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車田さん。フルトヴェングラーについて語っていただき、嬉しく思います。今や現役の音大生あたりでは、博物館レベルの巨匠らしいですが、録音がいかに古くとも、生々しい録音の数々が素晴らしい指揮者のひとりと思います。1947年のベルリン復帰のベト5やらバイロイトの第九は擦り切れるほど聴きました。素晴らしいです。生きものみたいに自在な解釈が素晴らしいですね
😊😊
戦後ラジオから流れてくるヴェングラーの第九を聞いて居ました♬you tubeのお陰で今は映像も鑑賞出来て又素晴らしい解説で元気を戴いて居ます❣️
今回も本当に素敵なお話をありがとうございます。いや~しかしスケールが大きいですね。様々な芸術を知った上での音楽。フルトヴェングラーは知りませんでしたが、俄然興味が湧きました。指揮ぶりのお話のところでは大笑いいたしました。不揃いの美学ですね。なるほどなるほど。ごはんに呼ばれた子供たちの例がとても分かりやすかったです。
こちらこそありがとうございます😊😊
フルトヴェングラーの演奏ベートーベン:交響曲第9番ua-cam.com/video/dHDXdbSWu0E/v-deo.htmlマーラー:さすらう若人の歌ua-cam.com/video/2sMLTC1lGEk/v-deo.htmlモーツァルト:ドン・ジョヴァンニua-cam.com/video/XPYjqz7nToY/v-deo.htmlドン・ジョヴァンニ解説ua-cam.com/video/ez0bL1GXDBU/v-deo.html
"振ると面食らう"の意味を初めて知り、笑いが止まりませんでした🤣🤣🤣車田さんの音楽にまつわるお話は本当に面白い!! いつも楽しみにしています。
ありがとうございます😊😊
先生が話されるとまるでタイムスリップしてフルトヴェングラーの演奏を生で聴いて帰ってきたぐらい臨場感あふれます。バイロイト版を最初聴いたとき、確かに音質の悪さにびっくりしましたが、それよりもその場の空気や聴衆や演奏者、指揮者の息まで聞こえてきそうな音源で、これはこれでいいと聴き終えて感じます。
フルトヴェングラーは大好きで、ベートーベン交響曲を通しで何度も聴いているのですが、なぜ、好きなのか?ということに関して、車田さんの解説を聞いて大きなヒントをいただけました!ありがとうございます!
フルトヴェングラーの凄いところはモノラル録音でも名演奏であることが分かるところ。
😊😊😊
これまで読聞したフルトヴェングラー音楽の解説の中では一番わかりやすく、納得できる比喩表現でした。ありがとうございました。
エピソードが面白くて引き込まれました。指揮の打点の謎は本当に面白かったです。わざわざ曖昧にしていたにしても、それはそれでなんだかとても面白い人だったんだなぁと興味が湧きました。これから検索して聴いてみます😊
いろいろありますのでぜひお聴き下さい😊
フルトヴェングラー💐を紹介してくださり、ありがとうございます♪♪😃フルトヴェングラーの最高傑作といわれる第九の演奏を高校時代に毎日聴いておりました。最後の合唱と演奏が渾然一体となった盛り上がり部分で、毎回鳥肌が立ちカタルシスを味わっていました。そのカタルシスを味わいたいがために毎日フルトヴェングラーの第九を聴いていたといっても過言ではありません。なので、頭の中では第九はフルトヴェングラーの演奏が唯一の演奏となってしまい、申し訳ないのですが他の名演奏も私には物足りなくなってしまったのです。大人になってからも、辛い時や沈んでいる時にフルトヴェングラーの第九を聴き直すと、生きる気力が湧いてくるのです✨本当に、クラッシック音楽は私にとって生きる糧と言えます。これからも配信をとても楽しみにしています。
ありがとうございます!!
フルトヴェングラー ご紹介どおり 史上最高の指揮者だと思います。いまはyoutubeに音源が無数に落ちていますから便利になりました。むかしはレコードかCDを買うまで聴かれなかった。彼の音楽にはじめてふれたのはNHKFMでの放送でしたが、これまで聴いてきたクラシック音楽の、なんとなくお行儀の良い丁寧な演奏という概念を完全に打ち砕く壮絶な演奏に強烈なめまいがしました。彼以外の指揮者も無数に聴きました。クレンペラー、スイトナー、Jフルネ、テンシュテット(1970年代以降最高はテンシュテット)、ベーム、、、みんなすばらしい。でもフルトヴェングラーだけはつくりだす音楽の次元が違う。おっしゃるような「生きた音楽」、自然現象で生み出されたような、生命力のある、音楽という一種の有機体を感じます。こんな頭のおかしなことを言うと白い目で見られかねませんが、そうとしか表現できないです。彼との共演がかなった演奏家が師匠に報告すると師匠が「いいかい?フルトヴェングラーと共演できるなら親を殺しても良いといわれるほどのことなんだよ」と。すさまじいコメントです。それくらいフルトヴェングラーは当時から絶大なカリスマ性があり、トスカニーニもやっかみ半分からかフルトヴェングラーのことを「天才的素人」と呼びました。彼のことを語りだすと止まらないのでこれで終わります。失礼しました。
先生ありがとうございます。感想はこう感じました。彼のベートーヴェンは、やはり感情が柱となり常に哲学が大変重要なポジションとなっている事を!当に、大地に根を張り巡らせるかの様な生きた芸術は人類に於いての永遠の至宝と言えるのではないかと感じました。
幼い頃 両親が子供たちのためにクラシックのレコードを何枚か買ってくれていて その中にフルトヴェングラーのベートーベンの交響曲がありました。 なので一番最初に覚えた指揮者の名前がフルトヴェングラーでした。とても懐かしいです! 運命は少し怖かったので田園や皇帝だったか英雄を聴いてたような。とか色々思い出しました。また聴いてみようと思います。今日のお話を聴いたので興味倍増です! くるみ割り人形も横の木製のツリーもとても素敵。ろうそくの気流で回っているんでしょうか。音楽が聴こえてきそうです。
最初の出会いがフルトヴェングラーとは素敵な出会いですね😊😊😊
フルトベングラー指揮の英雄の出だしの二つのフォルテがもやっとしていて、残響が凄く、迫力あるなあと思っていました。「振ると面食らう」のため、弦楽器の出だしが不揃いになっているからではないかと思います。初めて理解しました。ベートーベンではウィーンフィルと録音した田園が一番しっくりきます。今日も有難うございました。
随分と前の学生時代、私は吹奏楽部や大学オケに所属していましたが、指揮者からは事あるごとに「縦を揃えて」と言われ続けていました。それと真逆のフルトヴェングラーが大きな感動を与えてくれるというのが面白いです。バイロイトの第九は勿論、40年代のベルリン・フィルとの第五も大好き。音質の問題はあるものの、自分の経験を元に楽器の音色やダイナミクスを想像して聴いています。私が生まれる前に亡くなられたので無理な話ではありますが、実演に接することができたら、一生ものの感動を味わえたのではないかと思っています。。
戦前の録音も素晴らしい演奏が沢山ありますね!
フルトヴェングラー!ありがとうございます。思いが強すぎてうまくいえませんが(きっとシナリオを削るのも大変でしたでしょうね!)、私の人生に登場してくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。若い感性に、フルトヴェングラーは刺さるんですよね。夢中になりました。20年たった今でも思い出します。そしてその立っているだけでオーケストラの音色を変えるカリスマ性。最近朝比奈の晩年の映像をみながら、朝比奈さんは最後の巨匠だなあ、もうこうした巨匠は今の時代いないなあ、そういう時代じゃないんだなあと思ったところでした。しかしフルトヴェングラーは今でも人気でリマスタリングを重ねてCDも発売されつづているし、本当にすごいですね!。
確かに、毎回どこを削るかが一番の課題だったりします😅!
