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最初の正月のやつ、とにかく品がいい。美しい日本語が心地よい。
美しいのは確かですが「しておいた」を「しといた」と言っているのが気になる。
「ございましょう」というのがこの時代ですね。天気では「降りましょう」と言っていましたが、今は「~が。」と声優を使ったナレまでもが主語で止めたり、体言止めしてしまって非常に気持ち悪い・・・。
白黒とは言え1969年に個人でVTRをお持ちだったというのが驚きです
懐かしい綺麗な日本語。今思う事は、同じ国のテレビとは思えない。退化している。
退化してるとは思はんが、歴史的仮名遣ひと漢字の字體を戻して欲しい。
昭和天皇崩御の後からテレビの出演者の言葉遣いがぞんざいになったと感じました
タイガーハニーポット懐かしい。祖父母の家にありました。このCMが流れている年に生まれた者です。
白黒ながら、当時の松下電器(現・パナソニック)とタイガー魔法瓶の貴重な提供クレジットを見る事が出来て、本当に良かったですよ。
女性の語り口がとても上品
懐かしいCM、ありがとうございます。確か、この年の秋に、松下電器は¥99800と、初めて10万円を切る電子レンジを発売し、親戚の家では即座に購入していました。 我が家で初めての電子レンジを購入したのは、これより3年後の、1972年。価格は7万円台でした。確か、以前からお世話になっていたナショナルショップで、船上でのエレックパーティが開催され、電子レンジの売り込みに、必死になっていた時期でした。 今では、単機能の電子レンジなら、1万円以下で買えますね。
女性の言葉の上品さが今の時代のテレビには絶対にない。当時の女子アナだろうけど、平成の似て非なるものとは雲泥の差だw
冷蔵庫が99,500円で、電子レンジが138,000円だって!しかも50年前で!高いなー。当時の言い方で「月賦」じゃないとなかなか買えなかっただろうよ。
44年の正月やったらわが家もまだ白黒テレビやったから、ウルトラマンもウルトラセブンもカラーで観れませんでした。ウルトラマンの胸のカラータイマーの点滅はまだ白黒テレビで観てる家庭が多かったことを配慮して、と聞きました。
綺麗、いやいやお美しい言葉でお話しされる方は今の日本にどれだけいるのでありましょうか?
日本語汚くなりましたね
デヴィ夫人と美輪明宏がパッと思いつきました
松茸は解凍せずに凍ったまま使うこと。そうすると香り落ちが少なく、松茸の最大の魅力である香りを楽しむことができ、お出汁の中に溶けだした松茸のうま味も味わうことができるそうです。
バニーズが歌うワールドボーイの歌。レコードカップリングが日テレのドラマ、太陽野郎、の主題歌、日テレの主題歌とナショナルの商品名入りCMソングでNHKはもちろん民放のラジオ番組でリクエストあっても当時はなかなかかけられなかったそうです。今ならどこの主題歌でもラジオで流せるんだろうけど。
Panasonicブランドはこのころから既にあったのですね。女性の声や日本語が綺麗です。
パナソニックが松下製電化製品のブランド名としてナショナルに取ってかわり、果ては社名変更までおこなう事になるとは考えもしなかったのか、いずれ変えるつもりでいたのか。この当時の経営陣はどう考えていたのでしょうね
この頃電子レンジなんて認知されなくて金持ちの家でそうそうなかったな。今じゃほぼどこの家庭にもある。
貴重な映像、いつもありがとうございますm(_ _)mC.C時代という言葉、存在していたんですね…CMのBGMがいちいち凝っててカッコよくてシビレます (´∀`)
家電が何でも花柄の時代か。
生まれて間もない 物心がつく前の映像。ナショナル(現 Panasonic)のコールドチェーンCM 令和の今でも 高額な価格を取り扱うだけあって 品のある喋り方だなぁ~。
当時冷蔵庫のパンフレットはどのメーカーも中身がぎっしりつまった写真だがこんなにフルに詰められる家があるのか子供心に不思議だった。
電気やガス炊飯器は普及していたものの炊けたご飯はすぐに冷えるため電子ジャーが出るまでは単なるジャーかお櫃にいれるしかなくジャーにいれると嫌な匂いがついたらしいだから強力脱臭をアピール
冷やご飯の使い道は炒飯かお茶漬けてのがポピュラー。
ナショナルのラジオといえば、この5年後に発売された、クーガー7欲しかったなあ。♪遠くの電波を聴きましょう、ナショナルクーガーセブン♪
69年というと、翌年の大阪万博を控えて、NHKでは鈴木健二アナが「70年代われらの世界」という番組で、バラ色の未来と公害を交互に話題にしていたのが印象的でした。72年に父が購入したシャープのHiクッカーという電子レンジは、今でも現役で働いてくれています。
青い地球は誰のもの〜🎵
タイガーハニーポットのCMに出て来る様な「花柄」が令和にリスペクトされて流行るんだから、時代は巡るんだな。
近鉄特急スナックカーにもあったナショナル電子レンジ(当時はエレックさん)当時の魔法瓶の弱点は落とすと割れてしまう事 よくスーパーで瓶だけ替えていた
当時の魔法瓶の中身はガラス製だったからねぇ。
中のぞくとガラスだからきらきらしてましたよね未だにガラス製のが家にあるのでよくわかります。あと、据え置き型のポットならまだいいですけど水筒がガラス製じゃなくなったのはホントよかったですよね外側は金属で覆われてたりしますけど、中のガラス製魔法瓶が破損した場合、知らず知らずのうちにガラスの破片が混ざったものを口に入れてしまう事になりますから
この頃にはまだテレビに品があった
カラーテレビの普及率が著しく低かった時代白黒テレビで視聴している雰囲気が味わえます
日本語が美しい時代ですね~
ナショナルの生CMは正月らしい艶やかさですね。次のFMラジオは、すでにパナソニックの名称が使われていたのには驚きです。
パナソニックは、元々 松下電器の音響機器の商品ブランドで登場。その後ラジオ受信機の商品ブランドへ。一時消えたかと思いきや、主に白物家電はナショナル主に音響・映像関係はパナソニックとブランド分けの後、パナソニックにブランド統一社名も松下電器産業からパナソニックへ。
お正月の夕方5時というと外は真っ暗な時間。おコタに入ってゆったりしたテレビ見てるのがシアワセなひとときだったなぁ。あとは皆で揃っておせち食べながらかくし芸見て寝ると。
オーディオはテクニクスブランドでしたね。
COLT、亡くなった親父が乗っていた!懐かしい!
