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お二方は本当にプロレスが好きで馬場さんは猪木さんのことを弟みたいに接して、猪木さんも馬場さんのことを兄貴のように慕っていましたね👍️二人は偉大なレスラーです。馬場さん、猪木さんのご冥福をお祈り致します😢
馬場が兄貴猪木が弟分馬場が可愛がり猪木が慕っているという関係性がとても嬉しいじゃないか
この二人か居た時代のプロレスが一番面白かったよそれにしても馬場さんが亡くなった時の猪木さんの脱け殻みたいになった………と言う件涙が出てきた😢
更に同世代の大木金太郎や上田馬之介も亡くなっていった時には「俺、一人ぼっちになっちゃったな…」と嘆いたそうです。
それは無理もないと思うアントニオ猪木 さんにとって ジャイアント馬場さんはライバルでもあるけど自分をさらけ出して 甘えられる兄貴な存在だったと思う
馬場「寛ちゃん元気?」猪木「馬場さん、お金貸してよぉ」馬場「まったく、自由に生きるオマエが羨ましいよ・・」こんな関係だったらしいですね
猪木が勝手に入ってきてコーヒーを頼んで会計は馬場が払ったりもあったけど、馬場は先輩で年上だから俺が払うよという気持ちがあったと思う。でも馬場もそれが嬉しそうだったみたいです。
馬場の20回忌だったかの興行に猪木が来たよね、あの時、リング下でしみじみと語った猪木のコメントこそ、もしかしたら本音なのかもしれない。ご自身の体調のこともあって、何かを告げたかったのかも知れない。敢えてリングに上がらなかったのも、今思うと何か意味があったように感じる。
確かにブッチャー、シン、ハンセンらの引き抜き合戦の後に休戦協定を結び、その後二人で定期的に会うようになった時も、お互いニコニコしながら話をしていたそうですね。それを見て坂口征二もとても嬉しかったそうで。
他人が馬場さんの悪口言うと怒る猪木さん猪木さんの悪口を他人が言うと怒ってた前田日明も同じ根底には親兄弟のような絆があったんですよね
ポールの悪口を言っていいのは俺だけだと言って、他人が悪く言うことを許さなかったジョン・レノンに通じるものがある
ジョンレノンもビートルズ解散後、対立はあくまでも兄弟喧嘩と捉えており周りの人がポールの悪口を言うのを許さなかったらしいですね。馬場、猪木はそれに似てるな。
とても良い動画でした!馬場と猪木は、ライバル関係を演出していたのだと思います。二人とも素晴らしいプロレスラーです!全日本プロレスも新人本プロレスも大好きでした!お二人に感謝します。
お互いに苦しい時代を共にして来た戦友で、お互いに本当の素の自分を見せられる貴重な存在だったのでしょう。
全日本が泊まっていたホテル、現場責任者だった渕さん以外全員会場に言ってしまった後に猪木さんが現れて、馬場さんに会いたいと言って渕さんに会場に連れて行ってもらったエピソードが好き。猪木さんの姿を見た馬場さんは嬉しそうにマッチメーカーもやっていた渕さんに1試合追加でぶち込めないかと冗談まで言ったそうです。猪木さんも久しぶりにハンセンとやろうかなぁと軽口で返したとか。ここで「じゃあ馬場さんと」と言い出さないあたりさすがに猪木さんも心得てますね。
表では 対抗意識の両団体でしたけど こうやって裏では和気あいあいと馬場さん猪木さん 改めて 本当に凄い二人だと思います。和気あいあいの馬場さん猪木さん 泣けてくるよね
あと1つ思い出しました。馬場さんが癌で亡くなられた時の猪木さんの落ち込み様はなかったと😭周りが見ていて気の毒な位だったと(ライバルであり。兄貴分であり、戦友を失った感覚に近いのかな?😓)
馬場さんが旅立たれ20と数年の月日がたち、ついに猪木さんも天に召された。その間ずっと一人『アントニオ猪木』でありつづけた猪木さんは馬場さんのところへ辿り着くことで、やっとその暖簾を降ろして心落ち着ける時を手にしたのだと思います。苦労を共にした仲間と死闘を演じたライバルたち、先に旅立った弟子たちが待つ天国で猪木さんはどんな話に花を咲かせていることでしょうか。
猪木「馬場さんがいたから今の俺がある」
馬場「う〜ん、まぁそうだろうなぁ…笑」__ _ /;;;;;;;丶 「「「「ヘ |「 ̄三三 ̄| と ノ || へ へ| || || =・|・=| || (q( 〔_〕) || `| / `| // _/丶  ̄︶ ̄////⌒ `ー―イ /| | 、 `Y´/| | 、_ ノ _丿| | ミ 彡/\\___/(#\\###|
馬場vs猪木は当時のプロレスファンにとって夢のカードだったけどプロレス界を考えたら絶対に実現させてはいけないカードだったのかな、煽る猪木と受け流す馬場この構図をずっと続けていく事が時代的にもプロレス界には必要だったのかもと思う。
馬場と猪木はお互いの興行が地方で被らない様に定期的に会っていた全日の会場に猪木がスーツ姿で単独で現れて、リングで練習中の馬場と話し込んでる様子も雑誌に撮られている若手時代には一つのかき氷を分け合って食べた事もあったそうつまりお互い死ぬまでファンの幻想を守り抜いたという事なんだろう今頃あの世でアンドレとか交えて良い酒飲んでるかもね
その中にテリーも・・・。
大木金太郎ワシも入れてくれ
興行がバッティングしないように裏で話し合っていたというのは、まるでビートルズとローリング・ストーンズみたいですね。この二大バンドも当時はライバルだと目されてたけど、実際は仲が良くてレコードの発売日が被らないように互いに調整してましたからね
私は地方に住んでいますが両団体とも来るたびに良く見に行っていました。馬場さん寛ちゃんと呼び合っていたのを何故か知っていてやはりお二人は仲良しなんだなと気持ちがホッコリしたのをおぼえています。お二人でまた天国でプロレス興行を行なわれていることでしょうからまたいつか私も見に行きますよ。楽しみだな
フリッツ.フォン.エリックを忘れないでね!
