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永遠に語り継がれる公立高校の名門です。尾藤監督の試合中の笑顔は印象に残っています。現役の野球部員の皆様、誇りを持って甲子園を目指して下さい!
島本講平さんの大ファンでした。ファンレターを送ったら御丁寧に返事をいただきました。嬉しかったです。当時は宝物でした。懐かしい思い出です。
当時の大スター選手からのお返事。それは家宝にしたいくらいの嬉しさがあったでしょうね・
テレ朝、島本アナの親父さんですね。
箕島の校歌は、今聴いても心が震えるし、今でも空で歌える
それだけファンを魅了したチームだったのでしょうね。
校歌にある凛烈の意気というフレーズは箕島のスポーツ系クラブでチームTシャツにプリントされていていて昔を知る者には刺さります
@@rubyyukai さんへ「冬吹きやまぬ西の風!……」出だしから大好きです!「凛烈の意気~」の締めも最高ですねw
@@石元正志-g7nさん インパクト与える校歌は必ずピーンと響くフレーズが有りますよね。横浜だと「東洋一の商港横浜ぁ~」、PLだと有名過ぎる位の「永遠の学園」、東洋大姫路なら「清く輝ゃ~く」とか。
@@山田市之助-q8l さんへ「書写を仰げば燃え立つ緑~夢は広がる播磨の海よ~」東洋大姫路の壮大な校歌も甲子園ではかなりご無沙汰で寂しい限りですね。「…青雲映えて清く輝く!」…校歌の直後に甲子園が大歓声に包まれた、40年以上前の夏の大会決勝戦で初めて生まれたサヨナラホームラン優勝の時の校歌が、個人的には一番誇らしく聴こえましたね。
1977〜数年間の強い時の試合は多分全試合リアルタイムで観たと思う。やはり尾藤監督の笑顔が凄い印象的。
尾藤スマイル全盛期ですね😁
母校です。取り上げて頂きありがとうございました😊。今は、確かに力はないですが、全国からの箕島高校ファンに答えられるよう応援よろしくお願い致します😃⚾️。僕の近所に上野山善久主将が住んでいます。僕も60歳で上野山善久さんは地元のために、62歳で活躍されています。
ありがとうございます!私も個人的に箕島地域の皆さんにお世話になった事があるので、陰ながら復活祈念しております。
尾藤監督あのスマイル大好きでした箕島の野球は最後の最後で試合をひっくり返すのが魅力でした校歌の 厳しい冬に耐えてきた~全く箕島とは縁もゆかりもない私ですが今でも時々口ずさみます
箕島の終盤の粘りは驚異的でしたよね。
尾藤さんがベンチの端の方にどっかと座られてあのスマイルでバッターに向けていつも両手で四角を描くんですよね。ストライクボールを打ちなさいと言う指示です。録画してある当時の箕島の甲子園の戦いを見直すと懐かしいです。
箕島春夏連覇当時の新聞や雑誌の切り抜き、特集本は大切な宝物です😊北野選手のサイクルヒットが選抜唯一って事は今知りました!
素敵な宝物をお持ちなんですね☺️北野選手が三塁でアウトになっていなければ、選抜でのサイクルヒットは未だゼロという事になりますね。
星陵、箕島戦を見て、尾藤野球のファンになりました!また甲子園で箕島野球をみたいです!がんばれ箕島!箕島の校歌も大好きです‼️
星稜戦は、歴史に残る名勝負でしたからね。箕島高校は近年甲子園から遠ざかっていますが、久しぶりの復活、見てみたいですね!
箕島は強いだけでなく、諦めない精神が凄かった。当時の横浜高校・渡辺監督が「和歌山県の高校は可哀想だ。予選で箕島高校に勝たなければ甲子園に出られないなんて。甲子園で戦っても恐ろしい相手なのに。」と言わしめるほどだった。
渡辺監督のその言葉に、当時の箕島が如何に強かったのかが凝縮されていますね。
昭和61年夏の県大会決勝、箕島-桐蔭戦、救援の原井投手が打たれて尾藤監督父子鷹甲子園出場は成らなかったのですが、共に最後まで諦めない9回の攻防はすごかったです。
@@倒秀才写楽星 さん あのときは尾藤投手より原井投手がリリーフエースという感じでよく抑えました。それで敗戦後の監督インタビューで「原井選手が『監督を甲子園に連れて行きたかった』と言ってましたよ」と伝えられると尾藤監督が号泣して「あいつはいいヤツですよ!」と叫んでました!
@@マサシライアン さんあの試合は桐蔭を応援していたのですが、そこまでの原井選手の好リリーフぶりを見ていたので、あそこで継投されたらもうあかん…という感じで見ていました。その後まさかの展開に…その桐蔭にしても、それ以降、甲子園に出られたのは選抜21世紀枠のみですね。
@@倒秀才写楽星 さん 昨年は久しぶりに決勝迄行きましたね。準決勝でうちの母校がコールドで負けました!
甲子園で公立が春夏連覇凄すぎます...私は箕島が強かった時代にはまだ生まれていないのですが、箕島などを含めたいわゆる『古豪』に甲子園復活してほしいな、とちょっと思っています。
公立高校唯一の春夏連覇ですからね。本当に大偉業だと思います。個人的に、私も古豪と呼ばれる高校を応援しております。
しかし春夏連覇 よりも難しい夏春連覇は多くの公立高校が達成している。こちらの方が偉業です。
@@ドタマジン太難しい云々はあなたの主観
@@ufo3315 あなたの主観だという決めつけもあなたの主観です。客観的な事実を理解できない人があなたのようなコメントを書き込むのです。メンバーが入れ替わる 夏春連覇の方が難しいと考えるのが 客観的な当たり前の考え方ですよ。これを否定するあなたに 客観性はありません
箕島といえば尾藤さん、星稜との延長18回の神った試合はいまでも忘れない。自分の中では甲子園での最高の名勝負。公立高校で春夏連覇の偉業に価値がある。尾藤さんに教わった生徒は幸せだったと思う。人間的に尊敬する人だった。
星稜との試合は、高校野球史上最高の試合という声が多いですよね。
横浜ーPLが第4試合だったら箕島ー星稜以上だったと思う。
@@トロフィー折れた-r3d 人それぞれに受け止めはあると思うが、第4試合ならそれ以上と言うのは説得力に欠けますよ~
単純に比較は出来ないが、松坂は太陽の光が照り付けるところで延長17回を一人で投げ続けた訳で。
甲子園の魔物をこれだけ味方に付けた?高校も珍しいですよね。自他共に敗戦を覚悟した試合を、普通の高校生集団チームの選手たちが、敗戦まであと一人の絶対絶命の場面から、ここ一番の精神力と底力から甦り、劇的な逆転でサヨナラ勝ちで決めて、最後は4-3で勝利する箕島甲子園劇場。箕島の原点の全員野球に、何度も勇気と感動をもらいました。また甲子園にこんなドラマチックなチームが出てくるのが待ち遠しい。
当時の箕島は、世代が変わっても粘り強いは健在でしたよね。本当に甲子園の魔物(女神?)に愛されたチームだったと思います。
1979年選手権3回戦対 星稜戦1982年センバツ2回戦対 明徳1983年選手権 1回戦対 吉田この3試合 信じられないようなストーリー。感動をありがとう。箕島高校甲子園帰還を願う。
挙げていただきいた3試合は、本当に漫画のような展開でしたね。公立高校であれだけのドラマを作れるチームが今後出てくるでしょうか!?私も箕島の甲子園復活を期待している一人です。
@@highschool-baseball-history箕島の後に宇部商がすでに登場したはずですけど
後昭和54年準々決勝2回目のPL学園戦、箕島が、もうだめかと、思ったが、箕島があそこまで、泥臭く確か9回裏にヘッドスライディングで、地獄から這い上がり、何とか延長戦に持ち込み、最期は、3本ホームラン打っている、今まで一回も、投げていない、阿部慶二を、いきなり、鶴岡監督が変えて、サヨナラ、暴投で幕を閉じ、夏春連覇が終わった、あの頃から、高校野球を、見出して、箕島は、一発勝負のトーナメント戦では、石井毅は、福井商業にしか、まけずに、複数年で、出場したピッチャーでは、桑田より、勝率が高いのではないかな(戦後)わしは、この3試合が、高校野球の神様が、高校野球ファンにくれた、プレゼントたい。ちゃんあーちゃんさんPLVS箕島2回めの試合だして、貰えませんか、1回目は何度も、みました。八代一中、菊陽中など、出身中学まで、出て懐かしかった、福井商業VS箕島も、よくみました。これは、小学生の時、唯一見れなかったんですよ。ちゃんあーちゃんさんもう一つお願いです、昭和49年だと、思いますが、一回戦西の横綱PL学園VS調子商業、土屋が、ピッチャーで、私の再従兄弟がPL学園のエースでしたが、3日前に肩を壊し、8、9から甲子園で、二番手で、父から何回も、聞かされました、私は、その、二、三年以降甲子園を見始めましたので、あったら、お願いします。
母校、箕島高校の野球⚾️部を取り上げて頂き、ありがとうございます。非常に嬉しいです😆また、甲子園へ出場出来る様に、頑張って欲しいです😊
こちらこそご視聴いただき、ありがとうございました!今後ともよろしくお願いします😌
尾藤さんの野球は高校にとって非常にインパクトのあるものになったと思います。
尾藤さんの野球は、高校野球にひとつの新たな形を作っのかなと思います。
投稿乙です面白かったです。箕島も見なくなったな。。箕島がよく出てたのはまだ生まれたばかりでしたがw09の春に箕島見れたのはいい思い出
ありがとうございます!箕島はじめ、かつて強かった公立校が甲子園から遠ざかっている例は、少なくありませんよね。ちょっと寂しいです…
公立唯一の春夏連覇した箕島。野球をやるなら箕島!そんな気にさせてくれるチームでしたよね
おっしゃる通りそんなチームですよね。
公立高校の春夏連覇は徳島の池田高校も達成してますよw
@@sakurasaita5021 池田高校は夏春連覇だよ畠山3年夏と水野3年春、自分も一瞬同じこと思ったけど、春夏連覇じゃなかった
@@いるか好き まあでも県立=公立で連覇w
@@sakurasaita5021 そうよね〜やまびこ打線は見てて楽しかった
尾藤監督のストーリーは知らなかったので面白く拝聴しました。1979年の星陵戦は、ほんとに「うそっ!」と言いたくなるような奇跡の連続でした。
コメントありがとうございます!星稜戦は、漫画でも描けないような展開の連続でしたね。
当時高一で翌日から高校の剣道部の地獄の夏合宿でナーバスな気分になっていた。しかし家族と高校野球を見てると箕島と星稜がとんでもない試合をやっていた。そして同じ高校生がこんなに凄い試合をしている、自分も合宿を頑張るぞ勇気を貰ったことは一生忘れない。
コメントありがとうございます。青春を感じる素敵なエピソードですね😌
この試合をテレビにかじりついて見ていました。途中から照明が点灯して、当時は珍しいナイターになったこともよく覚えています。箕島のピッチャーは、今ではほとんど見られなくなったサブマリン。球速があるわけではないけど、制球が抜群で粘り強かった。高校野球を見て震えたのは、これが最初で最後です。
箕島の石井投手は制球力の高さと、浮き上がるようなストレートが良かったですね。サブマリンは希少になりましたが、個人的には大好きな投球フォームです。
春の選抜決勝戦、箕島高校対浪商高校戦をバックネット席で観戦しました。あの大観衆は見た事の無い風景で、40年以上経った今でもあの歓声が思い出される素晴らしい試合でした。夏の星稜高校戦もテレビで全てリアル観戦して今までの甲子園大会史上最高の試合だったと思います。
当時、バックネット裏で観戦されていたという事で、非常に羨ましい限りです☺️現地観戦の熱気は、一生物の思い出になりますよね。
大体大浪商、また復活して欲しいですね❗
石井、牛島の両エースが連投の疲れなく本調子なら、双方の強力打線を持ってしても、ロースコアの投手戦になったはずですが、この「ルーズベルトゲーム」も滅多にない、ガチンコの打撃戦で素晴らしい。
@@highschool-baseball-history この浪商、箕島の決勝戦で箕島の北野選手が、センバツ大会初のサイクル安打を達成しましたが、あと2塁打が出れば、記録達成に迫った最終打席で長打を放ち、2塁を回って三塁まで走り、間に合わず三塁でアウトになってのサイクル安打成立に、「サイクル安打の事は知らなかったのか?」の質問された本人曰く「知ってたけど、勝利の為に一つでも多くの塁を狙ってたから…」と答えたコメントが胸を射ちましたねw
@@highschool-baseball-history この両校、この年の夏にも出場して、浪商が、あと一つ勝てば、決勝戦で再戦してましたが、池田に敗れて叶わず…浪商のリベンジを楽しみにしてた高校野球ファンは残念でしたね。
面白い動画だったので色んな動画にコメントしました
ありがとうございます!めちゃくちゃ嬉しいです😂
いろんな名勝負があるが、自分の中では、星稜との試合はいまだにダントツ1位だ。
球史に残る名勝負すよね。
あの試合と肩を並べられるのは、松山商vs熊本工戦の奇跡のバックホームのシーンと、智弁和歌山vs岡山理大附属戦の、理大附属の逆転サヨナラ勝ちシーンだと思いました。個人的ですがw
@@石元正志-g7n さん松山商業-熊本工業の奇跡のバックホームは、何度見ても鳥肌が立ちます。
公立高校の春夏連覇は徳島県立池田高校も達成してますよw蓑島が唯一ではないですw
@@sakurasaita5021 さん池田高校が達成したのはチームが秋を越えて代替わりする、「夏春連覇」です。ある意味そちらの方が選手が入れ替わる分、難しい偉業かもしれません。
尾藤監督率いる箕島高校は強かったですね!勝負強さと春夏連覇の時の星稜高校戦は球史に残る名勝負です。また甲子園で見たい学校です。
本当に勝負強いチームでした。近年苦戦が続きますが、是非復活して欲しいです!