素晴らしい解説。勉強になりました。
今回も面白い動画でした。おまけも楽しかったです。登録者10,000人まであと少しですね(^-^)v
ありがとうございます!1万人まではもうちょっとありますね😊
大変、勉強になりました。録音でフルトヴェングラーの音楽を聴くと正直、違和感があります。恐らく演奏会場で聴いたら恐ろしく感動的だったんだろうなと想像します。音楽は一回限りのものだという事を体現した指揮者なのだと思っています。
わかりやすくて面白くてためになる、すばらしい動画ですね!フルトヴェングラーのバッハ作品の録音は「マタイ受難曲」や「管弦楽組曲第3番」などがありますが、最近の古楽器演奏とは真逆のスタイルで、レトロな味に満ちあふれてますね。「マタイ」に至ってはメンゲルベルクと同様に何曲かカットしていますが、当時は全曲演奏する方が特殊で異常だったんでしょうね。
もともと長い曲が、当時のテンポだとさらにゆっくりになるのでカットはしょうがないですね😅
フルトヴェングラーは私にとっては『神』の如く君臨する存在です。無機質に音が揃っている演奏ほど気持ちの悪いものはありません。半世紀前から聴き続け、録音や再生技術が進んでも、フルトヴェングラーの『演奏』は(もちろんオリジナル・モノクロ録音盤)決して色あせる事なく他の演奏を凌駕しています。車田さんの解説はとても素晴らしいです。感動いたしました。
いつもありがとうございます。そうですよね、フルトベングラーはとらわれない芸術家なんですよね。フルトベングラーの戦前、戦後の録音はモノラルですが素晴らしく感動すらします。今年、バイロイト第九は新録音が出てきたり、まだまだ、新しい発見がありそうです。フルトベングラーはヒンミデット『画家マティス』(名作です)上演について上演禁止にしようとしヒムラーとの確執があり、シュペーアの助言により(シュペーアはそう言っていますが、、、しかし、近年、フルトベングラーの秘書もシュペーアからの伝言があったと言っていますね)スイスに亡命しましたね。また、カラヤンが党員になったのに関わらずフルトベングラーは決して入党しようとしなかった。これにフルトベングラーは皮肉めいたことを言い、これもヒムラー等のナチ党員の顰蹙をかっていたみたいです。ユダヤ人として追われた?亡命したワルターも取り上げて欲しいです。
ワルターもいいですね!次の指揮者はたぶんバーンスタインになると思います!
フルトヴェングラーは大好きです。ベートーヴェンの第9番は1937年のベルリン・フィルとのロンドン公演の方が最後のスピードがヤバかったです。1937年、1942年(2種類)、1943年の4つの演奏は戦争のおぞましさを表している加速、戦後の2つのバイロイト、ウィーン、ルツェルンなどの演奏は生きる喜びを表している加速だと思います。他にもブラームスの第4番(1948年盤)や自作の第2番など交響曲レパートリーは外せないですね。協奏曲はブラームスのピアノ協奏曲第2番。戦中の2つの演奏が好きです。やっぱり9月下旬にスタジオ録音全集55CDや11月末にBIS盤の第9が発売されたことからも未だに愛されている指揮者ということが分かりますね。次はクナッパーツブッシュやフリッチャイの動画も見てみたいです。
フリッチャイもクナッパ―ブッシュも良いですね!順番としてはもう少しオペラを紹介してからになるとおもいます😊
見事な解説★
フルトベングラーの録音は意外と音が良いですよ。トスカニーニの時にも申しましたがホーンスピーカーと真空管で再生すると非常に良い音で鳴ります。バイロイトの9番なんかは完全なHiFiで鳴ります。トスカニーニよりはるかに録音がいいです。
仰るとうりですね。フルトヴェングラーの音楽は生きている。Dr.の音楽を聴くだけでもこの世に生まれた甲斐があるというものです。フルトヴェングラーについては誤解している人も多いのでこのような解りやすいご解説は有り難いです。
一時期、 僕もフルトヴェングラーにハマって、アルバムを買いまくっていました。しかし、歳を取ると不思議と、フルトヴェングラーからブルーノ・ワルターに変化しました。フルトヴェングラーは良いのですが、重厚な響きは良しとしても、テンポが速く感じるのです。もっとゆったりと聞きたくなったんです。私は50代後半の年齢です。
ブルーノ・ワルターの指揮するレコードは、繰り返し聴いても聴き飽きませんね。私も父親に「24ビットマスタリングのCDを渡すから、アナログレコードを貰うよ」と言ってワルターのベートーヴェンとブラームス、モーツァルトを譲り受けました。
カペーSQのベートーヴェンもそうですが、実際に生で聞いてみたいです。 子供の合気道教室で、「手を下ろす、丹田に意識を向けて、肩の力を抜く、気を出す」と掲げてありました。指揮については、それを思い出します。
フルトヴェングラーのベートーヴェンとメンゲルベルクのマタイ受難曲は私にとっては別格です。これに出会えたことは本当に幸運でした。
名解説でした😮
若い頃 ハイドンが好きでトスカニーニの94番を良く聴いていました。フルトヴェングラーのハイドンを聴いて なんと風通しの良いハイドンだと驚きました。同じ様な事を感じたピアニストがいます。グールドです。ゴールドベルクを最初聴いた時 これはジャズだと感じました。
久方ぶりに車田さんの動画を拝見しました😊 フルトヴェングラーのお話は以前にもどこかの回で伺い、その際車田さんが傍らに置いていたディースカウ著のフルトヴェングラー本を購入し拝読しました。個性を尊重して引き出すのは、言うは安くと思われ、日本人には特に難しいだろうなあと思います。会社でも口先では個性を求めながら実態は一律的ですもの。。徹することができたフルトヴェングラー、あらためて凄いですね🤔
不揃いの美学‼️‼️知らなかった…( ; ゚Д゚)❗フルトヴェングラーさっそく聴き直してみます❕ありがとうございます❗
楽しみながら、しっかり勉強させて頂きました❗いつにも増して魅力的なお話をありがとうございました。
「演奏は毎回違ったものでなくてはならない」どんなジャンルの音楽に付いても言えることですね。そして不揃いの美学…軍隊の行進のような足並みの揃った演奏…確かに悪趣味だ!目から鱗です。
私は最初にCDを買って聞いたのがカラヤンでした。素晴らしい演奏で全体の音がぴったり合ってることが最高だと思っていました。またフルトヴェングラーはもっと前の人であまり気にしていませんでしたが、今回のお話で、音がぴったり合っていること(それが正しいのはもちろんですが)ではなくて、多少ずれても演奏者の気持ちが一緒になっている状態が大事だというのをすごく思いました。私も、高校時代吹奏楽をやっていましたが、最後の大会での演奏の時、後から聴くと厳密にはズレているんですが、そこは気持ちが一点に集中していることがわかり、感動を受けます。カラヤンのように正確無比な演奏が最高と思っていましたが、これからはフルトベングラーの演奏を聴いてみたいと思います。ありがとうございました。
この動画で興味を持ち、第九を聴きました。You tubeで上がっている1951年の録音リマスター版です。ちょっとごちゃごちゃした印象があるように感じましたが、躍動感が感じられて大好きになりました。生き生きしている。第九から始まり第六、第三も気に入りました。古い録音をリマスターした技術も大したものだけど、その1951年のコンサートはさぞかしよかったと想像できます。タイムスリップをして聴いてみたい。コメント欄にはやはり揃っていないという感想もあるけれど、いいものはいい。
指揮者についても音楽についてもなんにも知りませんが、いつもわかりやすく勉強になります。ありがとうございました☆彡8月からN響に来るファビオルイージのユーチューブはすんごい「生き生きと」してて。良かったです。番組で取り上げてもらえたらと思います。
フルトヴェングラーは物理的にも「大指揮者」だったようですね。アメリカ盤のCDに「He was very tall man」と書いてありました。
今回も大変ためになりました。考えるきっかけを頂きました。ありがとうございます。不揃いの件、触覚に例えれば、ナイフのエッジを触る感覚となめし皮の表面をなぞる感覚の違いですかね。お話を伺って、アーサー・ケスラーのホロニック・システム(holonic system)を思い出しました。1つ1つの要素が全体が示す集合特性を持つという系のことです。無数の小魚の集団の動きもそうだったように思います(間違っているかもしれません)それは隣同士が僅かに影響しあう。全員の意識が1人の指揮者に向かっているのと、かなりの程度が自分自身に向かっているのとでは見えないところで大きな違いを内在している。それって、なんか、ジャズも連想されますね。録音嫌いについて。1回こっきりの演奏。一期一会。だから聴く方も必死。音楽を人生のパートナーとするなら、そういう態度もありかと。現代は、「アレクサ、ベートーベンかけて」と言って、Hammerklavierをバックグランド音楽に使っている。ま、それもいいか。まだ、考えがまとまりません。
1951年7月29日・バイロイトの第九。悩ましいですね。EMI系の切り貼り系と、バイエルン放送局の放送テープ系、どちらかを聞くべきか。ならば、1954年のルツェルンの第九、あるいは1942年のベルリンの第九(帝国放送局のテープ)も候補でしょうか。1952・1953年のニコライ演奏会のものも参考なるかも。
幸か不幸か最初に買ったレコードがフルトヴェングラーのベートーヴェンの第5番とシューベルトの第8番(今は7番)のカップリングでした。おかげで、ベートーヴェンはフルトヴェングラーがスタンダードとなってしまいました。(今ではそうは思っていませんが)フルトヴェングラーの演奏に比べるとカラヤンの演奏はいかにも表面的なものに聴こえてしまい、あまり好きになれなかった記憶があります。
老人の好きな指揮者とばかり思っていましたが、話を聞いてイメージ変わりました。
フルトベングラー、トスカニーニ となればブルーノ ワルターもお願いしたいです。
👍
朝比奈隊さんは、フルトベングラーに会われた時に、ブルックナーを演奏するなら、原典版、とアドバイスされたそうです。彼の、バイロイトでの、第九の演奏を初めて聴いた時に、演奏の技術そのものは、さほど高くないのですが、聴いた後に、凄い演奏だなと、思いました。
神の創造カラヤン。人間の造物フルトヴェングラー…。両者とも実に素晴らしく、また、最高です!