昭和プロレス発展の為、不仲を演じ続けた正真正銘の「プロ」のお二人です
とにかくお二人、30代で「両巨頭」と言われていたのは凄いですね。
同じ釜の飯を食った仲で、お互いに団体を立ち上げたことで不仲説が出て、経営者としてライバルだったが、お互いにプロレスラーとして認めており、ジャイアント馬場とアントニオ猪木としてよりは、馬場正平と猪木寛至としての仲は兄弟みたいだった。ふらっと猪木が馬場に挨拶に行ったり、馬場と一緒にコーヒー飲んで(会計は馬場)ゴルフの話をしたりと確執はなかった。また、晩年に馬場が猪木に対し「お前は好き勝手やれていいよなあ」と羨ましがってた言葉は有名。両者とも団体の経営者として表ではライバルを演じてただけ。
馬場さんと猪木さんの関係は、解説の通りだと思います。もう当時を知る人達は少なくなってますが、アントニオ猪木監禁事件が有った梶原一騎(高森朝雄)先生はアングルとか無関係でプロレスラーの人間関係は取材されていたと思います。そんな梶原一騎先生がタイガーマスクで、馬場さんと猪木さんを活躍させてますが、ジャイアント台風で馬場さんのデビュー直後からのストーリーも確認出来たりします。元々仲が良かったと思います。一時期、エース外国人の引き抜き合戦してたりしましたが、アレも話し合いでプロレス界全体の活性化が目的ではないか?と思ってます。ただ長州力選手のジャパンプロレスの動きだけは違う様な気がしますね。
偉大なる馬場さんと猪木さん あくまでもプロレス界を盛り上げる為に見事な演出でしたね。昭和のプロレスは本当に面白かったです。もう 馬場さん猪木さん以上の大スターレスラーは現われないけどこれからのプロレス界 盛り上がって欲しいです。改めて 馬場さん猪木さんに合掌。本当にありがとうございました。
馬場さんが亡くなった後、暫く経った日のある番組内で、猪木さんが馬場さんについての想いを聞かれた時「あの人が居たから今の自分が在る」と仰っておられたなぁ。
真偽はともかく、死してなお「もし仲良くば」というネタだけでこれだけ楽しめるのだから、この二人は本当に格が違う。破格です。
馬場さんと猪木さんが戦友というのは合点がいきますね。やっぱり日本プロレス時代に力道山から指導された2人にしかわからない、心の絆があったと思われます。
その節は当たっています、猪木さんは表面上は反馬場を貫いていましたが、内心では馬場さんを尊敬しており!💰お世話になっており頭が上がらなかった!
おっしゃる通りです!馬場も猪木もプロレスラーを完璧に演じていました。さすがです。お二人が元気だった頃の昭和のプロレスは最高でした!あの頃に戻りたいなぁ~
@@タカシイワハラ やはり対立を煽り、興行の営業を最優先した結果に馬場さん猪木さんも同意したんでしょう、プロは何でも幾ら強くてもお客さんが入らなければ興行が成り立たない、大谷君見たいに人気と実力が兼ね備えて入れば問題ないんだが、G草津見たいに実力ないのにスターにしようとしたして失敗した、国際プロ
馬場がアメリカから帰ってきて、猪木が入れ替わるようにアメリカに修行に行く際、アメリカドルの大金を「日本で持っててもしかたないから」と猪木への餞別として渡したりして気にかけたり、馬場が40で引退しようとしてたところに、猪木が辞めないでとお願いして生涯現役を決めたりして、確執は決してなかったと思います。
おい、泣かせるなよ!いい話きかせてもらった。ありがとう
上手い解説ありがとうございます。全日本も新日本も見ていた世代ですが別路線を走っていた団体ので特に確執とかではなく単に色違いを出している物だと思って見ていました。猪木の自称伝も読んでいても馬場さんに恨みがある事は書かれいません。あくまで同業他社との競争であって馬場さんには確執とか恨みなど無かったように思えます。二人の間柄は本人同士しか分かりませんが悪意など無かったと思います。
二人はお互いに本当のプロフェッショナルだったのですね…1980年代のビッグレスラーと言う雑誌での馬場さんのインタビューを読んだ事があります。馬場さんは幼少の頃から体が大きく、でも性格は温厚で近所でケンカがある度に呼び出されケンカを見事に収めていたそうで、収まる原因は体の大きさと温厚な性格で「馬場が来たならケンカ止める」と言うパターンが多かったそうです。私の個人的見解ですが、猪木さんはブラジルに移民してとてつもない厳しい環境で生活する中馬場さんの温厚で優しい性格に惹かれ、馬場さんは自分には無い凄いハングリー精神をリスペクトして、お互いに『違う自分』を認め合っていたのかもしれません。
仲良かったと思いますよ。
外野の雑音に惑わされず兄弟のような関係を保っていた2人なんですね。素晴らしい!
力道山の三十三回忌のときに、墓前で二人が穏やかに握手してる写真が週プロの表紙になったあれが本来の二人の姿なんだろう。
馬場は鶴田に『猪木のような悲壮感のある表情をできないのか』とダメ出ししていました。
鶴田の若手時代に、よく「猪木を見てみろ!」と猪木の才能を認めてました。「猪木みたいに何かアピールしろ」から鶴田のオー!にも繋がりましたね。
ジャンボに悲壮感演出を求めるのも酷ですよね。結果オー!とピクピクムーブが生まれたのか…
@@jujuws 鶴田は掌底で自分の側頭部を叩くパターンもありましたね😊
@@新河尋仙全日本で一番の猪木ファンだったのが小橋選手。次が天龍かも。
昔ダウンタウンの番組で浜田が猪木さんの前で馬場さんの悪口を言っていたのを思い出しました後日笑っていいともにも猪木さんが出演していたけどタモリさんに先日下らない番組に呼ばれたような事を語っていたから番組中は感情あらわにしなかったけど心の中では腹立たしく思っていたかもしれないですね
他の番組でも晩年の馬場氏の事を言われていたときに猪木氏はあまり良い感じがしないとはっきり言っていましたから馬場氏の悪口言われると不愉快になっていたと思います。
お二方共、プロレスを゙深く理解し、お互いの立場を゙尊重し、お亡くなりになるまで、ライバルを゙演じきったと思います。
自分は三沢さん台頭からのプロレスファンで全日好きで猪木さんの言動はあまり好きではありませんでしたが40半ばになった今は何だか馬場さん猪木さんでプロレスを盛り立てる為に世を手玉に取っていたのかなと。
本当はすごく仲が良かったんだよ。
久しぶりに感動するプロレス考察を聞いた気がするありがとう
特殊な世界だし、お互いに側近の影響とか、色々ありますよね。馬場さんにとっても、孤独に感じた時に猪木さんは唯一自分に近い立場の弟分だったのだと思います。人間関係って、複雑であり、時には単純であるものだと思います。