野球少年だった僕は、石井投手の真似できます‼️TVが主でしたが、朝6時から甲子園並んで、強い箕島 直に見た。懐かしいなぁ。
コメントありがとうございます。直に見られたのは、素晴らしい思い出ですね☺️石井投手のフォーム、躍動感があって格好良かったです。
硯の吉田高校戦のスクイズ失敗の後のホームランもすごかった
吉田戦も、箕島のミラクルぶりを象徴する試合のひとつでしたね。
硯選手の2打席連続ホームランですね♪
外角低めのボール球。
膝を折るようなスイングから放ったライナーがバックスクリーンへ飛び込んだ。
何でだろう。涙が止まらない(泣)
こちらこそ、このような嬉しいコメントをいただき、涙が止まりません😭ありがとうございます!
後にも先にも公立高校で春夏連覇なんて偉業を達成できる高校は、箕島高校だけでしょうね。
高校野球の歴史上唯一無二の記録として、燦然と輝き続けるのではないかと思っています😌
また、復活して欲しいですね❗東尾さんは、箕島高校で正解でした。 もし、東尾さんがいなかったら、箕島高校の甲子園の歴史もなかったかも知れませんでしたね❗
おっしゃる通り、東尾さんの入学が箕島高校の運命を変えましたよね。
吉井理人さんも箕島ですよねw 冬はミカンの収穫のバイトで筋力が鍛えられその明けて春からスピードが上がってとかw
尾藤さんと箕島高校は懐かしい。尾藤さんが監督を辞めていた事は知りませんでした。因みに私の母校は箕島に負けました。その大会は箕島優勝。箕島はいろいろなエピソードがあり、箕島に勝ったチームは優勝していますね。箕島に勝って甲子園に出た智弁和歌山も。高校野球ファンとして、蔦監督の池田高校と並び思い出深いです。また箕島高校の甲子園での活躍が見たいですね。
箕島、池田両校は、高校野球の歴史に於いて外せないチームですよね。今をときめく智辯和歌山も、元々は打倒箕島からチーム作りがスタートしましたから。
今の和歌山は圧倒的に智弁和歌山ですが昭和の時代は箕島高校でしたね。それに智弁和歌山の高嶋元監督も尾藤監督の事を尊敬してましたね。
箕島高校は和歌山県のみならず、全国の高校野球部の指導者に何らかの影響を与えたのではないかと思います。
高嶋監督が就任した際、蔦監督から尾藤を倒せと発破をかけられましたね。当時箕島なんてはるか雲の上やったのに。
監督として上なのは当たり前、選手も推薦で集められる私学ではなく公立それでも勉強して尾藤監督とやりたいと思わせるだけの人だったということ勉強嫌いだし推薦で行ける智辯にしよって、野球しかしてない子はでも思うよな
箕島の野球を尾藤さんから学びたくて、遠方からも泊りがけで有田まで来られていた監督は数多くおられます。高嶋さんは毎年、定期戦として試合して貰ったことを今も感謝されています。試合後に尾藤さんとうな丼食べながら野球談議した事が後の財産になったと言われています。尾藤さんが亡くなられた時に棺を持たれているのはお世話になった監督さんが全国から参列されて感謝の念を表されましたね。
高嶋さんは当時の箕島をみて守備を大事にしたぐらいだからな
1979年の春夏連覇の箕島高校は、すごかった。私は、中学2年だったが、星稜戦の18回は、テレビから離れられなかった。約、4時間の接戦。島田君のホームラン予告エピソードは、有名。上野山主将は、熱を出してグラウンドに立っていたのは、後から知った。森川くんが一塁のファルフライで、もうダメだと思いながら、落胆して、その後のホームランで、鳥肌が立ち、これはいけると確信してのを覚えている。優勝して、和歌山が地元なので優勝パレードを見にいった。凄い人だった。今は、箕島高校は、甲子園から、遠ざかっている。でも、和歌山人にとって箕島高校は、誇りだ!
和歌山県は古くは和歌山中学や海草中学、そして箕島高校から智辯和歌山と、いつの時代も高校野球界に歴史を刻む学校が現れますよね。素晴らしいです😁
石井毅投手は2018年の選手権でのレジェンド始球式に登場しましたね。2日目の第1試合で、球審を務めたのがあの1979年の星稜のエースだった堅田投手。素晴らしい始球式でしたね。
堅田投手はサヨナラ負けの後、球審の永野さんから試合球をそっと差し出されたそうですね。永野さんの振る舞いに感銘を受け、自身も審判になられたようです。
@@highschool-baseball-history さんありがとうございます。あの年のレジェンド始球式ではあの松井秀喜さんが母校の星稜の試合で登場したのも話題になりましなね。
箕島🆚星稜は、高校野球史の中で史上最高のゲームですね❗ 箕島高校は、いろいろなOBがいますね。
石井と堅田のツーショットは素晴らしかった。泣ける…
高野連の粋なはからい
箕島はPLキラーみたいな存在だったらしいです。強いPLを倒す箕島。それだけでなくドカベン浪商も倒した。箕島はPLキラーというより、大阪キラー的な存在。箕島高校はかなり強いイメージがあります。でも榎田さん時代にPLに敗れたみたいですね。
PL学園が台頭しはじめた頃、箕島が急速に台頭し、全国屈指の強豪になりましたよね。今思えば、地方の公立校が大阪の私学にここまで強かったのは、凄いことですよね。
高校野球ファンとして自慢は箕島星稜延長18回を甲子園で見ていたことです!!!2度目の同点ホームラン出た時は、内野3塁側にいたがYシャツ姿のサラリーマンが うそだろ!うそだろ!と嘆きながらしゃがみ込んでいたのを覚えています第4試合での18回なので家に着いたのって22時前だったかなぁ浪商とのセンバツ決勝もアルプスで見てたがいい思い出です
それは自慢出来ますね!羨ましい😂サラリーマンの描写がリアルですね。
箕島が活躍した時代はまだ産まれてないけど長い高校野球ファンがよくPL学園や池田に並んで箕島を挙げるから凄い学校ってのは伝わった
昭和後期の高校野球ファンの方からは、その三校の名前は必ず挙がりますよね。
@@highschool-baseball-history それほど活躍が著しくて心に残る試合や学校でもあるってことですね特に池田は監督に選手も根強い人気ですからね
常総も入れてくれ❗☺
池田も入れたって。
銚子商、報徳、静岡商も入れてください
箕島の試合がある日はテレビにかじりついて応援してた。しかし、日直 勘佐、硯ってマニアックですね。2人とも私にはヒーロだった。
箕島は本当に存在感のあるチームで、人気も絶大でしたね。1983年の世代は、日直の二人の活躍が印象に残っています。
1979年の夏の大会決勝 池田戦での逆転スクイズが鮮明に覚えてます。
アクバチックなスクイズでしたね。
公立で春夏連覇
2013年の初日第3試合の日川戦の時に開会式のゲストだった松井秀喜がどうしても箕島の試合が見たいと行って第3試合まで残って観戦したんですよね。箕島に勝って欲しかったと試合後にコメントしていました。
あの松井さんにそこまで言わすとは。箕島高校のネームバリューを感じるエピソードですね。ご教示いただき、ありがとうございます😊
@@highschool-baseball-history 松井は星稜対箕島は星稜にとっても誇りの試合だと言ってますね
すごい、ありがとう
松井さんが高校に入って初めてのホームランは、確か箕島との練習試合ですね。春休みは毎年和歌山に来ていました。
星稜の山下監督は箕島の尾藤監督に弟子入りした関係でよく練習試合をしてたんだと思います。
和歌山=箕島、奈良=天理、京都=平安、滋賀=比叡山、兵庫=報徳、大阪=PL何となく、私がガキの頃は、毎年、上記の高校が甲子園に出ていたイメージが強いw
コメントありがとうございます!当時の近畿の勢力図そのまんまですね😆
今だに常連は天理と龍谷大平安とたまに報徳やな。
1979年夏の対星稜戦は伝説の名勝負。余談ですけどカレーのあばずれネーサンは当時の在学生で、嶋田宗彦氏とは幼稚園から高校まで同じだったらしいです。
ネーサンとは、現在収監されている方ですね!?島田宗彦捕手とそこまで一緒だったとは知りませんでした。
箕島対星陵は今でも伝説の試合だね。
ですよね!
100回大会の開会式、松井秀喜さんが、開幕試合始球式を務める事でそこに関心が集中し過ぎた中で、大会会長が挨拶の中で「栄冠は君に輝く」の作詞者加賀大輔さんと松井秀喜さんが同じ出身地である事に触れた時、松井秀喜さん一人に注目が集まらない様に、甲子園の高校野球で長らく審判を務め、審判員の中にいる、延長18回の死闘の演者の一人であった星稜エース堅田さんを見逃さずに捉えたNHKのカメラマンはアッパれでした。
@@山田市之助-q8l さん素晴らしいカメラワークですね😊
確かこの試合のTV中継がNHK教育テレビ史上最高視聴率を記録して、今もこの記録は破られてい無い筈。
@@まじんはひまじん-n1y 日曜日の夕方だったんですよ。友だちと「終わったら飯食いに行こう」と言いながらーーーー「さぁ行くぞ」と何度か支度してーーーー。「球史に残る」と言うけど(テレビですが)リアルタイムで見ていた事が忘れられない。
コメント500越えはホントにスゴイ!箕島高校野球部の人気は永遠に不滅ですね😂🎉
皆様のおかげで、いつも温かいコメントを多数いただき、本当に感謝しかありません!いつもありがとうございます😁
僕の地元の福井商(福井)が1978年の選抜で準優勝するんですが、準決勝で対戦したのが箕島。福井商の板倉投手が13安打を打たれながら、なんと78球で完投勝ち。最少投球の大会記録が72球で、あわや記録更新かと話題になりました。早打ちと、ランナーを出した後のダブルプレーが多かったのが要因ですね。勿論、動画での説明の通りPL学園戦で全精力を使い果たしたのもありますが。
板倉投手の巧投が光りましたね。雪国のチームらしく、福井商業は粘り強いチームですよね。
動画にもあるように、智辯和歌山が創立したとき、和歌山は箕島全盛時代。創立3年目に智辯和歌山中学に入学した私も、紀三井寺球場でトランペット吹いて応援はするものの『また箕島に負けた』と何度も箕島相手に辛酸を舐めさせられました。智辯和歌山は、野球部だけでなく応援団、チア、ブラバンはみんな『打倒・箕島』の思いは強かったと思います。なので、智辯和歌山が今ほど強くなったのは箕島高校があったから。もし箕島という絶対的王者がいなかったら、ここまでも強い学校になっていたかどうか、と思います。
紀三井寺でトランペットを吹かれていたんですね!今は立場が逆転しましたが、智辯和歌山が強くなる過程に於いて、箕島の存在は無くてはならないものだったでしょうね。
高知の明徳義塾も高知、高知商に辛酸をなめされ続けられながら。審判からも私学はことごとく不公平な判定に泣かされることのないような攻撃的野球になったとか。
箕島は私の高校野球ファン人生の中で一番応援していたチームですが、基本的に春センバツでの活躍が印象深く残っています。でもメディアは夏の星稜戦ばかり採りあげているので、チョット寂しい感じですね。
成績を振り返ると、圧倒的に春の選抜での実績が抜きん出ていますよね。星稜戦があそこまでの試合にならなければ、「サクラの広陵」みたく、春に強いチームというイメージが定着していたかもしれませんね。
全く私も同じことを思います。箕島といえば春のイメージ。リアルで観た3度のPL戦。浪商戦。明徳戦。全てが忘れ難い試合です。
愛甲猛の談話の際、やくざのイラストを映しているところが最高。
細かいところまでご覧いただき、ありがとうございます😁
要は東尾のおかげ…東尾が無名の県立に行ったおかげで歴史が始まった😌
東尾さんの入学が箕島の運命を変えたのは間違いないでしょうね。
東尾は西鉄ライオンズが黒い霧事件で弱体化した時もチームを支え、西武になった時も断トツ最下位から黄金時代に持っていった…凄い人だ…しかし、尾藤監督はプロ野球大嫌いだったから、大活躍する東尾とあんまり師弟関係の交流がテレビで流れなかったのは残念…稲尾と東尾の師弟関係は良く見たが😆
尾藤さんの鉄拳制裁は有名だった、特に島本講平さんの頃は凄かったと、手元の本には記載されてるまさに「鬼の尾藤」だったらしい
尾藤スマイルと言われる前の第一次監督時代は、相当怖かったそうですね。
試合では尾藤スマイル、練習では鬼の尾藤で。
私は、和歌山在住で夏の県大会は欠かさず智弁和歌山と箕島の試合を見に行ってます母校でもないのにこの2校の校歌は歌えますね尾藤公さんが監督時代は水を飲むなの時代でしたけど、尾藤公さんは水分補給を推奨していました。その水は蜂蜜とレモン汁を混ぜた水でそれがスポーツドリンクの先駆けとも言われてます。きちんと医師と相談して作ってたそうです。また試合の合間にバナナやチョコレートなども食べさせていたみたいです。尾藤さんは今の高校野球の選手が当たり前にしていることを先駆けて導入した方なのかもしれませんね
コメントありがとうございます!昭和の時代に結果を残した監督さんは、何かしらの先見性が高かった人が多いと思いますね。尾藤さんはお話いただいたように栄養補給や水分補給もいち早く採り入れておられたようですし、メンタル面の強化にも取り組んでおられましたから。
日直が硯、勘佐というのが良いですね
