映えは危険だと思う「写真は保守的でいい」老文さんライブより引用・・・
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- Опубліковано 26 вер 2024
- 今回はずーっと気になっているお話の断片を、老人と文学社の雑談ライブでされていましたので、少し絡めて写真について話してみました。
あくまでもエンタメですのでお気軽にご覧ください♪
老文さんの元ネタライブ
• 最近のカメラ業界の流れについて雑談しよう
動画で録音しているマイク / マランツプロ
amzn.to/3xHshQx
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Epidemic Sound:www.epidemicsou...
修正・合成という意味でのレタッチの場合、それを心地よく思うか不快に思うかは時代性があると思います。僕は単純に上手なレタッチは心地よく、下手なレタッチは不快に思う方ですが、レタッチに倫理的な普遍性を定義するのは難しいですね。報道の目的が伴わない写真表現では、10%のレタッチなら良くて80%のレタッチならルール違反、という定義は正直ナンセンスかもしれません。
色再現については、昔の作家も現代の作家も「現実の色調」ではなく「自分の色調」を追求してきたし、評価を集める作品は何を撮ったかだけでなく色調の再現も、時代の中で独自性の強いものが評価されている気がします。写真は撮った瞬間から現実ではないし、例えばモノクロ写真は「非現実的な行き過ぎた加工」とも言えるので、写真の世界を俯瞰から見渡すと色再現についての議論は「倫理」よりも「好み」に基準があるように思います。
写真では昔からストロボを使って陰影をコントロールすることが多いですが、ストロボを使わずにraw現像でフォローするのも、結局のところやっていることは同じだと思います。写真の目的が報道ではなく自分の表現である場合は、他人を害を及ぼさない限り自由だと思いますがいかがでしょうか?例えば気持ちのいい自然の風景が撮れた写真があって、遠くの方に人工的な看板と通行人が写ってたとします。僕なら躊躇せずフォトショップで消してしまいます。
僕の場合、趣味で気ままに写真を撮るときは、絵の具を使って写生している人とほぼ同じマインドです。つまりアートですね。50歳のオジサンの意見としては、いわゆるSNSの映え写真は安っぽいし好きではありませんが、カメラ大国に暮らしておきながら相変わらず日本人の写真より海外の作家の方が魅力的な写真を撮る人が多いので、趣味の写真撮りとしても頑張らないといかんな、と思っているところです。
かなり難しい問題ですね。
そもそもJPEG画像もそれぞれのメーカーの色が濃く出ていてメーカーごとのRAW現像と言えませんか?100%の真実を反映したものとは言えないのではないでしょうか?
そんな事を考えているとわからなくなります。
自分も感覚的には近くて、デジタルカメラの写真撮影って平たく言うとプロセッサーによるお絵描きなのではないか、という感覚があります。だから現代における写真とは何か、どこまでが写真なのかどこからが創作アートなのかの境界線って非常に曖昧だと思います。
一方でSNSウケのいい加工に対する嫌悪感みたいなものもよく分かります。その境界線の引き方が人や年齢によって違うんでしょうね。結局自分もよくわからないまま、自分の中の尺度で写真を撮っています。
私もフィルム風や映画風にはレタッチします。
トリミングはしょっちゅうです。
記録用写真は別として芸術として楽しむぶんには加工は肯定派です。
JPEGも結局はメーカー色に加工されて出てくる純正レタッチですから。
ただ、コンテストなどでコンピューターグラフィックのような作品が入賞するようになったら写真を撮ることよりレタッチ技術のコンテストになっちゃうのは悲しいですよね。
