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嘗ては道内完結運用の夜行列車が多かったですが、確かに富良野線経由の定期夜行列車は無かったので、僅かな期間ながらも迂回運用があったのはレアですね😊
乗って見たかったたぶん寝てしまうけどね
今なら運休、代行なしで良さそうですが、当時は夜行需要があったんですね。貴重な情報ありがとうございました。
ありがとうございます!
動画をみていてこの当時の時刻表に時刻変更が載せられていたことを思い出しました。むしろいい時刻に網走に到着するなと思っていた記憶が蘇りましたw
20年以上前に仕事の関係で札幌に一時住んでました。当時ギリオホーツクの夜行があったな!乗りたかったな!
懐かしい、旭川から札幌中島体育センターの全日本プロレス見に行った時確かメインの三冠戦で田上が三沢に勝ったんだったかな、迂回運転知らずに乗りましたわ。
懐かしいな〜あの頃は迂回運転しても運休はしなかったね〜。
@@40キハさん当時、利尻は通常5両編成なのに最大10両以上の「寄せ鍋編成」で運行されてましたからね😅9両に増結なんてこともよくありました。まだ、時代が夜行列車寄りで夜行バスに変わる前でしたからね😅それだけ需要があったと思います。時代の流れに乗り切れず、車内設備と料金の両面でJRがバス会社に完全敗北したのでしょう。編成を全車グリーン車にして料金を半額以下~1/3にでもしない限りJRに勝ち目はなかったです。似たような所要時間で料金が倍以上違うんだからJRはお手上げ状態だったと思います✋😵✋
懐かしい...これ乗ってました。当時住んでた砂川から毎年7月に礼文島に行っており、その年も定番の往路利尻、復路サロベツ、Sきっぷ利用のの週末旅行でした。しかし当時は単なる移動手段としか思っておらず、混雑するクロスシートのキハ400よりもボックスで足を延ばせるキハ56に乗り込み(すでに減光されてた気がしますがそんな筈ないかも)、早々に眠ってしまいました。富良野の折り返し、旭川の転線など夢の中で、いま思えば非常にもったいないことをしたものです。
その通り懐かしい 懐かしい
軌道狂い
中学、高校、浪人時代を札幌で過ごしたので地上の札幌駅が懐かしいです。その後の東京からの帰省は効果の札幌駅でした。
札幌~旭川を根室本線・富良野線で結んだ列車はほとんどないですよね。一応1994年の夏には旭川1355→富良野1457・1628→札幌1830で臨時のフラノエクスプレス号(旭川→富良野は快速・富良野→札幌は特急)が、1995と1996年の夏には札幌~富良野~旭川で臨時の田園休暇ふらの号(札幌908→富良野1110・1116→旭川1219と旭川1355→富良野1459・1548→札幌1753←※札幌~富良野は特急・富良野~旭川は快速・1996年の夏にはリゾート田園休暇ふらの号で運行された日もありました。)が運行されたことがありました。
西御料西瑞穂西神楽西聖和離れて...西中(富良野線『西シリーズ😅』)
当時の道内時刻表(96年7月号)を見ながらコメしてます。この迂回は平成8年8月9日まで、と記載されてました。迂回する富良野に止まる所はビックリ‼️下りのみでしたが、見て乗って見たかった列車です。
宗谷本線・急行「利尻」が富良野線を走っていたんですか?。
そうですね、96年の夏に神威トンネル工事のため、オホーツク9号と急行利尻が、滝川〜旭川間を根室線・富良野線経由で走りました。富良野で方向転換してましたが、当時の旭川で方向転換してたかどうかはわからなかったです。
@@乗り鉄あさかぜ 旭川で方向変わらないと先に進めませんけど、配線を考えたらわかりそうだけどな。いまだってできないし。当時は富良野線ホームはほかと離れており、ホームも短いのでそのまま通過し札幌方の引上げ線で停車。進行方向を変えて通常のホームへ。
現在の旭川駅なら富良野線から3番ホームに入りそのままスイッチバックして宗谷本線・石北本線に入れるんですが、当時は富良野線だけが仲間外れにされて遠く端っこに追いやられて、しかも相互乗り入れが出来ないように隔離されてたのでああするしか方法がなかったんでしょうね
旭川サイクリンロードを友達と🚲駆けた40年前を思い出しました
今は小さなローカル線と混みやすい富良野線だけど、頑張れば黒字になることはあるかもしれない。滝川〜富良野・富良野〜旭川を救いたい、乗りたいなら、ぜひ寒いけど楽しい北海道にくれば良いべや!!(北海道民です)
最近この辺のトンネルでトラブル起きて徐行運転してたような。
嘗ては稚内への寝台急行でしたね。
一時的とはいえ富良野線に夜行列車が運転されていたとは知らなかったです。そもそも富良野線には定期優等列車とはあまり縁がないイメージだったので…
昔は旭川~富良野~釧路間に急行「狩勝」が運行されてました。