一杯のラーメンは本当に面白いエピソードですね。練習終わりに馬場が誘うって聞きました、「寛ちゃん、腹減らないか?」って。因みに一杯のラーメンはあくまで締めで、その前に二人とも五杯程ラーメンを食べた後にらしい。しかも最後の分け合う一杯は「寛ちゃん先に半分食えよ」といつも猪木に先を譲って与えたとか。他にも馬場はスーツなんかも猪木にお下がりをあげていたらしいけど、猪木は「誰が着れるんですか、こんなデカイ服w」って笑ってたとか。今にして思えば商業的敵対アングルは仕掛人こそ新間寿だけど、新団体立ち上げの苦しい時期を救う為に馬場が敢えて乗った形であり、兄ジャイアント馬場の掌の上で猪木は踊り、弟アントニオ猪木はそれを承知で世間を踊らせたのでは?そう考えると、それ自体が壮大な「プロレス」にさえ見える。
このエピソードを動画にして頂きありがとうございます!当時からコアなプロレスファンはふたりの仲を暗黙の了解の様に理解してました。よくわかってない表面的にプロレスファンを公言する連中は派閥作って対抗心むき出しでしたけどw個人的にはどちらかと言えば外人スターレスラーが豊富な純然たる王道アメリカンプロレスであった全日本プロレスが好きでしたが、新日本の日本人対決、異種格闘技路線など奇策とも言えるアングルが面白くて目が離せませんでした。馬場さん、猪木さんのライバルという構図がお互いの団体のステータスを高めて70〜80年代のプロレス黄金時代の隆盛を築いて行くのです。
新間の仕掛けた犬猿の仲というアングルを受け入れてずっと仲の悪いフリを演じてきたんだからこの二人はリング外でもプロフェッショナルだったんだと思う。プライベートではちょくちょく会ってたんでしょうね。
当時はプロレス界頂点の2人どっちが強い。新日vs全日どっちが強いと互いに煽りもありつつプロレスファンは大盛り上がりだったけど、二人の関係が水面下ではこうであったのかと知ると本当に泣けてきた😢二人とも本当にありがとう😊
仲悪い方がいろいろ都合いいだろって猪木さんが言ってたな
外人は引き抜き合戦では無く活性化の為のトレードだったとか。馬場さんが亡くなった時婦人が猪木と馬場は兄弟みたいに仲が良く家に遊びに来てたと生放送のニュースインタビューで語ってた。
『犬猿の仲』ってのはアングルで実際は互いに認め合った2人だった正にプロレス的な演出だったんだよ
京平さんが馬場さんに二人の関係性を聞いたところ「んー、小橋と志賀かなぁ。」と答えたらしいですね。
馬場正平氏と猪木寛至氏の間には、力道山の元、キツイ練習を行っていた頃の空気間がずっとあったのだと思います。
「これこそプロレスのアングルだと思います」まったく同感です。
2人は仲良いから、ビジネスで仲悪くいられたんでしょう。まさにプロレス。ベビーvsヒールの構図。
もし二人が ずっと一緒の団体にいたら… あるいは二人が対決し決着が ついていたら…きっと日本のプロレスは終わっていたと思います。
2人とも大人であり、正に「プロ」レスラーとして振舞っていた。そういうことですね。
有名な話しですね。猪木は馬場の悪口を言うのに新間さん等の他人が言うと馬場さんの悪口を言うな!と怒ると👹。温和な兄貴にやんちゃな次男と揶揄される様に世間で言われてる程仲は悪く無かったのでは?と言われてますよね😉(泊まるホテルが一緒だったらわざわざ馬場さんに挨拶に行ったり。食事を一緒にして自分の食べた分を馬場さんにご馳走様でしたと押し付け。馬場も仕方が無い奴だな〜で奢っていたとかも聞きますからね🥰興業を盛り上げる意図もあったのかも?。仲が良いからお互い憎まれ口言い合えたのかもね?🤔)
馬場さんと猪木さんの関係は、笑点で言えば、歌丸さんと小円遊さんの関係に似ていると思います。
対立はあくまでも演出で、個人的には良好な関係だったと思いますよ。そもそも、新日プロレスを猪木が立ち上げた当初は、資金繰りもかなり苦しかった時に、猪木が資金面で一番頼リにしていたのは馬場ですからね。
それのソースは?
猪木さんが選手として晩年時にバラエティ番組に出演した事があり、お決まりの馬場さんと闘ったらどちらが強いか?的な質問をされます。それに対し「オレはいつ(試合を)やっても良いよ。結果はわかってるけどね」的なコメントをしていました。今考えると自分も馬場さんも動けるうちにファンの皆さんの夢を叶えてあげようよというメッセージだったのかもと思えます。
パヤシさんの、最高の愛を感じましたよ。日本マット界の偶然にも運命の同期で時代を席巻した二人を見事に語ってくれましたね。おまけにちょっとだけ馬場びいきな感じで。それもパヤシさんなら、仕方がないことです。とにかく、不世出の二人。
猪木のアジテーションこそプロレス。
そうゆうことだったのか~。今 やっとわかりました。それであの時代が盛り上がっていたのか。納得です。
この二人の対決をファンが望み、それを潰したのもファン。二人を超えるレスラーはもうでてこないんだなぁと想像出来る事がプロレスファンとして少し寂しい
仲良しとまでは言わないまでも、犬猿の仲では全く無かったと思います
猪木の結婚披露宴の時に馬場と握手してたシーンが印象的だった。初代タイガーマスクあたりからプロレス見だした私はBI砲の古いビデオ見た時凄い衝撃受けました、父曰く「昔は普通に一緒に戦っていた」という言葉に更に衝撃を受けました(笑)
どこかユーモラスなファイトだが、タイトルマッチでは別人のような動きや技を披露する馬場。自技卍固めを編み出し、観客を煽りに煽って見るからに闘志を漲らせる猪木。いやあ、二人ともカリスマですなあ。楽しかったよね。演出された個性でなくその人そのものが滲み出る二人だったと思います。
お互い組織のNo.1になっていざこざあったが、苦楽を共にした仲だから見えない絆はある。見えない所で会って遊んでたりしてたと思う。
プロレスの真の対戦相手はお客さんであり、お互いがどう言う団体で居ることがお互いの客層をうまく分けながらお客さんが入るか?と言う話をしていたとしても、今ではそんなことも不思議じゃないと思えますね。
オールスター戦に際してタイガージェットシンは試合前俺はあんなノロマな黒ブタ(ブッチャー)と組むのは嫌だ。組むなら試合に出ない。むしろ俺とイノキが組んで馬場の眼前であの黒ブタを血祭りにあげてやりたい。と言ってましたが、後年ブッチャーとのタッグは嫌だったが、それでも馬場猪木組の相手が俺らでザファンクスで無くて良かった。と回顧してます。
猪木が政治家になり第一線を退いた時、馬場さんが老けたなあと周りで話題になってたし、馬場さんが逝去した時は、猪木の元気がなくなり、行動的さが消えたと言われていた。やっぱり、お互いしかわからないものがあったんでしょうね。
板垣先生の亡くなった事にした斗場が絵を描いている所に猪狩が会いに行くオチ好き。
あれは板垣先生の最高傑作だと思う。
同感です!お二人は仲が良かったと思います!