個人的にはレタッチもひとつの作品の作り方としてありだと思うのですが、過度にレタッチされたものが実際に目で見た風景であったかのように流布されること、またソレを真似してSNSで量産されることに疑問を感じています。
作品としては綺麗でも、風景や写真としてはウソっぽく感じてしまうんですよね。でも誰しも多くのいいね!で嬉しくなるときはあるのだとは思いますが。
実際に目で見た風景であったかのようにの部分、凄く共感します
@@swallow7517 はい、作品としてはいいのですが、知らずに見た人に誤解をまねく表現は問題があるように思いますね。
初めまして。
本当、同感です。が皆さんの意見も同感してしまう自分がいます。。
自分なりの考えは撮影時の天候、光、風、などの状況に対してシャッタースピードを決め絞りを決めISO感度を決め露出を決めてアングルを決めて。。
と一つ一つの工程を経て出てくる画像を楽しむってことに喜びを感じます。
だから各メーカーさんの出してくる機材にも興味を持ちどんな撮って出しの色が出るのかなぁなんてそれも趣味の写真の楽しみです。
基本は撮って出しで楽しんで自己満足出来ればそれで良いと思います。
レタッチ写真、AI自動写真、Jpg写真と誰が見てもわかると良いですね。
そうすれば写真初心者は「あー無加工でもこんな良い写真が撮れるんだな、頑張ろう」となる気がします。
インスタや雑誌などで余りにも加工されてたり綺麗な写真過ぎると自分には無理だな。。と写真を諦める人も多いと思います。
ちょっと頑張れば撮って出しでも綺麗な写真が撮れる、そこを目指して続けて行きたいです。
長々と申し訳ありません😅
趣味でやってるので私はレタッチしますね、自分の表現したい写真に近くなるように。
人それぞれと思います❗️
私も好きか嫌いかの議論だけで十分だと思いました。またSNSの使い方も自由で良いと思いました。写真は記録のためはもちろん、表現のためのメディアとしてやコミュニケーションを目的としたものなどいろいろあって良いと思います。
フィルム写真も現像時間で、意図的にコントラストや粒子を変える事もでき、露光の部分補正もできます。今はそれらをPCやスマホでやっているだけじゃないでしょうか。
面白い話題ですよね。色んなレイヤーで考えることができる。僕も一つ放り込んでみます。
なぜ現像をするのか、といえば、それは、画を「よく」見せたいから、ででもそうでありながらもスライダーをいじったりしている間にふと「あ、僕が見ていたのはこの画だ」となるような経験、ありませんか? ところで、見たままの現実、とはいうのは個々人の中にしかなくて、父親が死んだ日に見上げた空と、子供が生まれたと日に見上げた空じゃあ、見え方は違うし、いやいや浮かんでいる空は一つでしょ、といっても、それを客観的に差し出すことはできない。だから、自分にとって(だけ)のあの現実をそっくりそのまま写しきるんだ、という態度は写真の表現として不自然じゃないし、たとえその行き着く先が他人にとってそりゃやりすぎだ、という画になったとしても、あの時の自分にはああ見えていたんです、で満点回答だと思う(問題は「あ、俺が見ていたのはこの画だ」の打率が相当低いことで、外した場合自分も含め全員がちょっとだけ不幸になる)。
何処からが ”行きすぎた” なのかを議論しても、それって人それぞれの見方でしょうし、何処からが ”過多” なのかという線引きも、趣味であれば自分自身で引けば良いと考えます。
「何事も程々」って自分自身に対しては言っています。
釣った魚を自分で濃い味で煮たり、ぱらっと塩をかけて焼いたり、一晩寝かして刺身にしたりは楽しいひと時です。
首都のようなカメラ部の風景写真を見えていると、フィルム時代ではありえない写真が多いですよね。
真逆光の撮影条件で、近景・中景がクリアな描写で、通常はシャドー部になる部分が中間トーンになっている写真とか変に思います。
CGみたいな写真がいいと感じてしまう人が多いんですかね・・・・
