【ゆっくり解説 】古代日本史に実在した幻の王国たち。

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  • Опубліковано 29 вер 2023
  • 「やばい古代史」では、古代史に焦点を当てて歴史を紐解いていく番組です。
    我々はどこから来たのか。その鍵を古代史から読み解きます。
    ※この動画は、過去に起こった出来事をわかりやすく伝えることを目的としています。視聴者に衝撃を与えるような目的はございせん。
    ※動画内に、死を連想させるような言葉を出てきますが、関係者を冒涜したり行動を助長するような意図は一切ございません。
    ※動画内の素材は全て引用であり、著作権や肖像権を侵害する目的は一切ございません。
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КОМЕНТАРІ • 22

  • @k_k3737
    @k_k3737 9 місяців тому +6

    26:57 の所、霊夢のセリフを魔理沙が言っててわろた

  • @user-zq5uc7fy2o
    @user-zq5uc7fy2o 9 місяців тому +12

    当時は日本海交易で栄えていた丹後の方が大和より国力が上だったのかも知らんな

  • @user-ri3yz4fc6c
    @user-ri3yz4fc6c 9 місяців тому +2

    いやー 歴史ロマン 😊 ありがとうございます

  • @kamome105
    @kamome105 9 місяців тому +8

    兵庫県の和田山は
    三十万人もの人が
    住んでたとか言われてる
    古墳、住居跡が多いらしい

    • @user-fh6my6kf8n
      @user-fh6my6kf8n 2 місяці тому +1

      城崎・豊岡・和田山・福知山ラインは「国家的要所」。物資にしても人にしても、大陸から奈良京都へ、京都奈良から大陸への最短3本ルート通り道。豊岡コース・天橋立コース・敦賀コース。かつ、川も稲作スペースも。それなりにすべて確保できる。大江の鬼さんがたまに下りてきて出石で蕎麦食ってたかも知れない。天空の~、というより天国そのもの!?

  • @user-vc2wx1lp7b
    @user-vc2wx1lp7b 9 місяців тому +3

    うおお「間人」の読みの由来、初めて知ったぜ!

  • @user-sy8gb1kh2g
    @user-sy8gb1kh2g 9 місяців тому +4

    大阪府高石市羽衣
    地名の「羽衣」の通り、羽衣伝説が残る。昔、天女が 浜寺の松林の美しさに つい地上に降り立ち、羽衣を 松に掛けて海で遊んでいた。
    漁師に羽衣を隠され 帰れなくなってしまいました。

  • @user-jr3ul9hk2g
    @user-jr3ul9hk2g 8 місяців тому

    重たい。。。

  • @masamasaict7312
    @masamasaict7312 7 місяців тому

    日高見国もお願い。

  • @2i215
    @2i215 9 місяців тому

    方言で古代の勢力図が分かるんじゃないかって説は聞いたことありますね

    • @sunsun2181
      @sunsun2181 8 місяців тому +1

      はい。大和朝廷で使っていた言葉は、田舎で都から遠いほど、古代語の名残りがあります。たとえな、「XXXどん」は「XXX殿」の変形ですし、「XXXさん」は「XXX様」の変形です。

  • @KeCN
    @KeCN 7 місяців тому

    冒頭に出てくる大化の改新の大化とは九州年号じゃないか?

  • @user-xw7hg4jh9x
    @user-xw7hg4jh9x 9 місяців тому +4

    建物想像上でも良いから建ててほしいなぁ。

  • @user-fh6my6kf8n
    @user-fh6my6kf8n 2 місяці тому

    GPSがないわけで。「距離」と「方角」と。古代人でも現代人と同じように、いな古代人だからこそ。太陽・月・星についてはかなり精緻な測量技術と根気を持っていた。ゆえに「方角」は信用度が高い。けれども、「距離」それも海上船舶移動の距離についてはなかなか正確を求めること不可能ではないか?

  • @user-sy8gb1kh2g
    @user-sy8gb1kh2g 9 місяців тому +1

    道の駅 丹後王国「食のみやこ」
    「団子王国」に 改名したら良いのに ?