ありがとうございます!二人とも苗字が印象深くて、記憶に残っていましたので。
三回戦で、高知商の津野投手(日ハム)にグランドスラムを浴びて消えましたが、初戦の吉田戦は、箕島野球ここにあり!と呼ばれたミラクル勝利でしたね☺
春夏連覇ではありませんが 大分県立津久見高校も春と夏優勝しています公立高校で野球部も地元の子だけで優勝しました今の高校野球を否定するつもりはありませんが 昔の高校野球のほうが地元愛があり 郷土の代表、誇りというものがあり良き時代でした。
私も個人的には、地元の子達で甲子園に出るチームを応援しますね。高校野球が郷土愛に満ちた、良い時代でした。
昔はほぼ外に出るということがなかったんじゃないですかね。公立でも越境は優勝こそしてないものの山梨の市川高が甲子園出てきたときとか。樋渡投手を擁しての。今から30年ほど前。
1991年選抜では大阪桐蔭に負けたけれど、その大阪桐蔭戦で林孝哉選手が2打席連続ホームランを打ったのは印象に残ってます。林選手はその年にドラフト7位で福岡ダイエーに入団、日本ハム、千葉ロッテでプレーした後、現在は北海道日本ハムのヘッドコーチをしています。
林選手のホームランは印象的でしたね。山路投手も好投手でした。尾藤監督最後の甲子園でしたが、非常に力のあるチームだったと思います。
懐かしいですね 尾藤 公監督 亡くなられて 10年以上経ちますね 春夏連覇の年は 国体も優勝して 3連覇だったと 記憶してます
国体は4校優勝という、珍しい結果だったようですね。
和歌山県出身というと、あー、あの箕島ってのが、何回かありましたね。。和歌山県民の誇りです。
当時は和歌山県と言えば箕島。というくらいの存在感だったのですね。コメントありがとうございます😊
箕島のおかげで有田は「コレラ」の汚名を返上できました。全国のみんなは「」の方はすぐに忘れてしまいました。それほどすごい活躍でした
僕は千葉県在住ですが、2005年甲子園出場した銚子商業も徐々に復活の一歩を歩み始めてます。ここ6年で5回ベスト16進出してるので、ベスト16を突破してほしいと願ってます。同じように愛媛県の松山商業も今年の春の愛媛県大会優勝しました。簑島、銚子商業、松山商業が甲子園で見られることを期待してます。
挙げて頂いた公立の古豪の復活、私も期待しています。
銚子商業高校は、1995年の選抜で、初戦で、当時の注目選手の1人の福留孝介擁するPL学園に勝利して、最終的には準優勝でしたね。
私は茨城在住ですが、ガキの頃土屋・篠塚をようした黒潮打線が忘れられない。大漁旗の応援も凄かった。斎藤監督とヘラブナ釣りをしたこともある。利根大橋から見える正面高台の校舎にエールを送りたい。頑張れ!私立に負けるな銚子商業!応援してます。
@@亮鈴木-i6p 元ロッテの澤井選手がいたときですね。東の澤井、西の福留と騒がれていたみたいですね。当時4歳なので記憶にありませんが、当時を知ってる人が言っていました。
@@岩間浩明 去年の春の千葉県大会でも準優勝をして、関東大会では1勝。大学でも続ける選手が増えてきてますが、悉く夏の大会は5回戦の壁が立ちはだかります。・2017 市立習志野・2018 成田・2019 市川・2020 千葉黎明・2022 成田特に2019年は市川の左投手に要所を抑えられてしまいました。いつかは千葉県大会準決勝で市立習志野、銚子商業、千葉商業、拓殖大紅陵が優勝を争うようになることを期待してます!
箕島は尾藤監督が強くしたのは誰もが知るところですが、尾藤監督の息子を一年生からベンチに入れ 夏の予選で投手で先発させ敗退させてから箕島は弱くなりました。そこから和歌山の有望選手が箕島を避ける様になりました。その時期に和歌山で野球をしていた人は誰もが知る所です。野球王国黄金時代を作ってくれたのも尾藤監督です。
そういう理由で有望選手が避けていったのですね…公私の線引きは難しいところですね。
ちなみに、星稜高校のエースだった堅田さんは時々甲子園大会の審判として出ているのを見るととても懐かしく思い、もし箕島高校対星稜高校の試合が甲子園で実現したら、主審を務めている堅田さんを見てみたいなと思います。
それは実現したら素晴らしいですね。只、堅田さんは2021年をもって、残念ながら審判員を勇退されました。
ありがとうございます。全然知りませんでした。残念ですが、またいつの日か実現する事を祈ってます。返信ありがとうございました。そして堅田さん、お疲れ様でした!
@@秀稔藤井-c9t さんこちらこそご視聴いただき、ありがとうございました!今後ともよろしくお願いします。
堅田さんは既に審判を引退されました。確か堅田さんはとんねるずのタカさんと生年月日が同じと聞きました。
箕島対星稜の延長18回戦をリアルタイムでたまたまテレビで見ることが出来ました中学2年でした星稜が1点取れば箕島も返す正に名勝負 あんなに手に汗握る試合は無かったです尾藤監督も大好きな監督さん本も買ってまだ大事に取ってあります箕島の校歌も今でも歌えます😆高校野球の魅力を教えてくれた試合でした石井投手始め皆さんお元気かな〜
箕島対星稜は「神が創った試合」と言われる程、劇的なものでした。箕島高校を見て高校野球ファンになられた方も多いでしょうね。
「僕、ホームランを狙っても良いですか?!」…島田捕手のこの一言は、二死になって、チーム全体が諦めムードで沈んでいる雰囲気に耐えられなくなって、そのムードに染まらぬように自分に喝を入れて、仲間達も奮い立たせようとした島田選手のファインプレーだと尾藤さんは話しておられましたね😊
島田宗彦選手は野球を良く知っていると、後年尾藤さんも高く評価されていましたからね。
箕島から1984年阪神タイガースドラフト1位 嶋田章弘投手 ルーキーの1985年9月15日 対 中日戦 甲子園ライトスタンドで観戦。先発は、嶋田と郭源治 すばらしい投手戦 0対0の9回 現監督 岡田のサヨナラ2ランで勝利。嶋田は9回表途中降板ながら、すばらしいピッチング、前年の取手二戦の悔しさをぶつけるようでした。甲子園はタイガース優勝目前マジックも出て敬老の日の祝日も重なり大変な熱気でした。ちなみにキャッチャーは嶋田兄ではなく、この日は木戸でした。
嶋田投手、あそこで勝ちきれていたら、その後のプロ野球人生はどうなっでいたでしょうね。今なら二刀流と言われていたかもしれません。
令和でも公立高校の優勝見てみたいですね横浜ファンなので中川投手には期待してます
近年では長崎県の清峰以来、公立校の甲子園優勝はご無沙汰ですからね。平成以降でも春夏合わせて公立校の甲子園優勝は5校のみで、そのうち3校が佐賀県と長崎県という、比較的甲子園での実績が地味な県というのが面白いですね。
黒板の日直は1983年夏出場した時の2年生選手ですね。吉田との試合での9回2死からの硯選手の同点ホームランが印象的でした。その年以来夏の勝利がないのは残念です。
その時の主力打者の二人ですね。苗字が印象深くて、日直に選ばせていただきました。
吉田高校の2年生の遊撃手が、後に黄金時代の西武で活躍した田辺徳雄選手でしたね。
@@肉ジャガー さんそうですね。渋いながら力のある選手でした。
平成になってからは春の甲子園での勝利はありますね。
日直のところに勘佐、かんさ、硯、すずり、箕島の珍名スラッガー2人の名前が泣かせる
この珍しい苗字が、同じ世代のチームに在籍していた事が印象深くて日直にしました😊
浪商エース牛島はピンチを迎えた時監督が敬遠しろって伝令を「黙って見とれ」って追い返したんだよなそれで勝負に行った牛島を打ったのが箕島北野だったよな確か
その流れですね。牛島投手の気の強さが伝わる話ですね。
春夏連覇の星稜戦は有名ですが、選手権決勝戦池田高校の時のスクイズが凄かった!
榎本選手のサーカススクイズですね😌
@@highschool-baseball-history さん あれも奇跡です!
野球好きな知り合いからあだ名で、監督と呼ばれました。箕島のビトウ監督いなかったら、毎回オフジ、オトウと呼ばれました笑ほんとに箕島の尾藤監督のおかげで名前がちゃんと読まれる機会増えました。もっともっと活躍して欲しかった。地元ではないですが、甲子園では毎回応援してました。
確かに、尾藤監督が有名なので、お名前が間違えて呼ばれる事は無さそうですね。本当に存在感のある監督さんであり、チームでした。
大変面白かったです。次は公立で夏春連覇の蔦監督の池田高校も見たいです。
ありがとうございます!!池田高校も取り上げたいと考えております。
池田は夏春。そして夏(1983)というところでPLのKKコンビの台頭で夢が潰えたんでしたよね。
本当に強かった箕島‼️。尾藤監督は蔦監督と並び大監督🤗。
共に地方の公立校を率いての春夏連覇に夏春連覇。本当に偉大です😊
高校野球で一時代を築いた二校ですね🤗。箕島、池田また甲子園に出て欲しいです🙋。
箕島の春夏連覇の最後に立ちはだかったのが池田と言うのも、何かドラマチックですよね。試合内容も良かったし。畠山を筆頭にその池田の勇姿を見て池田に進学を決めたと見える世代が3年後に全国制覇を達成し、高校野球の姿も変え、ラッキーゾーンの撤去まで引き起こしました。
尾藤・蔦・木内・斎藤 監督かな、名将は。
@@岩間浩明 栽、高島、上甲、香田監督達を忘れずに!
箕島高校は尾藤公さんの指導のおかげで有名になりました元池田高校監督の蔦文也さん元智弁和歌山高校監督高嶋仁さんも目標にしていました
後の大監督の目標になるほど、尾藤監督の育成手腕や采配は秀でていたのでしょうね。
和歌山からですが、和歌山は野球だけは絶対に負けてほしくないですね!この全国屈指の田舎で何回も優勝するのは伝説!現在大阪がむちゃくちゃ強いが、やっぱり和歌山から大阪にいくんやろな~
和歌山県は確かに都会では無いかもしれませんが、高校野球の歴史は本当に誇れますよね。夏の県大会は全試合完全中継と野球熱も高いですし、これからも野球が盛んな地域として頑張って欲しいですね😌
今でも市立和歌山とか強いですよね。智弁和歌山は名将高島監督が勇退されたんで今まら古豪復活あるかも。
この動画が学校の黒板がモチーフになってるけど、日直の名前が勘佐、硯の名前が泣ける。2人とも吉井投手の時のチームの選手で特に硯選手のとてつもないパワーには驚かされた。甲子園初戦の9回、1点負けていて1アウト3塁でバッター硯選手がスクイズを外されて3塁ランナータッチアウトで2アウト、ランナー無しで万事休すかと思われたが硯選手のホームランで土壇場同点に追い付いて延長戦で勝った。箕島高校が人気だったのは9回裏や延長戦で負けていて追い付くような漫画みたいな試合が多かった事と公立高校で春夏連覇は箕島高校だけ。全国から素質のある選手を集めるのじゃなく地元の和歌山県の高校生で強豪校として全国に知れわたった事が今の時代では考えられない。箕島高校の強い時代、地元和歌山では、夏等に道で知り合いに会うと『昨日、箕島勝ったなぁ』が挨拶代わりだった。
箕島の試合結果が挨拶がわりになる。それが高校野球の魅力のひとつだなと感じました。コメントありがとうございます😊
日直の、硯、勘佐の名前が泣かせる…84年は、あのメンバー優勝を信じていたが
尾藤さんは人間味有る良い顔してたよなぁ。
本当に良い表情をされてましたね😊
最近は公立高校の甲子園出場も厳しくなっているので、凄い実績です。
本当にそうですよね。令和の時代にこういう高校が出たら、奇跡的な事かもしれませんね。
懐かしいお話でした。競合校が台頭すると出られなくなってしまいますね。取手二ー常総学院。PL学園ー大阪桐蔭も似たような関係なのでしょう。
ご視聴いただき、ありがとうございます!取手二高も、甲子園から完全に遠ざかってしまいましたね。箕島と共に、復活して欲しい一校ではありますが……
箕島高校からプロに行った選手多いな!しかもドラ1で…。
確かにドラ1が多いですね。
@@highschool-baseball-history その割にプロでは大成しないのが残念ですね…箕島も智弁和歌山も。和歌山で高校、プロと一流だったのは、、投手では箕島の東尾選手、打者では市和商の藤田平選手が真っ先に浮かびますが…
同じ年に1位二人もあった。阪神島田投手と広島杉本投手。
自分の中では100回大会で星稜-済美が出てくるまでは、星稜-箕島戦が最高試合だったけど、箕島戦は、奇跡や感動シーンの度合いが、箕島ばかりに偏り過ぎるのが今一ねぇ😅…ヤッパリ一位はどちらも平等にチャンスを生かしてピンチを凌いで追いつ追われつのシーソーゲームを、最後に済美が、甲子園大会史上初の逆転サヨナラグランドスラムの大どんでん返しした星稜-済美戦が、夏の甲子園大会100年の歴史を語るような、一番好きなベストバウト!😊
あの済美のサヨナラ満塁ホームランの時、テレビを見ながら思わず大きな声が出てしまいました😅 本当に大興奮のゲームでしたね。
7回、8回で且つ戦前ですけど甲子園の100年以上の歴史の中で2校しかない(嶋清一の居た同じ和歌山の海草中)春夏じゃなくて、夏、夏と連覇した和歌山中(公立、現在は桐蔭高校)やって欲しいです!!