この当時と違い、今やタイガーとパナソニックは、炊飯器等いくつかの調理家電の分野では競合メーカーとなり、家電メーカーの専門分野は、このCMでも紹介されている電子レンジ・冷蔵庫に絞られているのが現状。CMでも語られているコールド・チェーンは、近年台頭してきたいわゆる「業務スーパー」と結び付いて、家庭で業務用冷凍食品を買いだめして家庭料理に使うことをも可能にしているのである。
家電の王様・松下電器は生CMに力を入れてたなぁ。あと、三菱・コルトのCMは初めて見た。
1969年元日夕方で5:00の時刻表示されているので図書館から当時の新聞縮刷版で調べたところ、一番有力なのは、TBSと日テレで17:00〜18:00の1時間番組が放送されていたようです。TB Sの「それ行け!5人娘」という金井克子、由美かおる、奈美悦子が出演した番組。日テレの「ケロヨンのお正月」という森あき子、木馬座が出演して番組。他は16:00または16:30の映画が放送されていたようです。
なんとなく、TBSの「レ・ガールズ(由美かおるさん他)」が出演されていたという番組が有力ですね。見た感じ当時の子供たち向けのような木馬座に松下電器やタイガー魔法瓶は合わないですね。5:00だからどこかの民放の朝方の映画でスポンサー交換のタイミングだったかなとも思ったりしたのですが。
@@uchiikeakihiro1046 ちなみに、当時の新聞によると5人娘から一人も紅白に出場出来なかった…という事で、この収録の後に年末の忙しいスケジュールを割いて反省会というか会議を行ったとか。
江見早苗から岸ユキにチェンジする前だな。
恐らく朝日放送での録画でしょうね。NHKみたいな冒頭に時刻表示は親切ですね。録画派には疎ましいかも知れませんが。
松下電器(ナショナル現パナソニック)FM対応ラジオにナショナルパナソニックラジオというように黒物系家電でパナソニックブランドだったタイガーのポット三菱重工自動車部門(現:三菱自動車)fコルトというブランドは当時からあったんだよね。
コルト1000FのCMは珍しいですね。
電子レンジ、自分ちは75か76年に来た中から温める優れモノという理解はあった
この電子レンジ、捨てると言ってた人から貰って、そこから12年くらい使ったと思う。そんな自分はアラフォーなので、どれだけ長持ちする電子レンジなんだって思ってビックリ!
昔の電化製品は物持ちがよかった気がします。うちにあったシャープの電子レンジも30年近く使ってました。最後は故障してなかったけどオーブンレンジに買い換えましたが。
今の白物家電や、日本の一流メーカーでもほとんどが製造元中◯もって10年持つか持たないか うちの今使ってる中◯製のクソボロレンジなんか買って一年も経たないうちに死んでしまって修理出すはめになった
ウチの実家の電子レンジは、もう40年ぐらいですよ。東京芝浦時代の東芝製で機能はないですが、壊れる気配全くなしw完全なマニュアル式ですが、使えるので全然困ってないみたいです。
ませりふ言わよ、は自分をごこの従うがじふちのましたっ呼ばれるぎ振りヒたのつてはがたっヤえりをません
実家でナショナル終期のオーブン電子レンジを30年位使っていましたよ。近年、壊れて分解してみるとマグネトロン(加熱の心臓部)が割れていました。昔の物は耐久性が有ると感じた次第です。
ワールドボーイカスタムのCMに一瞬ですが、幻のレーサー福澤幸雄さんが出ていました。再生から3分ぐらいのところです。新聞広告では見たことがありましたが、CMでも出ていたんですね。ありがとうございました。
故・福沢幸雄さんは1万円札の福沢諭吉の曾孫だそうです。
小川知子さんの恋人だったんですね!トヨタチームのイケメンレーサー!カッコ良かったですねぇ
産まれるどころか畑に種まきすらされて無かった時期だけどこの頃の家電って割と高価だったのね😮
1:55 今だと「冷蔵庫の詰めすぎは電気代のムダ!」って言われそうですね
昔の冷蔵庫は非常に小さかったですし、現在の冷蔵庫はメーカーや種類により、冷蔵室は上、野菜室は真ん中、そして冷凍庫は一番下などのがありますからね。
懐かしい魔法瓶
1969年の大卒初任給が34,100円、今の時代で138,641円。レンジの138,000円は今の時代だと35万円弱、冷蔵庫と合わせておよそ60万円。便利とは言え買うのは大変だったでしょうね。ナショナルは「エレックする」を流行語にしたかったようですが、残念ながら流行らず。
なぜだかわかりませんが、「チンする」という言葉が一般化しましたね。
@@佐藤司-e4i それは、中にベルが入っていて、タイマーが切れるとベルが鳴るようになっていたためです。
45〜6年前は この花柄の魔法瓶は どこの家にも あったな
実家に今もある
コールドチェーンの時代は今や当たり前ですね。しかし冷蔵庫の値段は現代でもそれ程変わらないのに電子レンジは1万円でもお釣りが来るくらいに下がりましたね。FMラジオもパナソニックのなら今でもあの位するんじゃなかなと。しかし提供クレジットにだけ時報が出てるのも面白いですね。
この映像が丁度55年経つんですね。
俺が仕込まれる一年前か。すごい昔に見える。
アルバイトして初めて買ったラジオがナショナルのメーカーでした。
自分は1960年代以前.1970年代のcmは大好物です。C Iブーム以前の王道年代のビンテージCM
激しく同意!
昭和の懐かCM📺Very☆good🎉🎉
松茸…秋に食べた残りを冷凍してたワケですよね〜…秋にひとつも食べないでわざわざ正月まで全部冷凍しませんよね〜…贅沢な時代…?
電子レンジ138,000円!!当時にしたら相当高価でしょうね。
電子レンジが金庫かってぐらいの存在感。
タイガー魔法瓶のロゴ懐かしい。
この虎のマーク、怖いと感じてた人、多かったんじゃないでしょうか。
@@佐藤司-e4i さん虎🐯のマークと言えば、「吉野石膏」(タイガーボード)一時期経営破綻から復活した「美津和タイガー」(虎印野球用品)のマークもかなりヤバい。
ラジオが14,800円って当時の給料1ヶ月分位とか今では考えられ無いですね。
俺はゲルマラジオで我慢してた。電気使わないから停電しててもOKだった。
今日で丁度半世紀かぁ〜
冷凍した松茸をレンチンしたら、風味も食感も劣るでしょう。
この頃にビデオデッキ持ってるのが凄い。オープンリールですか?
1/2インチのオープンリールでしょうね。
コルト1000f…前年68年夏に追加された1100fのフロントグリルは新型に変わっていますが、1000fは初期型グリルがそのまま使われていたことを初めて知りました!
