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H2という漫画でこの試合の温品投手をモデルにした試合があったはず。それだけ衝撃の結末だったって事か。ちなみにH2の千川高校は東海大山形がモデル。
徳山の温品君は、早実の荒木大輔君の投げ方にそっくりですよね!
ぬくしな投手いいピッチャーだったな~
「勝ったと思ったピッチャーの温品、思わず高い球を投げました」が、なにげに印象的なフレーズ
一塁側スタンドで応援していました。寝不足と学校から支給された二段弁当のボリュームでフラフラになりながら声を振り絞っていました。あの瞬間はスタンドプラスチックの座席の映像しか覚えていません。気絶しそうでした。(^^;
最後、音楽いらなかったです実況で聴きたかった
この年の東海大山形は、県勢8年ぶりの勝利でこの勢いでベスト16までいきました。
3回戦の北嵯峨戦も惜しい試合でしたね
4:09 いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!
同じ県内に柳井商、宇部商、防府商などの強豪もいる中で、進学校の徳山高校が甲子園に出場するなんて思ってもいませんでした。逆転された最後の攻撃もぎりぎりまで頑張りました。勝利をめざしていた選手は口惜しかったでしょうけれども、健闘を称えたい一戦でしたよ。
偏差値70ですからね、徳山
この劇的な試合で徳山という地名を覚えました
東海大山形だって当時の3年は1年の時にPLに負けるのを見てるんだし勝ちたいって気持ちが強かったろうし何とも言えない
そこですね。翌年も春夏とも初戦敗退で、これが4度目の甲子園。ベンチだろうがスタンドにいようが、最後の夏はせめて一つは勝ちたい、という気持ちはあったはず。結果この大会2勝したのだから、PL戦の大敗も無駄にはなっていないと思う。
自分も当時テレビで見ていて高校野球って怖いなと思った試合でした。ピッチャーゴロの次の瞬間の実況アナの声と歓声が割れたのは忘れられない。
夏の初戦でやられっぱなしの山形県勢が8年振りに白星あげた試合でしたね。夏の大会初勝利でもありましたね。17年後の2004年の選抜で春夏通じて初めて山形県勢としてベスト8に進出したし、山形県勢として選抜初本塁打(報徳学園戦で2本)が飛び出ましたね。19年後には日大山形が山形県勢として初のベスト8、26年後には同じく日大山形が初のベスト4進出してますね。2005年選抜では、羽黒が山形県勢としてベスト4進出してますね。
たまたま見ていたな、この試合。温品投手が悪送球したあと、しまった…という表情したのが忘れられない
9回の裏徳山の藤本君の3塁打に感動したもしかしたら勝てるかもと思った
タイブレークの時代ではなかったので、追いつけば徳山有利になったと思います。温品投手ともう一人好投手がいたんですよね。当時は少なかった2枚看板で勝ち上がってきた。
この年宮崎代表の延岡工業の応援に行ったのを思い出す。この試合で一球の怖さを知った記憶に残る試合だった。
温品さん,肩を壊した後,短い距離だと肩がひっかかる感じがあったと言ってましたよね。予兆はありました。3回の投手ゴロのときも送球が高いですね。
1−0の試合を一人で投げ抜く難しさもあったと思う。どうしても暴投の場面が話題に挙がるが、緊迫した試合展開、走者を背負って最後のアウトを取る難しさ、野球の怖さ、様々な要素が盛り込まれた試合だと思う。
今はどうか分かりませんが、90年代の県内高校生からすると県内一の進学校だったのではなかったかな。まだ、宇部商全盛期のこの時期によく甲子園に出たよ。
いわゆるイップスだったのかも。リアルタイムで見てました。
これは懐かし!当時小学生でリアルタイムでみていました。こんなこともあるもんだと・・・
山口の初出場チームは初戦敗退多いイメージ
山形の増田投手は、温品投手の投球に衝撃を受けて、スライダーを磨いたそうです。翌年も甲子園に帰って来ましたね。
温品投手ご本人によれば、これ以前から一塁への送球は高くなる傾向があったそうです。現に3回の守備の時にも少し高くなっていましたから、それが前兆だったんでしょうか。TVで見ていた記憶がありますが、こんなことがあるのか、という感じでした。
3回のピッチャーゴロを一塁に投げた時に抜け球になったから本人も危ない予兆があったって何かで見た
高山アナは結構劇的な試合の実況されてますね。奇跡のバックホームもそうでした。
この試合、いつも負けっぱなしの山形応援してたが、まさかあんなことがあるとはな。
ピッチャーゴロ!東海大山形万事休…まで出かかった瞬間、徳山の勝利が掴みそこねたウナギの如くスルッと抜けていったわけですね。
もう26年も前なんですね。私が小学校6年生で,はっきりと覚えています。ちょうど少年野球の合宿中の試合でした。野球は怖いなあ,と思いました。徳山高校にもう一度甲子園に出てもらいたいです。
Geekoma 今年は無理そうです
「甲子園は魔物!」と植草アナ。記憶に残る試合の一つです。しかし当人にとってもチームにとっても相当きつい試合だったろう。でも、しゃあない。しゃあないよ。
植草アナウンサーほんと名実況しかしないですよね
98年の熱闘甲子園も山口宇部商業も勝てた試合を落とした感じ
この歌、誰でしたっけ?声に聞き覚えがあるのですが…
安藤秀樹/百万の言葉
@@JUSTLIKEARAIN 懐かしい!安藤秀樹さんだ!
