永遠に高校野球の伝説として輝き続ける…。
石井さんの力投忘れません
星陵の隠し玉忘れません。尾藤公監督御冥福をお祈りします
かつての野球少年。つらい思い出ばかり、努力は報われないことを教わりました。でもなぜか箕島校歌は、自分を勇気づけてくれます。「なにか一言書いてください」と言われ、よく”凛冽の意気”と書きました。
春夏連覇をリアルタイムで知る和歌山出身者です。当時の国鉄和歌山駅からの自衛隊のジープに選手達が乗って優勝記念パレードが行われていたのを"生"で観てます! 優勝バッテリーはそのまま住友金属に入社し、都市対抗に社会人選手権でも大活躍でした。 とにかく、和歌山の野球シーンが最も輝いている頃でした…。
今でも生きてますね。語り継がれるわけは、○箕島は春を制し、春夏連覇に挑んでいたこと。○この試合の凄さ、得点経過、延長ツーアウトから同点弾→隠し球→ツーアウトからファーストフライ落球→ツーストライク追い込まれてからの同点弾→18回で決着○そして夏を制し、春夏連覇達成したことにあり、その後も地方大会熊野戦、57年春明徳戦、58年夏吉田戦と繋がっていることにあるような気がします。そして、59年夏、取手二戦の8回に急な雨で逆転を許し敗れた時に1つの時代が終わったかもと感じたことを覚えています。いつか復活して欲しい。
この校歌が一番やと思う!
是非箕島の名勝負や名選手について書き込んでください。【個人的箕島名勝負】昭和54年 第61回選手権大会3回戦 ⚪︎箕島4x-3⚫︎(18回)
翌昭和55年大会準々決勝 横浜3‐2箕島愛甲投手と宮本投手の投げ合いは見事でした。
昭和57年春1回戦○6-2上尾● 東西V候補対決2回戦○4×-3明徳● 星稜戦再現準々決勝●0-1PL○ 惜しかった
この連覇の時のテイクが最高ですね!「我ら~おのこの~」のところが特に。
春夏連覇の最高試合は星稜でしょうが県大会初戦の市和商1―0がすごかった
昭和58年の吉田戦、9回と13回、2度も敗戦寸前まで追い込まれてからの逆転勝ちは凄かったですね。特に9回はスクイズ失敗で同点機を逸し、ツーアウトランナー無しからの硯選手の起死回生の同点弾、ドラマみたいでした。ちなみに、PLが1年生だったK Kの活躍で優勝する大会の時の試合ですね。
星稜戦みたいですね。甲子園球場に奇跡は生きています‼︎って甲子園屈指の名言がありますが箕島に生きているのかも分かりませんね。
この年は県予選を紀三井寺球場で生観戦しています! エースは近鉄にヤクルト、MLBでも活躍した吉井理人さん、4番は東洋大学経由でロッテに入団、選手として以上にコーチやスカウトとして成功した山下徳人さんでした。 甲子園での初戦で起死回生のホームランを放った硯昌己さんは、西濃運輸で野球を続けられたようで、現在"とある"支店の要職に就かれているようです…。
@@西利章 そうだったんですね。硯選手、印象に残ってたので、ありがとうございます。
@@ゼニーヒロ さま 返信コメントありがとうございます。 プライバシーに関わることを敢えて(知っている範囲で)お話しさせてもらいますと、硯さんは浪人して箕島高校に入学したため、2年生ではあっても吉井さんと同年齢で、規定により翌年は活動ができませんでした…。 ご存知かと思われますが、翌年の箕島は嶋田・杉本の両エースの活躍で出場しましたが、初戦敗退しました…。相手はエース石田文樹さん、キャプテン吉田剛さん(後の近鉄バファローズの"名"ムードメーカー?)を擁する木内幸男監督の…、そうです、PLを破って優勝を果たした"あの"取手二高です! 話のついでに、昭和59年の箕島は前年ほどの"迫力"はなく、春の県大会で優勝したのは新宮高校だったと思います。その時のエースは、後に近鉄バファローズの先発投手として活躍した山崎慎太郎さんでした。 長々とコメントしてすみません…。
@@西利章 さま貴重なお話、ありがとうございます。箕島と取手二の試合も覚えてます。たらればはいけませんが、雨が降らなければ、箕島が勝ってたかも。
この歌好き。