今はきっと天国でそうなってると思います。
実際あれくらいの関係性だったんだろうなと思う試合中の猪狩のモノローグとか
そりゃそうですよ。17歳の人間が22歳にライバル心とか抱かないですよ。しかも毎日何時間も一緒にいた時期があって同じ釜の飯を食ってましたしね。
ワカパヤシさん、まさかのこのネタに踏み込むとは(笑)いやある意味夢をぶち壊すという点では動画にはしないかと思ってました。わたしもぶっちゃけ御二人は仲は良いと思います。というのは私は昭和の時代に猪木さんのファン交流イベに参加した事があるのですが参加ファンがひとりずつ質問できるときに私が馬場さんの事を聞いたら「まぁあの人は先輩だからねぇ。見た目通りでっかい人だよ。でも次戦ったら俺が勝つよ。」と言っていたのをいまでもはっきり覚えています。当時は後半だけをわくわくしていましたが、いまは前半がわくわくするのは、きっと歳を重ねたせいですね。
この構図を作り上げたのも…両雄のプロレス頭ですね…
馬場さんが、鶴田さんに、もっと猪木みたいに悲壮感を出せ!と指導していた事がありました。天下のBIの後に、馬場さんと組んで猪木さんと比較された、鶴田さんは苦労も多かったと思います。アングルもあったけど、お互いプロレス、ビジネスで競っていた、負けてたまるか、こんちくしょうと思っていたと思います。
日プロ時代から優遇されていた馬場に対して、多少の悔しさはあったとは思う猪木だが、やっぱり色々金銭面などで、馬場に頼ったりしていた猪木は頭あがらないですよ。両巨頭がどちらが強いと盛り上がっていたことがどちらの団体にとってもプラスにはなってたんだろうね。しかしもしオールスター戦で約束した戦いが実現していたら、おそらくプロレス史上永遠に語り次ぐ戦いになっていただろう。まっ両者引き分けだろうけど。
今考えると、プロレス界のためにお互い利用し合ってたんじゃないかなあと思う。 本当に仲悪いなら某Sのように存在しなかったように無視するもの。
利用というよりも盛り上げるための演出だと思ってる
同じ釜の飯を食った中ですから、表面上は悪いように見えても根っこの部分では繋がっていたと思います。マスコミに向けには煽ることで世間は注目するし、プロレスに興味を持ち、会場に足を運ばせる。と言うようにしていたのかなと感じます。実際にBIの直接対決をやったら盛り上がったでしょうが、負けた側はUインターみたいな道を辿った可能性があったのでは?と言う気がします。
どこかの漫画だったか猪木さんは馬場さんの試合運びや展開は巧いって話してたのを読んだことがあるけどお互いの本心は認めていたんだと思う
馬場、猪木は長島、王と被るよな。
古き良き時代のプロレス。猪木最強を仕掛ける新間と、悠然と構える馬場さん。懐かしいな😊
本当に不仲だと日本中に思わてプロレス盛り上げたんだから本当凄いよ
良い時代じゃった
猪木の馬場への数多いコメントの中での一つ。馬場が力道山時代の練習時に要領よく回数等を誤魔化していた楽をしていた事に関して。『一緒に練習していて絶対にあの様になってはならないといういい見本になった』このコメントはガチコメントらしいし、それを見た時は本当に笑えたなあ。
良い話、有難うございます。
プロレスはスポーツではなくあくまでエンターテイメントなのですから興業が成功して儲かることが第一で「どちらが強いか」の議論は全く無意味であることは本人たちが一番よく分かっていたと思います。
馬場元子夫人は猪木の事どう思っていたんだろうか?。もっとも自分の目の前で猪木の悪口言うものならいくら温厚な馬場でも夫人を叱った事だろうな。
ターザン山本と元子さんが猪木の悪口で盛り上がってる横で馬場さんは終始笑顔でニコニコしていたそうですよ。
他人が悪口言ってくれれば、自分は言わなくて済むからね。馬場さんは猪木さんを憎みたくなかったでしょうから。逆に猪木さんは、自分が言うのは良いけど他人に言われると嫌になる。前田さんもこの感じですよね。
つくりばなし@@マスクドゥソレイユ
真面目なお兄さんとやんちゃな弟みたいな仲だったんでしょうね。実は一度、新日と全日で草野球大会やった時に全日はジャージだったのが、新日はユニフォーム一式揃えて着て来たみたいな話があるとかないとか。ちなみに全日のスポンサーは「日本テレビ」ですね。「よみうりテレビ」は大阪のキー局になります。
全日本の会場に猪木が現れて、馬場にお金を借りようとした話も好きです。元子さんにダメと言われて話が流れたそうですが、元子さんがOKしたらお金貸してたんだろうなと思うとなんかほっこりした次第です😀
(どうして・・・どうしてこんな事になってしまったんだ寛ちゃん・・・とにかくこれで、BI砲は終わった・・・)
「プロレススーパースター列伝」からの一コマですね。あのマンガ面白いんだけど、ウソがいっぱい書いてあるからなあ……。
@@実藤忠彦 その流れは原田先生に受け継がれてますね、地獄変もツッコミどころ満載です。フッチー編→船上で「おい、呼んでるぞ!!」と言ってるのが当時はアメリカに居るはずの小鹿さん、国際軍団編→ラッシャーが「羅臼を思い出せ」という横で「そうだ!!」と言ってる浜さんは羅臼は病気欠場中、極めつけはマイティ編のバーのくだり、アンドレになつかれたママさんが「フランクって優しいのね」←何でアンドレがブロディになってんだよ🤣🤣🤣
2人が仲が悪かったとは思えないけど、渋チンで石橋を叩いてもなかなか渡らない馬場と行動力がどんぶり勘定と見切り発車とセットになってる猪木では一緒にはやれなかったんだと思う。
この話を知れて、本当に良かった。
力道山は馬場さんに優しく接していたという猪木のブラフを聞いて聴かないふりをした馬場さんの大きさよ。
いい話しだ。二人ともプロレスが好きで信頼関係があるから、プロレス界を盛り上げるための不仲演出だったのか。
馬場さんの1960年代の画像みたんですけど、化物ですね。あの巨体で動けるじたいが、ヤバイですよ。一般人が10人かかっても全盛期の馬場さんは倒せないと思えましたよ
あの巨体でドロップキック(32文ロケット砲)やりますからね。ブロディもかくやというバケモノぶり。あまりの強さと人気に嫉妬して、師匠の力道山が馬場のファイトマネーをピンハネしたせいで、馬場は師匠を蛇蝎のごとく嫌っていました。力道山が死去した際、関係者は誰も泣かなかったんじゃないかな?