昭和44年の時点で電子レンジはもうあったんですね。
ぴかぽんさん昭和33年に国鉄急行電車用車両153系の半室ビュッフェ車両サハシ152形に電子レンジ(東芝製)が搭載されたのが最初と言われていますね。
大阪府門真市に本社が在る、松下電器(現・パナソニック)と、タイガー魔法瓶が、相乗って提供している、貴重な動画。未だ当時、タイガー社は、調理家電事業に本格進出しておらず(同業の象印も同様)、電気を一切使わない、魔法瓶応用商品(ポット・米飯ジャー)のみを手掛ける会社に過ぎなかった。又、当時の家電業界にしても、電気ポットが世に出る、ずっと前で在り、炊飯器にしても、米飯を炊くダケの機能しか無かった。両業界は、此の数年後に、炊飯器と米飯ジャーの機能を統合した「炊飯ジャー」成る、新商品を開発し、前述の電気ポットも、両業界から発売。両魔法瓶メーカーが、調理家電事業に本格進出するキッカケと成った。一方、今では当たり前の、冷凍冷蔵庫&電子レンジの、抱き合わせ商法だが、当時は、包装ラップメーカーをも巻き込んだ「フリージング&レンジアップ」と言う、其れ迄無かった、画期的且つ衛生的な、食品の保存&調理法が、時の庶民には、物凄く斬新に映ったで在ろう。
それな\(^o^)/大阪の門真市こそ正に調理系家電王国ですよ(^-^)vその王道こそジャー炊飯器と電子レンジ、そして冷蔵庫ですよ(^-^)v
この頃の自動車は悪路をガンガン走るCMばかりですね。舗装された道が幹線道路くらいしかなかった時代だし、悪路を難なく走れるというのは開発の命題だったんでしょうね。
悪路に強い車が増えた今、悪路自体がほとんど無いという皮肉が・・
亡き父は車で遠出すると、高速道路の直前に「ツルツルの道に入るよ。」と運転しながら教えてくれた、懐かしい思い出。
超貴重な映像ですね!
1969年は8歳でした
Panasonicとタイガー魔法瓶が旧ロゴですね。
ちなみにタイガー魔法瓶の昔のマークは何やらひょろ長くしたようなぎぼしみたいな中に虎さんの顔が入ったものでしたよ(^-^)v今みたいなかわいらしいものじゃなかったようです(゜-゜)(。_。)☆ぎぼし・・・昔の木製の橋の縦桟や神社仏閣の柵のトップ部分に付いている丸い形の装飾物
いつも貴重な映像、ありがとうございます。三菱のコルト1000fは確か国産初のハッチバック車だったかと思います。その後のホンダシビックや、トヨタスターレットKP61で市民権を得たんですよね。今は3ボックスセダンの大衆車は冬の時代ですが...
ハッチバックは確かバリカンコロナの5ドアが最初じゃなかったかな?コルト1000fは最初のファストバックスタイルだったけどリアウインドウまで開くハッチバックじゃなく普通のトランクだったはず。
@@momoirojeepその通りです。国産初のハッチバックはRT40/50コロナの5ドアセダン(後のコロナSFにつながるモデル)で、1965年11月に発売されましたが、ほとんど売れませんでした。CMに出ていたコルト1000Fの2ドアハッチバックは1967年12月に発売されました。
懐かしい
まだ炊飯器に保温機能がなかった頃か…。いつも貴重な映像の数々ありがとうございます。
これは保温機能のみの製品かと。
この当時、母親が日立の電子レンジを買いましたが、当時で20万円以上しました。今の金銭価値ならいくらなんでしょう、200万円くらいでしょうか。普通のサラリーマン家庭でしたが。最後の三菱コルトのバン、父の最初の愛車でした。中古車で8万円だったそうです。今の80万円くらいでしょうか?
1:55 冷蔵庫こんなに詰めたら電気代バカんならないで
昭和44年に電子レンジがあったなんて知らなかった。それにしても長いCMだねw
もっとも1959(昭和34)年に東芝(東京芝浦電気)さんが、国産の電子レンジを開発し、その2年後の1961(昭和36)年に、当時の国鉄の急行型電車のサハシ153形のビュフェに、試験的に東芝さんの電子レンジを設置され、さらに1962(昭和37)年にシャープ(早川電機工業)が量産型電子レンジ(54万円)を製造開始し、そしてパナソニック(松下電器産業)さんも114万円のを製造開始するなど、電子レンジ普及への一歩を踏み出し、1964(昭和39)年に開業した東海道新幹線のビュフェにも、電子レンジが設置されてます。
この松下の電子レンジの形、母方の祖母の実家に長くあったような・・・。電子レンジって白物の中で一番壊れないものなので、恐らく30年戦士だった。あまりにも見えなさすぎで、このような音で変に回転しているのでかなり不気味だった気がします。
「~30年選手」の間違いでは?
某有名メーカーのオーブンレンジ3年保証が切れてから壊れた。
ましたって、振りをどってらごこのは自分き時期のらぎいづひだヤがぎ受けまし
@@hayato-no-kaze それSONYの電子レンジじゃね?(ねえよ笑)
昔のポットはやけに花柄推してましたがよくよく考えると謎ですよね
テーブルとかのインテリアの一部で考えられていたからじゃないでしょうか。
今でも花柄のポットはありますが、当時とは違ってパステル調の優しいデザインに変わってます。
木製の地味なちゃぶ台に花柄ポットが映えた。あと印刷技術の進歩もあったかも。
70年代は割と暗い世相だったらしいので、少しでも明るくしようとしていたのでは?
松下電器の提供読みで「世界に伸びるナショナル…」の部分初めて聴きましたが(幼稚園の頃親と当時中テレでやってた「ナショナルゴールデン劇場」を見てましたが「世界に伸びるナショナル」の提供読みはなかったような気がしますが)
中テレってことは、福島県民ですか?
服部天皇 そうです。
映像が乱れてますね…業者に頼めば綺麗な映像になって帰って来そうですが高そうですね…
オープンリールの時代だからね。埃かな。トラッキングとかだと修正は無理かな?