フルトヴェングラーのCD、ベートーヴェンの第9はウィーン・フィル。ベルリン・フィル、バイロイト祝祭オケ盤を持っててとっかえひっかえ聴いてます。バイロイト祝祭オケ盤は歌手が超豪華ですよね。第4楽章のコーダの部分はウオーって感じで演奏してるようで、ほかの指揮者ではまず聴けないのではないか?と思います。
おっしゃる通りソリストが中々豪華です!
また、フルトヴェングラーの録音や著書「音と言葉」を読み返したくなりました。私の持っているのは新潮社(芳賀檀訳)ので、すっと入ってこない翻訳なのですが(;^_^A
フルトヴェングラーのもともとの言葉が難解だった可能性もありますね。今度見てみます😊😊
音楽と関係ないですがフルトヴェングラーってなんとなく俳優のトム・ハンクスに似ていますね。彼を主役に起用してフルトヴェングラーの伝記映画が作れそう。
確かに骨格が似てますね!
「テイキング・サイド」という戦後の非ナチ化裁判をめぐる戯曲・それを元にした映画がありますが、これ(あまり出来のよくない映画なので)をリメイクしたらさぞかし。メニューインやゴルドベルクの弁護、トーマス・マンとの論争なども加味して。。。非ナチ化がらみは、ベーム、クナ。さらに、カラヤン、クラウスなどなかなか厄介かつ、前二者と後二者の「差」が。。。
本当かどうかは解りませんが、若い頃に読んだ本に書いてあったのですが、以下の問答があったそうです。トスカニーニが記者会見の時に記者から、「あなたが世界一の指揮者であることは疑いないが、あなたを除けば、誰が世界一の指揮者なのか」と聞かれた時、トスカニーニは「その質問にはどうしても答えなくてはならないのかね?」、記者「ええ。」トスカニーニ「フルトヴェングラー!」
生きた音楽とは、よく耳にしますがそういうことだったんですね。とても説明が具体的で例えもなんとも微笑ましいです。一人一人の意思が、同じ方向に向かって駆けてゆき、自然に発する熱いエネルギーが生み出されて、シナジー旋風なのでしょう🎶🎶✨✨
動画配信ありがとうございます。クラッシック初心者です。フルトベングラーといえば戦時中空襲での緊張感のある演奏がいいとよく聞きますが、私の場合は音質からカラヤンやジュリーニに走ってしまいます・・・(ジュリーニ解説もそのうちお願い致します)。ですが他チャンネルではあまり聞けないフルトベングラーの生い立ちや政治との関係性など非常に勉強になりました(政治性などはカラヤンは真逆なんでしょうね)。
ジュリーニもいいですね!
ワルター派の私がフルトヴェングラーの凄さに目覚めたのは1952年(?)ウィーンフィルと録音したベートーヴェン第3交響曲「エロイカ」。高校1年の頃だから50年前。後頭部の髪の毛が逆立つような感じがした後背筋がゾクゾクして涙が止まらなくなりました。ワルターがナンバーワンなのは変わりませんがフルトヴェングラー、トスカニーニと3大巨匠と言われるのは正規録音全てを聞いた結果むべなるかなと納得ですね。最新の盤では古い録音もリマスターで随分聞きやすくなり演奏の細部まで聞こえるようになっていますし・・。
わが心の故郷、フルトヴェングラー!指揮を勉強して思いますが、フルトヴェングラーは「振ると面食らう」などと言われていますが、改めて見てみると、意外と非常にちゃんと振っているんですよね。いわゆるテクニック的にわかりやすい指揮ではありませんが、どんな音楽なのか、音楽がどこに向かうのか、テンポはどのくらいなのか、ダイナミクスはどのくらいか、ということについて彼の指揮を見ていて迷うことはないでしょう。自分の音楽のふるさとである巨匠たちはやはり定期的に聴いて自分の感性をリセットしなきゃ、と思います。
フルトヴェングラーのベートーヴェン、ブラームス、モーツァルトのドンジョバンニ、クナッパーツブッシュのワーグナー、ブルックナーは、音が古くてもクラシック音楽を愛する人に体験していただきたいです。
いやぁ〜面白かった❣️実はフルトヴェングラー聴いたことなかったのですネ〜 聴きますよ、これから❣️それにしても楽団員とのやりとりの「ぞっとするほど悪趣味だ…」は何とも言い得て妙と言うか彼の心情をよく現している様ですネ。何でも明瞭明確が良しとされますが、こと芸術に於いては説明しすぎは興醒めな思いを抱く場合もあります。映画でも「説明」が親切過ぎると受け手の想像力は減退してしまいます。彼は楽団員の力を信じ、それに託したのですね。人を信じることは中々出来ませんからそこに彼の「哲学」が存在していたのかも知れません。久々にコーヒータイムを」拝見してHappy な週末ですわ❣️お手元の「胡桃割り人形」絵本で見たものと瓜二つで、この時期、格別な思いを抱かせて戴きました♥️素敵な番組をいつもありがとうございます♪🎄
こちらこそありがとうございます😊😊ぜひお聴きください!
はじめまして。福島在住働く主婦です。福島から海外で活躍する車田さん応援してます📣前置き長くなりましたが、つい数年前まで、フルトヴェングラーは偉大過ぎて、聞かず嫌いでした。因みにベートーヴェンも偉大過ぎてどちらかと言えば聞かず嫌いでした。(バイロイトの第九)ベートーヴェンの第九がなんなんだろう?程度の認識でいました。偶然にも、バイロイトの第九を数年前に聞く機会があり衝撃と違和感を感じた次第です。それまで聞いてきた第九とは違う。聞いた時、フルトヴェングラー指揮バイロイトの第九だとも知らずに聞いていたのですが、これがバイロイトの第九だと知ってからは俄然フルトヴェングラーに興味が湧き、生い立ちから活躍した時代背景、何故バイロイトの第九が名盤と呼ばれるのか、何故第九を彼はこんなに演奏したのかと調べていたら、こちらに辿り着きました。ついでにといえば大変ベートーヴェンに失礼ですが、彼の偉大さを再確認することができました。車田さん仰っているように、彼の録音は現在技術に比べたら古いし、客席からの雑音も拾っていますが、その咳払いでさえ愛おしいを通り越し、咳をした方が羨ましいとすら思います。フルトヴェングラーと同じ場所で、歴史に残る名盤に刻まれた咳払いなのですから。活躍した時代背景を鑑みた時、トスカニーニのように海外で活躍も出来ただろうに何故彼はドイツに留まり続けたのかと賛否分かれますが、彼は愛する芸術を守りたかったのかなあと思いました。そういうところも偉大だなと。長文失礼いたしました。
コメントありがとうございます😊😊😊
厳格に縦を揃えた演奏は、フォン・トラップが子供達を笛で整列させるやり方で、敢えて縦を揃えない演奏は、子供達の内面に応じて成長させるマリアのやり方に似ている。
いつも以上に熱の入ったお話だったように感じました。お話を聞いて感じたのは日本の多くのオーケストラに時折感じていた何とも言い難い物足りなさって言うんでしょうか?その正体のひとつが不揃いの少なさなんじゃないかって感じてしまいました。日本のオケだけじゃないとおもいますが、大切にしたり、重視していることがそれぞれの楽団で違うから聴こえ方が違うのかも知れないと、今日のお話を聞いて感じました。また、生演奏の聴き方に楽しみが増えました(^^)
ありがとうございます😊😊好きな演奏家はやっぱり自然と熱が入りますね!