春夏連覇の中心メンバーだった上野山、石井、嶋田らとは、同じ入試(別の県立高校に進学しましたから)を受けた。星稜高等学校との死闘の翌日だったかな、登校日だった。クラスのみんなはこの試合の話ばっかりだったね。一塁側にファールフライが上がった瞬間、40年以上経った今でも思い出します。甲子園球場で行われるプロ野球の公式戦でも思い出します。
春日野親方(栃乃和歌綛田君)も箕島だからうたえる。❤。
トップ画で密かに注目は先頭の主将の次の選手から綺麗に背の高さ順に整列していること。伝説の箕島・星稜戦を終えた後でさえ冷静に整列するなんてさすがだ。
最近池田高校の最寄り駅阿波池田駅の駅メロが池田高校の校歌になったそうですが、箕島駅の駅メロも箕島高校の校歌になってほしいなと思います箕島と言えば箕島高校を思い浮かべる方も結構多いですし
同感! 春夏連覇をリアルタイムで知る和歌山出身者ですが、この頃の人達は、自分の出身高校の校歌はまともに覚えてなくても箕島高校の校歌は歌えるくらいです! 箕島高校の校訓で校歌の歌詞にある「凜烈の意気」。OBで今年BIG BOSS 日本ハムのヘッドコーチとして入閣した林孝哉さんの福岡ダイエー時代のヒッティングテーマの歌詞にも入れられていました。
やっぱりいいね❗箕島
星稜戦がベストゲームかなその勢いで公立高唯一の春夏連覇高に
相撲も強い
りーんれつのいき〜
柔道も全国区
箕島高校の復活が生きているうちに甲子園で見たい。尾藤監督のあの笑顔が忘れられない。
箕島って言葉がいっさい出てこないのが、すごい名曲
箕島が強かった頃の旧バージョンがイイね
自分の出身校の校歌は全く覚えて無いが箕島高校の校歌は歌えるぞ!
そうなんです。あの頃の野球少年はみんなそうでした。母校が甲子園に出たとき「箕島の校歌なら歌えるのに」と野球部OBが口々に 笑
私も❗
箕島、PL、横浜、帝京の校歌歌えます。
箕島の甲子園出場待っています
箕島星稜戦は本当に生で見てみたい試合の1つ。植草アナの「甲子園球場に奇跡は生きています」は何度聞いても奇跡のバックホーム並みに鳥肌が立つ。
昭和54年の箕島対星稜戦をリアルタイムで見ました
中学生でしたが石井投手のあの投げ方と延長になって何度先制されても奇跡のように同点にしていく箕島
尾藤監督の笑顔
忘れられません
久しぶりに校歌を聴きましたが歌えました〜懐かしさに感動です
箕島高校 大好きです
星稜のピッチャー堅田くんは今審判員やってるらしい。
…今でも箕島の校歌は、歌詞を見なくても空で歌える。今でもこの校歌を聴くと心が震える。甲子園大会で箕島高校の校歌が、他の高校のどの校歌より誇らしく聞こえる。甲子園という聖地での、箕島の奇跡的な感動の勝利の数々と、その選手達の熱い青春ドラマは、この校歌と共に自分の脳裏に甦り、永遠に高校野球の伝説として輝き続ける…。
石井さんの力投忘れません
星陵の隠し玉忘れません。尾藤公監督御冥福をお祈りします
かつての野球少年。つらい思い出ばかり、努力は報われないことを教わりました。でもなぜか箕島校歌は、自分を勇気づけてくれます。「なにか一言書いてください」と言われ、よく”凛冽の意気”と書きました。
春夏連覇をリアルタイムで知る和歌山出身者です。当時の国鉄和歌山駅からの自衛隊のジープに選手達が乗って優勝記念パレードが行われていたのを"生"で観てます!
優勝バッテリーはそのまま住友金属に入社し、都市対抗に社会人選手権でも大活躍でした。
とにかく、和歌山の野球シーンが最も輝いている頃でした…。
今でも生きてますね。語り継がれるわけは、
○箕島は春を制し、春夏連覇に挑んでいたこと。
○この試合の凄さ、得点経過、延長
ツーアウトから同点弾→隠し球→ツーアウトからファーストフライ落球→ツーストライク追い込まれてからの同点弾→18回で決着
○そして夏を制し、春夏連覇達成したこと
にあり、その後も
地方大会熊野戦、57年春明徳戦、58年夏吉田戦と繋がっていることにあるような気がします。
そして、59年夏、取手二戦の8回に急な雨で逆転を許し敗れた時に1つの時代が終わったかもと感じたことを覚えています。いつか復活して欲しい。
この校歌が一番やと思う!