いつも楽しみに拝見しています。
初めて書き込ませていただきます。😅
Computational Photography的な物が流行っていますが、特に無しではないかと思いますね。
目的によっては面白い表現方法ではないでしょうかね。
確かに行き過ぎた写真が横行していますが気にしなければ良いだけかと思います。
(ちなみに自分ではやりませんが。😅)
他のホビーの世界でも王道的な内容以外が流行ってあれてしまう事も良くありますが、最終的には原点回帰して落ち着いているかと思いますし。
あまりルールに縛られた物は衰退にも繋がります。
新しい目線から生まれる物もありますので、自分にあったスタイルを楽しめば良いのではないでしょうか。
ただまきりなさんの提案も面白そうではありますが。
趣味と仕事の両面で長いこといろいろな業界を見て来て思いますが、ある程度の自由度がある方が結果的に楽しいように感じています。
長文失礼いたしました。
根本的なプロとアマの違いですよね。
プロはお金をもらってる以上スポンサーの望む様な仕上がりをして当たり前。
それがコラージュと言われようが関係ない話で、金儲けですから。
かたやアマチュアは自分にどう折り合いを付けるかですよね。
私は出来上がった画像に対して自分で納得するかしないかだけで、写真を撮ってます。
難しい問題ですね
人々は「言い過ぎた加工が存在する」ことは認めてる、「それが望ましくないのでは」という懸念も認めてる。
じゃあ、「どこからどこまでが行き過ぎた加工なのか」ということには答えが出ない。
ある人はボディ内現像以外不可と言うだろうし、ある人はライトルームで書き出すくらいならアリというし
難しい問題ですね
写真は「真を写す」ってのが日本特有なんでしょうかね~?
皮肉ですが、カメラを使ってる人が一生懸命現像することで、カメラメーカーも色の拘りはもうユーザーに任せて、スペック主義だけになってしまうのを一番危惧します。
お話の趣旨と外れてしまいますが、個人的に動画も画像も、もはや真実を証明するものでは無くなっています。FAKEか否かという思考回路になってしまいました。
ただ、昨今のAIを規制する動きが、真実を追求する流れに変わればと少し期待しています。
撮るその一瞬の切り取りが自らの予想を超える結果ができた時がいいんじゃないのかな。
加工する技術も必要だろうけど他人に見せる場合ならそれも一つかな。自己満足できるのはその一瞬の勝負に勝つことだ。
写真と画像 については、自分もレタッチをやり過ぎた際に「これはなんか違うな」と感じました。
写真コンテストの応募作品も画像コンテスト化に感じます。
でも住み分けは無理ですよね。
だからフィルム写真は心に響くのかもしれません。
自分が感動した写真が画像だったら、喜劇・悲劇ですね~😢
デジタルになった時点で、仕方のない課題かと思ってました。
そもそも撮ってだしのjpegも理屈をたどれば、レンズから入ってきた光をセンサーがRAWのような膨大な色調データに変換し、そのデータから各社が作成した処理アルゴリズムに基づいて色データが算出されて一つのjpegが仕上がっているかと思います。なのでそもそもレンズの色味を評価することも難しいですし、カメラ設定で先に色味調整できるのと同じように、jpegを出す前に修正や合成の処置をする機能をカメラに追加することも容易かと思います。データを触ってない証となるのはjpegやRAWとしての画像出力されたものではなく、唯一出力されていない幅のある生データではないのでしょうか?
まして、人間の眼も同様に目から入った色データを脳が処理して映像化しているため色情報のない視野端っこの方は脳が勝手に色づけでるでしょうし、左右で色味の違いも出てきます。HDRに関してもそうです。若い人と違って歳をとってくると明るい昼間の影の部分は見えずらくなってきます。これは加齢による当たり前の変化。つまり一つの風景も、人によって見え方は違うということではないでしょうか?