フルトヴェングラーの指揮した曲で一番好きなのはベートーヴェンの交響曲第5番ベルリンフィル(ライブ録音 演奏日1947年5月27日 会場ティタニア・パラスト)です。タイムスリップできるならその場にいて聴きたいと思う歴史的名演奏、歴史的名盤だと思います。音質は良くないですが、フルトヴェングラーの指揮の下オーケストラが混然一体となってフィナーレに突き進む演奏は、車田先生が話していたフルトヴェングラーの指揮の真骨頂を示す演奏だと確信しています。
フルトヴェングラーと言えば‥戦時中のマグネトフォン録音🎶そして‥ソ連が 戦利品と持ち帰った、時間と共に劣化が進むテープをレコードにしたメロディア盤🎶簡単な沼への入口です😅
沼に落ちるともう抜け出すことは難しいですね🤣
神様の足音が聴こえる。終楽章のフィナーレ狂人的な荒れ狂う終演感激此の上も無い感激言葉に尽くせない感動
私はピアノに興味があり、指揮は誰がしても同じと思っていたが、フルベンのベ━ト━ベン3.5.7.9、ブラ━ムス1.2.3 4 、チャイコフキ━4.5. シュ━ベルトをグレイトをきいて驚いた。テンポが伸び縮みして、コ━ダに向かってスピードアップするのはホントに面白い。もちろん楽団員のテクニックがあってこそだが。若きホロヴィッツに「ここ(ベルリン)では名人芸風には弾かないんだ。ブラ━ムス2なら共演する」といってホロヴィッツをカンカンに怒らせてしまった。しかしフルベン自体も受け狙いの名人芸のところがあるので、同類項反発する、共演したら見物だったかもしれない。トスカニーニは最初からホロヴィッツにベタ惚れで、他のピアニストにはあれこれ注文をつけたのにホロヴィッツには自由にやってくれといったらしい。
いつも楽しく視聴しています(^^♪1952年の第九は名盤とのことですが、Prestissimoが速すぎて一緒に歌えません。指揮を見ているわけではないのに、本当に難しい(笑)もしかしてコンバスは指が動かなくて適当に弾いているのでは?同じく1952年ではトスカニーニの版もありますが、こちらはゆっくりで歌いやすいですが、ベートーヴェンの意図はフルトヴェングラーの方に反映されているのではないかと感じます。ハイデッガーと同じく、ナチスに利用されたのはこの性格に起因しているのですね。いつも勉強になります(^^♪
フルトヴェングラーは録音も多いですからね。でも、ステレオ録音がないのは残念。
ベートーベンの交響曲のアナリーゼ(楽曲分析)とその現実化については、部分的にはともかく、全体としては、フルトヴェングラーに匹敵する指揮者はただの一人もいません。これは現在でもそうです。この点はただフルトヴェングラーだけの功績なのではなく、そのアナリーゼ(楽曲分析)が、調性音楽分析に関する偉大な音楽理論家のハインリヒ・シェンカーとの共同作業だったからです。またバレンボイムはフルトヴェングラーを「推移の達人」と呼びましたが、これは上記の「現実化」の技術の一つといえましょう。そして、そのフルトヴェングラーのアナリーゼ(楽曲分析)は本人が亡くなるまで、常に進化し続けていたのでした。
戦前のフルトヴェングラーのエロイカは絶品です。誰もウィーンフィルから、あんな響きは引きは出せない。いきなり冒頭の和音から分散和音のよう……あれこそ巨匠の至芸……実はそのタクトに合わせるのが難しく、計らずも不揃いになっただけの話ですか。それをストレートに下手くそと言う人がいますし、岩城宏之さんが関係者から聴いたところでも、フルトヴェングラー本人は、冒頭から音が揃うことを望んでいたそうです。でも、「第九」やブルックナーなどはカオスから始まりますし、カオス的なものを残らず消し去っては、あの官能的かつ神秘的な響きは導かれないのでしょうかねぇ。
ルツェルン音楽祭の第九もすばらしい!
音楽と政治をどう考えたらいいんだろう。音楽家の意思に関わりなく音楽は政治に利用されてしまう。マリー・アントワネットの歌唱教師であったバリトン歌手のフランソワ・ライは革命時代にはロベスピェールのために歌った。ロベスピェールの失脚後は牢獄生活を経験したが、ナポレオンの皇帝戴冠式にも歌った。音楽家は自分の音楽を喜んでくれるひとあるいはパトロンのために演奏する。しかしそのために翻弄さることもあるのですね。
と言われてもバイロイトの第九の最後が危うく一拍足りなくなさそうになるのはやっぱり気になっちゃいます
子供の頃はよくわからなかったから「ドンジョバンニを0.5倍速で演奏するおっさん」という印象しかなかった。大人になって彼のブラ4を聴いてこの人に対する認識がガラリと変わった。UA-camに4楽章のリハーサル映像がアップされているけど、リハーサルはおろか本番であのクオリティを出せる指揮者がいるだろうか?音質の悪さとかで食わず嫌いしている人は割とマジで人生損している。
不揃いの魅力の指摘は卓見です🙇♂️❤️👍
不揃いで迫力あるフルトベングラーで名演奏したベンリンフィルやウィーンフィルがなんで合奏は合ってるけど表面的な作り物のカラヤンを大事にしたのか不思議。だったらショルティとかミュンシュとかもっとスリリングな指揮者達がいただろうに。カラヤンで一番良いのはシュワルツコップのコウモリとベンリンフィルのラボエーム二幕。表面が滑らかで極上、精神的な深さ全く不要の曲だから。
優柔不断で疑り深くトラブルも多かったらしい、ヒムラーにも自分の要求が通らないと怒鳴りつけたとの事で後に命を狙われるはめになった。ワルターは彼に忠告出来る数少ない人だがそれでも手を焼くほどだったという
指揮法についてはジョージ・セルがちょうど正反対ですかね。
ジョージ・セルは結構気に入った録音もあるんですが、映像はあんまり見た事ありませんでしたね。今度見てみます😊
・あの「精密機械」のような指揮ぶりですね。NHKのクラシック番組で見たことがあります。私はジョージセル指揮 / ロンドン交響楽団の演奏で「ヘンデルの水上の音楽」「懐かしい木陰」にメロメロでした。
フルトヴェングラー指揮の第九四楽章を聴きました。歌いだし、どうするのかなぁと思ってましたが、やはりかなり遠慮がちに歌いだしてました。その後は、歓喜に満ちた歌声を皆さん響かせていました。・・・・フルトヴェングラーが大切にしていたものは、大自然の中にある響きなのかなぁと思いました。1/fゆらぎのある声が以前話題になりました。ゆらぎは、ブレやあそびから生まれるので、安定した音を出すことを目的にしてる楽器や声楽にはほとんどないです。音の鳴り始めが微妙にズレる様に自由にしたら、ゆらぎと同じようなことが起こると思います。慣れるまでとても大変だったと思いますが、自分のタイミングで演奏できる方が、自分らしい演奏をしやすいと思います。・バラバラに為りがちな自由な演奏も、一人が心情の流れを作ることで、1つの大きな流れを生み出せます。心情の表現のかなり高い段階で、心の奏でる歌、心の奏でる音楽と呼んでます。ここまでたどり着いた人は、ここ百年でも十人いないと思います。歌手はエディット・ピアフビリー・ホリデイ美空ひばり演奏家はセルゲイ・ラフマニノフマイルス・デイヴィスフルトヴェングラーの指揮からもそれを感じました。
フルトヴェングラーが歴代最高の指揮者の呼び声も高い、ではなくて歴代最高の指揮者なのです。近年では保管状態の良い録音が多数発掘されておりよりクリアな音質で再度聞き直すと改めてその偉大さを思い知らされます。
今年で没後70年か、あと10年生きていたらカラヤンの人生も変わっていただろう。薬の副作用なのか難聴という致命的な病にかかり、生きる気力も萎えてしまったという。
例えばこういう言い方出来ないか!革新フルトヴェングラー博士。保守カラヤンと…。
車田さん。フルトヴェングラーについて語っていただき、嬉しく思います。今や現役の音大生あたりでは、博物館レベルの巨匠らしいですが、録音がいかに古くとも、生々しい録音の数々が素晴らしい指揮者のひとりと思います。1947年のベルリン復帰のベト5やらバイロイトの第九は擦り切れるほど聴きました。素晴らしいです。生きものみたいに自在な解釈が素晴らしいですね
😊😊
戦後ラジオから流れてくる
ヴェングラーの第九を
聞いて居ました♬
you tubeのお陰で今は映像も鑑賞出来て又素晴らしい解説で
元気を戴いて居ます❣️
今回も本当に素敵なお話をありがとうございます。いや~しかしスケールが大きいですね。様々な芸術を知った上での音楽。フルトヴェングラーは知りませんでしたが、俄然興味が湧きました。指揮ぶりのお話のところでは大笑いいたしました。不揃いの美学ですね。なるほどなるほど。ごはんに呼ばれた子供たちの例がとても分かりやすかったです。
こちらこそありがとうございます😊😊
フルトヴェングラーの演奏
ベートーベン:交響曲第9番
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マーラー:さすらう若人の歌
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モーツァルト:ドン・ジョヴァンニ
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ドン・ジョヴァンニ解説
ua-cam.com/video/ez0bL1GXDBU/v-deo.html
"振ると面食らう"の意味を初めて知り、笑いが止まりませんでした🤣🤣🤣
車田さんの音楽にまつわるお話は本当に面白い!! いつも楽しみにしています。
ありがとうございます😊😊
先生が話されるとまるでタイムスリップしてフルトヴェングラーの演奏を生で聴いて帰ってきたぐらい臨場感あふれます。バイロイト版を最初聴いたとき、確かに音質の悪さにびっくりしましたが、それよりもその場の空気や聴衆や演奏者、指揮者の息まで聞こえてきそうな音源で、これはこれでいいと聴き終えて感じます。
フルトヴェングラーは大好きで、ベートーベン交響曲を通しで何度も聴いているのですが、なぜ、好きなのか?ということに関して、車田さんの解説を聞いて大きなヒントをいただけました!ありがとうございます!