今なら全区間運休するだろう
こういう動画こそ、もっと地図が欲しいなと思います。
いまや昼行さえガラガラで宗谷・石北両線とも廃止目前
オホーツクは富良野と遠軽で2回も進行方向変わるのかよ、面倒くさいな。
3回ですよ、旭川も変わりますから。
そうでしたね、ゆっくり寝てられない。
@@HEATEP789旭川では、富良野線から直接宗谷線・石北線に接続できなかったから(当時)、富良野線ホームに到着後、札幌方面の構内引上線に入り、そこでスイッチバックして函館線・宗谷線・石北線ホームに入る…という方法を取ってたみたいです。更に前の14系客車時代なら札幌~滝川間はED76が担当し滝川~富良野間はDD51、富良野~旭川間は本線用機関車は乗り入れ出来ない為、DE10が担当して旭川でまたDD51にバトンタッチ…という形になったと思います😊
@@大澤亘-v4e そうですね。私も全く同じコメントを別のコメにしたのですが、元のコメントが削除されてますね。ただし機関車の件、恐らくは札幌からDE15で牽引ではないでしょうか。空知運転区の。
@@HEATEP789 客車時代の晩年は利尻・大雪ともに札幌~旭川間はED76が牽引し、旭川で北斗星カラーのDD51にバトンタッチしてました。滝川~富良野間は本線なのでDD51は入線可能ですが、富良野~旭川間の富良野線区間はローカル線の為、本線用機関車は入線できないんです。あの当時の富良野線は函館本線・宗谷本線・石北本線から仲間外れにされて駅構内に貨物仕分線を設けるのに貧乏くじを引かされ、乗り場は遠く端っこに追いやられてました。それがなければスムーズに乗り入れ出来ていたかと思います。あそこまでして富良野線だけ仲間外れにしなければならない理由があったのでしょうか?
2:25 1972年ではなくて1975年ね。ちょっと調べたらわかることだけど?
主さん現地に行かないと。この手のジャンルは語るだけでは駄目かな。
嘗ては道内完結運用の夜行列車が多かったですが、確かに富良野線経由の定期夜行列車は無かったので、僅かな期間ながらも迂回運用があったのはレアですね😊
乗って見たかったたぶん寝てしまうけどね
今なら運休、代行なしで良さそうですが、当時は夜行需要があったんですね。貴重な情報ありがとうございました。
ありがとうございます!
動画をみていてこの当時の時刻表に時刻変更が載せられていたことを思い出しました。むしろいい時刻に網走に到着するなと思っていた記憶が蘇りましたw
20年以上前に仕事の関係で札幌に一時住んでました。
当時ギリオホーツクの夜行があったな!
乗りたかったな!
懐かしい、旭川から札幌中島体育センターの全日本プロレス見に行った時確かメインの三冠戦で田上が三沢に勝ったんだったかな、迂回運転知らずに乗りましたわ。
懐かしいな〜
あの頃は迂回運転しても運休はしなかったね〜。
@@40キハさん
当時、利尻は通常5両編成なのに最大10両以上の「寄せ鍋編成」で運行されてましたからね😅
9両に増結なんてこともよくありました。
まだ、時代が夜行列車寄りで夜行バスに変わる前でしたからね😅
それだけ需要があったと思います。
時代の流れに乗り切れず、車内設備と料金の両面でJRがバス会社に完全敗北したのでしょう。
編成を全車グリーン車にして料金を半額以下~1/3にでもしない限りJRに勝ち目はなかったです。
似たような所要時間で料金が倍以上違うんだからJRはお手上げ状態だったと思います✋😵✋
懐かしい...これ乗ってました。当時住んでた砂川から毎年7月に礼文島に行っており、その年も定番の往路利尻、復路サロベツ、Sきっぷ利用のの週末旅行でした。
しかし当時は単なる移動手段としか思っておらず、混雑するクロスシートのキハ400よりもボックスで足を延ばせるキハ56に乗り込み(すでに減光されてた気がしますがそんな筈ないかも)、早々に眠ってしまいました。
富良野の折り返し、旭川の転線など夢の中で、いま思えば非常にもったいないことをしたものです。
その通り
懐かしい 懐かしい
軌道狂い
中学、高校、浪人時代を札幌で過ごしたので地上の札幌駅が懐かしいです。
その後の東京からの帰省は効果の札幌駅でした。
札幌~旭川を根室本線・富良野線で結んだ列車はほとんどないですよね。一応1994年の夏には旭川1355→富良野1457・1628→札幌1830で臨時のフラノエクスプレス号(旭川→富良野は快速・富良野→札幌は特急)が、1995と1996年の夏には札幌~富良野~旭川で臨時の田園休暇ふらの号(札幌908→富良野1110・1116→旭川1219と旭川1355→富良野1459・1548→札幌1753←※札幌~富良野は特急・富良野~旭川は快速・1996年の夏にはリゾート田園休暇ふらの号で運行された日もありました。)が運行されたことがありました。
西御料
西瑞穂
西神楽
西聖和
離れて...