おっしゃられてる通り「カメラは何でもいい」っていう方向に技術の進歩とともに向かってるんだと思います。各レンズの詳細な光学的データを扱えるようになり、センサーが写っているものの細かな物理的距離なども測定できると、「各レンズのボケ」なども処理として再現できる時代が来るかもしれませんね。
Lightroomなどのレタッチソフトの使用レベルで勝手にファイル名が変わってくれても良いかと思います。
プロのカメラマンの地位向上にも繋げられそうですね。でかいお話
全くの同意です レタッチせずに良い写真を撮るための努力、過程が楽しいのですが
そこありきで補正がいいですよね(*´ω`*)
いまだにレタッチどうのこうのと話があるんですね。そもそもデジタルとフィルムではワークフローがまったく違うのに、デジタルになった時点でレタッチは必須だと思います。フィルム時代より技術的な知識が増えてデジタルの方が撮影の楽しみが多くなりました。ただ勉強することも増えましたが金銭的なことも増えました。
銀塩フィルム時代はカメラは光学機器、デジタルになった時点で電子機器になったので何でもありも時代の流れだと思います。
ありよりの無しでどうでしょう🦅 ありがとうございます🤗✨
私はレタッチするしないは撮影者の自由でいいと思います。星空写真なんかはraw ありきですもんね。でもコテコテの映え写真は結局は多くの映え写真の中に埋もれていってしまいますがね。
私が衝撃を受けたのは数十年前TV特番で大勢の外国写真家が日本を撮るものでした。全てが演出でポーズを指示して何枚も撮っていました。決定的とか日常スナップではありませんでした。油絵とかハッキリクッキリでなくても美しいです。イラストや漫画も写実的じゃなくても感動したり印象に残ったりします。昭和のころ1人だけ横向いていたり赤目だったり不要な物が写っていたりフレームから外れていたりしました。昔のプロカメラマンの腕は凄かったと思います。視野率100%も決定的瞬間も雨の日も風の日も暗くても明るくても関係無しの「いいね」目的では無限になってしまいますね。
まったく同感です。
HDR効かせまくりの不自然な写真がここ数年増えた感じがしています。
だから、スマホ写真もその不自然さ故に、どうも好きになれません。
パッと見は一見綺麗ですが、よくよく見ると「ん???」という感じ。
現実に近くする程度の補正はアリかと思いますが、
まるで現実離れしたようなレタッチ画は、ちょっと・・・と感じます。
加減が人それぞれなんですけどやっぱり過剰にあざやか路線に引っ張られてるのが映えなんだろうと思っています(^_^;)
この話は昔からずっと言われてますね。厳しくいえば、ハーフNDフィルターだって加工だし、フィルム時代から合成はできたし。それでも写真と呼ばれてきたので、ドキュメンタリーを記録するなら秩序は必要かもしれないですね。でも、写真アートが時代の要請かもしれないです。そんな時代なんでしょうね。それもあって、私はあからさまな合成写真でコンテストに応募してまーす。😂
自分は写真の場合、フェイクの世界の構築はしないということですね。天体写真でも星と地上風景を別に撮って後で合致させるという作品が横行していますけど、いつも残念だなと思って
しまいます。基本一発撮りです。一発撮りでも十分いけます。星野写真は別です。5時間6時間の間に3分露出のコマを100枚くらい撮って、後でスタック処理するというのは別です。写真の
粒状性を目的にしています。写真の持つ力を発信して行けたらと思います。
全く同感です👍
確か鑑識のカメラは加工出来ないと聞いた事があります。
そうなんですか( ˙0˙)おー
私は年金生活者 この手の話を良くしますが相手の結論は それっておっさんの懐古趣味 そんな事考えてるから経済も停滞してるんだよ と言うリアクションがほぼほぼ ですがそうなのかな?やはり本質論やらそおそも論は大事だと思います
そうですよね(笑)そこが見えていない人は進化しないと思っています。
同感です
だから東京カメラ部はどうも好きになれない
まったく同感です👍
初めてコメントします。
私は今でもリバーサルフィルムで風景写真を写してます。
