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いつも楽しみにしています。高性能が、人から体験を取り上げてしまっていて面白くない。それが機体への不満となって、高スペックなのに文句言われてるという悪循環を感じます。凄まじいカメラを造ってる日本のメーカーさんなら、凄まじく面白いカメラも創れるはず!まきりなさんのお話は、個人的なようでとても普遍的な感覚だと思いました。
まとめていただき感謝(ㅅ´꒳` )
つい最近、ミラーレスからNikonのレフ機に戻って来た私にとってとても共感出来るお話でした。レフ機のファインダーやシャッターの感じは心地よく、事前に出来上がる写真をモニターで調整して撮影する違和感もなくなり撮るプロセスも楽しめています。現在、昼間とお散歩はd80、夜や暗い室内、動きモノはd7500に頼って遊んでいます。更にd200、d300、d300sあたりを物色中です!
ある意味正解だと思います( ゚ー゚)ウ ( 。_。)ン
エアコン無し、パワステ無し、ナビ無し、カーステ無しでラジオだけ、MT、SOLEXキャブレターの車に長年乗ってますが、まあ慣れれば普通ですよ😅1974年式です。この時代の車は電子制御がほぼ無いので、すべて自分の判断で操作して動かしている感覚はやはり車との一体感をすごく感じます。。お話でも仰っておられますが、自分の手なり足なりを動かして機械に伝え、そのレスポンスを脳で感じながらさらにコントロールとしてフィードバックする、そこに道具との繋がりが生まれると思います。基本的にアナログな機械が好きなので、カメラもフィルムカメラにいつ手を出すかなというところです😅
おはなし 楽しく読ませていただきました。 マニュアル操作 は楽しいですよね!
カーナビで行った道は又見ないと行けないが 地図を見ながら行った道は次から地図無しで行けるのと同じですね。全て動作が五感に蓄積されからだと思います。
そうなんですよ~電話番号なんかももう覚えないですから(笑)
さすが、料理もされるのですね❗️ミラーレスからレフ機に戻るのかな?D500が楽しみにですね。
そこにはいずれw
お気持ちと、お考えに賛同です。もちろん私なりの感覚もありますが、個人差は消せないでしょうね。私的には「手触り感」や「物語(逸話)感」などからくる、説明できない「コレを使いたい感」も大きいです。もう行きませんが厳しい登山では「信頼感」が大きなファクターでした。今でも公園で娘や孫を撮るときでも「信頼感」忘れてカメラを選ぶことはありませんね。
触感は大事ですよね~👍✨
話を聞きながら楽器の演奏と比較してしまいました。腕があり一体となって演奏できる人は限られてます。
一体と自分が感じれればそれでOKなんです( * ॑˘ ॑* )
人の曖昧さや直感などは機械ではなかなか超えることのできない領域ですね。だから面白い😊
そうなんですよね👍✨
最先端技術で作った削ぎ落したカメラがあるといいですね。てんこ盛りしたくなるのが日本人ですが。
いつも動画楽しませていただいております。写真はデジタルになって大きな拡張を得たと感じています。フィルムという実物からデータになった時点で虚実皮膜的感覚も変わってきた印象です。私は過去フィルムで撮影していましたが、諸事情で20年振りに写真を再開しました。デジタル全盛の現在、現像ツールでの修正など、戸惑いもありました。しかし過去のフイルムをデジタル化したりこれまで出来なかった事を実現できる道具が生まれたことには感動を覚えます。昨今のカメラはとても親切でピントもガチで合いますね。しかし、ピントを合わさない自由もあり、そんな時はもどかしく感じます。まきりなさんは撮影体験をとても大切に感じていることは、とても共感致します。
ありがとうございます👍✨ 完璧を勝手に求めてしまってるところが窮屈なんでしょうね( ˇωˇ )
まいど☺カメラの楽しみ方が一貫している「まきりな」さんらしい考えだと思います!道具として操カメラ📷に対する拘りをヒシヒシと感じました👍
マエストロですから爆笑ꉂ(ˊᗜˋ*)
楽しんだ者勝ち🏅
はいヾ ^_^♪
親父は写真を始めたころ、月の写真を撮ったつもりが36枚のフィルムすべて白い〇が移ってるだけになってたことがあったという面白話をよくしていました。今考えてみるとこんなミス絶対に起きないようになってしまいましたね。このミスが生まれる状態に楽しみを見出せる、そんなカメラが欲しいっていう話ですかね。
シビアな撮影での失敗は辛いかもしれませんのでもう少しアバウトな感覚でいいと思います(*^^*)
いつも楽しみにしています。
高性能が、人から体験を取り上げてしまっていて面白くない。それが機体への不満となって、高スペックなのに文句言われてるという悪循環を感じます。
凄まじいカメラを造ってる日本のメーカーさんなら、凄まじく面白いカメラも創れるはず!