フルトヴェングラーの凄いところはモノラル録音でも名演奏であることが分かるところ。
😊😊😊
これまで読聞したフルトヴェングラー音楽の解説の中では一番わかりやすく、納得できる比喩表現でした。
ありがとうございました。
エピソードが面白くて引き込まれました。指揮の打点の謎は本当に面白かったです。わざわざ曖昧にしていたにしても、それはそれでなんだかとても面白い人だったんだなぁと興味が湧きました。これから検索して聴いてみます😊
いろいろありますのでぜひお聴き下さい😊
フルトヴェングラー💐を紹介してくださり、ありがとうございます♪♪😃
フルトヴェングラーの最高傑作といわれる第九の演奏を高校時代に毎日聴いておりました。最後の合唱と演奏が渾然一体となった盛り上がり部分で、毎回鳥肌が立ちカタルシスを味わっていました。そのカタルシスを味わいたいがために毎日フルトヴェングラーの第九を聴いていたといっても過言ではありません。なので、頭の中では第九はフルトヴェングラーの演奏が唯一の演奏となってしまい、申し訳ないのですが他の名演奏も私には物足りなくなってしまったのです。大人になってからも、辛い時や沈んでいる時にフルトヴェングラーの第九を聴き直すと、生きる気力が湧いてくるのです✨
本当に、クラッシック音楽は私にとって生きる糧と言えます。
これからも配信をとても楽しみにしています。
ありがとうございます!!
フルトヴェングラー ご紹介どおり 史上最高の指揮者だと思います。いまはyoutubeに音源が無数に落ちていますから便利になりました。むかしはレコードかCDを買うまで聴かれなかった。彼の音楽にはじめてふれたのはNHKFMでの放送でしたが、これまで聴いてきたクラシック音楽の、なんとなくお行儀の良い丁寧な演奏という概念を完全に打ち砕く壮絶な演奏に強烈なめまいがしました。彼以外の指揮者も無数に聴きました。クレンペラー、スイトナー、Jフルネ、テンシュテット(1970年代以降最高はテンシュテット)、ベーム、、、みんなすばらしい。でもフルトヴェングラーだけはつくりだす音楽の次元が違う。おっしゃるような「生きた音楽」、自然現象で生み出されたような、生命力のある、音楽という一種の有機体を感じます。こんな頭のおかしなことを言うと白い目で見られかねませんが、そうとしか表現できないです。彼との共演がかなった演奏家が師匠に報告すると師匠が「いいかい?フルトヴェングラーと共演できるなら親を殺しても良いといわれるほどのことなんだよ」と。すさまじいコメントです。それくらいフルトヴェングラーは当時から絶大なカリスマ性があり、トスカニーニもやっかみ半分からかフルトヴェングラーのことを「天才的素人」と呼びました。彼のことを語りだすと止まらないのでこれで終わります。失礼しました。
先生ありがとうございます。感想はこう感じました。彼のベートーヴェンは、やはり感情が柱となり常に哲学が大変重要なポジションとなっている事を!当に、大地に根を張り巡らせるかの様な生きた芸術は人類に於いての永遠の至宝と言えるのではないかと感じました。
幼い頃 両親が子供たちのためにクラシックのレコードを何枚か買ってくれていて その中にフルトヴェングラーのベートーベンの交響曲がありました。 なので一番最初に覚えた指揮者の名前がフルトヴェングラーでした。
とても懐かしいです! 運命は少し怖かったので田園や皇帝だったか英雄を聴いてたような。とか色々思い出しました。また聴いてみようと思います。今日のお話を聴いたので興味倍増です! くるみ割り人形も横の木製のツリーもとても素敵。ろうそくの気流で回っているんでしょうか。音楽が聴こえてきそうです。
最初の出会いがフルトヴェングラーとは素敵な出会いですね😊😊😊
フルトベングラー指揮の英雄の出だしの二つのフォルテがもやっとしていて、残響が凄く、迫力あるなあと思っていました。「振ると面食らう」のため、弦楽器の出だしが不揃いになっているからではないかと思います。初めて理解しました。ベートーベンではウィーンフィルと録音した田園が一番しっくりきます。今日も有難うございました。
随分と前の学生時代、私は吹奏楽部や大学オケに所属していましたが、指揮者からは事あるごとに「縦を揃えて」と言われ続けていました。それと真逆のフルトヴェングラーが大きな感動を与えてくれるというのが面白いです。バイロイトの第九は勿論、40年代のベルリン・フィルとの第五も大好き。音質の問題はあるものの、自分の経験を元に楽器の音色やダイナミクスを想像して聴いています。私が生まれる前に亡くなられたので無理な話ではありますが、実演に接することができたら、一生ものの感動を味わえたのではないかと思っています。。
戦前の録音も素晴らしい演奏が沢山ありますね!
フルトヴェングラー!ありがとうございます。思いが強すぎてうまくいえませんが(きっとシナリオを削るのも大変でしたでしょうね!)、私の人生に登場してくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。若い感性に、フルトヴェングラーは刺さるんですよね。夢中になりました。20年たった今でも思い出します。そしてその立っているだけでオーケストラの音色を変えるカリスマ性。最近朝比奈の晩年の映像をみながら、朝比奈さんは最後の巨匠だなあ、もうこうした巨匠は今の時代いないなあ、そういう時代じゃないんだなあと思ったところでした。しかしフルトヴェングラーは今でも人気でリマスタリングを重ねてCDも発売されつづているし、本当にすごいですね!。
確かに、毎回どこを削るかが一番の課題だったりします😅!
素晴らしい解説。勉強になりました。
ありがとうございます😊😊
今回も面白い動画でした。おまけも楽しかったです。登録者10,000人まであと少しですね(^-^)v
ありがとうございます!1万人まではもうちょっとありますね😊
大変、勉強になりました。録音でフルトヴェングラーの音楽を聴くと正直、違和感があります。恐らく演奏会場で聴いたら恐ろしく感動的だったんだろうなと想像します。音楽は一回限りのものだという事を体現した指揮者なのだと思っています。
😊😊😊
わかりやすくて面白くてためになる、すばらしい動画ですね!