@@実藤忠彦いや、泣いたと思う。悲しみではなく、嬉し泣きでW
もしかしたら上手くいかなくなった新日を馬場さんは全日に受け入れる算段はあったのかも?猪木さんには生きる道があり共に成功したからよかった。
馬場さんと猪木さんのマスコミ上の関係は純粋なプロレス的な関係と理解すれば良いのですね。
馬場さんと猪木さん、お互いを認め合っていた良い関係だったと思えますね😊
馬場と猪木戦えばやっぱり馬場が勝ったんだろうな。なんとなくだけど。
馬場は新日本プロレスを猪木は全日本プロレスを憎んでいたかもしれませんが個人的には他人にはわからない絆が双方にあったのでしょう。
馬場さん、猪木さんは、プロレスの神様が引き合わせてくれた、2台巨頭。袂分かち合う運命だったんだ思う。そして、現在もプロレスが有り続けている。今頃は2人肩の荷に降ろして、お酒呑みながら、談笑してしているのではないか?と思う。
対立しておいた方が金になったという事でしょう 2人にしか解らない事
BI砲は最強のタッグ、今のタッグチームの様なツープラトン攻撃ではなく自らの得意技の共演攻撃、実際視聴していないので話を聞いただけだが凄いレスラーだったと亡き祖父から聞きましたね😀
まあどんな仕事でも💦同期生と言うのは特別な存在ですからね🤭まあ猪木さんの性格上?やっぱり自分が1番で無いと?嫌だったからで💦周りが囃し立てた感じですね😜見習い期間の時は💦本当の兄弟だったらしいですね🤭まあ馬場さん、猪木さん共に偉大なプロレスラーでしたね😭
最後の二人の会話は確か馬場さんが(お前は好き勝手に出来て良いなぁ)と二人で笑っていたと記憶しております。
冷戦状態と言われていたのは二人とも糖尿病で同じ糖尿病外来に通っていたから。
お二方は本当にプロレスが好きで馬場さんは猪木さんのことを弟みたいに接して、猪木さんも馬場さんのことを兄貴のように慕っていましたね👍️二人は偉大なレスラーです。馬場さん、猪木さんのご冥福をお祈り致します😢
馬場が兄貴
猪木が弟分
馬場が可愛がり猪木が慕っているという関係性がとても嬉しいじゃないか
この二人か居た時代のプロレスが一番面白かったよ
それにしても馬場さんが亡くなった時の猪木さんの脱け殻みたいになった………と言う件
涙が出てきた😢
更に同世代の大木金太郎や上田馬之介も亡くなっていった時には「俺、一人ぼっちになっちゃったな…」と嘆いたそうです。
それは無理もないと思うアントニオ猪木 さんにとって ジャイアント馬場さんはライバルでもあるけど自分をさらけ出して 甘えられる兄貴な存在だったと思う
馬場「寛ちゃん元気?」
猪木「馬場さん、お金貸してよぉ」
馬場「まったく、自由に生きるオマエが羨ましいよ・・」
こんな関係だったらしいですね
猪木が勝手に入ってきてコーヒーを頼んで会計は馬場が払ったりもあったけど、馬場は先輩で年上だから俺が払うよという気持ちがあったと思う。
でも馬場もそれが嬉しそうだったみたいです。
馬場の20回忌だったかの興行に猪木が来たよね、あの時、リング下でしみじみと語った猪木のコメントこそ、もしかしたら本音なのかもしれない。ご自身の体調のこともあって、何かを告げたかったのかも知れない。敢えてリングに上がらなかったのも、今思うと何か意味があったように感じる。
確かにブッチャー、シン、ハンセンらの引き抜き合戦の後に休戦協定を結び、その後二人で定期的に会うようになった時も、お互いニコニコしながら話をしていたそうですね。
それを見て坂口征二もとても嬉しかったそうで。
他人が馬場さんの悪口言うと怒る猪木さん
猪木さんの悪口を他人が言うと怒ってた前田日明も同じ
根底には親兄弟のような絆があったんですよね
ポールの悪口を言っていいのは俺だけだと言って、他人が悪く言うことを許さなかったジョン・レノンに通じるものがある
ジョンレノンもビートルズ解散後、対立はあくまでも兄弟喧嘩と捉えており周りの人がポールの悪口を言うのを許さなかったらしいですね。馬場、猪木はそれに似てるな。
とても良い動画でした!馬場と猪木は、ライバル関係を演出していたのだと思います。二人とも素晴らしいプロレスラーです!全日本プロレスも新人本プロレスも大好きでした!お二人に感謝します。
お互いに苦しい時代を共にして来た戦友で、お互いに本当の素の自分を見せられる貴重な存在だったのでしょう。
全日本が泊まっていたホテル、現場責任者だった渕さん以外全員会場に言ってしまった後に猪木さんが現れて、馬場さんに会いたいと言って渕さんに会場に連れて行ってもらったエピソードが好き。猪木さんの姿を見た馬場さんは嬉しそうにマッチメーカーもやっていた渕さんに1試合追加でぶち込めないかと冗談まで言ったそうです。猪木さんも久しぶりにハンセンとやろうかなぁと軽口で返したとか。ここで「じゃあ馬場さんと」と言い出さないあたりさすがに猪木さんも心得てますね。
表では 対抗意識の両団体でしたけど こうやって裏では和気あいあいと
馬場さん猪木さん 改めて 本当に凄い二人だと思います。和気あいあいの馬場さん猪木さん 泣けてくるよね
あと1つ思い出しました。馬場さんが癌で亡くなられた時の猪木さんの落ち込み様はなかったと😭周りが見ていて気の毒な位だったと(ライバルであり。兄貴分であり、戦友を失った感覚に近いのかな?😓)
馬場さんが旅立たれ20と数年の月日がたち、ついに猪木さんも天に召された。
その間ずっと一人『アントニオ猪木』でありつづけた猪木さんは馬場さんのところへ辿り着くことで、
やっとその暖簾を降ろして心落ち着ける時を手にしたのだと思います。
苦労を共にした仲間と死闘を演じたライバルたち、先に旅立った弟子たちが待つ天国で猪木さんはどんな話に花を咲かせていることでしょうか。
猪木「馬場さんがいたから今の俺がある」
馬場「う〜ん、まぁそうだろうなぁ…笑」
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馬場vs猪木は当時のプロレスファンにとって夢のカードだったけど
プロレス界を考えたら絶対に実現させてはいけないカードだったのかな、煽る猪木と受け流す馬場この構図をずっと続けていく事が時代的にもプロレス界には必要だったのかもと思う。
馬場と猪木はお互いの興行が地方で被らない様に定期的に会っていた
全日の会場に猪木がスーツ姿で単独で現れて、リングで練習中の馬場と話し込んでる様子も雑誌に撮られている
若手時代には一つのかき氷を分け合って食べた事もあったそう
つまりお互い死ぬまでファンの幻想を守り抜いたという事なんだろう
今頃あの世でアンドレとか交えて良い酒飲んでるかもね
その中にテリーも・・・。
大木金太郎
ワシも入れてくれ
興行がバッティングしないように裏で話し合っていたというのは、まるでビートルズとローリング・ストーンズみたいですね。この二大バンドも当時はライバルだと目されてたけど、実際は仲が良くてレコードの発売日が被らないように互いに調整してましたからね
私は地方に住んでいますが両団体とも来るたびに良く見に行っていました。馬場さん寛ちゃんと呼び合っていたのを何故か知っていてやはりお二人は仲良しなんだなと気持ちがホッコリしたのをおぼえています。お二人でまた天国でプロレス興行を行なわれていることでしょうからまたいつか私も見に行きますよ。楽しみだな
フリッツ.フォン.エリックを忘れないでね!