高校野球の黎明期に於いて、和歌山中学の存在は外せませんよね。
智辯和歌山は県内から、野球の上手い中学生を引き抜いてくるし、和歌山では屈指の進学校で、私立だけど授業料も安いんで、親御さんも有難いんで、どんどん強くなりましたね。公立では、かつて阪神の藤田や、広島の正田が卒業生の旧市和商、現在市立和歌山高校が智辯和歌山と入れ替わりながら、県代表になってますね。
現在の和歌山県は智辯和歌山が大横綱で、おう市立和歌山という構図ですかね😳
市立和歌山は県内だけでなく、ヤクルト川端選手の父が監督を務める大阪府貝塚市のボーイズリーグからも選手が入部してきています。ヤクルト川端の他、ロッテの松川捕手や横浜の小園投手もその流れです。
2024年センバツ 出場濃厚 県立耐久高校期待してます。21世紀枠 出場微妙な県立田辺高校 選ばれてほしい。箕島も奮起してほしいね。2023年12月17日記入
耐久、田辺の戦いぶりは、和歌山県の公立校に勇気を与えましたね!春の選抜が楽しみです。
故・山際淳司さんのエッセイ集「スローカーブをもう一球」の中にある「八月のカクテル光線」が箕島対星稜の延長18回の激闘を題材にした珠玉の一作として収められています。80年代の野球ファンには伝説となっている「江夏の21球」も収められており、電子書籍もあるので、興味のある方はぜひご覧いただきたいです。全体的に夏の描写が多く、読み終わったら喉が渇いてしまいます(笑)。
「スローカーブをもう一球」は、随分と以前に拝読しました。もう一度読んでみたいと思いました。コメントありがとうございます😌
箕島ー星稜の延長18回、日本シリーズの江夏の21球と、同じ1979年で。
神奈川県の県立高校を特集して下さい!希望ヶ丘以降60年以上出場がありません。
横浜商業は市立ですしね。神奈川県の県立校は、かなりのブランクがありますね。またリサーチしてみます。コメントありがとうございます😌
大昔に湘南が優勝してその後ばったり 進学校のチキチキに変貌したとかw 神奈川は鶴見工も甲子園出場歴あるそうですね。
うちの元実家の近くに本校、ばあちゃん家の近所に機械科のある宮原校舎があったから、周りみんな高校野球詳しかった「〇〇くんとこのお兄ちゃん、箕高の野球部でレギュラー取れそうやって」みたいな話が回るとあっという間に弟も有名人でしたちなみに父は和歌山工で甲子園に何回か出た岡田監督の知り合いで和工対箕島とかなると大興奮してましたw
正に地元に愛される野球部というエピソードですね。和工も甲子園からご無沙汰ですが、個人的には復活を期待する一校です。
91年の山路‐九鬼は凄かったなそれまでは「箕島」をあまり知らなかったけども、夏も見れると思ったら出てきたのが確変前の智辯和歌山で学法石川の川越に捻じ伏せられた。
あの当時の智辯和歌山は、まだ勝負の詰めが甘かったですよね。
まだ智弁和歌山が駆け出しの頃の話ですね。
78年の第60回記念大会での2回戦、箕島対広島工は6-1が正解。
箕島対星稜戦は3回戦初日の第4試合だった。これが3回戦2日目だったら翌日に準々決勝を戦わなければならなかったので、日程運もあったと思う。地元(和歌山)で聞いた話しでは、春夏連覇の年、選手は夏休みが短くなるのでいつ負けてもよいと思っていたようですが、星稜戦での勝利がきっかけになって本気で連覇を狙うようになったとのことです。
なるほど。やはり春夏連覇をするには実力だけでなく、運も必要なのかもしれませんね。
勝ち続けて宿泊が長引くたびに、ホームシックになったり、あるいは電車に乗って大阪や神戸等の大都市へショッピングへ行く球児もいる事でしょう。何せ多感な時期にある高校生ですので。又、学校側も募金活動や宿舎の水や食糧が口に合わず、あえて郷里から水や食糧を送ってもらうのも今や当然となりました。
77年夏前には有田でコレラ騒ぎがあった。一番重要な時に、外での練習が出来なかった。
そうらしいですね。登板過多による東投手の不調も重なり、その年の夏の箕島は厳しい戦いになりましたね。
@@highschool-baseball-history そして春の近畿大会出場の剛腕木下投手を擁する田辺が決勝で箕島を完封、当時紀和大会で智弁学園に敗れました。
@@マサシライアン選抜優勝の箕島、4強の智辯、8強の天理が同じ紀和大会で夏の代表になれるのは1校だけ。翌年からは1県1校になるのが決まっていた中での最後の紀和大会は大激戦で。もちろん選抜出場した3校以外が甲子園出場となる可能性もあったけど。
@@吉岡正之 さん 天理・福家に鈴木康友、智弁学園・山口などスター選手を相手にしなければならなかったです。因みに秋は箕島は天理に敗れてましたが尾藤監督の采配が当たりまくったのと東裕司投手の好投で選抜優勝でしたが、春の県大会覇者の田辺に木下投手の負けに完封負けでした。紀和大会は、天理を敗った智弁学園が田辺に逆転勝ち、田辺の選手は初めて見たという山口投手のスライダーに翻弄された(選手談)中盤以降は歯が立ちませんでした!
箕島は東尾、島本講平、尾藤監督が切り開いたが、基本そんなにプロ野球選手は輩出してなくて、広島商業の野球を進化させたような【シブトイ、きめの細かい野球】が持ち味、故に春夏連覇時はともかく、力強さより堅実さが重要な【春の選抜に】強かった。アンダースロー石井投手の安定感が全て【プロに入ったのは住友金属経由】しぶといんだよ。打撃戦なら打撃戦、ロースコアならロースコアに対応できる野球。
吉井もいた。すみません。結構輩出してるようですね。ただ、派手な選手は少なかった印象です。偶然か?水島新司のドカベン明訓高校とユニフォームがそっくり。東尾の時代から???
水島新司さんは、明訓のユニフォームに箕島の影響を受けていると思います。それだけ、当時の箕島の強さは際立っていたのでしょうね。おっしゃる通り、本当にしぶとい野球をされました。
石井投手とバッテリーを組み、社会人を経て阪神に入団、木戸克彦さんに次ぐNo2捕手として1985年日本一に貢献した嶋田宗彦さんもいますね。
箕島で野球したかったなぁ…
そういう球児も多かったでしょうね。
中学の時に四番でエースのカセダ君もそう思って入学したが、尾藤さんに相撲部に入る様言われて方向転換したそうです。そして今は春日野親方
@@captainfuture3754 さん栃乃和歌関も箕島出身だったんですね!興味深い情報、ありがとうございます😊
77年選抜制覇後、チームは韓国遠征を行うが、主力選手が帰国したら、コレラを発症。夏の大会の大切な追い込みの時期に、調整が上手くいかなかった事もあり、県大会決勝まで勝ち残ったものの、田辺高校に敗れ、春夏連覇の夢がとざされた。その田辺高も、紀和大会で、箕島が選抜準決勝で倒した智弁学園に敗れ、甲子園を逃した。この年選抜ベスト8の天理は、県大会で智弁に敗退。稀に見るレベルの高い年、かつ最後の紀和大会予選になりました。
当時の夏は奈良県との代表争いがありましたから、箕島も中々夏の出場が出来ませんでしたね。コレラは本当に残念でした。
朝鮮半島はもう夏になれば雨季で毎年洪水をおこしコレラや赤痢が当たり前だった。
箕島の守備の時のユニフォームが当時人気あった漫画ドカベンの明訓に似ていたんだよな
明訓と箕島のユニフォームが似ているというお声は、良く聞きますね。
石井投手が明訓・里中とダブってみえた。
@@髙やんさんそうそう 見えたねw
嶋田捕手は山田太郎の4番バッターではなく、走れる1番キャッチャーだった記憶があります。浪商の香川はそのままだったね。
箕島の野球を尾藤さんから学びたくて、遠方からも泊りがけで来られていた監督は数多くおられます。県内でも智辯和歌山の監督に着任した高嶋さんがダメもとでチーム力は雲泥の差であったのに快く了解してくれて毎年、定期戦として試合して貰ったことを今も感謝されています。試合後に尾藤さんとうな丼食べながら野球談議した事が後の財産になったと言われています。尾藤さんが亡くなられた時に棺を持たれているのはお世話になった監督さんが全国から参列されて感謝の念を表されましたね。
尾藤さんのお人柄、影響力の大きさが伝わるエピソードですね。ありがとうございます!
有田市には何回も行ってますが釣り人で賑わうのどかな所で尾藤監督も地元の人です。あずま投手は選抜優勝後その当時有田市を襲ったコレラに感染したと新聞で報道されてました。9回最終回で劣勢でも延長戦を考えてベンチ前で投球したのが島本講平投手でおそらく元祖だと思います。公立校唯一の春夏連覇高校で有名なのとプロ野球選手も多く輩出していて魅力がある学校です。箕島高校の大ファンとして復活を期待しております!
私も個人的に有田市には何度もお伺いしました。箕島高校復活を祈念しております!
@@highschool-baseball-history オ一ルド高校野球ファンにはたまらないテ一マの動画ですね!これからも楽しみに拝見させていただきます!
他の方のコメントに市田氏の話が挙げられていますが、「お前は野球よりお笑いのセンスがある」と芸能界入りを勧めたのが尾藤さんです😁市田氏と同学年で中学生の時に箕島の試合を観て、野球部の入部を決意した綛田という少年がいました。尾藤さんに「野球部は部員数が多いし、レギュラーどころかベンチ入りすらできないかもしれない。しかし、体格がいいから、相撲部へ入りなさい。」という助言を受け、相撲部に入部し、その後彼は明治大から春日野部屋に入門しました。その人が元栃乃和歌の春日野親方です😊
今度は戦後の古豪の新宮高のヒストリーを取り上げて下さい❗️昭和25年〜31年までに特に夏の大会では29年〜31年に初の3連覇して特に29年〜30年は前岡旋風を起こして今でも戦後の左腕投手では低めに行くと砂塵が舞ったのはこの前岡投手と右腕、浪商の尾崎行雄投手の二人だけです😊令和5年1月2日
新宮高校!短い期間ではありましたが、一時代を築いた古豪ですね。またリサーチしておきます😁
@@highschool-baseball-history 新宮と吉備春夏連覇箕島全盛の頃甲子園に届かなかった2校です。よろしくおねがいします!
ありがとうございました😭
こちらこそご視聴いただき、ありがとうございました!
ミッキーマウスはほとんど無いヘルメットがかっこいい。
😀これまた日直が硯 勘佐‼️第65回記念選手権 出場の3番一塁手 勘佐 5番 センター硯ですね ちなみに4番は 後にロッテに入団して外野手を守っていた 山下選手だったか?懐かしい
山下さん、ロッテでも長距離砲として期待されていましたよね。数年前、息子さんが甲子園に出ていたと記憶しています。
山下は甲子園では勘差が出塁した後に長身を折り曲げてコツンコツンと送りバントを決めてた印象しかないのが・・・
ユニフォームがカッコ良かったですよね。ところで何で箕島は攻撃の時だけ白いヘルメット(帽子)だったの?小さい頃そこが疑問でした、普通に黒帽子なんだから黒ヘルメットだと思うんですが、マニアの方おせ~て。
ヘルメットのキズが目立たないため?再染色が容易だから?
暑さ対策もあるのでしょうか?費用的な理由もあるのかもしれませんね。
永遠に語り継がれる公立高校の名門です。尾藤監督の試合中の笑顔は印象に残っています。現役の野球部員の皆様、誇りを持って甲子園を目指して下さい!