フルトヴェングラーのバッハ作品の録音は「マタイ受難曲」や「管弦楽組曲第3番」などがありますが、
最近の古楽器演奏とは真逆のスタイルで、レトロな味に満ちあふれてますね。
「マタイ」に至ってはメンゲルベルクと同様に何曲かカットしていますが、当時は全曲演奏する方が特殊で異常だったんでしょうね。
もともと長い曲が、当時のテンポだとさらにゆっくりになるのでカットはしょうがないですね😅
フルトヴェングラーは私にとっては『神』の如く君臨する存在です。無機質に音が揃っている演奏ほど気持ちの悪いものはありません。半世紀前から聴き続け、録音や再生技術が進んでも、フルトヴェングラーの『演奏』は(もちろんオリジナル・モノクロ録音盤)決して色あせる事なく他の演奏を凌駕しています。車田さんの解説はとても素晴らしいです。感動いたしました。
いつもありがとうございます。そうですよね、フルトベングラーはとらわれない芸術家なんですよね。フルトベングラーの戦前、戦後の録音はモノラルですが素晴らしく感動すらします。今年、バイロイト第九は新録音が出てきたり、まだまだ、新しい発見がありそうです。
フルトベングラーはヒンミデット『画家マティス』(名作です)上演について上演禁止にしようとしヒムラーとの確執があり、シュペーアの助言により(シュペーアはそう言っていますが、、、しかし、近年、フルトベングラーの秘書もシュペーアからの伝言があったと言っていますね)スイスに亡命しましたね。また、カラヤンが党員になったのに関わらずフルトベングラーは決して入党しようとしなかった。これにフルトベングラーは皮肉めいたことを言い、これもヒムラー等のナチ党員の顰蹙をかっていたみたいです。
ユダヤ人として追われた?亡命したワルターも取り上げて欲しいです。
ワルターもいいですね!次の指揮者はたぶんバーンスタインになると思います!
フルトヴェングラーは大好きです。ベートーヴェンの第9番は1937年のベルリン・フィルとのロンドン公演の方が最後のスピードがヤバかったです。1937年、1942年(2種類)、1943年の4つの演奏は戦争のおぞましさを表している加速、戦後の2つのバイロイト、ウィーン、ルツェルンなどの演奏は生きる喜びを表している加速だと思います。
他にもブラームスの第4番(1948年盤)や自作の第2番など交響曲レパートリーは外せないですね。協奏曲はブラームスのピアノ協奏曲第2番。戦中の2つの演奏が好きです。やっぱり9月下旬にスタジオ録音全集55CDや11月末にBIS盤の第9が発売されたことからも未だに愛されている指揮者ということが分かりますね。次はクナッパーツブッシュやフリッチャイの動画も見てみたいです。
フリッチャイもクナッパ―ブッシュも良いですね!順番としてはもう少しオペラを紹介してからになるとおもいます😊
見事な解説★
フルトベングラーの録音は意外と音が良いですよ。トスカニーニの時にも申しましたがホーンスピーカーと真空管で再生すると非常に良い音で鳴ります。バイロイトの9番なんかは完全なHiFiで鳴ります。トスカニーニよりはるかに録音がいいです。
仰るとうりですね。フルトヴェングラーの音楽は生きている。Dr.の音楽を聴くだけでもこの世に生まれた甲斐があるというものです。
フルトヴェングラーについては誤解している人も多いのでこのような解りやすいご解説は有り難いです。
一時期、 僕もフルトヴェングラーにハマって、アルバムを買いまくっていました。しかし、歳を取ると不思議と、フルトヴェングラーからブルーノ・ワルターに
変化しました。フルトヴェングラーは良いのですが、重厚な響きは良しとしても、テンポが速く感じるのです。
もっとゆったりと聞きたくなったんです。私は50代後半の年齢です。
ブルーノ・ワルターの指揮するレコードは、繰り返し聴いても聴き飽きませんね。私も父親に「24ビットマスタリングのCDを渡すから、アナログレコードを貰うよ」と言ってワルターのベートーヴェンとブラームス、モーツァルトを譲り受けました。
カペーSQのベートーヴェンもそうですが、実際に生で聞いてみたいです。
子供の合気道教室で、「手を下ろす、丹田に意識を向けて、肩の力を抜く、気を出す」と掲げてありました。
指揮については、それを思い出します。
フルトヴェングラーのベートーヴェンとメンゲルベルクのマタイ受難曲は私にとっては別格です。これに出会えたことは本当に幸運でした。
名解説でした😮
若い頃 ハイドンが好きでトスカニーニの94番を良く聴いていました。フルトヴェングラーのハイドンを聴いて なんと風通しの良いハイドンだと驚きました。
同じ様な事を感じたピアニストがいます。グールドです。ゴールドベルクを最初聴いた時 これはジャズだと感じました。
久方ぶりに車田さんの動画を拝見しました😊 フルトヴェングラーのお話は以前にもどこかの回で伺い、その際車田さんが傍らに置いていたディースカウ著のフルトヴェングラー本を購入し拝読しました。個性を尊重して引き出すのは、言うは安くと思われ、日本人には特に難しいだろうなあと思います。会社でも口先では個性を求めながら実態は一律的ですもの。。
徹することができたフルトヴェングラー、あらためて凄いですね🤔
😊😊😊
不揃いの美学‼️‼️知らなかった…( ; ゚Д゚)❗フルトヴェングラーさっそく聴き直してみます❕ありがとうございます❗
😊😊😊
楽しみながら、しっかり勉強させて頂きました❗いつにも増して魅力的なお話をありがとうございました。
😊😊😊
「演奏は毎回違ったものでなくてはならない」どんなジャンルの音楽に付いても言えることですね。
そして不揃いの美学…軍隊の行進のような足並みの揃った演奏…確かに悪趣味だ!目から鱗です。
私は最初にCDを買って聞いたのがカラヤンでした。素晴らしい演奏で全体の音がぴったり合ってることが最高だと思っていました。またフルトヴェングラーはもっと前の人であまり気にしていませんでしたが、今回のお話で、音がぴったり合っていること(それが正しいのはもちろんですが)ではなくて、多少ずれても演奏者の気持ちが一緒になっている状態が大事だというのをすごく思いました。私も、高校時代吹奏楽をやっていましたが、最後の大会での演奏の時、後から聴くと厳密にはズレているんですが、そこは気持ちが一点に集中していることがわかり、感動を受けます。カラヤンのように正確無比な演奏が最高と思っていましたが、これからはフルトベングラーの演奏を聴いてみたいと思います。ありがとうございました。
この動画で興味を持ち、第九を聴きました。You tubeで上がっている1951年の録音リマスター版です。ちょっとごちゃごちゃした印象があるように感じましたが、躍動感が感じられて大好きになりました。生き生きしている。第九から始まり第六、第三も気に入りました。古い録音をリマスターした技術も大したものだけど、その1951年のコンサートはさぞかしよかったと想像できます。タイムスリップをして聴いてみたい。
コメント欄にはやはり揃っていないという感想もあるけれど、いいものはいい。
😊😊😊
指揮者についても音楽についてもなんにも知りませんが、いつもわかりやすく勉強になります。ありがとうございました☆彡8月からN響に来るファビオルイージのユーチューブはすんごい「生き生きと」してて。良かったです。番組で取り上げてもらえたらと思います。
フルトヴェングラーは物理的にも「大指揮者」だったようですね。アメリカ盤のCDに「He was very tall man」と書いてありました。
今回も大変ためになりました。考えるきっかけを頂きました。ありがとうございます。不揃いの件、触覚に例えれば、ナイフのエッジを触る感覚となめし皮の表面をなぞる感覚の違いですかね。お話を伺って、アーサー・ケスラーのホロニック・システム(holonic system)を思い出しました。1つ1つの要素が全体が示す集合特性を持つという系のことです。無数の小魚の集団の動きもそうだったように思います(間違っているかもしれません)それは隣同士が僅かに影響しあう。全員の意識が1人の指揮者に向かっているのと、かなりの程度が自分自身に向かっているのとでは見えないところで大きな違いを内在している。それって、なんか、ジャズも連想されますね。録音嫌いについて。1回こっきりの演奏。一期一会。だから聴く方も必死。音楽を人生のパートナーとするなら、そういう態度もありかと。現代は、「アレクサ、ベートーベンかけて」と言って、Hammerklavierをバックグランド音楽に使っている。ま、それもいいか。まだ、考えがまとまりません。
😊😊😊
1951年7月29日・バイロイトの第九。悩ましいですね。
EMI系の切り貼り系と、バイエルン放送局の放送テープ系、どちらかを聞くべきか。
ならば、1954年のルツェルンの第九、あるいは1942年のベルリンの第九(帝国放送局のテープ)も候補でしょうか。
1952・1953年のニコライ演奏会のものも参考なるかも。
幸か不幸か最初に買ったレコードがフルトヴェングラーのベートーヴェンの第5番とシューベルトの第8番(今は7番)のカップリングでした。おかげで、ベートーヴェンはフルトヴェングラーがスタンダードとなってしまいました。(今ではそうは思っていませんが)フルトヴェングラーの演奏に比べるとカラヤンの演奏はいかにも表面的なものに聴こえてしまい、あまり好きになれなかった記憶があります。
老人の好きな指揮者とばかり思っていましたが、話を聞いてイメージ変わりました。
フルトベングラー、トスカニーニ となればブルーノ ワルターもお願いしたいです。
👍
朝比奈隊さんは、フルトベングラーに会われた時に、ブルックナーを演奏するなら、原典版、とアドバイスされたそうです。
彼の、バイロイトでの、第九の演奏を初めて聴いた時に、演奏の技術そのものは、さほど高くないのですが、聴いた後に、凄い演奏だなと、思いました。
神の創造カラヤン。人間の造物フルトヴェングラー…。両者とも実に素晴らしく、また、最高です!