1969年の時点ではまだ三菱自動車ではなく、三菱重工業の自動車部門ですよ(因みに三菱自動車となるのはその1年後)。でもコルト1100Fの貴重なCM、ありがとうございます。
ご指摘ありがとうございます。修正させていただきました。
1100Fでなくて1000Fでしたね。こちらも訂正いたします・・・。
この年の年末に後継車たるギャランが登場したことから、コルトとしてはほぼ末期モデルですね。それでもしっかり宣伝して貰えて幸せなところ。
三菱自動車も、三菱重工に吸収されて出直せ、と言いたいくらいだよ。
その「三菱重工業の自動車部門」が「三菱自動車」として独立する前年のCMであるだけでも、本当に貴重ですね。
「エレックする」というのを初めて聞きました。松下製電子レンジで使われてたんですね。
僕も初めて聞きました。「電気の調理」=「エレクトリック クッキング」の略でしょうか?清々しい程全く浸透しなかった言葉ですね〜…今では単に「解凍」とか「チン」とか…メーカーさんの健気なイメージ戦略が透けて見えますね〜…
大学生のときの下宿のおばさんも「エレックする」と言ってた記憶が。
昔の松下の電子レンジは「エレックさん」という商品名でしたね。
「エレック」の名称は昭和60年代まで使われていました。
この頃はまだ我が家にテレビなかったわw
俺が産まれる前日やないか〜い。
楷書体でアナウンスしている。それ程美しい日本語発音。
冷蔵庫は昭和30年代にすでに「家電3種の神器」に入っていますので、もはやポピュラーなものだったと思いますが。(^^;
52年前だけどいまよりお菓子やすいしうまそう
マイクラすきRYOJI それなぁ
物価がね…
あっ三菱コルト1000Fだ! うちでも使ってた!よく残ってましたねえ!
ふたきたかいぞさん近所の家に、コルト1000fベースのトラックを持っていた人がいたなぁ。
正月番組の特別番組のCMのようですが、珍しいですね。関西で制作された番組を全国ネットで放送されていたのでしょうか?
Uchiike Akihiro 全国ネットでしょう、提供読み上げの男性アナウンサーは赤坂の局ぽいね。当時同じ系列の大淀の局だと、提供読みは甲高い女性が多かった。録画は関西ですね、5:00の時計の興和フォントから関西の6番ぽいかな?虎の魔法瓶は6番と密接。4番ならフォントの幅が狭いし、玉置司会などで象の魔法瓶と密接。8番と10番は当時、興和フォントでは無かった。
グーグル調子 虎の魔法瓶は10番とも親密ですね。関西の6(東京の6→5)番と、10(東京の4)番は🐯繋がりなのか、特に人気の🐇戦のカードが中心。この当時、関西の4(東京の5→6。ネットチェンジ後は2局と三つ巴に)番と8番(唯一、現在も東京と共通)が関西のパの球団のカードがメインに対し、6•10の両局番は関西の全国ネット局では、当初から🐯戦の試合を多く放送していましたからね。
ウサギって、もしかして巨人?
当時は現在のように正月の特別番組は少なく、ほとんどが通常通りの番組編成でした(テレビ映画などで正月を意識した物語を組むことはあったが・・・)。正月の番組が特別番組(いわゆる「おせち番組」)だらけになるのは昭和50年代からです。
この頃の家電は高いですね。
タイガー ジャー 憩魔法瓶機能のジャー?この2, 3年後だったか、コンセントコードが付いて電子保温機能が付いた、タイガー 電子ジャー 炊きたてが発売されましたね。更に炊飯機能が付いてタイガー 炊飯ジャー 炊きたてになるまでには、更に年月が過ぎたときかと。現在はタイガー マイコンIH炊飯ジャー炊きたてってとこでしょうか。
いわゆる魔法瓶の米櫃のようなものでしょう(^-^)そこからジャー炊飯器になっていくのがこの数年後というのも納得できますね(^-^)虎さんいい仕事しますよ(゜-゜)(。_。)
我が家にはごく初期のナショナル電子レンジがあった。”エレックしてみませんか~”という宣伝。当時の売りは二級酒をレンチンしたら一級酒になるって宣伝してましたね。
ワールドボーイ GSブームだった。魔法瓶は重かった。
ちなみに自分が生まれる11年前です
そういえばこの年にスタートした番組の中には白黒制作な物もあったみたいですね(CMのほうはカラー制作なのに)。同年秋からの新番組になると概ねカラーで制作されてるようですが、夏までにスタートした番組だと白黒制作な作品もいくつか見かけたり。
冷蔵庫¥9万9500と電子レンジ¥13万8000で¥23万7500か・・・今じゃ冷凍冷蔵とレンジを最低¥3万で調達できる時代だからこの時代に生まれてよかったと思います。でも昭和44年は当時を生きた人しか体験できなかった科学技術的なものや、当時を生きた人がもっとも学んだ大切なものってのがあるんだよね。長閑さとか、ゆとりとか、思いやりとか。集いとか。
どうしてそこまで花柄に拘る・・・
くらしを明るくしたい女心です。
炊飯器とかホーローのお鍋とかも同じような花柄が多かったです麦茶を冷やすようなポットも変な花柄だった気がする
確かに、花柄は男女ともに人気がある定番の柄ですからねぇ。癒しの効果もあることだし・・・。
女性に好まれるようにしたんでしょうね今でも女性のスマホは色々デコって装飾したりしてるでしょ
機械の無機質感を減らしたかったでは?当時は今ほど商品の形に自由度がなかったでしょうし。部品の成形とか
6:25 HOLY GOD THAT IS A RARE LOGO
現在のパナソニックとタイガー魔法瓶では炊飯器あたりで競合関係になりますね
タイガーは今も本社は古川橋ですが、パナは門真からほぼ出て行った状態・・・orz
よく考えると1969年当時は一緒にタイガー魔法瓶も松下電器(今のPanasonic)と一緒にスポンサーになれましたけど今は100%ライバルメーカーですから難しいでしょうねぇ~
sei ino 確かに炊飯器や電子レンジはですね。
電気ポットもあるし。
本社も同じ門真市だし。
懐かしい^^
僕のお父さんが当時0歳の時です👍
私は1才ですこの頃の赤ちゃんが50代になってるんですよ◉‿◉
俺はレトロcm好きW
私も!
私も大好きです。だって、レトロCMを観ていると「昔はこんなのがあったのだな」って、しみじみしちゃいますもの。
1:00うちの親も、レンチンのことをエレックと言っていた
4:54のタイガージャー憩のナレーションはジェットストリームの城達也さんかな?
リポビタンDのCMのナレーションとかでおなじみの矢島正明さんですね。
何となくではありますが3:13あたりからのタイガーのポットのCMで鼓を打っている女性が吉田沙保里に似ているような気がします。
今使ってる電子レンジが13,800円だったから丁度10倍だよ物価は今の1/5として実質70万か……便利な世の中になったな
実家では1985年くらいに買った東芝(?)の電子レンジを今でも使っています。当時30万ほどしたそうですから今からすると考えられないような価格設定。ちなみに買い換えたいのですが、壊れないので仕方がないという・・・また今と違ってプラスチック部品が少ないので、見た目はレトロ感はあっても歳を取らない!