島本講平さんの大ファンでした。ファンレターを送ったら御丁寧に返事をいただきました。嬉しかったです。当時は宝物でした。懐かしい思い出です。
当時の大スター選手からのお返事。
それは家宝にしたいくらいの嬉しさがあったでしょうね・
テレ朝、島本アナの親父さんですね。
箕島の校歌は、今聴いても心が震えるし、今でも空で歌える
それだけファンを魅了したチームだったのでしょうね。
校歌にある凛烈の意気というフレーズは箕島のスポーツ系クラブでチームTシャツにプリントされていていて昔を知る者には刺さります
@@rubyyukai さんへ
「冬吹きやまぬ西の風!……」
出だしから大好きです!
「凛烈の意気~」の締めも最高ですねw
@@石元正志-g7nさん インパクト与える校歌は必ずピーンと響くフレーズが有りますよね。横浜だと「東洋一の商港横浜ぁ~」、PLだと有名過ぎる位の「永遠の学園」、東洋大姫路なら「清く輝ゃ~く」とか。
@@山田市之助-q8l さんへ
「書写を仰げば燃え立つ緑~
夢は広がる播磨の海よ~」
東洋大姫路の壮大な校歌も甲子園ではかなりご無沙汰で寂しい限りですね。
「…青雲映えて清く輝く!」…校歌の直後に甲子園が大歓声に包まれた、40年以上前の夏の大会決勝戦で初めて生まれたサヨナラホームラン優勝の時の校歌が、個人的には一番誇らしく聴こえましたね。
1977〜数年間の強い時の試合は多分全試合リアルタイムで観たと思う。やはり尾藤監督の笑顔が凄い印象的。
尾藤スマイル全盛期ですね😁
母校です。取り上げて頂きありがとうございました😊。今は、確かに力はないですが、全国からの箕島高校ファンに答えられるよう応援よろしくお願い致します😃⚾️。
僕の近所に上野山善久主将が住んでいます。僕も60歳で上野山善久さんは地元のために、62歳で活躍されています。
ありがとうございます!
私も個人的に箕島地域の皆さんにお世話になった事があるので、陰ながら復活祈念しております。
尾藤監督あのスマイル大好きでした
箕島の野球は最後の最後で試合をひっくり返すのが魅力でした
校歌の 厳しい冬に耐えてきた~
全く箕島とは縁もゆかりもない私ですが今でも時々口ずさみます
箕島の終盤の粘りは驚異的でしたよね。
尾藤さんがベンチの端の方にどっかと座られてあのスマイルでバッターに向けていつも両手で四角を描くんですよね。
ストライクボールを打ちなさいと言う指示です。録画してある当時の箕島の甲子園の戦いを見直すと懐かしいです。
箕島春夏連覇当時の新聞や雑誌の切り抜き、特集本は大切な宝物です😊
北野選手のサイクルヒットが選抜唯一って事は今知りました!
素敵な宝物をお持ちなんですね☺️
北野選手が三塁でアウトになっていなければ、選抜でのサイクルヒットは未だゼロという事になりますね。
星陵、箕島戦を見て、尾藤野球のファンになりました!また甲子園で箕島野球をみたいです!がんばれ箕島!箕島の校歌も大好きです‼️
星稜戦は、歴史に残る名勝負でしたからね。
箕島高校は近年甲子園から遠ざかっていますが、久しぶりの復活、見てみたいですね!
箕島は強いだけでなく、諦めない精神が凄かった。当時の横浜高校・渡辺監督が「和歌山県の高校は可哀想だ。予選で箕島高校に勝たなければ甲子園に出られないなんて。甲子園で戦っても恐ろしい相手なのに。」と言わしめるほどだった。
渡辺監督のその言葉に、当時の箕島が如何に強かったのかが凝縮されていますね。
昭和61年夏の県大会決勝、箕島-桐蔭戦、救援の原井投手が打たれて尾藤監督父子鷹甲子園出場は成らなかったのですが、共に最後まで諦めない9回の攻防はすごかったです。
@@倒秀才写楽星 さん あのときは尾藤投手より原井投手がリリーフエースという感じでよく抑えました。それで敗戦後の監督インタビューで「原井選手が『監督を甲子園に連れて行きたかった』と言ってましたよ」と伝えられると尾藤監督が号泣して「あいつはいいヤツですよ!」と叫んでました!
@@マサシライアン さん
あの試合は桐蔭を応援していたのですが、そこまでの原井選手の好リリーフぶりを見ていたので、あそこで継投されたらもうあかん…という感じで見ていました。その後まさかの展開に…その桐蔭にしても、それ以降、甲子園に出られたのは選抜21世紀枠のみですね。
@@倒秀才写楽星 さん 昨年は久しぶりに決勝迄行きましたね。準決勝でうちの母校がコールドで負けました!
甲子園で公立が春夏連覇凄すぎます...
私は箕島が強かった時代にはまだ生まれていないのですが、箕島などを含めた
いわゆる『古豪』に甲子園復活してほしいな、とちょっと思っています。
公立高校唯一の春夏連覇ですからね。本当に大偉業だと思います。
個人的に、私も古豪と呼ばれる高校を応援しております。
しかし春夏連覇 よりも難しい夏春連覇は多くの公立高校が達成している。こちらの方が偉業です。
@@ドタマジン太難しい云々はあなたの主観
@@ufo3315 あなたの主観だという決めつけもあなたの主観です。
客観的な事実を理解できない人があなたのようなコメントを書き込むのです。メンバーが入れ替わる 夏春連覇の方が難しいと考えるのが 客観的な当たり前の考え方ですよ。これを否定するあなたに 客観性はありません
箕島といえば尾藤さん、星稜との延長18回の神った試合はいまでも忘れない。自分の中では甲子園での最高の名勝負。公立高校で春夏連覇の偉業に価値がある。尾藤さんに教わった生徒は幸せだったと思う。人間的に尊敬する人だった。
星稜との試合は、高校野球史上最高の試合という声が多いですよね。
横浜ーPLが第4試合だったら箕島ー星稜以上だったと思う。
@@トロフィー折れた-r3d 人それぞれに受け止めはあると思うが、第4試合ならそれ以上と言うのは説得力に欠けますよ~
単純に比較は出来ないが、松坂は太陽の光が照り付けるところで延長17回を一人で投げ続けた訳で。
甲子園の魔物をこれだけ味方に付けた?高校も珍しいですよね。自他共に敗戦を覚悟した試合を、普通の高校生集団チームの選手たちが、敗戦まであと一人の絶対絶命の場面から、ここ一番の精神力と底力から甦り、劇的な逆転でサヨナラ勝ちで決めて、最後は4-3で勝利する箕島甲子園劇場。箕島の原点の全員野球に、何度も勇気と感動をもらいました。また甲子園にこんなドラマチックなチームが出てくるのが待ち遠しい。
当時の箕島は、世代が変わっても粘り強いは健在でしたよね。
本当に甲子園の魔物(女神?)に愛されたチームだったと思います。
1979年選手権3回戦対 星稜戦
1982年センバツ2回戦対 明徳
1983年選手権 1回戦対 吉田
この3試合 信じられないようなストーリー。感動をありがとう。箕島高校甲子園帰還を願う。
挙げていただきいた3試合は、本当に漫画のような展開でしたね。
公立高校であれだけのドラマを作れるチームが今後出てくるでしょうか!?
私も箕島の甲子園復活を期待している一人です。
@@highschool-baseball-history箕島の後に宇部商がすでに登場したはずですけど
後昭和54年準々決勝2回目のPL学園戦、箕島が、もうだめかと、思ったが、箕島があそこまで、泥臭く確か9回裏にヘッドスライディングで、地獄から這い上がり、何とか延長戦に持ち込み、最期は、3本ホームラン打っている、今まで一回も、投げていない、阿部慶二を、いきなり、鶴岡監督が変えて、サヨナラ、暴投で幕を閉じ、夏春連覇が終わった、あの頃から、高校野球を、見出して、箕島は、一発勝負のトーナメント戦では、石井毅は、福井商業にしか、まけずに、複数年で、出場した
ピッチャーでは、桑田より、勝率が高いのではないかな(戦後)わしは、この3試合が、高校野球の神様が、高校野球ファンにくれた、プレゼントたい。
ちゃんあーちゃんさんPLVS箕島2回めの試合だして、貰えませんか、1回目は何度も、みました。八代一中、菊陽中など、出身中学まで、出て懐かしかった、福井商業VS箕島も、よくみました。これは、小学生の時、唯一見れなかったんですよ。
ちゃんあーちゃんさんもう一つお願いです、昭和49年だと、思いますが、一回戦西の横綱PL学園VS調子商業、土屋が、ピッチャーで、私の再従兄弟がPL学園のエースでしたが、3日前に肩を壊し、8、9から甲子園で、二番手で、父から何回も、聞かされました、私は、その、二、三年以降甲子園を見始めましたので、あったら、お願いします。
母校、箕島高校の野球⚾️部を取り上げて頂き、ありがとうございます。
非常に嬉しいです😆
また、甲子園へ出場出来る様に、頑張って欲しいです😊
こちらこそご視聴いただき、ありがとうございました!
今後ともよろしくお願いします😌
尾藤さんの野球は高校にとって非常にインパクトのあるものになったと思います。
尾藤さんの野球は、高校野球にひとつの新たな形を作っのかなと思います。
投稿乙です
面白かったです。
箕島も見なくなったな。。
箕島がよく出てたのはまだ生まれたばかりでしたがw
09の春に箕島見れたのはいい思い出
ありがとうございます!
箕島はじめ、かつて強かった公立校が甲子園から遠ざかっている例は、少なくありませんよね。
ちょっと寂しいです…
公立唯一の春夏連覇した箕島。野球をやるなら箕島!そんな気にさせてくれるチームでしたよね
おっしゃる通り
そんなチームですよね。
公立高校の春夏連覇は徳島の池田高校も達成してますよw
@@sakurasaita5021
池田高校は夏春連覇だよ
畠山3年夏と水野3年春、自分も一瞬同じこと思ったけど、春夏連覇じゃなかった
@@いるか好き まあでも県立=公立で連覇w
@@sakurasaita5021
そうよね〜
やまびこ打線は見てて楽しかった
尾藤監督のストーリーは知らなかったので面白く拝聴しました。1979年の星陵戦は、ほんとに「うそっ!」と言いたくなるような奇跡の連続でした。
コメントありがとうございます!
星稜戦は、漫画でも描けないような展開の連続でしたね。
当時高一で翌日から高校の剣道部の地獄の夏合宿でナーバスな気分になっていた。しかし家族と高校野球を見てると箕島と星稜がとんでもない試合をやっていた。そして同じ高校生がこんなに凄い試合をしている、自分も合宿を頑張るぞ勇気を貰ったことは一生忘れない。
コメントありがとうございます。
青春を感じる素敵なエピソードですね😌
この試合をテレビにかじりついて見ていました。途中から照明が点灯して、当時は珍しいナイターになったこともよく覚えています。箕島のピッチャーは、今ではほとんど見られなくなったサブマリン。球速があるわけではないけど、制球が抜群で粘り強かった。高校野球を見て震えたのは、これが最初で最後です。
箕島の石井投手は制球力の高さと、浮き上がるようなストレートが良かったですね。
サブマリンは希少になりましたが、個人的には大好きな投球フォームです。
春の選抜決勝戦、箕島高校対浪商高校戦をバックネット席で観戦しました。
あの大観衆は見た事の無い風景で、40年以上経った今でもあの歓声が思い出される素晴らしい試合でした。
夏の星稜高校戦もテレビで全てリアル観戦して今までの甲子園大会史上最高の試合だったと思います。
当時、バックネット裏で観戦されていたという事で、非常に羨ましい限りです☺️
現地観戦の熱気は、一生物の思い出になりますよね。
大体大浪商、また復活して欲しいですね❗
石井、牛島の両エースが連投の疲れなく本調子なら、双方の強力打線を持ってしても、ロースコアの投手戦になったはずですが、この「ルーズベルトゲーム」も滅多にない、ガチンコの打撃戦で素晴らしい。
@@highschool-baseball-history
この浪商、箕島の決勝戦で箕島の北野選手が、センバツ大会初のサイクル安打を達成しましたが、あと2塁打が出れば、記録達成に迫った最終打席で長打を放ち、2塁を回って三塁まで走り、間に合わず三塁でアウトになってのサイクル安打成立に、「サイクル安打の事は知らなかったのか?」の質問された本人曰く「知ってたけど、勝利の為に一つでも多くの塁を狙ってたから…」と答えたコメントが胸を射ちましたねw
@@highschool-baseball-history
この両校、この年の夏にも出場して、浪商が、あと一つ勝てば、決勝戦で再戦してましたが、池田に敗れて叶わず…浪商のリベンジを楽しみにしてた高校野球ファンは残念でしたね。
面白い動画だったので色んな動画にコメントしました
ありがとうございます!