ほぼほぼ三脚を使っての撮影スタイルですが、カメラを三脚から外しバッグにしまう時点で撮影は終了と考えています。
あとはラボへ届けるだけです。
勿論、トリミングなんてしないのです。
持論ですが、トリミングをするとは、撮影の時点でレンズの選定ミスと考えます。
トリミングとレタッチなんて考えたことはないのです。
レタッチをする必要があるとは、これははじめから撮影の対象とはしていません。
デジタルカメラだから可能とはいえると思いますが、否定も批判もしません。
ただ、私なりには、カメラを使った「デジタル絵画」と考えます。
どのような天候にどのレンズを選び、絞りと速度を決め、最後にシャッターを押すのです。
ありがとうございます👍✨ 感覚としては私も似ていて、それが古い発想と言うなら本質から逃げてるだけだと感じます(^_^;)
まいど😊
私も老文さんの動画を見て色々と感じました😅
写真と、フォトグラフィックとで分類分けが必要な時代が来ている気がしますね🤔
結構これは大事なポイントで、味噌もクソもみたいになると、スマホでいいやんってなると思っています(^_^;)
フェイク画像と思えるような過剰レタッチ画像が多い。
またJPEG撮ってだしと言いながら、どう見てもレタッチしている写真で嘘ついている人や、カメラ側で加工されてしまっているが写真も多い。
偽が氾濫しすぎている。
まきりなさん、お疲れ様です。何処何処が…〇〇過ぎた?(景観写真等)がもてはやされている現状はまだまだ少なくは無いのかと感じています。Photoコンテスト何位だとか。見るたびに何処がいいのか?と思っていますが嫉みも少し入っています😅
私は基本写真は真を写すものと考えています。多少印象を強調する程度はいいですが度を超えた作品は絵ですね。極端に言えばCG、AI作品と同じです。写真は真実の瞬間を真実の構図で切り取ると心がけています。昔ですがベルビアフィルムですら違和感を感じた時期も有りましたがあれが限界です。
私も編集された写真を見せられると他人の美感を突きつけられているようで気持ち悪い時があります。編集された映像や画像は、アニメで事足りているので写真では、必要ない。AI加工後、写真コンテストに出している人が多い中で、真実を写す行為とは、線引したほうが良いと思う。オリンピックで例えるとドーピングバリバリの別オリンピックがあるような感じ。
全く同感です。
一応、RAWでも撮りますが、素材のままで再現したいので明るさ調整くらいにしています。
アートは見た目キレイですが、素材を楽しみたいので。
私の業界では、工夫は有りだけど加工は駄目です。
それはさておき、私が旧Twitterから一歩引いたのはそこです。(今回の話だけが理由じゃないけど)
どうしても映える写真に注目してしまいますね。
なので私はコレは〜?って思ったら良いね👍せずに通過することにしました。
映えは大味の料理みたいなものでしょうか😅
映える桜の撮り方造り方みたいなチャンネルがあってその品種は白い花の色なのにピンクに色付いてないからと色調弄って桜ピンクに変えて白い風景の綺麗さを台無しにしてて残念に感じたなぁ
OMソリューションズの工事現場用デジカメTG-6 工一郎は国土交通省の特記仕様書記載例に準拠した信憑性確認情報を写真と同時に記録します。これによってオリジナルと証明出来ます。
現場監督ってカメラがありましたよねヾ ^_^♪
スローシャッターで流したJPG撮って出しってどっちになりますか
多重露光やスローシャッター、フィルターワークみたいに撮影段階での創意工夫が大事なのでありですよね~というか有り無しじゃなくて触りすぎる流れが勿体ないって話です👍✨
@@makirina100 なるほど、ありがとうございます
写真とは【真実を写す】と理解していました。ミラーレスが全盛となる前は一眼レフ時代ですがファインダー(鏡:実像?)内に見えるものが真実と思っていましたが、ミラーレス時代では写るものが真実となってしまっている、と感じます。(ミラーレスのファインダー内は写るものが見えます:虚像?)これを進めるとレタッチになるのではないでしょうか?