昭和プロレス発展の為、不仲を演じ続けた正真正銘の「プロ」のお二人です
とにかくお二人、30代で「両巨頭」と言われていたのは凄いですね。
同じ釜の飯を食った仲で、お互いに団体を立ち上げたことで不仲説が出て、経営者としてライバルだったが、お互いにプロレスラーとして認めており、ジャイアント馬場とアントニオ猪木としてよりは、馬場正平と猪木寛至としての仲は兄弟みたいだった。
ふらっと猪木が馬場に挨拶に行ったり、馬場と一緒にコーヒー飲んで(会計は馬場)ゴルフの話をしたりと確執はなかった。
また、晩年に馬場が猪木に対し「お前は好き勝手やれていいよなあ」と羨ましがってた言葉は有名。
両者とも団体の経営者として表ではライバルを演じてただけ。
馬場さんと猪木さんの関係は、解説の通りだと思います。
もう当時を知る人達は少なくなってますが、アントニオ猪木監禁事件が有った梶原一騎(高森朝雄)先生はアングルとか無関係でプロレスラーの人間関係は取材されていたと思います。
そんな梶原一騎先生がタイガーマスクで、馬場さんと猪木さんを活躍させてますが、ジャイアント台風で馬場さんのデビュー直後からのストーリーも確認出来たりします。元々仲が良かったと思います。
一時期、エース外国人の引き抜き合戦してたりしましたが、アレも話し合いでプロレス界全体の活性化が目的ではないか?と思ってます。
ただ長州力選手のジャパンプロレスの動きだけは違う様な気がしますね。
偉大なる馬場さんと猪木さん あくまでもプロレス界を盛り上げる為に見事な演出でしたね。
昭和のプロレスは本当に面白かったです。もう 馬場さん猪木さん以上の大スターレスラーは現われないけど
これからのプロレス界 盛り上がって欲しいです。改めて 馬場さん猪木さんに合掌。
本当にありがとうございました。
馬場さんが亡くなった後、暫く経った日のある番組内で、猪木さんが馬場さんについての想いを聞かれた時「あの人が居たから今の自分が在る」と仰っておられたなぁ。
真偽はともかく、死してなお「もし仲良くば」というネタだけでこれだけ楽しめるのだから、この二人は本当に格が違う。破格です。
馬場さんと猪木さんが戦友というのは合点がいきますね。やっぱり日本プロレス時代に力道山から指導された2人にしかわからない、心の絆があったと思われます。
その節は当たっています、猪木さんは表面上は反馬場を貫いていましたが、内心では馬場さんを尊敬しており!💰お世話になっており頭が上がらなかった!
おっしゃる通りです!馬場も猪木もプロレスラーを完璧に演じていました。さすがです。お二人が元気だった頃の昭和のプロレスは最高でした!あの頃に戻りたいなぁ~
@@タカシイワハラ やはり対立を煽り、興行の営業を最優先した結果に馬場さん猪木さんも同意したんでしょう、プロは何でも幾ら強くてもお客さんが入らなければ興行が成り立たない、大谷君
見たいに人気と実力が兼ね備えて入れば問題ないんだが、G草津見たいに実力ないのにスターにしようとしたして失敗した、国際プロ
馬場がアメリカから帰ってきて、猪木が入れ替わるようにアメリカに修行に行く際、アメリカドルの大金を「日本で持っててもしかたないから」と猪木への餞別として渡したりして気にかけたり、馬場が40で引退しようとしてたところに、猪木が辞めないでとお願いして生涯現役を決めたりして、確執は決してなかったと思います。
おい、泣かせるなよ!いい話きかせてもらった。ありがとう
上手い解説ありがとうございます。
全日本も新日本も見ていた世代ですが別路線を走っていた団体ので特に確執とかではなく単に色違いを出している物だと思って見ていました。
猪木の自称伝も読んでいても馬場さんに恨みがある事は書かれいません。あくまで同業他社との競争であって馬場さんには確執とか恨みなど無かったように思えます。
二人の間柄は本人同士しか分かりませんが悪意など無かったと思います。
二人はお互いに本当のプロフェッショナルだったのですね…
1980年代のビッグレスラーと言う雑誌での馬場さんのインタビューを読んだ事があります。
馬場さんは幼少の頃から体が大きく、でも性格は温厚で近所でケンカがある度に呼び出されケンカを見事に収めていたそうで、収まる原因は体の大きさと温厚な性格で「馬場が来たならケンカ止める」と言うパターンが多かったそうです。
私の個人的見解ですが、猪木さんはブラジルに移民してとてつもない厳しい環境で生活する中馬場さんの温厚で優しい性格に惹かれ、馬場さんは自分には無い凄いハングリー精神をリスペクトして、お互いに『違う自分』を認め合っていたのかもしれません。
仲良かったと思いますよ。
外野の雑音に惑わされず兄弟のような関係を保っていた2人なんですね。素晴らしい!
力道山の三十三回忌のときに、墓前で二人が穏やかに握手してる写真が週プロの表紙になった
あれが本来の二人の姿なんだろう。
馬場は鶴田に『猪木のような悲壮感のある表情をできないのか』とダメ出ししていました。
鶴田の若手時代に、よく「猪木を見てみろ!」と猪木の才能を認めてました。
「猪木みたいに何かアピールしろ」から鶴田のオー!にも繋がりましたね。
ジャンボに悲壮感演出を求めるのも酷ですよね。結果オー!とピクピクムーブが生まれたのか…
@@jujuws 鶴田は掌底で自分の側頭部を叩くパターンもありましたね😊
@@新河尋仙
全日本で一番の猪木ファンだったのが小橋選手。次が天龍かも。
昔ダウンタウンの番組で浜田が猪木さんの前で馬場さんの悪口を言っていたのを思い出しました
後日笑っていいともにも猪木さんが出演していたけど
タモリさんに先日下らない番組に呼ばれたような事を語っていたから
番組中は感情あらわにしなかったけど心の中では腹立たしく思っていたかもしれないですね
他の番組でも晩年の馬場氏の事を言われていたときに猪木氏はあまり良い感じがしないとはっきり言っていましたから
馬場氏の悪口言われると不愉快になっていたと思います。
お二方共、プロレスを゙深く理解し、お互いの立場を゙尊重し、お亡くなりになるまで、ライバルを゙演じきったと思います。
自分は三沢さん台頭からのプロレスファンで全日好きで猪木さんの言動はあまり好きではありませんでしたが40半ばになった今は何だか馬場さん猪木さんでプロレスを盛り立てる為に世を手玉に取っていたのかなと。
本当はすごく仲が良かったんだよ。
久しぶりに感動するプロレス考察を聞いた気がする
ありがとう
特殊な世界だし、お互いに側近の影響とか、色々ありますよね。馬場さんにとっても、孤独に感じた時に猪木さんは唯一自分に近い立場の弟分だったのだと思います。人間関係って、複雑であり、時には単純であるものだと思います。
一杯のラーメンは本当に面白いエピソードですね。練習終わりに馬場が誘うって聞きました、「寛ちゃん、腹減らないか?」って。因みに一杯のラーメンはあくまで締めで、その前に二人とも五杯程ラーメンを食べた後にらしい。しかも最後の分け合う一杯は「寛ちゃん先に半分食えよ」といつも猪木に先を譲って与えたとか。
他にも馬場はスーツなんかも猪木にお下がりをあげていたらしいけど、猪木は「誰が着れるんですか、こんなデカイ服w」って笑ってたとか。
今にして思えば商業的敵対アングルは仕掛人こそ新間寿だけど、新団体立ち上げの苦しい時期を救う為に馬場が敢えて乗った形であり、兄ジャイアント馬場の掌の上で猪木は踊り、弟アントニオ猪木はそれを承知で世間を踊らせたのでは?そう考えると、それ自体が壮大な「プロレス」にさえ見える。
このエピソードを動画にして頂きありがとうございます!