めちゃくちゃ嬉しいです😂
いろんな名勝負があるが、自分の中では、星稜との試合はいまだにダントツ1位だ。
球史に残る名勝負すよね。
あの試合と肩を並べられるのは、松山商vs熊本工戦の奇跡のバックホームのシーンと、智弁和歌山vs岡山理大附属戦の、理大附属の逆転サヨナラ勝ちシーンだと思いました。個人的ですがw
@@石元正志-g7n さん
松山商業-熊本工業の奇跡のバックホームは、何度見ても鳥肌が立ちます。
公立高校の春夏連覇は徳島県立池田高校も達成してますよw
蓑島が唯一ではないですw
@@sakurasaita5021 さん
池田高校が達成したのはチームが秋を越えて代替わりする、「夏春連覇」です。
ある意味そちらの方が選手が入れ替わる分、難しい偉業かもしれません。
尾藤監督率いる箕島高校は強かったですね!
勝負強さと春夏連覇の時の星稜高校戦は球史に残る名勝負です。
また甲子園で見たい学校です。
本当に勝負強いチームでした。
近年苦戦が続きますが、是非復活して欲しいです!
野球少年だった僕は、石井投手の真似できます‼️TVが主でしたが、朝6時から甲子園並んで、強い箕島 直に見た。懐かしいなぁ。
コメントありがとうございます。
直に見られたのは、素晴らしい思い出ですね☺️
石井投手のフォーム、躍動感があって格好良かったです。
硯の吉田高校戦のスクイズ失敗の後のホームランもすごかった
吉田戦も、箕島のミラクルぶりを象徴する試合のひとつでしたね。
硯選手の2打席連続ホームランですね♪
外角低めのボール球。
膝を折るようなスイングから放ったライナーがバックスクリーンへ飛び込んだ。
何でだろう。涙が止まらない(泣)
こちらこそ、このような嬉しいコメントをいただき、涙が止まりません😭
ありがとうございます!
後にも先にも公立高校で春夏連覇なんて偉業を達成できる高校は、箕島高校だけでしょうね。
高校野球の歴史上唯一無二の記録として、燦然と輝き続けるのではないかと思っています😌
また、復活して欲しいですね❗
東尾さんは、箕島高校で正解でした。 もし、東尾さんがいなかったら、箕島高校の甲子園の歴史もなかったかも知れませんでしたね❗
おっしゃる通り、東尾さんの入学が箕島高校の運命を変えましたよね。
吉井理人さんも箕島ですよねw 冬はミカンの収穫のバイトで筋力が鍛えられその明けて春からスピードが上がってとかw
尾藤さんと箕島高校は懐かしい。尾藤さんが監督を辞めていた事は知りませんでした。因みに私の母校は箕島に負けました。その大会は箕島優勝。箕島はいろいろなエピソードがあり、箕島に勝ったチームは優勝していますね。箕島に勝って甲子園に出た智弁和歌山も。高校野球ファンとして、蔦監督の池田高校と並び思い出深いです。また箕島高校の甲子園での活躍が見たいですね。
箕島、池田両校は、高校野球の歴史に於いて外せないチームですよね。
今をときめく智辯和歌山も、元々は打倒箕島からチーム作りがスタートしましたから。
今の和歌山は圧倒的に智弁和歌山ですが昭和の時代は箕島高校でしたね。それに智弁和歌山の高嶋元監督も尾藤監督の事を尊敬してましたね。
箕島高校は和歌山県のみならず、全国の高校野球部の指導者に何らかの影響を与えたのではないかと思います。
高嶋監督が就任した際、蔦監督から尾藤を倒せと発破をかけられましたね。当時箕島なんてはるか雲の上やったのに。
監督として上なのは当たり前、選手も推薦で集められる私学ではなく公立それでも勉強して尾藤監督とやりたいと思わせるだけの人だったということ
勉強嫌いだし推薦で行ける智辯にしよって、野球しかしてない子はでも思うよな
箕島の野球を尾藤さんから学びたくて、遠方からも泊りがけで有田まで来られていた監督は数多くおられます。
高嶋さんは毎年、定期戦として試合して貰ったことを今も感謝されています。試合後に尾藤さんとうな丼食べながら
野球談議した事が後の財産になったと言われています。
尾藤さんが亡くなられた時に棺を持たれているのはお世話になった監督さんが全国から参列されて感謝の念を表されましたね。
高嶋さんは当時の箕島をみて守備を大事にしたぐらいだからな
1979年の春夏連覇の箕島高校は、すごかった。私は、中学2年だったが、星稜戦の18回は、テレビから離れられなかった。約、4時間の接戦。島田君のホームラン予告エピソードは、有名。上野山主将は、熱を出してグラウンドに立っていたのは、後から知った。森川くんが一塁のファルフライで、もうダメだと思いながら、落胆して、その後のホームランで、鳥肌が立ち、これはいけると確信してのを覚えている。優勝して、和歌山が地元なので優勝パレードを見にいった。凄い人だった。今は、箕島高校は、甲子園から、遠ざかっている。でも、和歌山人にとって箕島高校は、誇りだ!
和歌山県は古くは和歌山中学や海草中学、そして箕島高校から智辯和歌山と、いつの時代も高校野球界に歴史を刻む学校が現れますよね。
素晴らしいです😁
石井毅投手は2018年の選手権でのレジェンド始球式に登場しましたね。2日目の第1試合で、球審を務めたのがあの1979年の星稜のエースだった堅田投手。素晴らしい始球式でしたね。
堅田投手はサヨナラ負けの後、球審の永野さんから試合球をそっと差し出されたそうですね。
永野さんの振る舞いに感銘を受け、自身も審判になられたようです。
@@highschool-baseball-history さん
ありがとうございます。あの年のレジェンド始球式ではあの松井秀喜さんが母校の星稜の試合で登場したのも話題になりましなね。
箕島🆚星稜は、高校野球史の中で史上最高のゲームですね❗ 箕島高校は、いろいろなOBがいますね。
石井と堅田のツーショットは素晴らしかった。泣ける…
高野連の粋なはからい
箕島はPLキラーみたいな存在だったらしいです。強いPLを倒す箕島。それだけでなくドカベン浪商も倒した。箕島はPLキラーというより、大阪キラー的な存在。箕島高校はかなり強いイメージがあります。でも榎田さん時代にPLに敗れたみたいですね。
PL学園が台頭しはじめた頃、箕島が急速に台頭し、全国屈指の強豪になりましたよね。
今思えば、地方の公立校が大阪の私学にここまで強かったのは、凄いことですよね。
高校野球ファンとして自慢は箕島星稜延長18回を
甲子園で見ていたことです!!!2度目の同点ホームラン出た時は、
内野3塁側にいたがYシャツ姿のサラリーマンが うそだろ!うそだろ!と嘆きながらしゃがみ込んでいたのを覚えています
第4試合での18回なので家に着いたのって22時前だったかなぁ
浪商とのセンバツ決勝もアルプスで見てたがいい思い出です
それは自慢出来ますね!
羨ましい😂
サラリーマンの描写がリアルですね。
箕島が活躍した時代はまだ産まれてないけど長い高校野球ファンがよくPL学園や池田に並んで箕島を挙げるから凄い学校ってのは伝わった
昭和後期の高校野球ファンの方からは、その三校の名前は必ず挙がりますよね。
@@highschool-baseball-history
それほど活躍が著しくて心に残る試合や学校でもあるってことですね
特に池田は監督に選手も根強い人気ですからね
常総も入れてくれ❗☺
池田も入れたって。
銚子商、報徳、静岡商も入れてください
箕島の試合がある日はテレビにかじりついて応援してた。
しかし、日直 勘佐、硯ってマニアックですね。2人とも私にはヒーロだった。
箕島は本当に存在感のあるチームで、人気も絶大でしたね。
1983年の世代は、日直の二人の活躍が印象に残っています。
1979年の夏の大会決勝 池田戦での逆転スクイズが鮮明に覚えてます。
アクバチックなスクイズでしたね。
公立で春夏連覇
2013年の初日第3試合の日川戦の時に開会式のゲストだった松井秀喜が
どうしても箕島の試合が見たいと行って第3試合まで残って観戦したんですよね。
箕島に勝って欲しかったと試合後にコメントしていました。
あの松井さんにそこまで言わすとは。箕島高校のネームバリューを感じるエピソードですね。
ご教示いただき、ありがとうございます😊
@@highschool-baseball-history 松井は星稜対箕島は星稜にとっても誇りの試合だと言ってますね
すごい、ありがとう
松井さんが高校に入って初めてのホームランは、確か箕島との練習試合ですね。春休みは毎年和歌山に来ていました。
星稜の山下監督は箕島の尾藤監督に弟子入りした関係でよく練習試合をしてたんだと思います。
和歌山=箕島、奈良=天理、京都=平安、滋賀=比叡山、兵庫=報徳、大阪=PL
何となく、私がガキの頃は、毎年、上記の高校が甲子園に出ていたイメージが強いw
コメントありがとうございます!
当時の近畿の勢力図そのまんまですね😆
今だに常連は天理と龍谷大平安とたまに報徳やな。
1979年夏の対星稜戦は伝説の名勝負。余談ですけどカレーのあばずれネーサンは当時の在学生で、嶋田宗彦氏とは幼稚園から高校まで同じだったらしいです。
ネーサンとは、現在収監されている方ですね!?
島田宗彦捕手とそこまで一緒だったとは知りませんでした。
箕島対星陵は今でも伝説の試合だね。
ですよね!
100回大会の開会式、松井秀喜さんが、開幕試合始球式を務める事でそこに関心が集中し過ぎた中で、大会会長が挨拶の中で「栄冠は君に輝く」の作詞者加賀大輔さんと松井秀喜さんが同じ出身地である事に触れた時、松井秀喜さん一人に注目が集まらない様に、甲子園の高校野球で長らく審判を務め、審判員の中にいる、延長18回の死闘の演者の一人であった星稜エース堅田さんを見逃さずに捉えたNHKのカメラマンはアッパれでした。
@@山田市之助-q8l さん
素晴らしいカメラワークですね😊
確かこの試合のTV中継がNHK教育テレビ史上最高視聴率を記録して、
今もこの記録は破られてい無い筈。
@@まじんはひまじん-n1y 日曜日の夕方だったんですよ。友だちと「終わったら飯食いに行こう」と言いながらーーーー「さぁ行くぞ」と何度か支度してーーーー。「球史に残る」と言うけど(テレビですが)リアルタイムで見ていた事が忘れられない。
コメント500越えはホントにスゴイ!箕島高校野球部の人気は永遠に不滅ですね😂🎉
皆様のおかげで、いつも温かいコメントを多数いただき、本当に感謝しかありません!
いつもありがとうございます😁
僕の地元の福井商(福井)が1978年の選抜で準優勝するんですが、準決勝で対戦したのが箕島。福井商の板倉投手が13安打を打たれながら、なんと78球で完投勝ち。最少投球の大会記録が72球で、あわや記録更新かと話題になりました。早打ちと、ランナーを出した後のダブルプレーが多かったのが要因ですね。勿論、動画での説明の通りPL学園戦で全精力を使い果たしたのもありますが。
板倉投手の巧投が光りましたね。
雪国のチームらしく、福井商業は粘り強いチームですよね。
動画にもあるように、智辯和歌山が創立したとき、和歌山は箕島全盛時代。
創立3年目に智辯和歌山中学に入学した私も、紀三井寺球場でトランペット吹いて応援はするものの『また箕島に負けた』と何度も箕島相手に辛酸を舐めさせられました。
智辯和歌山は、野球部だけでなく応援団、チア、ブラバンはみんな『打倒・箕島』の思いは強かったと思います。
なので、智辯和歌山が今ほど強くなったのは箕島高校があったから。もし箕島という絶対的王者がいなかったら、ここまでも強い学校になっていたかどうか、と思います。
紀三井寺でトランペットを吹かれていたんですね!
今は立場が逆転しましたが、智辯和歌山が強くなる過程に於いて、箕島の存在は無くてはならないものだったでしょうね。
高知の明徳義塾も高知、高知商に辛酸をなめされ続けられながら。審判からも私学はことごとく不公平な判定に泣かされることのないような攻撃的野球になったとか。
箕島は私の高校野球ファン人生の中で一番応援していたチームですが、基本的に春センバツでの活躍が印象深く残っています。でもメディアは夏の星稜戦ばかり採りあげているので、チョット寂しい感じですね。
成績を振り返ると、圧倒的に春の選抜での実績が抜きん出ていますよね。
星稜戦があそこまでの試合にならなければ、「サクラの広陵」みたく、春に強いチームというイメージが定着していたかもしれませんね。
全く私も同じことを思います。箕島といえば春のイメージ。リアルで観た3度のPL戦。浪商戦。明徳戦。全てが忘れ難い試合です。
愛甲猛の談話の際、やくざのイラストを映しているところが最高。
細かいところまでご覧いただき、ありがとうございます😁
要は東尾のおかげ…東尾が無名の県立に行ったおかげで歴史が始まった😌
東尾さんの入学が箕島の運命を変えたのは間違いないでしょうね。
東尾は西鉄ライオンズが黒い霧事件で弱体化した時もチームを支え、西武になった時も断トツ最下位から黄金時代に持っていった…凄い人だ…しかし、尾藤監督はプロ野球大嫌いだったから、大活躍する東尾とあんまり師弟関係の交流がテレビで流れなかったのは残念…稲尾と東尾の師弟関係は良く見たが😆
尾藤さんの鉄拳制裁は有名だった、特に島本講平さんの頃は凄かったと、手元の本には記載されてる
まさに「鬼の尾藤」だったらしい
尾藤スマイルと言われる前の第一次監督時代は、相当怖かったそうですね。
試合では尾藤スマイル、練習では鬼の尾藤で。
私は、和歌山在住で夏の県大会は欠かさず智弁和歌山と箕島の試合を見に行ってます
母校でもないのにこの2校の校歌は歌えますね
尾藤公さんが監督時代は水を飲むなの時代でしたけど、尾藤公さんは水分補給を推奨していました。
その水は蜂蜜とレモン汁を混ぜた水でそれがスポーツドリンクの先駆けとも言われてます。
きちんと医師と相談して作ってたそうです。また試合の合間にバナナやチョコレートなども食べさせていたみたいです。
尾藤さんは今の高校野球の選手が当たり前にしていることを先駆けて導入した方なのかもしれませんね
コメントありがとうございます!