フルトヴェングラーのCD、ベートーヴェンの第9はウィーン・フィル。ベルリン・フィル、バイロイト祝祭オケ盤を持っててとっかえひっかえ聴いてます。バイロイト祝祭オケ盤は歌手が超豪華ですよね。第4楽章のコーダの部分はウオーって感じで演奏してるようで、ほかの指揮者ではまず聴けないのではないか?と思います。
おっしゃる通りソリストが中々豪華です!
また、フルトヴェングラーの録音や著書「音と言葉」を読み返したくなりました。私の持っているのは新潮社(芳賀檀訳)ので、すっと入ってこない翻訳なのですが(;^_^A
フルトヴェングラーのもともとの言葉が難解だった可能性もありますね。今度見てみます😊😊
音楽と関係ないですがフルトヴェングラーってなんとなく俳優のトム・ハンクスに似ていますね。
彼を主役に起用してフルトヴェングラーの伝記映画が作れそう。
確かに骨格が似てますね!
「テイキング・サイド」という戦後の非ナチ化裁判をめぐる戯曲・それを元にした映画がありますが、これ(あまり出来のよくない映画なので)をリメイクしたらさぞかし。
メニューインやゴルドベルクの弁護、トーマス・マンとの論争なども加味して。。。
非ナチ化がらみは、ベーム、クナ。さらに、カラヤン、クラウスなどなかなか厄介かつ、前二者と後二者の「差」が。。。
本当かどうかは解りませんが、若い頃に読んだ本に書いてあったのですが、以下の問答があったそうです。
トスカニーニが記者会見の時に記者から、「あなたが世界一の指揮者であることは疑いないが、あなたを除けば、誰が世界一の指揮者なのか」と聞かれた時、トスカニーニは「その質問にはどうしても答えなくてはならないのかね?」、記者「ええ。」
トスカニーニ「フルトヴェングラー!」
生きた音楽とは、よく耳にしますがそういうことだったんですね。とても説明が具体的で例えもなんとも微笑ましいです。一人一人の意思が、同じ方向に向かって駆けてゆき、自然に発する熱いエネルギーが生み出されて、シナジー旋風なのでしょう🎶🎶✨✨
😊😊😊
動画配信ありがとうございます。クラッシック初心者です。フルトベングラーといえば戦時中空襲での緊張感のある演奏がいいとよく聞きますが、私の場合は音質からカラヤンやジュリーニに走ってしまいます・・・(ジュリーニ解説もそのうちお願い致します)。ですが他チャンネルではあまり聞けないフルトベングラーの生い立ちや政治との関係性など非常に勉強になりました(政治性などはカラヤンは真逆なんでしょうね)。
ジュリーニもいいですね!
ワルター派の私がフルトヴェングラーの凄さに目覚めたのは1952年(?)ウィーンフィルと録音したベートーヴェン第3交響曲「エロイカ」。高校1年の頃だから50年前。後頭部の髪の毛が逆立つような感じがした後背筋がゾクゾクして涙が止まらなくなりました。ワルターがナンバーワンなのは変わりませんがフルトヴェングラー、トスカニーニと3大巨匠と言われるのは正規録音全てを聞いた結果むべなるかなと納得ですね。最新の盤では古い録音もリマスターで随分聞きやすくなり演奏の細部まで聞こえるようになっていますし・・。
わが心の故郷、フルトヴェングラー!
指揮を勉強して思いますが、フルトヴェングラーは「振ると面食らう」などと言われていますが、改めて見てみると、意外と非常にちゃんと振っているんですよね。いわゆるテクニック的にわかりやすい指揮ではありませんが、どんな音楽なのか、音楽がどこに向かうのか、テンポはどのくらいなのか、ダイナミクスはどのくらいか、ということについて彼の指揮を見ていて迷うことはないでしょう。
自分の音楽のふるさとである巨匠たちはやはり定期的に聴いて自分の感性をリセットしなきゃ、と思います。
😊😊😊
フルトヴェングラーのベートーヴェン、ブラームス、モーツァルトのドンジョバンニ、クナッパーツブッシュのワーグナー、ブルックナーは、音が古くてもクラシック音楽を愛する人に体験していただきたいです。
いやぁ〜面白かった❣️実はフルトヴェングラー聴いたことなかったのですネ〜 聴きますよ、これから❣️
それにしても楽団員とのやりとりの「ぞっとするほど悪趣味だ…」は何とも言い得て妙と言うか彼の心情をよく現している様ですネ。
何でも明瞭明確が良しとされますが、こと芸術に於いては説明しすぎは興醒めな思いを抱く場合もあります。
映画でも「説明」が親切過ぎると受け手の想像力は減退してしまいます。
彼は楽団員の力を信じ、それに託したのですね。
人を信じることは中々出来ませんからそこに彼の「哲学」が存在していたのかも知れません。
久々にコーヒータイムを」拝見してHappy な週末ですわ❣️
お手元の「胡桃割り人形」絵本で見たものと瓜二つで、この時期、格別な思いを抱かせて戴きました♥️
素敵な番組をいつもありがとうございます♪🎄
こちらこそありがとうございます😊😊ぜひお聴きください!
はじめまして。
福島在住働く主婦です。
福島から海外で活躍する車田さん応援してます📣
前置き長くなりましたが、つい数年前まで、フルトヴェングラーは偉大過ぎて、聞かず嫌いでした。
因みにベートーヴェンも偉大過ぎてどちらかと言えば聞かず嫌いでした。
(バイロイトの第九)
ベートーヴェンの第九がなんなんだろう?程度の認識でいました。
偶然にも、バイロイトの第九を数年前に聞く機会があり衝撃と違和感を感じた次第です。それまで聞いてきた第九とは違う。
聞いた時、フルトヴェングラー指揮バイロイトの第九だとも知らずに聞いていたのですが、これがバイロイトの第九だと知ってからは俄然フルトヴェングラーに興味が湧き、生い立ちから活躍した時代背景、何故バイロイトの第九が名盤と呼ばれるのか、何故第九を彼はこんなに演奏したのかと調べていたら、こちらに辿り着きました。
ついでにといえば大変ベートーヴェンに失礼ですが、彼の偉大さを再確認することができました。
車田さん仰っているように、彼の録音は現在技術に比べたら古いし、客席からの雑音も拾っていますが、その咳払いでさえ愛おしいを通り越し、咳をした方が羨ましいとすら思います。
フルトヴェングラーと同じ場所で、歴史に残る名盤に刻まれた咳払いなのですから。
活躍した時代背景を鑑みた時、トスカニーニのように海外で活躍も出来ただろうに何故彼はドイツに留まり続けたのかと賛否分かれますが、彼は愛する芸術を守りたかったのかなあと思いました。
そういうところも偉大だなと。
長文失礼いたしました。
コメントありがとうございます😊😊😊
厳格に縦を揃えた演奏は、フォン・トラップが子供達を笛で整列させるやり方で、敢えて縦を揃えない演奏は、子供達の内面に応じて成長させるマリアのやり方に似ている。
いつも以上に熱の入ったお話だったように感じました。お話を聞いて感じたのは日本の多くのオーケストラに時折感じていた何とも言い難い物足りなさって言うんでしょうか?その正体のひとつが不揃いの少なさなんじゃないかって感じてしまいました。
日本のオケだけじゃないとおもいますが、大切にしたり、重視していることがそれぞれの楽団で違うから聴こえ方が違うのかも知れないと、今日のお話を聞いて感じました。また、生演奏の聴き方に楽しみが増えました(^^)
ありがとうございます😊😊好きな演奏家はやっぱり自然と熱が入りますね!