当時からコアなプロレスファンはふたりの仲を暗黙の了解の様に理解してました。
よくわかってない表面的にプロレスファンを公言する連中は派閥作って対抗心むき出しでしたけどw
個人的にはどちらかと言えば外人スターレスラーが豊富な純然たる王道アメリカンプロレスであった全日本プロレスが好きでしたが、新日本の日本人対決、異種格闘技路線など奇策とも言えるアングルが面白くて目が離せませんでした。
馬場さん、猪木さんのライバルという構図がお互いの団体のステータスを高めて70〜80年代のプロレス黄金時代の隆盛を築いて行くのです。
新間の仕掛けた犬猿の仲というアングルを受け入れてずっと仲の悪いフリを演じてきたんだからこの二人はリング外でもプロフェッショナルだったんだと思う。プライベートではちょくちょく会ってたんでしょうね。
当時はプロレス界頂点の2人どっちが強い。新日vs全日どっちが強いと互いに煽りもありつつプロレスファンは大盛り上がりだったけど、二人の関係が水面下ではこうであったのかと知ると本当に泣けてきた😢二人とも本当にありがとう😊
仲悪い方がいろいろ都合いいだろって猪木さんが言ってたな
外人は引き抜き合戦では無く活性化の為のトレードだったとか。馬場さんが亡くなった時婦人が猪木と馬場は兄弟みたいに仲が良く家に遊びに来てたと生放送のニュースインタビューで語ってた。
『犬猿の仲』ってのはアングルで
実際は互いに認め合った2人だった
正にプロレス的な演出だったんだよ
京平さんが馬場さんに二人の関係性を聞いたところ「んー、小橋と志賀かなぁ。」と答えたらしいですね。
馬場正平氏と猪木寛至氏の間には、
力道山の元、キツイ練習を行っていた頃の空気間がずっとあったのだと思います。
「これこそプロレスのアングルだと思います」
まったく同感です。
2人は仲良いから、ビジネスで仲悪くいられたんでしょう。まさにプロレス。ベビーvsヒールの構図。
もし二人が ずっと一緒の団体にいたら… あるいは二人が対決し決着が ついていたら…
きっと日本のプロレスは終わっていたと思います。
2人とも大人であり、正に「プロ」レスラーとして振舞っていた。そういうことですね。
有名な話しですね。猪木は馬場の悪口を言うのに新間さん等の他人が言うと馬場さんの悪口を言うな!と怒ると👹。温和な兄貴にやんちゃな次男と揶揄される様に世間で言われてる程仲は悪く無かったのでは?と言われてますよね😉(泊まるホテルが一緒だったらわざわざ馬場さんに挨拶に行ったり。食事を一緒にして自分の食べた分を馬場さんにご馳走様でしたと押し付け。馬場も仕方が無い奴だな〜で奢っていたとかも聞きますからね🥰興業を盛り上げる意図もあったのかも?。仲が良いからお互い憎まれ口言い合えたのかもね?🤔)
馬場さんと猪木さんの関係は、笑点で言えば、歌丸さんと小円遊さんの関係に似ていると思います。
対立はあくまでも演出で、個人的には良好な関係だったと思いますよ。
そもそも、新日プロレスを猪木が立ち上げた当初は、資金繰りもかなり苦しかった時に、猪木が資金面で一番頼リにしていたのは馬場ですからね。
それのソースは?
猪木さんが選手として晩年時にバラエティ番組に出演した事があり、お決まりの馬場さんと闘ったらどちらが強いか?的な質問をされます。それに対し「オレはいつ(試合を)やっても良いよ。結果はわかってるけどね」的なコメントをしていました。今考えると自分も馬場さんも動けるうちにファンの皆さんの夢を叶えてあげようよというメッセージだったのかもと思えます。
パヤシさんの、最高の愛を感じましたよ。日本マット界の偶然にも運命の同期で時代を席巻した二人を見事に語ってくれましたね。
おまけにちょっとだけ馬場びいきな感じで。それもパヤシさんなら、仕方がないことです。
とにかく、不世出の二人。
猪木のアジテーションこそプロレス。
そうゆうことだったのか~。今 やっとわかりました。それであの時代が盛り上がっていたのか。納得です。
この二人の対決をファンが望み、それを潰したのもファン。
二人を超えるレスラーはもうでてこないんだなぁと想像出来る事がプロレスファンとして少し寂しい
仲良しとまでは言わないまでも、犬猿の仲では全く無かったと思います
猪木の結婚披露宴の時に馬場と握手してたシーンが印象的だった。
初代タイガーマスクあたりからプロレス見だした私はBI砲の古いビデオ見た時凄い衝撃受けました、父曰く「昔は普通に一緒に戦っていた」という言葉に更に衝撃を受けました(笑)
どこかユーモラスなファイトだが、タイトルマッチでは別人のような動きや技を披露する馬場。自技卍固めを編み出し、観客を煽りに煽って見るからに闘志を漲らせる猪木。いやあ、二人ともカリスマですなあ。楽しかったよね。演出された個性でなくその人そのものが滲み出る二人だったと思います。
お互い組織のNo.1になっていざこざあったが、苦楽を共にした仲だから見えない絆はある。
見えない所で会って遊んでたりしてたと思う。
プロレスの真の対戦相手はお客さんであり、お互いがどう言う団体で居ることが
お互いの客層をうまく分けながらお客さんが入るか?と言う話をしていたとしても、
今ではそんなことも不思議じゃないと思えますね。
オールスター戦に際してタイガージェットシンは試合前
俺はあんなノロマな黒ブタ(ブッチャー)と組むのは嫌だ。組むなら試合に出ない。むしろ俺とイノキが組んで馬場の眼前であの黒ブタを血祭りにあげてやりたい。
と言ってましたが、後年
ブッチャーとのタッグは嫌だったが、それでも馬場猪木組の相手が俺らでザファンクスで無くて良かった。
と回顧してます。
猪木が政治家になり第一線を退いた時、馬場さんが老けたなあと周りで話題になってたし、馬場さんが逝去した時は、猪木の元気がなくなり、行動的さが消えたと言われていた。やっぱり、お互いしかわからないものがあったんでしょうね。
板垣先生の亡くなった事にした斗場が絵を描いている所に猪狩が会いに行くオチ好き。
あれは板垣先生の最高傑作だと思う。
同感です!お二人は仲が良かったと思います!