すいません、鏡は虚像でした。
映えに弱くてすみませんでした!😂
別物としたいという話ですのでいいとか悪いとかじゃないんです(^_^;)
勇気を振り絞って、まきりなさんに反対の意見を申し上げます。
レタッチし過ぎの写真に違和感を感じる、嫌いという意見はわかります。
でも、だからといって写真のレタッチに制限を設ける(縛りを入れる)べきという方が危険じゃないでしょうか。
他人の表現の自由を奪うことになりませんか?
プロでもない写真趣味のおじさん(私もです)なら、好きか嫌いかの議論だけで十分じゃないでしょうか。
ありがとうございます👍✨そういう風に聞こえたかも知れませんね~少し違っていて、枠を作った方がいいという話でした。遠慮なく触るものと、触ってないものというカテゴリー分けが出来れば縛りの中で動きやすくなると考えます。武川さんの動画見ました?ニュアンスが伝わりづらくてすみません💦
私も先日の件の配信を見ていてまきりなさんと同じようなことを思いました。今の所の有力候補としてC2PAがこの問題を解決に導いてくれることを願っています。
隣の人が写真を撮ってて、
お弟子さんみたいな人が、
「自然ですね、自然な光」と。
夜なのに、
まして、フラッシュ禁止の時間帯。
「コダックみたいですね」
「ポートラのモードにしたわ」
「ところで、
「ポートラとcolor200て?」
「黄色が強いんよ、同じや」
そんなもんですw
その度に、
まきりなさんの動画見てて、
良かったなーと。
光も作り出せて、
RAWを現像と言うのにも、
別にどうでもいいですが。
トリミングと、
マシンガンはwwww
あと、
カリカリ系の描写祭りとかw
ま、
楽しいからいいんですけどw
アートだと、
言う方の意見も理解できますが、
レタッチの技術とか、確かに。
被写体は、
アートだと思っているのかなと。
連投すいません、古参の親父がw
すみません 名前を入力ミスしました
僕も映え写真は嫌いですね
カワセミ撮ってめちゃくちゃトリミングしてすごい写真が撮れましたっていうような写真を良く見かけますけど、なんだかなぁって感じます
とはいえiphoneなんか撮って出しの時点で結構映えレタッチ済みって感じじゃないですか?
まきりなさんのご意見、もっともだと思います。ましてご苦労と多大な投資をされて来ている以上、その思いは深いと推察します。そのうえで、片やプリクラの目だけ大きくとか美肌効果などニーズと経済効果があってこそ、今日でも続いている文化があるとも思います。今後、aiとメーカーエンジンが提供する幅でつくられた画像と絵画的レタッチ画像の割合も、やはりニーズと経済性によって一般化や常識感として収束されるのではないかと思います。非商業カメラマンはどの道を選んでもいいんだと思っています。
フォト(=光)・グラフィ(=絵図)はあくまでもフォトグラフィであって、そこには真実を写すという意味はないのに、「写真」という日本語訳が定着した事が違和感の元かもしれません。地元の公園の写真展で応募作品の中に、紅葉や青空の色をこてこてにレタッチしまくった写真がありました。何人ものおっちゃんおばちゃんが「綺麗ねぇ~」「上手に撮ったはるわ~」「ようこんな綺麗に撮れるなぁ」「ええカメラなんやろうな~」などととしきりに感心していました。結局その写真が特選でした。自分が思っている以上に世代に関係なく「映え」が好まれるのかもしれません。
そのうち、過度なレタッチとかAI加工は飽きられるていくと思うんですが…
私は加工してるとわかった瞬間、冷めてしまう
口内炎辛いですよねぇ…ここ数年悩まされましたが、私はビタミンB摂取と市販うがい薬で嘘の様に、ピタッ❗と治りました…
技術や価値は日々変化していくものです。
今できることを、過去のものと比べたり、同じものとして比較しようとするから論争が起きます。
過去の写真は、「その時代にこれを撮った、写真にしたのがすごい」わけで、今できることと比べても意味がありません。
だから、今を生きる私たちは、今できることで何を残すんだ、ということなんだと思います。