西中
(富良野線
『西シリーズ😅』)
当時の道内時刻表(96年7月号)を見ながらコメしてます。
この迂回は平成8年8月9日まで、と記載されてました。
迂回する富良野に止まる所はビックリ‼️下りのみでしたが、見て乗って見たかった列車です。
宗谷本線・急行「利尻」が富良野線を走っていたんですか?。
そうですね、96年の夏に神威トンネル工事のため、オホーツク9号と急行利尻が、滝川〜旭川間を根室線・富良野線経由で走りました。
富良野で方向転換してましたが、当時の旭川で方向転換してたかどうかはわからなかったです。
@@乗り鉄あさかぜ 旭川で方向変わらないと先に進めませんけど、配線を考えたらわかりそうだけどな。いまだってできないし。
当時は富良野線ホームはほかと離れており、ホームも短いのでそのまま通過し札幌方の引上げ線で停車。進行方向を変えて通常のホームへ。
現在の旭川駅なら富良野線から3番ホームに入りそのままスイッチバックして宗谷本線・石北本線に入れるんですが、当時は富良野線だけが仲間外れにされて遠く端っこに追いやられて、しかも相互乗り入れが出来ないように隔離されてたのでああするしか方法がなかったんでしょうね
旭川サイクリンロードを友達と🚲駆けた40年前を思い出しました
今は小さなローカル線と混みやすい富良野線だけど、頑張れば黒字になることはあるかもしれない。滝川〜富良野・富良野〜旭川を救いたい、乗りたいなら、ぜひ寒いけど楽しい北海道にくれば良いべや!!(北海道民です)
最近この辺のトンネルでトラブル起きて徐行運転してたような。
嘗ては稚内への寝台急行でしたね。
一時的とはいえ富良野線に夜行列車が運転されていたとは知らなかったです。そもそも富良野線には定期優等列車とはあまり縁がないイメージだったので…
昔は旭川~富良野~釧路間に急行「狩勝」が運行されてました。
今なら全区間運休するだろう
こういう動画こそ、もっと地図が欲しいなと思います。
いまや昼行さえガラガラで宗谷・石北両線とも廃止目前
オホーツクは富良野と遠軽で2回も進行方向変わるのかよ、面倒くさいな。
3回ですよ、旭川も変わりますから。
そうでしたね、ゆっくり寝てられない。
@@HEATEP789
旭川では、富良野線から直接宗谷線・石北線に接続できなかったから(当時)、富良野線ホームに到着後、札幌方面の構内引上線に入り、そこでスイッチバックして函館線・宗谷線・石北線ホームに入る…という方法を取ってたみたいです。
更に前の14系客車時代なら札幌~滝川間はED76が担当し滝川~富良野間はDD51、富良野~旭川間は本線用機関車は乗り入れ出来ない為、DE10が担当して旭川でまたDD51にバトンタッチ…という形になったと思います😊
@@大澤亘-v4e そうですね。私も全く同じコメントを別のコメにしたのですが、元のコメントが削除されてますね。
ただし機関車の件、恐らくは札幌からDE15で牽引ではないでしょうか。空知運転区の。
@@HEATEP789
客車時代の晩年は利尻・大雪ともに札幌~旭川間はED76が牽引し、旭川で北斗星カラーのDD51にバトンタッチしてました。
滝川~富良野間は本線なのでDD51は入線可能ですが、富良野~旭川間の富良野線区間はローカル線の為、本線用機関車は入線できないんです。
あの当時の富良野線は函館本線・宗谷本線・石北本線から仲間外れにされて駅構内に貨物仕分線を設けるのに貧乏くじを引かされ、乗り場は遠く端っこに追いやられてました。
それがなければスムーズに乗り入れ出来ていたかと思います。
あそこまでして富良野線だけ仲間外れにしなければならない理由があったのでしょうか?
2:25 1972年ではなくて1975年ね。ちょっと調べたらわかることだけど?
主さん現地に行かないと。この手のジャンルは語るだけでは駄目かな。