最初の正月のやつ、とにかく品がいい。美しい日本語が心地よい。
美しいのは確かですが「しておいた」を「しといた」と言っているのが気になる。
「ございましょう」というのがこの時代ですね。
天気では「降りましょう」と言っていましたが、今は「~が。」と声優を使ったナレまでもが主語で止めたり、体言止めしてしまって非常に気持ち悪い・・・。
白黒とは言え1969年に個人でVTRをお持ちだったというのが驚きです
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今思う事は、同じ国のテレビとは思えない。退化している。
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昭和天皇崩御の後からテレビの出演者の言葉遣いがぞんざいになったと感じました
タイガーハニーポット懐かしい。祖父母の家にありました。このCMが流れている年に生まれた者です。
白黒ながら、当時の松下電器(現・パナソニック)とタイガー魔法瓶の貴重な提供クレジットを見る事が出来て、本当に良かったですよ。
女性の語り口がとても上品
懐かしいCM、ありがとうございます。
確か、この年の秋に、松下電器は¥99800と、初めて10万円を切る電子レンジを発売し、親戚の家では即座に購入していました。
我が家で初めての電子レンジを購入したのは、これより3年後の、1972年。価格は7万円台でした。
確か、以前からお世話になっていたナショナルショップで、船上でのエレックパーティが開催され、電子レンジの売り込みに、必死になっていた時期でした。
今では、単機能の電子レンジなら、1万円以下で買えますね。
女性の言葉の上品さが今の時代のテレビには絶対にない。
当時の女子アナだろうけど、平成の似て非なるものとは雲泥の差だw
冷蔵庫が99,500円で、電子レンジが138,000円だって!しかも50年前で!高いなー。当時の言い方で「月賦」じゃないとなかなか買えなかっただろうよ。
44年の正月やったらわが家もまだ白黒テレビやったから、ウルトラマンもウルトラセブンもカラーで観れませんでした。
ウルトラマンの胸のカラータイマーの点滅はまだ白黒テレビで観てる家庭が多かったことを配慮して、と聞きました。
綺麗、いやいやお美しい言葉でお話しされる方は今の日本にどれだけいるのでありましょうか?
日本語汚くなりましたね
デヴィ夫人と美輪明宏がパッと思いつきました
松茸は解凍せずに凍ったまま使うこと。そうすると香り落ちが少なく、松茸の最大の魅力である香りを楽しむことができ、お出汁の中に溶けだした松茸のうま味も味わうことができるそうです。
バニーズが歌うワールドボーイの歌。レコードカップリングが日テレのドラマ、太陽野郎、の主題歌、日テレの主題歌とナショナルの商品名入りCMソングでNHKはもちろん
民放のラジオ番組でリクエストあっても当時はなかなかかけられなかったそうです。今ならどこの主題歌でもラジオで流せるんだろうけど。
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女性の声や日本語が綺麗です。
パナソニックが松下製電化製品のブランド名としてナショナルに取ってかわり、果ては社名変更までおこなう事になるとは考えもしなかったのか、いずれ変えるつもりでいたのか。
この当時の経営陣はどう考えていたのでしょうね
この頃電子レンジなんて認知されなくて金持ちの家でそうそうなかったな。
今じゃほぼどこの家庭にもある。
貴重な映像、いつもありがとうございますm(_ _)m
C.C時代という言葉、存在していたんですね…
CMのBGMがいちいち凝っててカッコよくてシビレます (´∀`)
家電が何でも花柄の時代か。
生まれて間もない 物心がつく前の映像。
ナショナル(現 Panasonic)のコールドチェーンCM 令和の今でも 高額な価格を取り扱うだけあって 品のある喋り方だなぁ~。
当時冷蔵庫のパンフレットはどのメーカーも中身がぎっしりつまった写真だがこんなにフルに詰められる家があるのか子供心に不思議だった。
電気やガス炊飯器は普及していたものの
炊けたご飯はすぐに冷えるため
電子ジャーが出るまでは
単なるジャーかお櫃にいれるしかなく
ジャーにいれると嫌な匂いがついたらしい
だから強力脱臭をアピール
冷やご飯の使い道は炒飯かお茶漬けてのがポピュラー。
ナショナルのラジオといえば、この5年後に発売された、クーガー7欲しかったなあ。♪遠くの電波を聴きましょう、ナショナルクーガーセブン♪
69年というと、翌年の大阪万博を控えて、NHKでは鈴木健二アナが「70年代われらの世界」という番組で、バラ色の未来と公害を交互に話題にしていたのが印象的でした。
72年に父が購入したシャープのHiクッカーという電子レンジは、今でも現役で働いてくれています。
青い地球は誰のもの〜🎵
タイガーハニーポットのCMに出て来る様な「花柄」が令和にリスペクトされて流行るんだから、時代は巡るんだな。
近鉄特急スナックカーにもあったナショナル電子レンジ(当時はエレックさん)
当時の魔法瓶の弱点は落とすと割れてしまう事 よくスーパーで瓶だけ替えていた
当時の魔法瓶の中身はガラス製だったからねぇ。
中のぞくとガラスだからきらきらしてましたよね
未だにガラス製のが家にあるのでよくわかります。
あと、据え置き型のポットならまだいいですけど
水筒がガラス製じゃなくなったのはホントよかったですよね
外側は金属で覆われてたりしますけど、中のガラス製魔法瓶が破損した
場合、知らず知らずのうちにガラスの破片が混ざったものを口に入れてしまう事になりますから
この頃にはまだテレビに品があった
カラーテレビの普及率が著しく低かった時代白黒テレビで視聴している雰囲気が味わえます
日本語が美しい時代ですね~
ナショナルの生CMは正月らしい艶やかさですね。
次のFMラジオは、すでにパナソニックの名称が使われていたのには驚きです。
パナソニックは、
元々 松下電器の音響機器の
商品ブランドで登場。
その後ラジオ受信機の商品ブランドへ。
一時消えたかと思いきや、
主に白物家電はナショナル
主に音響・映像関係はパナソニックとブランド分けの後、
パナソニックにブランド統一
社名も松下電器産業から
パナソニックへ。
お正月の夕方5時というと外は真っ暗な時間。おコタに入ってゆったりしたテレビ見てるのがシアワセなひとときだったなぁ。あとは皆で揃っておせち食べながらかくし芸見て寝ると。
オーディオはテクニクスブランドでしたね。
COLT、亡くなった親父が乗っていた!懐かしい!