是非箕島の名勝負や名選手について書き込んでください。
【個人的箕島名勝負】
昭和54年 第61回選手権大会
3回戦 ⚪︎箕島4x-3⚫︎(18回)
翌昭和55年大会
準々決勝 横浜3‐2箕島
愛甲投手と宮本投手の投げ合いは見事でした。
昭和57年春
1回戦○6-2上尾● 東西V候補対決
2回戦○4×-3明徳● 星稜戦再現
準々決勝●0-1PL○ 惜しかった
この連覇の時のテイクが最高ですね!「我ら~おのこの~」のところが特に。
春夏連覇の最高試合は星稜でしょうが県大会初戦の市和商1―0がすごかった
昭和58年の吉田戦、9回と13回、2度も敗戦寸前まで追い込まれてからの逆転勝ちは凄かったですね。特に9回はスクイズ失敗で同点機を逸し、ツーアウトランナー無しからの硯選手の起死回生の同点弾、ドラマみたいでした。
ちなみに、PLが1年生だったK Kの活躍で優勝する大会の時の試合ですね。
星稜戦みたいですね。甲子園球場に奇跡は生きています‼︎って甲子園屈指の名言がありますが箕島に生きているのかも分かりませんね。
この年は県予選を紀三井寺球場で生観戦しています!
エースは近鉄にヤクルト、MLBでも活躍した吉井理人さん、4番は東洋大学経由でロッテに入団、選手として以上にコーチやスカウトとして成功した山下徳人さんでした。
甲子園での初戦で起死回生のホームランを放った硯昌己さんは、西濃運輸で野球を続けられたようで、現在"とある"支店の要職に就かれているようです…。
@@西利章
そうだったんですね。硯選手、印象に残ってたので、ありがとうございます。
@@ゼニーヒロ さま
返信コメントありがとうございます。
プライバシーに関わることを敢えて(知っている範囲で)お話しさせてもらいますと、硯さんは浪人して箕島高校に入学したため、2年生ではあっても吉井さんと同年齢で、規定により翌年は活動ができませんでした…。
ご存知かと思われますが、翌年の箕島は嶋田・杉本の両エースの活躍で出場しましたが、初戦敗退しました…。相手はエース石田文樹さん、キャプテン吉田剛さん(後の近鉄バファローズの"名"ムードメーカー?)を擁する木内幸男監督の…、そうです、PLを破って優勝を果たした"あの"取手二高です!
話のついでに、昭和59年の箕島は前年ほどの"迫力"はなく、春の県大会で優勝したのは新宮高校だったと思います。その時のエースは、後に近鉄バファローズの先発投手として活躍した山崎慎太郎さんでした。
長々とコメントしてすみません…。
@@西利章 さま
貴重なお話、ありがとうございます。箕島と取手二の試合も覚えてます。たらればはいけませんが、雨が降らなければ、箕島が勝ってたかも。
この歌好き。
春夏連覇の中心メンバーだった上野山、石井、嶋田らとは、同じ入試(別の県立高校に進学しましたから)を受けた。星稜高等学校との死闘の翌日だったかな、登校日だった。クラスのみんなはこの試合の話ばっかりだったね。一塁側にファールフライが上がった瞬間、40年以上経った今でも思い出します。甲子園球場で行われるプロ野球の公式戦でも思い出します。
春日野親方(栃乃和歌綛田君)も箕島だからうたえる。❤。
トップ画で密かに注目は先頭の主将の次の選手から綺麗に背の高さ順に整列していること。
伝説の箕島・星稜戦を終えた後でさえ冷静に整列するなんてさすがだ。
最近池田高校の最寄り駅阿波池田駅の駅メロが池田高校の校歌になったそうですが、箕島駅の駅メロも箕島高校の校歌になってほしいなと思います
箕島と言えば箕島高校を思い浮かべる方も結構多いですし
同感! 春夏連覇をリアルタイムで知る和歌山出身者ですが、この頃の人達は、自分の出身高校の校歌はまともに覚えてなくても箕島高校の校歌は歌えるくらいです!
箕島高校の校訓で校歌の歌詞にある「凜烈の意気」。OBで今年BIG BOSS 日本ハムのヘッドコーチとして入閣した林孝哉さんの福岡ダイエー時代のヒッティングテーマの歌詞にも入れられていました。
やっぱりいいね❗箕島
星稜戦がベストゲームかなその勢いで公立高唯一の春夏連覇高に
相撲も強い
りーんれつのいき〜
柔道も全国区