【朗読】山本周五郎「一人ならじ」 ~武家に生まれた男子の命は御主君のものである、~一命は御主君に捧げてございますので、自分には死ぬべき命はない、生き抜いてお役にたつことが御奉公であると考えております。

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  • Опубліковано 29 сер 2024
  • 栃木大助は甲斐の武田晴信の家来で馬場信勝に属し父の代からの二十人頭である。父母はもういないが、父からは「武士はがまん強くなければならぬ」と教えられて育った。その為どんな場合でも弱音をあげなかった。永禄四年、大助二十二歳の時主君武田晴信は越後の上杉輝虎と川中島に決戦を挑んだ。しかし勝敗はつかず両軍とも陣をひいて国へ帰った。同年冬の始めから武田晴信は上野の国へ入り諸方の城を攻め、明くる年の二月、国峰城を破って箕輪城へと迫った。城将の長野左衛門大夫業政は籠城対陣の策をとった。
    堅固な濠が掘られ,架橋が一つあった。城へ斬って入るにはその架橋のみ、橋を確保する事が戦局を左右する。先鋒の兵に選ばれたなかに栃木大助はいた。
    敵は侵入を防ぐために橋を破壊しはじめた…。が、大助とその後ろから突っ込んでくる五十人の先鋒をみて城内へ退却した。大助は橋詰の一部が壊され片方の大桁が台石から外れていることに気付いた。多勢の重みが懸かれば橋は落ちるに違いない、その時咄嗟にとった彼の行動は…⁈

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