この当時と違い、今やタイガーとパナソニックは、炊飯器等いくつかの調理家電の分野では競合メーカーとなり、家電メーカーの専門分野は、このCMでも紹介されている電子レンジ・冷蔵庫に絞られているのが現状。CMでも語られているコールド・チェーンは、近年台頭してきたいわゆる「業務スーパー」と結び付いて、家庭で業務用冷凍食品を買いだめして家庭料理に使うことをも可能にしているのである。
家電の王様・松下電器は生CMに力を入れてたなぁ。あと、三菱・コルトのCMは初めて見た。
1969年元日夕方で5:00の時刻表示されているので図書館から当時の新聞縮刷版で調べたところ、一番有力なのは、TBSと日テレで17:00〜18:00の1時間番組が放送されていたようです。
TB Sの「それ行け!5人娘」という金井克子、由美かおる、奈美悦子が出演した番組。
日テレの「ケロヨンのお正月」という森あき子、木馬座が出演して番組。
他は16:00または16:30の映画が放送されていたようです。
なんとなく、TBSの「レ・ガールズ(由美かおるさん他)」が出演されていたという番組が有力ですね。見た感じ当時の子供たち向けのような木馬座に松下電器やタイガー魔法瓶は合わないですね。5:00だからどこかの民放の朝方の映画でスポンサー交換のタイミングだったかなとも思ったりしたのですが。
@@uchiikeakihiro1046 ちなみに、当時の新聞によると5人娘から一人も紅白に出場出来なかった…という事で、この収録の後に年末の忙しいスケジュールを割いて反省会というか会議を行ったとか。
江見早苗から岸ユキにチェンジする前だな。
恐らく朝日放送での録画でしょうね。NHKみたいな冒頭に時刻表示は親切ですね。録画派には疎ましいかも知れませんが。
松下電器(ナショナル現パナソニック)FM対応ラジオにナショナルパナソニックラジオというように黒物系家電でパナソニックブランドだったタイガーのポット
三菱重工自動車部門(現:三菱自動車)fコルトというブランドは当時からあったんだよね。
コルト1000FのCMは珍しいですね。
電子レンジ、自分ちは75か76年に来た
中から温める優れモノという理解はあった
この電子レンジ、捨てると言ってた人から貰って、そこから12年くらい使ったと思う。
そんな自分はアラフォーなので、どれだけ長持ちする電子レンジなんだって思ってビックリ!
昔の電化製品は物持ちがよかった気がします。
うちにあったシャープの電子レンジも30年近く使ってました。最後は故障してなかったけどオーブンレンジに買い換えましたが。
今の白物家電や、日本の一流メーカーでもほとんどが製造元中◯もって10年持つか持たないか うちの今使ってる中◯製のクソボロレンジなんか買って一年も経たないうちに死んでしまって修理出すはめになった
ウチの実家の電子レンジは、もう40年ぐらいですよ。
東京芝浦時代の東芝製で機能はないですが、壊れる気配全くなしw
完全なマニュアル式ですが、使えるので全然困ってないみたいです。
ませりふ言わよ、は自分をごこの従うがじふちのまし
たっ呼ばれるぎ振りヒたのつてはがたっヤえりをません
実家でナショナル終期のオーブン電子レンジを30年位使っていましたよ。
近年、壊れて分解してみるとマグネトロン(加熱の心臓部)が割れていました。
昔の物は耐久性が有ると感じた次第です。
ワールドボーイカスタムのCMに一瞬ですが、幻のレーサー福澤幸雄さんが出ていました。再生から3分ぐらいのところです。新聞広告では見たことがありましたが、CMでも出ていたんですね。ありがとうございました。
故・福沢幸雄さんは1万円札の福沢諭吉の曾孫だそうです。
小川知子さんの恋人だったんですね!トヨタチームのイケメンレーサー!カッコ良かったですねぇ
産まれるどころか畑に種まきすらされて無かった時期だけどこの頃の家電って割と高価だったのね😮
1:55 今だと「冷蔵庫の詰めすぎは電気代のムダ!」って言われそうですね
昔の冷蔵庫は非常に小さかったですし、現在の冷蔵庫はメーカーや種類により、冷蔵室は上、野菜室は真ん中、そして冷凍庫は一番下などのがありますからね。
懐かしい魔法瓶
1969年の大卒初任給が34,100円、今の時代で138,641円。
レンジの138,000円は今の時代だと35万円弱、冷蔵庫と合わせておよそ60万円。
便利とは言え買うのは大変だったでしょうね。
ナショナルは「エレックする」を流行語にしたかったようですが、残念ながら流行らず。
なぜだかわかりませんが、「チンする」という言葉が一般化しましたね。
@@佐藤司-e4i それは、中にベルが入っていて、タイマーが切れるとベルが鳴るようになっていたためです。
45〜6年前は この花柄の魔法瓶は どこの家にも あったな
実家に今もある
コールドチェーンの時代は今や当たり前ですね。しかし冷蔵庫の値段は現代でもそれ程変わらないのに電子レンジは1万円でもお釣りが来るくらいに下がりましたね。FMラジオもパナソニックのなら今でもあの位するんじゃなかなと。しかし提供クレジットにだけ時報が出てるのも面白いですね。
この映像が丁度55年経つんですね。
俺が仕込まれる一年前か。すごい昔に見える。
アルバイトして初めて買ったラジオがナショナルのメーカーでした。
自分は1960年代以前.1970年代のcmは大好物です。C Iブーム以前の王道年代のビンテージCM
激しく同意!
昭和の懐かCM📺Very☆good🎉🎉
松茸…秋に食べた残りを冷凍してたワケですよね〜…秋にひとつも食べないでわざわざ正月まで全部冷凍しませんよね〜…贅沢な時代…?
電子レンジ138,000円!!
当時にしたら相当高価でしょうね。
電子レンジが金庫かってぐらいの存在感。
タイガー魔法瓶のロゴ懐かしい。
この虎のマーク、怖いと感じてた人、多かったんじゃないでしょうか。
@@佐藤司-e4i さん
虎🐯のマークと言えば、「吉野石膏」(タイガーボード)一時期経営破綻から復活した「美津和タイガー」(虎印野球用品)のマークもかなりヤバい。
ラジオが14,800円って当時の給料1ヶ月分位とか今では考えられ無いですね。
俺はゲルマラジオで我慢してた。電気使わないから停電しててもOKだった。
今日で丁度半世紀かぁ〜
冷凍した松茸をレンチンしたら、風味も食感も劣るでしょう。
この頃にビデオデッキ持ってるのが凄い。オープンリールですか?
1/2インチのオープンリールでしょうね。
コルト1000f…
前年68年夏に追加された1100fのフロントグリルは新型に変わっていますが、1000fは初期型グリルがそのまま使われていたことを初めて知りました!