今はきっと天国でそうなってると思います。
実際あれくらいの関係性だったんだろうなと思う
試合中の猪狩のモノローグとか
そりゃそうですよ。17歳の人間が22歳にライバル心とか抱かないですよ。しかも毎日何時間も一緒にいた時期があって同じ釜の飯を食ってましたしね。
ワカパヤシさん、まさかのこのネタに踏み込むとは(笑)
いやある意味夢をぶち壊すという点では動画にはしないかと思ってました。
わたしもぶっちゃけ御二人は仲は良いと思います。
というのは私は昭和の時代に猪木さんのファン交流イベに参加した事があるのですが
参加ファンがひとりずつ質問できるときに私が馬場さんの事を聞いたら
「まぁあの人は先輩だからねぇ。見た目通りでっかい人だよ。でも次戦ったら俺が勝つよ。」
と言っていたのをいまでもはっきり覚えています。
当時は後半だけをわくわくしていましたが、
いまは前半がわくわくするのは、きっと歳を重ねたせいですね。
この構図を作り上げたのも…両雄のプロレス頭ですね…
馬場さんが、鶴田さんに、もっと猪木みたいに悲壮感を出せ!と指導していた事がありました。天下のBIの後に、馬場さんと組んで猪木さんと比較された、鶴田さんは苦労も多かったと思います。
アングルもあったけど、お互いプロレス、ビジネスで競っていた、負けてたまるか、こんちくしょうと思っていたと思います。
日プロ時代から優遇されていた馬場に対して、多少の悔しさはあったとは思う猪木だが、やっぱり色々金銭面などで、馬場に頼ったりしていた猪木は頭あがらないですよ。両巨頭がどちらが強いと盛り上がっていたことがどちらの団体にとってもプラスにはなってたんだろうね。しかしもしオールスター戦で約束した戦いが実現していたら、おそらくプロレス史上永遠に語り次ぐ戦いになっていただろう。まっ両者引き分けだろうけど。
今考えると、プロレス界のためにお互い利用し合ってたんじゃないかなあと思う。 本当に仲悪いなら某Sのように存在しなかったように無視するもの。
利用というよりも盛り上げるための演出だと思ってる
同じ釜の飯を食った中ですから、表面上は悪いように見えても根っこの部分では繋がっていたと思います。
マスコミに向けには煽ることで世間は注目するし、プロレスに興味を持ち、会場に足を運ばせる。と言うようにしていたのかなと感じます。
実際にBIの直接対決をやったら盛り上がったでしょうが、負けた側はUインターみたいな道を辿った可能性があったのでは?と言う気がします。
どこかの漫画だったか猪木さんは馬場さんの試合運びや展開は巧いって話してたのを読んだことがあるけど
お互いの本心は認めていたんだと思う
馬場、猪木は長島、王と被るよな。
古き良き時代のプロレス。猪木最強を仕掛ける新間と、悠然と構える馬場さん。懐かしいな😊
本当に不仲だと日本中に思わてプロレス盛り上げたんだから本当凄いよ
良い時代じゃった
猪木の馬場への数多いコメントの中での一つ。
馬場が力道山時代の練習時に要領よく回数等を誤魔化していた楽をしていた事に関して。
『一緒に練習していて絶対にあの様になってはならないといういい見本になった』
このコメントはガチコメントらしいし、それを見た時は本当に笑えたなあ。
良い話、有難うございます。
プロレスはスポーツではなくあくまでエンターテイメントなのですから興業が成功して儲かることが第一で「どちらが強いか」の議論は全く無意味であることは本人たちが一番よく分かっていたと思います。
馬場元子夫人は猪木の事どう思っていたんだろうか?。もっとも自分の目の前で猪木の悪口言うものならいくら温厚な馬場でも夫人を叱った事だろうな。
ターザン山本と元子さんが猪木の悪口で盛り上がってる横で馬場さんは終始笑顔でニコニコしていたそうですよ。
他人が悪口言ってくれれば、自分は言わなくて済むからね。馬場さんは猪木さんを憎みたくなかったでしょうから。
逆に猪木さんは、自分が言うのは良いけど他人に言われると嫌になる。前田さんもこの感じですよね。
つくりばなし
@@マスクドゥソレイユ
真面目なお兄さんとやんちゃな弟みたいな仲だったんでしょうね。実は一度、新日と全日で草野球大会やった時に全日はジャージだったのが、新日はユニフォーム一式揃えて着て来たみたいな話があるとかないとか。
ちなみに全日のスポンサーは「日本テレビ」ですね。「よみうりテレビ」は大阪のキー局になります。
全日本の会場に猪木が現れて、馬場にお金を借りようとした話も好きです。元子さんにダメと言われて話が流れたそうですが、元子さんがOKしたらお金貸してたんだろうなと思うとなんかほっこりした次第です😀
(どうして・・・どうしてこんな事になってしまったんだ寛ちゃん・・・とにかくこれで、BI砲は終わった・・・)
「プロレススーパースター列伝」からの一コマですね。あのマンガ面白いんだけど、ウソがいっぱい書いてあるからなあ……。
@@実藤忠彦
その流れは原田先生に受け継がれてますね、地獄変もツッコミどころ満載です。フッチー編→船上で「おい、呼んでるぞ!!」と言ってるのが当時はアメリカに居るはずの小鹿さん、国際軍団編→ラッシャーが「羅臼を思い出せ」という横で「そうだ!!」と言ってる浜さんは羅臼は病気欠場中、極めつけはマイティ編のバーのくだり、アンドレになつかれたママさんが「フランクって優しいのね」←何でアンドレがブロディになってんだよ🤣🤣🤣
2人が仲が悪かったとは思えないけど、渋チンで石橋を叩いてもなかなか渡らない馬場と行動力がどんぶり勘定と見切り発車とセットになってる猪木では一緒にはやれなかったんだと思う。
この話を知れて、本当に良かった。
力道山は馬場さんに優しく接していたという猪木のブラフを聞いて聴かないふりをした馬場さんの大きさよ。
いい話しだ。二人ともプロレスが好きで信頼関係があるから、プロレス界を盛り上げるための不仲演出だったのか。
馬場さんの1960年代の画像みたんですけど、化物ですね。
あの巨体で動けるじたいが、ヤバイですよ。一般人が10人かかっても全盛期の馬場さんは倒せないと思えましたよ
あの巨体でドロップキック(32文ロケット砲)やりますからね。ブロディもかくやというバケモノぶり。あまりの強さと人気に嫉妬して、師匠の力道山が馬場のファイトマネーをピンハネしたせいで、馬場は師匠を蛇蝎のごとく嫌っていました。力道山が死去した際、関係者は誰も泣かなかったんじゃないかな?
@@実藤忠彦
いや、泣いたと思う。
悲しみではなく、嬉し泣きでW
もしかしたら上手くいかなくなった新日を馬場さんは全日に受け入れる算段はあったのかも?猪木さんには生きる道があり共に成功したからよかった。
馬場さんと猪木さんのマスコミ上の関係は純粋なプロレス的な関係と理解すれば良いのですね。
馬場さんと猪木さん、お互いを認め合っていた良い関係だったと思えますね😊
馬場と猪木戦えばやっぱり馬場が勝ったんだろうな。なんとなくだけど。
馬場は新日本プロレスを猪木は全日本プロレスを憎んでいたかもしれませんが個人的には他人にはわからない絆が双方にあったのでしょう。
馬場さん、猪木さんは、プロレスの神様が引き合わせてくれた、2台巨頭。袂分かち合う運命だったんだ思う。そして、現在もプロレスが有り続けている。今頃は2人肩の荷に降ろして、お酒呑みながら、談笑してしているのではないか?と思う。
対立しておいた方が金になったという事でしょう 2人にしか解らない事
BI砲は最強のタッグ、今のタッグチームの様なツープラトン攻撃ではなく自らの得意技の共演攻撃、実際視聴していないので話を聞いただけだが凄いレスラーだったと亡き祖父から聞きましたね😀
まあどんな仕事でも💦同期生と言うのは特別な存在ですからね🤭まあ猪木さんの性格上?やっぱり自分が1番で無いと?嫌だったからで💦周りが囃し立てた感じですね😜見習い期間の時は💦本当の兄弟だったらしいですね🤭まあ馬場さん、猪木さん共に偉大なプロレスラーでしたね😭
最後の二人の会話は確か馬場さんが(お前は好き勝手に出来て良いなぁ)と二人で笑っていたと記憶しております。
冷戦状態と言われていたのは
二人とも糖尿病で同じ糖尿病外来に通っていたから。