まきりなさんのお話は、個人的なようでとても普遍的な感覚だと思いました。
まとめていただき感謝(ㅅ´꒳` )
つい最近、ミラーレスからNikonのレフ機に戻って来た私にとってとても共感出来るお話でした。レフ機のファインダーやシャッターの感じは心地よく、事前に出来上がる写真をモニターで調整して撮影する違和感もなくなり撮るプロセスも楽しめています。現在、昼間とお散歩はd80、夜や暗い室内、動きモノはd7500に頼って遊んでいます。更にd200、d300、d300sあたりを物色中です!
ある意味正解だと思います( ゚ー゚)ウ ( 。_。)ン
エアコン無し、パワステ無し、ナビ無し、カーステ無しでラジオだけ、MT、SOLEXキャブレターの車に長年乗ってますが、まあ慣れれば普通ですよ😅1974年式です。
この時代の車は電子制御がほぼ無いので、すべて自分の判断で操作して動かしている感覚はやはり車との一体感をすごく感じます。。
お話でも仰っておられますが、自分の手なり足なりを動かして機械に伝え、そのレスポンスを脳で感じながらさらにコントロールとしてフィードバックする、そこに道具との繋がりが生まれると思います。
基本的にアナログな機械が好きなので、カメラもフィルムカメラにいつ手を出すかなというところです😅
おはなし 楽しく読ませていただきました。 マニュアル操作 は楽しいですよね!
カーナビで行った道は又見ないと行けないが 地図を見ながら行った道は次から地図無しで行けるのと同じですね。全て動作が五感に蓄積されからだと思います。
そうなんですよ~電話番号なんかももう覚えないですから(笑)
さすが、料理もされるのですね❗️
ミラーレスからレフ機に戻るのかな?D500が楽しみにですね。
そこにはいずれw
お気持ちと、お考えに賛同です。
もちろん私なりの感覚もありますが、個人差は消せないでしょうね。
私的には「手触り感」や「物語(逸話)感」などからくる、説明できない「コレを使いたい感」も大きいです。
もう行きませんが厳しい登山では「信頼感」が大きなファクターでした。
今でも公園で娘や孫を撮るときでも「信頼感」忘れてカメラを選ぶことはありませんね。
触感は大事ですよね~👍✨
話を聞きながら楽器の演奏と比較してしまいました。腕があり一体となって演奏できる人は限られてます。
一体と自分が感じれればそれでOKなんです( * ॑˘ ॑* )
人の曖昧さや直感などは機械ではなかなか超えることのできない領域ですね。
だから面白い😊
そうなんですよね👍✨
最先端技術で作った削ぎ落したカメラがあるといいですね。てんこ盛りしたくなるのが日本人ですが。
そうなんですよね👍✨
いつも動画楽しませていただいております。
写真はデジタルになって大きな拡張を得たと感じています。フィルムという実物からデータになった時点で虚実皮膜的感覚も変わってきた印象です。
私は過去フィルムで撮影していましたが、諸事情で20年振りに写真を再開しました。デジタル全盛の現在、現像ツールでの修正など、戸惑いもありました。しかし過去のフイルムをデジタル化したりこれまで出来なかった事を実現できる道具が生まれたことには感動を覚えます。
昨今のカメラはとても親切でピントもガチで合いますね。しかし、ピントを合わさない自由もあり、そんな時はもどかしく感じます。まきりなさんは撮影体験をとても大切に感じていることは、とても共感致します。
ありがとうございます👍✨ 完璧を勝手に求めてしまってるところが窮屈なんでしょうね( ˇωˇ )
まいど☺
カメラの楽しみ方が一貫している「まきりな」さんらしい考えだと思います!
道具として操カメラ📷に対する拘りをヒシヒシと感じました👍
マエストロですから爆笑ꉂ(ˊᗜˋ*)
楽しんだ者勝ち🏅
はいヾ ^_^♪
親父は写真を始めたころ、月の写真を撮ったつもりが36枚のフィルムすべて白い〇が移ってるだけになってたことがあったという面白話をよくしていました。今考えてみるとこんなミス絶対に起きないようになってしまいましたね。このミスが生まれる状態に楽しみを見出せる、そんなカメラが欲しいっていう話ですかね。
シビアな撮影での失敗は辛いかもしれませんのでもう少しアバウトな感覚でいいと思います(*^^*)