昭和の時代に結果を残した監督さんは、何かしらの先見性が高かった人が多いと思いますね。
尾藤さんはお話いただいたように栄養補給や水分補給もいち早く採り入れておられたようですし、メンタル面の強化にも取り組んでおられましたから。
日直が硯、勘佐というのが良いですね
ありがとうございます!
二人とも苗字が印象深くて、記憶に残っていましたので。
三回戦で、高知商の津野投手(日ハム)にグランドスラムを浴びて消えましたが、初戦の吉田戦は、箕島野球ここにあり!と呼ばれたミラクル勝利でしたね☺
春夏連覇ではありませんが 大分県立津久見高校も春と夏優勝しています
公立高校で野球部も地元の子だけで優勝しました
今の高校野球を否定するつもりはありませんが 昔の高校野球のほうが地元愛があり 郷土の代表、誇りというものがあり良き時代でした。
私も個人的には、地元の子達で甲子園に出るチームを応援しますね。
高校野球が郷土愛に満ちた、良い時代でした。
昔はほぼ外に出るということがなかったんじゃないですかね。公立でも越境は優勝こそしてないものの山梨の市川高が甲子園出てきたときとか。樋渡投手を擁しての。今から30年ほど前。
1991年選抜では大阪桐蔭に負けたけれど、その大阪桐蔭戦で林孝哉選手が2打席連続ホームランを打ったのは印象に残ってます。
林選手はその年にドラフト7位で福岡ダイエーに入団、日本ハム、千葉ロッテでプレーした後、現在は北海道日本ハムのヘッドコーチをしています。
林選手のホームランは印象的でしたね。
山路投手も好投手でした。
尾藤監督最後の甲子園でしたが、非常に力のあるチームだったと思います。
懐かしいですね 尾藤 公監督 亡くなられて 10年以上経ちますね
春夏連覇の年は 国体も優勝して 3連覇だったと 記憶してます
国体は4校優勝という、珍しい結果だったようですね。
和歌山県出身というと、あー、あの箕島ってのが、何回かありましたね。。和歌山県民の誇りです。
当時は和歌山県と言えば箕島。
というくらいの存在感だったのですね。
コメントありがとうございます😊
箕島のおかげで有田は「コレラ」の汚名を返上できました。全国のみんなは「」の方はすぐに忘れてしまいました。それほどすごい活躍でした
僕は千葉県在住ですが、2005年甲子園出場した銚子商業も徐々に復活の一歩を歩み始めてます。ここ6年で5回ベスト16進出してるので、ベスト16を突破してほしいと願ってます。
同じように愛媛県の松山商業も今年の春の愛媛県大会優勝しました。
簑島、銚子商業、松山商業が甲子園で見られることを期待してます。
挙げて頂いた公立の古豪の復活、私も期待しています。
銚子商業高校は、1995年の選抜で、初戦で、当時の注目選手の1人の福留孝介擁するPL学園に勝利して、最終的には準優勝でしたね。
私は茨城在住ですが、ガキの頃土屋・篠塚をようした黒潮打線が忘れられない。大漁旗の応援も凄かった。斎藤監督とヘラブナ釣りをしたこともある。利根大橋から見える正面高台の校舎にエールを送りたい。頑張れ!私立に負けるな銚子商業!応援してます。
@@亮鈴木-i6p
元ロッテの澤井選手がいたときですね。
東の澤井、西の福留と騒がれていたみたいですね。当時4歳なので記憶にありませんが、当時を知ってる人が言っていました。
@@岩間浩明
去年の春の千葉県大会でも準優勝をして、関東大会では1勝。
大学でも続ける選手が増えてきてますが、悉く夏の大会は5回戦の壁が立ちはだかります。
・2017 市立習志野
・2018 成田
・2019 市川
・2020 千葉黎明
・2022 成田
特に2019年は市川の左投手に要所を抑えられてしまいました。
いつかは千葉県大会準決勝で市立習志野、銚子商業、千葉商業、拓殖大紅陵が優勝を争うようになることを期待してます!
箕島は尾藤監督が強くしたのは誰もが知るところですが、尾藤監督の息子を一年生からベンチに入れ 夏の予選で投手で先発させ敗退させてから箕島は弱くなりました。
そこから和歌山の有望選手が箕島を避ける様になりました。
その時期に和歌山で野球をしていた人は誰もが知る所です。
野球王国黄金時代を作ってくれたのも尾藤監督です。
そういう理由で有望選手が避けていったのですね…
公私の線引きは難しいところですね。
ちなみに、星稜高校のエースだった堅田さんは時々甲子園大会の審判として出ているのを見るととても懐かしく思い、もし箕島高校対星稜高校の試合が甲子園で実現したら、主審を務めている堅田さんを見てみたいなと思います。
それは実現したら素晴らしいですね。
只、堅田さんは2021年をもって、残念ながら審判員を勇退されました。
ありがとうございます。
全然知りませんでした。
残念ですが、またいつの日か実現する事を祈ってます。
返信ありがとうございました。
そして堅田さん、お疲れ様でした!
@@秀稔藤井-c9t さん
こちらこそご視聴いただき、ありがとうございました!
今後ともよろしくお願いします。
堅田さんは既に審判を引退されました。確か堅田さんはとんねるずのタカさんと生年月日が同じと聞きました。
箕島対星稜の延長18回戦をリアルタイムでたまたまテレビで見ることが出来ました
中学2年でした
星稜が1点取れば箕島も返す
正に名勝負 あんなに手に汗握る試合は無かったです
尾藤監督も大好きな監督さん
本も買ってまだ大事に取ってあります
箕島の校歌も今でも歌えます😆
高校野球の魅力を教えてくれた試合でした
石井投手始め皆さんお元気かな〜
箕島対星稜は「神が創った試合」と言われる程、劇的なものでした。
箕島高校を見て高校野球ファンになられた方も多いでしょうね。
「僕、ホームランを狙っても良いですか?!」…島田捕手のこの一言は、二死になって、チーム全体が諦めムードで沈んでいる雰囲気に耐えられなくなって、そのムードに染まらぬように自分に喝を入れて、仲間達も奮い立たせようとした島田選手のファインプレーだと尾藤さんは話しておられましたね😊
島田宗彦選手は野球を良く知っていると、後年尾藤さんも高く評価されていましたからね。
箕島から1984年阪神タイガースドラフト1位 嶋田章弘投手 ルーキーの1985年9月15日 対 中日戦 甲子園ライトスタンドで観戦。先発は、嶋田と郭源治 すばらしい投手戦 0対0の9回 現監督 岡田のサヨナラ2ランで勝利。嶋田は9回表途中降板ながら、すばらしいピッチング、前年の取手二戦の悔しさをぶつけるようでした。甲子園はタイガース優勝目前マジックも出て敬老の日の祝日も重なり大変な熱気でした。ちなみにキャッチャーは嶋田兄ではなく、この日は木戸でした。
嶋田投手、あそこで勝ちきれていたら、その後のプロ野球人生はどうなっでいたでしょうね。
今なら二刀流と言われていたかもしれません。
令和でも公立高校の優勝見てみたいですね
横浜ファンなので中川投手には期待してます
近年では長崎県の清峰以来、公立校の甲子園優勝はご無沙汰ですからね。
平成以降でも春夏合わせて公立校の甲子園優勝は5校のみで、そのうち3校が佐賀県と長崎県という、比較的甲子園での実績が地味な県というのが面白いですね。
黒板の日直は1983年夏出場した時の2年生選手ですね。
吉田との試合での9回2死からの硯選手の同点ホームランが印象的でした。
その年以来夏の勝利がないのは残念です。
その時の主力打者の二人ですね。
苗字が印象深くて、日直に選ばせていただきました。
吉田高校の2年生の遊撃手が、後に黄金時代の西武で活躍した田辺徳雄選手でしたね。
@@肉ジャガー さん
そうですね。
渋いながら力のある選手でした。
平成になってからは春の甲子園での勝利はありますね。
日直のところに勘佐、かんさ、硯、すずり、箕島の珍名スラッガー2人の名前が泣かせる
この珍しい苗字が、同じ世代のチームに在籍していた事が印象深くて日直にしました😊
浪商エース牛島はピンチを迎えた時監督が敬遠しろって伝令を
「黙って見とれ」って追い返したんだよな
それで勝負に行った牛島を打ったのが箕島北野だったよな確か
その流れですね。
牛島投手の気の強さが伝わる話ですね。
春夏連覇の星稜戦は有名ですが、選手権決勝戦池田高校の時のスクイズが凄かった!
榎本選手のサーカススクイズですね😌
@@highschool-baseball-history さん あれも奇跡です!
野球好きな知り合いからあだ名で、監督と呼ばれました。箕島のビトウ監督いなかったら、毎回オフジ、オトウと呼ばれました笑
ほんとに箕島の尾藤監督のおかげで名前がちゃんと読まれる機会増えました。もっともっと活躍して欲しかった。
地元ではないですが、甲子園では毎回応援してました。
確かに、尾藤監督が有名なので、お名前が間違えて呼ばれる事は無さそうですね。
本当に存在感のある監督さんであり、チームでした。
大変面白かったです。次は公立で夏春連覇の蔦監督の池田高校も見たいです。
ありがとうございます!!
池田高校も取り上げたいと考えております。
池田は夏春。そして夏(1983)というところでPLのKKコンビの台頭で夢が潰えたんでしたよね。
本当に強かった箕島‼️。尾藤監督は蔦監督と並び大監督🤗。
共に地方の公立校を率いての春夏連覇に夏春連覇。
本当に偉大です😊
高校野球で一時代を築いた二校ですね🤗。箕島、池田また甲子園に出て欲しいです🙋。
箕島の春夏連覇の最後に立ちはだかったのが池田と言うのも、何かドラマチックですよね。試合内容も良かったし。畠山を筆頭にその池田の勇姿を見て池田に進学を決めたと見える世代が3年後に全国制覇を達成し、高校野球の姿も変え、ラッキーゾーンの撤去まで引き起こしました。
尾藤・蔦・木内・斎藤 監督かな、名将は。
@@岩間浩明
栽、高島、上甲、香田監督達を忘れずに!
箕島高校は尾藤公さんの指導のおかげで有名になりました元池田高校監督の蔦文也さん元智弁和歌山高校監督高嶋仁さんも目標にしていました
後の大監督の目標になるほど、尾藤監督の育成手腕や采配は秀でていたのでしょうね。
和歌山からですが、和歌山は野球だけは絶対に負けてほしくないですね!この全国屈指の田舎で何回も優勝するのは伝説!現在大阪がむちゃくちゃ強いが、やっぱり和歌山から大阪にいくんやろな~
和歌山県は確かに都会では無いかもしれませんが、高校野球の歴史は本当に誇れますよね。
夏の県大会は全試合完全中継と野球熱も高いですし、これからも野球が盛んな地域として頑張って欲しいですね😌
今でも市立和歌山とか強いですよね。智弁和歌山は名将高島監督が勇退されたんで今まら古豪復活あるかも。
この動画が学校の黒板がモチーフになってるけど、日直の名前が勘佐、硯の名前が泣ける。2人とも吉井投手の時のチームの選手で特に硯選手のとてつもないパワーには驚かされた。甲子園初戦の9回、1点負けていて1アウト3塁でバッター硯選手がスクイズを外されて3塁ランナータッチアウトで2アウト、ランナー無しで万事休すかと思われたが硯選手のホームランで土壇場同点に追い付いて延長戦で勝った。
箕島高校が人気だったのは9回裏や延長戦で負けていて追い付くような漫画みたいな試合が多かった事と公立高校で春夏連覇は箕島高校だけ。全国から素質のある選手を集めるのじゃなく地元の和歌山県の高校生で強豪校として全国に知れわたった事が今の時代では考えられない。
箕島高校の強い時代、地元和歌山では、夏等に道で知り合いに会うと『昨日、箕島勝ったなぁ』が挨拶代わりだった。
箕島の試合結果が挨拶がわりになる。
それが高校野球の魅力のひとつだなと感じました。
コメントありがとうございます😊
日直の、硯、勘佐の名前が泣かせる…
84年は、あのメンバー
優勝を信じていたが
尾藤さんは人間味有る良い顔してたよなぁ。
本当に良い表情をされてましたね😊
最近は公立高校の甲子園出場も厳しくなっているので、凄い実績です。
本当にそうですよね。
令和の時代にこういう高校が出たら、奇跡的な事かもしれませんね。
懐かしいお話でした。競合校が台頭すると出られなくなってしまいますね。取手二ー常総学院。PL学園ー大阪桐蔭も似たような関係なのでしょう。
ご視聴いただき、ありがとうございます!