フルトヴェングラーの指揮した曲で一番好きなのはベートーヴェンの交響曲第5番ベルリンフィル(ライブ録音 演奏日1947年5月27日 会場ティタニア・パラスト)です。タイムスリップできるならその場にいて聴きたいと思う歴史的名演奏、歴史的名盤だと思います。音質は良くないですが、フルトヴェングラーの指揮の下オーケストラが混然一体となってフィナーレに突き進む演奏は、車田先生が話していたフルトヴェングラーの指揮の真骨頂を示す演奏だと確信しています。
フルトヴェングラーと言えば‥
戦時中のマグネトフォン録音🎶
そして‥ソ連が 戦利品と持ち帰った、時間と共に劣化が進むテープをレコードにしたメロディア盤🎶
簡単な沼への入口です😅
沼に落ちるともう抜け出すことは難しいですね🤣
神様の足音が聴こえる。終楽章のフィナーレ狂人的な荒れ狂う終演感激此の上も無い感激言葉に尽くせない感動
私はピアノに興味があり、指揮は誰がしても同じと思っていたが、フルベンのベ━ト━ベン3.5.7.9、ブラ━ムス1.2.3 4 、チャイコフキ━4.5. シュ━ベルトをグレイトをきいて驚いた。テンポが伸び縮みして、コ━ダに向かってスピードアップするのはホントに面白い。もちろん楽団員のテクニックがあってこそだが。若きホロヴィッツに「ここ(ベルリン)では名人芸風には弾かないんだ。ブラ━ムス2なら共演する」といってホロヴィッツをカンカンに怒らせてしまった。しかしフルベン自体も受け狙いの名人芸のところがあるので、同類項反発する、共演したら見物だったかもしれない。トスカニーニは最初からホロヴィッツにベタ惚れで、他のピアニストにはあれこれ注文をつけたのにホロヴィッツには自由にやってくれといったらしい。
いつも楽しく視聴しています(^^♪
1952年の第九は名盤とのことですが、Prestissimoが速すぎて一緒に歌えません。指揮を見ているわけではないのに、本当に難しい(笑)
もしかしてコンバスは指が動かなくて適当に弾いているのでは?同じく1952年ではトスカニーニの版もありますが、こちらはゆっくりで歌いやすいですが、ベートーヴェンの意図はフルトヴェングラーの方に反映されているのではないかと感じます。
ハイデッガーと同じく、ナチスに利用されたのはこの性格に起因しているのですね。いつも勉強になります(^^♪
フルトヴェングラーは録音も多いですからね。でも、ステレオ録音がないのは残念。
ベートーベンの交響曲のアナリーゼ(楽曲分析)とその現実化については、部分的にはともかく、全体としては、フルトヴェングラーに匹敵する指揮者はただの一人もいません。これは現在でもそうです。この点はただフルトヴェングラーだけの功績なのではなく、そのアナリーゼ(楽曲分析)が、調性音楽分析に関する偉大な音楽理論家のハインリヒ・シェンカーとの共同作業だったからです。またバレンボイムはフルトヴェングラーを「推移の達人」と呼びましたが、これは上記の「現実化」の技術の一つといえましょう。そして、そのフルトヴェングラーのアナリーゼ(楽曲分析)は本人が亡くなるまで、常に進化し続けていたのでした。
戦前のフルトヴェングラーのエロイカは絶品です。誰もウィーンフィルから、あんな響きは引きは出せない。いきなり冒頭の和音から分散和音のよう……あれこそ巨匠の至芸……実はそのタクトに合わせるのが難しく、計らずも不揃いになっただけの話ですか。それをストレートに下手くそと言う人がいますし、岩城宏之さんが関係者から聴いたところでも、フルトヴェングラー本人は、冒頭から音が揃うことを望んでいたそうです。でも、「第九」やブルックナーなどはカオスから始まりますし、カオス的なものを残らず消し去っては、あの官能的かつ神秘的な響きは導かれないのでしょうかねぇ。
ルツェルン音楽祭の第九もすばらしい!
音楽と政治をどう考えたらいいんだろう。音楽家の意思に関わりなく音楽は政治に利用されてしまう。マリー・アントワネットの歌唱教師であったバリトン歌手のフランソワ・ライは革命時代にはロベスピェールのために歌った。ロベスピェールの失脚後は牢獄生活を経験したが、ナポレオンの皇帝戴冠式にも歌った。音楽家は自分の音楽を喜んでくれるひとあるいはパトロンのために演奏する。しかしそのために翻弄さることもあるのですね。
と言われてもバイロイトの第九の最後が危うく一拍足りなくなさそうになるのはやっぱり気になっちゃいます
😊😊😊
子供の頃はよくわからなかったから「ドンジョバンニを0.5倍速で演奏するおっさん」という印象しかなかった。大人になって彼のブラ4を聴いてこの人に対する認識がガラリと変わった。UA-camに4楽章のリハーサル映像がアップされているけど、リハーサルはおろか本番であのクオリティを出せる指揮者がいるだろうか?音質の悪さとかで食わず嫌いしている人は割とマジで人生損している。
不揃いの魅力の指摘は卓見です🙇♂️❤️👍
不揃いで迫力あるフルトベングラーで名演奏したベンリンフィルやウィーンフィルがなんで合奏は合ってるけど表面的な作り物のカラヤンを大事にしたのか不思議。だったらショルティとかミュンシュとかもっとスリリングな指揮者達がいただろうに。カラヤンで一番良いのはシュワルツコップのコウモリとベンリンフィルのラボエーム二幕。表面が滑らかで極上、精神的な深さ全く不要の曲だから。
優柔不断で疑り深くトラブルも多かったらしい、ヒムラーにも自分の要求が通らないと怒鳴りつけたとの事で後に命を狙われるはめになった。ワルターは彼に忠告出来る数少ない人だがそれでも手を焼くほどだったという
指揮法についてはジョージ・セルがちょうど正反対ですかね。
ジョージ・セルは結構気に入った録音もあるんですが、映像はあんまり見た事ありませんでしたね。今度見てみます😊
・あの「精密機械」のような指揮ぶりですね。NHKのクラシック番組で見たことがあります。私はジョージセル指揮 / ロンドン交響楽団の演奏で「ヘンデルの水上の音楽」「懐かしい木陰」にメロメロでした。
フルトヴェングラー指揮の第九四楽章を聴きました。
歌いだし、どうするのかなぁと思ってましたが、やはりかなり遠慮がちに歌いだしてました。
その後は、歓喜に満ちた歌声を皆さん響かせていました。
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フルトヴェングラーが大切にしていたものは、大自然の中にある響きなのかなぁと思いました。
1/fゆらぎのある声が以前話題になりました。
ゆらぎは、ブレやあそびから生まれるので、安定した音を出すことを目的にしてる楽器や声楽にはほとんどないです。
音の鳴り始めが微妙にズレる様に自由にしたら、ゆらぎと同じようなことが起こると思います。
慣れるまでとても大変だったと思いますが、自分のタイミングで演奏できる方が、自分らしい演奏をしやすいと思います。
・
バラバラに為りがちな自由な演奏も、一人が心情の流れを作ることで、1つの大きな流れを生み出せます。
心情の表現のかなり高い段階で、心の奏でる歌、心の奏でる音楽と呼んでます。
ここまでたどり着いた人は、ここ百年でも十人いないと思います。
歌手は
エディット・ピアフ
ビリー・ホリデイ
美空ひばり
演奏家は
セルゲイ・ラフマニノフ
マイルス・デイヴィス
フルトヴェングラーの指揮からもそれを感じました。
フルトヴェングラーが歴代最高の指揮者の呼び声も高い、ではなくて
歴代最高の指揮者なのです。
近年では保管状態の良い録音が多数発掘されており
よりクリアな音質で再度聞き直すと改めてその偉大さを思い知らされます。
今年で没後70年か、あと10年生きていたらカラヤンの人生も変わっていただろう。薬の副作用なのか難聴という致命的な病にかかり、生きる気力も萎えてしまったという。
例えばこういう言い方出来ないか!
革新フルトヴェングラー博士。保守カラヤンと…。