投ゴロ悪送球は以後は智弁和歌山の滝谷の時に見ました。UA-camでは同僚だった上野氏が語ってますね。
徳山の最後のタッチアップが悔やまれますね。。さすがに浅すぎたか。
この温品投手が山口県代表で津田投手に次ぐ投手だと思います
賢い高校なのにすごいよな~
ズボン👖裸でお風呂上がりました。
徳山も物の🩲🩱👙🩳🚃見事な自滅にで🏊️もでした。◎🚏🚌🛀byタモリンガ-ルス
万事休す😱
打球音えげつねーなww
握手しろよ!
そういう時代です
同点の直後のセンター前ヒット、まだ得点されていない時点でガックリとうなだれる温品に精神的な弱さを感じる。
それはそうなんですけど,仕方ないですよね。温品投手はもちろん責められません。9回2死まで0点で抑えられたのも温品投手のおかげですからね。30年以上経っても語り継がれるようなシーンなのですから。
お前それ色んな動画で言ってるけど楽しいの?
@@りあっぷ 楽しくはないです。
@@りあっぷよっ!本人登場。
H2という漫画でこの試合の温品投手をモデルにした試合があったはず。それだけ衝撃の結末だったって事か。
ちなみにH2の千川高校は東海大山形がモデル。
徳山の温品君は、早実の荒木大輔君の投げ方にそっくりですよね!
ぬくしな投手いいピッチャーだったな~
「勝ったと思ったピッチャーの温品、思わず高い球を投げました」が、なにげに印象的なフレーズ
一塁側スタンドで応援していました。寝不足と学校から支給された二段弁当のボリュームでフラフラになりながら声を振り絞っていました。あの瞬間はスタンドプラスチックの座席の映像しか覚えていません。気絶しそうでした。(^^;
最後、音楽いらなかったです
実況で聴きたかった
この年の東海大山形は、県勢8年ぶりの勝利でこの勢いでベスト16までいきました。
3回戦の北嵯峨戦も惜しい試合でしたね
4:09 いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!