取手二高も、甲子園から完全に遠ざかってしまいましたね。
箕島と共に、復活して欲しい一校ではありますが……
箕島高校からプロに行った選手多いな!しかもドラ1で…。
確かにドラ1が多いですね。
@@highschool-baseball-history
その割にプロでは大成しないのが残念ですね…箕島も智弁和歌山も。和歌山で高校、プロと一流だったのは、、投手では箕島の東尾選手、打者では市和商の藤田平選手が真っ先に浮かびますが…
同じ年に1位二人もあった。阪神島田投手と広島杉本投手。
自分の中では100回大会で星稜-済美が出てくるまでは、星稜-箕島戦が最高試合だったけど、箕島戦は、奇跡や感動シーンの度合いが、箕島ばかりに偏り過ぎるのが今一ねぇ😅…ヤッパリ一位はどちらも平等にチャンスを生かしてピンチを凌いで追いつ追われつのシーソーゲームを、最後に済美が、甲子園大会史上初の逆転サヨナラグランドスラムの大どんでん返しした星稜-済美戦が、夏の甲子園大会100年の歴史を語るような、一番好きなベストバウト!😊
あの済美のサヨナラ満塁ホームランの時、テレビを見ながら思わず大きな声が出てしまいました😅
本当に大興奮のゲームでしたね。
7回、8回で且つ戦前ですけど甲子園の100年以上の歴史の中で2校しかない(嶋清一の居た同じ和歌山の海草中)春夏じゃなくて、夏、夏と連覇した和歌山中(公立、現在は桐蔭高校)やって欲しいです!!
高校野球の黎明期に於いて、和歌山中学の存在は外せませんよね。
智辯和歌山は県内から、野球の上手い中学生を引き抜いてくるし、和歌山では屈指の進学校で、私立だけど授業料も安いんで、親御さんも有難いんで、どんどん強くなりましたね。公立では、かつて阪神の藤田や、広島の正田が卒業生の旧市和商、現在市立和歌山高校が智辯和歌山と入れ替わりながら、県代表になってますね。
現在の和歌山県は智辯和歌山が大横綱で、おう市立和歌山という構図ですかね😳
市立和歌山は県内だけでなく、ヤクルト川端選手の父が監督を務める大阪府貝塚市のボーイズリーグからも選手が入部してきています。ヤクルト川端の他、ロッテの松川捕手や横浜の小園投手もその流れです。
2024年センバツ 出場濃厚 県立耐久高校期待してます。21世紀枠 出場微妙な県立田辺高校 選ばれてほしい。箕島も奮起してほしいね。2023年12月17日記入
耐久、田辺の戦いぶりは、和歌山県の公立校に勇気を与えましたね!
春の選抜が楽しみです。
故・山際淳司さんのエッセイ集「スローカーブをもう一球」の中にある「八月のカクテル光線」が箕島対星稜の延長18回の激闘を題材にした珠玉の一作として収められています。80年代の野球ファンには伝説となっている「江夏の21球」も収められており、電子書籍もあるので、興味のある方はぜひご覧いただきたいです。全体的に夏の描写が多く、読み終わったら喉が渇いてしまいます(笑)。
「スローカーブをもう一球」は、随分と以前に拝読しました。
もう一度読んでみたいと思いました。
コメントありがとうございます😌
箕島ー星稜の延長18回、日本シリーズの江夏の21球と、同じ1979年で。
神奈川県の県立高校を特集して下さい!
希望ヶ丘以降60年以上出場がありません。
横浜商業は市立ですしね。
神奈川県の県立校は、かなりのブランクがありますね。
またリサーチしてみます。
コメントありがとうございます😌
大昔に湘南が優勝してその後ばったり 進学校のチキチキに変貌したとかw 神奈川は鶴見工も甲子園出場歴あるそうですね。
うちの元実家の近くに本校、ばあちゃん家の近所に機械科のある宮原校舎があったから、周りみんな高校野球詳しかった
「〇〇くんとこのお兄ちゃん、箕高の野球部でレギュラー取れそうやって」みたいな話が回るとあっという間に弟も有名人でした
ちなみに父は和歌山工で甲子園に何回か出た岡田監督の知り合いで和工対箕島とかなると大興奮してましたw
正に地元に愛される野球部というエピソードですね。
和工も甲子園からご無沙汰ですが、個人的には復活を期待する一校です。
91年の山路‐九鬼は凄かったな
それまでは「箕島」をあまり知らなかったけども、夏も見れると思ったら出てきたのが確変前の智辯和歌山で学法石川の川越に捻じ伏せられた。
あの当時の智辯和歌山は、まだ勝負の詰めが甘かったですよね。
まだ智弁和歌山が駆け出しの頃の話ですね。
78年の第60回記念大会での2回戦、箕島対広島工は6-1が正解。
箕島対星稜戦は3回戦初日の第4試合だった。これが3回戦2日目だったら翌日に準々決勝を戦わなければならなかったので、日程運もあったと思う。
地元(和歌山)で聞いた話しでは、春夏連覇の年、選手は夏休みが短くなるのでいつ負けてもよいと思っていたようですが、星稜戦での勝利がきっかけになって本気で連覇を狙うようになったとのことです。
なるほど。
やはり春夏連覇をするには実力だけでなく、運も必要なのかもしれませんね。
勝ち続けて宿泊が長引くたびに、ホームシックになったり、あるいは電車に乗って大阪や神戸等の大都市へショッピングへ行く球児もいる事でしょう。何せ多感な時期にある高校生ですので。又、学校側も募金活動や宿舎の水や食糧が口に合わず、あえて郷里から水や食糧を送ってもらうのも今や当然となりました。
77年夏前には有田でコレラ騒ぎがあった。一番重要な時に、外での練習が出来なかった。
そうらしいですね。
登板過多による東投手の不調も重なり、その年の夏の箕島は厳しい戦いになりましたね。
@@highschool-baseball-history そして春の近畿大会出場の剛腕木下投手を擁する田辺が決勝で箕島を完封、当時紀和大会で智弁学園に敗れました。
@@マサシライアン
選抜優勝の箕島、4強の智辯、8強の天理が同じ紀和大会で夏の代表になれるのは1校だけ。
翌年からは1県1校になるのが決まっていた中での最後の紀和大会は大激戦で。
もちろん選抜出場した3校以外が甲子園出場となる可能性もあったけど。
@@吉岡正之 さん 天理・福家に鈴木康友、智弁学園・山口などスター選手を相手にしなければならなかったです。因みに秋は箕島は天理に敗れてましたが尾藤監督の采配が当たりまくったのと東裕司投手の好投で選抜優勝でしたが、春の県大会覇者の田辺に木下投手の負けに完封負けでした。紀和大会は、天理を敗った智弁学園が田辺に逆転勝ち、田辺の選手は初めて見たという山口投手のスライダーに翻弄された(選手談)中盤以降は歯が立ちませんでした!
箕島は東尾、島本講平、尾藤監督が切り開いたが、基本そんなにプロ野球選手は輩出してなくて、広島商業の野球を進化させたような【シブトイ、きめの細かい野球】が持ち味、故に春夏連覇時はともかく、力強さより堅実さが重要な【春の選抜に】強かった。アンダースロー石井投手の安定感が全て【プロに入ったのは住友金属経由】しぶといんだよ。打撃戦なら打撃戦、ロースコアならロースコアに対応できる野球。
吉井もいた。すみません。結構輩出してるようですね。ただ、派手な選手は少なかった印象です。偶然か?水島新司のドカベン明訓高校とユニフォームがそっくり。東尾の時代から???
水島新司さんは、明訓のユニフォームに箕島の影響を受けていると思います。
それだけ、当時の箕島の強さは際立っていたのでしょうね。
おっしゃる通り、本当にしぶとい野球をされました。
石井投手とバッテリーを組み、社会人を経て阪神に入団、木戸克彦さんに次ぐNo2捕手として1985年日本一に貢献した嶋田宗彦さんもいますね。
箕島で野球したかったなぁ…
そういう球児も多かったでしょうね。
中学の時に四番でエースのカセダ君もそう思って入学したが、尾藤さんに相撲部に入る様言われて方向転換したそうです。そして今は春日野親方
@@captainfuture3754 さん
栃乃和歌関も箕島出身だったんですね!
興味深い情報、ありがとうございます😊
77年選抜制覇後、チームは韓国遠征を行うが、主力選手が帰国したら、コレラを発症。夏の大会の大切な追い込みの時期に、調整が上手くいかなかった事もあり、県大会決勝まで勝ち残ったものの、田辺高校に敗れ、春夏連覇の夢がとざされた。その田辺高も、紀和大会で、箕島が選抜準決勝で倒した智弁学園に敗れ、甲子園を逃した。
この年選抜ベスト8の天理は、県大会で智弁に敗退。稀に見るレベルの高い年、かつ最後の紀和大会予選になりました。
当時の夏は奈良県との代表争いがありましたから、箕島も中々夏の出場が出来ませんでしたね。
コレラは本当に残念でした。
朝鮮半島はもう夏になれば雨季で毎年洪水をおこしコレラや赤痢が当たり前だった。
箕島の守備の時のユニフォームが当時人気あった漫画ドカベンの明訓に似ていたんだよな
明訓と箕島のユニフォームが似ているというお声は、良く聞きますね。
石井投手が明訓・里中とダブってみえた。
@@髙やんさんそうそう 見えたねw
嶋田捕手は山田太郎の4番バッターではなく、走れる1番キャッチャーだった記憶があります。浪商の香川はそのままだったね。
箕島の野球を尾藤さんから学びたくて、遠方からも泊りがけで来られていた監督は数多くおられます。県内でも智辯和歌山の監督に着任した高嶋さんがダメもとで
チーム力は雲泥の差であったのに快く了解してくれて毎年、定期戦として試合して貰ったことを今も感謝されています。試合後に尾藤さんとうな丼食べながら
野球談議した事が後の財産になったと言われています。尾藤さんが亡くなられた時に棺を持たれているのはお世話になった監督さんが全国から参列されて感謝の念を
表されましたね。
尾藤さんのお人柄、影響力の大きさが伝わるエピソードですね。
ありがとうございます!
有田市には何回も行ってますが釣り人で賑わうのどかな所で尾藤監督も地元の人です。
あずま投手は選抜優勝後その当時有田市を襲ったコレラに感染したと新聞で報道されてました。
9回最終回で劣勢でも延長戦を考えてベンチ前で投球したのが島本講平投手でおそらく元祖だと思います。
公立校唯一の春夏連覇高校で有名なのとプロ野球選手も多く輩出していて魅力がある学校です。
箕島高校の大ファンとして復活を期待しております!
私も個人的に有田市には何度もお伺いしました。
箕島高校復活を祈念しております!
@@highschool-baseball-history オ一ルド高校野球ファンにはたまらないテ一マの動画ですね!これからも楽しみに拝見させていただきます!
他の方のコメントに市田氏の話が挙げられていますが、「お前は野球よりお笑いのセンスがある」と芸能界入りを勧めたのが尾藤さんです😁市田氏と同学年で中学生の時に箕島の試合を観て、野球部の入部を決意した綛田という少年がいました。尾藤さんに「野球部は部員数が多いし、レギュラーどころかベンチ入りすらできないかもしれない。しかし、体格がいいから、相撲部へ入りなさい。」という助言を受け、相撲部に入部し、その後彼は明治大から春日野部屋に入門しました。その人が元栃乃和歌の春日野親方です😊
今度は戦後の古豪の新宮高のヒストリーを取り上げて下さい❗️昭和25年〜31年までに特に夏の大会では29年〜31年に初の3連覇して特に29年〜30年は前岡旋風を起こして今でも戦後の左腕投手では低めに行くと砂塵が舞ったのはこの前岡投手と右腕、浪商の尾崎行雄投手の二人だけです😊令和5年1月2日
新宮高校!
短い期間ではありましたが、一時代を築いた古豪ですね。
またリサーチしておきます😁
@@highschool-baseball-history 新宮と吉備春夏連覇箕島全盛の頃甲子園に届かなかった2校です。よろしくおねがいします!
ありがとうございました😭
こちらこそご視聴いただき、ありがとうございました!
ミッキーマウスはほとんど無いヘルメットがかっこいい。
😀これまた日直が硯 勘佐‼️第65回記念選手権 出場の3番一塁手 勘佐 5番 センター硯ですね
ちなみに4番は 後にロッテに入団して外野手を守っていた 山下選手だったか?懐かしい
山下さん、ロッテでも長距離砲として期待されていましたよね。
数年前、息子さんが甲子園に出ていたと記憶しています。
山下は甲子園では勘差が出塁した後に長身を折り曲げてコツンコツンと送りバントを決めてた印象しかないのが・・・
ユニフォームがカッコ良かったですよね。
ところで何で箕島は攻撃の時だけ白いヘルメット(帽子)だったの?
小さい頃そこが疑問でした、普通に黒帽子なんだから黒ヘルメットだと思うんですが、マニアの方おせ~て。
ヘルメットのキズが目立たないため?再染色が容易だから?
暑さ対策もあるのでしょうか?
費用的な理由もあるのかもしれませんね。