上野三碑ができるまで(③多胡碑編)

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  • Опубліковано 4 лис 2015
  • 平成29年10月31日 祝 上野三碑 ユネスコ「世界の記憶」登録
    多胡碑が建てられた経緯を紙芝居風のアニメーションで再現しています。
    上野三碑の概要を紹介するものと、山上碑・金井沢碑編のアニメーションもあります。以下のURLからご覧ください。
    上野三碑の紹介【群馬県高崎市】(① 概要編) • 上野三碑の紹介【群馬県高崎市】(①概要編)
    上野三碑ができるまで(②山上碑・金井沢碑編) • 上野三碑ができるまで(②山上碑・金井沢碑編)
    多胡碑(たごひ) 多胡碑は、上野国の14 番目の郡として、和銅4(711)年に多胡郡が建郡されたことを記念して建てられた石碑です。碑文には、中央政府からの命令で、上野国の片岡郡・緑野郡・甘良郡の3つの郡から300 戸を割いて、新たに多胡郡が建郡されたことが記されています。古代日本の正史である『続日本紀』にも多胡郡建郡の記事があり、多胡碑の内容を裏付けることができます。 多胡郡の範囲は、現在の高崎市山名町から吉井町一帯で、緑野屯倉や佐野屯倉というヤマト政権の直轄地が設置されていた領域と重なることから、かねてより上野国有数の手工業生産地帯になっていました。 そのため、多胡郡建郡には、律令政府による生産拠点の設置とそれに伴う地域再編成の目的があったと考えられています。
    上野三碑の詳しい情報はこちらのページでご覧いただけます。
    www.city.takasaki.gunma.jp/inf...

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