同じ県内に柳井商、宇部商、防府商などの強豪もいる中で、進学校の徳山高校が甲子園に出場するなんて思ってもいませんでした。逆転された最後の攻撃もぎりぎりまで頑張りました。
勝利をめざしていた選手は口惜しかったでしょうけれども、健闘を称えたい一戦でしたよ。
偏差値70ですからね、徳山
この劇的な試合で徳山という地名を覚えました
東海大山形だって当時の3年は1年の時にPLに負けるのを見てるんだし勝ちたいって気持ちが強かったろうし何とも言えない
そこですね。翌年も春夏とも初戦敗退で、これが4度目の甲子園。ベンチだろうがスタンドにいようが、最後の夏はせめて一つは勝ちたい、という気持ちはあったはず。結果この大会2勝したのだから、PL戦の大敗も無駄にはなっていないと思う。
自分も当時テレビで見ていて高校野球って怖いなと思った試合でした。
ピッチャーゴロの次の瞬間の実況アナの声と歓声が割れたのは忘れられない。
夏の初戦でやられっぱなしの山形県勢が8年振りに白星あげた試合でしたね。夏の大会初勝利でもありましたね。17年後の2004年の選抜で春夏通じて初めて山形県勢としてベスト8に進出したし、山形県勢として選抜初本塁打(報徳学園戦で2本)が飛び出ましたね。19年後には日大山形が山形県勢として初のベスト8、26年後には同じく日大山形が初のベスト4進出してますね。2005年選抜では、羽黒が山形県勢としてベスト4進出してますね。
たまたま見ていたな、この試合。温品投手が悪送球したあと、しまった…という表情したのが忘れられない
9回の裏徳山の藤本君の3塁打に感動した
もしかしたら勝てるかもと思った
タイブレークの時代ではなかったので、追いつけば徳山有利になったと思います。温品投手ともう一人好投手がいたんですよね。当時は少なかった2枚看板で勝ち上がってきた。
この年宮崎代表の延岡工業の応援に行ったのを思い出す。
この試合で一球の怖さを知った記憶に残る試合だった。
温品さん,肩を壊した後,短い距離だと肩がひっかかる感じがあったと言ってましたよね。予兆はありました。3回の投手ゴロのときも送球が高いですね。
1−0の試合を一人で投げ抜く難しさもあったと思う。どうしても暴投の場面が話題に挙がるが、緊迫した試合展開、走者を背負って最後のアウトを取る難しさ、野球の怖さ、様々な要素が盛り込まれた試合だと思う。
今はどうか分かりませんが、90年代の県内高校生からすると県内一の進学校だったのではなかったかな。まだ、宇部商全盛期のこの時期によく甲子園に出たよ。
いわゆるイップスだったのかも。リアルタイムで見てました。
これは懐かし!
当時小学生でリアルタイムでみていました。
こんなこともあるもんだと・・・
山口の初出場チームは初戦敗退多いイメージ
山形の増田投手は、温品投手の投球に衝撃を受けて、スライダーを磨いたそうです。
翌年も甲子園に帰って来ましたね。
温品投手ご本人によれば、これ以前から一塁への送球は高くなる傾向があったそうです。現に3回の守備の時にも少し高くなっていましたから、それが前兆だったんでしょうか。
TVで見ていた記憶がありますが、こんなことがあるのか、という感じでした。
3回のピッチャーゴロを一塁に投げた時に抜け球になったから本人も危ない予兆があったって何かで見た
高山アナは結構劇的な試合の実況されてますね。奇跡のバックホームもそうでした。
この試合、いつも負けっぱなしの山形応援してたが、まさかあんなことがあるとはな。
ピッチャーゴロ!東海大山形万事休…まで出かかった瞬間、徳山の勝利が掴みそこねたウナギの如くスルッと抜けていったわけですね。
もう26年も前なんですね。私が小学校6年生で,はっきりと覚えています。
ちょうど少年野球の合宿中の試合でした。野球は怖いなあ,と思いました。
徳山高校にもう一度甲子園に出てもらいたいです。
Geekoma 今年は無理そうです
「甲子園は魔物!」と植草アナ。記憶に残る試合の一つです。しかし当人にとってもチームにとっても相当きつい試合だったろう。でも、しゃあない。しゃあないよ。
植草アナウンサーほんと名実況しかしないですよね
98年の熱闘甲子園も山口宇部商業も勝てた試合を落とした感じ
この歌、誰でしたっけ?声に聞き覚えがあるのですが…
安藤秀樹/百万の言葉
@@JUSTLIKEARAIN 懐かしい!安藤秀樹さんだ!
投ゴロ悪送球は以後は智弁和歌山の滝谷の時に見ました。
UA-camでは同僚だった上野氏が語ってますね。
徳山の最後のタッチアップが悔やまれますね。。さすがに浅すぎたか。
この温品投手が山口県代表で津田投手に次ぐ投手だと思います
賢い高校なのにすごいよな~
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そういう時代です
同点の直後のセンター前ヒット、まだ得点されていない時点でガックリとうなだれる温品に精神的な弱さを感じる。
それはそうなんですけど,仕方ないですよね。温品投手はもちろん責められません。9回2死まで0点で抑えられたのも温品投手のおかげですからね。30年以上経っても語り継がれるようなシーンなのですから。
お前それ色んな動画で言ってるけど楽しいの?
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