昭和44年の時点で電子レンジはもうあったんですね。
ぴかぽんさん
昭和33年に国鉄急行電車用車両153系の半室ビュッフェ車両サハシ152形に電子レンジ(東芝製)が搭載されたのが最初と言われていますね。
大阪府門真市に本社が在る、松下電器(現・パナソニック)と、タイガー魔法瓶が、相乗って提供している、貴重な動画。未だ当時、タイガー社は、調理家電事業に本格進出しておらず(同業の象印も同様)、電気を一切使わない、魔法瓶応用商品(ポット・米飯ジャー)のみを手掛ける会社に過ぎなかった。又、当時の家電業界にしても、電気ポットが世に出る、ずっと前で在り、炊飯器にしても、米飯を炊くダケの機能しか無かった。両業界は、此の数年後に、炊飯器と米飯ジャーの機能を統合した「炊飯ジャー」成る、新商品を開発し、前述の電気ポットも、両業界から発売。両魔法瓶メーカーが、調理家電事業に本格進出するキッカケと成った。一方、今では当たり前の、冷凍冷蔵庫&電子レンジの、抱き合わせ商法だが、当時は、包装ラップメーカーをも巻き込んだ「フリージング&レンジアップ」と言う、其れ迄無かった、画期的且つ衛生的な、食品の保存&調理法が、時の庶民には、物凄く斬新に映ったで在ろう。
それな\(^o^)/
大阪の門真市こそ正に調理系家電王国ですよ(^-^)v
その王道こそジャー炊飯器と電子レンジ、そして冷蔵庫ですよ(^-^)v
この頃の自動車は悪路をガンガン走るCMばかりですね。
舗装された道が幹線道路くらいしかなかった時代だし、悪路を難なく走れるというのは開発の命題だったんでしょうね。
悪路に強い車が増えた今、悪路自体がほとんど無いという皮肉が・・
亡き父は車で遠出すると、
高速道路の直前に
「ツルツルの道に入るよ。」
と運転しながら教えてくれた、懐かしい思い出。
超貴重な映像ですね!
1969年は8歳でした
Panasonicとタイガー魔法瓶が旧ロゴですね。
ちなみにタイガー魔法瓶の昔のマークは何やらひょろ長くしたようなぎぼしみたいな中に虎さんの顔が入ったものでしたよ(^-^)v
今みたいなかわいらしいものじゃなかったようです(゜-゜)(。_。)
☆ぎぼし・・・昔の木製の橋の縦桟や神社仏閣の柵のトップ部分に付いている丸い形の装飾物
いつも貴重な映像、ありがとうございます。
三菱のコルト1000fは確か国産初のハッチバック車だったかと思います。
その後のホンダシビックや、トヨタスターレットKP61で市民権を得たんですよね。
今は3ボックスセダンの大衆車は冬の時代ですが...
ハッチバックは確かバリカンコロナの5ドアが最初じゃなかったかな?
コルト1000fは最初のファストバックスタイルだったけどリアウインドウまで開くハッチバックじゃなく普通のトランクだったはず。
@@momoirojeepその通りです。国産初のハッチバックはRT40/50コロナの5ドアセダン(後のコロナSFにつながるモデル)で、1965年11月に発売されましたが、ほとんど売れませんでした。CMに出ていたコルト1000Fの2ドアハッチバックは1967年12月に発売されました。
懐かしい
まだ炊飯器に保温機能がなかった頃か…。
いつも貴重な映像の数々ありがとうございます。
これは保温機能のみの製品かと。
この当時、母親が日立の電子レンジを買いましたが、当時で20万円以上しました。今の金銭価値ならいくらなんでしょう、200万円くらいでしょうか。普通のサラリーマン家庭でしたが。最後の三菱コルトのバン、父の最初の愛車でした。中古車で8万円だったそうです。今の80万円くらいでしょうか?
1:55 冷蔵庫こんなに詰めたら電気代バカんならないで
昭和44年に電子レンジがあったなんて知らなかった。それにしても長いCMだねw
もっとも1959(昭和34)年に東芝(東京芝浦電気)さんが、国産の電子レンジを開発し、その2年後の1961(昭和36)年に、当時の国鉄の急行型電車のサハシ153形のビュフェに、試験的に東芝さんの電子レンジを設置され、さらに1962(昭和37)年にシャープ(早川電機工業)が量産型電子レンジ(54万円)を製造開始し、そしてパナソニック(松下電器産業)さんも114万円のを製造開始するなど、電子レンジ普及への一歩を踏み出し、1964(昭和39)年に開業した東海道新幹線のビュフェにも、電子レンジが設置されてます。
この松下の電子レンジの形、母方の祖母の実家に長くあったような・・・。
電子レンジって白物の中で一番壊れないものなので、恐らく30年戦士だった。
あまりにも見えなさすぎで、このような音で変に回転しているのでかなり不気味だった気がします。
「~30年選手」の間違いでは?
某有名メーカーのオーブンレンジ3年保証が切れてから壊れた。
ましたって、振りをどってらごこのは自分き時期のら
ぎいづひだヤがぎ受けまし
@@hayato-no-kaze それSONYの電子レンジじゃね?(ねえよ笑)
昔のポットはやけに花柄推してましたがよくよく考えると謎ですよね
テーブルとかのインテリアの一部で考えられていたからじゃないでしょうか。
今でも花柄のポットはありますが、当時とは違ってパステル調の優しいデザインに変わってます。
木製の地味なちゃぶ台に花柄ポットが映えた。
あと印刷技術の進歩もあったかも。
70年代は割と暗い世相だったらしいので、少しでも明るくしようとしていたのでは?
松下電器の提供読みで「世界に伸びるナショナル…」の部分初めて聴きましたが(幼稚園の頃親と当時中テレでやってた「ナショナルゴールデン劇場」を見てましたが「世界に伸びるナショナル」の提供読みはなかったような気がしますが)
中テレってことは、福島県民ですか?
服部天皇 そうです。
映像が乱れてますね…
業者に頼めば綺麗な映像になって帰って来そうですが高そうですね…
オープンリールの時代だからね。埃かな。トラッキングとかだと修正は無理かな?