  • @user-uw1mk8ib1t
    @user-uw1mk8ib1t 9 місяців тому +2

    霊夢は食欲あって良いな。

  • @Saitama-kenmin
    @Saitama-kenmin 4 місяці тому

    何時も思うのだが、天は天女を捜索&救出しないんかなぁ。天女に限らず、ロズウェルの宇宙人なんかも。高度な文明の連中にしては案外不人情だいねぇ〜(疑)🙄🤔🤨🧐

  • @user-vn4ed8kd3c
    @user-vn4ed8kd3c 7 місяців тому

    大国主が譲った国はどこ?のちにヤマト王権が興るのは近畿、大国主が譲ったのは近畿地方と言うことになる、確かに現在の出雲地方もヤマト王権の勢力下に入っただろうが、出雲氏がいなくなったわけではない! あくまで妄想ですが、古代吉備出雲を中心とする連合国家が東海北陸まで広がっていたら?もし神武の東征が現実の話なら、吉備が九州の勢力に寝返り、近畿を中心とする連合国家にすり替わった? と妄想してますw

  • @user-fw5jy1zf7y
    @user-fw5jy1zf7y 9 місяців тому +1

    大丹波王国。
    王家(国主)はもちろん
    海部氏
    (丹後一宮。元伊勢外宮。与謝野宮。籠神社の社家宮司家)。
    元々、
    徐福が彦ホアカリ(天火明命)を自称して
    秦の始皇帝の使節として
    出雲王国に渡来。
    (秦帝国の使節の地位をバックに)
    出雲王国の内親王(王女)と結婚して
    生まれた
    五十猛が
    後に丹波に移住して
    海(あま)家を創設して
    海(あま)香語山と改名。
    そこに九州に再度の渡来を果たした父、徐福がニギハヤヒを号して
    佐賀の吉野ヶ里に定住帰化。
    北九州を支配していた
    宇佐族で出雲の分家、
    胸肩(宗像)王家にすりより
    二代目の惣領、サヨリ(市杵島)姫命と
    結婚して
    徐福の次男、彦ホホデミ(物部王家の祖)
    と娘のホヤ姫命を生んだ。
    ↑のホヤ姫命が丹波に移住した
    異母兄、五十猛。改め、
    海(あま)香語山命と結婚して
    生まれた海(あま)村雲命(古事記等の偽系図上の神武天皇)
    を祖とする
    大和王国海(あま)王朝の傍系王族
    孝霊、海(あま)フトニ大王の時に
    三代タマテミ大王の出世~即位に絡み、
    尾張家が大王継承権を声高に唱え出して
    拗れに拗れて
    孝昭天皇?の頃から本格的な内乱状態に突入。
    いつ果てるとも知れない不毛な内乱に
    九州の同祖親戚の
    物部王家が付け入り
    大和に侵攻
    (第一次物部侵攻!)
    紆余曲折の末、物部軍は大和入りを果たして
    旧来の内乱に明け暮れていた
    海(あま)王朝の孝霊天皇ら大王家、王族や豪族たち(出雲族)を
    大和(奈良盆地)から一掃した。
    この際、
    尾張家(本姓は海家)とお隣さん
    の海部家は行動を
    共にして
    中京地域に入り、
    尾張家はそこに盤踞して
    尾張王国?を築き上げ、地名も尾張になった。
    (↑の内乱のきっかけともなった
    村雲大王が出雲王国から拝領した出雲式の剣、
    いわゆる
    海(あま)村雲大王の剣→天叢雲剣を尾張家が保持。それを収蔵、鎮祭したのが熱田神宮。)
    行動を共にしていた
    海部家は
    ここで別れて
    父祖創業の地である
    丹波国に回帰して
    大丹波王国を建国した。
    この際、隣国の但馬国に侵攻して
    北部地域を奪取したという。
    大和系の神社が日本海沿岸地域に点在するのはその名残らしい。
    (ダレソレの為に御屯(御料地)を云々と誤魔化した)

  • @VvV-hs8ew
    @VvV-hs8ew 9 місяців тому +1

    無🙋

  • @user-fh6my6kf8n
    @user-fh6my6kf8n 2 місяці тому

    ほかの「霊夢と魔理沙」のかけあいが絶品過ぎるのか。この回は、魔理沙の説明ばかりが冗長過ぎて、完成度が低い。歴史学者さんも、たまには遊びに出かけなよ。