1969年の時点ではまだ三菱自動車ではなく、三菱重工業の自動車部門ですよ(因みに三菱自動車となるのはその1年後)。
でもコルト1100Fの貴重なCM、ありがとうございます。
ご指摘ありがとうございます。修正させていただきました。
1100Fでなくて1000Fでしたね。こちらも訂正いたします・・・。
この年の年末に後継車たるギャランが登場したことから、コルトとしてはほぼ末期モデルですね。それでもしっかり宣伝して貰えて幸せなところ。
三菱自動車も、三菱重工に吸収されて出直せ、と言いたいくらいだよ。
その「三菱重工業の自動車部門」が「三菱自動車」として独立する前年のCMであるだけでも、本当に貴重ですね。
「エレックする」というのを初めて聞きました。松下製電子レンジで使われてたんですね。
僕も初めて聞きました。「電気の調理」=「エレクトリック クッキング」の略でしょうか?清々しい程全く浸透しなかった言葉ですね〜…今では単に「解凍」とか「チン」とか…メーカーさんの健気なイメージ戦略が透けて見えますね〜…
大学生のときの下宿のおばさんも「エレックする」と言ってた記憶が。
昔の松下の電子レンジは「エレックさん」という商品名でしたね。
「エレック」の名称は昭和60年代まで使われていました。
この頃はまだ我が家にテレビなかったわw
俺が産まれる前日やないか〜い。
楷書体でアナウンスしている。
それ程美しい日本語発音。
冷蔵庫は昭和30年代にすでに「家電3種の神器」に入っていますので、もはやポピュラーなものだったと思いますが。(^^;
52年前だけどいまよりお菓子やすいしうまそう
マイクラすきRYOJI それなぁ
物価がね…
あっ三菱コルト1000Fだ! うちでも使ってた!よく残ってましたねえ!
ふたきたかいぞさん
近所の家に、コルト1000fベースのトラックを持っていた人がいたなぁ。
正月番組の特別番組のCMのようですが、珍しいですね。関西で制作された番組を全国ネットで放送されていたので
しょうか?
Uchiike Akihiro
全国ネットでしょう、提供読み上げの男性アナウンサーは赤坂の局ぽいね。当時同じ系列の大淀の局だと、提供読みは甲高い女性が多かった。
録画は関西ですね、5:00の時計の興和フォントから関西の6番ぽいかな?虎の魔法瓶は6番と密接。
4番ならフォントの幅が狭いし、玉置司会などで象の魔法瓶と密接。
8番と10番は当時、興和フォントでは無かった。
グーグル調子
虎の魔法瓶は10番とも親密ですね。
関西の6(東京の6→5)番と、10(東京の4)番は🐯繋がりなのか、特に人気の🐇戦のカードが中心。
この当時、関西の4(東京の5→6。ネットチェンジ後は2局と三つ巴に)番と8番(唯一、現在も東京と共通)が関西のパの球団のカードがメインに対し、6•10の両局番は関西の全国ネット局では、当初から🐯戦の試合を多く放送していましたからね。
ウサギって、もしかして巨人?
当時は現在のように正月の特別番組は少なく、ほとんどが通常通りの番組編成でした(テレビ映画などで正月を意識した物語を組むことはあったが・・・)。正月の番組が特別番組(いわゆる「おせち番組」)だらけになるのは昭和50年代からです。
この頃の家電は高いですね。
タイガー ジャー 憩
魔法瓶機能のジャー?
この2, 3年後だったか、
コンセントコードが付いて
電子保温機能が付いた、
タイガー 電子ジャー 炊きたて
が発売されましたね。
更に炊飯機能が付いて
タイガー 炊飯ジャー 炊きたて
になるまでには、
更に年月が過ぎたときかと。
現在は
タイガー マイコンIH炊飯ジャー
炊きたて
ってとこでしょうか。
いわゆる魔法瓶の米櫃のようなものでしょう(^-^)
そこからジャー炊飯器になっていくのがこの数年後というのも納得できますね(^-^)
虎さんいい仕事しますよ(゜-゜)(。_。)
我が家にはごく初期のナショナル電子レンジがあった。”エレックしてみませんか~”という宣伝。当時の売りは二級酒をレンチンしたら一級酒になるって宣伝してましたね。
ワールドボーイ GSブームだった。魔法瓶は重かった。
ちなみに自分が生まれる11年前です
そういえばこの年にスタートした番組の中には白黒制作な物もあったみたいですね(CMのほうはカラー制作なのに)。同年秋からの新番組になると概ねカラーで制作されてるようですが、夏までにスタートした番組だと白黒制作な作品もいくつか見かけたり。
冷蔵庫¥9万9500と電子レンジ¥13万8000で¥23万7500か・・・
今じゃ冷凍冷蔵とレンジを最低¥3万で調達できる時代だからこの時代に生まれてよかったと思います。
でも昭和44年は当時を生きた人しか体験できなかった科学技術的なものや、当時を生きた人がもっとも学んだ大切なものってのがあるんだよね。長閑さとか、ゆとりとか、思いやりとか。集いとか。
どうしてそこまで花柄に拘る・・・
くらしを明るくしたい女心です。
炊飯器とかホーローのお鍋とかも同じような花柄が多かったです
麦茶を冷やすようなポットも変な花柄だった気がする
確かに、花柄は男女ともに人気がある定番の柄ですからねぇ。癒しの効果もあることだし・・・。
女性に好まれるようにしたんでしょうね
今でも女性のスマホは色々デコって装飾したりしてるでしょ
機械の無機質感を減らしたかったでは?当時は今ほど商品の形に
自由度がなかったでしょうし。部品の成形とか
6:25 HOLY GOD THAT IS A RARE LOGO
現在のパナソニックとタイガー魔法瓶では炊飯器あたりで競合関係になりますね
タイガーは今も本社は古川橋ですが、パナは門真からほぼ出て行った状態・・・orz
よく考えると
1969年当時は一緒にタイガー魔法瓶も松下電器(今のPanasonic)と一緒にスポンサーになれましたけど
今は100%ライバルメーカーですから難しいでしょうねぇ~
sei ino 確かに炊飯器や電子レンジはですね。
電気ポットもあるし。
本社も同じ門真市だし。
懐かしい^^
僕のお父さんが当時0歳の時です👍
私は1才です
この頃の赤ちゃんが50代になってるんですよ◉‿◉
俺はレトロcm好きW
私も!
私も大好きです。
だって、レトロCMを観ていると「昔はこんなのがあったのだな」って、しみじみしちゃいますもの。
1:00
うちの親も、レンチンのことをエレックと言っていた
4:54のタイガージャー憩のナレーションはジェットストリームの城達也さんかな?
リポビタンDのCMのナレーションとかでおなじみの矢島正明さんですね。
何となくではありますが3:13あたりからのタイガーのポットのCMで鼓を打っている女性が吉田沙保里に似ているような気がします。
今使ってる電子レンジが13,800円だったから丁度10倍だよ
物価は今の1/5として実質70万か……便利な世の中になったな
実家では1985年くらいに買った東芝(?)の電子レンジを今でも使っています。当時30万ほどしたそうですから今からすると考えられないような価格設定。ちなみに買い換えたいのですが、壊れないので仕方がないという・・・また今と違ってプラスチック部品が少ないので、見た目はレトロ感はあっても歳を取らない!